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'''{{By|2006年}}'''、3月31日の[[横浜DeNAベイスターズ|横浜ベイスターズ]]との開幕戦に8番・[[右翼手]]で出場し、3打数2安打4打点と活躍。6月29日の対横浜戦で[[山口俊]]からプロ入り初本塁打を放った。しかし65試合の出場にとどまり、打率も辛うじて2割を超える程度しか残せなかった。 |
'''{{By|2006年}}'''、3月31日の[[横浜DeNAベイスターズ|横浜ベイスターズ]]との開幕戦に8番・[[右翼手]]で出場し、3打数2安打4打点と活躍。6月29日の対横浜戦で[[山口俊]]からプロ入り初本塁打を放った。しかし65試合の出場にとどまり、打率も辛うじて2割を超える程度しか残せなかった。 |
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'''{{By|2007年}}'''、[[李承 |
'''{{By|2007年}}'''、[[李承燁 (野球)|李承燁]]が背番号25をこの年から着用することが決まったため、背番号を'''35'''に変更。1番打者候補と期待されたが、前年より出場機会を減らし20試合で23打席にとどまった。オフには[[高橋由伸]]と[[沖縄県]]で自主トレを行った。 |
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'''{{By|2008年}}'''は[[谷佳知]]の不振により開幕6試合目で2番打者として起用されると、4月3日の[[中日ドラゴンズ]]戦で1番・高橋、3番・[[小笠原道大]]と共に[[川上憲伸]]から球団9年ぶりとなる3者連続本塁打を放ち、チームのシーズン初勝利に貢献。5月からは1番打者に定着したが、5月26日の対[[北海道日本ハムファイターズ]]戦で、右足関節を捻挫。7月25日に一軍復帰するが、谷との併用が続いた。この年は96試合に出場し、打率.268、5本塁打、23打点の成績を残した。[[中日ドラゴンズ]]との[[2008年のセントラル・リーグクライマックスシリーズ|クライマックスシリーズ]]では第1戦で負傷した[[鈴木尚広]]に代わり第2戦から1番でスタメン出場。14打数7安打1打点の活躍でチームの[[2008年の日本シリーズ|日本シリーズ]]出場に貢献。日本シリーズにも出場し、第2戦では[[大沼幸二]]から同点適時打、第5戦は打線の7回の[[涌井秀章]]からの5連打の一人となったり、第6戦では[[帆足和幸]]からチーム唯一の得点となる適時打を放った。第7戦では5番を任され、初回に相手先発の[[西口文也]]が自身の打席で暴投し、先制点が入り、なおも1死2、3塁のチャンスだっただセカンドゴロに倒れ、得点できず、後続も倒れてしまった。2回に[[坂本勇人]]のソロ本塁打で2点にリードを広げるも、これ以降西武投手陣の継投の前に走者を出せず、8回に逆転され、日本一を逃した。第7戦は無安打に終わってしまい、前述の暴投で先制後のチャンスを逃したのが響く形となってしまったが、一定の活躍を見せた。翌年からは[[清水隆行]]の移籍により空いた背番号'''9'''を着用することが決まった。 |
'''{{By|2008年}}'''は[[谷佳知]]の不振により開幕6試合目で2番打者として起用されると、4月3日の[[中日ドラゴンズ]]戦で1番・高橋、3番・[[小笠原道大]]と共に[[川上憲伸]]から球団9年ぶりとなる3者連続本塁打を放ち、チームのシーズン初勝利に貢献。5月からは1番打者に定着したが、5月26日の対[[北海道日本ハムファイターズ]]戦で、右足関節を捻挫。7月25日に一軍復帰するが、谷との併用が続いた。この年は96試合に出場し、打率.268、5本塁打、23打点の成績を残した。[[中日ドラゴンズ]]との[[2008年のセントラル・リーグクライマックスシリーズ|クライマックスシリーズ]]では第1戦で負傷した[[鈴木尚広]]に代わり第2戦から1番でスタメン出場。14打数7安打1打点の活躍でチームの[[2008年の日本シリーズ|日本シリーズ]]出場に貢献。日本シリーズにも出場し、第2戦では[[大沼幸二]]から同点適時打、第5戦は打線の7回の[[涌井秀章]]からの5連打の一人となったり、第6戦では[[帆足和幸]]からチーム唯一の得点となる適時打を放った。第7戦では5番を任され、初回に相手先発の[[西口文也]]が自身の打席で暴投し、先制点が入り、なおも1死2、3塁のチャンスだっただセカンドゴロに倒れ、得点できず、後続も倒れてしまった。2回に[[坂本勇人]]のソロ本塁打で2点にリードを広げるも、これ以降西武投手陣の継投の前に走者を出せず、8回に逆転され、日本一を逃した。第7戦は無安打に終わってしまい、前述の暴投で先制後のチャンスを逃したのが響く形となってしまったが、一定の活躍を見せた。翌年からは[[清水隆行]]の移籍により空いた背番号'''9'''を着用することが決まった。 |
