大河内久徴
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時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 安永3年(1774年) |
死没 | 天保13年6月2日(1842年7月9日) |
別名 | 金之丞 |
戒名 | 清凉院殿無関元透居士 |
墓所 | 埼玉県新座市野火止の平林寺 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家斉→家慶 |
氏族 | 大河内家 |
父母 | 父:大河内久雄 母:安藤定厚の娘 |
兄弟 | 久徴、久誠、鉱之助、女 |
妻 | 石河政武の娘 |
子 | 久信、女 |
大河内 久徴(おおこうち ひさあきら)は、江戸時代後期の旗本。大河内宗家20代。石高は715石。
生涯
[編集]安永3年(1774年)に大河内久雄の長男として生まれる。文化3年(1806年)7月に父が死去したため家督を相続する。小姓組を勤め、天保7年(1836年)10月8日に小姓組与頭となる。天保12年(1841年)閏1月6日に職を辞し、天保13年(1842年)6月2日に死去。享年69。