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「近鉄百貨店」の版間の差分

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しかし2008年には、同社各店(名古屋店(近鉄パッセ)・四日市店(当時は両店とも、旧中部近鉄百貨店の店舗だった)を除く)において、[[読売ジャイアンツ]]の[[セントラル・リーグ]]優勝記念セールが行われた。これは、同球団の優勝記念セールの権利を持っている[[三越伊勢丹]]グループの店舗が少ない近畿地区において(2017年現在、近畿地区には「[[ジェイアール西日本伊勢丹]]」の2店(ジェイアール京都伊勢丹・[[ルクア1100]]内のイセタンショップ)のみがあるが、後者はJR大阪三越伊勢丹時代も巨人優勝セールは実施しなかった)、それを補助するために行われている、とする事情に加え、オリックス・バファローズ発足後は近鉄グループが同球団へ20%出資し、ユニフォームの袖部分にも「近鉄」のロゴを掲示するという3年間の暫定処置が2007年に終了し、同球団から近鉄グループが完全に撤退したことも理由に考えられている。
しかし2008年には、同社各店(名古屋店(近鉄パッセ)・四日市店(当時は両店とも、旧中部近鉄百貨店の店舗だった)を除く)において、[[読売ジャイアンツ]]の[[セントラル・リーグ]]優勝記念セールが行われた。これは、同球団の優勝記念セールの権利を持っている[[三越伊勢丹]]グループの店舗が少ない近畿地区において(2017年現在、近畿地区には「[[ジェイアール西日本伊勢丹]]」の2店(ジェイアール京都伊勢丹・[[ルクア1100]]内のイセタンショップ)のみがあるが、後者はJR大阪三越伊勢丹時代も巨人優勝セールは実施しなかった)、それを補助するために行われている、とする事情に加え、オリックス・バファローズ発足後は近鉄グループが同球団へ20%出資し、ユニフォームの袖部分にも「近鉄」のロゴを掲示するという3年間の暫定処置が2007年に終了し、同球団から近鉄グループが完全に撤退したことも理由に考えられている。


