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{{other people|プロゴルファー|厚生労働官僚|青木功 (厚生労働官僚)}}
{{ゴルファー
{{ゴルファー
|名前=青木 功
| 名前 = 青木 功
|ラテン文字=Isao Aoki
| ラテン文字 = Isao AOKI
| 画像 = [[ファイル:Isao Aoki 20190525.jpg]]
|画像=
| caption = 2019年5月25日撮影
|国籍={{JPN}}
|生年月日={{生年月日と年齢|1942|8|31}}
| 国籍 = {{JPN}}
| 生年月日 = {{生年月日と年齢|1942|8|31}}
|出身地=[[千葉県]][[我孫子市]]
| 出身地 = [[千葉県]][[我孫子市]]
|身長=180cm
| 身長 = 180cm
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| 体重 = 80kg
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| prowins = 78
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| prowins = 78
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| 日本ツアー = 51 (歴代2位)<ref name="ツアー勝利数ランキング">{{Cite web|和書|title=ツアー勝利数ランキング |url=https://www.jgto.org/pc/TourChampionsRanking.do?year=2019&tournaKbnCd=0 |publisher=[[日本ゴルフツアー機構]] |accessdate=2019-05-26}}</ref>
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| masters = 16位: 1985
| masters = 16位: 1985
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| open = 7位タイ: 1978, 1979, 1988
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| award1 = 日本ツアー賞金王
| pga = 4位タイ: 1981
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| award1 = 日本ツアー賞金王
| 優勝歴 = 通算85勝 <国内シニア9勝・海外シニア9勝・海外グランドシニア3勝>
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| 初優勝 = 日本男子: 関東プロ ([[1971年]])<br />米国男子: [[ソニーオープン・イン・ハワイ|ハワイアン・オープン]] ([[1983年]])

| ベストスコア =

| 世界ランキング最高位 =
|優勝歴=通算85勝 <国内シニア9勝・海外シニア9勝・海外グランドシニア3勝>
|初優勝=日本男子: 関東プロ ([[1971年]])<br />米国男子: [[ソニーオープン・イン・ハワイ|ハワイアン・オープン]] ([[1983年]])
| 賞金ランキング最高位 = 日本男子: 1位 (5度) <br />米国男子: 34位 (1983)
| 世界選出年 = 2004年
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| 世界選出部門 = 国際投票
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| 日本選出年 = 2013年
|賞金ランキング最高位=日本男子: 1位 (5度) <br />米国男子: 34位 (1983)
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| 作成日時 = 2012年9月23日
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}}
