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結婚の1年後には[[飯島愛]]とのコンビでフジテレビ『[[ウチくる!?]]』が放送開始(飯島引退後は[[久保純子]]、その後[[中川翔子]]とのコンビに)、[[2005年]]秋には日本テレビ『[[ラジかる!!]]』の総合司会を担当し、[[関東ローカル]]ながら久々に平日の[[帯番組]]を持つことになった(金曜日を除く)。中山をはじめとする出演者の自由な雰囲気でのトークや[[タカアンドトシ]]、[[ザ・たっち]]など若手芸人の出演もあって夕方ながら高視聴率を叩き出す人気番組に成長する。翌年の春には『[[ラジかるッ]]』に改題して昼前の枠に移動、視聴率10%を超えたこともあった。下記のように否定的な評価が目立った80年代から90年代と異なり時代が尖った笑いから、「雰囲気作りのうまさ」や「人を傷つけない笑い」が高評価されるように変化した事もあり、この頃から業界や芸人内での中山への評価は好意的なものに変わっていく<ref name="imada">[https://www.cyzo.com/2018/08/post_173028_entry_3.html 「面白いことが正義」時代から一周回って……“犬猿の仲”だった中山秀征と今田耕司、和解の背景] サイゾー 2018年8月24日配信 2021年3月7日閲覧</ref>。
結婚の1年後には[[飯島愛]]とのコンビでフジテレビ『[[ウチくる!?]]』が放送開始(飯島引退後は[[久保純子]]、その後[[中川翔子]]とのコンビに)、[[2005年]]秋には日本テレビ『[[ラジかる!!]]』の総合司会を担当し、[[関東ローカル]]ながら久々に平日の[[帯番組]]を持つことになった(金曜日を除く)。中山をはじめとする出演者の自由な雰囲気でのトークや[[タカアンドトシ]]、[[ザ・たっち]]など若手芸人の出演もあって夕方ながら高視聴率を叩き出す人気番組に成長する。翌年の春には『[[ラジかるッ]]』に改題して昼前の枠に移動、視聴率10%を超えたこともあった。下記のように否定的な評価が目立った80年代から90年代と異なり時代が尖った笑いから、「雰囲気作りのうまさ」や「人を傷つけない笑い」が高評価されるように変化した事もあり、この頃から業界や芸人内での中山への評価は好意的なものに変わっていく<ref name="imada">[https://www.cyzo.com/2018/08/post_173028_entry_3.html 「面白いことが正義」時代から一周回って……“犬猿の仲”だった中山秀征と今田耕司、和解の背景] サイゾー 2018年8月24日配信 2021年3月7日閲覧</ref>。


[[2009年]][[3月30日]]から『ラジかるッ』・『[[おもいッきりイイ!!テレビ]]』の流れを汲み、統合された新番組『[[おもいッきりDON!]]』の総合司会に就任し、[[みのもんた]]に代わる日本テレビのお昼の顔となった。同年秋改編で第1部の総合司会を[[ビビる大木]]と[[岡田圭右]]([[ますだおかだ]])に譲り、第2部の総合司会に専念するようになる。[[2010年]][[3月26日]]で『おもいッきりDON!』としては終了し、同年[[3月29日]]より『[[DON!]]』にリニューアルされた。[[2011年]][[3月25日]]で『DON!』は終了、代わって同年[[4月3日]]から放送開始した日曜朝8・9時台の『[[シューイチ]]』の総合司会に起用された<ref>{{Cite web|url=https://mantan-web.jp/amp/article/20110224dog00m200021000c.html|title=中山秀征:日テレ昼の顔から日曜朝の顔に 「サンデー」の後継「シューイチ」司会|website=[[まんたんブロード|MANTANWEB]]|work=株式会社MANTAN|date=2011-02-24|accessdate=2021-07-25}}</ref>。
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2021年3月現在の地上波でのレギュラー番組は'''『シューイチ』'''のみのため、平日の番組を中心に他番組にゲスト出演する機会が増えている。1990年代や2000年代などでMCの番組でゲストやレギュラーで出ていた出演者が後に総合司会となり、それらのタレントの番組にゲストで出演するケースもある。例として『[[DON!]]』で総合司会を務めていた時の曜日レギュラーに[[有吉弘行]]がいたがその有吉が2012年以降MCを務めるレギュラー番組が増えると、有吉がMCを務めた『[[超問クイズ! 真実か?ウソか?]]』に中山がゲストで出演することもあった。
2021年3月現在の地上波でのレギュラー番組は'''『シューイチ』'''のみのため、平日の番組を中心に他番組にゲスト出演する機会が増えている。1990年代や2000年代などでMCの番組でゲストやレギュラーで出ていた出演者が後に総合司会となり、それらのタレントの番組にゲストで出演するケースもある。例として『[[DON!]]』で総合司会を務めていた時の曜日レギュラーに[[有吉弘行]]がいたがその有吉が2012年以降MCを務めるレギュラー番組が増えると、有吉がMCを務めた『[[超問クイズ! 真実か?ウソか?]]』に中山がゲストで出演することもあった。