また近鉄百貨店自身も、かつては[[三越]]との間で、[[商品券]]の相互利用を行ったり、[[お中元|中元]]・[[歳暮]]など[[贈答品]]の共同配送を行う、などの提携関係があった他、近畿地区の他の百貨店・スーパーマーケット各社は、どちらかと言えば[[阪神タイガース]]の優勝・応援セールの方を行ってきた<ref>[[阪神電気鉄道]]直系である[[阪神百貨店]]と、阪神電鉄・阪神球団から許諾を得た[[大丸]]・[[ダイエー]]([[イオン甲子園店|甲子園店]]など関西圏の一部店舗。南海の買収による球団競合時代も許諾を得て継続)は「タイガース優勝セール」と表現できていた(大丸と経営統合で同系となった[[松坂屋]]は、元々愛知県が発祥のため[[中日ドラゴンズ]]の応援セールを開催)が、それ以外は阪神電鉄・阪神球団の許諾を得られず直接的に「タイガース優勝セール」とは表現できず(特に[[そごう]]や[[マイカル]]は企業レベルで巨人との応援活動を行うなど関係が深かったため)、「大阪バンザイセール」などの別の文言で表現して行ったことがあった。また、[[阪急百貨店]]([[阪急電鉄]]直系)は阪急ブレーブスを運営した頃は、阪急が優勝した年に「ブレーブス優勝セール」を行っていたが、球団のオリックスへの売却・神戸移転後は神戸店のみに縮小していた(一方、そごう・大丸など競合する神戸市内の百貨店が参入した)他、[[1985年]]の阪神優勝時は鉄道・野球・百貨店事業のいずれも競合していたため「阪神優勝セール」は行われなかった。なお、[[南海電気鉄道]]と資本・業務提携するなど関係が深かった[[島屋]]は、大阪本拠地時代の[[福岡ソフトバンクホークス|南海ホークス]]優勝セールを大阪店([[南海ビルディング]])などを中心に開催していたが、その後の低迷と[[1989年]]の[[ダイエー]]への売却・福岡への移転(さらに2005年に[[ソフトバンク]]に売却)で、[[1973年]]の一度のみとなっていた(1960年代までの南海の全盛期は、優勝・応援セールをの催しが定着していなかったため)。</ref><ref>阪神電気鉄道と[[読売新聞グループ本社]]は、無協約時代にはタイガースとジャイアンツの球団株式を相互に持ち合っていた(現在は協約で禁止されている)他、[[読売新聞]]の[[読売新聞大阪本社|大阪進出]]には阪神電鉄が社屋用地を仲介し、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]の『[[ズームイン!!朝!]]』で放送された「プロ野球いれコミ情報」で[[讀賣テレビ放送|読売テレビ]]が阪神タイガースを応援するなど、企業としての阪神グループと読売グループは比較的良好な関係である。</ref>こともあり、それを行ってこなかった近鉄百貨店が引き受けることになったもの、とも言われている。
また近鉄百貨店自身も、かつては[[三越]]との間で、[[商品券]]の相互利用を行ったり、[[お中元|中元]]・[[歳暮]]など[[贈答品]]の共同配送を行う、などの提携関係があった他、近畿地区の他の百貨店・スーパーマーケット各社は、どちらかと言えば[[阪神タイガース]]の優勝・応援セールの方を行ってきた<ref>[[阪神電気鉄道]]直系である[[阪神百貨店]]と、阪神電鉄・阪神球団から許諾を得た[[大丸]]・[[ダイエー]]([[イオン甲子園店|甲子園店]]など関西圏の一部店舗。南海の買収による球団競合時代も許諾を得て継続)は「タイガース優勝セール」と表現できていた(大丸と経営統合で同系となった[[松坂屋]]は、元々愛知県が発祥のため[[中日ドラゴンズ]]の応援セールを開催)が、それ以外は阪神電鉄・阪神球団の許諾を得られず直接的に「タイガース優勝セール」とは表現できず(特に[[そごう]]や[[マイカル]]は企業レベルで巨人との応援活動を行うなど関係が深かったため)、「大阪バンザイセール」などの別の文言で表現して行ったことがあった。また、[[阪急百貨店]]([[阪急電鉄]]直系)は阪急ブレーブスを運営した頃は、阪急が優勝した年に「ブレーブス優勝セール」を行っていたが、球団のオリックスへの売却・神戸移転後は神戸店のみに縮小していた(一方、そごう・大丸など競合する神戸市内の百貨店が参入した)他、[[1985年]]の阪神優勝時は鉄道・野球・百貨店事業のいずれも競合していたため「阪神優勝セール」は行われなかった。なお、[[南海電気鉄道]]と資本・業務提携するなど関係が深かった[[島屋]]は、大阪本拠地時代の[[福岡ソフトバンクホークス|南海ホークス]]優勝セールを大阪店([[南海ビルディング]])などを中心に開催していたが、その後の低迷と[[1989年]]の[[ダイエー]]への売却・福岡への移転(さらに2005年に[[ソフトバンク]]に売却)で、[[1973年]]の一度のみとなっていた(1960年代までの南海の全盛期は、優勝・応援セールをの催しが定着していなかったため)。</ref><ref>阪神電気鉄道と[[読売新聞グループ本社]]は、無協約時代にはタイガースとジャイアンツの球団株式を相互に持ち合っていた(現在は協約で禁止されている)他、[[読売新聞]]の[[読売新聞大阪本社|大阪進出]]には阪神電鉄が社屋用地を仲介し、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]の『[[ズームイン!!朝!]]』で放送された「プロ野球いれコミ情報」で[[讀賣テレビ放送|読売テレビ]]が阪神タイガースを応援するなど、企業としての阪神グループと読売グループは比較的良好な関係である。</ref>こともあり、それを行ってこなかった近鉄百貨店が引き受けることになったもの、とも言われている。


また近鉄球団が1990年代まで後述の監督人事や交換トレードなどで巨人フロントと相互連携を行っていたなど、友好的な関係があった過去もある<ref>「プロ野球トレード史Ⅱ」[[ベースボール・マガジン社]]、[[1992年]]。一例として[[千葉茂]]の近鉄監督就任、[[長嶋茂雄]]の[[立教大学]]の先輩である[[西本幸雄]]の近鉄監督就任、[[淡口憲治]]と[[有田修三]]、[[香田勲男]]と[[阿波野秀幸]]といった主力選手同士の交換トレードなど。</ref>。
また近鉄球団が1990年代まで後述の監督人事や交換トレードなどで巨人フロントと相互連携を行っていたなど、友好的な関係があった過去もある<ref>「プロ野球トレード史Ⅱ」[[ベースボール・マガジン社]]、[[1992年]]。一例として[[千葉茂]]の近鉄監督就任、[[長嶋茂雄]]の[[立教大学]]の先輩である[[西本幸雄]]の近鉄監督就任、[[淡口憲治]]と[[有田修三]]、[[香田勲男]]と[[阿波野秀幸]]といった主力選手同士の交換トレードなど。</ref>。