'''青木 功'''(あおき いさお、[[1942年]][[8月31日]] - )は、[[千葉県]][[我孫子市]]出身の[[ゴルフ|プロゴルファー]]である。[[日本]]プロゴルフツアー[[永久シード (プロゴルフ)|永久シード]]保持者。2016年から[[日本ゴルフツアー機構]](JGTO)会長。1980年に[[全米オープン (ゴルフ)|全米オープン]]で準優勝、1983年には日本人で初めて[[PGAツアー]]で優勝を果たすなど、[[尾崎将司]]、[[中嶋常幸]]と共に「AON (エーオーエヌ)」と呼ばれる日本を代表する名ゴルファーの一人である。[[日本ゴルフツアー]]通算51勝は歴代2位。
'''青木 功'''(あおき いさお、[[1942年]][[8月31日]]<ref name=":0">{{Cite web|和書|title=市制施行50周年記念 青木功さん、上橋菜穂子さんを名誉市民に決定 |url=https://www.city.abiko.chiba.jp/shisei/gaiyou/anniversary/50th/50th_meiyoshimin.html |website=www.city.abiko.chiba.jp |access-date=2023-01-19 |language=ja |publisher=[[我孫子市]]}}</ref> - )は、[[千葉県]][[我孫子市]]<ref name=":0" /> 出身の[[ゴルフ|プロゴルファー]]。[[日本]]プロゴルフツアー[[永久シード (プロゴルフ)|永久シード]]保持者。2016年から[[日本ゴルフツアー機構]](JGTO)会長。1980年に[[全米オープン (ゴルフ)|全米オープン]]で準優勝、1983年には日本人で初めて[[PGAツアー]]で優勝を果たすなど、[[尾崎将司]](ジャンボ)、[[中嶋常幸]]と共に「AON (エーオーエヌ)」と呼ばれる日本を代表する名ゴルファーの一人である。[[日本ゴルフツアー]]通算51勝は歴代2位<ref name="ツアー勝利数ランキング" />


== 略歴 ==
== 略歴 ==
{{年譜のみの経歴|date=2023-01}}
* [[1956年]] 14歳の頃、我孫子ゴルフ倶楽部にて[[我孫子市立我孫子中学校|我孫子中学校]]の同級生で盟友となる[[鷹巣南雄]]と共に[[キャディ]]の[[アルバイト]]を介しゴルフと出会う。
* [[1957年]] 我孫子中学校卒業と時に東京都民ゴルフ場にキャディて就職
* [[1956年]] 14歳の頃、[[我孫子ゴルフ倶楽部]]にて[[我孫子市立我孫子中学校|我孫子中学校]]の級生で盟友となる[[鷹巣南雄]]と共[[キャディ]]の[[アルバイト]]を介ゴルフと出会う
* [[1957年]] 我孫子中学校卒業と同時に新東京都民ゴルフ場(東京都足立区)にキャディとして就職。
* [[1958年]]、師匠である[[林由郎]]プロに引き抜かれ、我孫子ゴルフ倶楽部へ移籍。
* [[1958年]]、師匠である[[林由郎]]プロに引き抜かれ、我孫子ゴルフ倶楽部へ移籍。
* [[1961年]]、飯能ゴルフ倶楽部へ移籍。
* [[1961年]]、飯能ゴルフ倶楽部へ移籍。
* [[1964年]] 6月1日、二回目の受験でプロテストに合格。4月20日鎌ケ谷カントリークラブで36ホール147、6月1日大宮ゴルフコースで36ホール155(38-42-36-39)で、合格ラインに2打差で合格。
* [[1964年]] 6月1日、二回目の受験でプロテストに合格<ref name=":0" />。4月20日鎌ケ谷カントリークラブで36ホール147、6月1日大宮ゴルフコースで36ホール155(38-42-36-39)で、合格ラインに2打差で合格。
* [[1965年]]、関東プロゴルフ選手権で日本ツアー・デビュー。
* [[1965年]]、関東プロゴルフ選手権で日本ツアー・デビュー。
* [[1971年]]、関東プロゴルフ選手権で日本ツアー初優勝。
* [[1971年]]、関東プロゴルフ選手権で日本ツアー初優勝。
* [[1973年]]、[[国際興業]]下の[[日本電建]]と所属契約締結。
* [[1973年]]、[[国際興業]]下の[[日本電建]]と所属契約締結。
* [[1975年]]、マスターズの前座試合「パー3コンテスト」で、米国籍外選手として初の優勝。
* [[1975年]]、マスターズの前座試合「パー3コンテスト」で、米国籍外選手として初の優勝。
* [[1976年]]、初の日本ツアー賞金王。
* [[1976年]]、初の日本ツアー賞金王。
* [[1978年]]から[[1981年]]にかけて、4年連続で日本ツアー賞金王。
* [[1978年]]から[[1981年]]にかけて、4年連続で日本ツアー賞金王。
