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「国務大臣」の版間の差分

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{{Otheruseslist|日本の国務大臣|各国の大臣|大臣|1940年から2001年にかけての日本の歴代内閣で「国務大臣」と呼称された閣僚の一覧|無任所大臣 (日本)|モナコの国務大臣|国務大臣 (モナコ)}}
'''国務大臣'''(こくむだいじん)とは、[[内閣]]を構成する[[大臣]]のことを指す。
{{日本の統治機構}}
[[ファイル:Fumio Kishida Cabinet 20230913 kakugi 1.jpg|サムネイル|[[第2次岸田内閣 (第2次改造)|第2次岸田第2次改造内閣]]発足時に[[閣議 (日本)|閣議]]の前に応接室に集う国務大臣]]
'''国務大臣'''(こくむだいじん、{{lang-en-short|Minister of State}}<ref>{{Cite web |date= |url=https://www.cas.go.jp/jp/gaiyou/eibun/index.html |title=内閣官房組織等英文名称一覧 |publisher=内閣官房 |accessdate=2020-10-18}}</ref>)は、[[日本]]の[[内閣 (日本)|内閣]]の構成員である。[[内閣総理大臣]]を除く国務大臣は内閣総理大臣が任命し、[[天皇]]が[[認証]]する[[特別職|特別職国家公務員]]である。国務大臣は[[文民]]でなければならない。'''[[閣僚]]'''(かくりょう)または'''閣員'''(かくいん)とも称される<ref>{{コトバンク|閣員}}</ref>。


==概説==
'''閣僚'''、'''閣員'''とも言われる。
=== 法令上の「国務大臣」の概説 ===
法令上の「国務大臣」は、広義には内閣総理大臣を含む閣僚すべてを指し、狭義には内閣総理大臣以外の閣僚をいう。さらに狭義として、事項に述べるように、主管官庁をもつ行政大臣に対しての[[無任所大臣]]等を指す解釈もある。


そして、広義の意味で「国務大臣」の語が用いられている例としては、[[日本国憲法第63条]]や[[日本国憲法第66条]]第1項および同条第2項などがある。これらの条文では「内閣総理大臣その他の国務大臣」と表現されており、「国務大臣」の概念が内閣総理大臣たる国務大臣とその他の国務大臣の双方を含む意味で用いられている。
== 資格 ==
[[内閣総理大臣]]と国務大臣は憲法上[[文民]]でなければならず、その過半数を[[国会議員]]にて構成しなければならない。


狭義の意味で「国務大臣」の語が用いられている例としては、[[日本国憲法第68条]]第1項や同条第2項などがある。たとえば日本国憲法第68条第1項前段は「内閣総理大臣は、国務大臣を任命する」と規定しているが、内閣総理大臣はそもそも国会の指名に基づいて天皇により任命されるため([[日本国憲法第6条]]第1項)、日本国憲法第68条第1項前段の「国務大臣」には内閣総理大臣は含まれないことになる。
[[日本国憲法]]第63条において
*内閣総理大臣が、任命する。その過半数は国会議員の中から選ばれる。
*内閣総理大臣が、任意に罷免する。と規定されている。


なお、[[s:内閣法#2|内閣法第2条]]第2項で、「国務大臣の数は、14人以内とする。ただし、特別に必要がある場合においては、3人を限度にその数を増加し、17人以内とすることができる」とされるが、[[#特別法による特例|後述]]の通り、特別法により増員されることもある。また、[[s:内閣法#3|内閣法第3条]]第2項は「行政事務を分担管理しない大臣の存することを妨げるものではない」として[[無任所大臣 (日本)|無任所大臣]]を置くことを認めているが、[[主任の大臣]]ではない国務大臣には法律上の正式な呼称がない(詳細については無任所大臣の項目の「新憲法下における『無任所国務大臣』」の節を参照のこと)。そのため、内閣の構成員の一覧表などでは、主任の大臣以外の国務大臣については単に「国務大臣」となっている場合がある。
== 任命 ==
一般的に国務大臣という場合には[[内閣総理大臣]]を含めていうときとそうでないときがある。[[内閣総理大臣]]は[[国会]]の議決により指名され、[[天皇]]から任命される(親任式)。


=== 国務大臣と行政大臣 ===
[[内閣総理大臣]]以外の国務大臣は[[内閣総理大臣]]により任命され、[[天皇]]から認証される([[認証官]]任命式)。なお、宮中の親任式及び認証官任命式で授与される「官記」は単に[[内閣総理大臣]]又は国務大臣としての任命・認証であり、どの行政事務を担当するかの辞令(例:「総務大臣を命ずる」)は式後に[[首相官邸|官邸]]で[[内閣総理大臣]]から発令される(これを「補職」・「補職辞令」という。)。
行政学などでは講学上、国務大臣と行政大臣に分けて論じられる場合がある。行政大臣は主任の大臣とも呼ばれ、各省の長として特定の行政分野を担当している国務大臣を指す。特定の行政分野を分担管理するわけではない内閣官房長官、デジタル大臣、復興大臣、国家公安委員会委員長、内閣府特命担当大臣、[[無任所大臣 (日本)#旧憲法下における「班列」と「無任所国務大臣」|班列]]に対する概念である。


内閣は国の行政権を一体として担当する[[合議体]]であるため、構成員たる国務大臣は、その分担管理する行政事務にかかわらず、国務および外交全体について評議し、議決に加わることになる。内閣法には、すべての国務大臣は「案件の如何にかかわらず、議案を[[閣議 (日本)|閣議]]に提出することができる」趣旨の規定がある。しかし、実際の運用としては、主任の大臣以外の国務大臣が閣議を請議することはない。たとえば内閣府特命担当大臣の場合、内閣府の主任の大臣である内閣総理大臣に議案を上申したうえで、内閣総理大臣が閣議を請議することになる。
外交上の敬称としては交渉国との間で主に大臣閣下という敬称と本官に相当する本大臣という自称で呼び合うこととなっている。また、防衛をはじめ有事に携わる部隊を所管する大臣はその就退任に[[栄誉礼]]を受ける。


== 権限 ==
== 地位と任免 ==
国務大臣は在任中、[[内閣総理大臣]]同意なくして逮捕されない。律及び政令には国務大臣の署名を必要とするなど様々な制約や権がある。
国務大臣は行政権属する内閣の構成員である(日本国憲第66条)。国務大臣の身分は[[国家公務員法]]第2条第3項において、別職の[[国家公務員]]とされる。


=== 任命 ===
現在、内閣はじめ省庁における大臣以下の政治ポストはかつての政務次官が[[副大臣]]や[[大臣政務官]]などに再編され、省内における政治任用職も増えたことで、政治主導の流れを強くしつつある状況にある。総理以外の大臣秘書官は定数1名で官庁の外から政治的任用される(通例はその大臣の選挙区の後継予定者であることが多い)。
[[ファイル:Emperor Akihito Letter of Attestation 20110114.jpg|thumb|200px|国務大臣の官記の例([[江田五月]]に対する国務大臣の官記。内閣総理大臣[[菅直人]]により任命され[[上皇明仁|天皇]]により認証されている)]]
[[ファイル:Naoto Kan Letter of Appointment 20110114.jpg|thumb|200px|法務大臣の補職辞令の例(国務大臣江田五月に対する法務大臣の補職辞令。内閣総理大臣菅直人により発令されている)]]
先述のように一般的に国務大臣という場合には内閣総理大臣を含めて指す場合とそうでない場合があり、両者で任命の主体と手続が異なる。


内閣総理大臣は[[国会 (日本)|国会]]の議決により指名され([[内閣総理大臣指名選挙]]、[[日本国憲法第67条]]第1項)、その国会の指名に基づいて[[天皇]]によって任命され(日本国憲法第6条第1項)、[[親任式]]が行われる。内閣総理大臣は[[文民]]でなければならない([[日本国憲法第66条]]第2項)。
当該省庁の職員も大臣秘書官と呼ばれるポストに就いて大臣を補佐するが、これは厳密には大臣秘書官事務取扱といい、正規の法定秘書官ではない。大臣以下副大臣・政務官の品位と倫理を維持するため、大臣規範などを定め、汚職の防止や兼職の禁止など自律的な制約を定めている。


内閣総理大臣の任命について定める日本国憲法第6条には[[日本国憲法第7条]]とは異なり「内閣の助言と承認」の文言がないが、内閣総理大臣の任命は[[日本国憲法第4条]]の「この憲法の定める国事に関する行為」に含まれるため、[[日本国憲法第3条]]の効果として内閣の助言と承認を要する<ref name="satou-(1)-69-70">佐藤功著 『新版 憲法(上)』 有斐閣、1983年、69-70頁</ref><ref>[[樋口陽一]]・[[中村睦男]]・[[佐藤幸治 (憲法学者)|佐藤幸治]]・[[浦部法穂]]著 『注解法律学全集3 憲法Ⅰ(前文・第1条~第20条)』 [[青林書院]]、1994年、96頁</ref>。先例では内閣総理大臣の任命については[[日本国憲法第71条]]の規定により、従前の内閣が助言と承認を行うことになっている。この内閣総理大臣の任命によって、従前の内閣はその地位を完全に失うことになる(日本国憲法第71条)<ref>樋口陽一・中村睦男・佐藤幸治・浦部法穂著 『注解法律学全集3 憲法Ⅲ(第41条~第75条)』 青林書院、1998年、229頁</ref>。内閣総理大臣の任命においては[[衆議院議長]]および[[参議院議長]]の列席の下で'''任命式'''が行われる<ref>佐藤功著 『新版 憲法(上)』 有斐閣、1983年、70頁</ref>(実際の例では内閣総理大臣を任命する儀式として'''親任式'''が行われる<ref>[https://www.kunaicho.go.jp/about/gokomu/kyuchu/others/shinninshiki.html 親任式] 宮内庁</ref>)。
== 一覧 ==

[[内閣法]]では[[内閣総理大臣]]を除く国務大臣の数は原則14人とされ、必要であればさらに3人まで任命できることとなっている。
内閣総理大臣以外の国務大臣は内閣総理大臣により任命され(日本国憲法第68条第1項本文)、[[天皇]]によって認証される(日本国憲法第7条第5号)。「認証」は対象となる行為が権限ある機関によって正当な手続を経て行われた事実を確認し、公証する行為である<ref name="abe-34">[[阿部照哉]]著 『青林教科書シリーズ 憲法 改訂』 青林書院、1991年、34頁</ref><ref>佐藤功著 『新版 憲法(上)』 有斐閣、1983年、91頁</ref><ref>樋口陽一・中村睦男・佐藤幸治・浦部法穂著 『注解法律学全集3 憲法Ⅰ(前文・第1条~第20条)』 青林書院、1994年、119頁</ref>。認証には内閣の助言と承認を要するが(日本国憲法第7条第5号)、新内閣の成立時においては、性質上、それは新たに任命された内閣総理大臣のみによって行われることになる<ref>佐藤功著 『新版 憲法(上)』 有斐閣、1983年、56頁</ref>。国務大臣の認証においては'''認証式'''が行われる<ref>佐藤功著 『新版 憲法(上)』 有斐閣、1983年、88頁</ref>。実際の例では天皇の認証を必要とする国務大臣などの[[認証官]]の任命式については'''認証官任命式'''という形で行われ<ref>[https://www.kunaicho.go.jp/about/gokomu/kyuchu/ninshokan/ninshokan.html 認証官任命式] 宮内庁</ref>、内閣総理大臣による任命において天皇が辞令に親署するという形式で認証が行われる<ref name="abe-34"/><ref>樋口陽一・中村睦男・佐藤幸治・浦部法穂著 『注解法律学全集3 憲法Ⅰ(前文・第1条~第20条)』 青林書院、1994年、96頁</ref>。
* [[内閣総理大臣]] - [[国会]]から指名される内閣の[[首長]]。[[内閣府]]の長。

宮中の親任式および認証官任命式で授与される「官記」は、単に内閣総理大臣または国務大臣としての任命・認証であり、どの行政事務を分担管理するかの辞令(例:「総務大臣を命ずる」)は式後に[[内閣総理大臣官邸|首相官邸]]で内閣総理大臣から発令される(国務大臣に何らかの官職を命ずることを「補職」といい、その補職の辞令を「補職辞令」という)。その他の国務大臣も内閣総理大臣と同様に文民でなければならない(日本国憲法第66条第2項)。

国務大臣の過半数は[[日本の国会議員|国会議員]]にて構成しなければならない(日本国憲法第68条但書)。内閣の構成上の要件とされる<ref name="satou-(2)-839">佐藤功著 『新版 憲法(下)』 有斐閣、1984年、839頁</ref>。ここでいう「過半数」は国務大臣の定数の過半数ではなく、現在する国務大臣の過半数を意味する<ref>樋口陽一・中村睦男・佐藤幸治・浦部法穂著 『注解法律学全集3 憲法Ⅲ(第41条~第75条)』 青林書院、1998年、217頁</ref>。内閣を構成する国務大臣の過半数が国会議員であれば足り、国務大臣が国会議員の地位を失っても当然に国務大臣の地位を失うわけではない<ref>樋口陽一・中村睦男・佐藤幸治・浦部法穂著 『注解法律学全集3 憲法Ⅲ(第41条~第75条)』 青林書院、1998年、218頁</ref>。ただし、内閣総理大臣は国会議員であることを在職要件とされている<ref group="注釈">国会議員資格を喪失した内閣総理大臣の地位について法律では明記されていないが、2000年4月25日に参議院予算委員会で内閣法制局長官は『「内閣総理大臣が国会議員たる地位を失った場合」は「内閣総理大臣が欠けたとき」に該当する』と答弁し、また[https://www.kantei.go.jp/jp/rekidai/1-2-1.html 首相官邸のHP]では内閣総理大臣が国会議員でなくなった場合は「内閣総理大臣の失格」として「内閣総理大臣が欠けたとき」に該当し、内閣総理大臣が国会議員で無くなった場合は内閣総辞職しなければならないとしている。</ref>。

