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山形放送

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山形放送株式会社
Yamagata Broadcasting Co., Ltd.
(上)現社屋の山形メディアタワー
(下)旧社屋の山形新聞放送会館
種類 株式会社
市場情報 非上場
本社所在地 日本の旗 日本
990-8555
山形県山形市旅篭町二丁目5番12号
設立 1953年10月1日
業種 情報・通信業
法人番号 2390001002095 ウィキデータを編集
事業内容 放送法によるテレビジョン放送
代表者 代表取締役社長 園部 稔
資本金 3億9800万円
主要株主 山形県(14.4%)
外部リンク http://ybc.co.jp
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山形放送
基本情報
英名 Yamagata
Broadcasting Co., Ltd.
略称 YBC
本社 〒990-8555
山形県山形市旅篭町二丁目5番12号
山形メディアタワー
演奏所 本社と同じ
ラジオ
放送対象地域 山形県
系列 JRNNRN
愛称 YBCラジオ
呼出符号 JOEF
開局日 1953年10月15日
親局 / 出力 山形 918kHz /  5kW
主な中継局 #ラジオ参照
テレビ
放送対象地域 山形県
ニュース系列 NNN
番組供給系列 NNS
呼出符号 JOEF-DTV
開局日 1960年3月16日
デジタル親局 山形 16ch
アナログ親局 山形 10ch
ガイドチャンネル 10ch
主な中継局 鶴岡 16ch・新庄 19ch
小国 31ch・米沢 32ch
主なアナログ中継局 #テレビチャンネル参照
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山形放送株式会社(やまがたほうそう、英称:Yamagata Broadcasting Co., Ltd.)は山形県にある放送局で、中波(AMラジオ)・テレビジョン放送兼営である。略称はYBC

概要

1953年ラジオ局として開局し(呼称: ラジオ山形)、1960年テレビ放送開始。当初は日本テレビを中心としたオープンネットでの放送だった。これは、当時の服部敬雄社長正力松太郎の経営姿勢に共感を持っていたとも、背後の新聞社の関係(日本テレビ=読売新聞ラジオ東京=毎日新聞)を勘案したともいわれる。

NNNANNクロスネットだった頃は、日本テレビ、テレビ朝日の番組が6:4の割合で放送されており、テレビユー山形開局までは、一部TBSの番組も放送されていた(なお、クロスネット時代のことについては山形テレビ(YTS)の項を参照)。1993年、YTSのネットチェンジFNN→ANN)によりNNN単独ネット局となり現在に至る。このネットチェンジの真相は不明であるが、YTSの負債をテレビ朝日や当時あった東北地方の系列局(青森朝日放送東日本放送秋田朝日放送福島放送)が肩代わりする際の交換条件だったという説もある。

ラジオは開局当初、当時の服部社長がニッポン放送及びフジテレビの社長だった鹿内信隆と懇意にしていたため、ニッポン放送とネットワークを結んでいた。1965年以降はJRNNRNクロスネット。なお、1978年に勃発した巨人戦中継問題以降、月曜日のみRFナイターを編成していた時期もあった。

現在、深夜から早朝の試験電波として日テレNEWS24サイマル放送を実施している。

山形県が現在筆頭株主(14.4%)である(ただし県内4局とも県の出資額は公平性の観点から一律1億円)。

系列新聞は山形新聞。この新聞社との資本関係が非常に強く、社屋も共同で使用している。日本で唯一、テレビ局が社説放送をする局としても知られるが、これも山形新聞社との結びつきの強さが一つの鍵である。なお、元々ラジオ局として開局したためか、読売新聞・日本テレビ両社との資本関係は一切ない(このような老舗局は他にも多いが、山形テレビ・テレビユー山形両社に読売新聞との資本関係あり)。しかし近年は読売新聞のテレビCM(スポットCM)を自社でも流すなど、キー局への配慮がなされている。また、YBCは読売新聞との資本関係がないにも関わらず、イベントを読売新聞東京本社の主催と山形新聞系列のYBCとの後援でイベント「東北サミット」(東北6県で不定期に開催する読売新聞東京本社の事業。イベント主催の発起人も読売新聞東京本社)を共催したこともあった(滅多にないが秋田県と青森県でも同様の事例あり)。

2005年12月1日に、NHK山形放送局TUYテレビユー山形と共に地上デジタルテレビ放送の本放送を開始した。

主要株主

日本民間放送年鑑2008 日本民間放送連盟 2008年 から

名称 所有株式数
1 山形県 1万1,449株
2 山形新聞社 7,780株
3 東京海上日動 3,741株
4 ヤマコー 3,237株
5 山形銀行 3,062株
6 三島 2,990株
7 きらやか銀行 2,572株
  • 払込資本金3億9,800万円(授権資本10億円)
  • 発行済株式総数7万9,600株
  • 期末株主数 412

