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タップダンスシチー

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タップダンスシチー
現役期間 2000 - 2005年
欧字表記 Tap Dance City[1]
品種 サラブレッド[1]
性別 [1]
毛色 鹿毛[1]
生誕 1997年3月16日(27歳)[1]
抹消日 2006年1月6日[2]
Pleasant Tap[1]
All Dance[1]
母の父 Northern Dancer[1]
生国 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ケンタッキー州[1]
生産者 Echo Valley Horse Farm
& Swettenham Stud[1]
馬主 (株)友駿ホースクラブ[1]
調教師 佐々木晶三栗東[1]
厩務員 中原照美[3]
競走成績
生涯成績 42戦12勝[1]
中央競馬)41戦12勝[1]
フランス)1戦0勝[4]
獲得賞金 10億8422万1000円[4]
IC

WTRR
L117(2002年)[5]
L123(2003年)[6]
L120(2004年)[7]
勝ち鞍
GI ジャパンカップ 2003年
GI 宝塚記念 2004年
GII 金鯱賞 2003年 - 2005年
GII 京都大賞典 2003年
GIII 朝日チャレンジカップ 2002年
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タップダンスシチー(欧字名:Tap Dance City1997年3月16日 - )は、日本競走馬種牡馬[1]アメリカ合衆国で生産された外国産馬である。

2003年のジャパンカップGI)、2004年の宝塚記念GI)を優勝した。ジャパンカップは、1984年カツラギエース以来19年ぶり2例目となる逃げ切り完遂。2着ザッツザプレンティとの差9馬身は、JRA-GIにおける史上最大着差記録を樹立した。宝塚記念は、1970年スピードシンボリ以来34年ぶり2例目となる7歳以上の身[注釈 1]での優勝。また、2003年から2005年にかけて金鯱賞GII)を優勝し、1956年から1958年にかけて鳴尾記念を優勝したセカイオー以来、47年ぶり2例目となるJRAサラ系平地同一重賞3連覇。連覇の2004年金鯱賞は、1998年サイレンススズカの走破タイムを0.3秒上回り、コースレコードを樹立した。

その他の成績に、2003年の京都大賞典GII)優勝、2002年の朝日チャレンジカップGIII)優勝、2002年および2004年の有馬記念GI)2着、2003年宝塚記念3着などがある。通算12勝、重賞7勝2着3回などで獲得した賞金は、引退時点でテイエムオペラオースペシャルウィークに次いでJRA史上第3位。外国産馬として初めて獲得賞金10億円越えを果たした。

デビューまで

誕生までの経緯

オールダンスは、ノーザンダンサーの産駒であり、フランスと北アメリカで24戦1勝[8]。繁殖牝馬として1985年に初仔を生産、1989年産4番仔のカレッツァ(父:カロ)は、アメリカG3競走2着となっていた[9][10][11]。1995年産9番仔の牡馬(父:クリプトクリアランス)は、愛馬会法人株式会社友駿ホースクラブが購買。オールダンスの産駒で初めて日本に輸入された[9]。友駿の冠名「シチー」を含む「クリプトシチ―」という名が与えられ、栗東トレーニングセンター佐々木晶三厩舎から競走馬デビューを果たしていた[注釈 2][12]

1997年3月16日、11番仔となる鹿毛の牡馬(後のタップダンスシチー)が生産される。11番仔の父はプレザントタップであった。プレザントタップは、競走馬としてアメリカで走り32戦9勝[13]。1992年のジョッキークラブゴールドカップ(G1)勝利を含むG1競走2勝のほか、ダート1400メートルから2000メートルの重賞勝ち鞍があり、1991年のブリーダーズカップスプリントG1)でシェイクアルバドゥ英語版に次ぐ2着、1992年のブリーダーズカップクラシックG1)でエーピーインディに次ぐ2着となっていた[13][14]

幼駒時代

11番仔は、クリプトシチーと同様に友駿ホースクラブが購買。1歳秋に日本に輸入された[15]。愛馬会法人株式会社友駿ホースクラブ愛馬会にて、総額3000万円(全500口、一口6万円)で出資会員の募集を実施[16]。冠名「シチー」を用いて「タップダンスシチー」という競走馬名が与えられた。友駿は、クリプトシチーの弟を日本に導入したことを佐々木に報告した[17]。それに応じて検分に訪れた佐々木は、タップダンスシチーを一目見て感じるものがあり、管理を友駿の社長に申し出ている[注釈 3][18][17]。タップダンスシチーは、兄同様に佐々木厩舎に入厩し、競走馬としてデビューした[17]

競走馬時代

騎手10人起用、鞍上流動期

3歳 - 5歳前半(2000年3月 - 2002年7月)

3歳だった2000年3月4日、阪神競馬場新馬戦(芝2000メートル)でデビュー。同19日の2戦目の新馬戦で初勝利を挙げた[19]。重賞初挑戦となった4戦目、5月の京都新聞杯GIII)ではアグネスフライトに約3馬身差の3着[20]。条件戦4連敗を挟んだ12月、格上挑戦となった900万円以下、天竜川特別で2勝目を挙げる。それから4歳となった2001年は、オープン、準オープン、1000万円以下で6戦するもすべて敗れた[19]。5歳となった2002年は、1月の日経新春杯GII)で格上挑戦し、トップコマンダーに1馬身半以内の3着となると、2月の春日特別で1000万円以下、3月の御堂筋ステークスで1600万円以下を連勝で突破し、オープンクラスに昇格した[19]