2020年6月16日 (火) 22:33時点における版
読売ジャイアンツ #9 | |
---|---|
2018年4月7日 神宮球場 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 奈良県大和郡山市 |
生年月日 | 1982年7月28日(42歳) |
身長 体重 |
178 cm 82 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投左打 |
ポジション | 外野手、内野手 |
プロ入り | 2004年 ドラフト4巡目 |
初出場 | 2005年7月9日 |
年俸 | 1億1,000万円(2020年)[1] |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
派遣歴 | |
| |
国際大会 | |
代表チーム | 日本 |
WBC | 2009年 |
この表について
|
獲得メダル | ||
---|---|---|
日本 | ||
ワールド・ベースボール・クラシック | ||
金 | 2009 | 野球 |
亀井 善行(かめい よしゆき、本名:亀井 義行(読み同じ)、1982年7月28日 - )は、奈良県大和郡山市出身のプロ野球選手(外野手、内野手)。右投左打。読売ジャイアンツ所属。
経歴
プロ入り前
保育園時代に7つ上の兄にキャッチボールを教えてもらい小学校1年で野球を始め、中学時代はボーイズリーグ「オール大和」のエースとして全国大会、ボーイズリーグ日本代表として世界大会を制覇。上宮太子高等学校では3年春に第72回選抜高等学校野球大会出場。
東都の中央大学商学部に進学後は内野手(主に遊撃手)として1年春からレギュラーで出場。上級生になると外野手にコンバートされた。東都大学野球リーグでMVP1回・ベストナイン3回を受賞し、4年時には東都通算10人目の通算100安打を達成、主将として秋季リーグで25年ぶりの1部優勝に貢献した[2]。日米大学野球選手権大会、世界大学野球選手権大会の日本代表にも選ばれ、銀メダルに貢献している。東都大学リーグ通算108試合出場、401打数101安打、打率.252、13本塁打、53打点。
2004年のドラフト会議で読売ジャイアンツから4巡目指名を受け入団。背番号は25。同期入団に東野峻や野間口貴彦がいる。
巨人時代
2005年、二軍で打率.320、10本塁打、6盗塁と活躍し、シーズン終盤に一軍昇格。プロ初安打・初打点を記録した。シーズンオフに結婚を発表。
2006年、3月31日の横浜ベイスターズとの開幕戦に8番・右翼手で出場し、3打数2安打4打点と活躍。6月29日の対横浜戦で山口俊からプロ入り初本塁打を放った。しかし65試合の出場にとどまり、打率も辛うじて2割を超える程度しか残せなかった。
2007年、李承燁が背番号25をこの年から着用することが決まったため、背番号を35に変更。1番打者候補と期待されたが、前年より出場機会を減らし20試合で23打席にとどまった。オフには高橋由伸と沖縄県で自主トレを行った。
2008年は谷佳知の不振により開幕6試合目で2番打者として起用されると、4月3日の中日ドラゴンズ戦で1番・高橋、3番・小笠原道大と共に川上憲伸から球団9年ぶりとなる3者連続本塁打を放ち、チームのシーズン初勝利に貢献。5月からは1番打者に定着したが、5月26日の対北海道日本ハムファイターズ戦で、右足関節を捻挫。7月25日に一軍復帰するが、谷との併用が続いた。この年は96試合に出場し、打率.268、5本塁打、23打点の成績を残した。中日ドラゴンズとのクライマックスシリーズでは第1戦で負傷した鈴木尚広に代わり第2戦から1番でスタメン出場。14打数7安打1打点の活躍でチームの日本シリーズ出場に貢献。日本シリーズにも出場し、第2戦では大沼幸二から同点適時打、第5戦は打線の7回の涌井秀章からの5連打の一人となったり、第6戦では帆足和幸からチーム唯一の得点となる適時打を放った。第7戦では5番を任され、初回に相手先発の西口文也が自身の打席で暴投し、先制点が入り、なおも1死2、3塁のチャンスだっただセカンドゴロに倒れ、得点できず、後続も倒れてしまった。2回に坂本勇人のソロ本塁打で2点にリードを広げるも、これ以降西武投手陣の継投の前に走者を出せず、8回に逆転され、日本一を逃した。第7戦は無安打に終わってしまい、前述の暴投で先制後のチャンスを逃したのが響く形となってしまったが、一定の活躍を見せた。翌年からは清水隆行の移籍により空いた背番号9を着用することが決まった。
