コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「国生さゆり」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
タグ: ビジュアルエディター モバイル編集 モバイルウェブ編集
編集の要約なし
タグ: ビジュアルエディター モバイル編集 モバイルウェブ編集
686行目: 686行目:
{{Reflist|group="注"}}
{{Reflist|group="注"}}
=== 出典 ===
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}

== 参考ウェブサイト ==
== 参考ウェブサイト ==
* [https://www.tokyo-sports.co.jp/entame/interview/53546/ 国生さゆりのニャンたま事件簿:東スポWEB]-[[東京スポーツ|東京スポーツ新聞社]]、2012年4月 - 6月
* [https://www.tokyo-sports.co.jp/entame/interview/53546/ 国生さゆりのニャンたま事件簿:東スポWEB]-[[東京スポーツ|東京スポーツ新聞社]]、2012年4月 - 6月

2022年2月11日 (金) 14:09時点における版

こくしょう さゆり
国生 さゆり
本名 國生さゆり
生年月日 (1966-12-22) 1966年12月22日(57歳)
出生地 日本の旗 日本鹿児島県鹿屋市[1]
血液型 A型
職業 歌手女優タレント
活動期間 1985年 -
事務所 ソニー・ミュージックアーティスツ
公式サイト Sony Music Artists
テンプレートを表示

国生 さゆり(こくしょう さゆり、1966年(昭和41年)12月22日 - )は、日本女優タレント歌手血液型A型、身長162cm[2]。愛称はさゆちゃん。ソニー・ミュージックアーティスツ所属。


・この記事には複数の問題があります

  • 存命人物の記事は特に、検証可能性を満たしている必要があります。推測、噂、裏付け不確定の記事内容が、多数含まれております。ご注意願います。(2021年12月)編集責任判定いたしました。

人物

鹿児島県鹿屋市出身[3]。名前の「さゆり」は父が吉永小百合のファンであったことから、さゆりと名付けられた[3](そのまま漢字書きにするのもわざとらしいからということで、平仮名になった[3])。2歳年下の弟がいる[3]。4歳の時に長崎県佐世保市に移り[3]佐世保市立春日小学校[3]鹿屋市立西原小学校(5年生から[3])・鹿屋市立第一鹿屋中学校・鹿児島実践女子高等学校(後の鹿児島学芸高等学校)→清水ヶ丘高等学校広島県呉市、2年生夏から[3])卒(父親が海上自衛官で、佐世保基地から鹿屋基地呉基地への転勤にともなうもの)[4][5][6]

1985年(昭和60年)4月に、おニャン子クラブの会員番号8番としてデビューした[1]。翌年の1986年(昭和61年)に、シングル曲の「バレンタイン・キッス」でソロデビューした[4]

本名の正式な表記は「國生さゆり」で、NHKに出演する際などにはこちらを用いる場合もある。

経歴

芸能界入り前から、おニャン子クラブ卒業まで

高校在学中の1984年、第3回ミス・セブンティーンコンテスト(過去最大応募総数18万325人)中国地区代表に選出され全国大会に出場(同コンテストの同期には渡辺美里工藤静香渡辺満里奈などがいる)[7][8]。高校の友達がコンテストに写真を送るから一緒に参加してはどうかと勧めたことが応募のきっかけである[8]

入賞はできなかったが、大会終了後にCBSソニーからレコード会社対抗運動会に「運動会要員」として出場しないかと声をかけられる[7][8]。これは陸上短距離走インターハイ選手であった国生にゼッケンの社名をアピールしてもらいたいという狙いであった[7]。レコード会社対抗運動会には二度出場し、運動神経の良さを売りにしていた石川秀美を追い抜いたこともある。