昇格初戦、3月23日の日経賞GII)ではアクティブバイオにアタマ差の2着でさらに収得賞金を加算。その後3戦したもののの、勝利には至らなかった[19]。ここまで22戦して4勝、京都新聞杯3着など能力は見込まれていたが、出世は遅かった[21]。佐々木によれば、タップダンスシチ―の気性が原因だったという。入れ込む様子は佐々木に「タップダンス」していると例えられ、出走直前のパドックでは「タップダンス」を防ぐために「二人引き」をしており、その気性からレースで出遅れたり、外側への逃避癖を見せて敗退を繰り返していた[21]。それに加えて谷川善久は、騎手を固定することができず最適な騎乗法を見出せなかったこと[21]、父とその産駒たちが短距離から長距離まで、若い時から年をとっても勝利を挙げていたために、タップダンスシチ―の最適距離、活躍時期を明確にできなかったことを指摘している[21]

騎手11人目佐藤哲三、主戦固定期

5歳後半(2002年9月 - )

9月7日、朝日チャレンジカップGIII)で重賞6度目の出走。これまでタップダンスシチーに騎乗していた四位などは、札幌に赴いたり、先約があるなどして誰も騎乗できず「たまたま[22]」(谷川善久)空いていた佐藤哲三に白羽の矢が立った[22][23]。テン乗りの佐藤を配して、当日は5番人気の支持だった[24]。スタートから先行して3番手を追走、直線で抜け出したが、後方内から2番人気イブキガバメント、1番人気トゥルーサーパスに接近された[25]。3頭での先頭争いとなったが、差し返してクビ差だけ先着。重賞初勝利を挙げた[26][25]。走破タイム1分58秒1は、2000年朝日チャレンジカップのミッキーダンス、1分58秒1[注釈 4]を0.2秒上回り、コースレコードを樹立した[26]。これ以降タップダンスシチーが引退するまで、鞍上は佐藤で固定されることとなる[25]。その後、京都大賞典GIIアルゼンチン共和国杯GII京阪杯GIII)とすべて入着したものの、勝利には至らなかった。

映像外部リンク
2002年 有馬記念(GI
レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画

ファン投票第50位となる6025票を背負い[27]、12月22日の有馬記念GI)でGI初挑戦[28]、単勝式はブービー13番人気という支持で出走した[29]。5枠8番からスタートし先手を主張するも、外からファインモーションに制されて2番手を追走[30]。ファインモーションがペースを落としたが、タップダンスシチーは逆らって向こう正面でファインモーションをかわして先頭を得た[30]。以降、佐藤が促してペースアップ。後方との差を大きく広げて最終コーナーを通過した[30]。後方のほとんどが余力なく伸びを欠き、直線に入ってもしばらく先頭をキープしていたが、ただ1頭天皇賞(秋)優勝馬の1番人気シンボリクリスエスが末脚を発揮。かわされたものの粘り、半馬身差の2着を確保した[31]。外国産馬のワンツーフィニッシュは、有馬記念史上初めての出来事だった[32]

6歳(2003年)

金鯱賞優勝 - 京都大賞典優勝

4月26日の東京競馬場リニューアル記念(OP)[注釈 5]で始動。GI2着の後、二段階以上格を落として参戦したものの、単勝7番人気の支持だった[33]。4番手で直線に向き、追う前々年の優駿牝馬(オークス)優勝馬レディパステルに2馬身差をつけて勝利[33]。続く5月31日の金鯱賞GII)は、前年同競走優勝馬ツルマルボーイ、3歳GII2勝の4歳馬バランスオブゲーム、前々年の牝馬二冠を含むGI3勝のテイエムオーシャンに続く4番人気で出走[34]。台風通過後の稍重馬場での開催だった[35]。スタートからダイタクフラッグが逃げ、それに次ぐ2番手を追走していたが、第3コーナーで代わって先頭となった[35]。以後早めに仕掛けられて、後続との差を広げた[35]。直線では、大外に持ち出したツルマルボーイなどが接近してきたが、半馬身先着。重賞2勝目を挙げた[35]。佐藤は「離して行ったほうが力が出せる馬で、今回は持ち味を出したレースだと思います。[36]」と述べている。

ファン投票第12位、24180票を背負い[37]、6月29日の宝塚記念GI)に出走。シンボリクリスエス、春のクラシック二冠を果たした3歳馬ネオユニヴァースGI級競走6勝のアグネスデジタルに次ぐ4番人気に推された[38]。8枠16番からスタートして内の先行馬にハナを譲り、中団外を進んだ[39]。外を回り続け、最終コーナーで先頭となる場面も見られたが、外から追い込んだ6番人気ヒシミラクル、8番人気ツルマルボーイにかわされた[40]。ゴール板手前では余力はなかったが粘り、ネオユニヴァースやシンボリクリスエスを4、5着に押しのけて3着を確保する[39][41]。夏は、北海道浦河町の日進牧場で休養、軽種馬育成調教センター(BTC)で調整された[42]

10月12日、京都大賞典GII)で始動、単勝1番人気に推される。天皇賞(春)、宝塚記念と連勝中のヒシミラクルの始動戦であったが、ヒシミラクルを2番人気に押しのけた[43]。スタートからハナを奪い逃げることに成功。しかし、ヒシミラクルに背後を取られてマークされる展開となった[22][43]。スローペースで逃げ、先頭のまま最終コーナーを通過。ヒシミラクルが接近してきたものの、仕掛けられ次第突き放した[43]。1馬身4分の1差をつけて先頭で入線、重賞3勝目。1998年セイウンスカイ以来となる逃げ切り勝利を果たした[44]。レース後佐々木は、タップダンスシチーに東京競馬場芝2000メートルは向いていないと考え、天皇賞(秋)出走を見送った[43]