* [[1978年]]、「[[世界マッチプレー選手権]]」で海外ツアー初優勝。同年、宏子夫人 (チエ夫人) と再婚を発表
* [[1978年]]、「[[世界マッチプレー選手権]]」で海外ツアー初優勝。同年、宏子夫人 (チエ夫人) と再婚。
* [[1980年]]、[[全米オープン (ゴルフ)|全米オープン]]2位。4日間「帝王」[[ジャック・ニクラス]]とラウンドし、死闘を繰り広げた。
* [[1980年]]、[[全米オープン (ゴルフ)|全米オープン]]2位。4日間「帝王」[[ジャック・ニクラス]]とラウンドし、死闘を繰り広げた。
* 1981年、正式な米国レギュラーツアーのライセンスを取得。マスターズ「パー3コンテスト」で二度目の優勝。
* 1981年、正式な米国レギュラーツアーのライセンスを取得。マスターズ「パー3コンテスト」で二度目の優勝。
60行目: 60行目:
* [[1997年]]、青木功ジュニアクラブ発足。以後、ジュニアの育成にも力を注いでいる。
* [[1997年]]、青木功ジュニアクラブ発足。以後、ジュニアの育成にも力を注いでいる。
* [[2001年]]、米シニアツアー「[[シニア・プレーヤーズ選手権|フォードプレーヤーズ選手権]]」にて、通算1,000試合出場を達成。
* [[2001年]]、米シニアツアー「[[シニア・プレーヤーズ選手権|フォードプレーヤーズ選手権]]」にて、通算1,000試合出場を達成。
* [[2004年]]、日本人男性として初の[[世界ゴルフ殿堂]]入り。
* [[2004年]]、日本人男性として初の[[世界ゴルフ殿堂]]入り<ref name=":0" />
* [[2007年]]、最終日に65をマーク、[[エージシュート]]を達成し逆転で日本シニアオープンゴルフ競技を10年ぶりに優勝。2002年の[[キャッスルヒルオープン]]で[[鷹巣南雄]]が樹立した「59歳4カ月」を6歳近くも塗り替え、「65歳2カ月」で大会を制した。
* [[2007年]]、最終日に65をマーク、[[エージシュート]]を達成し逆転で日本シニアオープンゴルフ競技を10年ぶりに優勝。2002年の[[キャッスルヒルオープン]]で[[鷹巣南雄]]が樹立した「59歳4カ月」を6歳近くも塗り替え、「65歳2カ月」で大会を制した。
* [[2008年]]、秋 [[紫綬褒章]]受章。11月9日の鬼ノ城シニアオープン最終日、最終ラウンドを66で周り、2度目のエージシュートを達成した上、優勝を果たした (プレーオフ、4ホール目にて) 。
* [[2008年]]、秋[[紫綬褒章]]受章<ref name=":0" />。11月9日の鬼ノ城シニアオープン最終日、最終ラウンドを66で周り、2度目のエージシュートを達成した上、優勝を果たした (プレーオフ、4ホール目にて) 。
* [[2010年]]、同年2月より1ヵ月間、[[日本経済新聞社]]朝刊にて「[[私の履歴書]]」を連載。
* [[2010年]]、同年2月より1ヵ月間、[[日本経済新聞社]]朝刊にて「[[私の履歴書]]」を連載。
* 2010年、5月9日、慈善ゴルフ、ザ・レジェンド・チャリティーで66を記録し、3度目のエージシュートを達成した。
* 2010年、5月9日、[[ザ・レジェンド・チャリティプロアマトナメント]]で66を記録し、3度目のエージシュートを達成した。
* 2013年、日本プロゴルフ殿堂入り<ref name=":0" />。
* [[2015年]]、秋の叙勲で[[旭日小綬章]]を受章。
* [[2015年]]、秋の叙勲で[[旭日小綬章]]を受章<ref name=":0" />。
* [[2016年]]3月4日、日本ゴルフツアー機構の第4代会長に就任<ref>[https://news.golfdigest.co.jp/news/jgto/article/62055/1/ 青木功がJGTO新会長に就任 ジャンボ&丸山もサポート] 株式会社ゴルフダイジェスト・オンライ 2016/03/04</ref>。
* [[2019年]]、[[内閣総理大臣]]の[[安倍晋三]]と[[アメリカ合衆国大統領]]の[[ドナルド・トランプ]]のラウンドに同行<ref>{{Cite news |url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO45289120W9A520C1000000/|title=首相、トランプ氏と5回目ゴルフ 青木功プロも同伴|newspaper=[[日本経済新聞]]|date=2019-05-26|accessdate=2020-10-16}}</ref>。