2021年10月15日 (金) 08:58時点における版

中山なかやま 秀征ひでゆき
Hideyuki Nakayama
本名 中山 秀征
ニックネーム ヒデさん、ヒデちゃん
生年月日 (1967-07-31) 1967年7月31日(56歳)
出身地 日本の旗 日本 群馬県藤岡市
血液型 B型
身長 173cm
言語 日本語
方言 共通語
最終学歴 神奈川県立柿生高等学校
(現・神奈川県立麻生総合高等学校)中退
コンビ名 ABブラザーズ1985年 - 1992年
相方 松野大介(コンビ時代)
立ち位置
事務所 ワタナベエンターテインメント
活動時期 1982年 -
同期 石塚英彦ホンジャマカ
ウッチャンナンチャン
出川哲朗
ダチョウ倶楽部
130R
今田耕司など
現在の代表番組 シューイチ
過去の代表番組 ウチくる!?
タイムショック21
TVおじゃマンボウ
THE夜もヒッパレ
DON!など
他の活動 タレント司会者ニュースキャスターラジオパーソナリティー俳優
配偶者 白城あやか
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中山 秀征(なかやま ひでゆき、1967年昭和42年7月31日 - )は、日本の男性タレント司会者俳優、元お笑いタレントワタナベエンターテインメント所属。愛称はヒデちゃん・ヒデさん。

群馬県藤岡市出身。身長173cm、体重58kg藤岡市立神流小学校[1]藤岡市立北中学校[2](3年の2学期一杯まで[3][4])→川崎市立柿生中学校(3年の3学期のみ[3][4])→神奈川県立柿生高等学校中退。妻・白城あやか(元宝塚歌劇団星組トップ娘役)との間に4人の息子がいる。

来歴

実家は工場「中山縫製」を経営していた。中山も少年時代に永谷園のお茶漬けの袋詰を手伝った事がある。当時工場では歌謡曲をBGMとして流した状態で従業員が仕事をしていた。中山は休憩時間に従業員の前で殿さまキングスフィンガー5御三家橋幸夫舟木一夫西郷輝彦)、石原裕次郎を歌い握手して回るなどの行動をしていた[5][6][7][8]

芸能界への憧れを抱いたのは5歳の頃。遊園地「カッパピア」でフィンガー5のイベントを観覧した際にメインボーカルのと歌えるコーナーがあり、数人の子供達がステージに上がれたがちょうど自身の前で締め切られ、その時に「客席で熱狂するより、ステージに立ちたい」と思うようになったという[注釈 1][11]

小・中学校時代には芸能人野球大会で活躍したいからという理由で野球を始め、アクションもできるようにという理由で器械体操、カッコよくサインを書くためにという理由で書道も習った[11]。中学時代には友人と共にたのきんトリオを真似た『クソガキトリオ』を結成。母に田原俊彦のようなレッグウォーマーを作ってもらったらしく[5]、この頃には既に自身のサインを考え周囲に渡して回っており、引いていた同級生も多かったという[12]。また、写真週刊誌「FOCUS」などに過去の自分が掲載されるのが嫌という理由で女子生徒との2ショット写真を撮らなかった[13]

