織田信貞 (丹波柏原藩主)
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時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 享和3年(1803年) |
死没 | 弘化3年12月18日(1847年2月3日) |
改名 | 長保(初名)、信貞 |
別名 | 瀬之助、千之助、大学(通称) |
墓所 | 徳源寺 |
官位 | 従五位下・出雲守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家慶 |
藩 | 丹波柏原藩主 |
氏族 | 織田氏(信雄系高長流) |
父母 |
父:織田信守、母:田中氏 養父:織田信古 |
兄弟 | 津田長敦、安子、九磨 |
妻 | 正室:堀直庸の4女・寿姫 |
子 | 養子:信敬、良性院 |
織田 信貞(おだ のぶさだ)は、江戸時代後期の大名。丹波国柏原藩の第7代藩主。通称は瀬之助、千之助、大学。官位は従五位下・出雲守。高長系織田家10代。
生涯
[編集]享和3年(1803年)、第5代藩主・織田信守の長男として江戸にて誕生した。初名は長保。織田信古の養子となる。
天保13年(1842年)2月15日、第12代将軍・徳川家慶に御目見する。同年3月9日、信古の隠居により家督を相続する。天保14年12月16日(1844年)、従五位下・出雲守に叙任する。儒学者の小島省斎を招き、藩で講義を行なわせた。
弘化3年12月18日(1847年)、柏原において死去、享年44。柏原・徳源寺に葬られた。跡を養子の信敬が継いだ。