* [[2020年]]3月25日、日本ゴルフツアー機構は青木功の会長の3選を決めた<ref>{{Cite news |url=https://www.asahi.com/articles/DA3S14416966.html|title=男子ゴルフの青木会長が3選:朝日新聞デジタル|newspaper=|date=2020-03-26}}</ref>。
* [[2020年]]4月3日、[[我孫子市]][[名誉市民]]に決定<ref><!-- [http://www.city.abiko.chiba.jp/shisei/50th/50th_meiyoshimin.html 市制施行50周年記念 青木功さん、上橋菜穂子さんを名誉市民に決定]我孫子市役所 -->{{Cite web|和書|url=http://www.city.abiko.chiba.jp/shisei/50th/50th_meiyoshimin.html|title=市制施行50周年記念 青木功さん、上橋菜穂子さんを名誉市民に決定|accessdate=2022-08-26|publisher=我孫子市役所|date =2020-04-03 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20210731213620/https://www.city.abiko.chiba.jp/shisei/50th/50th_meiyoshimin.html|archivedate=2021-07-31|ref=|url-status=dead|url-status-date=2022-08}}</ref>
* [[2024年]]3月、日本ゴルフツアー機構会長の退任を表明<ref>[https://www.nikkei.com/article/DGXZQODH01CBH0R00C24A3000000/ 青木功氏、JGTO会長退任を表明 男子ゴルフ] 日経電子版 2024年3月4日</ref>。
* 2024年10月28日、[[ダンロップフェニックストーナメント|インターナショナルツアー・ダンロップフェニックストーナメント]]の名誉トーナメントアドバイザーに就任<ref>{{Cite web |title=青木功氏 男子ダンロップフェニックス名誉アドバイザー就任「いろいろとお手伝いできたら」 - スポニチ Sponichi Annex スポーツ |url=https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2024/10/29/kiji/20241028s00043000376000c.html |website=スポニチ Sponichi Annex |access-date=2024-10-29 |language=ja}}</ref>。
* 2024年11月、[[文化功労者]]<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.asahi.com/articles/ASSBS3S5WSBSUCVL00DM.html?iref=comtop_7_06|title=ちばてつやさん、漫画家初の文化勲章 文化功労者に青木功さんら|date=2024-10-25|publisher=[[朝日新聞デジタル]]|accessdate=2024-10-25}}</ref>。


== 主な記録 ==
== 主な記録 ==
* [[1980年]]の[[全米オープン (ゴルフ)|全米オープン]]では、準優勝。 (優勝はニクラスで、青木は2位。共に当時の優勝レコードを塗り替えての1、2フィニッシュ。これは現在に至るまで、日本人男子選手の[[グランドスラム (ゴルフ)|メジャー大会]]最高成績であ)
* [[1980年]]の[[全米オープン (ゴルフ)|全米オープン]]では、準優勝。 (優勝はニクラスで、青木は2位。共に当時の優勝レコードを塗り替えての1、2フィニッシュ。これは2021年松山英樹のマスターズ優勝までの41年間、日本人男子選手の[[グランドスラム (ゴルフ)|メジャー大会]]最高成績であった)
* 同年の[[全英オープン (ゴルフ)|全英オープン]]では、3日目に最小スコアレコード「63」を叩き出している。 (2010年現在も、タイ記録)
* 同年の[[全英オープン (ゴルフ)|全英オープン]]では、3日目に最小スコアレコード「63」を叩き出している。 (2010年現在も、タイ記録)