内閣総理大臣臨時代理に憲法68条の国務大臣の任命権が認められるか否かについて、学説は肯定説と否定説に分かれているが、政府見解は憲法68条の国務大臣の任命権は内閣総理大臣の一身専属の権利であるとする<ref>佐藤功著 『新版 憲法(下)』 有斐閣、1984年、859-860頁</ref><ref>樋口陽一・中村睦男・佐藤幸治・浦部法穂著 『注解法律学全集3 憲法Ⅲ(第41条~第75条)』 青林書院、1998年、215-216頁</ref>。先例としては[[石橋内閣]]において[[石橋湛山]]総理が病気のために[[岸信介]]外務大臣が内閣総理大臣臨時代理となったが、1957年(昭和32年)2月2日の[[小瀧彬]]防衛庁長官の任命は石橋総理が自ら行っている。ただし、認証式や両院への通告は岸臨時代理が行っている<ref>樋口陽一・中村睦男・佐藤幸治・浦部法穂著 『注解法律学全集3 憲法Ⅲ(第41条~第75条)』 青林書院、1998年、216-217頁</ref>。

外交上の敬称としては交渉国との間で主に大臣閣下という敬称と本官に相当する本大臣という自称で呼び合うこととなっている。また、内閣総理大臣・国務大臣等は[[自衛隊]]を公式に訪問または視察する場合、その他防衛大臣の定める場合において[[栄誉礼]]を受ける栄誉礼受礼資格者に定められている([[自衛隊法]]施行規則13条)。

なお、国会議員で旧姓やペンネーム(タレント時代などの芸名や、わかりやすく一部をひらがなにする)などにしてある場合、国務大臣に任命される際には[[戸籍]]に登録されている本名で任命を受け、連署・署名など国務大臣として行う場合は本名でなくてはならない。

=== 罷免 ===
日本国憲法第68条第2項は「内閣総理大臣は、任意に国務大臣を罷免することができる」と定める。「任意に」とは時期や理由を問わず法的には何らの制約なく、内閣総理大臣の[[自由裁量]]によって決しうることを意味する<ref name="satou-(2)-840">佐藤功著 『新版 憲法(下)』 有斐閣、1984年、840頁</ref><ref name="higuchi-nakamura-satou-urabe-(3)-218">樋口陽一・中村睦男・佐藤幸治・浦部法穂著 『注解法律学全集3 憲法Ⅲ(第41条~第75条)』 青林書院、1998年、218頁</ref>。国務大臣の罷免の政治上・道義上の当不当は本条の問題とは別の問題である<ref name="satou-(2)-840"/>。国務大臣の罷免権は任命権と同じく内閣総理大臣の専権に属する<ref name="higuchi-nakamura-satou-urabe-(3)-219">樋口陽一・中村睦男・佐藤幸治・浦部法穂著 『注解法律学全集3 憲法Ⅲ(第41条~第75条)』 青林書院、1998年、219頁</ref>。

国務大臣の任免は天皇によって認証される(日本国憲法第7条第5号)。したがって、内閣総理大臣の専権事項とされる罷免そのものの決定には閣議は不要であるが、通説によれば天皇の[[国事行為]]である認証については内閣の助言と承認を要し、閣議が必要とされる<ref name="satou-(2)-841">佐藤功著 『新版 憲法(下)』 有斐閣、1984年、841頁</ref><ref name="higuchi-nakamura-satou-urabe-(3)-219"/>。この場合、事の性質上、この閣議は国務大臣の罷免を妨げることはできず、罷免される国務大臣はこの内閣の助言と承認の決定に加わることができない<ref name="satou-(2)-841"/><ref name="higuchi-nakamura-satou-urabe-(3)-219"/>。

{{main|罷免#国務大臣の罷免}}

== 権限と義務 ==
=== 議院出席の権利義務 ===
国務大臣は両議院での議席の有無にかかわらず、議案について発言するために議院に出席をすることができる。答弁または説明のために出席を求められた際は出席しなければならない([[日本国憲法第63条]])。この「議院」には本会議のほか委員会も含まれる<ref name="satou-(2)-801">佐藤功著 『新版 憲法(下)』 有斐閣、1984年、801頁</ref>。ただし、憲法上、各議院には運営等について自律権が認められている([[日本国憲法第58条]]第2項)。国務大臣の議院出席の権利は[[国会法]]および両[[議院規則]]に服するのであり、これに反しないようにしなければならない<ref name="satou-(2)-802">佐藤功著 『新版 憲法(下)』 有斐閣、1984年、802頁</ref>。

=== 法律および政令への署名 ===
法律および政令には国務大臣の署名と内閣総理大臣による[[連署・副署|連署]]を必要とする([[日本国憲法第74条|憲法第74条]])。内閣総理大臣および各省大臣は内閣法上、主任の大臣と呼ばれ、担当国務に関係する法律、政令を公布する際その末尾に国務大臣による署名と内閣総理大臣の連署を要することになる。主任の大臣以外の大臣は、連署・副署をしない。ただし、主任の大臣の誰かが[[外遊]]などで国内不在となる場合に一時的にその臨時代理を命ぜられることがあり、その際は連署・副署に名を連ねることとなる。

主任の大臣が複数あるときは署名は[[建制順]]による<ref name="satou-(2)-916">佐藤功著 『新版 憲法(下)』 有斐閣、1984年、916頁</ref>。また、内閣総理大臣自身が主任の大臣として署名の主体となるときは連署は行わない例である<ref name="satou-(2)-916"/>。

今日の通説的見解によれば、この署名・連署は執行の責任を表示するという性質のものであり、これを欠いていても法律や政令の効力やこれらの執行の責任には影響しない<ref name="satou-(2)-918">佐藤功著 『新版 憲法(下)』 有斐閣、1984年、918頁</ref><ref name="higuchi-nakamura-satou-urabe-(3)-265-266">樋口陽一・中村睦男・佐藤幸治・浦部法穂著 『注解法律学全集3 憲法Ⅲ(第41条~第75条)』 青林書院、1998年、265-266頁</ref>。

大日本帝国憲法下の「副署」が国務大臣の[[輔弼]]についての責任を表示するものであったのに対して、現行憲法下の「連署」は法律・政令に対する内閣自身の執行・制定についての責任を表示するものであり性格が異なる<ref name="satou-(2)-913">佐藤功著 『新版 憲法(下)』 有斐閣、1984年、913頁</ref>。なお、現行憲法下においても「副署」が行われる例(解散詔書など)があり、これは憲法74条に規定する「署名」や「連署」とは異なるものであるが<ref name="satou-(1)-56">佐藤功著 『新版 憲法(上)』 有斐閣、1983年、56頁</ref>、天皇の国事行為において内閣による助言と承認があったことを内閣総理大臣が内閣を代表して確認を行うもので、慣行として適当なものであると評価されている<ref name="satou-(1)-56"/>。

== 特典 ==
[[日本国憲法第75条]]は「国務大臣は、その在任中、内閣総理大臣の同意がなければ、訴追されない。但し、これがため、訴追の権利は、害されない」と規定する。この規定は国務大臣の特典であるとともに内閣の一体性を確保し、内閣総理大臣の内閣の首長としての地位を強化するものである<ref name="itou-540">伊藤正己著 『憲法 第三版』 弘文堂、1995年、540頁</ref>。

日本国憲法第75条の「訴追」については、[[刑事訴訟法]]上の[[逮捕 (日本法)|逮捕]]・[[勾留]]を含むとする説<ref name="itou-540"/>と逮捕・勾留を含まないとする説<ref name="satou-(2)-920">佐藤功著 『新版 憲法(下)』 有斐閣、1984年、920頁</ref>が対立している<ref name="higuchi-nakamura-satou-urabe-(3)-267">樋口陽一・中村睦男・佐藤幸治・浦部法穂著 『注解法律学全集3 憲法Ⅲ(第41条~第75条)』 青林書院、1998年、267頁</ref>。[[日本国政府|政府]]見解では逮捕は含まないとしている<ref name="higuchi-nakamura-satou-urabe-(3)-268">樋口陽一・中村睦男・佐藤幸治・浦部法穂著 『注解法律学全集3 憲法Ⅲ(第41条~第75条)』 青林書院、1998年、268頁</ref>。先例としては1948年9月30日に[[栗栖赳夫]]国務大臣([[経済安定本部#歴代総務長官|経済安定本部総務長官]]兼[[物価庁#歴代長官|物価庁長官]]兼[[経済調査庁#歴代長官|中央経済調査庁長官]])が[[昭和電工事件]]で内閣総理大臣の同意なく逮捕されたが、この事件で[[東京高等裁判所|東京高裁]]は身体の拘束を含むとは解しえないと判示している(東京高判昭和34年12月26日判時213号46頁)<ref name="higuchi-nakamura-satou-urabe-(3)-267-268">樋口陽一・中村睦男・佐藤幸治・浦部法穂著 『注解法律学全集3 憲法Ⅲ(第41条~第75条)』 青林書院、1998年、267-268頁</ref>。

先述のように「国務大臣」には内閣総理大臣を含む場合と含まない場合があるが、日本国憲法第75条の「国務大臣」についても、内閣総理大臣もこの国務大臣に含むとする学説と、内閣総理大臣はこの国務大臣には含まれないとする学説の2つの説が対立している<ref name="higuchi-nakamura-satou-urabe-(3)-268"/>。

本条により内閣総理大臣の同意を欠く国務大臣の訴追は認められず、内閣総理大臣の同意なく国務大臣が起訴された場合には公訴は無効となる(刑事訴訟法第338条4号)<ref name="satou-(2)-920"/>。

本条の効果は在任中に限られるため、国務大臣の退任後は内閣総理大臣の同意がなくとも訴追ができることは当然である<ref name="satou-(2)-921">佐藤功著 『新版 憲法(下)』 有斐閣、1984年、921頁</ref><ref name="itou-540"/>。本条ただし書きの「これがため、訴追の権利は、害されない」は、通説によれば公訴時効の進行が停止することを意味すると解されている<ref name="higuchi-nakamura-satou-urabe-(3)-269">樋口陽一・中村睦男・佐藤幸治・浦部法穂著 『注解法律学全集3 憲法Ⅲ(第41条~第75条)』 青林書院、1998年、269頁</ref>。ただし、時効の進行の停止する始期については、国務大臣在任中は当然に時効が停止するとみる学説と、内閣総理大臣が訴追への同意を拒否した時点から時効の進行が停止するとみる学説の2つの説が対立する<ref name="higuchi-nakamura-satou-urabe-(3)-269"/>。

なお、国会議員たる国務大臣については、国会議員の立場では[[不逮捕特権]]([[日本国憲法第50条]])や[[免責特権]]([[日本国憲法第51条]])も認められる。ただし、免責特権について、多くの学説は国会議員の立場ではなく国務大臣の立場でなされた発言は免責対象とはならないと解している<ref name="satou-(2)-697">佐藤功著 『新版 憲法(下)』 有斐閣、1984年、697頁</ref><ref name="matsuzawa-200">松澤浩一著 『議会法』 ぎょうせい、1987年、200頁</ref>。国務大臣としての地位や責任は国会議員とは性格が異なるものであり<ref name="matsuzawa-200"/>、また、これを認めると国会議員でない国務大臣との間に不均衡を生じることになり妥当でないとされる<ref name="satou-(2)-697"/>。下級審の判例も同様の解釈をとっている(東京高判昭和34年12月26日判時213号46頁)<ref name="satou-(2)-697"/>。

== 内閣と大臣 ==
=== 内閣の組織 ===
内閣は内閣総理大臣およびその他の国務大臣で組織される([[日本国憲法第50条]]、内閣法第2条第1項)。内閣総理大臣は内閣の首長([[日本国憲法第66条]]1項、内閣法第2条第1項)で、ほかの国務大臣の任免権([[日本国憲法第68条]])、国務大臣に対する訴追同意権([[日本国憲法第75条]])、行政各部の指揮監督権([[日本国憲法第72条]])、閣議における発議権([[s:内閣法#4|内閣法第4条]]第2項)などを有する。その他の国務大臣は原則14人とし、必要であればさらに3人まで任命できるとされているが(内閣法第2条第2項)、後述のように特別法による特例が設けられることがある。

なお、日本には、他国の[[副首相]]に相当する官職は存在しない。ただし、内閣法第9条にいう[[内閣総理大臣臨時代理]]の第一順位に指定された国務大臣が内閣官房長官を命ぜられていない場合、当該国務大臣を副総理と呼ぶ慣行がある。
{{main|副総理}}

