大河内豊貫
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 享保12年(1727年) |
死没 | 明和7年10月17日(1770年12月3日) |
別名 | 金五郎 |
戒名 | 実相院殿真嶽玄性大居士 |
墓所 | 埼玉県新座市野火止の平林寺 |
官位 | 従五位下、摂津守、肥後守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川吉宗→家重→家治 |
氏族 | 大河内家 |
父母 | 父:大河内久豊 |
兄弟 | 豊貫、女、女(多賀高但の養女) |
妻 | 関永張の娘 |
子 | 久雄、三橋信事、小膳、女(松平房熱室)、女(杉浦勝光室)、女、女、女 |
大河内 豊貫(おおこうち とよつら)は、江戸時代中期の旗本。大河内宗家18代。石高は715石。
生涯
[編集]享保12年(1727年)に大河内久豊の長男として生まれる。寛保元年(1741年)3月に父が死去し、6月2日に家督を相続する。延享4年(1747年)11月7日に小納戸、12月3日に小姓となる。寛延元年(1748年)12月21日、従五位下摂津守に叙任され、後に肥後守となる。宝暦元年(1751年)4月25日、寄合となる。明和7年(1770年)10月17日に死去。享年44。
参考文献
[編集]- 『寛政重修諸家譜』巻第二百五十五
- 『平林寺史』(春秋社、1988年)