* ハワイアン・オープン優勝は、最終日・最終ホールでピンまでの距離128ヤードのショットでチップイン[[イーグル]]を決めて、2位に1打差の勝利であった。1打差でリードしたままホールアウトした[[ジャック・レナー]]がスコアカードを提出しているさなかの奇跡の逆転であった。同ショットは米国にて、80年代を代表する印象に残るショットの一つに選定されており、このショットで使用した[[パワービルト]]社製のPW[[ピッチング・ウェッジ]]は、[[世界ゴルフ殿堂]]の施設内に展示されている。なお、128ヤードは勝利の翌日青木が歩測して確認した数字であり、翌日同じ場所から同じクラブで何度打ってもバンカーにつかまり、グリーンに届かなかったという。
* 日本人初の米国[[PGAツアー]](ハワイアン・オープン優勝最終日・最終ホールでピンまでの距離128ヤードのショットでチップイン[[パー (ゴルフ)#イーグル|イーグル]]を決めて、2位に1打差の勝利であった。1打差でリードしたままホールアウトした[[ジャック・レナー]]がスコアカードを提出しているさなかの奇跡の逆転であった。同ショットは米国にて、80年代を代表する印象に残るショットの一つに選定されており、このショットで使用した[[パワービルト]]社製のPW ([[ピッチング・ウェッジ]]) は、[[世界ゴルフ殿堂]]の施設内に展示されている。なお、128ヤードは勝利の翌日青木が歩測して確認した数字であり、翌日同じ場所から同じクラブで何度打ってもバンカーにつかまり、グリーンに届かなかったという。


==プロ優勝 (78)==
==プロ優勝 (78)==
===日本ツアー (51)===
===日本ツアー (51)===
*1973 (5) [[中日クラウンズ]], [[宇部興産オープンゴルフトーナメント|ペプシウィルソントーナメント]], {{仮リンク|札幌とうきゅうオープンゴルフトーナメント|en|Sapporo Tokyu Open|label=とうきゅうオープン}}, [[KBCオーガスタゴルフトーナメント|KBCオーガスタ]], [[日本プロゴルフ選手権大会]]
* 1973 (5) [[中日クラウンズ]], [[宇部興産オープンゴルフトーナメント|ペプシウィルソントーナメント]], [[札幌とうきゅうオープンゴルフトーナメント|札幌とうきゅうオープン]], [[KBCオーガスタゴルフトーナメント|KBCオーガスタ]], [[日本プロゴルフ選手権大会|日本プロ選手権]]
*1974 (4) 東西対抗, [[関東オープンゴルフ選手権競技|関東オープン]], [[関東プロゴルフ選手権大会|関東プロ]], 産報クラシック
* 1974 (4) 東西対抗, [[関東オープンゴルフ選手権競技|関東オープン選手権]], [[関東プロゴルフ選手権大会|関東プロ選手権]], [[産報クラシックゴルフトーナメント|産報クラシック]]
*1975 (2) 中日クラウンズ, 関東オープン
* 1975 (2) 中日クラウンズ, 関東オープン選手権
*1976 (1) [[東海クラシック]]
* 1976 (1) [[東海クラシック]]
*1977 (3) [[JCBクラシック|東北クラシック]], {{仮リク|ジュンクラシック|en|Jun Classic}}, [[ABCチャンピオンシップゴルフトーナメント|ABC日米対抗]]
* 1977 (3) [[JCBクラシック|東北クラシック]], [[ジー・サラゼン ジュンクラシック]], [[ABCチャンピオンシップゴルフトーナメント|ABC日米対抗]]
*1978 (6) 中日クラウンズ, [[日本プロゴルフマッチプレー選手権]], 札幌とうきゅうオープン, 関東プロ, [[ゴルフ日本シリーズ]], ABC日米対抗
* 1978 (6) 中日クラウンズ, [[日本プロゴルフマッチプレー選手権|日本プロマッチプレー選手権]], 札幌とうきゅうオープン, 関東プロ選手権, [[ゴルフ日本シリーズ]], ABC日米対抗
*1979 (4) 中日クラウンズ, 日本プロマッチプレー, 関東プロ, 日本シリーズ
* 1979 (4) 中日クラウンズ, 日本プロマッチプレー選手権, 関東プロ選手権, 日本シリーズ
*1980 (5) 中日クラウンズ, [[よみうりオープンゴルフトーナメント|よみうりオープン]], KBCオーガスタ, 関東オープン, ジュンクラシック
* 1980 (5) 中日クラウンズ, [[よみうりオープンゴルフトーナメント|よみうりオープン]], KBCオーガスタ, 関東オープン選手権, ジュンクラシック
*1981 (3) [[静岡オープンゴルフトーナメント|静岡オープン]], 日本プロマッチプレー, [[日本プロゴルフ選手権大会|日本プロ]]