=== 内閣の構成メンバーの定数の推移 ===
日本国憲法下においては、内閣総理大臣を除く内閣の構成人員は以下のように変遷している。
{|class="wikitable"
!期間!!定員!!上限!!備考
|-
|1947年 - 1965年||colspan="2" style="text-align:center"|16人||
|-
|1965年 - 1966年||colspan="2" style="text-align:center"|17人||[[総理府#歴代総理府総務長官|総理府総務長官]]は国務大臣となる。
|-
|1966年 - 1971年||colspan="2" style="text-align:center"|18人||[[内閣官房長官]]は国務大臣となる。
|-
|1971年 - 1974年||colspan="2" style="text-align:center"|19人||[[環境省#沿革|環境庁]]設置に伴い、[[環境大臣|環境庁長官]]を追加。
|-
|1974年 - 2001年||colspan="2" style="text-align:center"|20人||[[国土庁]]設置に伴い、[[国土庁|国土庁長官]]を追加。
|-
|2001年 - 2012年||14人||17人||[[中央省庁再編]]による変更。
|-
|2012年 - 2015年||15人||18人||[[復興庁設置法|復興庁設置]]に伴い、[[復興大臣]]を追加<ref group="注釈">2031年3月31日までの間において別に法律で定める日までの期間限定の増員([[内閣法]]附則第2項・[[復興庁設置法]]第21条)。</ref>。
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|2015年 - 2020年||16人||19人||[[令和三年東京オリンピック競技大会・東京パラリンピック競技大会特別措置法|オリンピック推進本部設置]]に伴い、[[国務大臣(東京オリンピック・パラリンピック競技大会担当)|五輪担当大臣]]を追加<ref group="注釈">2022年3月31日までの期間限定の増員([[内閣法]]附則第4項・[[令和三年東京オリンピック競技大会・東京パラリンピック競技大会特別措置法|五輪特措法]]第10条)。</ref>。
|-
|2020年 - 2022年||17人||20人||[[令和七年に開催される国際博覧会の準備及び運営のために必要な特別措置に関する法律|国際博覧会推進本部設置]]に伴い、[[国務大臣(2025年国際博覧会担当)|万博担当大臣]]を追加<ref group="注釈">2026年3月31日までの期間限定の増員([[内閣法]]附則第3項・[[令和七年に開催される国際博覧会の準備及び運営のために必要な特別措置に関する法律|万博特措法]]第10条)。</ref>。
|-
|2022年 - 現在||16人||19人||[[令和三年東京オリンピック競技大会・東京パラリンピック競技大会特別措置法|オリンピック推進本部解散]]に伴い、[[国務大臣(東京オリンピック・パラリンピック競技大会担当)|五輪担当大臣]]を廃止。
|}

=== 大臣の所掌 ===
==== 行政事務の分担管理 ====
各大臣は、法律の定めるところにより、主任の大臣として行政事務を分担管理する(内閣法第3条第1項)。ただし、行政事務を分担管理しない大臣(いわゆる無任所大臣)を置くことを妨げるものではない(内閣法第3条第2項)。

==== 特命事項の担当大臣 ====
複数の官庁に関係するような国政の重要事項についてはいち官庁の所掌とせず、専任の重要事項担当部署(局、対策室等)を各省各庁より格上の内閣官房または内閣府に設置し、内閣官房および内閣府それぞれの主任の大臣である内閣総理大臣の下で総合的に処理する場合がある。これら重要事項担当部署の長(局長、対策室長等)には、通常、職業公務員(いわゆる官僚)が任命されるが、それら局長等と内閣総理大臣との間にあって政務を掌る官職として担当大臣を置くことがある。重要事項担当部署が内閣府にある場合、その担当大臣のことを法律上「特命担当大臣」(官報等に掲載される辞令等の上では「[[内閣府特命担当大臣]]」という)という。一方、重要事項担当部署が内閣官房にある場合、その担当大臣の正式名称は特に法定されていない。[[内閣の担当大臣|内閣府以外の特命事項担当大臣]]は、内閣総理大臣発出の辞令又は決裁のみで柔軟に置くことが可能であり<ref name="担当大臣">{{Kotobank|特命担当大臣}}</ref>、官報辞令はなされず内閣総理大臣の口頭指示により設置される場合もある<ref name="東京新聞">[https://www.tokyo-np.co.jp/article/57292 コロナ対策「最優先課題」でも担当大臣いないけど? デジタルや万博は新設 2020年9月24日 06時00分 東京新聞]</ref>。また、ある法律によって設置される合議体の副責任者に、当該法律や合議体に関する事務を担当する国務大臣をもって充てることとされることがある。一例としては、サイバーセキュリティ戦略本部の副本部長職は、サイバーセキュリティ基本法29条によりサイバーセキュリティ戦略本部に関する事務を取り扱う国務大臣を充てると規定されているが、官報等に辞令は掲載されない。

* 内閣府特命担当大臣(例:規制改革担当)も、内閣府以外の特命事項担当大臣(例:行政改革担当)も、一般的にはそれぞれの担当職務を用いて「○○担当大臣」と呼ばれる。

=== 内閣法の規定 ===
[[内閣法]]では、[[内閣総理大臣]]を除いた国務大臣の数は原則14人とし、必要であればさらに3人まで任命できる(内閣法第2条第2項)。
<!--国家行政組織法第3条第4項の別表第1の規定に準拠する-->
* 内閣総理大臣 - [[内閣府]]、[[デジタル庁]]、[[復興庁]]の長。
* [[総務大臣]] - [[総務省]]の長。
* [[総務大臣]] - [[総務省]]の長。
* [[法務大臣]] - [[法務省]]の長。
* [[法務大臣]] - [[法務省]]の長。
* [[外務大臣]] - [[外務省]]の長。
* [[外務大臣 (日本)|外務大臣]] - [[外務省]]の長。
* [[財務大臣]] - [[財務省]]の長。
* [[財務大臣 (日本)|財務大臣]] - [[財務省 (日本)|財務省]]の長。
* [[文部科学大臣]] - [[文部科学省]]の長。
* [[文部科学大臣]] - [[文部科学省]]の長。
* [[厚生労働大臣]] - [[厚生労働省]]の長。
* [[厚生労働大臣]] - [[厚生労働省]]の長。
37行目: 132行目:
* [[国土交通大臣]] - [[国土交通省]]の長。
* [[国土交通大臣]] - [[国土交通省]]の長。
* [[環境大臣]] - [[環境省]]の長。
* [[環境大臣]] - [[環境省]]の長。
* [[内閣官房長官]] - [[内閣官房]]の長。内閣府本府の総括も担当する
* [[防衛大臣]] - [[防衛省]]の長。
* [[内閣官房長官]] - [[内閣官房]]の事務を統轄し、内閣府の事務を統括する。
* [[国家公安委員会委員長]] - 内閣府の外局である[[国家公安委員会]]の長。
* [[防衛庁長官]] - 内閣府外局であ[[防衛庁]]の長
* [[デジタル大臣]] - デジタル庁事務を統括する。
* [[復興大臣]] - 復興庁の事務を統括する。
* 内閣府[[特命担当大臣]] - 必要に応じ[[内閣府]]に置かれるが、「沖縄及び北方対策担当」と「金融担当」は、必ず置かなければならない(内閣府設置法第10条・第11条)。
* [[国家公安委員会委員長]] - [[国家公安委員会]]の会務を総理し、国家公安委員会を代表する。
** [[無任所大臣]] - 上記のいずれの事務も担当しない大臣を置く場合の俗称。戦前には「班列」と称された時期もある。
* [[内閣府特命担当大臣]] - 必要に応じて内閣府に置かれるが、「[[内閣府特命担当大臣(防災担当)|防災担当]]」、「[[内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策担当)|沖縄及び北方対策担当]]」、「[[内閣府特命担当大臣(金融担当)|金融担当]]」、「[[内閣府特命担当大臣(消費者及び食品安全担当)|消費者及び食品安全担当]]」、「[[内閣府特命担当大臣(少子化対策担当)|少子化対策担当]]」は必ず置かなければならない([[内閣府設置法]]9条の2、10条、11条、11条の2、11条の3)。
* [[無任所大臣 (日本)|無任所大臣]] - 上記のいずれの事務も担当しない大臣を置く場合の俗称(内閣法第3条第2項)。戦前には「班列」と称された時期もある。


=== 特別法による特例 ===
== 備考 ==
国務大臣の数は特別法により増員されることがある。
=== 連署・副署 ===
* 2012年(平成24年)の[[復興庁設置法]]の附則による改正後の内閣法の附則により、「復興庁が廃止されるまでの間」は1名増員とされた。
* 内閣総理大臣及び各省大臣(上記一覧の環境大臣まで)は内閣法上「主任の大臣」と呼ばれ、担当国務に関係する法律、政令を公布する際その末尾に連署・副署することが義務づけられている。
* 2015年(平成27年)の[[令和三年東京オリンピック競技大会・東京パラリンピック競技大会特別措置法]]の附則による改正後の内閣法の附則により、「東京オリンピック競技大会、東京パラリンピック競技大会推進本部が置かれている間」は1名増員とされた。
* 「主任の大臣」以外の大臣(上記一覧の内閣官房長官以下)は、連署・副署をしない。ただし、「主任の大臣」の誰かが外遊等で国内不在となる場合に一時的にその臨時代理を命ぜられることがあり、その際は連署・副署に名を連ねることとなる。
* 2019年(平成31年)の[[令和七年に開催される国際博覧会の準備及び運営のために必要な特別措置に関する法律]]の附則による改正後の内閣法の附則により、「国際博覧会推進本部が置かれている間」は1名増員とされた。
=== 特命事項の担当大臣 ===
* 複数の省庁に関係するような国政の重要事項については一省庁の所掌とせず、専任の重要事項担当部署(局・対策室など)を省庁より格上の内閣官房か内閣府に設置して、最高責任者である内閣総理大臣の下で総合的に処理する場合がある。
* 重要事項担当部署の長(局長・対策室長など)は通例官僚であるが、それら局長等と内閣総理大臣との間に総括的な責任者として担当大臣が置かれることがある。重要事項担当部署が内閣府にある場合その担当大臣のことを法律上「特命担当大臣」(官報辞令上は「内閣府特命担当大臣」)と言う。一方、重要事項担当部署が内閣官房にある場合その担当大臣の正式呼称は特に法定されていない。
* 内閣府特命担当大臣(例:金融担当)も、内閣官房の重要事項担当部署の担当大臣(例:郵政民営化担当)も、一般的にはそれぞれの担当職務を用いて「○○担当大臣」と呼ばれる。
* なお、例はあまり多くないが、複数省庁にわたる政策事項でありながら内閣官房でも内閣府でもなく一省庁内に「対策室」等を設置し、その総括をその省庁の大臣と別の大臣に命ずる場合(例:個人情報保護担当)があるが、その場合も内閣官房の場合と同様に担当大臣の法定された正式呼称はなく、俗に○○担当大臣と呼称される。


特別法によって増員される大臣は以下の通り。
=== 副総理と内閣総理大臣臨時代理 ===
* 日本には正式な官職としての内閣副総理大臣(副総理大臣、副首相)の制度は存在しない。内閣法第9条によれば、「内閣総理大臣に事故のあるとき、又は内閣総理大臣が欠けたときは、その予め指定する国務大臣が、臨時に、内閣総理大臣の職務を行う」という規定があり、これによって指定された国務大臣を'''副総理'''と呼ぶ慣習がある。<br>通常、総理外遊等の際は総理が国務大臣の一人を「内閣総理大臣臨時代理」に指定することでその職務を代行させるが、かつて([[2000年]]([[2000年|平成12年]])4月以前)はその指定方法がいくつかあった。
# 組閣時等に一人の大臣を内閣総理大臣の臨時代理として正式に指定(官報掲載)。代行期間を限定しない発令のため内閣存続中一貫して有効であり、外遊等の際に一々辞令は発しない(その都度自動的に就任・解職したものとみなされる。)。
# 組閣時等に一人の大臣に口頭で臨時代理予定者である旨を指示し、正式な辞令は外遊等の都度その代行期間を限定して発する。
# 組閣時等に臨時代理予定者を明示せず、外遊等の都度人選の上その代行期間を限定して発令する。
** 上記1は、大物大臣を事実上の副首相として処遇したい際に用いられ、俗に「副総理」と呼ばれた。正式な官職ではないため、正式呼称の略称と誤解される可能性のある「副総理大臣」・「副首相」と呼ばれることはなく、マスコミなどでも表記は「副総理」に統一されていた(なお、組閣時の内閣官房長官の発表では、「内閣法第9条の規定により指定された者」などの表現が用いられている)。
** 上記2は、「副総理」として遇するほどではないが閣内の取りまとめ役として尊重したい準大物大臣の場合などに用いられた。「副総理」とは呼ばれなかったが、組閣時などの報道では「今回の内閣では○○氏が副総理格」などと書かれた。ただし、この「副総理」と「副総理格」の細かな違いが一般にはあまり知られていなかったことから、地元支持者らの前で「副総理」を自称する副総理格大臣もいた。
** 上記3は、大物・準大物大臣がいないか、いても継続的な臨時代理予定者への指定を固辞した場合、あるいは逆に大物大臣が複数いて副総理・副総理格を明示しない方が均衡上いいと総理が判断した場合などに用いられた。
* 上記3の場合、総理が臨時代理を指定する暇もなく急死したり重篤な状態に陥る可能性もあり国政上問題が生ずるおそれがあるとして、2000年(平成12年)4月以降、組閣時などに内閣総理大臣臨時代理の予定者を第5順位まで指定・官報掲載するように方針が改められ、原則として内閣官房長官たる国務大臣が第1順位とされるようになった(第2順位以降の人選は個々の経験等を勘案して総理が決定)。これは2000年4月1日深夜、当時の[[小渕恵三]]首相が脳梗塞で倒れ、[[青木幹雄]]内閣官房長官が同月3日付けで臨時代理に就任(翌4日内閣総辞職)したが、この際小渕首相に臨時代理を指定することが時間的・医学的に可能であったのかどうか論争となったことを受け、内閣法の運用の改善を図ったものである。小渕内閣(改造前後全てを含む。)においては上記3の方式がとられていたが、実際には脳梗塞による本件臨時代理を除く全12回の海外出張において臨時代理は全て内閣官房長官たる国務大臣([[野中広務]]・青木幹雄)が指定されていた。しかし、死亡や重病による臨時代理の際はそれまでとは別に大物大臣が臨時代理となる例があり、この件でも事実そのような密談があったとの噂が流れ、青木国務大臣の臨時代理就任の正当性が問題となったものである。
* 旧来の判断基準「組閣時等の無期限臨時代理指定=副総理」をそのまま当てはめれば内閣官房長官を務める国務大臣が副総理と言えなくもないが、半ば自動的な第1順位への指定であり大物・副首相格の政治家とは限らないため現在では副総理の俗称は用いられなくなった。ただし、次の場合には当該大臣を副総理として処遇しようとする総理の意向が(単に口頭指示等にとどまらず)官報への辞令掲載などで明確化されることから、副総理の呼称が用いられる可能性がある。
# 補職前の素(す)の国務大臣としての序列(官報辞令・閣議署名書等での順序)において、通例筆頭となる国務大臣(総務大臣)の位置よりも前に別の大物国務大臣が列せられた場合(ただし、内閣総理大臣臨時代理予定者第1順位に指定されなかった場合は判断が微妙となる。)
# 内閣官房長官以外の大物国務大臣が内閣総理大臣臨時代理予定者第1順位として指定された場合(この場合は素の国務大臣としての序列が筆頭かどうかは問わない。)
# 法改正により「内閣副総理大臣」または「副総理大臣」が正式に設置された場合は、当然、副総理または副首相と呼ばれることになろう。
*たとえ組閣時から無期限の臨時代理予定者として指定されている上記1のような場合でも、これはあくまで代理「予定者」としての指定であり、総理が不在となる期間以外に「内閣総理大臣臨時代理」の呼称を使用することはできない。公的呼称でない「副総理」を常時自称することは法的には問題ないが、前述のとおり2000年4月以降は特定の大臣を副総理と呼べる事例が生じにくい状態となっているため、仮に自称しても報道等で採用されることはないものと考えられる。
*[[2005年]][[10月31日]]現在、[[第3次小泉改造内閣]]においての内閣総理大臣臨時代理は、1位:[[安倍晋三]]([[内閣官房長官]])・2位:[[谷垣禎一]]([[財務大臣]])・3位:[[麻生太郎]]([[外務大臣]])・4位:[[与謝野馨]]([[金融]]・経済財政担当大臣)・5位:[[中川昭一]]([[農林水産大臣]])の順で指定されている。