ジャパンカップ優勝

11月30日、ジャパンカップGI)に出走。サンクルー大賞連覇に加えて、香港ヴァーズを勝利したフランスのアンジュガブリエル、ブリーダーズカップターフ勝利から臨むアメリカのジョハー英語版コックスプレートを勝利したオーストラリアのフィールズオブオマー英語版、前年のジャパンカップ2着のサラファンなど外国調教馬9頭に、日本調教馬9頭を加えた18頭が集結した[45]。外国調教馬はアンジュガブリエルの3番人気12.1倍が最高であった。1番人気は天皇賞(秋)で連覇を果たしたシンボリクリスエスが1.9倍、ネオユニヴァースが7.0倍。アンジュガブリエルを挟んだ4番人気13.8倍がタップダンスシチーであった[46]。前日から雨が降った影響で当日は不良馬場で始まり、第9競走で1段階回復[47]。第10競走ジャパンカップは、11年ぶりに重馬場での開催となった[47]

映像外部リンク
2003年 ジャパンカップ(GI
レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画

1枠1番からスタート次第飛ばし、後方との差を広げて単騎で逃げた。2コーナーで後方に「4馬身から5馬身」のリードを作り、向こう正面から第3コーナーを経ると、リードは10馬身まで拡大した[48]。先頭を保ったまま直線コースに進入。残り600メートル地点からのタップダンスシチーは、37.4秒の末脚を発揮した[49]。一方後続は、例えば最速のネオユニヴァースでも37.0秒に留まり、リードはそれほど縮まらなかった[48]。菊花賞優勝から臨んだ5番人気ザッツザプレンティに9馬身差をつけて先頭で入線する[50]

JRA-GI史上最大着差[注釈 6][注釈 8][52]
レース 優勝馬
2003年ジャパンC タップダンスシチー 9馬身
1987年桜花賞 マックスビューティ 8馬身
1987年阪神3歳S サッカーボーイ
1994年菊花賞 ナリタブライアン 7馬身
2001年ジャパンCダート クロフネ
1987年東京優駿 メリーナイス 6馬身

GI初優勝。1984年カツラギエース以来19年ぶり、レース史上2例目となる逃げ切り勝利[52]。またザッツザプレンティと9馬身差の決着は、1998年優勝のエルコンドルパサー、2着エアグルーヴの「2馬身半」を上回る、レース史上最大着差記録[52]。さらに、JRA-GI史上最大着差記録[注釈 9]を樹立した[52]。加えて、友駿ホースクラブは、ゴールドシチーの1986年阪神3歳ステークス以来17年ぶりのGI勝利[53]、佐藤はマイネルマックスの1996年朝日杯3歳ステークス以来7年ぶりのGI勝利[48]。1994年厩舎開業の佐々木は、10年目でGI勝利となった[50]

ジャパンカップは、佐藤及び佐々木にとって縁のあるレースであった。佐々木は、アメリカ調教馬メアジードーツが制した1981年、第1回ジャパンカップを見て、騎手時代に最も騎乗したかったレースだったが、叶わぬ引退[17]。調教師となってからも、最も管理馬を出走および勝利させたい、東京優駿(日本ダービー)よりも出走および勝利させたいレースと志しており、それを初出走で勝利まで叶えた[28][54]。また佐藤は中学生の頃、日本調教馬カツラギエースが制した1984年、第4回ジャパンカップをテレビで見て騎手を志しており、19年後にカツラギエースと同じ戦法で勝利まで叶えている[16][28]。佐藤は、この逃げ戦法について、発走直前の返し馬の際に、この重馬場で2、3番手追走すれば「ノメってしまう[16]」と考えたためであった[48]

その後は、12月28日の有馬記念(GI)に出走。ファン投票では第5位となる8万852票を集めた[55]。2.6倍のシンボリクリスエスに次ぐ、3.9倍の2番人気に支持された[56]。シンボリクリスエスが9馬身差、タップダンスシチーの史上最大着差記録タイで優勝する一方、13馬身以上後れをとる8着となった[57]

7歳(2004年)

金鯱賞連覇 - 宝塚記念優勝

有馬記念後は休養し、5月29日の金鯱賞(GII)で始動[58]。出走12頭のうち、9頭が重賞優勝経験、4頭がGI優勝経験があるメンバーの中、2.3倍の1番人気に推される[59][60]。以降人気は、ザッツザプレンティ、重賞4勝のマグナーテン、前年のエリザベス女王杯優勝馬アドマイヤグルーヴ、前年の牝馬三冠スティルインラブが続いていた[60]。スタートから、タマモヒビキとマグナーテンが飛ばし、それに続く3番手、好位に位置した[59]。向こう正面から第3コーナーにかけてまくりを開始。最終コーナーを先頭で通過し差を広げた[59]。後方大外から追い込む6番人気ブルーイレヴンに迫られたが、アタマ差逃げ切り優勝[59]。レース史上初となる連覇達成[注釈 10][18]。走破タイム1分57秒5は、1998年金鯱賞で大差勝ちを果たしたサイレンススズカの1分57秒8を上回る、コースレコードを樹立した[18]

第45回宝塚記念

続いて、6月27日の宝塚記念(GI)に出走、ファン投票では第6位となる4万6178票を集めた[61]。単勝オッズ3.5倍の1番人気の支持、同じ3倍台に天皇賞(春)2着のゼンノロブロイ、5倍台に菊花賞2着および有馬記念2着のリンカーン、7倍台に安田記念優勝から臨むツルマルボーイと続き、15頭が揃った[62]