2020年6月15日 (月) 21:42時点における版

株式会社近鉄百貨店
KINTETSU Department Store Co., Ltd.
ロゴ
種類 株式会社
市場情報
本社所在地 日本の旗 日本
545-8545
大阪府大阪市阿倍野区阿倍野筋一丁目1-43
阿部野橋ターミナルビル
設立 1934年昭和9年)9月29日(株式会社丸物)(注1)
業種 小売業
法人番号 3120001098201 ウィキデータを編集
事業内容 百貨店業
代表者 代表者取締役社長執行役員 秋田拓士
資本金 150億円
売上高 単体2,444億円
連結2,664億円
(2017年2月期)
営業利益 単体20億円
連結30億円
(2017年2月期)
純利益 単体10億円
連結17億円
(2017年2月期)
純資産 単体285億円
連結305億円
(2017年2月末現在)
総資産 単体1,265億円
連結1,319億円
(2017年2月末現在)
従業員数 単体1,723名(2019年2月末現在)
決算期 2月末日
主要株主 近鉄グループホールディングス株式会社 63.02%
(2015年8月末現在)
主要子会社 株式会社近鉄友の会
外部リンク www.d-kintetsu.co.jp
特記事項:注1:2001年(平成13年)2月28日に株式会社京都近鉄百貨店が(旧)株式会社近鉄百貨店を吸収合併し現商号「株式会社近鉄百貨店」に変更した。創業は1920年(大正9年)1月の京都物産館。
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株式会社近鉄百貨店(きんてつひゃっかてん、: KINTETSU Department Store Co., Ltd.)は、日本の百貨店の一つ。近鉄グループの主要企業。本社・本店は大阪市阿倍野区阿倍野筋1-1-43。旧・丸物時代から続き大阪証券取引所第1部(2013年7月16日から東京証券取引所第1部)に株式コード8244で上場する。

概要

前身は、1920年1月に創業した百貨店京都府京都市が発祥の地の「丸物」(まるぶつ)をルーツとする旧京都近鉄百貨店と、近畿日本鉄道の直営百貨店部門から分離し発展した旧近鉄百貨店に分かれる。親会社の近畿日本鉄道(近鉄)は三菱グループと密接な関係を持つが、近鉄百貨店は大輪会の会員企業である[1]

旧京都近鉄百貨店

旧京都近鉄百貨店の前身・丸物は、中林仁一郎によって創業。創業時は「京都物産館」という名前で、そのマーク(○の中に物産館の「物」)と他地域への出店とがきっかけになり1931年に「丸物」に改称。その後、最盛期には東京・池袋駅ビル(現在のパルコ本館)などにも東京丸物として店舗を展開していた。2012年2月29日に閉店した枚方店も元は「枚方丸物」であった。中林の死後経営が悪化し、近鉄グループ入りした。

最終的に岐阜店と本店の2店が残ったものの、経営状態は悪いまま推移した。本店については京都駅前に立地していることを意図した「FRONT KYOTO まるぶつ」のキャッチコピーが掲げられてきたが、1977年に社名・両店名とも「丸物」から「京都近鉄百貨店」に変更され、「FRONT KYOTO」のキャッチコピーもやがて消えた。なお、枚方丸物は京都近鉄百貨店とは別法人の「枚方近鉄百貨店」として近鉄グループ入りした後、1998年に近鉄百貨店に吸収合併された。

旧近鉄百貨店

旧近鉄百貨店は、近畿日本鉄道の前身、大阪電気軌道の直営で開業した上本町店と、旧大阪鉄道の子会社で開店した阿倍野本店を基幹に、一時期は東京吉祥寺にも進出するなど、各地に展開していた。

遠隔地の店は経営状態が悪く不採算店を閉鎖、また京都近鉄百貨店は岐阜店を閉鎖、京都店もジェイアール京都伊勢丹の開業で業績がさらに悪化したため、「プラッツ近鉄」に業態変更したのち、2001年に旧京都近鉄百貨店と旧近鉄百貨店は合併した。

旧京都近鉄百貨店が旧近鉄百貨店を合併する形ではあったが、目的は経営が悪化していた上場会社の旧京都近鉄百貨店を、非上場の旧近鉄百貨店が救済する合併であった(いわゆる逆さ合併)。合併時に、商号を「株式会社近鉄百貨店」に改めるとともに本店を旧近鉄百貨店の本店に移している。

合併後

2007年2月28日には、もっとも古い京都店が閉鎖となった。渡辺節設計の文化財級名建築であった建物は2007年秋に取り壊されており、跡地にヨドバシカメラマルチメディア京都が2010年11月5日に出店した。

一方で阿倍野本店では、本館の西側(旧館)部分を改築して、あべのハルカス(2011年8月25日に正式名称が決定:仮称は「阿部野橋ターミナルビル・タワー館」)を建設し、2014年2月22日に「あべのハルカス 近鉄本店」として、日本最大級の店舗として全館開業した(「あべのハルカス」全体のグランドオープンは同年3月7日)。

