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「下関駅」の版間の差分

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[[1889年]]の赤間関市発足時、当時の中心市街地は唐戸周辺に限定され、現在の駅周辺は純粋な[[港町]]であった。馬関駅開業 ([[1901年]]) 、駅舎現在地移転 ([[1942年]]) により中心市街地は西に拡大し、駅舎の東側に[[山口銀行]]本店が移転したこと ([[1965年]]) で駅周辺の経済的な拠点性は高まった。下関駅の西側には[[下関漁港]]があり[[捕鯨]]基地として栄えたが、商業捕鯨の縮小・停止および[[遠洋漁業]]の衰退にともなって下関漁港の盛況も影を潜めた。加えて、駅西側にあった[[下関大丸]]が[[シーモール下関]] ([[1977年]]) の核店舗の一つとして駅東側に移転したため、多くの人で賑わった駅西側はすっかり寂れることとなった。シーモールは下関市の内外から多くの客を集めたものの、人の流れは駅とシーモールの狭い範囲に限定したものであったため、結果的に駅東側周辺にあるグリーンモールや豊前田といった商店街の客をも奪う形となり、これら商店街の衰退をもたらした。近年、[[国鉄清算事業団]]の所有していた細江地区[[操車場 (鉄道)|貨物ヤード]]跡地の再開発が進み、[[山口県国際総合センター|海峡メッセ下関]]オープン ([[1996年]]) を皮切りに大型店舗等が進出した。
[[1889年]]の赤間関市発足時、当時の中心市街地は唐戸周辺に限定され、現在の駅周辺は純粋な[[港町]]であった。馬関駅開業 ([[1901年]]) 、駅舎現在地移転 ([[1942年]]) により中心市街地は西に拡大し、駅舎の東側に[[山口銀行]]本店が移転したこと ([[1965年]]) で駅周辺の経済的な拠点性は高まった。下関駅の西側には[[下関漁港]]があり[[捕鯨]]基地として栄えたが、商業捕鯨の縮小・停止および[[遠洋漁業]]の衰退にともなって下関漁港の盛況も影を潜めた。加えて、駅西側にあった[[下関大丸]]が[[シーモール下関]] ([[1977年]]) の核店舗の一つとして駅東側に移転したため、多くの人で賑わった駅西側はすっかり寂れることとなった。シーモールは下関市の内外から多くの客を集めたものの、人の流れは駅とシーモールの狭い範囲に限定したものであったため、結果的に駅東側周辺にあるグリーンモールや豊前田といった商店街の客をも奪う形となり、これら商店街の衰退をもたらした。近年、[[国鉄清算事業団]]の所有していた[[細江]]地区[[操車場 (鉄道)|貨物ヤード]]跡地の再開発が進み、[[山口県国際総合センター|海峡メッセ下関]]オープン ([[1996年]]) を皮切りに大型店舗等が進出した。


=== 商店・飲食店・娯楽施設 ===
=== 商店・飲食店・娯楽施設 ===

2009年6月6日 (土) 09:55時点における版

下関駅
東口(暫定復旧後)
しものせき
Shimonoseki
**幡生 (3.5 km)
(6.3 km) 門司**
所在地 山口県下関市竹崎町四丁目3-1
所属事業者 西日本旅客鉄道(JR西日本)*
九州旅客鉄道(JR九州)
日本貨物鉄道(JR貨物)
所属路線 山陽本線
山陰本線直通含む)
キロ程 528.1km(神戸起点)
京都から山陰本線経由で677.3 km
電報略号 セキ
駅構造 高架駅
ホーム 3面6線
乗車人員
-統計年度-
11,324人/日(降車客含まず)
-2007年-
開業年月日 1901年明治34年)5月27日
備考 みどりの窓口
* 会社境界駅(JR西日本管轄駅)
** 幡生方 - JR西日本
** 門司方 - JR九州
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構内(2003年8月10日)
構内
構内

下関駅(しものせきえき)は、山口県下関市竹崎町四丁目にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)・九州旅客鉄道(JR九州)・日本貨物鉄道(JR貨物)山陽本線である。

利用可能な鉄道路線

  • 西日本旅客鉄道(JR西日本)
  • 九州旅客鉄道(JR九州)
    • 山陽本線(門司方面)

