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防衛大臣

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
警察予備隊本部長官から転送)
日本の旗 日本
防衛大臣
Minister of Defense
防衛省ロゴマーク
防衛大臣旗
中谷元
現職者
中谷元(第26代)

就任日 2024年令和6年)10月1日
所属機関内閣
国家安全保障会議
担当機関防衛省
任命内閣総理大臣
石破茂
根拠法令国家行政組織法
防衛省設置法
前身防衛庁長官
創設2007年(平成19年)1月9日(省昇格)
初代久間章生
通称防衛相
職務代行者防衛副大臣
鬼木誠
俸給年額 約2929万円[1]
ウェブサイト防衛省・自衛隊:大臣・副大臣・政務官
防衛省が設置されている庁舎

防衛大臣(ぼうえいだいじん、: Minister of Defense)は、日本防衛省および主任の大臣たる国務大臣[2][3]。略称は防衛相(ぼうえいしょう)。

他の国務大臣と同様、日本国憲法第66条の規定により、文民統制の観点から文民が任命される。防衛省の長であるとともに、の三自衛隊最高指揮官である内閣総理大臣の下で、統合幕僚長を通じて自衛隊全体を統督する。防衛大臣の自衛隊の部隊運用に関する指揮は、統合幕僚長が補佐し、統合幕僚長を通じて行われる。命令の執行も統合幕僚長が行う[4]

2007年(平成19年)1月の防衛庁から防衛省への昇格に伴い、長の職名は長官から大臣になった。

概説

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東西冷戦期には日米安保体制下にあって日本が安全保障政策でイニシアチブをとる幅も少なかったため、戦後長らく、防衛庁長官は重要閣僚とはみなされず、初入閣者に与えられることが多いポストで、大物政治家の就任も少なかった。1970年首相佐藤栄作第3次佐藤内閣で派閥領袖の中曽根康弘を起用したり、1977年福田改造内閣で既に実力者であった金丸信が就いたりしたのは例外だった[5]

変化の兆しが出てきたのは、自らも長官を歴任し、国防の専門家を自認する中曽根康弘政権においてであった。中曽根は党のホープとされた加藤紘一を1984年に長官に抜擢し、翌年の内閣改造でも留任させた[5]。1990年代以降になると、湾岸戦争などを経て日本の軍事面を含めた国際貢献が問われるようになるとともに、有事法制の整備、在日米軍再編や日米同盟の再定義といった国防に関わる問題が国政の最重要課題に上ることが増えた。さらに、災害対策などにおける自衛隊の活動も国民に認知されるようになる。首相の橋本龍太郎は普天間基地移設問題の処理が懸案となっていた1997年の内閣改造で、自らに近い久間章生の留任にこだわるなどした[5]

相対的に防衛政策の重要性が高まる中、防衛庁は第1次安倍内閣下の2007年(平成19年)に悲願の省昇格を果たし、防衛大臣(防衛庁長官)も対外交渉や国会答弁を円滑に行うことのできる能力が求められるようになった。

21世紀以降の就任者を見ると、中谷元石破茂浜田靖一江渡聡徳岩屋毅木原稔など、いわゆる国防族を始めとして、高村正彦(外務大臣などを経験)、小野寺五典(当時は外交族と見なされていた[6])、河野太郎(外務大臣から横滑り)といった党や政府で有力・関連ポストを経験した議員や、額賀福志郎久間章生、石破、中谷、小野寺、浜田といった再任者の就任が多くなっている。また、2009年(平成21年)に成立した民主党政権でも、北澤俊美外交安保問題とは無縁の人物だったものの、就任後は閣内随一の実力者として存在感を発揮し、2012年(平成24年)には内閣改造野田第2次改造内閣野田第3次改造内閣)の目玉人事として民間人でありながらも自衛隊出身で外交・安保問題の論客である森本敏が起用された。2020年(令和2年)の菅義偉内閣では初入閣の岸信夫(元外務副大臣)が起用されたが、岸は外交族・親台派として知られており、対中安保を睨んだ人事とも評され[7]、2年に渡って務めた。安倍晋三政権では女性も登用され、小池百合子稲田朋美が就任した。男性主導の印象が強い防衛省で女性がトップに就く人事は話題を呼んだが、小池は省内人事の混乱で再任を固辞し、稲田は南スーダン派遣PKO部隊の日報非開示問題(PKO日報隠蔽疑惑)などの責任を取って引責辞任した[5]

