織田信朝
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 宝永6年9月28日(1709年10月30日) |
死没 | 元文2年1月6日(1737年2月5日) |
改名 | 菊千代(幼名)、信朝 |
別名 | 右近(通称) |
墓所 | 奈良県宇陀市大宇陀岩室の徳源寺 |
官位 | 従五位下出雲守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川吉宗 |
藩 | 丹波柏原藩主 |
氏族 | 織田氏(信雄系高長流) |
父母 | 父:織田信休、母:生田氏 |
兄弟 | 信朝、信旧、長卿、柳原光綱室ら |
妻 | 正室:松平宣富の5女 |
子 | 養子:信旧 |
織田 信朝(おだ のぶとも)は、江戸時代中期の大名。通称は右近。丹波国柏原藩2代藩主。官位は従五位下出雲守。高長系織田家5代。
生涯
[編集]宝永6年(1709年)9月28日、初代藩主・織田信休の次男として柏原にて誕生した。幼名は菊千代。
享保5年(1720年)4月1日、8代将軍・徳川吉宗に御目見する。享保7年(1722年)12月24日、信休の死去により家督を相続する。享保8年(1723年)12月18日、従五位下・出雲守に叙任する。享保11年(1726年)3月18日、藩主として初めてお国入りする許可を得る。
元文2年(1737年)1月6日、柏原において死去、享年29。柏原・徳源寺に葬られた。嗣子がなかったため、弟の信旧を養子とした。
内大臣・烏丸光栄の添削を受けた和歌集『水月詠藻』(475首収録)が伝わっている。