CBSソニーからは正式にスカウトされたわけではなかったので[9]、高校卒業後は資生堂の美容部員に就職が内定しており、広島のデパート化粧品売り場に立つ予定だった[7][8][9]。しかし、先のCBSソニー担当者による薦めで1985年2月にフジテレビで放送される、深夜番組『オールナイトフジ』の特別番組『オールナイトフジ 女子高生スペシャル』に出演[1][9]。この特番は同年4月1日から同局で始める新番組『夕やけニャンニャン』のパイロット番組であり、番組の中でアシスタント兼マスコットとして結成される女性アイドルグループ・おニャン子クラブのメンバー選定も含まれていて、CBSソニー担当者からはそのテストを設けられての出演でもあった。何十人にも及ぶ同年代の娘たちが出演していた特番の中で行った“美少女コンテスト”において優勝するなどして、見事その関門をクリア。それにより、地元での就職は取り止めて、芸能界入りするために高校を卒業するのと同時に単身上京した[8][9][10]。なお、高校時代を広島県で過ごしたため[6]、デビュー当時は「広島出身」としていた(現在は「鹿児島出身」としている)。所属事務所は、CBSソニー運営のエイプリル・ミュージック(現在のソニー・ミュージックアーティスツ)。そして、おニャン子クラブ会員番号8番として『夕やけニャンニャン』開始とともに芸能界デビューした[4]

おニャン子クラブの初期メンバーは都会育ちの子が多く、田舎育ちは国生だけであった[11]。また素人集団というおニャン子クラブのイメージだが[12]、実際は子役上がりの子も多く、完全な素人は国生だけで当初はメンバー内で孤立したという[11]。学生時代は陸上部のキャプテンを務めていたことに加え、『夕やけニャンニャン』開始時には既に学生ではなかったことから、夕方5時放送開始の番組には日中のリハーサルから連日参加し、陸上部のキャプテン時代とリハーサルで得た体験を交えつつ、自発的に歳下の学生メンバーに指導するなど、自然とおニャン子クラブのリーダー格となっていった[8]。『夕やけニャンニャン』放送開始から三ヶ月後の7月、おニャン子クラブはポニーキャニオンから出したデビュー曲「セーラー服を脱がさないで」でブレイクを果たすも、この当時のおニャン子クラブにおけるパブリックイメージは、「セーラー服を脱がさないで」フロントヴォーカルの4人である新田恵利中島美春福永恵規内海和子に集中していたため、4人の後ろでその他大勢の一員として踊っているだけの国生がおニャン子クラブのメンバーであることは世間一般的にはまだまだ知られてなかった。おニャン子クラブからの第二弾として9月にCBSソニーからソロデビューした河合その子のキャンペーンに同行した以外は特に目立ったソロ活動のない状態が続いた。

この当時について、「ソロで出れるのか、グループで出れるのか、それとも出れないのか、とてもピリピリしていた。」「先にソロデビューを果たしている新田恵利や河合その子を応援したいという気持ちと嫉妬心とが入り混じり、女の子ならではのとても複雑な気持ちで見ていた。」と振り返っている。

混沌とした気持ちの1985年から抜けた翌1986年になってようやく国生にも運が開き、2月1日に、国生さゆりwithおニャン子クラブ(国生のサブボーカルとして、白石麻子渡辺美奈代がつく)名義のもと『バレンタイン・キッス』でソロデビュー。おニャン子クラブが大ブームだった中で同曲は約30万枚のヒットとなり、現在でもバレンタインシーズンには定番の曲となっている。しかし、おニャン子クラブ関連の曲がオリコン1位が当たり前だった状況の中で最高位2位という結果に甘んじる。新田や河合は1位を獲得しているだけに「二人には負けたくなかった」と、当時の悔しい心境を語っている。また、2017年の別冊宝島のインタビューでは、当時そもそもデビューできると思っていなかったといい、サブボーカルが付いたのも1人では難しかったという関係者の判断による[8]