こうして、今日では防衛大臣は比較的重要度の高い閣僚とみなされるようになっている。派閥均衡など自民党の人事力学と離れ、専門性を重んじる場合があるのも特徴である[5]。また、現在のところ防衛庁長官または防衛大臣経験者で、後に総理大臣に就任したのは、中曽根康弘、宇野宗佑、岸田文雄[注 1]、石破茂の4人である。

旧制度との比較

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旧憲法下の陸軍大臣海軍大臣は就任資格が現役の武官軍人)に限定され(軍部大臣現役武官制[注 2]、軍の作戦行動に関する指揮権を持たず、軍政のみを管掌した(これを「ドイツ型軍部大臣」という)。これに対して、現行制度においては軍政と軍令が分離されず、防衛大臣は、現行憲法第66条の規定により、文民統制の観点から文民が任命され、自衛隊の最高指揮官である内閣総理大臣の隷下で軍政に相当する防衛行政だけでなく、自衛隊の作戦行動に関する指揮監督をも行う(これを「フランス型軍部大臣」という)。

防衛大臣等の一覧

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  • 防衛大臣のほか、防衛省の前身である防衛庁、保安庁警察予備隊本部及び海上警備隊海上保安庁長官等も範囲に含める。
  • 警察予備隊本部は保安庁や保安隊をへて現在の防衛省内局陸上自衛隊に移行した。
  • 海上保安庁の海上警備隊は保安庁の警備隊になり、現在の海上自衛隊に移行した。
  • 海上保安庁の本体部分は保安庁の海上公安局とされたが、移行されずに現在の海上保安庁に至る。
  • 太字は後に内閣総理大臣となった人物。
  • 補職辞令のある再任は個別の代として数え、辞令のない留任は数えない。
  • 臨時代理・事務取扱・事務代理は、大臣または長官が欠員の場合のみ記載し、海外出張時等の一時不在代理は記載しない。

警察予備隊本部長官

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肖像画 氏名 内閣 在任期間 兼務等・備考 所属政党
- 增原惠吉 第3次吉田内閣 第1次改造内閣 1950年(昭和25年)8月14日 - 1952年(昭和27年)7月31日 認証官内務省出身の警察官僚
第2次改造内閣
第3次改造内閣

国務大臣(警察予備隊担当)

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肖像画 氏名 内閣 在任期間 兼務等・備考 所属政党
- 大橋武夫 第3次吉田内閣 第2次改造内閣 1951年(昭和26年)12月26日 - 1952年(昭和27年)7月31日 警察予備隊令第9条に基づく担当国務大臣。
旧内務省の元警察官僚。
自由党
第3次改造内閣

海上保安庁長官(保安庁への過渡期)

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肖像画 氏名 内閣 在任期間 兼務等・備考 所属政党
- 柳沢米吉 第3次吉田内閣 第3次改造内閣 1952年(昭和27年)4月26日 - 1952年(昭和27年)7月31日 東京帝国大学工学部卒業後、内務省入省、運輸通信省運輸省官僚
海上警備隊の指揮監督。
海上警備隊は保安庁の警備隊に移行。
本体は海上公安局に改編。

国務大臣保安庁長官(総理府の外局)

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肖像画 氏名 内閣 在任期間 兼務等・備考 所属政党
- 吉田茂 第3次吉田内閣 第3次改造内閣 1952年(昭和27年)8月1日 - 1952年(昭和27年)10月30日 内閣総理大臣による事務取扱。
保安庁は保安隊、警備隊及び
海上公安局を管轄。
自由党
01 木村篤太郎 第4次吉田内閣 1952年(昭和27年)10月30日 - 1953年(昭和28年)5月21日 国務大臣(前内閣の法務大臣)。
02 第5次吉田内閣 1953年(昭和28年)5月21日 - 1954年(昭和29年)6月30日

国務大臣防衛庁長官(総理府の外局)