2009年は開幕前の3月に開催された第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の日本代表に選出された。同大会では3試合の出場で1安打1犠打1盗塁を記録。
シーズンでは規定打席に達したことすらなく実績に乏しい亀井が選ばれたのは、守備を高く評価していた高代延博内野守備・走塁コーチの強い推薦によるものだった[3]。レギュラーシーズンでは1番・右翼手で開幕スタメン出場。当初は調子が上がらず谷と併用されたが、4月25日の対中日戦で左腕の岩瀬仁紀から代打逆転サヨナラ3ランを放ったことで投手の左右にかかわらずスタメンで起用されるようになる[4]。中盤からは李承燁の不調により5番に定着、以降は一塁手としての起用も増えた。6月下旬に25打席無安打、8月には28打席無安打とスランプを経験したが、シーズン25本塁打のうち18本塁打、74三振のうち50三振を7月以降に記録した。球団記録に並ぶ3本のサヨナラ本塁打を放ち、初の規定打席に到達。自己最多の134試合に出場した。日本ハムとの日本シリーズでも第5戦での武田久からの同点本塁打を放つなど、日本一に貢献し優秀選手賞を受賞。オフには初のタイトルとなるゴールデングラブ賞に選ばれ、年俸も倍増となった。U-26 NPB選抜 対 大学日本代表にはオーバーエイジで出場。日韓クラブチャンピオンシップも5番ライトで出場し勝利に貢献した。
2010年は開幕から5番に起用されたものの前年の活躍から一転して不振に陥り、度重なる故障もあって3度の二軍落ちを経験。ルーキー長野久義が台頭した影響で出場機会を奪われ71試合の出場に留まり、打率.185、5本塁打、17打点の成績に終わった。11月6日、減額制限を上回る30%減の年俸4200万円で契約更改した[5]。秋季キャンプでは「たぐいまれな器用さがある」と評する原辰徳監督の意向で三塁手へのコンバートが決まり[6]、実戦における守備練習の機会を求めオーストラリアン・ベースボールリーグにも参加した[7]。
2011年、1月に登録を外野手から内野手に変更。サードの開幕スタメンは新外国人のラスティ・ライアルに譲ったが、そのライアルの不調や他の野手の負傷が相次いだことなどで、徐々に出場機会が増えた。5月14日の対広島東洋カープ戦では、本塁打・三塁打・二塁打を打ち、あと単打を打てばサイクル安打達成となる活躍を見せた(第4打席で凡退し、サイクル安打ならず)。ところが、この試合前の練習中にノック打球の直撃を受けて右手薬指を骨折していたことが翌日に判明、チームを離脱した。6月11日に復帰して不振の坂本勇人に代わって1番でスタメン出場し、自身初の先頭打者本塁打を放った。しかし、一時は3割を記録していた打率もシーズン中盤以降急落。右翼手、中堅手、左翼手、一塁手、三塁手と守れるすべてのポジションでスタメン出場し、打順も1・2・6・7・8番を経験するなど111試合に出場したが定位置確保には至らなかった。
2012年、三塁手として新加入の村田修一とレギュラーを争う予定だったが[8]、チーム事情から主に外野手として出場。5月2日の対広島戦では自身の守備のミスでチームが敗北。試合後、原監督は「見苦しい。一晩中寝ないで反省してほしい」と厳しいコメントを出した[9]。しかし、翌日の同カードで汚名返上となる決勝ホームランを放ち、涙ながらにヒーローインタビューに応えた。また、このプレーで5月のジョージア魂賞を受賞した。9月22日対ヤクルト戦の9回表に公式戦で初めて二塁の守備に就いた。しかし、4月に頭部死球で鼻骨骨折、7月に左親指捻挫など怪我に苦しんだこともありレギュラー再奪取は果たせず。打率.236に対し長打率.409と長打力を発揮したものの、2010年を下回る60試合、117打席の出場に留まった。2012年の日本シリーズ・2012年のアジアシリーズ制覇に貢献。
2013年1月7日に登録名を「亀井 善行」に変更することが発表され[10]、登録も外野手に戻った。しかしキャンプイン直後の2月2日に練習のしすぎで左ふくらはぎの肉離れを発症し戦線離脱。4月19日に二軍で実戦復帰し[11]公式戦7試合で打率.188だったものの、5月3日に一軍復帰[12]。同月10日の対横浜戦で4年ぶり自己最多タイの1試合4打点を記録し[13]、また25日のオリックス戦では球団通算5500勝を自身の4年ぶりの逆転サヨナラ打で決めた。復帰後はレギュラーに定着し、主に2番・右翼で先発出場するなど86試合に出場した。東北楽天ゴールデンイーグルスとの日本シリーズではファインプレーで最も大会を沸かせた選手として特別賞のベースボールヒーローズ賞を受賞した[14]。
