李強 (政治家)
李 強 李 强 | |
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生年月日 | 1959年7月23日(65歳) |
出生地 |
中華人民共和国 浙江省温州市瑞安県 (現:瑞安市) |
出身校 | |
所属政党 | 中国共産党 |
配偶者 | 林环 |
子女 | 1人 |
内閣 | 李強内閣 |
在任期間 | 2023年3月11日 - 現職 |
最高指導者 | 習近平 |
在任期間 | 2022年10月23日 | -
党総書記 | 習近平 |
内閣 | 龔正(副書記兼市長) |
在任期間 | 2017年10月29日 | - 2022年10月28日
内閣 | |
在任期間 | 2016年6月 | - 2017年10月
浙江省人民政府省長 | |
在任期間 | 2012年12月 | - 2016年6月
李強 | |
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プロフィール | |
出生: | 1959年7月 |
出身地: | 浙江省瑞安県 |
職業: | 政治家 |
各種表記 | |
繁体字: | 李強 |
簡体字: | 李强 |
拼音: | Lǐ Qiáng |
和名表記: | り きょう |
発音転記: | リー・チャン |
李 強(り きょう、中国語: 李 强、リー・チャン、1959年7月23日 - )は、中華人民共和国の政治家。第8代国務院総理、中国共産党中央政治局常務委員会委員[注 1]。中国共産党での序列は習近平党総書記に次ぐ第2位。元中国共産党上海市委員会の書記。習近平党総書記の側近であり習政権の実力者。
経歴
[編集]生い立ち
[編集]1959年7月に浙江省温州市所轄の瑞安県(現瑞安市)で農民の家庭に生まれ、1976年から同地で灌漑管理所、工具工場の職員となった。大学入試再開後の1978年に浙江省農業大学寧波分校(現:浙江万里学院)に入学、1982年に卒業。
浙江省
[編集]1983年に中国共産党員となり、浙江省瑞安県委の共青団幹部であった。1984年に浙江省民政庁に入庁した後、農村救済処副処長、処長、副庁長を歴任した。1996年は金華市党委常務委員として永康市党委書記を兼務。1998年に浙江省政府弁公庁副主任となった。2002年に温州市に戻り、市党委書記に就任。
2004年から2012年までの約7年間に浙江省党委員会の秘書長(事務総長)の職を担当し、特に2007年までは習近平(当時の省党委書記)に親しく仕えはじめた。
2011年から浙江省委員会副書記を歴任し、2012年12月から浙江省長を務めた。
江蘇省と上海市
[編集]2016年7月以降は江蘇省に転任し、省トップの党委書記及を務めた。2012年中国共産党第十八回全国代表大会(略:十八大)で候補委員となり、十八大七中全会において中央委員となり、そして2017年第十九回全国代表大会において中央政治局委員に選出され、トップ25の党指導部に入った[1][2][3]。
2017年10月29日、政治局常務委員に昇進した韓正の後任として、政治局員として上海市委書記を5年間務めた[4]。2022年の春、国の「ゼロコロナ」政策を受けてロックダウンを余儀なくされた上海で、李は視察中に住民から抗議を受けて面罵される一幕もあった[5]。
最高指導部
[編集]2022年10月の中国共産党第二十回全国代表大会において7人の最高指導部に入り、習近平総書記に次ぐ党内序列第2位となった。そのため、翌2023年3月に国務院総理に選出されることがほぼ確定[6]。
2023年3月11日の全国人民代表大会全体会議では賛成2,936、反対3、棄権8票で国務院総理(首相)に選出された[7]。同年6月23日には総理就任後初の外遊として、ドイツとフランスを公式訪問。オラフ・ショルツ首相やエマニュエル・マクロン大統領と両国の関係強化についての会談を行った[8]。
2024年3月4日の婁勤倹報道官による記者会見で、歴代総理が行ってきた全国人民代表大会閉幕後の首相定例記者会見を行わないことが発表される[9]。
学歴
[編集]1978年から1982年にかけて、浙江省農業大学寧波分校農業機械科に在籍した。
