1999年の西武ライオンズ
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1999年の西武ライオンズ | |
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成績 | |
パシフィック・リーグ2位 | |
75勝59敗1分 勝率.560[1] | |
本拠地 | |
都市 | 埼玉県所沢市 |
球場 | 西武ドーム |
球団組織 | |
オーナー | 堤義明 |
経営母体 | コクド |
監督 | 東尾修 |
選手会長 | 鈴木健 |
スローガン | |
栄光へ、Hit!Foot!Get! | |
« 1998 2000 » |
1999年の西武ライオンズ(1999ねんのせいぶライオンズ)では、1999年シーズンの西武ライオンズの動向をまとめる。
この年の西武ライオンズは、東尾修監督の5年目のシーズンである。
概要
[編集]前年のドラフト1位で獲得した松坂大輔を投手陣ローテーションに組み込んで3連覇に挑んだシーズン。序盤はドミンゴ・マルティネスの退団の影響で攻撃力が低下の影響もあり混戦状態から抜け出せず6月末時点で首位ダイエーから6.5ゲーム差をつけれられていた。7月にようやく盛り返し、9月にはダイエーに一時期0.5ゲーム差まで接近し、3連覇が期待された。しかし打線の貧打などもあって一度も単独首位には立てず2位でシーズンを終えた。ルーキーの松坂は16勝と好成績を挙げ新人王を獲得したがマルティネスの後釜として期待されたアーキー・シアンフロッコとグレッグ・ブロッサーが不振でシーズン終了までもたず途中退団し緊急補強したアラン・ジンター、コーリー・ポールは好成績とは言いがたく[2]鈴木健・髙木大成の不調もチームの足を引っ張る形となってしまった。松坂の加入で層が厚くなった投手陣はダイエーと互角だったが、打撃陣では前述のように貧打にあえぎ淡泊な試合運びも目立った。それでも松井稼頭央が最多安打を獲得し初の2桁本塁打(15本)を記録したりかつての代打の切り札・垣内哲也が15本塁打と復調と明るい話題もあった。シーズン終了後V逸の責任を取り須藤豊ヘッドコーチ・土井正博打撃コーチ・伊原春樹内野守備走塁コーチが退団し、森繁和2軍投手コーチは解雇[3]、加藤初1軍投手コーチはフロント入りした。
チーム成績
[編集]レギュラーシーズン
[編集]開幕:4/3 | 5/1 | 6/1 | 7/1 | 8/1 | 9/1 | |||||||
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1 | 遊 | 松井稼頭央 | 遊 | 松井稼頭央 | 中 | 大友進 | 中 | 大友進 | 中 | 大友進 | 中 | 大友進 |
2 | 中 | 大友進 | 右 | 小関竜也 | 右 | 小関竜也 | 二 | 田辺徳雄 | 右 | 小関竜也 | 右 | 小関竜也 |
3 | 右 | 小関竜也 | 一 | 金村義明 | 遊 | 松井稼頭央 | 遊 | 松井稼頭央 | 遊 | 松井稼頭央 | 遊 | 松井稼頭央 |
4 | 一 | 鈴木健 | 三 | 鈴木健 | 指 | ジンター | 三 | 鈴木健 | 三 | 鈴木健 | 三 | 鈴木健 |
5 | 三 | シアンフロッコ | 左 | 垣内哲也 | 三 | 鈴木健 | 一 | 髙木大成 | 一 | 髙木大成 | 一 | 髙木大成 |
6 | 指 | ブロッサー | 指 | ブロッサー | 左 | 垣内哲也 | 指 | 平塚克洋 | 左 | 垣内哲也 | 指 | ポール |
7 | 左 | 垣内哲也 | 二 | 原井和也 | 一 | 髙木大成 | 左 | 垣内哲也 | 指 | ポール | 左 | 垣内哲也 |
8 | 捕 | 伊東勤 | 捕 | 伊東勤 | 捕 | 中嶋聡 | 捕 | 伊東勤 | 捕 | 伊東勤 | 捕 | 伊東勤 |
9 | 二 | 高木浩之 | 中 | 大友進 | 二 | 黒田哲史 | 右 | 小関竜也 | 二 | 高木浩之 | 二 | 原井和也 |
投 | 西口文也 | 投 | 潮崎哲也 | 投 | 石井貴 | 投 | 西口文也 | 投 | 豊田清 | 投 | 谷中真二 |
順位 | 4月終了時 | 5月終了時 | 6月終了時 | 7月終了時 | 8月終了時 | 最終成績 | ||||||
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1位 | 近鉄 | -- | ダイエー | -- | ダイエー | -- | ダイエー | -- | ダイエー | -- | ダイエー | -- |
2位 | ダイエー | 0.5 | 日本ハム | 0.0 | ロッテ | 2.5 | 西武 | 4.5 | 西武 | 4.5 | 西武 | 4.0 |
3位 | 日本ハム | 1.0 | ロッテ | 1.5 | 西武 | 6.5 | ロッテ | 7.0 | オリックス | 11.0 | オリックス | 10.5 |