また上本町店も、隣接の再開発ビル上本町YUFURAの開業に合わせて、全館改装が行なわれた。

近鉄グループは三重県にある三重交通グループを傘下に置いている。三重交通百貨店子会社であった三交百貨店は2006年12月30日に閉店したが、近鉄百貨店はその際、営業権の一部を譲り受け、三交百貨店が発行した商品券類の一部を、近鉄百貨店が発行したものとして取り扱う措置をとった。

沿革

あべのハルカス 近鉄本店(旧阿倍野本店)(タワー館:2013年5月撮影) 近鉄南大阪線大阪阿部野橋駅と併設。
あべのハルカス 近鉄本店(旧阿倍野本店)(タワー館:2013年5月撮影) 近鉄南大阪線大阪阿部野橋駅と併設。
あべのハルカス 近鉄本店:ウイング館(手前(東側)とタワー館(奥(西側))
あべのハルカス 近鉄本店:ウイング館(手前(東側)とタワー館(奥(西側))
上本町店(大阪上本町駅と併設)
上本町店(大阪上本町駅と併設)
四日市店(近鉄四日市駅と併設)
四日市店(近鉄四日市駅と併設)
草津店 (草津駅前)
草津店 (草津駅前)
和歌山店 (和歌山駅前)
和歌山店 (和歌山駅前)
東大阪店 (布施駅高架下)
東大阪店 (布施駅高架下)
名古屋店(近鉄パッセ、近鉄名古屋駅と併設/右奥に聳え立つのは名古屋駅を兼ねたJRセントラルタワーズ)
名古屋店(近鉄パッセ、近鉄名古屋駅と併設/右奥に聳え立つのは名古屋駅を兼ねたJRセントラルタワーズ
  • 1920年(大正9年)1月 - 京都物産館が京都駅前で創業。
  • 1920年(大正9年)2月 - 合名会社京都物産館設立。
  • 1926年(大正15年) - 大阪電気軌道(大軌・後の近鉄の直系母体)が上本町の大軌ビルディング内に直営食堂開業。同地下から3階まで三笠屋百貨店が開店[2]
  • 1930年(昭和5年) - 合名会社京都物産館が岐阜市柳ヶ瀬に支店開店。
  • 1931年(昭和6年)9月 - 「合名会社京都物産館」を「合名会社丸物」に商号変更。
  • 1934年(昭和9年)9月 - 「合名会社丸物」を「株式会社丸物」に改組(資本金150万円)。
  • 1934年(昭和9年) - 大阪鉄道(大鉄・現在の近鉄南大阪線などの当時の運営会社)、株式会社大鉄百貨店を創立。
  • 1936年(昭和11年)9月 - 大軌百貨店全館開業(上本町) 。
  • 1937年(昭和12年)11月 - 大鉄百貨店全館開業(阿倍野橋)。
  • 1941年(昭和16年)3月 - 大阪電気軌道参宮急行電鉄(参急・近鉄大阪線の多くや近鉄山田線などを当時運営していた大軌の子会社)を合併し、関西急行鉄道(関急)に社名変更。大軌百貨店は関急百貨店に改称。
  • 1944年(昭和19年)4月1日 - 関西急行鉄道は大阪鉄道を合併。大鉄百貨店は関急百貨店阿倍野店、関急百貨店は関急百貨店上本町店として再発足。
  • 1944年(昭和19年)6月1日 - 関西急行鉄道と南海鉄道(南海。1947年(昭和22年)に再度分離して現在の南海電気鉄道となる)が合併して近畿日本鉄道(近畿日本)[3]が発足。百貨店は「近畿日本鉄道上本町百貨店」と「近畿日本鉄道阿倍野百貨店」に名称変更[4]
  • 1945年(昭和20年)3月14日 - 空襲により阿倍野店罹災 。
  • 1948年(昭和23年) - 「近鉄百貨店上本町店」・「近鉄百貨店阿倍野店」と店名を変更。[5]
  • 1949年(昭和24年)7月 - 株式会社丸物が大証1部に上場。
  • 1960年(昭和35年)9月 - 別府近鉄会館開業。
  • 1961年(昭和36年)7月1日 - 「別府近鉄会館」を「別府近鉄百貨店」に変更。
  • 1972年(昭和47年)3月14日 - 奈良店開業(奈良ファミリー内)。
  • 1972年(昭和47年)6月1日 - 「株式会社近鉄百貨店」として分離独立。
  • 1974年(昭和49年)5月11日 - 東京近鉄百貨店開業(武蔵野市中央本線吉祥寺駅前)。
  • 1977年(昭和52年)5月 - 「株式会社丸物」を「株式会社京都近鉄百貨店」に商号変更。
  • 1978年(昭和53年)10月5日 - 東大阪店開業。
  • 1982年(昭和57年)11月15日 - 西京都店開業(京都ファミリー内)。
  • 1983年(昭和58年)3月1日 - (株)近鉄百貨店が(株)東京近鉄百貨店を吸収合併。
  • 1986年(昭和61年)4月25日 - 橿原店開業。
  • 1988年(昭和63年)11月11日 - 阿倍野店増床。CIを導入しロゴマークを変更。
  • 1991年(平成3年)3月1日 - (株)近鉄百貨店が(株)別府近鉄百貨店を吸収合併。
  • 1991年(平成3年)4月12日 - 桜井店開業。
  • 1994年(平成6年)3月31日 - 桜井店閉店。
  • 1994年(平成6年)8月31日 - 別府店閉店。
  • 1995年(平成7年)2月28日 - 西京都店閉店。
  • 1995年(平成7年)3月 - 京都近鉄百貨店京都店が大規模に増床オープン。1997年に予定されていたJR京都伊勢丹を迎え撃つための措置であったが、この増築部分は結局12年使用されただけで解体された。
  • 1996年(平成8年)11月26日 - 桃山店開業。