ソロデビューに合わせて『夕やけニャンニャン』とおニャン子クラブのスタッフらは、国生を積極的に推すようになり、歌手活動以外にも『スケバン刑事II 少女鉄仮面伝説』へのメインゲスト出演や、『月曜ドラマランド』などおニャン子クラブ主体のドラマにも主役格で出演させたことで瞬く間に中心メンバーへと躍り出た。さらに、カネボウ秋のキャンペーンガールに選ばれるなどの活躍をみせた。この頃から「芯の強さ・気の強さ」を前面に出すようになり、おニャン子クラブのリーダーとしてのイメージも定着してゆく。国生の親衛隊つなぎ姿の若者が多かった[13]

リーダーとして後輩の指導にも積極的に関わっていたが、ソロデビュー以降は「年下のメンバーの子たちの中に、自分から入ってはいかなかった」という。渡辺美奈代などは後に「さゆりちゃんが苦手だった」と発言している(そうとわかる発言をしている)。国生が挙げる仲の良かったメンバーは福永恵規、樹原亜紀名越美香城之内早苗など、自身が「おとな組」と称する面々(新田との確執に関して「私はプロ意識のない人は嫌いです」と、暗におニャン子内に派閥が存在していることを認める発言をしているが、樹原や名越は芸能界での成功を目指していたわけではなかった。)。特に同い年で、同じく就職を取り止めておニャン子入りした福永のことは「東京に来てはじめてできた友達」と表現している。

バイクの免許を取得し、同年10月から約一か月掛けて北アメリカ大陸を横断する企画を実行。その様子は『夕やけニャンニャン』内で逐一報告された。完走を遂げた際には「(交通)事故を起こすと芸能活動ができなくなるので、もうバイクには乗れません」と、涙ながらに発言。ビデオソフト「HELLO!アメリカ」(2004年にDVDソフト化)、写真集「EAGLE」などの形で商品化された。

1987年3月、『夕やけニャンニャン』およびおニャン子クラブを卒業[1]。卒業当日、「おニャン子の想い出を缶詰に入れ、冷蔵庫に入れて保存しておきたいですっ!」と述べた[14] が、後にこの時のVTRを観たタモリから「缶詰に入れたら、何も冷蔵庫に入れる必要はないじゃないか」という突っ込みを入れられる[要出典]

卒業時、『夕やけニャンニャン』とおニャン子クラブのブームは峠を過ぎていたが、ソロとしての国生さゆりはアイドル絶頂期にあり、卒業直後には初主演映画『いとしのエリー』が劇場公開[1]。三浦友和と共演できたことは嬉しかったといい、山口百恵と三浦友和が出演していたアーモンドチョコレートの販促用下敷きを「今でも実家で大切にしてます」と話した思い出を後に語っている[8]。また同年5月に『キスより簡単』で連続ドラマ初主演を果たすなど、卒業後もその活動の勢いは続いた。

そして、同年8月の『夕やけニャンニャン』番組終了時まで他の卒業したメンバーらと幾度もゲスト出演し、おニャン子クラブの解散コンサートにも出演するなど、実質的には最後まで関わっていた。

==


2002年、おニャン子クラブの再結成に参加。シングル「ショーミキゲン」では、おニャン子クラブの楽曲ではじめてフロントボーカルを担当した。

2003年8月に中学時代の同級生だった一般人男性と離婚。その後、1年間ほどのブランクを経て再び同棲する関係になっていたことが2007年6月になって報道されたが[15]、2008年8月になって再び同棲が解消されていると報道された[16]

2007年2月13日にテレビ朝日系列で放送された『ロンドンハーツ』ではドッキリ企画として番組内のライブで21年ぶりに「バレンタイン・キッス」をデビュー当時の衣装とポニーテールの髪型で再現。ライブ当日での急遽出演依頼であったため、感涙していたと同時にもう少しレッスン時間が欲しかったと伝えていた。「バレンタイン・キッス 2007」と銘打った新録音バージョンをインターネット配信で発表した。


1980年代のアイドルの中で、中森明菜、小泉今日子、斉藤由貴に影響を受けていた。特に斉藤に関してはカルピスのCMで、セーラー服に赤いストールを巻いて雪の中にいるというシーンが綺麗に見え、デビュー前であった国生は非常に感銘を受けたという。