映像外部リンク
2004年 宝塚記念GI
レース映像 JRA公式YouTubeチャンネルによる動画

大外枠8枠15番からスタート、内のローエングリンホットシークレットに前を譲り、3番手を追走した[63]。ローエングリンが飛ばして、前半の1000メートルを58.5秒で通過するハイペースとなった[64]。それからローエングリンは、長く持たせるためにペースを落としになかったが、タップダンスシチーはそれに抗った[63]。第3コーナー手前でかわして先頭となり、早めのスパートを開始した[65]。直線では背後にいたシルクフェイマスが接近。一時「シルクフェイマスが交わすような勢い[66]」(『優駿』編集部)があったが、タップダンスシチーはそれからもう一伸びして突き放した[66]。後方に2馬身差をつけて入線[67]

GI2勝目、7歳馬の宝塚記念優勝は、1970年スピードシンボリ以来34年ぶり2例目であった[68]。また、走破タイム2分11秒1は、1994年ビワハヤヒデの2分11秒2を上回るレースレコード[注釈 11]を樹立した。佐藤は「よほど強くないとできない乗り方[69]」だったと評している。また佐々木はレース前、競馬人生3回目の「負ける気がしなかった[69]」状態だった振り返っている。

凱旋門賞遠征 - 有馬記念2着

宝塚記念優勝後の6月30日に、日進牧場へ放牧[注釈 12][70]。次なる目標は、フランスの凱旋門賞に定まっていた。凱旋門賞挑戦は、前年秋のジャパンカップ優勝直後に佐々木が「凱旋門賞へ行きたい」と言い出したことで検討されはじめた[注釈 13][71]。そしてこの年の春、金鯱賞をレコードで勝利したことで正式に参戦が決定した[71][72]。放牧から1週間程度でBTCへ移動し、凱旋門賞への調整を開始した[15]。佐々木は、日本で十分に仕上げてから、直前で輸送する方式を採用し、9月26日に出国、翌27日に現地着。10月3日の凱旋門賞に出走するという遠征計画が立てられた。9月7日、北海道での放牧から栗東に帰厩し、調整が更なる調整が施された[注釈 15][73]。9月20日には、栗東の検疫厩舎に入厩、23日に追い切りを行った。この後は、26日に関西国際空港から出国し27日に到着、現地ではジョン・ハモンド英語版厩舎に滞在する予定であった。しかし、タップダンスシチーが納まるはずだったカーゴ便が故障、さらに代替便も用意することができなかった[74]。26日の次の便は29日であったが、陣営はうまく調整できないと判断、出走断念を発表した[75]

ところが、出走を望むファンの声が大きかったことから、陣営は一転して出走目指し、予定を再構築して実行[41]。29日に栗東で最終追い切り、10月1日に成田国際空港から出国し同日午後に到着、ハモンド厩舎に入厩した[75]。レース前日となる2日、馬体重は宝塚記念と比べて3キロ減に留まり、輸送の疲労は見られなかった[75]。フランスに来ていた厩舎未開業の調教師矢作芳人は、その姿を「入厩したばかりというのに、しっかりと常足で落ち着いて歩いている[76]」と評しており「これならやってくれるかも!」と考えていたと振り返っている[76]。開催されるロンシャン競馬場の下見に訪れた佐々木は、馬場状態を「向正面が小倉の開幕週、直線は札幌の開幕週[75]」、佐藤は「JC(ジャパンカップ)や宝塚(記念)の時の方がしんどそうな馬場やったし、大丈夫[75](カッコ内補足加筆者)」と捉えていた。

10月3日、凱旋門賞(G1)に出走、この年は有力馬の回避があって「大混戦[77]」(石川ワタル)と見られていた。そんな中タップダンスシチーは、現地で12.6倍の7番人気に支持される[77]。前日まで良い状態を保っているように見えたタップダンスシチ―は、当日の輸送を経てテンションが高くなってしまい、パドックでは以前のように二人引き、悪癖「タップダンス」を披露してしまった[78]。矢作によればその姿は「昨日の馬とは別馬のような印象[76]」だったという。スタートから先行し、直線で逃げ馬に並びかけたが失速。勝利した現地6番人気のバゴに17馬身後れを取る17着となった[77]。佐々木はこの遠征を振り返り、「またチャンスがあるとすれば、この馬に限っては最初のプラン[注釈 16]でスケジュールを組むよ。今度は6時間以内に代替機が用意できる保険もかけてね」と振り返っている[78]

帰国後、日進牧場で検疫[79]。年内で引退することが決定し、有馬記念を引退レースとすることが発表された[79]。11月25日に帰厩[80]、「七分(中略)あと2週ぐらい欲しい[81]」状態で26日の有馬記念(GI)に参戦。有馬記念4日前の22日には、引退宣言を撤回、次年度も現役を続行することが発表された[82]。天皇賞(秋)とジャパンカップを連勝していたゼンノロブロイが2.0倍、皐月賞およびジャパンカップ2着のコスモバルクが7.0倍、タップダンスシチーはそれに次ぐ8.8倍の3番人気であった[82]。スタートから単騎で逃げ、最終コーナーを後方との差を広げながら通過[82]。直線でゼンノロブロイにかわされたが粘り続けた。ゼンノロブロイが日本レコードを樹立して優勝。その0.1秒後、半馬身差の2着となった[83][84]

8歳(2005年)