沿革

社史・記念誌

  • 山形放送三十三年誌(高橋昭 編著) 1987年10月発行、659ページ。
  • YBC 35年のあゆみ(山形放送株式会社報道制作本部編集委員会 編) 1988年10月発行、73ページ。
  • 山形放送の50年(YBC五十周年委員会 編) 2003年10月発行、435ページ。

ラジオ

放送時間は、月曜0:00 - 4:00休止の24時間放送。月曜のみ4:00、ほかは5:00を1日の基点とする。

ラジオ周波数

県内同一周波数放送実施。

備考

  • 以前は山形・鶴岡(酒田)・米沢・新庄でそれぞれ周波数が異なっており、鶴岡は独自のコールサイン (JOEL) を持っていたが、1989年5月25日に内陸側が、1995年9月18日には庄内側も「918kHz」に統一された。庄内側の周波数統一時は、変更日を周波数に因んだ9月18日に設定、変更直前(日曜深夜の放送終了前)には1時間の特別番組を放送し、生放送で最後のJOELコールサイン読み上げを行った。周波数統一によって、各地域独自のCM等を放送する事は困難になった。
  • 1960年 - 65年10月までは「精密同一周波数放送実用化試験局」が存在し、「JO8AB」のコールサインで鶴岡から山形と同じ920キロサイクル(kHzと同義)で放送が行われていた。当時の最先端技術であり、これが後の鶴岡・酒田精密同期放送 (1098kHz) や現在の県内・他県の同一周波数放送の礎になっている。
  • 東日本では夜間の遠距離聴取が容易な地域が比較的多いが、山口放送岩国局や下関局、韓国KBSと同一周波数である為、本州西部や九州地方で夜間の遠距離聴取が困難な地域が多い。かつては北海道でも札幌テレビ放送(現:STVラジオ)の釧路局と周波数が同じだった為に遠距離聴取が困難となっていたが、同局の周波数変更によってこの困難は解消された。
  • まだ日本に放送ネットワークの概念がなかった民放ラジオ草創期に、ニッポン放送の昼ワイド番組を日本で初めてネットしたり、東京から中継されていた北海道放送のニュース番組をネットするなど、当時としては先進的な試みを行った。
  • 札幌テレビ放送がラジオ放送を開始する前に、STV社員がラジオ放送の実地研修を行った。その時の経験が北海道後発局にも関わらず、高聴取率を得る番組制作へと繋がっていったという。
  • ラジオ放送のシステムは2006年8月21日に新社屋に移動した。山形メディアタワー(新社屋)1階にはガラス張りのスタジオ(愛称:918スタジオ)があり、一般人もガラス越しにスタジオ内を観覧出来る。
  • 宮城県の広範囲、福島県中通り及び会津地区の一部地域でも受信可能(遠くでは埼玉県の一部地域でも受信出来る)。
  • 県内で同一周波数の為、一部地域ではフェージングが起こる事もある。また同じ周波数の為、どちらの電波を受信しているのか分からない地域もある(例えば南陽市等では本局と米沢中継局とエリアが重複してしまう)。

トンネル内ラジオ再送信サービス実施箇所

現在放送中の番組

自社制作番組

ネット番組

過去に放送した番組

自社制作番組

以前は、テレビと共にローカルニュースは『山形新聞ニュース』、『YBCニュース』のタイトルが使われていたが、現在は『YBCニュースライナー』となっている。

県内の公立高校入試の合格結果を、学校名、個人名も含めてアナウンサーが読み上げるという番組も過去に存在し、山形局 (JOEF) が内陸地方の高校、鶴岡局 (JOEL) が庄内地方の高校といった独自放送をしていた。現在は同一周波数化と個人情報保護に対する声が高まったこともあり、放送されていない。

