鶯谷町 (名古屋市)
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鶯谷町 | |
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北緯35度9分35.98秒 東経136度53分39.69秒 / 北緯35.1599944度 東経136.8943583度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 愛知県 |
市 | 名古屋市 |
区 | 中区 |
町名制定 | 1878年(明治11年)12月 |
町名廃止 | 1969年(昭和44年)10月21日 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
市外局番 | 052 |
ナンバープレート | 名古屋 |
鶯谷町(うぐいすだにまち[1])は、愛知県名古屋市中区の町[2]。1969年(昭和44年)以降は大須一丁目の一部にあたる[3]。
地理
[編集]1915年(大正4年)時点では、東に梅園町と上日置町、西から北に上堀川町、南に西脇町があった[4]。
1936年(昭和11年)に南で岩井通に接するようになった。
歴史
[編集]地名の由来
[編集]白山神社の南側あたりで鶯の声が聞こえていたことに由来する[2]。
町名・町界の変遷
[編集]- 明和2年(1765年) - 町屋として成立する[4][2]。住人の小川某にちなみ、小川町と呼ばれた[4][2]。
- 1878年(明治11年)12月28日 - 日置村の一部が名古屋区に編入されたことに伴い、日置村の内に存在した上日置町の一部が名古屋区鶯谷町となる[3][注 1]。
- 1889年(明治22年)10月1日 - 市制施行により名古屋市が成立し、同市鶯谷町となる[3]。
- 1908年(明治41年)4月1日 - 名古屋市が市制に基づく区を設置し、中区鶯谷町となる[3]。
- 1936年(昭和11年)1月1日 - 一部が中区岩井通の一部となる[3]。
- 1969年(昭和44年)10月21日 - 住居表示実施に伴い、中区大須一丁目の一部となる[3]。
人口
[編集]国勢調査による人口の推移
1950年(昭和25年) | 339人[6] | |
1955年(昭和30年) | 362人[6] | |
1960年(昭和35年) | 403人[7] | |
1965年(昭和40年) | 350人[8] |
学区
[編集]- 高等学校 - 尾張学区
- 中学校 - 名古屋市立前津中学校
- 小学校 - 名古屋市立大須小学校[6][7][8]
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]参考文献
[編集]- 名古屋市役所 編『名古屋市史』 地理編、名古屋市役所、1916年3月30日。NDLJP:950897。
- 愛知県教育会 編「名古屋区」『明治十五年愛知県郡町村字名調』愛知県教育会、1932年6月1日(原著1882年)、384–389頁。NDLJP:1236777/202。
- 名古屋市企画室統計課「町別世帯および人口」『名古屋市統計年鑑』 昭和31年版、名古屋市企画室統計課、1957年3月20日、72–91頁。NDLJP:9547825/56。
- 名古屋市総務局企画部統計課「町別人口および世帯数」『名古屋市統計年鑑』 昭和36年、名古屋市総務局企画部統計課、1962年3月20日、93–111頁。NDLJP:9547830/64。
- 名古屋市総務局企画部統計課「町別世帯数および人口」『名古屋市統計年鑑』 昭和41年版、名古屋市、1967年3月20日、66–85頁。NDLJP:9547835/53。
- 福岡清彦 編『中区の町名』名古屋市中区役所、1976年2月1日。
- 角川書店 編『なごやの町名』名古屋市計画局、1992年3月31日。全国書誌番号:93012879。
関連項目
[編集]上堀川町 | ||||
上堀川町 | 梅園町 | |||
鶯谷町 | ||||
岩井通 |