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織田信貞 (丹波柏原藩主)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
織田信貞
時代 江戸時代後期
生誕 享和3年(1803年
死没 弘化3年12月18日1847年2月3日
改名 長保(初名)、信貞
別名 瀬之助、千之助、大学(通称
墓所 徳源寺
官位 従五位下出雲守
幕府 江戸幕府
主君 徳川家慶
丹波柏原藩
氏族 織田氏(信雄系高長流)
父母 織田信守:田中氏
養父織田信古
兄弟 津田長敦、安子、九磨
正室堀直庸の4女・寿姫
養子信敬良性院
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織田 信貞(おだ のぶさだ)は、江戸時代後期の大名丹波国柏原藩の第7代藩主通称は瀬之助、千之助、大学。官位従五位下出雲守。高長系織田家10代。

生涯

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享和3年(1803年)、第5代藩主・織田信守の長男として江戸にて誕生した。初名は長保。織田信古の養子となる。

天保13年(1842年)2月15日、第12代将軍・徳川家慶御目見する。同年3月9日、信古の隠居により家督を相続する。天保14年12月16日(1844年)、従五位下・出雲守に叙任する。儒学者小島省斎を招き、藩で講義を行なわせた。

弘化3年12月18日(1847年)、柏原において死去、享年44。柏原・徳源寺に葬られた。跡を養子の信敬が継いだ。

系譜

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  • 父:織田信守(1772年 - 1840年)
  • 母:田中氏
  • 養父:織田信古(1794年 - 1847年)
  • 正室:寿姫 - 堀直庸の四女
  • 養子
    • 男子:織田信敬(1836年 - 1853年) - 細川行芬の三男
    • 女子:良性院 - 鶴姫、織田信古の長女、織田信敬正室