旅客営業では他社境界駅であるが、当駅自体はJR西日本が管轄し、ホーム・駅舎の管理および駅業務を担当する。

概要

路線上は山陽本線の中間駅だが、JR西日本下関地域鉄道部下関車両管理室があり、かつJR西日本・JR九州との境界駅でもあるため、山陽本線山陰本線の基点的存在となっており、当駅に乗り入れるJR西日本の普通列車は原則として全て当駅を始発・終着としている。2009年3月14日以降、当駅を跨いで運転される列車も設定されていない。

会社境界は関門トンネルの下関側入口付近にあり、駅構内はJR西日本の所属になる。

かつては「にちりん」「いそかぜ」等の特急列車、多数の東京大阪~九州間のブルートレインが発着していたが、、2009年3月14日(当駅基準)の下り「富士はやぶさ」を最後に現在は当駅にやってくる定期優等列車はない。

JR九州の列車は415系電車で運転されており門司駅を経由して小倉駅まで直通する運転が大半を占め、一部の列車は小倉駅経由で日豊本線行橋宇佐方面)や鹿児島本線博多方面)へ乗り入れる。この中には長崎本線を経て佐世保線早岐駅長崎県佐世保市)まで乗り入れる列車もある。

2009年3月までは半数以上の列車が小倉駅から日豊本線に入っていたため、実質的には日豊本線の運転系統上の起点駅ともなっていたが、2009年3月のダイヤ改正により、日中の日豊本線の列車は小倉駅始発が基本となるため、当駅からの九州方面の日中の列車は下関 - 小倉間の折り返し運転となった。

かつては小倉方面の路線(鹿児島本線日豊本線長崎本線)へ直通する普通列車が新山口駅(一部は宇部線経由も)から運行されていたが、2005年10月のダイヤ改正で全廃(同時に山陰本線から関門トンネルに入る列車も廃止)された。

山陽新幹線は下関駅を経由していないが、新幹線の停車駅である新下関駅小倉駅とは山陽本線、鹿児島本線を用いて8~15分程度で行き来出来る。下関駅でも新下関駅・小倉駅の新幹線時刻表が掲示されているが、全般的には全列車が停車する小倉駅への利用者が多い。小倉駅から新幹線を利用する北九州市内発着の長距離切符や特別企画乗車券なども下関駅で販売されている(この場合門司までの乗車券が別途必要となり、下関駅にその旨の掲示がなされている)。なお、駅窓口はJR西日本管轄であり、JR九州独自の特別企画乗車券(2枚きっぷ・4枚きっぷなど)は発売されていない。

駅構造

高架駅で、島式3面6線のホームを持つ。隣接ホームや改札口との階段は北端のみにあり、1階に改札口が1ヶ所、出口が北口・西口・東口の3ヶ所ある。ホームと改札口の階段には全て上りエスカレータが併設されている。エレベーターは設置されていない。

のりば
3・4 (到着後入庫する列車の降車ホーム)
6 山陽本線(上り) 新下関宇部新山口方面
山陰本線 小串滝部長門市方面
7・8 山陽本線(下り) 門司小倉方面
山陽本線(上り) 新下関・宇部・新山口方面
山陰本線 小串・滝部・長門市方面
9 山陽本線(上り) 新下関・宇部・新山口方面
山陰本線 小串・滝部・長門市方面

東端の1番線が下り通過線、西端の10番線が上り通過線となっており、機回し線の2・5番線と共にホームが無い。従ってホームは3・4番線、6・7番線、8・9番線となる。なお、3・4番線は原則降車専用となっており、通常の乗降には残りの2面4線が多く用いられる。

なお、小倉方面と新山口・小串方面との乗り継ぎに配慮し、同一ホームでの乗り換えを原則とするダイヤとなっている(例外もあり)ことから、発車ホームは一定していない。よって、改札口上部の発車案内をよく確認する必要がある。

トイレは、3・4番線門司方、8・9番線新下関方にある。

三角屋根

下関旧駅舎(2002年8月22日撮影)

下関駅の三角屋根は歴史にもあるように1942年関門トンネル開通に伴い駅東口に建てられた建造物である。

市民や旅行者から愛着を持たれていたが、2006年1月に発生した下関駅放火事件により焼失。 古い建造物のため、幾度と補修等が施され、焼失前は下関の町並みを壊さない暖かみのある青色だった。主要駅の木造建築による三角屋根としては、焼失時点で最古のものだったと言われている。

振鈴

振鈴(しんれい)は、明治時代後期に駅で列車の発車の際に使われていた大型の鈴である。下関駅の振鈴は1901年の開業から代々引き継がれており、手振りの振鈴が現存するのはこの駅だけとなっていた。

