松平信孟
表示
時代 | 江戸時代後期 |
---|---|
生誕 | 安永8年(1779年) |
死没 | 文政5年3月26日(1822年5月17日) |
改名 | 八百七郎→舎人 |
戒名 | 定観院殿 |
墓所 | 東京都文京区小日向の深光寺 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家斉 |
氏族 | 大河内松平家 |
父母 | 父:松平信行 |
兄弟 |
信栄、信敬、信孟、女(権太泰栄室) 女(小川正方室)、女(佐橋佳富室) |
妻 | 牧野資成の娘 |
子 | 信敏 |
松平 信孟(まつだいら のぶたけ)は、江戸時代後期の旗本。堅綱系大河内松平家7代。石高は1000石。
生涯
[編集]安永8年(1779年)に松平信行の三男として江戸で生まれる。長兄は病により廃嫡、次兄は養子に出たため嫡子となる。寛政9年(1797年)2月9日に初めて将軍家斉に御目見する。文政4年(1821年)10月に父が死去したため家督を相続する。養子続きのこの家にとって初の実子相続であった。書院番を務めるが、家督を継いで間もない文政5年(1822年)3月26日に死去した。享年43。
参考文献
[編集]- 『寛政重修諸家譜』巻第二百五十七