織田信美
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時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 寛政5年7月9日(1793年8月15日) |
死没 | 天保7年8月4日(1836年9月14日) |
改名 | 百太郎(幼名)→信美 |
戒名 | 恭徳院清巌良義大居士 |
墓所 | 東京都文京区向丘の高林寺 |
官位 | 従五位下・若狭守、越前守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川家斉 |
藩 | 出羽高畠藩主→出羽天童藩主 |
氏族 | 織田氏(信雄系信良流) |
父母 |
父:織田信浮 母:小笠原長恭長女・光子 |
兄弟 | 稲葉通貫、信美、津田長郷、喜姫ら10男9女 |
妻 |
正室:大村純鎮3女・章姫 継室:戸田忠翰4女・朝子 |
子 | 信学ら3男3女 |
織田 信美(おだ のぶかず)は、江戸時代後期の大名。出羽国高畠藩の第2代藩主、のち天童藩の初代藩主。官位は従五位下・若狭守、越前守。
生涯
[編集]高畠藩初代藩主・織田信浮の9男として誕生。母は小笠原長恭の娘・光子。幼名は百太郎。なお『寛政重修諸家譜』では信浮の三男としており、早世した兄を省略するなど、故意に操作を行っている。
文化7年(1810年)11月1日、11代将軍・徳川家斉に御目見をする。文政元年(1818年)12月27日、父の死去により家督を継ぐ。文政3年(1806年)12月16日、従五位下越前守に叙任する。文政11年(1828年)5月24日、幕府から出羽村山郡天童村に陣屋を移転する許可を得る。文政9年(1826年)に高畠陣屋が2度目の焼失に見舞われたこと、また寛政12年(1800年)に陸奥国信夫郡の藩領が出羽村山郡の幕領と交換されて、藩領の大部分が村山郡に存在することになったためである。陣屋の移転に伴い、町の整備などに尽力した。
天保7年(1836年)8月4日、死去。享年44。跡を長男・信学が継いだ。
系譜
[編集]子女は3男3女。
父母
正室、継室
子女
- 織田信学(長男)生母は朝子(継室)