中学入学後はバレーボール部に入ったが、バレーの選手としては背が低かったことと、陸上部の先生から誘われたことで、中学1年の2学期から陸上部に転じ、以後は陸上競技に打ち込む。100メートルのベストタイムは12秒8[17]。「12.8秒。これが私の青春です」と1987年3月のおニャン子クラブの卒業式の記念プロモにて自らが語るほどであった。また1986年2月、TBS系ザ・ベストテン』において(デビュー曲『バレンタイン・キッス』がランクインした時)司会の小西博之[注 1] と100メートル走の競走という企画があった。



タレントでは勝俣州和星田英利ココリコ遠藤章造ダイノジ大地洋輔などがファンだったと告白している。星田の証言によると、おニャン子クラブ時代の親衛隊のメンバーは、暴走族ヤクザ風の人間といった、いわゆる「気合の入った方達」ばかりだったとのこと[18]

前述の通り、高校を卒業しおニャン子メンバーになる前は、資生堂の美容部員での就職が決定していた[7]。しかしおニャン子メンバーになった後に、資生堂の競合他社であるカネボウの1986年秋のキャンペーンガールとしての話があった時、国生は「(カネボウに)選出していただいたのは光栄だが、資生堂に何か申し訳ない気持ちは多少有ります」と語っていた[19]

最近では女優業のほかに、NHK-BS2の番組『アニメ夜話』に3回にわたって出演した(『BSアニメ夜話スペシャル とことん!あしたのジョー』を含めると4回)。『ルパン三世 カリオストロの城』の回では唐沢俊一と討論した。

好きなアニメ監督は宮崎駿押井守ウォルト・ディズニーなど。『アニメギガ・スペシャル とことん!押井守』にも出演した。最も好きな押井守作品は『Avalon』である。

趣味はゴルフ。「週刊ゴルフダイジェスト」に隔週で対談の連載を設けていた(2006年〜2010年)。

日本酒サービス研究会・酒匠研究会連合会認定焼酎アドバイザー。

出演

テレビドラマ

太字は主演作品

映画

テレビ番組

(レギュラー、準レギュラーのみ)

配信番組

オリジナルビデオ

  • 獣のように(1990年・1992年 全3作、東映ビデオ) - 桃子 役
  • 大災難(1995年、徳間ジャパンコミュニケーションズ) - マリ 役

ラジオ

アニメ

CM

音楽

シングル

発売日 タイトル B面曲 オリコン最高位
1 1986年2月1日 バレンタイン・キッス
(国生さゆり with おニャン子クラブ)
恋はRing Ring Ring 2位
2008年1月16日 バレンタイン・キッス2008 バレンタイン・キッス2007 135位
2 1986年5月10日 夏を待てない サンバを躍らせて 1位
3 1986年8月14日 ノーブルレッドの瞬間とき もう一度走って恋人よ
4 1986年12月3日 あの夏のバイク 夜明けまで"Happy Birthday"
5 1987年3月11日 星屑の狙撃手スナイパー こわれた太陽 2位
6 1987年5月28日 ソレ以上、アレ未満 ノンフィクションしたい
7 1987年10月1日 恋は遠くから コルドンブルー・ジェラシー風味あじ 9位
8 1988年4月30日 ガラスの森 WAIT! 34位

配信限定シングル

配信日 タイトル
1 2007年1月17日 バレンタイン・キッス2007

アルバム

オリジナルアルバム

発売日 タイトル オリコン最高位
1 1986年7月16日 PEP TALK 2位
2 1987年2月1日 BALANCE OF HEART
3 1988年6月22日 SUMMERSNOW 44位
4 1989年10月21日 さかな