2006年1月の下関駅放火事件により駅舎が焼損し、振鈴も行方不明となっていたが、事件から3日後の1月10日、がれきの下から発見された。木製の箱や取っ手は焼失し、金属製の部分はすすで黒こげになったものの、音色はそのままの状態に残されていた。焼けた部分は、三角屋根の焼け残った柱の一部を切り出して加工・修復し、事件の資料として下関駅にて保管されている。

自動改札機

2003年12月1日にJR西日本のアーバンネットワークエリア以外かつ中国地方では初めて自動改札機が設置された。これは、九州方面への利用客への利便性の確保のため(この時点で福岡県・佐賀県東部のJR九州主要駅には自動改札が導入されており、それまで下関からの利用客はこれらの駅でも有人集札口を利用せざるを得なかった)であり、福岡・北九州都市圏とのつながりが深いことから、下関駅にのみ単独で導入された。

ただし、上記のような経緯があるため、設置された自動改札機はJR九州の標準仕様(改札機の色はJR西日本の青)をベースにストアードフェアシステムICカードリーダーを省略したもの(下関駅はJR九州・福岡市地下鉄で発行している磁気式ストアードフェアカード・ワイワイカードのエリア外。また、2009年春導入予定のJR九州のICカード乗車券・SUGOCAも当面エリア外となる予定)となっており、他のJR西日本各駅の仕様と異なる。このこともあって、JR西日本で発行しているJスルーICOCAは使えない。2007年7月に広島シティネットワーク内および周辺の主要駅で自動改札機(アーバンネットワーク内と同様のJR西日本標準仕様)が導入され、これらの駅ではICOCAの使用が開始された(同時にPiTaPaSuicaなどが相互利用可能となる)が、下関駅では現在のところこれらとの互換性が図られる予定はない。

利用状況

  • 1日平均の乗車人員は11,324人である(2007年度)。山口県内のJRの駅の中では最も多い。

貨物駅

JR貨物の貨物駅は旅客駅の南側、下関港付近の下関市東大和町2丁目7-7に位置する。下関地域鉄道部下関車両管理室の本線をはさんで向かい側にある。

取扱貨物
駅構造
  • 2面のコンテナホーム、2本のコンテナ荷役線を有する。また営業窓口であるJR貨物下関営業所を併設する。
  • 下関港第二突堤へ続く構内側線が現存しているが、使用されていない。
  • 車両基地をU字状に回り込み、駅西側の岸壁に続く構内側線も存在する。この側線の終端付近が旧・下関港駅である。かつては港で陸揚げされた鮮魚を都市圏へ発送する機能を有していたが、こちらも現在使用されていない。

駅弁

  • ふくめし(冬季限定)
  • ふく寿司
  • デラックスふく寿司
  • そぼろ弁当 幸福来る
  • 壇ノ浦弁当
  • 早鞆の四季(要予約)
  • 幕の内弁当
  • 長州ファイブ
  • みすゞ潮彩弁当

歴史

当時は現在より東、細江町に位置していた。駅名は、当時の市名である赤間関(あかまがせき)の略称、「馬関」に由来する。当初より、対九州朝鮮半島連絡を担う拠点駅の位置づけをされ、関門連絡船関釜連絡船の発着駅となる。

駅周辺

下関駅西口交差点を中心にト字状(広域地図ではY字状)に幹線道路が通り、東 (北東) 方向に国道9号 (山陽本線と立体交差)、北西方面に国道191号、南方向に県道250号が走っている。下関駅西口交差点は国道9号終点・国道191号起点となっている。

下関駅周辺は『西部地区』ともよばれ、唐戸 (東部地区) ともに下関市の中心市街地を構成する。ただし中心業務地区と呼ぶべき区域は国道沿線(とくに国道9号沿線)に限定され、駅北側には丘陵地上に住宅地や低層商業地が混在し、南側には下関港下関漁港関連施設や車両基地が広がる。

シーモール、駅前バスターミナル
下関駅東側
(細江貨物ヤード跡西側)
海峡メッセ・ゆめ広場
(細江貨物ヤード跡東側)

