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七間町 (名古屋市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
日本 > 愛知県 > 名古屋市 > 中区 > 七間町
七間町
七間町の位置(愛知県内)
七間町
七間町
七間町の位置
七間町の位置(名古屋市内)
七間町
七間町
七間町 (名古屋市)
北緯35度10分31.2秒 東経136度54分9.7秒 / 北緯35.175333度 東経136.902694度 / 35.175333; 136.902694
日本の旗 日本
都道府県 愛知県の旗 愛知県
名古屋市
中区
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
ナンバープレート 名古屋

七間町(しちけんちょう)は、愛知県名古屋市中区にあった地名。現在の錦三丁目丸の内三丁目の一部に相当する。1丁目から5丁目が設定されていた[1]

地理

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名古屋市中区中央部に位置していた。東は呉服町1・2丁目・京町2丁目・西魚町2丁目・研屋町2丁目・桜町2丁目・宮町2丁目、西は御幸本町通1丁目・4丁目・京町1丁目・西魚町1丁目・研屋町1丁目・桜町1丁目・宮町1丁目、南は宮町1・2丁目、北は南外堀町8丁目に接していた。

歴史

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地名の由来

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在清須時代、町内に存在した7軒の家が3階建てを建てたことに由来する[2]

沿革

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  • 慶長16年 - 清洲越しにより、名古屋に七間町として成立した[3][4]
  • 慶長19年以降 - 下七間町につき、この頃に町家が形成されたという説がある[4]
  • 万治元年 - 七間町が上七間町・下七間町に分離[3]
  • 明治4年 - 上下七間町が合併し、七間町が成立[3]
  • 1878年明治11年) - 名古屋区成立に伴い、同区七間町となる[2]
  • 1889年(明治22年) - 名古屋市成立に伴い、同市七間町となる[2]
  • 1908年(明治41年)4月1日 - 東区成立に伴い、同区七間町となる[1]
  • 1927年(昭和2年)
    • 5月26日 - 一丁目において濃勢電気株式会社が資本金500万円で設立された[5]
    • 7月7日 - 長良川電化株式会社が一丁目に本店を移した[6]
  • 1944年(昭和19年)2月11日 - 栄区成立に伴い、同区七間町となる[1]
  • 1945年(昭和20年)11月3日 - 栄区廃止に伴い、中区七間町となる[1]
  • 1966年(昭和41年)3月31日 - 住居表示実施に伴い、1~4丁目が丸の内三丁目、4・5丁目が錦三丁目に編入され、消滅[1]

出身・ゆかりのある人物

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脚注

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  1. ^ a b c d e 福岡清彦 1976, p. 18.
  2. ^ a b c 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1989, p. 637.
  3. ^ a b c 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1989, p. 412.
  4. ^ a b 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1989, p. 662.
  5. ^ 名古屋市会事務局 1969, p. 98.
  6. ^ 名古屋市会事務局 1969, p. 104.
  7. ^ 『人事興信録 第9版』サ118頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年11月9日閲覧。
  8. ^ 『人事興信録 第12版 上』サ132頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年11月9日閲覧。
  9. ^ 『人事興信録 第6版』さ91頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年11月9日閲覧。
  10. ^ 『人事興信録 第5版』さ92頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年11月9日閲覧。
  11. ^ 『人事興信録 第7版』さ112頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年11月9日閲覧。

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第12版 上』人事興信所、1940年。
  • 名古屋市会事務局 編『総合名古屋市年表 昭和編 一』名古屋市会事務局、1964年11月25日。全国書誌番号:49011383 
  • 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年。ISBN 4-04-001230-5 
  • 福岡清彦『中区の町名』名古屋市中区役所、1976年。 

関連項目

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