2014年2月26日の試合前練習中に内野ノックで捕球する際に右手に打球を受け、右手人差し指第一関節の骨折と診断される。その後手術を受け回復、5月17日の二軍戦で実戦復帰し、5月31日の対オリックス戦で一軍復帰。7番右翼手で先発出場すると0対0で迎えた延長12回表に馬原孝浩から決勝のソロ本塁打を放った[15]。その後も右翼手のレギュラーとしてスタメン出場を続け、勝負強い打撃と守備でチームの勝利に貢献。チームを2度目の交流戦優勝に導き、交流戦MVPを獲得した[16]。69試合の出場ながら3割近い打率を残した。クライマックスシリーズではファイナルステージで阪神と対戦。チームはストレートの4連敗で敗退したが、第3戦ではランディ・メッセンジャー、第4戦には能見篤史からそれぞれソロホームランを打つなど、不振だった打撃陣においてレスリー・アンダーソンと共に気を吐いた。オフの10月21日に、「日本プロ野球80周年記念試合」の阪神・巨人連合チームに選出された事が発表された[17][18]
2015年7月7日のヤクルト戦でプロ入り初の4番打者を任され、巨人の第84代4番打者となった。これについては「全く、想像していなかった。巨人の四番ですから。簡単じゃないのは分かっているし」と述べた[19]。7月16日に、第1回WBSCプレミア12の日本代表第1次候補選手に選出された事が発表された[20]。また、シーズンを通しては規定打席にはあと11打席足りなかったものの、4年ぶりの100試合以上出場を果たし、打率.272、6本塁打、35打点の成績を残した。
2016年は開幕戦から6番・左翼としてスタメン出場を続けたが6月16日の出場登録抹消から9月2日の再登録まで下半身の故障などで約3ヶ月二軍調整を余儀なくされるなど66試合の出場にとどまる。契約更改では、ほぼ減額制限並みの2000万ダウンの年俸5000万円でサイン。
2017年は開幕から代打出場が多く、6月18日の千葉ロッテマリーンズ戦では逆転サヨナラ3ランをマークするなどしばしば殊勲のタイムリーを放った。後半戦からは左翼でのスタメン出場が多くなり、最終的に109試合の出場で打率自体は平凡だったものの得点圏打率は3割後半の高打率を記録したこともあり前年の倍以上の打点をマークした。
2018年は開幕二軍スタートだったものの、陽岱鋼の故障離脱で1軍に昇格すると、長野ら他の外野手の不振などもありスタメン出場が増えた。8月1日のDeNA戦で2009年以来9年ぶりの2桁本塁打をマークした。シーズン中盤までは好調をキープしていたもの、8月以降疲労もあり急失速した。対左投手時はスタメンを外れる機会も多く打率は2割5分4厘にとどまったが、123試合に出場して自身9年ぶり2度目の規定打席に到達した。
2019年は前年と違い開幕当初からレギュラー外野手で使われる機会が増え、中盤戦からは1番打者として起用された。前年に続き規定打席に到達し、本塁打、打点は前年並みだったものの、打率は前年を3分ほど上回り、優勝に貢献した。福岡ソフトバンクホークスとの日本シリーズでは、第2戦まで無安打も第3戦では初回にリック・バンデンハークから先頭打者本塁打、第2打席にも一時同点となるソロ本塁打を放ち、2打席連続本塁打を記録した。このシリーズでチームは勝ち星なしの4連敗で敗退したがこの2打席連続本塁打の活躍が評価され、シリーズ敢闘選手賞を受賞した[21]。オフの契約更改ではプロ15年目で初の大台を越える4000万増の1億1000万円でサインした[22]。
選手としての特徴
打撃
無駄な動きの少ない安定したスイングから[23]「内角低目を事もなげに打ち返す」巧打が特徴[24]。2009年には第二回WBCで同僚となった稲葉篤紀の打撃フォームを参考にしペナントレースでは25本塁打を記録するなど自己最高の結果を残した[25]。だが、上述のように2010年から2012年にかけてスランプに陥ったが、その理由として「さらなる長打力を求めて上半身のトレーニングに励んだ結果、筋肉のバランスを崩したことが原因」との一説がある[26]。2013年からは長打へのこだわりを捨て、グリップの位置を下げてややオープンスタンス気味に構え、フォームを一本足打法からすり足打法に変更したことで低めの変化球にも対応できるようになったと言われている[27][28]。バットはミズノ社が製造するグリップが細いイチローモデルを使用している[29]。
かつては左投手を苦手としていたため一軍に定着できずにいたが、2008年シーズンに対左打率.283を残したことから徐々に対応し始め[30]、以降も2010年までの通算対右打率.263に対して通算打率.257と投手の左右を苦にしなくなった。初球から積極的にスイングしていく打撃スタイルだが選球眼に課題があり、高めのボール球へのスイング率が高い[31]。一軍に定着した2008年から2013年にかけての通算得点圏打率を.270 としている [32]。
守備・走塁