その後俳優を志し、3ヶ月でデビューできなければ辞めるつもりで、1981年に東京の児童劇団「エヌ・エー・シー」に入団。それから3ヶ月後に、火曜サスペンス劇場『狙われた女教師』(1982年4月20日、日本テレビ系列)の準主役を射とめて芸能界デビュー。学校や近所で話題になるが、長くは続かず、オーディションを受けても落ちる日々が続く。母を説得した末に東京近郊の高校へ進学するため、群馬を飛び出して中学3年の3学期から神奈川県川崎市の中学校へ転校。知人や学校の先生の家に下宿しながら数々の芸能事務所のオーディションを受け続ける[11]。この事情から当時周囲につけられたニックネームは「グンマ」だったという[10]。本人は15歳で上京した理由について「自分でもわからない」「無鉄砲だった」と振り返っている。また、下宿先では周囲との関係が上手くいかず死を意識した時期がある事も語っている[5][14]

1983年渡辺プロダクションの新人募集オーディション[注釈 2]に歌手として合格。しかし「歌も芝居もいまいち(本人談)」で、当時のマネジャーに「歌や芝居は、バラエティーで天下をとれたら全部やれる」と言われ、藁をもつかむ思いでバラエティ路線を選ぶ事になり[17]、1984年に若手お笑いタレントグループ「BIG THURSDAY(ビッグサースデー)」の第1期生として参加(同期には後に『ホンジャマカ』として活動する石塚英彦がいた)[18]。中高生の頃に芸能界入りしたため年上の同期や後輩、同世代の後輩が多い[15][18][19]

1985年、同プロダクションの松野大介(現:小説家)とコンビ『ABブラザーズ』を結成。同年、フジテレビライオンのいただきます』のアシスタントとしてデビュー。そしてニッポン放送ABブラザーズのオールナイトニッポン』(1985年10月 - 1987年7月)を担当するなど若い女性を中心に人気を博する。また、単独でもドラマや映画で主演を務めたり、レコードデビューも果たした。しかし『いただきます』を降板した1989年を境に人気は低下。勝ち抜き形式のネタ番組で披露するネタが尽きてしまい改めてネタで勝負しようとしたが、中山はマネジャーから「コンビとしての負けを認めろ。その代わり、お前はこれから1人で戦っていけるから。芝居や音楽も含めて、バラエティとにかく頑張れ」と言われた。以降、単独での俳優や総合司会の仕事にシフトしお笑いタレントであることを求めた松野との方向性の違いが顕著になる。1992年にはお笑い第三世代に追われるように、ABブラザーズとしての活動は自然消滅[17][20][21]。1998年に松野は、この時期の中山との関係をモチーフとして自伝的小説『芸人失格』(幻冬舎)を執筆する[22]

1991年にはフジテレビ『東京ラブストーリー』、TBSデパート!夏物語』などの人気テレビドラマバイプレイヤーとして参加。また、1992年から、日本テレビDAISUKI!』にレギュラー出演するようになる。松本明子飯島直子らと交わす和気あいあいとした軽妙なトークと街歩き企画が視聴者の支持を集め、深夜番組であるにもかかわらず最高視聴率14.7%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)という数字を記録する程の人気番組となる[23]。1994年にはドラマ『静かなるドン』への主演、翌年には音楽番組『THE夜もヒッパレ』(共に日本テレビ)への出演など多方面で活躍した[24][25]

1995年にはプロボウラーを目指しプロテストも受験するが、スコアが伸び悩み不合格となった[26][27]

1998年に白城あやかと結婚。明治神宮で挙式を挙げた。ちなみに白城との交際や結婚を最初に報じたのは写真週刊誌「FOCUS」であり、見出しには「お姫様と平民の結婚」と書かれていた[28]