金鯱賞3連覇

5月28日の金鯱賞に出走、単勝オッズ1.4倍、シルクフェイマスやアドマイヤグルーヴを押しのける1番人気に推される[85]。大外枠からスタート、ハナを奪取しスローぺースを刻んだ。第3コーナーあたりで促されて押し切り体制に突入[85]。直線では、後続勢の追い上げを封じて逃げ切り、後方から追い込んだヴィータローザに2馬身半差をつけて重賞3勝目[85]。金鯱賞3連覇を果たした。1956年から1958年にかけて鳴尾記念を優勝したセカイオー以来、47年ぶり史上2頭目となるJRAサラ系平地同一重賞3連覇達成[注釈 17][86]。獲得賞金は10億8422万1000円に上り、ナリタブライアンを抜き、テイエムオペラオースペシャルウィークに続くJRA史上第3位となった[86]

2005年有馬記念

その後は、宝塚記念7着。秋は古馬の王道路線、天皇賞(秋)、ジャパンカップ、有馬記念で着外となり、競走馬を引退した。有馬記念12着敗退後の中山競馬場にて引退式が行われ、ジャパンカップ優勝時の1番ゼッケン姿が披露された[87]。佐々木は「憧れのジャパンカップに勝つなど、僕の夢をすべてかなえてくれました[87]」と述べている。2006年1月5日付で、JRAの競走馬登録を抹消される[2]

種牡馬時代

引退後は、北海道門別町のブリーダーズ・スタリオン・ステーション種牡馬となった[87]シンジケートは組まれず、競走馬時代と同じく友駿ホースクラブの所有馬として供用された[88]。初年度は163頭の繁殖牝馬を集めたが、これをピークに右肩下がりで減少[89]。3年目には三桁を割り、5年目には二桁を割った[89]。6年目、1頭の繁殖牝馬と交配を行った後に、種牡馬を引退[89]。競走馬ふるさと案内所は減少の理由について、初年度産駒の成績が振るわなかったことを挙げている[90]。種牡馬引退後は、去勢されて乗用馬に転用されている[91]ノーザンホースパークでの訓練を経て、2011年10月からは福島県天栄村ノーザンファーム天栄でスタッフの乗馬訓練用の練習馬となった[92]。「ノーザンホースパークやノーザンファーム天栄などを経て[93]」(佐々木祥恵)茨城県のポニーパークあるふぁで余生を過ごす[93]。2014年、金鯱賞当日の12月6日に中京競馬場に来場。パドック供覧が行われた[94]

タップダンスシチー産駒は、2009年7月3日の浦和競馬場にて、アールパラダンス(母父:リアルシャダイ)が産駒初勝利[95]。11月15日の東京競馬場にて、ケイアイツバキ(母父:アフリート)が産駒中央競馬初勝利を挙げた[96]。3年目産駒のタッチデュール(母父:フレンチデピュティ)が2011年ジュニアクラウンプリンセス特別、2013年兵庫クイーンカップ、2014年くろゆり賞を優勝[97]。4年目産駒のフレアリングメテオ(母父:リアルシャダイ)が2013年北日本新聞杯を優勝した[98]

競走成績

以下の内容は、netkeiba.com[99]およびJBISサーチ[19]の情報に基づく。

競走日 競馬場 競走名 距離(馬場)

オッズ

(人気)

着順 タイム

(上がり3F)

着差 騎手 斤量

[kg]