  • 1997年(平成9年)3月19日 - 生駒店開業。
  • 1998年(平成10年)9月1日 - (株)近鉄百貨店が(株)枚方近鉄百貨店を吸収合併。
  • 1998年(平成10年)9月19日 - 桔梗が丘近鉄百貨店開業。
  • 1999年(平成11年)9月30日 - 京都近鉄百貨店岐阜店閉店(跡地には中日新聞社岐阜支社が建設されている)。
  • 2000年(平成12年)3月25日 - 京都近鉄百貨店京都店全面改装。「プラッツ近鉄」として開業。
  • 2000年(平成12年)9月1日 - 本店南側にHOOP開業。
  • 2001年(平成13年)2月20日 - 東京店閉店(三越が営業権を継承し、同年6月より吉祥寺三越および大塚家具として営業開始したが、2006年5月で両店撤退。2007年6月29日にヨドバシカメラマルチメディア吉祥寺がオープン)。
  • 2001年(平成13年)2月28日 - (株)京都近鉄百貨店が(株)近鉄百貨店を吸収合併し「株式会社近鉄百貨店」に商号変更。
  • 2005年(平成17年)6月 - 近鉄モータース株式をクインランドに売却。
  • 2005年(平成17年)7月29日 - 京都店の土地・建物をヨドバシカメラに売却。店舗2007年(平成19年)2月末までの営業となった。
  • 2005年(平成17年)8月25日 - 旧別府店の敷地を県内業者に売却。跡地に高層複合マンション建設予定。
  • 2006年(平成18年)7月31日 - 旧東京店の土地・建物を投資会社に売却。
  • 2006年(平成18年)12月30日 - 三重県三交百貨店がこの日で閉店。営業権の一部を譲り受けた。
  • 2007年(平成19年)2月28日 - 京都店を閉店。なお京都店の建物は解体され、跡地に建設される新ビルにヨドバシカメラが出店することとなった。
  • 2008年(平成20年)3月頃 - 旧京都店の建物の解体が終了。これ以降ヨドバシカメラのビルへ建替(2010年11月5日にヨドバシカメラ・マルチメディア京都〈京都ヨドバシ〉が開店)。
  • 2008年(平成20年)9月9日 - HOOP南側にand開業。
  • 2009年(平成21年)3月1日 - (株)中部近鉄百貨店持分法適用会社)と(株)和歌山近鉄百貨店近畿日本鉄道完全子会社=兄弟会社に相当)を吸収合併し、四日市名古屋草津和歌山の4店舗を直営化。
  • 2009年(平成21年)3月19日 - 阿倍野本店の本館西側(旧館)部分を建て替えのため閉鎖[6]。翌3月20日より、本館の東側(1988年に増床した新館(現:ウイング館))部分のみでの営業を開始(2014年の建て替え完成(あべのハルカス開業)まで)。
  • 2009年(平成21年)11月20日 - 大阪市住之江区咲洲(南港)のアジア太平洋トレードセンター(ATC)のITM棟に、2010年2月末までの期間限定店舗「近鉄百貨店ショップATC」を開設。
  • 2010年(平成22年)8月26日 - 上本町店の全館リニューアルが完成。同店南側に「上本町YUFURA」が開業。
  • 2011年(平成23年)8月10日 - エイチ・ツー・オーリテイリング(阪急阪神百貨店)との間で、情報システムの共同開発に関する提携を発表。
  • 2012年(平成24年)2月29日 - 枚方店を閉店。
  • 2012年(平成24年)3月3日 - 旧桔梗が丘店が、直営面積縮小・業態転換により「近鉄百貨店ショップ桔梗が丘」として新装開店。
  • 2012年(平成24年)3月29日 - 子会社の書籍販売業「ビッグウィル」の株式の大半をジュンク堂書店に譲渡。
  • 2013年(平成25年)6月13日 - 阿倍野本店のうち、あべのハルカス・タワー館(地上14階〜地下2階)部分が先行開業(ウイング館の一部(9階催会場など)を含む)。売場面積は57,000m2(タワー館(西側:50,000m2)とウイング館(東側:7,000m2)の合計)。同日より店名を「あべのハルカス 近鉄本店」に改称。あわせて包装紙・ショッピングバッグのデザインを変更。
  • 2013年(平成25年)7月16日 - 大阪証券取引所と東京証券取引所との現物株市場統合に伴い、東京証券取引所第1部に指定替え。
  • 2013年(平成25年)10月10日 - あべのハルカス 近鉄本店の第2期分(ウイング館の4階の一部〜8階部分)が開業。売場面積は77,000m2(タワー館(西側:57,000m2)とウイング館(東側:20,000m2)の合計)。
  • 2014年(平成26年)2月22日 - あべのハルカス 近鉄本店が全館開業(ウイング館の地下2階〜4階の残り部分の開業)。売場面積は100,000m2(タワー館(西側:57,000m2)とウイング館(東側:43,000m2)の合計)。
  • 2014年(平成26年)3月7日 - あべのハルカスがグランドオープン(オフィスフロア・大阪マリオット都ホテルあべのハルカス美術館ハルカス300(展望台)を含む)。
  • 2014年(平成26年)9月30日 - 桃山店閉店。
  • 2018年(平成30年)3月31日 - 近鉄百貨店ショップ桔梗が丘閉店[7]

