織田長弘
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 元禄10年(1697年) |
死没 | 正徳4年7月19日(1714年8月28日) |
別名 | 通称:竹助、主税 |
墓所 | 泉岳寺 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家継 |
藩 | 大和芝村藩主 |
氏族 | 織田氏(長益系長政流) |
父母 | 父:織田長清 |
兄弟 |
衛保、長弘、長善、長亮、宗諄、 宝寿院行快室など8男2女 |
妻 | 正室:なし |
子 | 養子:長亮 |
織田 長弘(おだ ながひろ)は、江戸時代中期の大名。大和国芝村藩5代藩主。長政流織田家5代。通称は竹助、主税。
生涯
[編集]4代藩主・織田長清の三男として戒重にて誕生。
正徳元年(1711年)6月1日、6代将軍・徳川家宣に御目見する。正徳4年(1714年)2月13日、父・長清の隠居により家督を相続するが、同年7月19日江戸において死去した。享年18。墓所は泉岳寺。正室・子女ともなし。
始め長清は次男衛保を相続人と考えていたものの、後に長弘に改めたという。そのため、衛保を強制的に退隠させたという。