1着馬(2着馬)
2000.03.04 阪神 4歳新馬 0芝2000m(稍) 13 7 11 011.8(06人) 09着 02:10.5 (38.5) -2.2 0四位洋文 55 ミラーダ
0000.03.19 阪神 4歳新馬 0芝2200m(良) 9 7 7 015.6(04人) 01着 02:18.4 (35.5) -0.0 0四位洋文 55 (カガミパラダイス)
0000.04.15 阪神 若草S OP 0芝2200m(良) 12 8 11 019.2(07人) 05着 02:18.7 (35.1) -0.3 0四位洋文 55 アグネスフライト
0000.05.06 京都 京都新聞杯 GIII 0芝2000m(良) 14 4 5 013.7(05人) 03着 02:00.3 (35.6) -0.5 0四位洋文 55 アグネスフライト
0000.06.04 中京 白百合S 9下 0芝1800m(良) 13 6 9 004.0(02人) 07着 01:49.2 (36.3) -0.9 0熊沢重文 55 ジンワラベウタ
0000.06.18 阪神 野苺賞 5下 0芝2200m(良) 13 5 7 004.5(02人) 05着 02:17.2 (34.7) -0.7 0熊沢重文 55 ホワイトハピネス
0000.10.29 京都 4歳上500万下 0芝2400m(重) 14 4 5 008.6(05人) 04着 02:27.3 (36.5) -0.4 0四位洋文 55 ハートランドヒリュ
0000.11.18 京都 八瀬特別 9下 0芝2400m(良) 8 7 7 006.9(04人) 02着 02:28.4 (35.0) -0.2 0幸英明 52 ホワイトハピネス
0000.12.09 中京 天竜川特別 9下 0芝2500m(良) 10 8 10 003.0(02人) 01着 02:31.4 (36.2) -0.3 0松田大作 53 (ボヘミアンチェリー)
2001.01.08 京都 万葉S OP 0芝3000m(稍) 10 2 2 005.2(03人) 05着 03:09.3 (35.4) -0.6 0四位洋文 54 トシザブイ
0000.02.18 小倉 関門橋S 16下 0芝2000m(良) 12 6 10 004.1(02人) 03着 02:02.8 (36.6) -0.2 0中舘英二 53 ファイトコマンダー
0000.03.25 阪神 但馬S 16下 0芝2000m(良) 11 6 7 004.6(03人) 02着 02:00.0 (35.5) -0.4 0安藤勝己 54 ファイトコマンダー
0000.04.07 阪神 大阪-ハンブルクC OP 0芝2500m(良) 11 7 9 004.7(02人) 05着 02:33.8 (34.8) -0.5 0四位洋文 53 メジロサンドラ
0000.12.08 阪神 3歳上1000万下 0芝2000m(良) 9 5 5 009.7(04人) 04着 02:01.3 (35.6) -0.6 0四位洋文 57 ダイタクバートラム
0000.12.23 阪神 江坂特別 10下 0芝2500m(良) 16 4 7 005.1(03人) 02着 02:33.5 (35.5) -0.2 0四位洋文 57 シャープキック
2002.01.13 京都 日経新春杯 GII 0芝2400m(良) 12 3 3 016.1(06人) 03着 02:26.6 (34.4) -0.2 0川原正一 52 トップコマンダー
0000.02.09 京都 春日特別 10下 0芝1800m(良) 12 1 1 001.9(01人) 01着 01:46.9 (35.0) -0.2 0武豊 57 (アスカツヨシ)
0000.03.02 阪神 御堂筋S 16下 0芝2200m(良) 11 4 4 001.8(01人) 01着 02:12.3 (35.7) -0.6 0O.ペリエ 57 アクティブバイオ
0000.03.23 中山 日経賞 GII 0芝2500m(良) 8 5 5 009.6(03人) 02着 02:37.0 (34.5) -0.0 0勝浦正樹 57 アクティブバイオ
0000.04.21 東京 メトロポリタンS OP 0芝2300m(稍) 11 8 11 003.7(01人) 03着 02:21.2 (36.8) -0.5 0勝浦正樹 56 ツルマルボーイ
0000.05.18 東京 目黒記念 GII 0芝2500m(重) 18 1 1 018.4(08人) 05着 02:32.4 (37.8) -0.6 0勝浦正樹 56 トシザブイ
0000.07.21 函館 函館記念 GIII 0芝2000m(良) 16 5 10 011.9(07人) 08着 02:06.2 (38.9) -1.1 0四位洋文 56 ヤマニンリスペクト
0000.09.07 阪神 朝日チャレンジC GIII 0芝2000m(良) 10 2 2 009.6(05人) 01着 01:58.1 (35.2) -0.0 0佐藤哲三 56 (イブキガバメント)
0000.10.06 京都 京都大賞典 GII 0芝2400m(良) 8 5 5 008.9(03人) 03着 02:24.0 (34.5) -0.4 0佐藤哲三 57 ナリタトップロード
0000.11.03 中山 アルゼンチン共和国杯 GII 0芝2500m(良) 11 5 5 003.5(02人) 03着 02:31.4 (35.4) -0.8 0佐藤哲三 57 サンライズジェガー
0000.11.23 京都 京阪杯 GIII 0芝1800m(良) 15 8 14 013.6(06人) 05着 01:45.7 (35.3) -0.4 0佐藤哲三 57 サイドワインダー
0000.12.22 中山 有馬記念 GI 0芝2500m(稍) 14 5 8 086.3(13人) 02着 02:32.7 (35.9) -0.1 0佐藤哲三 57 シンボリクリスエス
2003.04.26 東京 東京競馬場リニューアル記念 OP 0芝2400m(良) 13 7 10 011.3(07人) 01着 02:23.7 (34.6) -0.3 0佐藤哲三 58 レディパステル
0000.05.31 中京 金鯱賞 GII 0芝2000m(稍) 14 7 11 005.8(04人) 01着 01:58.9 (35.8) -0.1 0佐藤哲三 57 (ツルマルボーイ)
0000.06.29 阪神 宝塚記念 GI 0芝2200m(良) 17 8 16 009.3(04人) 03着 02:12.2 (37.0) 0.2 0佐藤哲三 58 ヒシミラクル
0000.10.12 京都 京都大賞典 GII 0芝2400m(良) 9 8 10 002.2(01人) 01着 02:26.6 (34.0) -0.2 0佐藤哲三 58 (ヒシミラクル)
0000.11.30 東京 ジャパンC GI 0芝2400m(重) 18 1 1 013.8(04人) 01着 02:28.7 (37.4) -1.5 0佐藤哲三 57 ザッツザプレンティ
0000.12.28 中山 有馬記念 GI 0芝2500m(良) 12 5 6 003.9(02人) 08着 02:32.8 (37.8) -2.3 0佐藤哲三 57 シンボリクリスエス
2004.05.29 中京 金鯱賞 GII 0芝2000m(良) 12 8 11 002.3(01人) 01着 01:57.5 (35.3) -0.0 0佐藤哲三 59 (ブルーイレヴン)
0000.06.27 阪神 宝塚記念 GI 0芝2200m(良) 15 8 15 003.5(01人) 01着 2:11.1 (36.1) -0.3 0佐藤哲三 58 シルクフェイマス
0000.10.03 ロンシャン 凱旋門賞 G1 0芝2400m(良) 19 6 17着 2:27.8 -2.8 0佐藤哲三 59.5 Bago
0000.12.26 中山 有馬記念 GI 0芝2500m(良) 15 5 9 008.8(03人) 02着 02:29.6 (35.7) -0.1 0佐藤哲三 57 ゼンノロブロイ
2005.05.28 中京 金鯱賞 GII 0芝2000m(良) 10 8 10 001.4(01人) 01着 01:58.9 (33.8) -0.4 0佐藤哲三 59 ヴィータローザ
0000.06.26 阪神 宝塚記念 GI 0芝2200m(良) 15 8 15 001.9(01人) 07着 02:12.7 (37.3) -1.2 0佐藤哲三 58 スイープトウショウ
0000.10.30 東京 天皇賞(秋) GI 0芝2000m(良) 18 3 6 014.1(06人) 09着 02:00.6 (33.9) -0.5 0佐藤哲三 58 ヘヴンリーロマンス
0000.11.27 東京 ジャパンC GI 0芝2400m(良) 18 1 2 017.2(07人) 10着 02:23.1 (37.3) -1.0 0佐藤哲三 57 アルカセット
0000.12.25 中山 有馬記念 GI 0芝2500m(良) 16 5 9 019.7(05人) 12着 02:33.3 (36.9) -1.4 0佐藤哲三 57 ハーツクライ