* 1981 (3) [[静岡オープンゴルフトーナメント|静岡オープン]], 日本プロマッチプレー選手権, [[日本プロゴルフ選手権大会|日本プロ選手権]]
*1982 (2) 日本プロマッチプレー, [[アジア・ジャパン沖縄オープンゴルフトーナメント|大京オープン]]
* 1982 (2) 日本プロマッチプレー選手権, [[アジア・ジャパン沖縄オープンゴルフトーナメント|大京オープン]]
*1983 (4) 札幌とうきゅうオープン, 関東プロ, [[日本オープンゴルフ選手権競技|日本オープン]], 日本シリーズ
* 1983 (4) 札幌とうきゅうオープン, 関東プロ選手権, [[日本オープンゴルフ選手権競技|日本オープン選手権]], 日本シリーズ
*1986 (4) 札幌とうきゅうオープン, 日本プロ, KBCオーガスタ, 関東オープン
* 1986 (4) 札幌とうきゅうオープン, 日本プロ選手権, KBCオーガスタ, 関東オープン
*1987 (4) [[キリンオープンゴルフ|ダンロップインターナショナルオープン]], [[ANAオープンゴルフトーナメント|全日空オープン]], 日本オープン, 日本シリーズ (tie with [[デビッド・イシイ]])
* 1987 (4) [[キリンオープンゴルフ|ダンロップインターナショナルオープン]], [[ANAオープンゴルフトーナメント|全日空オープン]], 日本オープン選手権, 日本シリーズ (雪の影響で2日間36ホールに短縮、 [[デビッド・イシイ]]と優勝を分け合う)
*1989 (2) 東海クラシック, [[カシオワールドオープンゴルフトーナメント|カシオワールドオープン]]
* 1989 (2) 東海クラシック, [[カシオワールドオープンゴルフトーナメント|カシオワールドオープン]]
*1990 (1) [[ダイヤモンドカップゴルフ|三菱ギャラン]]
* 1990 (1) [[ダイヤモンドカップゴルフ|三菱ギャラントーナメント]]
*1991 (1) [[ブリヂストンオープンゴルフトーナメント|ブリヂストンオープン]]
* 1991 (1) [[ブリヂストンオープンゴルフトーナメント|ブリヂストンオープン]]
*1992 (2) 三菱ギャラン, カシオワールドオープン
* 1992 (2) 三菱ギャラントーナメント, カシオワールドオープン


===PGAツアー優勝 (1)===
===PGAツアー優勝 (1)===
98行目: 106行目:
|1
|1
|1983年2月13日
|1983年2月13日
|[[ソニーオープン・イン・ハワイ|Hawaiian Open]]
|[[ソニーオープン・イン・ハワイ|ハワイアンオープン]]
|−20 (66-70-65-67=268)
|−20 (66-70-65-67=268)
|1打差
|1打差
105行目: 113行目:


===ヨーロピアンツアー (1)===
===ヨーロピアンツアー (1)===
*1983 [[ヨーロピアン・オープン|パナソニック・ヨーロピアン・オープン]]
* 1983 [[ヨーロピアン・オープン|パナソニック・ヨーロピアン・オープン]]


===その他優勝 (7)===
===その他優勝 (7)===
*1971 関東プロ
* 1971 [[関東プロゴルフ選手権大会|関東プロ選手権]]
*1972 関東プロ
* 1972 関東プロ選手権
*1973 Gold Beck
* 1973 Gold Beck
*1978 [[世界マッチプレー選手権|Colgate World Match Play Championship]] (英)
* 1978 [[世界マッチプレー選手権|コルゲート世界マッチプレー選手権]]
*1982 Old Sones Invitational
* 1982 Old Sones Invitational
*1987 Fred Meyer Challenge (with [[ペイン・スチュワート]])
* 1987 [[:en:Fred Meyer Challenge|フレッド・マイヤーチャレンジ]] (with [[ペイン・スチュワート]])
*1989 Coca Cola Golf Classic (豪)
* 1989 [[:en:Coca-Cola Classic (golf)|コカ・コーラクラシック]] (豪)


===チャンピオンズツアー優勝 (9)===
===チャンピオンズツアー優勝 (9)===
127行目: 135行目:
|1
|1
|27 Sep 1992
|27 Sep 1992
|ネイションワイド選手権
|[[:en:Naitionwide championship|ネイションワイド選手権]]
|−8 (70-66=136)