店舗

現在の営業店

商業施設

  • Hoop(近鉄百貨店阿倍野本店別館): 大阪市阿倍野区阿倍野筋 営業面積14,825m2 阿倍野本店南側
  • and(近鉄百貨店阿倍野本店新館): 大阪市阿倍野区阿倍野筋 営業面積14,000m2 Hoop南側
  • 上本町YUFURA:大阪市天王寺区上本町 営業面積8,275m2 上本町店南側(旧近鉄劇場

過去に存在した店舗

  • 東京店: 東京都武蔵野市吉祥寺本町。1974年 - 2001年。閉鎖後三越とIDC大塚家具に貸していたが建物売却により閉店、2007年6月に外観も改装の上ヨドバシカメラマルチメディア吉祥寺が出店。
  • 西京都店: 京都市右京区、京都ファミリー内。1982年 - 1995年。
  • 桜井店: 奈良県桜井市。1991年 - 1994年。短命の小型店舗。
  • 別府店大分県別府市。1960年 - 1994年。別府駅前にあった。2001年に建物解体、土地は2005年に県内の不動産会社に売却。
  • 上海店: 上海商場にテナントとして出店した小型店。
  • 桃山店(MOMO): 1996年 - 2014年。京都市伏見区桃山町山ノ下、六地蔵駅前 売場面積22,000m2
  • ショップ桔梗が丘: 名張市桔梗が丘一番町、桔梗が丘駅近鉄プラザ桔梗が丘
    • 2012年2月末までは旧桔梗が丘店(売場面積11,706 m2):2012年3月3日に、直営売場面積を縮小・業態転換の上、新装開店。2018年3月31日閉店。

丸物関連

商業施設

阿倍野本店再開発プロジェクト

出店を中止した店舗

  • 岸和田店: 大阪府岸和田市宮本町に出店を予定していたが、同じ場所に出店を予定していたニチイ(現:イオンリテール)が出店したため予定は白紙になった(ニチイものちに閉店した)。
  • 橋本店: 相模原市、現在のイオン橋本店近辺に位置する。JR橋本駅前市街地再開発の一環で、賃料坪単価8,000円以上(競合した近鉄の2倍の提示額。なおこの場所は地元の京王百貨店の出店が有力視されていた)でそごうはコンペを制した。だがそごうも1994年出店凍結。1997年出店断念。
  • 福山店: 広島県福山市JR福山駅南西の伏見町再開発事業の一環。天満屋西武、そごう、近鉄が競合したものの、最終的にそごうが制した。後にそごうも出店断念。なお、後に福山ロッツ→リム・ふくやまとなった旧福山そごうとは別物である。