テレビ

テレビネットワークの移り変わり

テレビチャンネル

日本テレビ系列のリモコンキーID地図
親局
  • 山形(西蔵王テレビ・FM放送所、山形市神尾) リモコンキーID:4 JOEF-DTV(デジタルテレビの送信所は山形テレビと共同使用)
    • 送信柱 45m四角鉄塔(山形テレビアナログ、デジタルと共有)アンテナ部も含めた高さ約55m
    • 送信空中線 4L6段3面でYBCデジタル、YTSアナログ、デジタルの3波共有。
    • 放送機形式 DTU-50/1R0S (NEC) 2台形式、電力増幅部は300Wユニットを並列。冷却は空冷(室内循環ファン式)
    • STL 西蔵王向けのパラボラアンテナは3m、出力500mW (NEC)、新庄杢蔵山向けパラボラアンテナ4m、出力1,000mW (NEC)
    • 物理チャンネル 16ch
    • 出力 1kW (ERP 21kW)
    • 送信所局舎 山形テレビと協力して建設。2階建て1F自家発電や電源室ほか、2F送信機ほか設置、屋上にはマイクロ回線用四角(長方形)鉄塔。自家発電は200KVA(ヤンマー
  • 山形テレビと送信所局舎等、共有できる所は協力してシステム構築をしてコストを下げた事はデジタル化の設備が重荷になる地方局にとって極めて参考になるであろう。
中継局(チャンネル順)

最上地方

庄内地方


アナログ放送概要

2011年7月24日終了時点

親局
中継局(チャンネル順)

【村山地方】

【置賜地方】

【最上地方】

【庄内地方】


テレビ放送開始時、庄内地方でのテレビ放送を始めるにあたり、山形西蔵王親局から鶴岡高館山送信所への映像伝送が大きな問題となった。内陸(村山地方)と庄内地方の間には2,000m級の出羽山地が横たわり、直接の画像伝送が不可能だったからである。当時は、このような場合電電公社マイクロ回線を常時借りるか[2]、マイクロの自営回線を構築することが常道であったが、多額の費用が必要とされるため、山形放送では、山形親局と鶴岡送信所を両方見通せる新庄市にある標高1,000mの杢蔵山山頂に中継所を設置し、山形の電波を新庄で受信し、さらに、それを鶴岡で受信するという方法をとった。なお、NHKは当時山形放送局とは別に鶴岡放送局があった。

これが全国の放送局の注目を浴び、他県でも同様の方法が採られるようになった。新庄杢蔵山中継所の建設に当たっては、当時の服部敬雄社長が自衛隊に対して出動要請を行い、多賀城駐屯地の施設部隊が登山道すらない高山の山頂までの車道を突貫工事で開削し、九州の部隊に配置されていた当時日本最大の大型ヘリコプターで機材の搬入を行ったという。村山地方⇔庄内地方の電波送受信における「杢蔵山経由」は、その後開局したテレビ局だけでなく、公共防災無線などでも活用されている。YBCラジオも、演奏所から新庄ラジオ中継局鶴岡ラジオ中継局への音声伝送を杢蔵山経由で行っている[3]

省力化を図るため、全送信所の無人化・リモートコントロール化を日本で初めて実現した放送局は山形放送である。

山形県外での区域外受信について

秋田県沿岸南西部の本荘由利地域等では秋田放送NNSの一部番組が遅れネット・未ネットのため、鶴岡高館山中継局(アナログ1ch・デジタル16ch)を受信して番組を楽しんでいる家庭がある。

逆に、ANNとのクロスネット時代には鶴岡市温海地区などではテレビ新潟村山地方置賜地方の一部ではミヤギテレビを視聴していた家庭もあった。

時刻出し

平日
土曜
日曜

現在放送中の番組

自社制作番組

日本テレビ系列の時差ネット番組

他系列の番組

テレビ東京系 遅れ日数はすべて、2012年11月時点でのもの。

その他

その他

民間放送教育協会

東北民放テレビ六社会

NNS東北ブロックネット

過去に放送した番組

自社制作番組

YBCがNNNANNのクロスネットだった時期、現在の『YBCストレイトニュース』の枠はNNN昼のニュースに続く形で『山形新聞ニュース』が約5分間放送され、その後ANNニュースライナーが放送されていた。

1983年に放映された『HELLO!マイホーム』(のちに『ハロー!!マイホーム』へ改題)という住宅情報番組(現在の『ハウジング・ロード』にあたる枠)では、YBCラジオで4月 - 9月の期間に放送の綜合放送制作番組『いきいき歌謡ダイアリー』でも使われているポール・モーリア音楽の「雲に想いを」が当時使われていた。

  • ミュージックサロン
放送開始直後の朝一番の番組であったが、クラシック音楽旧式テストパターンの映像(中央に鹿のイラストが添えられ、左上に「山形10・隺岡(鶴岡)1」右下に「YBC山形放送」と書かれているもの)が放送され、実質フィラー的なものだった。これが終わると、山形県の歌「最上川」の合唱であった。

ネット番組(日本テレビ系は除く)

TBS系TUY開局まで【 - 1989年9月】)

フジテレビ系(YTS開局前【 - 1970年4月】およびフジ系空白期間【1993年4月 - 1997年3月】)※のあるものは、過去にYTSで放映され、同局がネットチェンジしてからSAY開局までの間に放映。

テレビ朝日1993年4月のYTSネットチェンジまで)※は、原則的にYTSへ。▲印はFNN・ANNクロス時代のYTSから移行された番組

テレビ東京系

その他

NNS東北ブロックネット

  • ツナガッテルかーい!