|−8 (70-66=136)
|1打差
|1打差
|{{Flagicon|USA}} {{仮リンク|レイモンド・フロイド|en|Raymond Floyd}}
|{{Flagicon|USA}} [[:en:Raymond Floyd|レイモンド・フロイド]]
|-
|-
|2
|2
|18 Sep 1994
|18 Sep 1994
|バンクワンシニアクラシック
|[[:en:Bank One Senior classic|バンクワンシニアクラシック]]
|−14 (69-64-69=202)
|−14 (69-64-69=202)
|3打差
|3打差
|{{Flagicon|USA}} {{仮リンク|チチ・ロドリゲス|en|Chi-Chi Rodríguez}}
|{{Flagicon|USA}} [[:en::Chi-Chi Rodríguez|チチ・ロドリゲス]]
|-
|-
|3
|3
|25 Sep 1994
|25 Sep 1994
|Brickyard Crossing Championship
|[[:en:Brickyard Crossing Championship|ブリックヤードクロッシング選手権]]
|−11 (66-67=133)
|−11 (66-67=133)
|1打差
|1打差
|{{Flagicon|USA}} ジミー・パウエル, {{Flagicon|USA}} {{仮リンク|トム・ワーゴ|en|Tom Wargo}}
|{{Flagicon|USA}} [[:en:Jimmy Powell (golfer)|ジミー・パウエル]], {{Flagicon|USA}} [[:en:Tom Wargo|トム・ワーゴ]]
|-
|-
|4
|4
|27 Aug 1995
|27 Aug 1995
|Bank of Boston Senior Classic
|[[:en:Bank of Boston Senior Classic|バンク・オブ・ボストンシニアクラシック]]
|−12 (69-66-69=204)
|−12 (69-66-69=204)
|1打差
|1打差
|{{Flagicon|NZL}} ボブ・チャールズ, {{Flagicon|USA}} [[ヘール・アーウィン]]
|{{Flagicon|NZL}} [[ボブ・チャールズ]], {{Flagicon|USA}} [[ヘール・アーウィン]]
|-
|-
|5
|5
|26 May 1996
|26 May 1996
|BellSouth Senior Classic at Opryland
|[[:en:BellSouth Senior Classic at Opryland|ベルサウスシニアクラシック]]
|−14 (64-68-70=202)
|−14 (64-68-70=202)
|1打差
|1打差
|{{Flagicon|AUS}} {{仮リンク|グラハム・マーシュ|en|Graham Marsh}}, {{Flagicon|USA}} {{仮リンク|ジェイ・シーゲル|en|Jay Sigel}}
|{{Flagicon|AUS}} [[:en:Graham Marsh|グラハム・マーシュ]], {{Flagicon|USA}} [[ジェイ・シーゲル:en:Jay Sigel|ジェイ・シーゲル]]
|-
|-
|6
|6
|30 Jun 1996
|30 Jun 1996
|Kroger Senior Classic
|[[:en:Kroger Senior Classic|クローガーシニアクラシック]]
|−15 (63-69-66=198)
|−15 (63-69-66=198)
|1打差
|1打差
|{{Flagicon|USA}} {{仮リンク|マイク・ヒル (ゴルファー)|en|Mike Hill (golfer)|label=マイク・ヒル}}, {{Flagicon|USA}} {{仮リンク|ロッキー・トンプソン|en|Rocky Thompson (golfer)}}
|{{Flagicon|USA}} [[:en:Mike Hill (golfer)|マイク・ヒル]], {{Flagicon|USA}} [[:en:Rocky Thompson (golfer)|ロッキー・トンプソン]]
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|28 Sep 1997
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|Emerald Coast Classic