* [[復興大臣]] - [[復興庁]]の事務を統轄する。
ちなみに、戦前において総理大臣が死亡、辞表受理によって空位になった場合は[[天皇]]が国務大臣を『臨時兼任内閣総理大臣』(臨時首相)に選任して、後継総理の組閣までその職務を代行する制度があったが、現在では内閣総理大臣臨時代理(死亡時)又は辞職した総理がその職務を行うため、こうした制度は無い。
*[[国際博覧会担当大臣|万博担当大臣]] - [[2025年日本国際博覧会]]の事務を統轄する。
*[[東京オリンピック・パラリンピック担当大臣|五輪担当大臣]] - [[2020年東京オリンピック]]・[[2020年東京パラリンピック]]の事務を統轄する。2022年8月10日廃止。

== 大臣規範 ==
{{main|国務大臣、副大臣及び大臣政務官規範}}

== 大臣を代理する職 ==
=== 内閣総理大臣臨時代理 ===
内閣法第9条に「内閣総理大臣に事故のあるとき、又は内閣総理大臣が欠けたときは、その予め指定する国務大臣が、臨時に、内閣総理大臣の職務を行う」と規定されており、内閣総理大臣が死亡・病気・海外出張などで不在となった際には、あらかじめ指定された国務大臣が「内閣総理大臣臨時代理」の職名で職務を行う。[[2000年]]4月以降、組閣時に就任予定者5名があらかじめ指定される規定となった。
{{main|内閣総理大臣臨時代理}}


=== 他の大臣の臨時代理と事務代理 ===
=== 他の大臣の臨時代理と事務代理 ===
* 各省大臣(=主任の大臣)の外遊時には、直属の副大臣ではなく、の大臣または内閣総理大臣自ら)がその臨時代理を務める(例:総務大臣臨時代理)。この場合の人選の権限外遊等をする大臣自身にはなく、内閣総理大臣が指定する
各省大臣の外遊時などには、「国務大臣の代理には他の国務大臣が就く」という内閣法上の原則に基づき、直属の副大臣ではなく、ほかの大臣または内閣総理大臣がその臨時代理を務める(例:総務大臣臨時代理)。の人選は内閣総理大臣が行う
* 各省大臣以外の「内閣官房長官・国家公安委員会委員長・防衛庁長官・内閣府特命担当大臣」の代理やはり直属の副大臣・副長官ではなく他の大臣が務めるが、この場合は「臨時代理」でなく「事務代理」と呼ばれる(例:防衛庁長官事務代理)。ただし、内閣総理大臣自らが代行する場合は「事務代理」でなく「事務取扱」と称することになっている(例:防衛庁長官事務取扱)。
* 各省大臣以外の「内閣官房長官・デジタル大臣・国家公安委員会委員長・内閣府特命担当大臣」の代理についてはほかの大臣が「事務代理」を務める(例:内閣官房長官事務代理)。ただし、内閣総理大臣自らが代行する場合は「事務代理」でなく「事務取扱」と称する(例:内閣官房長官事務取扱)。
*:※上記「特命事項の担当大臣」の項で言及した担当大臣のうち、内閣官房(まれに省)の重要事項担当大臣については、内閣府特命担当大臣と異なり外遊時等に代理発令がされることはない。厳密には、総理の口頭指示等による一時的代行はあるのかも知れないが、少なくとも辞令のような公に分かる形で官報掲載された例はない。
*:<small>※上記「特命事項の担当大臣」の項で言及した担当大臣のうち、内閣官房(まれに省)の重要事項担当大臣については、内閣府特命担当大臣と異なり外遊時等に代理発令がされることはない。厳密には、総理の口頭指示等による一時的代行はあるのかも知れないが、少なくとも辞令のような公に分かる形で官報掲載された例はない。</small>
* [[中央省庁再編]]により旧・政務次官を格上げして新設された[[副大臣]]であるが、直属上司である大臣・長官等の代理には他省庁の大臣が指定される、「国務大臣の代理には他の国務大臣が就く」という内閣上の原則に基づくもので、閣僚でない副大臣に法令への連署等をする最高権限がないためである。ただし、内閣の一員たる国務大臣の権限」が必ずしも要請されない行為(例:省庁の代表者として式典で祝辞を述べる等)の場合は、にわか代理大臣でなく、本来の直属副大臣や政務官が代行(参席・代読等)するが一般的である。
* 副大臣、直属上司である大臣・長官等の代理に指定されるこない。国務大臣でない副大臣には第74条に基づく法令への連署等をする最高権限がないためである。ただし、省庁の代表者として式典で祝辞を述べるなど内閣の一員たる国務大臣の権限必ずしも要請されない行為の場合は、副大臣や政務官が代行(参席・代読等)することが一般的である。
* 内閣法には第9条に「臨時に、内閣総理大臣の職務を行う」、第10条に「臨時に、その主任の大臣の職務を行う」とあり、一方で内閣府設置法と国家行政組織法には「副大臣(副長官)は・・・職務を代行する」とある。「行う」と「代行する」という似て非なる文言で区別がなされており、副大臣・副長官の「代行する」権限が「省庁組織の長としての大臣権限」に限られ、より広汎な「主任の国務大臣の権限」までは及ばないと解する根拠のつとなっている。
* 内閣法には第9条に「臨時に、内閣総理大臣の職務を行う」、第10条に「臨時に、その主任の大臣の職務を行う」とあり、一方で内閣府設置法と国家行政組織法には「副大臣(副長官)は職務を代行する」とある。「行う」と「代行する」という似て非なる文言で区別がなされており、副大臣・副長官の「代行する」権限が「省庁組織の長としての大臣権限」に限られ、より広汎な「主任の国務大臣の権限」までは及ばないと解する根拠のひとつとなっている。
===戦後の歴代副総理等===
<pre>
吉田  幣原喜重郎(日本進歩党)   復員庁総裁
片山  芦田  均( 民主党 )   外務大臣
芦田  西尾 末廣(日本社会党)   国務大臣
吉田  林  譲治( 自由党 )   厚生大臣
〃   緒方 竹虎( 自由党 )   北海道開発庁長官
鳩山  重光  葵(自由民主党)   外務大臣
石橋  岸  信介(自由民主党)   外務大臣
岸   石井光次郎(自由民主党)   行政管理庁長官兼北海道開発庁長官
〃   益谷 秀次(自由民主党)   行政管理庁長官
田中  三木 武夫(自由民主党)   環境庁長官
三木  福田 赳夫(自由民主党)   経済企画庁長官
大平 *伊東 正義(自由民主党)   内閣官房長官
中曽根 金丸  信(自由民主党)   国務大臣
竹下  宮澤 喜一(自由民主党)   大蔵大臣
宮澤  渡邉美智雄(自由民主党)   外務大臣
〃   後藤田正晴(自由民主党)   法務大臣
細川  羽田  孜( 新生党 )   外務大臣
村山  河野 洋平(自由民主党)   外務大臣
〃   橋本龍太郎(自由民主党)   通商産業大臣
橋本  久保  亘(参議院社会民主党)大蔵大臣 
小渕 *青木 幹雄(参議院自由民主党)内閣官房長官
</pre>


== 大臣を補佐する職 ==
*[[女性閣僚]]の一覧
=== 副大臣・大臣政務官・大臣補佐官・大臣秘書官 ===
現在、内閣はじめ省庁における大臣以下の政治ポストはかつての[[政務次官]]が副大臣や大臣政務官などに再編され、省内における[[政治任用制|政治任用]]職も増えた。1996年(平成8年)に[[内閣総理大臣補佐官]]が、2014年(平成26年)に大臣補佐官が新設され、国務大臣を補佐する体制がより高められた。内閣総理大臣補佐官の定数は5名、内閣府の大臣補佐官の定数は6名、復興庁とその他の省の大臣補佐官の定数は各1名で、いずれも特別職で、国会議員の兼任、[[非常勤]]が可能である。


[[内閣総理大臣秘書官]]以外の大臣秘書官は定数1名で官庁の外から政治的任用される(通例はその大臣の議員第一秘書などが務めることが多い)。当該省庁の職員も大臣秘書官と呼ばれるポストに就いて大臣を補佐するが、これは厳密には大臣秘書官事務取扱といい、正規の法定秘書官ではない。大臣以下副大臣・政務官の品位と倫理を維持するため、大臣規範などを定め、汚職の防止や兼職の禁止など自律的な制約を定めている。
*[[民間人閣僚]]の一覧

氏名の前に「*」を付した者は、事前に指名されていたいわゆる「副総理」には当たらないが、総理の職務遂行不能(死亡等)により内閣総理大臣臨時代理を務めた者を表す。
{{main|副大臣|大臣政務官|大臣補佐官|秘書官}}


=== 大臣と副大臣・大臣政務官等の任命方式・権限の差異 ===
=== 大臣と副大臣・大臣政務官等の任命方式・権限の差異 ===
*大臣は、1)内閣総理大臣から任命・天皇から認証される「国務大臣」としての官記(国務大臣に任命する)、2)総理から担当事務を命ぜられる「各省大臣・長官等」としての補職の辞令(例:総務大臣を命ずる、内閣府特命担当大臣を命ずる)、という二段階の任命方式がられている。閣議においてはえば防衛庁長官である国務大臣が司法改革など他省庁の閣議案件について(あくまで理論上ではあるが)深く意見を述べたり、当該他省庁の官僚に「一国務大臣として」何らかの指摘・要求等をすることも可能であり、「国務大臣」としての関与権限は国政全般に及ぶものとされる。
* 大臣は、1)内閣総理大臣から任命・天皇から認証される「国務大臣」としての官記(国務大臣に任命する)、2)総理から担当事務を命ぜられる「各省大臣・長官等」としての補職の辞令(例:総務大臣を命ずる、内閣府特命担当大臣を命ずる)、という二段階の任命方式がられている。閣議においては、たとえば防衛大臣である国務大臣が司法改革など他省庁の閣議案件について(あくまで理論上ではあるが)深く意見を述べたり、当該他省庁の官僚に「一国務大臣として」何らかの指摘・要求等をすることも可能であり、「国務大臣」としての関与権限は国政全般に及ぶものとされる。
*一方、[[副大臣]](防衛庁副長官を含む)と大臣政務官(防衛庁長官政務官含む)は、特定の庁名を冠された官記又は辞令(例:内閣府副大臣に任命する、総務副大臣に任命する、務大臣政務官に任命する)だけを受ける。副大臣は国務大臣と同様[[認証官]]であるため天皇の認証のある官記を受けるが、大臣政務官はそうでないという違いはあるが、どちらも国務大臣のような国政全般への関与を可能とする権限付与(二段階の辞令)は行われていない。
* 一方、副大臣と大臣政務官は、特定の庁名を冠された官記又は辞令(例:[[内閣府副大臣]]に任命する、[[総務副大臣]]に任命する、[[法務大臣政務官]]に任命する、[[外務大臣政務官]]に任命する等)だけを受ける。副大臣は国務大臣と同様認証官であるため天皇の認証のある官記を受け、大臣政務官はそうでないという違いはあるが、どちらも国務大臣のような国政全般への関与を可能とする権限付与(二段階の辞令)は行われていない。
*閣議では、各大臣は各省や特命事項の担当大臣としてだけでなく、広く天下国家を論じる国務大臣の一人として参画する。一方、副大臣会議では、副大臣は各府省の調整代表の高官として参加しており、国政全般を論じたり他府省の副大臣の提出した案件に対して必要以上の関与をすることはできない。
*閣議では、各大臣は各省や特命事項の担当大臣としてだけでなく、広く天下国家を論じる国務大臣の一人として参画する。一方、副大臣会議では、副大臣は各府省の調整代表の高官として参加しており、国政全般を論じたり他府省の副大臣の提出した案件に対して必要以上の関与をすることはできない。
*一部に、国務大臣の表記にならって「国務副大臣」のような表記をす向きがあるが、広汎な国務大臣の権限に比べ副大臣の地位・権限が限定的であることと矛盾する。「国務副大臣」の名称はいかなる法令にも存在せず、そのような辞令が発せられたこともない。防衛庁副長官を含む各府省副大臣の総称は単に「副大臣」とするのが正しく、各種法令でもそのような取扱いがなされている。大臣政務官についても同様で、「国務大臣政務官」とするのは法的には誤りとなる。
*国務大臣の表記にならって「国務副大臣」と誤表記され場合もあるが、広汎な国務大臣の権限に比べ副大臣の地位・権限が限定的であることと矛盾する。「国務副大臣」の名称はいかなる法令にも存在せず、そのような辞令が発せられたこともない。各府省副大臣の総称は単に「副大臣」とするのが正しく、各種法令でもそのような取扱いがなされている。大臣政務官についても同様で、「国務大臣政務官」とするのは法的には誤りとなる。

