南久屋町
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南久屋町 | |
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北緯35度10分00.7秒 東経136度54分34.19秒 / 北緯35.166861度 東経136.9094972度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 愛知県 |
市 | 名古屋市 |
行政区 | 中区 |
町名制定 | 明治4年[1] |
町名廃止 | 1969年(昭和44年)10月21日[1] |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
市外局番 | 052[2] |
ナンバープレート | 名古屋[3] |
位置は国土地理院1万分の1『名古屋東南部』(1955年)による |
南久屋町(みなみひさやちょう)は、愛知県名古屋市中区の地名。
歴史
[編集]沿革
[編集]- 1892年(明治25年)私立名古屋幼稚園(後の名古屋市立第一幼稚園)が南久屋町に開園する[5]。
- 1900年(明治33年)3月 - 愛知県庁が武平町に移転[4]。
- 1907年(明治40年)7月15日 - 一部が新栄町に編入される[6]。
- 1908年(明治41年)4月1日 - 中区成立に伴い、同区南久屋町となる[1]。また、一部が東区に編入され、同区南久屋町となる[1]。
- 1911年(明治44年)11月1日 - 南鍛冶屋町の一部を編入する[1]。また、東区南久屋町の全域が同区久屋町に編入され消滅[7]。
- 1944年(昭和19年)2月11日 - 栄区成立に伴い、同区南久屋町となる[1]。
- 1945年(昭和20年)11月3日 - 栄区廃止に伴い、中区南久屋町となる[1]。
- 1966年(昭和41年)3月30日 - 住居表示実施に伴い、一部が栄三丁目に編入される[1]。
- 1969年(昭和44年)10月21日 - 栄三丁目および栄四丁目に編入され、消滅[1]。
人物
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k l 名古屋市計画局 1992, p. 783.
- ^ 総務省総合通信基盤局電気通信事業部電気通信技術システム課番号企画室 (2014年4月3日). “市外局番の一覧” (PDF). 総務省. p. 7. 2015年5月23日閲覧。
- ^ “管轄区域”. 愛知県自動車会議所. 2021年9月23日閲覧。
- ^ a b 名古屋市教育委員会 1991, p. 209.
- ^ 『東区史(名古屋市)』東区総合庁舎建設後援会、1973年8月20日、422頁。
- ^ 名古屋市計画局 1992, p. 784.
- ^ 名古屋市計画局 1992, p. 736.
- ^ 北見昌朗 2016, p. 254.
- ^ 木津用水土地改良区事務所 1975, pp. 503–504.
参考文献
[編集]- 木津用水土地改良区事務所『木津用水史』木津用水土地改良区事務所、1975年。
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年3月8日。ISBN 4-04-001230-5。
- 名古屋市教育委員会 編『名古屋の史跡と文化財(新訂版)』(第二版)名古屋市教育委員会、1991年10月31日。全国書誌番号:92011448。
- 名古屋市計画局『なごやの町名』名古屋市計画局、1992年3月31日。全国書誌番号:93012879。
- 北見昌朗『愛知千年企業 大正時代編 「大恐慌の次は震災」の時代を生き抜いた名古屋商人群像』北見昌朗、2016年2月12日。ISBN 978-4-8062-0701-6。