織田長種
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時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 元和3年(1617年) |
死没 | 寛永20年9月8日(1643年10月20日) |
戒名 | 真源院殿泰室華公大禅定門 |
墓所 | 東京都渋谷区祥雲寺 |
官位 | 従五位下・修理亮 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家光 |
藩 | 大和柳本藩主 |
氏族 | 織田氏(長益系尚長流) |
父母 | 父:織田尚長、母:宝樹院 |
兄弟 |
長種、坊城俊完継室、神尾元珍正室、 甘露寺経長室、蜷川親房正室 |
妻 | 正室:小出三尹娘 |
子 | 秀一 |
織田 長種(おだ ながたね)は、江戸時代前期の大名。大和国柳本藩2代藩主。官位は従五位下・修理亮。尚長流織田家2代。
生涯
[編集]初代藩主・織田尚長の長男として誕生。
寛永14年(1637年)3月7日、家督を相続した。同年6月28日、3代将軍・徳川家光に御目見する。
寛永20年(1643年)9月8日、死去。享年27。法号は真源院殿泰室華公大禅定門。祥雲寺に葬られた。以後、同寺は柳本藩織田家の当主の墓地の一つとなる。
系譜
[編集]子女は1男。