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肖像画 氏名 内閣 在任期間 兼務等・備考 所属政党
01 木村篤太郎 第5次吉田内閣 1954年(昭和29年)7月1日 - 1954年(昭和29年)12月10日 第5次吉田内閣の保安庁長官より
国務大臣防衛庁長官に就任。
陸・海・空自衛隊が発足。
海上公安局法の廃止。
02 大村清一 第1次鳩山一郎内閣 1954年(昭和29年)12月10日 - 1955年(昭和30年)3月19日 第1次吉田内閣内務大臣 日本民主党
03 杉原荒太 第2次鳩山一郎内閣 1955年(昭和30年)3月19日 - 1955年(昭和30年)7月31日 外務省の元官僚
04 砂田重政 1955年(昭和30年)7月31日 - 1955年(昭和30年)11月22日 予備幹部自衛官制度の必要性を訴えて更迭。
05 船田中 第3次鳩山一郎内閣 1955年(昭和30年)11月22日 - 1956年(昭和31年)12月23日 第1次近衛内閣法制局長官 自由民主党
- 石橋湛山 石橋内閣 1956年(昭和31年)12月23日 - 1957年(昭和32年)1月31日 内閣総理大臣による事務取扱。
- 岸信介 1957年(昭和32年)1月31日 - 1957年(昭和32年)2月2日 外務大臣による事務代理。
06 小瀧彬 1957年(昭和32年)2月2日 - 1957年(昭和32年)2月25日
07 第1次岸内閣 1957年(昭和32年)2月25日 - 1957年(昭和32年)7月10日
08 津島壽一   改造内閣 1957年(昭和32年)7月10日 - 1958年(昭和33年)6月12日
09 左藤義詮 第2次岸内閣 1958年(昭和33年)6月12日 - 1959年(昭和34年)1月12日
10 伊能繁次郎 1959年(昭和34年)1月12日 - 1959年(昭和34年)6月18日 運輸省の元官僚。
11 赤城宗徳   改造内閣 1959年(昭和34年)6月18日 - 1960年(昭和35年)7月19日 安保騒乱治安出動を拒否。
12 江﨑真澄 第1次池田内閣 1960年(昭和35年)7月19日 - 1960年(昭和35年)12月8日
13 西村直己 第2次池田内閣 1960年(昭和35年)12月8日 - 1961年(昭和36年)7月18日
14 藤枝泉介   第1次改造内閣 1961年(昭和36年)7月18日 - 1962年(昭和37年)7月18日
15 志賀健次郎   第2次改造内閣 1962年(昭和37年)7月18日 - 1963年(昭和38年)7月18日
16 福田篤泰   第3次改造内閣 1963年(昭和38年)7月18日 - 1963年(昭和38年)12月9日
17 第3次池田内閣 1963年(昭和38年)12月9日 - 1964年(昭和39年)7月18日
18 小泉純也   改造内閣 1964年(昭和39年)7月18日 - 1964年(昭和39年)11月9日
19 第1次佐藤内閣 1964年(昭和39年)11月9日 - 1965年(昭和40年)6月3日 昭和38年度総合防衛図上研究の発覚で辞任。
20 松野頼三   第1次改造内閣 1965年(昭和40年)6月3日 - 1966年(昭和41年)8月1日 海軍主計少佐
21 上林山栄吉   第2次改造内閣 1966年(昭和41年)8月1日 - 1966年(昭和41年)12月3日 公私混同のお国入り問題で批判をうける。
22 増田甲子七   第3次改造内閣 1966年(昭和41年)12月3日 - 1967年(昭和42年)2月17日
23 第2次佐藤内閣 1967年(昭和42年)2月17日 - 1968年(昭和43年)11月30日
  第1次改造内閣
24 有田喜一   第2次改造内閣 1968年(昭和43年)11月30日 - 1970年(昭和45年)1月14日 運輸省の元官僚。
25 中曽根康弘 第3次佐藤内閣 1970年(昭和45年)1月14日 - 1971年(昭和46年)7月5日 内務省の元官僚(海軍主計少佐)。三島事件が発生。
26 增原惠吉   改造内閣 1971年(昭和46年)7月5日 - 1971年(昭和46年)8月2日 全日空機雫石衝突事故が発生
27 西村直己   1971年(昭和46年)8月2日 - 1971年(昭和46年)12月3日 元防衛庁長官