巨人に入団した当初から遠投115メートルの強肩と守備範囲の広さを首脳陣から高く評価されており[33]、特に肩の強さに関しては12球団トップクラスとも言われ、それは第2回WBC出場時にチームメイトとなった日本人外野手屈指の強肩を誇るイチローからも称賛されている[23]。スタメンに定着した2009年には主な守備位置の右翼手と李承燁との日替わりで一塁手としても出場し、2010年からは三塁手、二塁手としてもプレーしたが、2013年からは本人の希望で外野手としての出場に専念するようになった。走塁面では一塁到達3.87秒の俊足を誇るが[34]、盗塁は最高でも2009年の12個と企図・成功ともに少ない。
詳細情報
年度別打撃成績
年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2005 | 巨人 | 20 | 45 | 42 | 1 | 6 | 2 | 0 | 0 | 8 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 1 | 15 | 0 | .143 | .182 | .190 | .372 |
2006 | 65 | 151 | 141 | 13 | 29 | 12 | 1 | 3 | 52 | 18 | 1 | 0 | 1 | 3 | 5 | 0 | 1 | 38 | 2 | .206 | .233 | .369 | .602 | |
2007 | 20 | 23 | 19 | 3 | 3 | 1 | 0 | 1 | 7 | 3 | 1 | 0 | 0 | 1 | 3 | 0 | 0 | 7 | 0 | .158 | .261 | .368 | .629 | |
2008 | 96 | 298 | 276 | 41 | 74 | 21 | 3 | 5 | 116 | 23 | 7 | 5 | 5 | 0 | 14 | 0 | 3 | 43 | 5 | .268 | .311 | .420 | .731 | |
2009 | 134 | 547 | 490 | 79 | 142 | 25 | 4 | 25 | 250 | 71 | 12 | 7 | 4 | 3 | 45 | 3 | 5 | 74 | 7 | .290 | .354 | .510 | .864 | |
2010 | 71 | 220 | 205 | 22 | 38 | 13 | 0 | 5 | 66 | 17 | 4 | 2 | 1 | 2 | 9 | 0 | 3 | 38 | 4 | .185 | .228 | .322 | .550 | |
2011 | 111 | 308 | 284 | 27 | 70 | 13 | 2 | 3 | 96 | 24 | 7 | 1 | 8 | 1 | 14 | 3 | 1 | 43 | 5 | .246 | .283 | .338 | .621 | |
2012 | 60 | 117 | 110 | 12 | 26 | 7 | 3 | 2 | 45 | 11 | 0 | 0 | 2 | 0 | 4 | 1 | 1 | 13 | 3 | .236 | .270 | .409 | .679 | |
2013 | 86 | 324 | 296 | 31 | 76 | 17 | 0 | 3 | 102 | 25 | 3 | 2 | 9 | 1 | 17 | 0 | 1 | 36 | 5 | .257 | .298 | .345 | .643 | |
2014 | 69 | 268 | 240 | 31 | 71 | 17 | 1 | 8 | 114 | 26 | 3 | 1 | 4 | 2 | 19 | 1 | 3 | 30 | 4 | .296 | .352 | .475 | .827 | |
2015 | 109 | 432 | 382 | 42 | 104 | 21 | 0 | 6 | 143 | 35 | 8 | 1 | 3 | 6 | 40 | 0 | 1 | 59 | 6 | .272 | .338 | .374 | .712 | |
2016 | 66 | 240 | 226 | 21 | 57 | 14 | 0 | 3 | 80 | 23 | 0 | 2 | 3 | 0 | 11 | 0 | 0 | 35 | 7 | .252 | .287 | .354 | .641 | |
2017 | 109 | 277 | 247 | 20 | 62 | 16 | 0 | 6 | 96 | 47 | 1 | 0 | 0 | 2 | 27 | 0 | 1 | 38 | 4 | .251 | .325 | .389 | .714 | |
2018 | 123 | 461 | 422 | 47 | 107 | 20 | 0 | 13 | 166 | 49 | 4 | 0 | 0 | 1 | 36 | 2 | 2 | 70 | 6 | .254 | .315 | .393 | .708 | |