1889年の赤間関市発足時、当時の中心市街地は唐戸周辺に限定され、現在の駅周辺は純粋な港町であった。馬関駅開業 (1901年) 、駅舎現在地移転 (1942年) により中心市街地は西に拡大し、駅舎の東側に山口銀行本店が移転したこと (1965年) で駅周辺の経済的な拠点性は高まった。下関駅の西側には下関漁港があり捕鯨基地として栄えたが、商業捕鯨の縮小・停止および遠洋漁業の衰退にともなって下関漁港の盛況も影を潜めた。加えて、駅西側にあった下関大丸シーモール下関1977年) の核店舗の一つとして駅東側に移転したため、多くの人で賑わった駅西側はすっかり寂れることとなった。シーモールは下関市の内外から多くの客を集めたものの、人の流れは駅とシーモールの狭い範囲に限定したものであったため、結果的に駅東側周辺にあるグリーンモールや豊前田といった商店街の客をも奪う形となり、これら商店街の衰退をもたらした。近年、国鉄清算事業団の所有していた細江地区貨物ヤード跡地の再開発が進み、海峡メッセ下関オープン (1996年) を皮切りに大型店舗等が進出した。

商店・飲食店・娯楽施設

観光

下関駅周辺から唐戸海響館など)・壇ノ浦までの区間が観光周遊コースとなっており、鉄道・船・徒歩で九州方面に移動することが可能

企業・金融機関

山口銀行本店
本社・本店
金融機関の支店
ほかの企業

国際航路

下関港国際ターミナル

その他

文教
公共施設
  • 下関市民会館
  • 下関市立中央図書館 - 文化会館跡に建設中
官公署・郵便局
主な宿泊施設
主なその他の施設
  • グランプラス セント・ヴァレンタイン
  • ヴェルタワー下関駅前 - 山口県内最高層のビル、3階以上は分譲マンション
    • しものせき市民活動センター など

駅前人工地盤

下関駅の東側には人工地盤が設けられている。下関駅は高架駅であり、一階に改札口・駅舎玄関があるため、駅を下車した利用客が人工地盤を利用する場合、ホームから改札口まで降りたのち、再び人工地盤に上がって移動することになる。下関駅と人工地盤をあわせて利用する者にとっては、無駄な上下移動をせねばならず、下関駅前人工地盤は構造的な難点を持っているといえる。1994年の完成当初、そうした構造上の難点に加え、人工地盤に直接接続する建物がないため、従来からある地下歩道を利用し続ける人が多く、人工地盤は閑散とした状況であった。のち、細江地区再開発事業の進行とともに、人工地盤が延伸されたり、接続口・昇降階段・エスカレーター等が増設されるにつれ、ある程度利便性が高まった。現在では、シーモールや下関港国際ターミナルなど駅周辺施設に直接接続するほか、シーモール経由で下関市民会館に行くことも可能となっている。 また、下関駅新駅舎のコンセプト図内の駅ビルには、人工地盤に入り口が設けられている。 なお、かつては人工地盤に対峙するところにデジタル時計塔 (下関市が設置・管理) があった。しかし、故障のため時計・天気予報が表示されなくなり、予算上の問題から修理されることなくしばらくの間放置された。やがて、時計盤の部分が撤去され、歓迎塔(2006年〈平成18年〉完成。四ヶ国語で「ようこそしものせきへ」と書かれている。)に生まれ変わり、現在に至っている。

バスターミナル

下関駅前バスターミナルに到着した「ふくふく大阪号」

東口駅前広場には出札窓口と12面の出発ホームを持つバスターミナルがある。(現在の形態に整備されたのは、駅前人工地盤設営とほぼ同時期である。)市内に本社を置くサンデン交通の運行上の拠点となっており、市内循環系統と市内~彦島直通系統を除くほとんどの系統が下関駅始発・終着となっている。下関駅終着便はバスターミナルに乗り入れず、国道9号上の山口銀行本店前の降車ホームが終点となる。なお、下関駅西口にもバス停留所があり、彦島方面行きのバスが停車する(逆に彦島方面から下関駅を終着とするバスは西口に停車しない。また殆どの利用者がダイエー裏口にある市民会館前で下車する)。

路線の詳細についてはサンデン交通の該当項目を参照のこと。

隣の駅

西日本旅客鉄道
山陽本線
山陰観光列車「みすゞ潮彩」(山陽本線内快速運転)
新下関駅 - 下関駅 (- 山陰本線長門市方面)
普通
幡生駅 - 下関駅
山陰本線
快速・普通(土休日の「みすゞ潮彩」の一部が快速運転)
幡生駅 - 下関駅
九州旅客鉄道
山陽本線
普通
下関駅 - 門司駅

関連項目

参考文献

  • 『下関駅百年--戦前の関門・山口の交通』斎藤哲雄著、新人物往来社、2001年

外部リンク

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