28 江﨑真澄   1971年(昭和46年)12月3日 - 1972年(昭和47年)7月7日 元防衛庁長官
29 增原惠吉 第1次田中角栄内閣 1972年(昭和47年)7月7日 - 1972年(昭和47年)12月22日 元防衛庁長官
30 第2次田中角栄内閣 1972年(昭和47年)12月22日 - 1973年(昭和48年)5月29日
31 山中貞則 1973年(昭和48年)5月29日 - 1974年(昭和49年)11月11日  
  第1次改造内閣
32 宇野宗佑   第2次改造内閣 1974年(昭和49年)11月11日 - 1974年(昭和49年)12月9日 第十雄洋丸事件では撃沈命令を出した。
33 坂田道太 三木内閣 1974年(昭和49年)12月9日 - 1976年(昭和51年)12月24日 ベレンコ中尉亡命事件が発生。
  改造内閣
34 三原朝雄 福田赳夫内閣 1976年(昭和51年)12月24日 - 1977年(昭和52年)11月28日 有事法制の研究を公式に開始。
35 金丸信   改造内閣 1977年(昭和52年)11月28日 - 1978年(昭和53年)12月7日 統幕議長栗栖弘臣陸将の更迭。
在日米軍に「思いやり予算」を考案し実施。
36 山下元利 第1次大平内閣 1978年(昭和53年)12月7日 - 1979年(昭和54年)11月9日 大蔵省の元官僚(海軍主計士官)
37 久保田円次 第2次大平内閣 1979年(昭和54年)11月9日 - 1980年(昭和55年)2月4日 宮永スパイ事件で引責辞任。
38 細田吉蔵 1980年(昭和55年)2月4日 - 1980年(昭和55年)7月17日
39 大村襄治 鈴木善幸内閣 1980年(昭和55年)7月17日 - 1981年(昭和56年)11月30日
40 伊藤宗一郎   改造内閣 1981年(昭和56年)11月30日 - 1982年(昭和57年)11月27日
41 谷川和穗 第1次中曽根内閣 1982年(昭和57年)11月27日 - 1983年(昭和58年)12月27日
42 栗原祐幸 第2次中曽根内閣 1983年(昭和58年)12月27日 - 1984年(昭和59年)11月1日
43 加藤紘一   第1次改造内閣 1984年(昭和59年)11月1日 - 1986年(昭和61年)7月22日
  第2次改造内閣
44 栗原祐幸 第3次中曽根内閣 1986年(昭和61年)7月22日 - 1987年(昭和62年)11月6日 元防衛庁長官
45 瓦力 竹下内閣 1987年(昭和62年)11月6日 - 1988年(昭和63年)8月24日 なだしお事件で引責
46 田澤吉郎 1988年(昭和63年)8月24日 - 1989年(平成元年)6月3日
  改造内閣
47 山崎拓 宇野内閣 1989年(平成元年)6月3日 - 1989年(平成元年)8月10日
48 松本十郎 第1次海部内閣 1989年(平成元年)8月10日 - 1990年(平成2年)2月28日
49 石川要三 第2次海部内閣 1990年(平成2年)2月28日 - 1990年(平成2年)12月29日
50 池田行彦   改造内閣 1990年(平成2年)12月29日 - 1991年(平成3年)11月5日
51 宮下創平 宮澤内閣 1991年(平成3年)11月5日 - 1992年(平成4年)12月12日
52 中山利生   改造内閣 1992年(平成4年)12月12日 - 1993年(平成5年)8月9日
53 中西啓介 細川内閣 1993年(平成5年)8月9日 - 1993年(平成5年)12月2日 新生党
54 愛知和男 1993年(平成5年)12月2日 - 1994年(平成6年)4月28日
- 羽田孜 羽田内閣 1994年(平成6年)4月28日 内閣総理大臣による事務取扱
55 神田厚 1994年(平成6年)4月28日 - 1994年(平成6年)6月30日 民社党
56 玉澤徳一郎 村山内閣 1994年(平成6年)6月30日 - 1995年(平成7年)8月8日 自由民主党
57 衛藤征士郎   改造内閣 1995年(平成7年)8月8日 - 1996年(平成8年)1月11日
58 臼井日出男 第1次橋本内閣 1996年(平成8年)1月11日 - 1996年(平成8年)11月7日
59 久間章生 第2次橋本内閣 1996年(平成8年)11月7日 - 1998年(平成10年)7月30日
  改造内閣
60