2019 | 131 | 503 | 450 | 67 | 128 | 27 | 2 | 13 | 198 | 55 | 9 | 1 | 3 | 5 | 45 | 3 | 0 | 91 | 6 | .284 | .346 | .440 | .786 | |
NPB:15年 | 1270 | 4214 | 3830 | 457 | 993 | 226 | 16 | 96 | 1539 | 428 | 60 | 22 | 44 | 27 | 290 | 13 | 23 | 630 | 64 | .259 | .313 | .402 | .715 |
- 2019年度シーズン終了時
WBCでの打撃成績
年 度 |
代 表 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2009 | 日本 | 3 | 2 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 1 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | 1.000 | 1.000 |
年度別守備成績
年 度 |
球 団 |
一塁 | 二塁 | 三塁 | 外野 | ||||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 |
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 |
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 |
試 合 |
刺 殺 |
補 殺 |
失 策 |
併 殺 |
守 備 率 | ||
2005 | 巨人 | - | - | - | 15 | 20 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | |||||||||||||||
2006 | - | - | - | 52 | 61 | 4 | 0 | 1 | 1.000 | ||||||||||||||||
2007 | - | - | - | 10 | 10 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | ||||||||||||||||
2008 | - | - | - | 85 | 119 | 1 | 2 | 0 | .984 | ||||||||||||||||
2009 | 47 | 345 | 23 | 3 | 22 | .992 | - | - | 104 | 194 | 5 | 2 | 2 | .990 | |||||||||||
2010 | 22 | 115 | 12 | 1 | 3 | .992 | - | - | 58 | 94 | 5 | 0 | 3 | 1.000 | |||||||||||
2011 | 43 | 209 | 20 | 0 | 13 | 1.000 | - | 42 | 18 | 65 | 5 | 6 | .943 | 49 | 34 | 1 | 1 | 0 | .972 | ||||||
2012 | 17 | 81 | 8 | 0 | 10 | 1.000 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | .000 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | .000 | 32 | 28 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | |
2013 | 19 | 33 | 4 | 1 | 3 | .974 | - | 3 | 0 | 1 | 0 | 0 | 1.000 | 83 | 103 | 3 | 1 | 0 | .991 | ||||||
2014 | 4 | 8 | 0 | 1 | 0 | .889 | - | - | 65 | 94 | 6 | 1 | 1 | .990 | |||||||||||
2015 | 8 | 23 | 0 | 1 | 3 | .958 | - | - | 106 | 158 | 2 | 2 | 0 | .998 | |||||||||||
2016 | - | - | - | 58 | 91 | 6 | 0 | 2 | 1.000 | ||||||||||||||||
2017 | - | - | - | 82 | 102 | 2 | 0 | 0 | 1.000 | ||||||||||||||||
2018 | - | - | - | 114 | 186 | 7 | 6 | 1 | .970 | ||||||||||||||||
2019 | 3 | 3 | 0 | 0 | 0 | 1.000 | - | - | 126 | 187 | 6 | 1 | 1 | .995 | |||||||||||