ベストアルバム

発売日 タイトル 備考 オリコン最高位
1 1987年8月1日 TRANSIT -SAYURI KOKUSHO BEST- FM風のDJが挿入されるエディットが施されたベストアルバム。 12位
2 1988年7月21日 愛執 -Still Loving- CBSソニーから発売された8cmCDサイズのミニベスト・アルバムシリーズ「My Favorite Songs」のひとつとしてリリースされた。
3 1997年7月1日 国生さゆり ベストコレクション CD選書の企画ベスト・アルバム「スター・コレクション・シリーズ」のひとつとしてリリースされた。
4 2002年11月20日 GOLDEN☆BEST 国生さゆり SINGLES 各レコード会社の企画ベスト・アルバムシリーズ「ゴールデン☆ベスト」のひとつとしてリリースされた。
5 2015年4月29日 ゴールデン☆アイドル デラックス 国生さゆり 各レコード会社の企画ベスト・アルバムシリーズ「ゴールデン☆アイドル デラックス」のひとつとしてリリースされた。
全シングルレコードAB面16曲を収めたCDと、ビデオ・LDで発表されていた「HELLO! アメリカ」「ファーストコンサート DASH! KOKUSHO」の他、出演したCMなどの映像作品を収めたDVDとの2枚組 [1]

合同ベストアルバム

発売日 タイトル 備考 オリコン最高位
1 2010年04月28日 GOLDEN☆BEST 河合その子・国生さゆり・城之内早苗・渡辺美奈代・渡辺満里奈 各レコード会社の企画ベスト・アルバムシリーズ「ゴールデン☆ベスト」のひとつとしてリリースされた。
当時、CBSソニーに在籍していたおニャン子クラブのメンバーのソロ楽曲を収録したベストアルバム。

参加作品

発売日 タイトル 楽曲 オリコン最高位
1996年4月17日 Can't Stop My Heart McKee名義 28位
2012年10月31日 VOICE 2 John-Hoonのアルバム
愛が生まれた日」をデュエット
22位

映像作品

発売日 タイトル 備考
1 1986年12月12日 HELLO! アメリカ 堤幸彦が監督を務めた。
2004年9月23日 DVDにフォーマットを変えて再発売
2 1987年4月1日 ファーストコンサート DASH! KOKUSHO
2004年7月22日 DVDにフォーマットを変えて再発売

タイアップ曲

楽曲 タイアップ
バレンタイン・キッス フジテレビ系『月曜ドラマランド』エンディングテーマ
ノーブルレッド瞬間とき '86 カネボウ 秋 プロモーション イメージソング
ソレ以上、アレ未満 フジテレビ系ドラマ『キスより簡単』主題歌
恋は遠くから フジテレビ系木曜劇場女も男もなぜ懲りない』主題歌
ガラスの森 エスキモーアイスクリーム「チェリオ」CMソング

書籍

  • 国生さゆり EAGLE(渡辺達生・撮影、1986年、フジテレビ出版) - 写真集
  • THE BLUE HEARTS「1000の証拠」(月刊宝島編集部・編、1989年JICC出版局) - 寄稿
  • NHKドラマ・ガイド ぴあの(1994年NHK出版) - インタビュー収録。國生さゆり名義
  • CanCam別冊 噂の化粧品 売れてるコスメ大図鑑(1995年小学館) - インタビュー収録
  • 宮藤官九郎のビガーパンツはもう穿かない!(宮藤官九郎・著、2003年集英社) - 対談収録
  • ロンドンハーツ 魔性恋愛図鑑(2004年、テレビ朝日コンテンツ事業部) - 格付けメンバーの座談会収録
  • フォンチー写真集 FON FONCHI(河野英喜・撮影、2008年スコラマガジン) - オビ推薦文
  • 国生体操 身体を整えることは、心を整えること(2017年、トランスワールドジャパン)

ウェブ連載

  • 東スポWeb(2012年8月22日 - 、東京スポーツ新聞社) - 「国生さゆりのニャンたま事件簿」を連載[24]

CDマガジン

脚注

注釈

  1. ^ 小西自身は、サイクリングボクシングスキー野球乗馬合気道と言ったスポーツの趣味や、特技を持っている。
  2. ^ 番組の企画で、アトランタオリンピック聖火ランナーを体験。前走者はシェイプUPガールズ梶原真弓
  3. ^ 単独で「懺悔花」「番町皿屋敷」、共同で「鈴の音」「もう半分」「雪女」を担当。