種牡馬成績

以下の内容は、JBISサーチの情報に基づく[89]

種付年度 種付頭数 生産頭数 血統登録頭数 出走頭数 勝馬頭数 重賞勝馬頭数 AEI CPI
2006 163 114 107 95 59 0 0.30
2007 127 84 79 69 49 0 0.31
2008 77 55 54 45 25 1 0.25
2009 50 33 31 25 12 1 0.17
2010 6 3 3 2 1 0.12
2011 1 1 1 0
合計 275 236 146 2 0.27 0.74

主な産駒

血統表

タップダンスシチー血統 (血統表の出典)[§ 1]
父系 リボー系
[§ 2]

Pleasant Tap 1987
鹿毛 アメリカ
父の父
Pleasant Colony 1978
黒鹿毛 アメリカ
His Majesty 1968 Ribot
Flower Bowl
Sun Colony 1968 Sunrise Flight
Colonia
父の母
Never Knock 1979
黒鹿毛 アメリカ
Stage Door Johnny 1965 Prince John
Peroxide Blonde
Never Hula 1969 Never Bend
Hula Hula

All Dance 1978
鹿毛 アメリカ
Northern Dancer 1961
鹿毛 カナダ
Nearctic 1954 Nearco
Lady Angela
Natalma 1957 Native Dancer
Almahmoud
母の母
All Rainbows 1973
鹿毛 アメリカ
Bold Hour 1964 Bold Ruler
Seven Thirty
Miss Carmie 1966 T.V. Lark
Twice Over
母系(F-No.) Miss Carmie系(FN:23-b) [§ 3]
5代内の近親交配 Nasrullah5×5、Polynesian5×5 [§ 4]
出典
  1. ^ JBISサーチ タップダンスシチー 5代血統表2016年9月20日閲覧。
  2. ^ netkeiba.com タップダンスシチー 5代血統表2016年9月20日閲覧。
  3. ^ [103]
  4. ^ JBISサーチ タップダンスシチー 5代血統表2016年9月20日閲覧。

叔母Winning Colors1985年生、父:Caro1988年サンタアニタオークスサンタアニタダービーケンタッキーダービー

脚注

注釈

  1. ^ スピードシンボリの時代は、旧年齢表記で8歳以上。
  2. ^ 後に競走馬としてデビューし、18戦3勝。1600万円以下まで出世した。
  3. ^ 友駿ホースクラブ代表の塩入満洋によれば、佐々木は「一目惚れ、絶対走ると確信」していたという。
  4. ^ 佐藤哲三の騎乗によるもの。佐藤は他にも、1992年レットイットビーでも勝利を挙げており、チャレンジカップ3勝目であった。
  5. ^ 当日は東京競馬場の馬場改修後初めての開催であった。この年に限り、メトロポリタンステークスから記念競走に取って代わられた。
  6. ^ グレード制導入1984年以降のサラブレッド系平地競走。2003年11月30日時点。
  7. ^ 旧年齢表記。
  8. ^ 日夏雄高によれば、限定戦は差が開きやすい傾向にあるという[51]。このうち、桜花賞、菊花賞、東京優駿は、3歳限定。阪神3歳ステークスは、2歳限定[注釈 7]。加えて桜花賞は、牝馬限定競走である。
  9. ^ グレード制導入1984年以降のサラブレッド系平地競走。2003年11月30日時点。
  10. ^ 騎手佐藤、調教師佐々木も同様にレース史上初となる連覇[18]
  11. ^ 阪神競馬場開催に限る[69]。代替地として用いられる京都競馬場芝2200メートルでは、1995年ダンツシアトルの2分10秒2が参考記録として存在する。
  12. ^ 同じ日の栗東では、JRAが企画したイベント「タップダンスシチー号に会いませんか!」が開催され、競争率10倍から選り抜かれた30人が、タップダンスシチーと交流している[70]
  13. ^ 佐々木は、最初に国外遠征を「少しだけ意識」したのは、シンボリクリスエスに半馬身差の2着となったときだと振り返っている[71]
  14. ^ 平成16年台風第18号を指す。
  15. ^ 佐々木によれば「もう1日遅かったら台風[注釈 14]で予定が狂っていた」という[73]
  16. ^ カーゴ故障前に考えていた、1週間前に出国する予定。
  17. ^ 障害競走の重賞では、1977年から1979年にかけて中山大障害(秋)を3連覇したバローネターフ。地方交流重賞では、2002年から2004年にかけてJBCクラシックを3連覇したアドマイヤドンがいる[86]

出典

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  103. ^ 平出貴昭 (2020年3月10日). “マルターズディオサの牝系”. 競馬“血統”人生/平出貴昭. 2020年4月17日閲覧。