通算 | 163 | 817 | 67 | 7 | 54 | .992 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | .000 | 46 | 18 | 66 | 5 | 6 | .944 | 1039 | 1484 | 50 | 16 | 11 | .990 |
- 2019年度シーズン終了時
- 各年度の太字はリーグ最高
- 太字年はゴールデングラブ賞受賞
表彰
- ゴールデングラブ賞:1回 (外野手部門:2009年)
- スカパー! ドラマティック・サヨナラ賞:1回 (2009年)
- スカパー! サヨナラ賞:1回 (2017年6月)
- 「ジョージア魂」賞:1回 (2012年度第3回)
- 日本シリーズ優秀選手賞:1回 (2009年)
- 日本シリーズ特別賞
- BASEBALL HEROES賞 : 1回(2013年)
- 日本シリーズ敢闘選手賞:1回(2019年)
- セ・パ交流戦MVP:1回(2014年)
- アットホームヒーロー・オブ・ザ・イヤー:1回 (2017年[35])
- 月間アットホームヒーロー賞[36] : 2回(2013年5月、2017年6月)
記録
- 初出場・初先発出場:2005年7月9日、対広島東洋カープ11回戦(広島市民球場)、7番・右翼手で先発出場、4打数1安打
- 初打席:同上、2回表にマイク・ロマノから遊撃ゴロ
- 初安打:同上、6回表にマイク・ロマノから右前安打
- 初打点:2005年7月13日、対中日ドラゴンズ10回戦(札幌ドーム)、8回裏に鈴木義広から右中間へ適時二塁打
- 初盗塁:2006年4月8日、対中日ドラゴンズ2回戦(ナゴヤドーム)、9回表に三盗(投手:岡本真也、捕手:谷繁元信)
- 初本塁打:2006年6月29日、対横浜ベイスターズ9回戦(横浜スタジアム)、5回表に山口俊から右越ソロ
- 節目の記録
- 1000試合出場:2017年9月2日、対横浜DeNAベイスターズ22回戦(横浜スタジアム)、6回表に石川慎吾の代打で出場、尾仲祐哉から四球 ※史上487人目
背番号
- 25(2005年 - 2006年)
- 35(2007年 - 2008年、2009年WBC)
- 9(2009年 - )
入団時の背番号25番は尊敬する高橋由伸の24番の次の番号を自分で要求したもの。 2007年、李承燁の背番号変更に伴い、同じ右投左打の淡口憲治、清水隆行もつけた35番に変更。 2009年からは清水がつけた9番に再び変更。
登場曲
- FYA「Must Be Love feat. Smujji」(2005年)
- Eminem「Without Me」(2006年)
- MONKEY MAJIK「thank you」(2006年)
- FUNKY MONKEY BABYS「そのまんま東へ」(2007年)
- 湘南乃風「黄金魂」(2008年 - 2010年)
- FUNKY MONKEY BABYS「ちっぽけな勇気」(2009年 - 2010年)
- FUNKY MONKEY BABYS「あとひとつ」(2010年)
- FUNKY MONKEY BABYS「大切」(2011年)
- JAMOSA「何かひとつ feat. JAY'ED & 若旦那」(2011年)
- ナオト・インティライミ「Brave」(2012年)
- ハジ→「瞬く間。」(2013年)
- ハジ→「春色。」(2014年 - 2016年、2019年 - )
- ハジ→「逆転満塁ホ→ムラン☆♪。」(2015年7月)
- lecca「My measure」(2016年開幕戦のみ)
- 山猿「DREAMER」(2017年 - 2018年)
- Earth, Wind&Fire「September」(2019年9月27日)
登録名
- 亀井 義行(かめい よしゆき、2005年 - 2012年)
- 亀井 善行(かめい よしゆき、2013年 - )
代表歴
脚注
- ^ https://www.nikkansports.com/m/baseball/professional/koukai/team/koukai-giants_m.html 巨人 - 契約更改 - プロ野球].日刊スポーツ.2019年11月26日閲覧。
- ^ “神宮燃ゆ!25年ぶり東都制す”. 中央大学HAKUMON Chuo. 2012年10月28日閲覧。
- ^ 「WBCに愛があった」(高代延博著、ゴマブックス刊)より。
- ^ 巨人亀井「あの1本で僕の人生は…」 nikkansports.com 2009年11月25日
- ^ 亀井、三割ダウンで更改&三塁で再出発! スポーツ報知 2010年11月8日
- ^ 亀井三塁コンバート 復活目指し練習開始 nikkansports.com 2010年11月2日