出典

参考ウェブサイト

外部リンク

  1. ^ a b c d e 別冊宝島2611『80年代アイドルcollection』p.76.
  2. ^ https://www.vip-times.co.jp/?talent_id=W93-1149
  3. ^ a b c d e f g h BOMB 1986年4月号「巻頭大特集 国生さゆり」
  4. ^ a b c 国生 さゆり プロフィール - Sony Music Artists
  5. ^ 国生さゆりのニャンたま事件簿〈連載2〉上:東スポWEB
  6. ^ a b “広島県呉市”. 国生さゆりオフィシャルブログ. (2016年11月16日). https://lineblog.me/kokusho_sayuri/archives/13093233.html 
  7. ^ a b c d e 国生さゆりのニャンたま事件簿〈連載3〉下国生さゆりのニャンたま事件簿〈連載4〉上国生さゆりのニャンたま事件簿〈連載4〉下
  8. ^ a b c d e f g h 別冊宝島2611『80年代アイドルcollection』p.6-9.
  9. ^ a b c d 国生さゆりのニャンたま事件簿〈連載5〉上国生さゆりのニャンたま事件簿〈連載5〉下
  10. ^ 国生さゆりのニャンたま事件簿〈連載6〉上
  11. ^ a b 国生さゆりのニャンたま事件簿〈連載7〉上国生さゆりのニャンたま事件簿〈連載7〉下国生さゆりのニャンたま事件簿〈連載8〉上国生さゆりのニャンたま事件簿〈連載8〉下
  12. ^ 国生さゆりのニャンたま事件簿〈連載11〉上国生さゆりのニャンたま事件簿〈連載11〉
  13. ^ 国生さゆりのニャンたま事件簿〈連載20〉国生さゆりのニャンたま事件簿〈連載8〉下
  14. ^ “【国生さゆり連載24】「思い出は冷蔵庫に」発言は本音”. 東京スポーツ. (2012年10月17日). https://www.tokyo-sports.co.jp/entame/47660/ 2018年7月10日閲覧。 
  15. ^ 「国生さゆりがロンハーで自ら復縁同棲を報告」オリコン2007年6月13日9時40分配信
  16. ^ 「国生さゆり03年離婚の元夫との再同居解消」日刊スポーツ2008年8月5日
  17. ^ 引用エラー: 無効な <ref> タグです。「東スポ2-2」という名前の注釈に対するテキストが指定されていません
  18. ^ 【国生さゆり連載21】推しメンめぐってファンが対立”. 東京スポーツ (2012年10月10日). 2018年7月11日閲覧。
  19. ^ カネボウCM出演時のBGMは、国生本人の歌う『ノーブルレッドの瞬間(とき)』であった。
  20. ^ ついていけない子さんを愛でる~SDGs&生理&サウナ 問題提起ドラマバラエティ~”. テレビ東京. 2021年1月24日閲覧。
  21. ^ “ヤヌスの鏡:進東健一役に白洲迅、小沢貴子役に国生さゆり 追加キャストが発表”. MANTANWEB. (2019年7月21日). https://mantan-web.jp/article/20190721dog00m200006000c.html 2019年7月21日閲覧。 
  22. ^ "『ボーダレス』第6話、奈緒(森田ひかる)と希莉(齊藤京子)の前に松宮製薬の2人が立ちはだかる". Real Sound. blueprint. 11 April 2021. 2021年5月4日閲覧
  23. ^ “野島伸司が“今どき女子”の結婚観と葛藤描く、松井愛莉主演ドラマがFODで配信”. ナタリー. (2021年7月28日). https://natalie.mu/eiga/news/438505 2021年7月28日閲覧。 
  24. ^ 【国生さゆり連載1】芸能界入りのきっかけは部活” (2012年8月22日). 2021年7月17日閲覧。