== 歴史 ==
[[大臣]]とは古来からの日本固有の高官職名である。[[明治]]期に[[太政大臣]]、[[左大臣]]、[[右大臣]]、[[内大臣]]といった大臣職(三槐)と大臣に次するとされた[[大納言]](亜槐)の職が改められ、内閣制度の発足とともに、内閣構成者としての内閣総理大臣及び国務大臣として新たな大臣の職掌が整備された。明治以降も[[昭和]]初期まで内大臣・[[宮内大臣]](現・[[宮内庁#長官|宮内庁長官]])の職が置かれたが、これは閣外の職位であり、国務大臣には含まれず[[内大臣府]]・[[宮内省]](現・[[宮内庁]])にあって天皇を補佐する役目であった。

終戦後、[[1955年]](昭和30年)の[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]の結党より始まる[[55年体制]]の下での大臣の選任は、いわゆる「[[派閥]]の論理」で行われた。

[[政治家]]にとって大臣の職は権威の象徴であり、自由民主党では、当選回数5回以上([[衆議院|衆議院議員]]の場合)が国務大臣の資格の条件とされたが、大臣を拝命していない政治家は大臣待望組といわれた。また大臣になるために執念を燃やしたり、その地位にとらわれることを俗に「[[大臣病]]」といった。

=== 各種記録 ===
* 最年長在任記録国務大臣 - [[塩川正十郎]]財務大臣、81歳11か月、2003年(平成15年)9月22日退任
* 最年少就任記録国務大臣 - [[小渕優子]]少子化対策担当・男女共同参画担当大臣、34歳9か月、2008年(平成20年)9月24日就任
* 通算最長在任記録国務大臣 - [[松方正義]]大蔵大臣、5302日<!--14年6か月-->
* 戦前連続最長在任記録国務大臣<!-- 首相在任期間を除く --> - [[寺内正毅]]陸軍大臣、3442日間<!--9年5ヶ月-->、1902年(明治35年)3月27日 - 1911年(明治44年)8月30日
* 戦後連続最長在任記録国務大臣<!-- 首相在任期間を除く --> - [[麻生太郎]]財務大臣、3205日間 2012年(平成24年)12月26日 - 2021年(令和3年)10月4日
* 戦後最短在任記録国務大臣 - [[長谷川峻]]法務大臣、4日間、1988年(昭和63年)12月27日 - 1988年(昭和63年)12月30日
* 戦前最短在任記録国務大臣 - [[野村直邦]]海軍大臣、6日間、1944年(昭和19年)7月17日 - 1944年(昭和19年)7月22日
* 女性初の国務大臣 - [[中山マサ]]厚生大臣、1960年(昭和35年)7月19日就任

=== 在任中の落選 ===
{| class="wikitable" style="font-size:smaller;"
|+'''閣僚在任のまま選挙で落選した国務大臣'''
|-
!選挙||内閣||候補||役職||選挙区、定数|| nowrap="nowrap" |最下位当選候補||惜敗率
|-
| nowrap="nowrap" |[[第24回衆議院議員総選挙|1949(昭和24)年衆院選]]||[[第2次吉田内閣|第二次吉田内閣]]||[[工藤鉄男]]|| nowrap="nowrap" |[[行政管理庁長官]]||[[青森県第2区 (中選挙区)|青森2区]](3)||[[清藤唯七]]|| nowrap="nowrap" |87.92%
|-
|[[第3回参議院議員通常選挙|1953(昭和28)年参院選]]||[[第4次吉田内閣|第四次吉田内閣]]|| nowrap="nowrap" |[[林屋亀次郎]]||[[無任所大臣 (日本)|国務大臣]]||[[石川県選挙区|石川県]](1)||[[井村徳二]]||92.32%
|-
|[[第27回衆議院議員総選挙|1955(昭和30)年衆院選]]||[[第1次鳩山一郎内閣|第一次鳩山内閣]]||[[武知勇記]]||[[郵政大臣]]||[[愛媛県第1区 (中選挙区)|愛媛1区]](3)||[[関谷勝利]]||83.23%
|-
|[[第28回衆議院議員総選挙|1958(昭和33)年衆院選]]||[[第1次岸内閣|第一次岸内閣]]||[[唐沢俊樹]]||法務大臣||[[長野県第4区 (中選挙区)|長野4区]](3)||[[小沢貞孝]]||89.13%
|-
|rowspan="3"|[[第34回衆議院議員総選挙|1976(昭和51)年衆院選]]||rowspan="3"|[[三木内閣]]||[[大石武一]]||農林水産大臣||[[宮城県第2区 (中選挙区)|宮城2区]](4)||[[内海英男]]||93.75%
|-
|[[天野公義]]||[[自治大臣]]||[[東京都第6区 (中選挙区)|東京6区]](4)||[[佐野進]]||95.74%
|-
|[[前田正男]]||[[科学技術庁長官]]|| nowrap="nowrap" |[[奈良県全県区|奈良全県区]](5)||[[服部安司]]||91.92%
|-
|rowspan="3"|[[第37回衆議院議員総選挙|1983(昭和58)年衆院選]]|| nowrap="nowrap" rowspan="3" |[[第1次中曽根内閣|第一次中曽根内閣]]||[[大野明]]||[[労働省|労働大臣]]||[[岐阜県第1区 (中選挙区)|岐阜1区]](5)||[[簑輪幸代]]||98.78%
|-
|[[谷川和穂]]||防衛庁長官||[[広島県第2区 (中選挙区)|広島2区]](4)||[[中川秀直]]||97.30%
|-
|[[瀬戸山三男]]||法務大臣||[[宮崎県第2区 (中選挙区)|宮崎2区]](3)||[[堀之内久男]]||96.34%
|-
|[[第39回衆議院議員総選挙|1990(平成2)年衆院選]]||[[第1次海部内閣|第一次海部内閣]]||[[江藤隆美]]||[[運輸大臣]]||[[宮崎県第1区 (中選挙区)|宮崎1区]](3)||[[米沢隆]]||97.12%
|-
|[[第41回衆議院議員総選挙|1996(平成8)年衆院選]]||[[第1次橋本内閣|第一次橋本内閣]]||[[田中秀征]]||[[内閣府特命担当大臣(経済財政政策担当)|経済企画庁長官]]||[[長野県第1区|長野1区]](1)||[[小坂憲次]]||66.22%
|-
|[[第18回参議院議員通常選挙|1998(平成10)年参院選]]||[[第2次橋本内閣|第二次橋本内閣]]||[[大木浩]]||環境庁長官||[[愛知県選挙区|愛知県]](3)||[[八田広子]]||97.93%
|-
|rowspan="2"|[[第42回衆議院議員総選挙|2000(平成12)年衆院選]]||rowspan="2"|[[第1次森内閣|第一次森内閣]]||[[玉沢徳一郎]]||農林水産大臣||[[岩手県第1区|岩手1区]](1)||[[達増拓也]]||87.66%
|-
|[[深谷隆司]]||通商産業大臣||[[東京都第2区|東京2区]](1)||[[中山義活]]||92.31%
|-
|[[第22回参議院議員通常選挙|2010(平成22)年参院選]]||[[菅直人内閣]]||[[千葉景子]]||法務大臣||[[神奈川県選挙区|神奈川県]](3)||[[金子洋一]]||93.50%
|-
|rowspan="8"|[[第46回衆議院議員総選挙|2012(平成24)年衆院選]]||rowspan="8"|[[野田内閣 (第3次改造)|野田第三次改造内閣]]||[[三井辨雄]]||厚生労働大臣||[[北海道第2区|北海道2区]](1)||[[吉川貴盛]]||66.43%
|-
|[[小平忠正]]||国家公安委員会委員長||[[北海道第10区|北海道10区]](1)||[[稲津久]]||71.65%
|-
|[[城島光力]]||財務大臣||[[神奈川県第10区|神奈川10区]](1)||[[田中和徳]]||58.34%
|-
|[[中塚一宏]]||内閣府特命担当大臣(金融担当)||[[神奈川県第12区|神奈川12区]](1)||[[星野剛士]]||65.10%
|-
|[[田中眞紀子]]||文部科学大臣||[[新潟県第5区|新潟5区]](1)||[[長島忠美]]||63.99%
|-
|[[藤村修]]||内閣官房長官||[[大阪府第7区|大阪7区]](1)||[[渡嘉敷奈緒美]]||64.71%
|-
|[[樽床伸二]]||総務大臣||[[大阪府第12区|大阪12区]](1)||[[北川知克]]||63.86%
|-
|[[下地幹郎]]||[[内閣府特命担当大臣(防災担当)]]||[[沖縄県第1区|沖縄1区]](1)||[[國場幸之助]]||71.84%
|-
|rowspan="2"|[[第24回参議院議員通常選挙|2016(平成28)年参院選]]||rowspan="2"|[[第3次安倍内閣 (第1次改造)|第三次安倍第一次改造内閣]]||[[岩城光英]]||法務大臣||[[福島県選挙区|福島県]](1)||[[増子輝彦]]||93.55%
|-
|[[島尻安伊子]]||[[内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策担当)]]||[[沖縄県選挙区|沖縄県]](1)||[[伊波洋一]]||70.03%
|-
|rowspan="2"|[[第50回衆議院議員総選挙|2024(令和6)年衆院選]]||rowspan="2"|[[第1次石破内閣]]||[[牧原秀樹]]||法務大臣||[[埼玉県第5区|埼玉5区]](1)||[[枝野幸男]]||72.60%
|-
|[[小里泰弘]]||農林水産大臣||[[鹿児島県第3区|鹿児島3区]](1)||[[野間健]]||71.65%
|}
※内閣総理大臣、[[大日本帝国憲法]]下のものを除く

=== 在任中の死去 ===
{| class="wikitable"
|+'''閣僚在任のまま死去した国務大臣'''
|-
!氏名
!官名
!内閣
!死去日
!死因
|-
|[[森有礼]]
|[[文部大臣]]
|[[黒田内閣]]
|1889年(明治22年)2月12日
|テロ([[国粋主義|国粋主義者]]による暗殺)
|-
|[[石本新六]]
|[[陸軍大臣]]
|[[第2次西園寺内閣|第二次西園寺内閣]]
|1912年(明治45年)4月2日
|病死(不詳)
|-
|[[横田千之助]]
|司法大臣
|[[加藤高明内閣|加藤内閣]]
|1925年(大正13年)2月4日
|病死([[インフルエンザ]]による発熱)
|-
|[[早速整爾]]
|[[大蔵省|大蔵大臣]]
|[[第1次若槻内閣|第一次若槻内閣]]
|1926年(大正14年)9月13日
|病死([[胃癌]]または[[直腸癌]])
|-
|[[床次竹二郎]]
|[[逓信省|逓信大臣]]
|rowspan="3"|[[岡田内閣]]
|1935年(昭和10年)9月8日
|病死([[心臓病]])
|-
|[[松田源治]]
|文部大臣
|1936年(昭和11年)2月1日
|病死([[急性心不全]])
|-
|[[高橋是清]]
|大蔵大臣
|1936年(昭和11年)2月26日
|テロ([[二・二六事件]]で標的に)
|-
|[[川崎卓吉]]
|[[商工省|商工大臣]]
|[[広田内閣]]
|1936年(昭和11年)3月27日
|病死([[脳卒中]]か?)
|-
|[[阿南惟幾]]
|陸軍大臣
|[[鈴木貫太郎内閣]]
|1945年(昭和20年)8月15日
|自殺(敗戦の責任を負って自刃)
|-
|[[愛知揆一]]
|大蔵大臣
|[[第2次田中角栄内閣|第二次田中角栄内閣]]
|1973年(昭和48年)11月23日
|病死(風邪をこじらせ[[肺炎|急性肺炎]])
|-
|[[仮谷忠男]]
|[[建設大臣]]
|[[三木内閣]]
|1976年(昭和51年)1月15日
|病死([[喘息]]の発作による窒息)
|-
|[[玉置和郎]]
|[[総務庁|総務庁長官]]
|[[第3次中曽根内閣|第三次中曽根内閣]]
|1987年(昭和62年)1月25日
|病死(癌)
|-
|[[松岡利勝]]
|農林水産大臣
|[[第1次安倍内閣|第一次安倍内閣]]
|2007年(平成19年)5月28日
|自殺(数々の疑惑が発覚して)
|-
|[[松下忠洋]]
|内閣府特命担当大臣(金融担当)
|[[野田内閣 (第2次改造)|野田第二次改造内閣]]
|2012年(平成23年)9月10日
|自殺(理由は不明)
|}