結婚の1年後には飯島愛とのコンビでフジテレビ『ウチくる!?』が放送開始(飯島引退後は久保純子、その後中川翔子とのコンビに)、2005年秋には日本テレビ『ラジかる!!』の総合司会を担当し、関東ローカルながら久々に平日の帯番組を持つことになった(金曜日を除く)。中山をはじめとする出演者の自由な雰囲気でのトークやタカアンドトシザ・たっちなど若手芸人の出演もあって夕方ながら高視聴率を叩き出す人気番組に成長する。翌年の春には『ラジかるッ』に改題して昼前の枠に移動、視聴率10%を超えたこともあった。下記のように否定的な評価が目立った80年代から90年代と異なり時代が尖った笑いから、「雰囲気作りのうまさ」や「人を傷つけない笑い」が高評価されるように変化した事もあり、この頃から業界や芸人内での中山への評価は好意的なものに変わっていく[29]

2009年3月30日から『ラジかるッ』・『おもいッきりイイ!!テレビ』の流れを汲み、統合された新番組『おもいッきりDON!』の総合司会に就任し、みのもんたに代わる日本テレビのお昼の顔となった。同年秋改編で第1部の総合司会をビビる大木岡田圭右ますだおかだ)に譲り、第2部の総合司会に専念するようになる。2010年3月26日で『おもいッきりDON!』としては終了し、同年3月29日より『DON!』にリニューアルされた。2011年3月25日で『DON!』は終了、代わって同年4月3日から放送開始した日曜朝8・9時台の『シューイチ』の総合司会に起用された[30]

2021年3月現在の地上波でのレギュラー番組は『シューイチ』のみのため、平日の番組を中心に他番組にゲスト出演する機会が増えている。1990年代や2000年代などでMCの番組でゲストやレギュラーで出ていた出演者が後に総合司会となり、それらのタレントの番組にゲストで出演するケースもある。例として『DON!』で総合司会を務めていた時の曜日レギュラーに有吉弘行がいたがその有吉が2012年以降MCを務めるレギュラー番組が増えると、有吉がMCを務めた『超問クイズ! 真実か?ウソか?』に中山がゲストで出演することもあった。

人物

テレビでの活動にとどまらずYouTube番組への出演[31][32]、演劇への出演や昭和歌謡などをカバーする『ヒデライブ』などの活動も度々行っている[33][34]

交流関係

事務所の先輩である松本明子とは公私に渡り交友関係にあり、失言により謹慎していた松本を励ましバラエティー班に誘ったのが中山であった[35]

若手時代にABブラザーズの前座を務めた経験がある爆笑問題とも共演の機会が多い[36][37]

木村祐一とも親交が深い[13]

中山と同じ群馬県出身のタレント・井森美幸と共に群馬県のPRを務める「ぐんま大使」を務めている[38]

第30回ベスト・ファーザー イエローリボン賞、芸能部門受賞。また、妻が元宝塚歌劇団トップ娘役だったこと等が縁となり、数々のタカラジェンヌと公私にわたって交流がある。2007年、舞台『SHOW店街組曲』で真琴つばさと共演し[39]、2014年9月17日放送の『タイムショック』にゲストとして遼河はるひが出演する等、自身のレギュラー番組でタカラジェンヌがゲストとして出演することも多い。また、2014年6月19日放送のNHK-BSプレミアム『宝塚歌劇 華麗なる100年〜スターが語る夢の世界〜』でも司会を務めた。

フジテレビ『殿様のフェロモン』で共演した今田耕司とは番組に対する受け取り方の違い(詳しくは殿様のフェロモン#今田耕司と中山秀征をめぐるエピソードを参照)により反りが合わなかったが、2011年に共通の飲み仲間である松尾陽介(元ザブングル)の仲介により和解した[29]

吉田栄作とは挨拶が無視されたのをきっかけに初対面から2年間は不仲であったが、お互いに矢沢永吉のファンだという事が判明してからは打ち解けている[40]

後輩ではふかわりょうと仲がいい。ふかわが音楽活動を拡大していくか悩んでいた時に中山が「お笑いだけを極めるのは芸人としてもちろんかっこいいが、お笑いだけでなくオールマイティーに活動していくことも芸能界で生き残っていくためには重要」と背中を押したという。

大人になって以降も野球では熱心な読売ジャイアンツのファンであり、多くの球界関係者との交流がある[41]

