コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

松平信祝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
松平信祝
時代 江戸時代中期
生誕 天和3年11月6日1683年12月23日
死没 延享元年4月18日1744年5月29日
改名 亀千代(幼名)→信高(初名)→信祝
戒名 万松院殿泰叟道雲大居士
墓所 埼玉県新座市野火止の平林寺
官位 従五位下、甲斐守、伊豆守、従四位下、侍従
幕府 江戸幕府奏者番大坂城代老中
下総古河藩主→三河吉田藩主→遠江浜松藩
氏族 大河内松平家
父母 父:松平信輝、母:貞照院(井上正任の娘)
兄弟 喜予、信祝
菊姫酒井忠挙の養女、京極高豊の娘)
信復中川久貞正温、翁之丞、安藤直之、多代(松浦有信縁女)、伊代(本多正珍縁女)、得寿(京極高矩室)、富(溝口直温室)、喜尾(松平信直室)、兼(松平輝高正室)、八十(北原忠光室)、光、幸(松平輝高継室)、郁(松平信直継室)、参、賀久、皆(戸川達恒縁女)
テンプレートを表示

松平 信祝(まつだいら のぶとき)は、江戸時代中期の大名老中下総古河藩の第2代藩主、三河吉田藩主、遠江浜松藩初代藩主。松平伊豆守大河内松平家4代。

生涯

[編集]

古河藩初代藩主・松平信輝の長男。宝永6年6月21日1709年7月27日)に父の隠居により家督を継ぐ。

古河から吉田への国替えの時、古河の頼政神社より分霊して、吉田に豊城(とよき)神社を建立した。最終的には遠江浜松に移封されている。

ははじめ林信篤の撰により信高享保4年(1719年)、やはり信篤の撰によって信祝と改めた。

奏者番大坂城代、老中など要職を歴任し、8代将軍・徳川吉宗享保の改革に参与した。延享元年4月14日(1744年5月25日)、病気により老中辞職を願い出るが許されず、4月18日(5月29日。実際は16日27日))に死去した。享年62。跡を長男の信復が継いだ。

年譜

[編集]

系譜

[編集]

父母

正室

側室

  • 狭妻、小林氏
  • 左近、永井氏

子女

登場作品

[編集]
テレビドラマ
映画