七間町 (名古屋市)
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七間町 | |
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北緯35度10分31.2秒 東経136度54分9.7秒 / 北緯35.175333度 東経136.902694度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 愛知県 |
市 | 名古屋市 |
区 | 中区 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
ナンバープレート | 名古屋 |
七間町(しちけんちょう)は、愛知県名古屋市中区にあった地名。現在の錦三丁目・丸の内三丁目の一部に相当する。1丁目から5丁目が設定されていた[1]。
地理
[編集]名古屋市中区中央部に位置していた。東は呉服町1・2丁目・京町2丁目・西魚町2丁目・研屋町2丁目・桜町2丁目・宮町2丁目、西は御幸本町通1丁目・4丁目・京町1丁目・西魚町1丁目・研屋町1丁目・桜町1丁目・宮町1丁目、南は宮町1・2丁目、北は南外堀町8丁目に接していた。
歴史
[編集]地名の由来
[編集]在清須時代、町内に存在した7軒の家が3階建てを建てたことに由来する[2]。
沿革
[編集]- 慶長16年 - 清洲越しにより、名古屋に七間町として成立した[3][4]。
- 慶長19年以降 - 下七間町につき、この頃に町家が形成されたという説がある[4]。
- 万治元年 - 七間町が上七間町・下七間町に分離[3]。
- 明治4年 - 上下七間町が合併し、七間町が成立[3]。
- 1878年(明治11年) - 名古屋区成立に伴い、同区七間町となる[2]。
- 1889年(明治22年) - 名古屋市成立に伴い、同市七間町となる[2]。
- 1908年(明治41年)4月1日 - 東区成立に伴い、同区七間町となる[1]。
- 1927年(昭和2年)
- 1944年(昭和19年)2月11日 - 栄区成立に伴い、同区七間町となる[1]。
- 1945年(昭和20年)11月3日 - 栄区廃止に伴い、中区七間町となる[1]。
- 1966年(昭和41年)3月31日 - 住居表示実施に伴い、1~4丁目が丸の内三丁目、4・5丁目が錦三丁目に編入され、消滅[1]。
出身・ゆかりのある人物
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e 福岡清彦 1976, p. 18.
- ^ a b c 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1989, p. 637.
- ^ a b c 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1989, p. 412.
- ^ a b 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 1989, p. 662.
- ^ 名古屋市会事務局 1969, p. 98.
- ^ 名古屋市会事務局 1969, p. 104.
- ^ 『人事興信録 第9版』サ118頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年11月9日閲覧。
- ^ 『人事興信録 第12版 上』サ132頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年11月9日閲覧。
- ^ 『人事興信録 第6版』さ91頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年11月9日閲覧。
- ^ 『人事興信録 第5版』さ92頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年11月9日閲覧。
- ^ 『人事興信録 第7版』さ112頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2021年11月9日閲覧。
参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
- 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
- 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
- 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。
- 人事興信所編『人事興信録 第12版 上』人事興信所、1940年。
- 名古屋市会事務局 編『総合名古屋市年表 昭和編 一』名古屋市会事務局、1964年11月25日。全国書誌番号:49011383。
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年。ISBN 4-04-001230-5。
- 福岡清彦『中区の町名』名古屋市中区役所、1976年。
関連項目
[編集]南外堀町8丁目 | ||||
御幸本町通1丁目・4丁目・京町1丁目・西魚町1丁目・研屋町1丁目・桜町1丁目・宮町1丁目 | 呉服町1・2丁目・京町2丁目・西魚町2丁目・研屋町2丁目・桜町2丁目・宮町2丁目 | |||
七間町 | ||||
宮町1・2丁目 |