※内閣総理大臣を除く
''国務大臣の罷免例については[[罷免#国務大臣の罷免|罷免]]を参照のこと。''


== 脚注 ==
== 国務大臣の権威性とその歴史 ==
{{脚注ヘルプ}}


=== 出典 ===
大臣とは古来からの日本固有の高官職名である。明治期に[[太政大臣]]、[[左大臣]]、[[右大臣]]、[[内大臣]]、[[准大臣]]といった大臣職が改められ、内閣制度の発足とともに、内閣構成者としての内閣総理大臣及び国務大臣として新たな大臣の職掌が整備された。明治以降も昭和初期まで内大臣・[[宮内大臣]]の職が置かれたが、これは閣外の職位であり、国務大臣には含まれず[[内大臣府]]・[[宮内省]]にあって天皇を補佐する役目であった。
{{Reflist}}


=== 注釈 ===
終戦後の昭和30年以降、[[自由民主党]]の結党以来、[[55年体制]]以降、派閥の論理で大臣が選任されてきた。政治家にとって大臣の職は権威の象徴であり、当選回数5回の議員から派閥の均衡によって調整され、人格や能力もあるが、それ以上に派閥の力学で主に大臣が選抜されてきた。当選回数5回以上に達し、大臣を拝命していない政治家は大臣待望組といわれ、大臣になるために執念を燃やしたり、その地位にとらわれることを俗に「大臣病」といった。
{{notelist}}


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
{{Commonscat|Cabinet ministers of Japan|日本の閣僚経験者}}
* [[行政]]
{{Wiktionary|国務大臣}}
* [[内閣]]
* 内閣連帯責任 {{small|([[:w:Cabinet collective responsibility|Cabinet collective responsibility]])}}
* [[閣議]]
* 個別大臣責任 {{small|([[:w:Individual ministerial responsibility|Individual ministerial responsibility]])}}
* [[内閣総理大臣]]
* [[官房]]
* [[閣]]
* [[認証官任命式]]
* [[民間人閣僚]]
* [[女性閣僚]]
* [[閣外大臣]]
* [[参議院枠]]
* [[内閣改造]]
* [[影の内閣]]


== 外部リンク ==
[[Category:政治|こくむたいしん]]
* [https://www.kantei.go.jp/jp/rekidai/index.html 内閣制度と歴代内閣] - 首相官邸
[[Category:日本の政治|こくむたいしん]]
{{日本の内閣}}
{{日本関連の項目}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:こくむたいしん}}
[[Category:日本の国務大臣|*]]
[[Category:日本の行政官職]]


[[da:Gesandt]]
[[de:Minister]]
[[en:Political minister]]
[[en:Political minister]]
[[fr:Ministre]]
[[mi:Minita Karauna]]
[[mi:Minita Karauna]]
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[[pl:Minister]]
[[sk:Minister]]
[[sv:Statsråd]]
[[sv:Statsråd]]

2024年11月11日 (月) 22:56時点における最新版

第2次岸田第2次改造内閣発足時に閣議の前に応接室に集う国務大臣

国務大臣(こくむだいじん、: Minister of State[1])は、日本内閣の構成員である。内閣総理大臣を除く国務大臣は内閣総理大臣が任命し、天皇認証する特別職国家公務員である。国務大臣は文民でなければならない。閣僚(かくりょう)または閣員(かくいん)とも称される[2]

概説

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法令上の「国務大臣」の概説

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法令上の「国務大臣」は、広義には内閣総理大臣を含む閣僚すべてを指し、狭義には内閣総理大臣以外の閣僚をいう。さらに狭義として、事項に述べるように、主管官庁をもつ行政大臣に対しての無任所大臣等を指す解釈もある。

そして、広義の意味で「国務大臣」の語が用いられている例としては、日本国憲法第63条日本国憲法第66条第1項および同条第2項などがある。これらの条文では「内閣総理大臣その他の国務大臣」と表現されており、「国務大臣」の概念が内閣総理大臣たる国務大臣とその他の国務大臣の双方を含む意味で用いられている。

狭義の意味で「国務大臣」の語が用いられている例としては、日本国憲法第68条第1項や同条第2項などがある。たとえば日本国憲法第68条第1項前段は「内閣総理大臣は、国務大臣を任命する」と規定しているが、内閣総理大臣はそもそも国会の指名に基づいて天皇により任命されるため(日本国憲法第6条第1項)、日本国憲法第68条第1項前段の「国務大臣」には内閣総理大臣は含まれないことになる。

なお、内閣法第2条第2項で、「国務大臣の数は、14人以内とする。ただし、特別に必要がある場合においては、3人を限度にその数を増加し、17人以内とすることができる」とされるが、後述の通り、特別法により増員されることもある。また、内閣法第3条第2項は「行政事務を分担管理しない大臣の存することを妨げるものではない」として無任所大臣を置くことを認めているが、主任の大臣ではない国務大臣には法律上の正式な呼称がない(詳細については無任所大臣の項目の「新憲法下における『無任所国務大臣』」の節を参照のこと)。そのため、内閣の構成員の一覧表などでは、主任の大臣以外の国務大臣については単に「国務大臣」となっている場合がある。

国務大臣と行政大臣

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行政学などでは講学上、国務大臣と行政大臣に分けて論じられる場合がある。行政大臣は主任の大臣とも呼ばれ、各省の長として特定の行政分野を担当している国務大臣を指す。特定の行政分野を分担管理するわけではない内閣官房長官、デジタル大臣、復興大臣、国家公安委員会委員長、内閣府特命担当大臣、班列に対する概念である。

内閣は国の行政権を一体として担当する合議体であるため、構成員たる国務大臣は、その分担管理する行政事務にかかわらず、国務および外交全体について評議し、議決に加わることになる。内閣法には、すべての国務大臣は「案件の如何にかかわらず、議案を閣議に提出することができる」趣旨の規定がある。しかし、実際の運用としては、主任の大臣以外の国務大臣が閣議を請議することはない。たとえば内閣府特命担当大臣の場合、内閣府の主任の大臣である内閣総理大臣に議案を上申したうえで、内閣総理大臣が閣議を請議することになる。

地位と任免

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国務大臣は行政権の属する内閣の構成員である(日本国憲法第66条)。国務大臣の身分は国家公務員法第2条第3項において、特別職の国家公務員とされる。

任命

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国務大臣の官記の例(江田五月に対する国務大臣の官記。内閣総理大臣菅直人により任命され天皇により認証されている)
法務大臣の補職辞令の例(国務大臣江田五月に対する法務大臣の補職辞令。内閣総理大臣菅直人により発令されている)

先述のように一般的に国務大臣という場合には内閣総理大臣を含めて指す場合とそうでない場合があり、両者で任命の主体と手続が異なる。

内閣総理大臣は国会の議決により指名され(内閣総理大臣指名選挙日本国憲法第67条第1項)、その国会の指名に基づいて天皇によって任命され(日本国憲法第6条第1項)、親任式が行われる。内閣総理大臣は文民でなければならない(日本国憲法第66条第2項)。

内閣総理大臣の任命について定める日本国憲法第6条には日本国憲法第7条とは異なり「内閣の助言と承認」の文言がないが、内閣総理大臣の任命は日本国憲法第4条の「この憲法の定める国事に関する行為」に含まれるため、日本国憲法第3条の効果として内閣の助言と承認を要する[3][4]。先例では内閣総理大臣の任命については日本国憲法第71条の規定により、従前の内閣が助言と承認を行うことになっている。この内閣総理大臣の任命によって、従前の内閣はその地位を完全に失うことになる(日本国憲法第71条)[5]。内閣総理大臣の任命においては衆議院議長および参議院議長の列席の下で任命式が行われる[6](実際の例では内閣総理大臣を任命する儀式として親任式が行われる[7])。

内閣総理大臣以外の国務大臣は内閣総理大臣により任命され(日本国憲法第68条第1項本文)、天皇によって認証される(日本国憲法第7条第5号)。「認証」は対象となる行為が権限ある機関によって正当な手続を経て行われた事実を確認し、公証する行為である[8][9][10]。認証には内閣の助言と承認を要するが(日本国憲法第7条第5号)、新内閣の成立時においては、性質上、それは新たに任命された内閣総理大臣のみによって行われることになる[11]。国務大臣の認証においては認証式が行われる[12]。実際の例では天皇の認証を必要とする国務大臣などの認証官の任命式については認証官任命式という形で行われ[13]、内閣総理大臣による任命において天皇が辞令に親署するという形式で認証が行われる[8][14]

宮中の親任式および認証官任命式で授与される「官記」は、単に内閣総理大臣または国務大臣としての任命・認証であり、どの行政事務を分担管理するかの辞令(例:「総務大臣を命ずる」)は式後に首相官邸で内閣総理大臣から発令される(国務大臣に何らかの官職を命ずることを「補職」といい、その補職の辞令を「補職辞令」という)。その他の国務大臣も内閣総理大臣と同様に文民でなければならない(日本国憲法第66条第2項)。

国務大臣の過半数は国会議員にて構成しなければならない(日本国憲法第68条但書)。内閣の構成上の要件とされる[15]。ここでいう「過半数」は国務大臣の定数の過半数ではなく、現在する国務大臣の過半数を意味する[16]。内閣を構成する国務大臣の過半数が国会議員であれば足り、国務大臣が国会議員の地位を失っても当然に国務大臣の地位を失うわけではない[17]。ただし、内閣総理大臣は国会議員であることを在職要件とされている[注釈 1]

内閣総理大臣臨時代理に憲法68条の国務大臣の任命権が認められるか否かについて、学説は肯定説と否定説に分かれているが、政府見解は憲法68条の国務大臣の任命権は内閣総理大臣の一身専属の権利であるとする[18][19]。先例としては石橋内閣において石橋湛山総理が病気のために岸信介外務大臣が内閣総理大臣臨時代理となったが、1957年(昭和32年)2月2日の小瀧彬防衛庁長官の任命は石橋総理が自ら行っている。ただし、認証式や両院への通告は岸臨時代理が行っている[20]

外交上の敬称としては交渉国との間で主に大臣閣下という敬称と本官に相当する本大臣という自称で呼び合うこととなっている。また、内閣総理大臣・国務大臣等は自衛隊を公式に訪問または視察する場合、その他防衛大臣の定める場合において栄誉礼を受ける栄誉礼受礼資格者に定められている(自衛隊法施行規則13条)。

なお、国会議員で旧姓やペンネーム(タレント時代などの芸名や、わかりやすく一部をひらがなにする)などにしてある場合、国務大臣に任命される際には戸籍に登録されている本名で任命を受け、連署・署名など国務大臣として行う場合は本名でなくてはならない。

罷免

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日本国憲法第68条第2項は「内閣総理大臣は、任意に国務大臣を罷免することができる」と定める。「任意に」とは時期や理由を問わず法的には何らの制約なく、内閣総理大臣の自由裁量によって決しうることを意味する[21][22]。国務大臣の罷免の政治上・道義上の当不当は本条の問題とは別の問題である[21]。国務大臣の罷免権は任命権と同じく内閣総理大臣の専権に属する[23]

国務大臣の任免は天皇によって認証される(日本国憲法第7条第5号)。したがって、内閣総理大臣の専権事項とされる罷免そのものの決定には閣議は不要であるが、通説によれば天皇の国事行為である認証については内閣の助言と承認を要し、閣議が必要とされる[24][23]。この場合、事の性質上、この閣議は国務大臣の罷免を妨げることはできず、罷免される国務大臣はこの内閣の助言と承認の決定に加わることができない[24][23]

権限と義務

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議院出席の権利義務

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国務大臣は両議院での議席の有無にかかわらず、議案について発言するために議院に出席をすることができる。答弁または説明のために出席を求められた際は出席しなければならない(日本国憲法第63条)。この「議院」には本会議のほか委員会も含まれる[25]。ただし、憲法上、各議院には運営等について自律権が認められている(日本国憲法第58条第2項)。国務大臣の議院出席の権利は国会法および両議院規則に服するのであり、これに反しないようにしなければならない[26]

法律および政令への署名

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法律および政令には国務大臣の署名と内閣総理大臣による連署を必要とする(憲法第74条)。内閣総理大臣および各省大臣は内閣法上、主任の大臣と呼ばれ、担当国務に関係する法律、政令を公布する際その末尾に国務大臣による署名と内閣総理大臣の連署を要することになる。主任の大臣以外の大臣は、連署・副署をしない。ただし、主任の大臣の誰かが外遊などで国内不在となる場合に一時的にその臨時代理を命ぜられることがあり、その際は連署・副署に名を連ねることとなる。

主任の大臣が複数あるときは署名は建制順による[27]。また、内閣総理大臣自身が主任の大臣として署名の主体となるときは連署は行わない例である[27]

今日の通説的見解によれば、この署名・連署は執行の責任を表示するという性質のものであり、これを欠いていても法律や政令の効力やこれらの執行の責任には影響しない[28][29]

