大河内久雄
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時代 | 江戸時代中期‐後期 |
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生誕 | 宝暦3年(1753年) |
死没 | 文化3年7月25日(1806年9月7日) |
改名 | 信勝→久雄 |
別名 | 孫太郎→金兵衛 |
戒名 | 玄光院殿敬巌道篤居士 |
墓所 | 埼玉県新座市野火止の平林寺 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家治→家斉 |
氏族 | 大河内家 |
父母 | 父:大河内豊貫 |
兄弟 | 久雄、三橋信事、小膳、女(松平房熱室)、女(杉浦勝光室)、女、女、女 |
妻 |
正室:安藤定厚の娘 継室:木下利常の娘 |
子 | 久徴、久誠、鉱之助、女 |
大河内 久雄(おおこうち ひさお)は、江戸時代中期‐後期の旗本。大河内宗家19代。石高は715石。
生涯
[編集]宝暦3年(1753年)に大河内豊貫の長男として生まれる。宝暦13年(1763年)9月1日、初めて将軍家治に拝謁する。明和7年(1770年)10月に父が死去し、12月27日に家督を相続する。明和8年(1771年)12月24日に西丸書院番、寛政2年(1790年)4月2日に本丸勤めとなる。寛政8年(1796年)12月10日に将軍世子・家慶附となり、再び西丸へ勤める。文化3年(1806年)7月25日に死去。享年54。
参考文献
[編集]- 『寛政重修諸家譜』巻第二百五十五
- 『平林寺史』(春秋社、1988年)