織田寿重丸
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時代 | 江戸時代末期 - 明治時代 |
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生誕 | 慶応2年2月20日(1866年4月5日) |
死没 | 明治4年5月9日(1871年6月26日) |
改名 | 寿重丸(幼名) |
墓所 | 東京都文京区向丘の高林寺 |
藩 | 出羽天童藩主 |
氏族 | 織田氏(信雄系信良流) |
父母 | 父:織田信学、養父:織田信敏 |
兄弟 | 信敏、寿重丸ら6男9女 |
生涯
[編集]2代藩主・織田信学の六男として天童にて誕生した。
明治元年(1868年)12月7日、新政府は戊辰戦争で新政府に対し、反抗した天童藩主の兄・信敏に2000石没収の上隠居を命じた。同年12月18日、信敏の隠居により養子となった寿重丸が家督を継いだ。
明治2年(1869年)4月2日に版籍奉還し、同年6月22日に天童藩知事となった。同年7月19日、幼少のために寿重丸は免職となり、隠居していた信敏が知藩事になった。それに伴って、寿重丸は信敏の嫡子になった。明治4年(1871年)5月9日、6歳で夭折した。正室・子女共になし。
系譜
[編集]父母