大日本帝国憲法下の「副署」が国務大臣の輔弼についての責任を表示するものであったのに対して、現行憲法下の「連署」は法律・政令に対する内閣自身の執行・制定についての責任を表示するものであり性格が異なる[30]。なお、現行憲法下においても「副署」が行われる例(解散詔書など)があり、これは憲法74条に規定する「署名」や「連署」とは異なるものであるが[31]、天皇の国事行為において内閣による助言と承認があったことを内閣総理大臣が内閣を代表して確認を行うもので、慣行として適当なものであると評価されている[31]

特典

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日本国憲法第75条は「国務大臣は、その在任中、内閣総理大臣の同意がなければ、訴追されない。但し、これがため、訴追の権利は、害されない」と規定する。この規定は国務大臣の特典であるとともに内閣の一体性を確保し、内閣総理大臣の内閣の首長としての地位を強化するものである[32]

日本国憲法第75条の「訴追」については、刑事訴訟法上の逮捕勾留を含むとする説[32]と逮捕・勾留を含まないとする説[33]が対立している[34]政府見解では逮捕は含まないとしている[35]。先例としては1948年9月30日に栗栖赳夫国務大臣(経済安定本部総務長官物価庁長官中央経済調査庁長官)が昭和電工事件で内閣総理大臣の同意なく逮捕されたが、この事件で東京高裁は身体の拘束を含むとは解しえないと判示している(東京高判昭和34年12月26日判時213号46頁)[36]

先述のように「国務大臣」には内閣総理大臣を含む場合と含まない場合があるが、日本国憲法第75条の「国務大臣」についても、内閣総理大臣もこの国務大臣に含むとする学説と、内閣総理大臣はこの国務大臣には含まれないとする学説の2つの説が対立している[35]

本条により内閣総理大臣の同意を欠く国務大臣の訴追は認められず、内閣総理大臣の同意なく国務大臣が起訴された場合には公訴は無効となる(刑事訴訟法第338条4号)[33]

本条の効果は在任中に限られるため、国務大臣の退任後は内閣総理大臣の同意がなくとも訴追ができることは当然である[37][32]。本条ただし書きの「これがため、訴追の権利は、害されない」は、通説によれば公訴時効の進行が停止することを意味すると解されている[38]。ただし、時効の進行の停止する始期については、国務大臣在任中は当然に時効が停止するとみる学説と、内閣総理大臣が訴追への同意を拒否した時点から時効の進行が停止するとみる学説の2つの説が対立する[38]

なお、国会議員たる国務大臣については、国会議員の立場では不逮捕特権日本国憲法第50条)や免責特権日本国憲法第51条)も認められる。ただし、免責特権について、多くの学説は国会議員の立場ではなく国務大臣の立場でなされた発言は免責対象とはならないと解している[39][40]。国務大臣としての地位や責任は国会議員とは性格が異なるものであり[40]、また、これを認めると国会議員でない国務大臣との間に不均衡を生じることになり妥当でないとされる[39]。下級審の判例も同様の解釈をとっている(東京高判昭和34年12月26日判時213号46頁)[39]

内閣と大臣

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内閣の組織

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内閣は内閣総理大臣およびその他の国務大臣で組織される(日本国憲法第50条、内閣法第2条第1項)。内閣総理大臣は内閣の首長(日本国憲法第66条1項、内閣法第2条第1項)で、ほかの国務大臣の任免権(日本国憲法第68条)、国務大臣に対する訴追同意権(日本国憲法第75条)、行政各部の指揮監督権(日本国憲法第72条)、閣議における発議権(内閣法第4条第2項)などを有する。その他の国務大臣は原則14人とし、必要であればさらに3人まで任命できるとされているが(内閣法第2条第2項)、後述のように特別法による特例が設けられることがある。

なお、日本には、他国の副首相に相当する官職は存在しない。ただし、内閣法第9条にいう内閣総理大臣臨時代理の第一順位に指定された国務大臣が内閣官房長官を命ぜられていない場合、当該国務大臣を副総理と呼ぶ慣行がある。

内閣の構成メンバーの定数の推移

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日本国憲法下においては、内閣総理大臣を除く内閣の構成人員は以下のように変遷している。

期間 定員 上限 備考
1947年 - 1965年 16人
1965年 - 1966年 17人 総理府総務長官は国務大臣となる。
1966年 - 1971年 18人 内閣官房長官は国務大臣となる。
1971年 - 1974年 19人 環境庁設置に伴い、環境庁長官を追加。
1974年 - 2001年 20人 国土庁設置に伴い、国土庁長官を追加。
2001年 - 2012年 14人 17人 中央省庁再編による変更。
2012年 - 2015年 15人 18人 復興庁設置に伴い、復興大臣を追加[注釈 2]
2015年 - 2020年 16人 19人 オリンピック推進本部設置に伴い、五輪担当大臣を追加[注釈 3]
2020年 - 2022年 17人 20人 国際博覧会推進本部設置に伴い、万博担当大臣を追加[注釈 4]
2022年 - 現在 16人 19人 オリンピック推進本部解散に伴い、五輪担当大臣を廃止。

大臣の所掌

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行政事務の分担管理

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各大臣は、法律の定めるところにより、主任の大臣として行政事務を分担管理する(内閣法第3条第1項)。ただし、行政事務を分担管理しない大臣(いわゆる無任所大臣)を置くことを妨げるものではない(内閣法第3条第2項)。

特命事項の担当大臣

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複数の官庁に関係するような国政の重要事項についてはいち官庁の所掌とせず、専任の重要事項担当部署(局、対策室等)を各省各庁より格上の内閣官房または内閣府に設置し、内閣官房および内閣府それぞれの主任の大臣である内閣総理大臣の下で総合的に処理する場合がある。これら重要事項担当部署の長(局長、対策室長等)には、通常、職業公務員(いわゆる官僚)が任命されるが、それら局長等と内閣総理大臣との間にあって政務を掌る官職として担当大臣を置くことがある。重要事項担当部署が内閣府にある場合、その担当大臣のことを法律上「特命担当大臣」(官報等に掲載される辞令等の上では「内閣府特命担当大臣」という)という。一方、重要事項担当部署が内閣官房にある場合、その担当大臣の正式名称は特に法定されていない。内閣府以外の特命事項担当大臣は、内閣総理大臣発出の辞令又は決裁のみで柔軟に置くことが可能であり[41]、官報辞令はなされず内閣総理大臣の口頭指示により設置される場合もある[42]。また、ある法律によって設置される合議体の副責任者に、当該法律や合議体に関する事務を担当する国務大臣をもって充てることとされることがある。一例としては、サイバーセキュリティ戦略本部の副本部長職は、サイバーセキュリティ基本法29条によりサイバーセキュリティ戦略本部に関する事務を取り扱う国務大臣を充てると規定されているが、官報等に辞令は掲載されない。

  • 内閣府特命担当大臣(例:規制改革担当)も、内閣府以外の特命事項担当大臣(例:行政改革担当)も、一般的にはそれぞれの担当職務を用いて「○○担当大臣」と呼ばれる。

内閣法の規定

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内閣法では、内閣総理大臣を除いた国務大臣の数は原則14人とし、必要であればさらに3人まで任命できる(内閣法第2条第2項)。

特別法による特例

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国務大臣の数は特別法により増員されることがある。

特別法によって増員される大臣は以下の通り。

大臣規範

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大臣を代理する職

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内閣総理大臣臨時代理

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内閣法第9条に「内閣総理大臣に事故のあるとき、又は内閣総理大臣が欠けたときは、その予め指定する国務大臣が、臨時に、内閣総理大臣の職務を行う」と規定されており、内閣総理大臣が死亡・病気・海外出張などで不在となった際には、あらかじめ指定された国務大臣が「内閣総理大臣臨時代理」の職名で職務を行う。2000年4月以降、組閣時に就任予定者5名があらかじめ指定される規定となった。

他の大臣の臨時代理と事務代理

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各省大臣の外遊時などには、「国務大臣の代理には他の国務大臣が就く」という内閣法上の原則に基づき、直属の副大臣ではなく、ほかの大臣または内閣総理大臣がその臨時代理を務める(例:総務大臣臨時代理)。その人選は内閣総理大臣が行う。

  • 各省大臣以外の「内閣官房長官・デジタル大臣・国家公安委員会委員長・内閣府特命担当大臣」の代理については、ほかの大臣が「事務代理」を務める(例:内閣官房長官事務代理)。ただし、内閣総理大臣自らが代行する場合は「事務代理」でなく「事務取扱」と称する(例:内閣官房長官事務取扱)。
    ※上記「特命事項の担当大臣」の項で言及した担当大臣のうち、内閣官房(まれに省)の重要事項担当大臣については、内閣府特命担当大臣と異なり外遊時等に代理発令がされることはない。厳密には、総理の口頭指示等による一時的代行はあるのかも知れないが、少なくとも辞令のような公に分かる形で官報掲載された例はない。
  • 副大臣は、直属の上司である大臣・長官等の代理に指定されることはない。国務大臣でない副大臣には憲法第74条に基づく法令への連署等をする最高権限がないためである。ただし、省庁の代表者として式典で祝辞を述べるなど内閣の一員たる国務大臣の権限を必ずしも要請されない行為の場合は、副大臣や政務官が代行(参席・代読等)することが一般的である。
  • 内閣法には第9条に「臨時に、内閣総理大臣の職務を行う」、第10条に「臨時に、その主任の大臣の職務を行う」とあり、一方で内閣府設置法と国家行政組織法には「副大臣(副長官)は…職務を代行する」とある。「行う」と「代行する」という似て非なる文言で区別がなされており、副大臣・副長官の「代行する」権限が「省庁組織の長としての大臣権限」に限られ、より広汎な「主任の国務大臣の権限」までは及ばないと解する根拠のひとつとなっている。

大臣を補佐する職

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副大臣・大臣政務官・大臣補佐官・大臣秘書官

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現在、内閣はじめ省庁における大臣以下の政治ポストはかつての政務次官が副大臣や大臣政務官などに再編され、省内における政治任用職も増えた。1996年(平成8年)に内閣総理大臣補佐官が、2014年(平成26年)に大臣補佐官が新設され、国務大臣を補佐する体制がより高められた。内閣総理大臣補佐官の定数は5名、内閣府の大臣補佐官の定数は6名、復興庁とその他の省の大臣補佐官の定数は各1名で、いずれも特別職で、国会議員の兼任、非常勤が可能である。

内閣総理大臣秘書官以外の大臣秘書官は定数1名で官庁の外から政治的任用される(通例はその大臣の議員第一秘書などが務めることが多い)。当該省庁の職員も大臣秘書官と呼ばれるポストに就いて大臣を補佐するが、これは厳密には大臣秘書官事務取扱といい、正規の法定秘書官ではない。大臣以下副大臣・政務官の品位と倫理を維持するため、大臣規範などを定め、汚職の防止や兼職の禁止など自律的な制約を定めている。

大臣と副大臣・大臣政務官等の任命方式・権限の差異

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  • 大臣は、1)内閣総理大臣から任命・天皇から認証される「国務大臣」としての官記(国務大臣に任命する)、2)総理から担当事務を命ぜられる「各省大臣・長官等」としての補職の辞令(例:総務大臣を命ずる、内閣府特命担当大臣を命ずる)、という二段階の任命方式がとられている。閣議においては、たとえば防衛大臣である国務大臣が司法改革など他省庁の閣議案件について(あくまで理論上ではあるが)深く意見を述べたり、当該他省庁の官僚に「一国務大臣として」何らかの指摘・要求等をすることも可能であり、「国務大臣」としての関与権限は国政全般に及ぶものとされる。
  • 一方、副大臣と大臣政務官は、特定の官庁名を冠された官記又は辞令(例:内閣府副大臣に任命する、総務副大臣に任命する、法務大臣政務官に任命する、外務大臣政務官に任命する等)だけを受ける。副大臣は国務大臣と同様認証官であるため天皇の認証のある官記を受け、大臣政務官はそうでないという違いはあるが、どちらも国務大臣のような国政全般への関与を可能とする権限付与(二段階の辞令)は行われていない。
  • 閣議では、各大臣は各省や特命事項の担当大臣としてだけでなく、広く天下国家を論じる国務大臣の一人として参画する。一方、副大臣会議では、副大臣は各府省の調整代表の高官として参加しており、国政全般を論じたり他府省の副大臣の提出した案件に対して必要以上の関与をすることはできない。
  • 国務大臣の表記にならって「国務副大臣」と誤表記される場合もあるが、広汎な国務大臣の権限に比べ副大臣の地位・権限が限定的であることと矛盾する。「国務副大臣」の名称はいかなる法令にも存在せず、そのような辞令が発せられたこともない。各府省副大臣の総称は単に「副大臣」とするのが正しく、各種法令でもそのような取扱いがなされている。大臣政務官についても同様で、「国務大臣政務官」とするのは法的には誤りとなる。

歴史

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大臣とは古来からの日本固有の高官職名である。明治期に太政大臣左大臣右大臣内大臣といった大臣職(三槐)と大臣に次するとされた大納言(亜槐)の職が改められ、内閣制度の発足とともに、内閣構成者としての内閣総理大臣及び国務大臣として新たな大臣の職掌が整備された。明治以降も昭和初期まで内大臣・宮内大臣(現・宮内庁長官)の職が置かれたが、これは閣外の職位であり、国務大臣には含まれず内大臣府宮内省(現・宮内庁)にあって天皇を補佐する役目であった。