志村けんを「師匠」と呼ぶ程慕っており、番組で共演したり、2000年からは誕生日会の幹事を務めるなど公私ともに交流があった[42][43]

趣味・特技

俳優では石原裕次郎渡哲也に憧れていた[36]

業界用語(ズージャ語)を使う事を得意としており、度々披露している[44][45]

兄の影響で始めた書道に関しても度々腕前を披露している[46]

野球好きが高じて草野球チーム『ジェットキッズ』を結成した[47]

喫煙者であり、50歳になってからは電子タバコに変えた。禁煙はしたいものの踏ん切りがついていないと語っている[48]

評価

上述のような理由で芸能界入りし複雑な経緯で活躍の仕方が変わったため、自身の職業を「歌手でも俳優でもお笑いでもない」とし「テレビタレント」と名乗っている[11]。また、太田光爆笑問題)はそんな中山の才能を認めたうえで「苦労人」と評している[49]

『ライオンのいただきます』で司会を務めた小堺一機は中山の事を「芸能界に向いている」「好奇心があったから」「今のままで全然いい、自分の椅子を確立している」と評価している[5]

自身の芸能界における立ち位置については「子供のころからお調子者で、テレビの中の楽しそうな雰囲気に憧れたんです。だから、芸を極めるとかではなく、生放送にもうまく反応し続けて、何だか楽しそうな番組だなって雰囲気作りをすることが、僕の持ち味だと思ってきました」と語っている[22]

愛想の良さ、誰に対しても気さくな性格が高く評価されており、ファンおよびスタッフや共演者に親切に接する姿が報じられた事もある[22][50]

お笑い第三世代が台頭する以前はABブラザーズは関東のお笑い代表として扱われており、それに対する違和感からダウンタウン、今田耕司、東野幸治といった主に関西勢の芸人からは敵視されていた[19][22]

ナンシー関には「なまぬるいバラエティー番組全盛の状況が産んだスター。テレビを見ている私には全く関係のない『(芸能界内の)しがらみ・関係性・その他諸事情』のみでスムーズに回っているブラウン管の中の和気あいあい。中山秀征はこれらの象徴的存在だ」とコラムで言われていた[51]。中山はこういった批判を「悪評も評価のうち」と自らを鼓舞し、そのスタイルと芸風を貫いた[52]

松本人志(ダウンタウン)の著書『遺書』(1994年、朝日新聞社)には「レギュラー番組を十数本持ったことを自慢していたタレント」を批判する文章が掲載されており、その人物が中山の事ではないかと一部で囁かれ共演NG説まで流れていた[53]。一方で松本は『ラジかるッ』『シューイチ』のインタビューに『笑ってはいけないシリーズ』の番宣でVTR出演している。なお、中山は前述のお笑い第三世代の台頭を「絶対に勝てるわけがないと思った」、中山自身の台頭を「自分の意図しないところで人気者になってしまい、必死になって努力したが、ABブラザーズとしてのコンビとしての敗北を認めることで少し自分は変わった」と回想し、その思いをゲスト出演した『ホンネ日和』で中山の友人であり、松本とも友人関係にある木村祐一[注釈 3]に漏らしている。また、同番組で司会を務め、松本や木村と面識のあるYOUは、この事実を知り「そんな苦悩を抱えていたとは知らなかった」と驚いた旨を述べた[13]

前述の通り、番組に対するスタンスの違いが生じた今田は後に考えを改め「『ラジかるッ』はむちゃくちゃ面白い番組だったのに、なんで終わったんだろうね」「いま考えたら、あの当時(『殿様のフェロモン』の頃)からテレビのことをわかってたのはヒデさんだった。今の自分だったら理解できるけど、あの当時はまったく理解できてなかったんだよ」「『あのときの俺は間違ってた』って今はハッキリ思う」「当時いちばんスターの秀ちゃんが、いちばん被害を受けたと思う。ほんまに申し訳ないとしか言いようがない」と反省の弁を語っている[19][29]