プロ野球の優勝・応援セールの扱い

近畿日本鉄道が大阪近鉄バファローズのオーナーとなっていた時代、近鉄グループである同社は、同球団のパシフィック・リーグ優勝記念セールおよび日本シリーズご声援感謝セール(いわゆる残念セール)を行ってきた[9]。2004年を最後にオリックス・ブルーウェーブとの合併により「オリックス・バファローズ」(球団の系譜としては阪急~オリックス側が存続)となってからは、優勝した実績がなかったこともあり、優勝記念セールや、ご声援感謝セールは行われなくなっていた。

しかし2008年には、同社各店(名古屋店(近鉄パッセ)・四日市店(当時は両店とも、旧中部近鉄百貨店の店舗だった)を除く)において、読売ジャイアンツセントラル・リーグ優勝記念セールが行われた。これは、同球団の優勝記念セールの権利を持っている三越伊勢丹グループの店舗が少ない近畿地区において(2017年現在、近畿地区には「ジェイアール西日本伊勢丹」の2店(ジェイアール京都伊勢丹・ルクア1100内のイセタンショップ)のみがあるが、後者はJR大阪三越伊勢丹時代も巨人優勝セールは実施しなかった)、それを補助するために行われている、とする事情に加え、オリックス・バファローズ発足後は近鉄グループが同球団へ20%出資し、ユニフォームの袖部分にも「近鉄」のロゴを掲示するという3年間の暫定処置が2007年に終了し、同球団から近鉄グループが完全に撤退したことも理由に考えられている。

また近鉄百貨店自身も、かつては三越との間で、商品券の相互利用を行ったり、中元歳暮など贈答品の共同配送を行う、などの提携関係があった他、近畿地区の他の百貨店・スーパーマーケット各社は、どちらかと言えば阪神タイガースの優勝・応援セールの方を行ってきた[10][11]こともあり、それを行ってこなかった近鉄百貨店が引き受けることになったもの、とも言われている。

また近鉄球団が1990年代まで後述の監督人事や交換トレードなどで巨人フロントと相互連携を行っていたなど、友好的な関係があった過去もある[12]

2009年度は9月23日に巨人が3年連続でセ・リーグの優勝を決めたことで、近鉄百貨店(名古屋・四日市両店を除き、近鉄松下百貨店を含む。)としては2度目となる、「セ・リーグ優勝記念セール」が、翌9月24日から9月30日までの7日間開催された(阿倍野店のみ24日は閉店のため、翌25日から6日間の開催であった)。そして11月7日に、同球団が日本シリーズで優勝したことにより、翌8日から14日までの7日間、前述した各店舗にて、(旧近鉄バファローズ時代を含めて)同社としては初の「日本シリーズ優勝記念セール」が行われた(枚方・草津の両店舗は、12日は定休日であった)。

なお2012年度は、巨人が3年ぶりのセ・リーグ優勝、ならびに日本シリーズ優勝を決めたが、同社各店(近鉄松下百貨店を含む)では、優勝記念セールは行われなかった。

ちなみに名古屋店と四日市店が除かれているのは両店舗とも中日ドラゴンズのホームテリトリー(及び親会社の中日新聞社の購読エリア)という事情によるものである。両店舗では、2008年と2009年にそれぞれ「中日ドラゴンズご声援感謝セール」が行われたほか、2010年と2011年には、ドラゴンズがセ・リーグの優勝を決めたことで、両店舗では「セントラルリーグ優勝記念セール」が行われた。

ロゴマーク

ロゴマークは店名のローマ字がデザインされている。

「K ntetsu」が海、「i」が緑(木)を表し、全体が地球を表しており、地球と調和しようとする姿勢を表現している。 包装紙・ショッピングバッグのデザインは、ロゴマークと同色の青と緑色のものであったが、2013年6月13日の「あべのハルカス 近鉄本店」タワー館の先行開業に合わせて、「K」を起点とした一筆書きの「ひろがるつながり」をテーマとした、黄色を基調とする新デザインに変更された。

  • かつて使用していたもの
    • 近鉄百貨店 - 近畿日本鉄道の社章をアレンジ(若干中の模様が丸みを帯びている)。現在も正式な社章である。
    • 大軌百貨店 - 通称「大軌」。大阪電気軌道直営だったが、同社の社章ではなく「大軌」を縦書きにして丸型にしたもの
    • 大鉄百貨店 - 大阪鉄道の社章の一部を変更したもの(中央に「百」の文字が入る)
    • 丸物 - 沿革の項にある通り、「物」を丸で囲ったもの