終戦後、1955年(昭和30年)の自由民主党の結党より始まる55年体制の下での大臣の選任は、いわゆる「派閥の論理」で行われた。

政治家にとって大臣の職は権威の象徴であり、自由民主党では、当選回数5回以上(衆議院議員の場合)が国務大臣の資格の条件とされたが、大臣を拝命していない政治家は大臣待望組といわれた。また大臣になるために執念を燃やしたり、その地位にとらわれることを俗に「大臣病」といった。

各種記録

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  • 最年長在任記録国務大臣 - 塩川正十郎財務大臣、81歳11か月、2003年(平成15年)9月22日退任
  • 最年少就任記録国務大臣 - 小渕優子少子化対策担当・男女共同参画担当大臣、34歳9か月、2008年(平成20年)9月24日就任
  • 通算最長在任記録国務大臣 - 松方正義大蔵大臣、5302日
  • 戦前連続最長在任記録国務大臣 - 寺内正毅陸軍大臣、3442日間、1902年(明治35年)3月27日 - 1911年(明治44年)8月30日
  • 戦後連続最長在任記録国務大臣 - 麻生太郎財務大臣、3205日間 2012年(平成24年)12月26日 - 2021年(令和3年)10月4日
  • 戦後最短在任記録国務大臣 - 長谷川峻法務大臣、4日間、1988年(昭和63年)12月27日 - 1988年(昭和63年)12月30日
  • 戦前最短在任記録国務大臣 - 野村直邦海軍大臣、6日間、1944年(昭和19年)7月17日 - 1944年(昭和19年)7月22日
  • 女性初の国務大臣 - 中山マサ厚生大臣、1960年(昭和35年)7月19日就任

在任中の落選

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閣僚在任のまま選挙で落選した国務大臣
選挙 内閣 候補 役職 選挙区、定数 最下位当選候補 惜敗率
1949(昭和24)年衆院選 第二次吉田内閣 工藤鉄男 行政管理庁長官 青森2区(3) 清藤唯七 87.92%
1953(昭和28)年参院選 第四次吉田内閣 林屋亀次郎 国務大臣 石川県(1) 井村徳二 92.32%
1955(昭和30)年衆院選 第一次鳩山内閣 武知勇記 郵政大臣 愛媛1区(3) 関谷勝利 83.23%
1958(昭和33)年衆院選 第一次岸内閣 唐沢俊樹 法務大臣 長野4区(3) 小沢貞孝 89.13%
1976(昭和51)年衆院選 三木内閣 大石武一 農林水産大臣 宮城2区(4) 内海英男 93.75%
天野公義 自治大臣 東京6区(4) 佐野進 95.74%
前田正男 科学技術庁長官 奈良全県区(5) 服部安司 91.92%
1983(昭和58)年衆院選 第一次中曽根内閣 大野明 労働大臣 岐阜1区(5) 簑輪幸代 98.78%
谷川和穂 防衛庁長官 広島2区(4) 中川秀直 97.30%
瀬戸山三男 法務大臣 宮崎2区(3) 堀之内久男 96.34%
1990(平成2)年衆院選 第一次海部内閣 江藤隆美 運輸大臣 宮崎1区(3) 米沢隆 97.12%
1996(平成8)年衆院選 第一次橋本内閣 田中秀征 経済企画庁長官 長野1区(1) 小坂憲次 66.22%
1998(平成10)年参院選 第二次橋本内閣 大木浩 環境庁長官 愛知県(3) 八田広子 97.93%
2000(平成12)年衆院選 第一次森内閣 玉沢徳一郎 農林水産大臣 岩手1区(1) 達増拓也 87.66%
深谷隆司 通商産業大臣 東京2区(1) 中山義活 92.31%
2010(平成22)年参院選 菅直人内閣 千葉景子 法務大臣 神奈川県(3) 金子洋一 93.50%
2012(平成24)年衆院選 野田第三次改造内閣 三井辨雄 厚生労働大臣 北海道2区(1) 吉川貴盛 66.43%
小平忠正 国家公安委員会委員長 北海道10区(1) 稲津久 71.65%
城島光力 財務大臣 神奈川10区(1) 田中和徳 58.34%
中塚一宏 内閣府特命担当大臣(金融担当) 神奈川12区(1) 星野剛士 65.10%
田中眞紀子 文部科学大臣 新潟5区(1) 長島忠美 63.99%
藤村修 内閣官房長官 大阪7区(1) 渡嘉敷奈緒美 64.71%
樽床伸二 総務大臣 大阪12区(1) 北川知克 63.86%
下地幹郎 内閣府特命担当大臣(防災担当) 沖縄1区(1) 國場幸之助 71.84%
2016(平成28)年参院選 第三次安倍第一次改造内閣 岩城光英 法務大臣 福島県(1) 増子輝彦 93.55%
島尻安伊子 内閣府特命担当大臣(沖縄及び北方対策担当) 沖縄県(1) 伊波洋一 70.03%
2024(令和6)年衆院選 第1次石破内閣 牧原秀樹 法務大臣 埼玉5区(1) 枝野幸男 72.60%
小里泰弘 農林水産大臣 鹿児島3区(1) 野間健 71.65%

※内閣総理大臣、大日本帝国憲法下のものを除く

在任中の死去

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閣僚在任のまま死去した国務大臣
氏名 官名 内閣 死去日 死因
森有礼 文部大臣 黒田内閣 1889年(明治22年)2月12日 テロ(国粋主義者による暗殺)
石本新六 陸軍大臣 第二次西園寺内閣 1912年(明治45年)4月2日 病死(不詳)
横田千之助 司法大臣 加藤内閣 1925年(大正13年)2月4日 病死(インフルエンザによる発熱)
早速整爾 大蔵大臣 第一次若槻内閣 1926年(大正14年)9月13日 病死(胃癌または直腸癌
床次竹二郎 逓信大臣 岡田内閣 1935年(昭和10年)9月8日 病死(心臓病
松田源治 文部大臣 1936年(昭和11年)2月1日 病死(急性心不全
高橋是清 大蔵大臣 1936年(昭和11年)2月26日 テロ(二・二六事件で標的に)
川崎卓吉 商工大臣 広田内閣 1936年(昭和11年)3月27日 病死(脳卒中か?)
阿南惟幾 陸軍大臣 鈴木貫太郎内閣 1945年(昭和20年)8月15日 自殺(敗戦の責任を負って自刃)
愛知揆一 大蔵大臣 第二次田中角栄内閣 1973年(昭和48年)11月23日 病死(風邪をこじらせ急性肺炎
仮谷忠男 建設大臣 三木内閣 1976年(昭和51年)1月15日 病死(喘息の発作による窒息)
玉置和郎 総務庁長官 第三次中曽根内閣 1987年(昭和62年)1月25日 病死(癌)
松岡利勝 農林水産大臣 第一次安倍内閣 2007年(平成19年)5月28日 自殺(数々の疑惑が発覚して)
松下忠洋 内閣府特命担当大臣(金融担当) 野田第二次改造内閣 2012年(平成23年)9月10日 自殺(理由は不明)

※内閣総理大臣を除く

脚注

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出典

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  1. ^ 内閣官房組織等英文名称一覧”. 内閣官房. 2020年10月18日閲覧。
  2. ^ 閣員』 - コトバンク
  3. ^ 佐藤功著 『新版 憲法(上)』 有斐閣、1983年、69-70頁
  4. ^ 樋口陽一中村睦男佐藤幸治浦部法穂著 『注解法律学全集3 憲法Ⅰ(前文・第1条~第20条)』 青林書院、1994年、96頁
  5. ^ 樋口陽一・中村睦男・佐藤幸治・浦部法穂著 『注解法律学全集3 憲法Ⅲ(第41条~第75条)』 青林書院、1998年、229頁
  6. ^ 佐藤功著 『新版 憲法(上)』 有斐閣、1983年、70頁
  7. ^ 親任式 宮内庁
  8. ^ a b 阿部照哉著 『青林教科書シリーズ 憲法 改訂』 青林書院、1991年、34頁
  9. ^ 佐藤功著 『新版 憲法(上)』 有斐閣、1983年、91頁
  10. ^ 樋口陽一・中村睦男・佐藤幸治・浦部法穂著 『注解法律学全集3 憲法Ⅰ(前文・第1条~第20条)』 青林書院、1994年、119頁
  11. ^ 佐藤功著 『新版 憲法(上)』 有斐閣、1983年、56頁
  12. ^ 佐藤功著 『新版 憲法(上)』 有斐閣、1983年、88頁
  13. ^ 認証官任命式 宮内庁
  14. ^ 樋口陽一・中村睦男・佐藤幸治・浦部法穂著 『注解法律学全集3 憲法Ⅰ(前文・第1条~第20条)』 青林書院、1994年、96頁
  15. ^ 佐藤功著 『新版 憲法(下)』 有斐閣、1984年、839頁
  16. ^ 樋口陽一・中村睦男・佐藤幸治・浦部法穂著 『注解法律学全集3 憲法Ⅲ(第41条~第75条)』 青林書院、1998年、217頁
  17. ^ 樋口陽一・中村睦男・佐藤幸治・浦部法穂著 『注解法律学全集3 憲法Ⅲ(第41条~第75条)』 青林書院、1998年、218頁
  18. ^ 佐藤功著 『新版 憲法(下)』 有斐閣、1984年、859-860頁
  19. ^ 樋口陽一・中村睦男・佐藤幸治・浦部法穂著 『注解法律学全集3 憲法Ⅲ(第41条~第75条)』 青林書院、1998年、215-216頁
  20. ^ 樋口陽一・中村睦男・佐藤幸治・浦部法穂著 『注解法律学全集3 憲法Ⅲ(第41条~第75条)』 青林書院、1998年、216-217頁
  21. ^ a b 佐藤功著 『新版 憲法(下)』 有斐閣、1984年、840頁
  22. ^ 樋口陽一・中村睦男・佐藤幸治・浦部法穂著 『注解法律学全集3 憲法Ⅲ(第41条~第75条)』 青林書院、1998年、218頁
  23. ^ a b c 樋口陽一・中村睦男・佐藤幸治・浦部法穂著 『注解法律学全集3 憲法Ⅲ(第41条~第75条)』 青林書院、1998年、219頁
  24. ^ a b 佐藤功著 『新版 憲法(下)』 有斐閣、1984年、841頁
  25. ^ 佐藤功著 『新版 憲法(下)』 有斐閣、1984年、801頁
  26. ^ 佐藤功著 『新版 憲法(下)』 有斐閣、1984年、802頁
  27. ^ a b 佐藤功著 『新版 憲法(下)』 有斐閣、1984年、916頁
  28. ^ 佐藤功著 『新版 憲法(下)』 有斐閣、1984年、918頁
  29. ^ 樋口陽一・中村睦男・佐藤幸治・浦部法穂著 『注解法律学全集3 憲法Ⅲ(第41条~第75条)』 青林書院、1998年、265-266頁
  30. ^ 佐藤功著 『新版 憲法(下)』 有斐閣、1984年、913頁
  31. ^ a b 佐藤功著 『新版 憲法(上)』 有斐閣、1983年、56頁
  32. ^ a b c 伊藤正己著 『憲法 第三版』 弘文堂、1995年、540頁
  33. ^ a b 佐藤功著 『新版 憲法(下)』 有斐閣、1984年、920頁
  34. ^ 樋口陽一・中村睦男・佐藤幸治・浦部法穂著 『注解法律学全集3 憲法Ⅲ(第41条~第75条)』 青林書院、1998年、267頁
  35. ^ a b 樋口陽一・中村睦男・佐藤幸治・浦部法穂著 『注解法律学全集3 憲法Ⅲ(第41条~第75条)』 青林書院、1998年、268頁
  36. ^ 樋口陽一・中村睦男・佐藤幸治・浦部法穂著 『注解法律学全集3 憲法Ⅲ(第41条~第75条)』 青林書院、1998年、267-268頁
  37. ^ 佐藤功著 『新版 憲法(下)』 有斐閣、1984年、921頁
  38. ^ a b 樋口陽一・中村睦男・佐藤幸治・浦部法穂著 『注解法律学全集3 憲法Ⅲ(第41条~第75条)』 青林書院、1998年、269頁
  39. ^ a b c 佐藤功著 『新版 憲法(下)』 有斐閣、1984年、697頁
  40. ^ a b 松澤浩一著 『議会法』 ぎょうせい、1987年、200頁
  41. ^ 特命担当大臣』 - コトバンク
  42. ^ コロナ対策「最優先課題」でも担当大臣いないけど? デジタルや万博は新設 2020年9月24日 06時00分 東京新聞

注釈

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  1. ^ 国会議員資格を喪失した内閣総理大臣の地位について法律では明記されていないが、2000年4月25日に参議院予算委員会で内閣法制局長官は『「内閣総理大臣が国会議員たる地位を失った場合」は「内閣総理大臣が欠けたとき」に該当する』と答弁し、また首相官邸のHPでは内閣総理大臣が国会議員でなくなった場合は「内閣総理大臣の失格」として「内閣総理大臣が欠けたとき」に該当し、内閣総理大臣が国会議員で無くなった場合は内閣総辞職しなければならないとしている。
  2. ^ 2031年3月31日までの間において別に法律で定める日までの期間限定の増員(内閣法附則第2項・復興庁設置法第21条)。
  3. ^ 2022年3月31日までの期間限定の増員(内閣法附則第4項・五輪特措法第10条)。
  4. ^ 2026年3月31日までの期間限定の増員(内閣法附則第3項・万博特措法第10条)。

関連項目

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外部リンク

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