1985年から1987年の間に中国社会学函授大学(社会人大学)で社会学に専攻した。
1995年から1997年の間に浙江大学大学院課程進修クラスの管理工程専攻で学んだ。
2001年から2004年の間に中央党校社会人院生コースの世界経済専攻で学んだ。
2003年から2005年の間に香港理工大学管理学院工商管理専攻で学び、経営管理修士号を取得[10]。
人物・政策
[編集]故郷の温州市は商業風土が濃厚な地域として知られている。就任後の記者会見では若い時期から故郷の起業家精神に励まされていると自ら述べた[11]。
浙江省副書記時代には対外友好協会の会長も兼務した。2012年に起きた反日デモを受け、9月に訪中した福井県の文化交流団の受け入れ体制が李の指示により、安全面を配慮する形で変更された[12]。
習近平総書記への忠誠を貫徹しながらも、民間経済重視と評されてきた[13]。上海勤務時代ではテスラの誘致に力を注いだという[14]。ジャーナリストの鄧聿文は歴代国務院総理の中で李は影響力が小さく、完全に李が習近平総書記の秘書に化したと指摘している。鄧は習政権において、総理の地位低下が起きていると述べた[15]。
注釈
[編集]- ^ 新型コロナウイルス感染症対策領導小組組長、中央国家安全委員会、中央網絡安全和信息化委員会、中央全面深化改革委員会、中央全面依法治国委員会、中央審計委員会、中央軍民融合発展委員会の副主席と副主任を兼務している。
出典
[編集]- ^ “李強同志簡歴”. 2017年11月7日閲覧。
- ^ “李強同志簡歴”. 2017年11月7日閲覧。
- ^ “中国共产党第十九届中央委员会第一次全体会议公报”. 2017年11月7日閲覧。
- ^ “上海等3省市党委主要负责同志职务调整”. 2017年11月7日閲覧。
- ^ “「ゼロコロナ」中国に逆風 経済打撃、市民に不満「独り負けに」”. 西日本新聞me. 2022年10月29日閲覧。
- ^ “習近平氏、3期目指導部が発足 首相候補に李強氏”. 日本経済新聞. (2022年10月23日) 2022年10月23日閲覧。
- ^ “中国新首相に李強氏を選出”. ロイター. (2023年3月11日) 2023年3月14日閲覧。
- ^ “中国の李強首相、初外遊でドイツ・フランスを訪問 財界人とも懇談、欧州の経済安保案をけん制”. 東京経済新聞. 2024年7月9日閲覧。
- ^ “中国 あすから全人代 恒例の閉幕後 首相会見 行わないことに”. NHK Newsweb. 2024年7月9日閲覧。
- ^ “李强同志简历-新华网”. www.xinhuanet.com. 2023年4月6日閲覧。
- ^ “李强总理力挺的“四千精神”溯源:来自民间,发端于温州等地”. export.shobserver.com. 2023年4月6日閲覧。
- ^ “中国の李強新首相、地方から異例の出世 後ろ盾は習近平氏 - 日本経済新聞”. www.nikkei.com. 2023年4月6日閲覧。
- ^ Wong, Keith Zhai / Chun Han. “中國二把手李強:親商務實還是對黨忠誠?” (中国語). 華爾街日報中文網. 2023年4月6日閲覧。
- ^ “(全人代2023)李強氏「民間重視」アピール 地方時代、IT支援注力・テスラ工場誘致:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル (2023年3月14日). 2023年4月6日閲覧。
- ^ “習近平視察雄安李強跟隨 分析指總理淪為小角色”. 中央通信社. 2024年7月9日閲覧。
関連項目
[編集]中国共産党党職 | ||
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先代 韓正 |
中国共産党上海市委員会書記 2017.10-2022.10 |
次代 陳吉寧 |
先代 羅志軍 |
中国共産党江蘇省委員会書記 2016.06-2017.10 |
次代 婁勤倹 |
公職 | ||
先代 李克強 |
中華人民共和国国務院総理 2023年 - |
次代 現職 |