旧局舎時代(2005年1月14日まで)に放送された日本テレビ系列の番組

◇印はANN脱退後に継続並びに新規で放送された番組、☆印は現在放映中

オープニングとクロージング

  • テレビのオープニングとクロージングは2001年頃まで山形放送の本社社屋・山形テレビ放送所・鶴岡テレビ放送所の写真を周波数と一緒に掲示し、右側に中継局チャンネル一覧を出していた。
  • その後、最近になって放送されているのが風景映像で、山形県内の花の名所やスポーツスポット、水中カメラから捉えた海水の映像等が取り上げられている。
  • 2001年頃から、琴とベル調のBGMと共に、花の映像→局舎に変更され、クロージングは一旦無くなった。
  • 放送開始と終了時の音楽は、2001年頃まではテレビ・ラジオ共通で使用されていた。開始時にはスペインのマーチ音楽、終了時にはスラックキーギターで演奏される、ハワイアン調の「子守唄」(タイトルは“ジャパニーズ・ララバイ”という)が流れていた。終了時の音楽はラジオ番組「ラジオはアメリカン」で、「日本の放送局で一番暗いクロージング」と取り上げられたこともあった[4]。またオープニングには「山形放送の放送開始です!!」というコメントが付け加えられていた。
  • テレビのクロージング前には、火の元確認の静止画を放送していた。その静止画映像はハープのBGMをバックに、が燃えているイラストが描かれており、イラストの下に手書き風丸ゴシック「●お休み前にもう一度、火の元をお確かめ下さい」と描かれているものだった。1990年代以前はBGMが無く、実際に家屋が燃えている(山火事?)写真を使用し、その下に「おやすみ前に(改行)もう一度火のもとを…」の字幕を表示していた。
  • オープニングの後、山形県民の歌「最上川」の映像が放送される。
  • 2001年頃までは、オープニング映像と山形県民の歌「最上川」の間に「ミュージックサロン」というミニ番組が放送されていた。カモシカの絵が中央に描かれたYBCのテストパターン(鶴岡のの文字がだった)をクラシック音楽と共に流すというもので、音声多重放送が開始されるとステレオ放送化される。放送休止時間が設けられていた1960年代には、休止明けの番組として数回放送されていた。
  • テレビの地上デジタル放送完全移行時に放送されたクロージングは通常のクロージングに「まもなく、アナログテレビ放送を終了します。長い間ご覧いただき誠にありがとうございました。(今後は)デジタルテレビ放送でお楽しみください。」というテロップが添えられていた。

アナウンサー

男性

かつて在籍していたアナウンサー

男性

女性

地域ニュースの動画配信

山形県内ニュースは「YBC news every.」で放送された分のみを動画配信中(要Windows Media Player、祝日及び土日放送分のニュースは動画・文字配信共になし)。

海外姉妹放送局

YBCおいしいものフェア

  • 毎年2月の第2土曜日 - 月曜日の3日間に山形ビッグウイング(山形国際交流プラザ)で県内または県外の美味しい物を一堂に集めた「YBCおいしいものフェア」を開催している。なお、同局の製作番組「ピヨ卵ワイド430」内で考案されたスイーツも登場する。最近では芸能人をゲストとして呼ぶようになった。
  • ゲスト芸能人が参加する時間帯にはテレビ中継もされる。

