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織田長則

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
織田長則
時代 江戸時代初期 - 前期
生誕 不明
死没 寛永8年7月4日1631年8月1日
別名 通称:孫一郎
墓所 東京都港区高輪泉岳寺
官位 従五位下河内守
幕府 江戸幕府
主君 徳川秀忠家光
美濃野村藩
氏族 織田氏(長孝流)
父母 父:織田長孝
兄弟 長則長政、右京、村井長家不破光昌室、岡田善同正室、木村重成室、津田監物室、本多景次正室
なし
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織田 長則(おだ ながのり)は、江戸時代初期から前期にかけての大名美濃国野村藩2代藩主。長孝系織田家2代。

略歴

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初代藩主・織田長孝の長男として誕生した。

慶長11年(1606年)、父の死去により跡を継ぐ。元和6年(1620年)、大坂城普請助役を命じられる。寛永3年(1626年)、3代将軍・徳川家光の上洛に供奉した。

寛永8年(1631年)7月4日、死去した。嗣子がなかったため、野村藩織田家改易となった。

ただし、長則が襲封したのは父の遺領でなく、祖父織田長益(有楽斎)の遺領味舌藩であったとする説もある[1]

脚注

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  1. ^ 角川日本地名大辞典 27 大阪府』(同辞典編纂委員会、竹内理三編、角川書店、1991年)P.1118