松平堅綱
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時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 寛永18年1月12日(1641年2月21日) |
死没 | 寛文5年6月26日(1665年8月7日) |
改名 | 早綱→堅綱 |
別名 | 頼母(通称) |
戒名 | 天凉院殿鉄捩要関大禅定門 |
墓所 | 埼玉県新座市野火止の平林寺 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家綱 |
氏族 | 大河内松平家 |
父母 | 父:松平信綱 母:家女(江春院) |
兄弟 |
輝綱、吉綱、伊織、信定、信興、堅綱 千万(酒井忠当室)、亀(土井利隆室)、 久満(秋元忠朝室)、多阿、百(松浦棟室)、八 |
子 | 養子:信義 |
松平 堅綱(まつだいら かたつな)は、江戸時代前期の旗本。堅綱系大河内松平家初代。
寛永18年(1641年)に松平信綱の六男として生まれる。寛文元年(1661年)3月8日に初めて将軍家綱に御目見し、4月9日に中奥小姓となる。寛文2年(1662年)4月18日に父の遺領である武蔵埼玉郡のうち新墾田1000石を分与された。寛文5年(1665年)6月26日に死去した。享年25。
なお、分家した際に滝沢興也(曲亭馬琴の先祖)が家老となっている。
参考文献
[編集]- 『寛政重修諸家譜』巻第二百五十七