単独での活動に移行した直後は度々関西の番組にゲスト出演し上岡龍太郎6代目 桂文枝(当時は桂三枝)、島田紳助やしきたかじんと共演し可愛がられた。特にたかじんは中山を批判したタレントに対して「ヒデのどこがアカンねん! お前、中山秀征の何が分かっとんねん!」と反論していた[55]

エピソード

自身が番組でゲストを迎える時の接し方は「わが家に呼ぶのと一緒」と語っている[48]

「どんなときでも態度を変えないこと」が自身が長く活躍できた理由であったと述べており「少し売れると態度が変わり、落ちていく人をたくさん見た。僕は後輩に教えられることは特にないですが、(態度を変えないことを)やめなかったから、チャンスが回ってきたんだと思います」と語っている。祖母からは「実るほど頭を垂れる稲穂かな」と謙虚でいることの大切さを説かれたという[48]

自身のスタンスは「聞く耳は持つけれど鵜呑みにはせず、批判は受けるが迎合せず我が道を行く」であると語っている[56]

子育てで大事にしていることとして「うちはうち、人は人」「その家族のルールというものを自信を持って作っていくこと」と語っている[57]

子供の頃は夏休みの宿題は1週間で終わらせていたという。逆に兄はいつも「勉強しろ」と親に叱られていたという。中山によると兄は勉強はしていたが、親の見える所でやっていなかったとのことである[58]

芸能界デビューした頃は出身地の話をしないタレントも多くいたが、当時から中山や井森は群馬出身であることを積極的に話題にしていた[59]

違法薬物の存在および薬物乱用を「とにかく一度でも手を出してはいけない」「薬物を買うことで自分だけではなく社会を破壊していくと言うことになりますね」と批判しており[60]、自身が出演している情報番組でも薬物事件の話題が取り扱われるほか[61]、ラジオ番組でも麻薬取締官をゲストに招き違法薬物の危険性を啓蒙した[60][62]。2019年に所属タレントや社員に向けて同様の内容を啓蒙したコンプライアンスセミナーも受講している[63]。なお、過去に違法薬物に関連する飛ばし記事をスポーツ新聞に書かれたことがある旨をゲスト出演した『太田上田』(中京テレビ)で語っている[41]

お笑い芸人による闇営業問題については「会社を通せば会社の責任だけど、個人で受けたら個人の責任になっちゃう」「何のために(芸能事務所に)所属しているかっていうことを、改めて考えるべきではないかなと思います」と警告している[64]

出演

テレビ

現在の出演番組

レギュラー番組
  • シューイチ(2011年4月3日 - 、日本テレビ) - 総合司会
  • 昭和歌謡パレード (BSフジ) - MC
準レギュラー番組
スペシャル番組

過去の出演番組

レギュラー番組
スペシャル番組

ラジオ

現在の出演番組

過去の出演番組

テレビドラマ

映画

ビデオ

  • ネイビー・ロック・ウォー 撃破せよ!(1990年)
  • ダンディとわたし(1991年)

テレビアニメ

  • 名探偵コナン読売テレビ制作・日本テレビ系列、1997年4月28日) - 本人 役[69]
    • 『TVおじゃマンボウ』の企画、声優として参加した。ちなみにその回では、中山が番組と同名の清掃会社の社長役を演じており、他に従業員役として藤井恒久麻木久仁子角田久美子が出演している。
  • ヤッターマン 第39話(読売テレビ制作・日本テレビ系列、2009年4月26日) - 本人 役
    • 『おもいッきりDON!』の宣伝を兼ねて出演。
  • シューイチ オリジナル短編アニメ(2012年10月28日、日本テレビ)
    • 009(島村ジョー)や003(フランソワーズ・アルヌール)と共演しており、009と同様の加速装置を発動させながら番組衣装を脱ぎ捨て、彼らと同様のサイボーグ姿となっている。