参考文献

  • 優駿』(日本中央競馬会
    • 2002年11月号
      • 「【Play-back the Grade-Races 2002 Sep.7~Oct.6】第53回朝日チャレンジカップ(GIII) タップダンスシチー」
      • 「【重賞データファイル】第53回朝日チャレンジカップ(GIII) タップダンスシチー」
    • 2003年1月号
      • 「【さあっ、有馬記念だ!】第47回有馬記念ファン投票最終結果 ファン投票1位はナリタトップロード!」
    • 2003年2月号
      • 優駿編集部「【Play-back the Grade-I Races 2002】第47回有馬記念(GI) 風を切り裂く強烈な末脚で"現役最強"の座をつかんだ 」
    • 2003年7月号
      • 「【今年の宝塚記念は何かが違う!?】ここが違うぞ!今年の宝塚記念 その5 ファン投票上位馬が大挙出走予定」
      • 「【Play-back the Grade-Races 2003 MAY.17-JUN.8】早め先頭から堂々と押し切った 第39回金鯱賞(GII) タップダンスシチー」
      • 「【重賞データファイル】第39回金鯱賞(GII)タップダンスシチー」
    • 2003年8月号
      • 優駿編集部「【Play-back the Grade-I Races 2003】第44回宝塚記念(GI) 得意ではない小回りコースを向正面から追い通しで競り勝ち 天皇賞に続き春二冠を達成」
    • 2003年9月号
      • 優駿編集部「【有力馬の次走・近況報告】古馬中長距離 タップダンスシチー」
    • 2003年11月号
      • 優駿編集部「【第128回天皇賞(秋)特集】ステップレース・リポート 第38回京都大賞典(GII) タップダンスシチー」
    • 2003年12月号
      • 「【重賞データファイル】第38回京都大賞典(GII) タップダンスシチー」
    • 2004年1月号
      • 「【優駿ヘッドライン】9馬身差と4センチ差。――ジャパンCはタップダンスシチー、ジャパンCダートはフリートストリートダンサーが優勝」
      • 石田敏徳「【有馬記念で盛り上がろう 有力馬の勝算・徹底分析】タップダンスシチー」
      • 優駿編集部「【Play-back the Grade-I Races 2003】第23回ジャパンカップ(GI)19年ぶりの逃げ切りV ジャパンC史上最大、9馬身差の完封劇」
      • 「【重賞データファイル】第23回ジャパンカップ(GI)(国際招待) タップダンスシチー」
    • 2004年2月号
      • 日夏雄高「【特別企画 Look Back 2003】2003年数字で振り返る競馬シーン」
    • 2004年3月号
      • 優駿編集部「【杉本清の競馬談義】第226回 ゲスト佐々木晶三調教師」
      • 藤井正弘(サラブレッド血統センター)「【世界の名馬】"大器晩成"は産駒に受け継がれた Pleasant Tapプレザントタップ
    • 2004年7月号
      • 「【今月のトピックス】春のグランプリは強豪が勢揃い!——宝塚記念(GI)、6月27日に迫る」
      • 「【Play-back the Grade-Races 2004 May.15~Jun.9】第40回金鯱賞(GII)タップダンスシチー」
      • 「【重賞データファイル】日本中央競馬会創立50周年記念 第40回金鯱賞(GII) タップダンスシチー」
    • 2004年8月号
      • 「【優駿クローズアップ 今月の馬】勇躍、凱旋門賞へ!——第45回宝塚記念(GI)を制したタップダンスシチー」
      • 優駿編集部「【Play-back the Grade-I Races 2004】第45回宝塚記念(GI)"最強馬"の座は渡さない 強気のレースで他馬を制圧」
      • 優駿編集部「【優駿インタビュー】佐々木晶三調教師 憧れの『世界』へ向かって」
      • 優駿編集部「【杉本清の競馬談義】第231回 ゲスト佐藤哲三騎手」
      • 岡本光男「【トラックマン・リポート】宝塚記念優勝で盛り上がったタップダンスシチーのファン招待イベント」
      • 「【重賞データファイル】第45回宝塚記念(GI) タップダンスシチー」
    • 2004年9月号
      • 篠原美穂子「【秋競馬開幕! 路線別オープン馬近況報告】古馬牡馬 タップダンスシチー」
    • 2004年10月号
      • 岡本光男「【凱旋門賞直前情報】タップダンスシチーが世界の舞台へ」
    • 2004年11月号
      • 河村清明「【第83回凱旋門賞(仏GI)】アクシデントを乗り越え参戦したタップダンスシチーは17着」
      • 石川ワタル「【海外ニュース】第83回凱旋門賞 フランスのバゴが大混戦を制す」
      • 矢作芳人「【競作ノンフィクション・シリーズ】凱旋門賞への熱き思い~現役調教師が現地で抱いたこのレースへの情熱~」
    • 2005年1月号
      • 石田敏徳「【アナタの想いが叶う瞬間とき 第49回有馬記念】タップダンスシチ― 有終の美に向けた"春の王者"の状態」
      • 岡本光男「【第49回有馬記念 応援&意気込みメッセージ集】佐々木晶三厩舎 中原照美厩務員」
    • 2005年2月号
      • 優駿編集部「【Play-back the Grade-I Races 2004】第49回有馬記念(GI) 圧巻のレコードタイムを叩き出し 秋GI3連勝の偉業を達成」
      • 「【重賞データファイル】第49回有馬記念(グランプリ)(GI) ゼンノロブロイ」
    • 2005年7月号
      • 「【重賞プレイバック】第41回金鯱賞(GII) タップダンスシチー」
    • 2006年2月号
      • 「【ニュース&トピックス 引退式】タップダンスシチー、スティルインラブが引退式を挙行——2頭とも繁殖生活へ」
    • 2010年11月号
      • 谷川善久「【サラブレッド・ヒーロー列伝】タップダンスシチー 常識破りのレコードメイカー」
    • 2013年12月号
      • 谷川善久「【重賞レースすごい逃げ切り&すごい追い込み BEST30】第5位 2003年ジャパンカップ タップダンスシチー 世界を相手に9馬身差のワンマンショー」

外部リンク