大河内久豊
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 元禄16年(1703年) |
死没 | 寛保元年3月11日(1741年4月26日) |
改名 | 孫太郎 |
戒名 | 真光院殿了山玄覚居士 |
墓所 | 埼玉県新座市野火止の平林寺 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家継→吉宗 |
氏族 | 大河内家 |
父母 | 父:大河内信相 |
兄弟 | 久豊、久兼、女 |
子 | 豊貫、女、女(多賀高但の養女) |
大河内 久豊(おおこうち ひさとよ)は、江戸時代中期の旗本。大河内宗家17代。石高は715石。
生涯
[編集]元禄16年(1703年)に大河内信相の長男として生まれる。正徳3年(1713年)7月に父が死去し、9月27日に家督を相続する。享保8年(1723年)4月3日、書院番となる。享保11年(1726年)3月27日、小金原御鹿狩に随行して鹿2頭を仕留めて将軍吉宗に献上し、1頭を下賜される。同年4月18日、中奥番士となる。寛保元年(1741年)3月11日に死去。享年39。
参考文献
[編集]- 『寛政重修諸家譜』巻第二百五十五
- 『平林寺史』(春秋社、1988年)[要ページ番号]