額賀福志郎 小渕内閣 1998年(平成10年)7月30日 - 1998年(平成10年)11月20日 防衛庁調達実施本部背任事件が発生
参議院本会議問責決議可決
  第1次改造内閣
61 野呂田芳成   第2次改造内閣 1998年(平成10年)11月20日 - 1999年(平成11年)10月5日 能登半島沖不審船事件が発生
初の海上警備行動発令
62 瓦力   1999年(平成11年)10月5日 - 2000年(平成12年)4月5日 元防衛庁長官
63 第1次森内閣 2000年(平成12年)4月5日 - 2000年(平成12年)7月4日 再任
64 虎島和夫 第2次森内閣 2000年(平成12年)7月4日 - 2000年(平成12年)12月5日
65 斉藤斗志二   改造内閣(再編前) 2000年(平成12年)12月5日 - 2001年(平成13年)1月5日

国務大臣防衛庁長官(内閣府の外局)

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肖像画 氏名 内閣 在任期間 兼務等・備考 所属政党
65 斉藤斗志二   改造内閣(再編後) 2001年(平成13年)1月6日 - 2001年(平成13年)4月26日 自由民主党
66 中谷元 第1次小泉内閣 2001年(平成13年)4月26日 - 2002年(平成14年)9月30日 元陸上自衛官
初の自衛官出身防衛庁長官
67 石破茂   第1次改造内閣 2002年(平成14年)9月30日 - 2003年(平成15年)11月19日
  第2次改造内閣
68 第2次小泉内閣 2003年(平成15年)11月19日 - 2004年(平成16年)9月27日
69 大野功統   改造内閣 2004年(平成16年)9月27日 - 2005年(平成17年)9月21日
70 第3次小泉内閣 2005年(平成17年)9月21日 - 2005年(平成17年)10月31日
71 額賀福志郎   改造内閣 2005年(平成17年)10月31日 - 2006年(平成18年)9月26日 元防衛庁長官
防衛施設庁談合事件が発覚
72 久間章生 第1次安倍内閣 2006年(平成18年)9月26日 - 2007年(平成19年)1月8日 元防衛庁長官

防衛大臣(防衛省)

