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大河内久雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
大河内久雄
時代 江戸時代中期‐後期
生誕 宝暦3年(1753年
死没 文化3年7月25日1806年9月7日
改名 信勝→久雄
別名 孫太郎→金兵衛
戒名 玄光院殿敬巌道篤居士
墓所 埼玉県新座市野火止の平林寺
幕府 江戸幕府
主君 徳川家治家斉
氏族 大河内家
父母 父:大河内豊貫
兄弟 久雄三橋信事、小膳、女(松平房熱室)、女(杉浦勝光室)、女、女、女
正室:安藤定厚の娘
継室:木下利常の娘
久徴久誠、鉱之助、女
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大河内 久雄(おおこうち ひさお)は、江戸時代中期‐後期の旗本大河内宗家19代。石高は715石。

生涯

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宝暦3年(1753年)に大河内豊貫の長男として生まれる。宝暦13年(1763年)9月1日、初めて将軍家治に拝謁する。明和7年(1770年)10月に父が死去し、12月27日に家督を相続する。明和8年(1771年)12月24日に西丸書院番寛政2年(1790年)4月2日に本丸勤めとなる。寛政8年(1796年)12月10日に将軍世子・家慶附となり、再び西丸へ勤める。文化3年(1806年)7月25日に死去。享年54。

参考文献

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  • 『寛政重修諸家譜』巻第二百五十五
  • 『平林寺史』(春秋社、1988年)