松平信祝
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 天和3年11月6日(1683年12月23日) |
死没 | 延享元年4月18日(1744年5月29日) |
改名 | 亀千代(幼名)→信高(初名)→信祝 |
戒名 | 万松院殿泰叟道雲大居士 |
墓所 | 埼玉県新座市野火止の平林寺 |
官位 | 従五位下、甲斐守、伊豆守、従四位下、侍従 |
幕府 | 江戸幕府奏者番→大坂城代→老中 |
藩 | 下総古河藩主→三河吉田藩主→遠江浜松藩主 |
氏族 | 大河内松平家 |
父母 | 父:松平信輝、母:貞照院(井上正任の娘) |
兄弟 | 喜予、信祝 |
妻 | 菊姫(酒井忠挙の養女、京極高豊の娘) |
子 | 信復、中川久貞、正温、翁之丞、安藤直之、多代(松浦有信縁女)、伊代(本多正珍縁女)、得寿(京極高矩室)、富(溝口直温室)、喜尾(松平信直室)、兼(松平輝高正室)、八十(北原忠光室)、光、幸(松平輝高継室)、郁(松平信直継室)、参、賀久、皆(戸川達恒縁女) |
松平 信祝(まつだいら のぶとき)は、江戸時代中期の大名・老中。下総古河藩の第2代藩主、三河吉田藩主、遠江浜松藩初代藩主。松平伊豆守系大河内松平家4代。
生涯
[編集]古河藩初代藩主・松平信輝の長男。宝永6年6月21日(1709年7月27日)に父の隠居により家督を継ぐ。
古河から吉田への国替えの時、古河の頼政神社より分霊して、吉田に豊城(とよき)神社を建立した。最終的には遠江浜松に移封されている。
諱ははじめ林信篤の撰により信高。享保4年(1719年)、やはり信篤の撰によって信祝と改めた。
奏者番、大坂城代、老中など要職を歴任し、8代将軍・徳川吉宗の享保の改革に参与した。延享元年4月14日(1744年5月25日)、病気により老中辞職を願い出るが許されず、4月18日(5月29日。実際は16日(27日))に死去した。享年62。跡を長男の信復が継いだ。
年譜
[編集]- 天和3年11月6日(1683年12月23日) - 松平信輝の長男として誕生。
- 元禄6年8月9日(1693年9月8日) - 信高と名乗る。
- 元禄10年12月18日(1698年1月29日) - 従五位下・甲斐守に叙任する。
- 宝永6年(1709年)
- 正徳2年7月12日(1712年8月13日) - 吉田藩7万石に移封。
- 享保4年4月9日(1719年5月27日) - 名を信祝と改める。
- 享保14年(1729年)
- 享保15年
- 延享元年4月18日(1744年5月29日) - 老中在任中に死去。
系譜
[編集]父母
正室
側室
- 狭妻、小林氏
- 左近、永井氏
子女
- 松平信復(長男) 生母は狭妻
- 中川久貞(次男) 生母は左近
- 松平正温(三男) 生母は左近
- 松平翁之丞
- 安藤直之(五男) 生母は狭妻
- 多代(松浦有信縁女)
- 伊代(本多正珍縁女)
- 得寿(京極高矩室)
- 富(溝口直温室)
- 喜尾(松平信直室)
- 兼(松平輝高正室)
- 八十(北原忠光室)
- 光
- 幸(松平輝高継室)
- 郁(松平信直継室)
- 参
- 賀久
- 皆(戸川達恒縁女)
登場作品
[編集]- テレビドラマ
- 映画