- ^ 【巨人】人生初の二塁も!亀井が帰国 nikkansports.com 2010年12月24日
- ^ 原監督が亀井vs村田を歓迎 nikkanposrt.com 2011年12月29日
- ^ 「寝ないで反省してほしい」/原監督 nikkansports.com 2012年5月3日
- ^ 亀井義行選手の登録名を変更 - 読売ジャイアンツ公式 2013年1月7日閲覧
- ^ “【巨人】亀井2軍で実戦復帰「結果出す」”. nikkansports.com (日刊スポーツ). (2013年4月19日) 2013年4月19日閲覧。
- ^ “亀井、復活だ!4年ぶり4打点”. スポーツ報知. (2013年5月11日) 2013年5月11日閲覧。
- ^ “巨人・亀井 自己最多4打点も…サヨナラ負けにガックリ”. スポニチSponichi Annex (スポーツニッポン). (2013年5月11日) 2013年5月11日閲覧。
- ^ コナミ日本シリーズ2013 表彰選手/賞金・賞品一覧日本シリーズ公式サイト
- ^ 亀井、延長12回2死劇弾!今季1軍初出場で大仕事 - スポーツ報知
- ^ 2014年「日本生命セ・パ交流戦」最優秀選手賞(MVP)および日本生命賞決定のお知らせ 日本野球機構オフィシャルサイト
- ^ 2014 SUZUKI 日米野球シリーズ 阪神・巨人連合チーム出場選手発表 阪神タイガース公式サイト (2014年10月21日) 2015年5月26日閲覧
- ^ 阪神・巨人連合対MLBの出場選手発表
- ^ “「第84代4番」亀井、つない打!原監督「4番」に耳を疑った”. スポーツ報知 (2015年7月8日). 2015年7月8日閲覧。
- ^ トップチーム第一次候補選手発表!11月に行われる「WBSC世界野球プレミア12」へ向けて65名が名を連ねる 野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト (2015年7月16日) 2015年8月4日閲覧
- ^ 鷹3年連続日本一、MVPは計3発グラシアル 巨人は屈辱4連敗、亀井が敢闘賞2019年10月23日gooニュース
- ^ 【巨人】亀井1億1000万円、プロ15年目終え初の大台突破 「時間がかかったけどうれしく思う」 2019年11月27日スポーツ報知
- ^ a b 小関順二、西尾典文、泉直樹『プロ野球スカウティングレポート2010』アスペクト、2010年、41頁頁。ISBN 978-4-7572-1744-7。
- ^ 日本経済新聞 2010年6月10日朝刊
- ^ 『ジャイアンツに学ぶ打撃・投球の技』成美堂出版、2009年、150-151頁頁。ISBN 978-4-4151-0793-6。
- ^ 亀井義行不振の原因は“向上心”?野球選手と筋トレの微妙な関係。 NumberWeb 2010年5月3日
- ^ チャンスは『今』でしょ!巨人・亀井善行、復活のときが来た スポーツナビ 2013年5月31日
- ^ 亀井 4年ぶりサヨナラ男復活!原監督「今一番状態がいい」 sponichAnnex 2013年5月26日
- ^ 巨人3年ぶり5発!!至高のフルコースだ nikkansports.com 2013年7月6日
- ^ 『野球小僧 世界野球選手名鑑2009』白夜書房、2009年、89頁頁。ISBN 978-4-86191-508-6。
- ^ 『野球小僧 世界野球選手名鑑2011』白夜書房、2011年、113頁頁。ISBN 978-4-86191-710-3。
- ^ 『野球小僧 世界野球選手名鑑2010』白夜書房、2010年、24頁頁。ISBN 978-4-86191-595-6。
- ^ 大きく育て巨人ルーキー亀井 河野祥一郎「今週のイチ押し!」 日刊スポーツ 2005年5月16日
- ^ 小関順二、西尾典文、石川哲也、場野守泰『プロ野球スカウティングレポート2011』廣済堂出版、2011年、347頁頁。ISBN 978-4-331-51519-8。
- ^ “【巨人】亀井が「アットホームヒーロー・オブ・ザ・イヤー」…6月に涙のサヨナラ3ラン”. スポーツ報知. (2017年11月10日) 2017年11月14日閲覧。
- ^ 2013年の表彰名は「月間アットホームクラッチヒーロー賞」
関連項目
- 奈良県出身の人物一覧
- 中央大学の人物一覧
- 読売ジャイアンツの選手一覧
- 読売ジャイアンツ歴代4番打者一覧
- オーストラリアン・ベースボールリーグの選手一覧
- 日本出身のオーストラリアン・ベースボールリーグ選手一覧
外部リンク
- 個人年度別成績 亀井善行 - NPB.jp 日本野球機構
- 亀井 善行 - 読売巨人軍公式サイト
- Yoshiyuki Kamei stats ABL.com
- 亀井義行公認ホームページ