関連会社

近鉄松下百貨店(山口県周南市)
  • 近鉄グループホールディングス - 現在の親会社。近畿日本鉄道の初代法人の法人格を引き継いだ。
  • 近畿日本鉄道 - 上記の通り初代法人が当社の親会社だった。現在は兄弟会社。
  • 近商ストア(スーパーマーケットKINSHO)
  • 近畿配送サービス - 配送会社
  • 近鉄松下百貨店 - 山口県周南市(JR徳山駅前):2013年2月28日をもって閉店。閉店まで近鉄百貨店としては唯一別会社になっていた
  • 三交百貨店 - 三重県松阪市松阪駅前):2006年12月30日を最後に閉店した。
  • ミディ総合管理 - 店舗管理・清掃など:2013年5月に株式譲渡により当社の子会社でなくなったが、引き継ぎ近鉄グループに残留。

脚注

  1. ^ 大輪会(だいりんかい)とは - 泉佐野丘陵緑地公式サイト内のページ。
  2. ^ 『近畿日本鉄道 80年の歩み』近畿日本鉄道、1990年。 
  3. ^ 近畿日本鉄道の発足当時、既に近江鉄道が「近鉄」(おうてつ/きんてつ)の通称で呼ばれていたことから、公式的には「近鉄」の略称を当面の間用いず、「近畿日本」ないし「日本鉄道」を公式略称としていた。
  4. ^ 近畿日本鉄道『最近20年のあゆみ』1980年、371頁。 
  5. ^ これは公式的に「近鉄」の略称を用いた初期の事例である。
  6. ^ あべのハルカスの場所 写真で振り返る10年前の風景 THE PAGE 2017年10月29日
  7. ^ ショップ桔梗が丘 | 名張市桔梗が丘1番町1街区2番1 近鉄ブラザ桔梗が丘 内 (近鉄百貨店 ショップ桔梗が丘 閉店のお知らせ)
  8. ^ 近鉄百貨店時代から振り返る枚方T-SITEへの変遷【ひらつーまとめ】 - 枚方つーしん 2016年05月13日21:00
  9. ^ 同百貨店の東京店は、バファローズ優勝時に関東地区でほぼ唯一の優勝セール実施店舗となっていた。また、学生時代からバファローズファンだった佐野正幸は同店(当時は東京近鉄百貨店)に就職した後にバファローズ私設応援団長となり、会社側の理解も得て、関東地方をはじめとした各地の球場で応援活動を続けていた。
  10. ^ 阪神電気鉄道直系である阪神百貨店と、阪神電鉄・阪神球団から許諾を得た大丸ダイエー甲子園店など関西圏の一部店舗。南海の買収による球団競合時代も許諾を得て継続)は「タイガース優勝セール」と表現できていた(大丸と経営統合で同系となった松坂屋は、元々愛知県が発祥のため中日ドラゴンズの応援セールを開催)が、それ以外は阪神電鉄・阪神球団の許諾を得られず直接的に「タイガース優勝セール」とは表現できず(特にそごうマイカルは企業レベルで巨人との応援活動を行うなど関係が深かったため)、「大阪バンザイセール」などの別の文言で表現して行ったことがあった。また、阪急百貨店阪急電鉄直系)は阪急ブレーブスを運営した頃は、阪急が優勝した年に「ブレーブス優勝セール」を行っていたが、球団のオリックスへの売却・神戸移転後は神戸店のみに縮小していた(一方、そごう・大丸など競合する神戸市内の百貨店が参入した)他、1985年の阪神優勝時は鉄道・野球・百貨店事業のいずれも競合していたため「阪神優勝セール」は行われなかった。なお、南海電気鉄道と資本・業務提携するなど関係が深かった髙島屋は、大阪本拠地時代の南海ホークス優勝セールを大阪店(南海ビルディング)などを中心に開催していたが、その後の低迷と1989年ダイエーへの売却・福岡への移転(さらに2005年にソフトバンクに売却)で、1973年の一度のみとなっていた(1960年代までの南海の全盛期は、優勝・応援セールをの催しが定着していなかったため)。
  11. ^ 阪神電気鉄道と読売新聞グループ本社は、無協約時代にはタイガースとジャイアンツの球団株式を相互に持ち合っていた(現在は協約で禁止されている)他、読売新聞大阪進出には阪神電鉄が社屋用地を仲介し、日本テレビの『ズームイン!!朝!』で放送された「プロ野球いれコミ情報」で読売テレビが阪神タイガースを応援するなど、企業としての阪神グループと読売グループは比較的良好な関係である。
  12. ^ 「プロ野球トレード史Ⅱ」ベースボール・マガジン社1992年。一例として千葉茂の近鉄監督就任、長嶋茂雄立教大学の先輩である西本幸雄の近鉄監督就任、淡口憲治有田修三香田勲男阿波野秀幸といった主力選手同士の交換トレードなど。

外部リンク