4位 | ロッテ | 1.5 | 西武 | オリックス | 6.5 | オリックス | 6.5 | ロッテ | 12.0 | ロッテ | 15.5 | |
5位 | 西武 | 3.0 | 近鉄 | 2.5 | 近鉄 | 8.0 | 近鉄 | 8.0 | 日本ハム | 14.5 | 日本ハム | 18.5 |
6位 | オリックス | オリックス | 3.5 | 日本ハム | 9.5 | 日本ハム | 13.0 | 近鉄 | 17.5 | 近鉄 | 23.5 |
順位 | 球団 | 勝 | 敗 | 分 | 勝率 | 差 |
1位 | 福岡ダイエーホークス | 78 | 54 | 3 | .591 | 優勝 |
2位 | 西武ライオンズ | 75 | 59 | 1 | .560 | 4.0 |
3位 | オリックス・ブルーウェーブ | 68 | 65 | 2 | .511 | 10.5 |
4位 | 千葉ロッテマリーンズ | 63 | 70 | 2 | .474 | 15.5 |
5位 | 日本ハムファイターズ | 60 | 73 | 2 | .451 | 18.5 |
6位 | 大阪近鉄バファローズ | 54 | 77 | 4 | .412 | 23.5 |
1999 サンヨー オールスターゲーム
[編集]→詳細は「1999年のオールスターゲーム (日本プロ野球)」を参照
監督 | ファン投票 | 監督推薦 |
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東尾修 | 松坂大輔 髙木大成 高木浩之 松井稼頭央 |
西口文也 石井貴 伊東勤 中嶋聡 大友進 |
できごと
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
選手・スタッフ
[編集]表彰選手
[編集]リーグ・リーダー | |||
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選手名 | タイトル | 成績 | 回数 |
松坂大輔 | 新人王 | ||
最多勝利 | 16勝 | 初受賞 | |
松井稼頭央 | 最多安打 | 178本 | 初受賞 |
盗塁王 | 32個 | 3年連続3度目 |
ベストナイン | ||
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選手名 | ポジション | 回数 |
松坂大輔 | 投手 | 初受賞 |
松井稼頭央 | 遊撃手 | 3年連続3度目 |
ゴールデングラブ賞 | ||
選手名 | ポジション | 回数 |
松坂大輔 | 投手 | 初受賞 |
大友進 | 外野手 | 2年連続2度目 |
ドラフト
[編集]→詳細は「1999年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)」を参照
順位 | 選手名 | ポジション | 所属 | 結果 |
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1位 | 高山久 | 内野手 | 九州学院高 | 入団 |
2位 | 眞山龍 | 投手 | 仙台育英学園高 | 入団 |
3位 | 大島裕行 | 外野手 | 埼玉栄高 | 入団 |
4位 | 猪爪義治 | 投手 | 埼玉工業大学深谷高卒 | 入団 |
5位 | 貝塚政秀 | 捕手 | 三菱重工長崎 | 入団 |
6位 | 青木勇人 | 投手 | 同志社大学 | 入団 |
7位 | 後藤光貴 | 投手 | 大和銀行 | 入団 |
脚注
[編集]- ^ “年度別成績 1999年 パシフィック・リーグ”. 日本野球機構. 2017年4月15日閲覧。
- ^ シアンフロッコ(2本塁打)・ブロッサー(3本塁打)・ジンター(8本塁打)・ポール(12本塁打)の4人が同年に打った本塁打は合計25本塁打で、前年のマルティネス1人(30本塁打)より少なかった。
- ^ 週刊ベースボール、1999年11月1日号、P.36
- ^ 『2000 ベースボール・レコード・ブック』ベースボール・マガジン社、1999年。ISBN 4-583-03622-1。
- ^ “西武ライオンズ公式HP 背番号の歴史”. 埼玉西武ライオンズ. 2017年4月15日閲覧。
セントラル・リーグ | パシフィック・リーグ | ||||||
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優勝 | 中日ドラゴンズ | 2位 | 読売ジャイアンツ | 優勝 | 福岡ダイエーホークス | 2位 | 西武ライオンズ |
3位 | 横浜ベイスターズ | 4位 | ヤクルトスワローズ | 3位 | オリックス・ブルーウェーブ | 4位 | 千葉ロッテマリーンズ |
5位 | 広島東洋カープ | 6位 | 阪神タイガース | 5位 | 日本ハムファイターズ | 6位 | 大阪近鉄バファローズ |
:日本一 :日本シリーズ出場 | |||||||