劇場アニメ

CM

ディスコグラフィ

シングル

7インチEP
(作詞:秋元康 / 作曲:高橋研 / 編曲:鷺巣詩郎
ダウンタウン司会番組『4時ですよーだ』オープニングテーマ。
タイトルは「あしたにワンウェイ」と読み、「あすに」とは読まない[70]
カップリング曲は「背中越しのGood-Bye」(作詞・作曲:高橋研 / 編曲:鷺巣詩郎)。
  • 星屑のエンジェル(1987年1月21日、キャニオンレコード、7A0677)
(作詞・作曲:八田雅弘 / 編曲:佐藤準
フジサンケイグループ主催「国際スポーツフェア'87」イメージソング。
カップリング曲は「俺たちのPAGE-ONE」(作詞:及川眠子 / 作曲:松野大介 / 編曲:佐藤準)。
8cm CD
  • はじけて流れた星屑みたいに(1993年9月26日、ポリスター、PSDR-5027)
(作詞:及川眠子 / 作曲:谷本新 / 編曲:村松邦男
カップリング曲は「どんなにせつない夜も」(作詞:及川眠子 / 作曲:多々納好夫 / 編曲:村松邦男)。
  • 夏だ!(1994年5月25日、ポリスター、PSDR-5063)
(作詞:沢ちひろ / 作曲:熊谷憲康 / 編曲:村松邦男)
カップリング曲は「夏の再会」(作詞:沢ちひろ / 作曲:都志見隆 / 編曲:村松邦男)。

アルバム

  • 19 BOY STORY(1987年2月21日、キャニオンレコード LP:C28A-0550 CD:D32A-0269)
  • 50(2017年8月2日、ユニバーサル ミュージック ZEN MUSIC UPCH-2135)

書籍

写真集

  • A&BEAT(エイトビート)(1985年7月25日発行、ワニブックス) - ABブラザーズとしての作品
  • 中山秀征 彼のセーター

脚注

注釈

  1. ^ 後に晃とは2017年に『シューイチ』や恵比寿ザ・ガーデンルームで行われた中山のライブ『50th Anniversary Live』で共演している[9][10]
  2. ^ 当時渡辺プロダクションが開催した『第二の吉川晃司オーディション』。このエピソードが語られる際には中山と吉川の芸風が異なる事もあって共演者に驚かれる事が多い[15]。中山によると一次審査では「ギャランドゥ」(西城秀樹)、「夢芝居」(梅沢富美男)、「春なのに」(柏原芳恵)を歌った音源をカセットテープに吹き込み送付したという[16]
  3. ^ 2012年5月8日に吉本興業東京本社で行われた木村と西方凌の結婚披露パーティーには松本と中山が出席している[54]

出典

  1. ^ “藤岡市に帰ってきました♪”. おかもとまりオフィシャルブログ (CyberAgent). (2014年11月6日). http://ameblo.jp/mari-okamoto/entry-11948935559.html 2016年12月15日閲覧。 
  2. ^ “『あいつ今何してる?』2016年5月11日(水)放送内容”. 価格.comテレビ紹介情報 (:(株)ワイヤーアクション、価格.com). (2016年5月11日). http://kakaku.com/tv/channel=10/programID=58504/episodeID=959746/ 2016年12月15日閲覧。 
  3. ^ a b “『ウチくる!?』2012年8月19日放送回”. gooテレビ番組 (Wire Action Inc.、NTT Resonant Inc.). (2012年8月19日). http://tvtopic.goo.ne.jp/program/cx/357/584751/ 2016年12月15日閲覧。 
  4. ^ a b “プロフィール”. 中山秀征公式webサイト Nakayama's Route.htm. http://nakayamahideyuki.com/biography_pro.html 2016年12月15日閲覧。 
  5. ^ a b c d ファミリーヒストリー 中山秀征〜宿命のぐんま大使 芸に生きた先祖〜 TVでた蔵 2016年11月17日配信 2021年3月21日閲覧。
  6. ^ 「誰だって波瀾爆笑 ~中山秀征51歳!群馬ド田舎少年からザ・芸能人成り上がり人生~」 2018年8月5日(日)放送内容 価格.com 2018年8月5日配信 2021年3月21日閲覧。
  7. ^ 中山秀征 「シューイチ」MC いつまでも「バカ」で 朝日新聞デジタル 2020年5月12日配信 2021年3月21日閲覧。
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関連項目

外部リンク