松平正卜
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時代 | 江戸時代中期 - 後期 |
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生誕 | 安永7年2月27日(1778年3月25日) |
死没 | 文政6年4月22日(1823年6月1日) |
別名 | 弥門 |
戒名 | 霊光院殿顕誉瑞雲大居士 |
墓所 | 駒込蓮光寺 |
官位 | 従五位下、石見守 |
幕府 | 江戸幕府堺奉行 |
主君 | 徳川家斉 |
氏族 | 大河内松平家 |
父母 |
父:松平正明 母:三島政申の娘 養父:松平正愛 |
兄弟 |
某、某、正名、正卜、某、石川正邦 女(松平正賢室)、女、女 |
妻 |
正室:寛隆院(鳥居忠求の娘) 継室:小堀正明の娘 |
子 | 某、正則、女、女 |
松平 正卜(まつだいら まさうら)は、江戸時代中期から後期の旗本(寄合)。正朝系大河内松平家6代。石高は3500石。
生涯
[編集]安永7年(1778年)2月27日に旗本・松平正明の四男として生まれる。寛政2年(1790年)3月4日に同族松平正愛の末期養子となり、6月3日に家督を相続する。寛政6年(1794年)3月15日、初めて将軍徳川家斉の世子徳川家慶に拝謁する。寛政7年(1795年)6月24日に小納戸、7月6日に小姓となる。寛政9年(1797年)2月8日、将軍家斉が描いた枝柿の画を拝領する。同年6月8日に中奥小姓、文化4年(1807年)12月15日に新番頭、文化7年(1810年)9月28日に小普請組支配、文政3年(1820年)2月26日に堺奉行となる。文政6年(1823年)2月に職を辞し、4月22日に死去。享年46。