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肖像画 氏名 内閣 在任期間 兼務等・備考 所属政党
01 久間章生 第1次安倍内閣 2007年(平成19年)1月9日 - 2007年(平成19年)7月4日 第1次安倍内閣の防衛庁長官より防衛大臣に就任。
原爆投下を巡る不適切発言で辞任。
自由民主党
02 小池百合子 2007年(平成19年)7月4日 - 2007年(平成19年)8月27日 初の女性防衛大臣
03 高村正彦   改造内閣 2007年(平成19年)8月27日 - 2007年(平成19年)9月26日 防衛施設庁の解体
防衛監察本部の新設
04 石破茂 福田康夫内閣 2007年(平成19年)9月26日 - 2008年(平成20年)8月2日 元防衛庁長官
2007年(平成19年)10月19日、山田洋行事件が発覚
2008年(平成20年)2月19日、イージス艦衝突事故が発生
05 林芳正   改造内閣 2008年(平成20年)8月2日 - 2008年(平成20年)9月24日
06 浜田靖一 麻生内閣 2008年(平成20年)9月24日 - 2009年(平成21年)9月16日 防衛会議を設置
田母神俊雄空幕長の更迭
07 北澤俊美 鳩山由紀夫内閣 2009年(平成21年)9月16日 - 2010年(平成22年)6月8日 民主党
08 菅直人内閣 2010年(平成22年)6月8日 - 2011年(平成23年)9月2日 再任
JTF-THの編成
  第1次改造内閣
  第2次改造内閣
09 一川保夫 野田内閣 2011年(平成23年)9月2日 - 2012年(平成24年)1月13日 参議院本会議で問責決議可決
10 田中直紀   第1次改造内閣 2012年(平成24年)1月13日 - 2012年(平成24年)6月4日
11 森本敏   第2次改造内閣 2012年(平成24年)6月4日 - 2012年(平成24年)12月26日 民間人閣僚
元航空自衛官・外交官
防衛大臣補佐官
民間人
  第3次改造内閣
12 小野寺五典 第2次安倍内閣 2012年(平成24年)12月26日 - 2014年(平成26年)9月3日 自由民主党
13 江渡聡徳   改造内閣 2014年(平成26年)9月3日 - 2014年(平成26年)12月24日 安全保障法制担当大臣兼務
14 中谷元 第3次安倍内閣 2014年(平成26年)12月24日 - 2016年(平成28年)8月3日 安全保障法制担当大臣兼務
元陸上自衛官・元防衛庁長官
運用企画局の廃止、防衛装備庁の新設
  第1次改造内閣
15 稲田朋美   第2次改造内閣 2016年(平成28年)8月3日 - 2017年(平成29年)7月28日 南スーダン派遣PKO部隊の日報非開示問題(隠蔽疑惑)で引責辞任
16 岸田文雄   2017年(平成29年)7月28日 - 2017年(平成29年)8月3日 外務大臣兼任
17 小野寺五典   第3次改造内閣 2017年(平成29年)8月3日 - 2017年(平成29年)11月1日 元防衛大臣
18 第4次安倍内閣 2017年(平成29年)11月1日 - 2018年(平成30年)10月2日 再任
19 岩屋毅   第1次改造内閣 2018年(平成30年)10月2日 - 2019年(令和元年)9月11日 韓国海軍レーダー照射問題が発生。
20 河野太郎   第2次改造内閣 2019年(令和元年)9月11日 - 2020年(令和2年)9月16日
21 岸信夫 菅義偉内閣 2020年(令和2年)9月16日 - 2021年(令和3年)10月4日
22 第1次岸田内閣 2021年(令和3年)10月4日 - 2021年(令和3年)11月10日 再任
23 第2次岸田内閣 2021年(令和3年)11月10日 - 2022年(令和4年)8月10日 再任
24 浜田靖一   第1次改造内閣 2022年(令和4年)8月10日 - 2023年(令和5年)9月13日 元防衛大臣、2023年(令和5年)6月14日、日野基本射撃場発砲事件が発生
25 木原稔 第2次改造内閣 2023年(令和5年)9月13日 - 2024年(令和6年)10月1日
26 中谷元 第1次石破内閣 2024年(令和6年)10月1日 - 2024年(令和6年)11月11日 元陸上自衛官・元防衛大臣
27 第2次石破内閣 2024年(令和6年)11月11日 -

記録

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  • 連続最長在任記録:747日(2年) - 坂田道太
  • 通算最長在任記録:1112日(3年) - 中谷元

防衛大臣表彰(防衛大臣賞、防衛大臣感謝状を含む)

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防衛大臣表彰は防衛庁の防衛省移行に伴い改称されたものである。これにより防衛庁長官表彰、防衛庁長官賞、防衛庁長官感謝状はそれぞれ防衛大臣表彰、防衛大臣賞、防衛大臣感謝状と改称された。 防衛大臣表彰は主に自衛隊員に対して授与されるもので防衛省職員(事務官、自衛官等)については25年以上に永年勤続[8]予備自衛官、即応予備自衛官については30年以上の永年勤続[9]に対して授与されている。また、かつて防衛省が実施した安全保障懸賞論文の賞として授与されていた。防衛大臣感謝状は防衛省や自衛隊の業務に協力する団体の関係者に贈呈されることが多い。

脚注

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注釈

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  1. ^ ただし、岸田は前任者の辞任に伴い、内閣改造による後任の決定までごく短期間(約1週間)防衛大臣を兼任したというものである。
  2. ^ 一時的に現役武官制が廃止され、予備役・後備役・退役武官に補任資格が拡げられたこともあったがこれらが入閣する場合は現役に復帰していた。

出典

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関連項目

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外部リンク

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