ゲスト芸能人

マスコットキャラクター・キャッチコピー・ロゴ

  • 局のマスコットキャラクターは『ぷにゅん』。YBCでは長らくマスコットキャラクターは置いていなかったが、2001年にYBC開局以来初のマスコットキャラクターとして誕生。これは耳の生えたピンクのボールの様な風貌(任天堂のキャラクター「星のカービィ」に似ている。)。また、『ぷにゅんのとっておき!』という、CMタイアップ番組(ある企業の30秒CMの前後に短いオープニングとエンディングを足しただけ。不定期番組?)も放送されている。YBCの中継車には、ぷにゅんがでかでかとプリントされている。
  • ぷにゅんの登場以前のキャッチコピー1996年4月1日から同年12月31日まで「食前食後にYBC」が、1997年1月1日から1999年3月31日まで「ビシッとYBC」が、1999年4月1日から2000年12月31日に「テレちゃう」がそれぞれ使われていた。
  • ぷにゅんの登場に合わせ、2001年1月より「ぴたー」というキャッチコピーを導入し、2002年9月まで使用した(その後3ヶ月はキャッチコピー空白状態)。2003年1月から2009年3月31日まではCIの導入に合わせて「おもしろ主義るっ!」が使われていたが、2009年4月1日から2012年12月31日までは「一緒に歩こ」が使われている。
  • 2013年1月1日から開局60周年に合わせて、「ココロつながる」を使用している。また、ウォーターマークも一新された。(ぷにゅんのお腹に60マーク、吹き出しは+で、その下にココロつながるの文字。)
  • 現在のロゴ(2003年1月1日 - )は3代目で、Yの字をデフォルメし両翼を広げて羽ばたくイメージをテレビ三原色でまとめたもの。ロゴマークはYの文字を一筆書きで、躍動感と伸びゆく姿を表現している。英文ロゴはソフトな筆記体で親しみやすさを表現している。

その他

  • 1970年代から1982年頃にかけて、ポール・モーリア等のBGMをバックに静止画スライドで番組案内や道徳啓発(主に交通安全、火災予防、子どものしつけ等)をCMの空き時間(フィラー)に流した。
  • かつてはテレビ朝日系列にも加盟(1980年4月1日から1993年3月31日までネット加盟)していたが、朝日新聞・テレビ朝日との資本関係も読売新聞・日本テレビと同様、一切ない[5]
  • 1979年ポーランドでは、時のポーランド統一労働者党第一書記、エドヴァルト・ギェレクの退陣が濃厚になり、ポーランドの次期指導者が誰になるかが世界的な注目を集めていたが、冷戦真っ只中の時代、鉄のカーテンは厚く、西側諸国にポーランドのまともな動向は伝わっていなかった。そんな中、姉妹局のポズナニ放送へ友好訪問を行った山形放送のクルーは、スタニスワフ・カニャへの単独インタビューに成功し、そこで、次期第一書記を目指す言質を取った。ポーランドの次期指導者が西側のマスメディアに登場した初めての取材となり、大スクープとして全世界に配信されることとなった(社史より)
  • 2005年12月1日の地上デジタル放送開始と共に、YBCホームページにアナウンサーのブログ『アナBoo!』を同日に開設。初書き込みはこの日誕生日の新人(当時)、竹内久乃アナ。ちなみに、このブログにはNo.2の書き込みのみ存在しない。
  • 2011年3月31日で終了した「ズームイン!!SUPER」の前の「ズームイン!!朝!」の頃は全国向けのレポートが多かったが、同局は一貫して女性アナの投入はなく芳賀、佐伯アナという2人の担当であった。
  • 県内テレビ局の中で唯一、ワンセグEPGで番組内容の紹介をしていない。
  • ワンセグの時刻出しは、開始当初表示を行っていなかったが、現在は表示されている。
  • 全国のラジオ局で平日の早朝に放送されている『ラジオライブラリー「新・人間革命」』(文化放送制作・聖教新聞社提供)はYBCラジオでは全国で唯一、午後の時間帯 (12:30 - 12:40)に放送されている。

テレビ視聴率

年間視聴率については、1993年から2005年までの13年間、そして1年(2006年)を挟んで2007年から2012年と6年連続、YBCが3冠を達成した。

年度視聴率については、1993年度から19年連続して3冠王を達成している。これはキー局を含む全国の民放局で最長記録[6]。2000年代中盤における関東地区等で日本テレビ系列局が不調傾向にあった時代にも、視聴率首位を守っている(2012年3月現在)。

関連企業・団体

関連企業

関連団体

関連項目

その他の山形県の放送局

脚注

  1. ^ 専用郵便番号が付与される前、テレビ番組のテロップでは「〒990 山形市ハタゴ町 山形放送」と表示されることが多く、実際にそれで郵便物が届いていたという。
  2. ^ 北海道の民放各局では実際にこの方式が取り入れられていたが、地上デジタル放送が開始された2007年以降は光ファイバー回線に切り替えている。
  3. ^ 送信塔見て歩き
  4. ^ この局以外に暗いと評されていたクロージング音楽としては中部日本放送今様が有名であった(中部日本放送#クロージングを参照)。
  5. ^ もともと山形テレビに朝日新聞・テレビ朝日との資本関係があった。また、前述の朝日新聞はテレビユー山形にも出資。
  6. ^ 同じ日本テレビ系列である北海道のテレビ局 札幌テレビ (STV) も同様、全日およびノンプライムにおいても1993年度から連続して首位(2冠)を達成している。

外部リンク

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