|[[:en:Emerald Coast Classic|エメラルドコーストクラシック]]
|−14 (71-60-65=196)
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|Playoff
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|8
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|14 Jun 1998
|14 Jun 1998
|ベルサウスシニアクラシック
|ベルサウスシニアクラシック
|−18 (62-66-70=198)
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|2打差
|2打差
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|9
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|19 May 2002
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|インスティネットクラシック
|[[:en:The Instinet Classic|インスティネットクラシック]]
|−15 (69-67-65=201)
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|4打差
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|{{Flagicon|USA}} ジョン・ヤコブス
|{{Flagicon|USA}} [[:en:John Jacobs (American golfer)|ジョン・ヤコブス]]
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===日本シニアツアー優勝 (9)===
===日本シニアツアー優勝 (9)===
*1994 [[日本シニアオープンゴルフ選手権競技|日本シニアオープン]]
* 1994 [[日本シニアオープンゴルフ選手権競技|日本シニアオープン]]
*1995 アメリカン・エキスプレスグランドスラム, 日本シニアオープン
* 1995 アメリカン・エキスプレスグランドスラム, 日本シニアオープン
*1996 日本シニアオープン
* 1996 日本シニアオープン
*1997 日本シニアオープン
* 1997 日本シニアオープン
*2000 N.カップシニアオープン
* 2000 N.カップシニアオープン
*2002 N.カップシニアオープン
* 2002 N.カップシニアオープン
*2007 日本シニアオープン
* 2007 日本シニアオープン
*2008 鬼ノ城シニアオープン
* 2008 鬼ノ城シニアオープン


==成績==
==成績==
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|align="center"|T18
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{|cellpadding="3" cellspacing="0" border="1" style="font-size: 95%; border: #aaa solid 1px; border-collapse:collapse"
{|cellpadding="3" cellspacing="0" border="1" style="font-size: 95%; border: #aaa solid 1px; border-collapse:collapse"
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== プレースタイル ==
== プレースタイル ==
* 元々はドローヒッターで飛ばし屋というスタイルであったが、安定させるため持ち球をフェードに変えてから成功している<ref>[https://www.golfdigest-minna.jp/_ct/16989548 「スクェアグリップは、人それぞれ違う」青木功が取り組んだ世紀のグリップ改造 - みんなのゴルフダイジェスト 2016年8月29日]</ref>。
* [[パッティング]]・スタイルは、前傾を深くしてハンドダウンに構え、[[パター]]のトゥを立てた姿勢から、リストでテークバックしダウンブローに打ち込むという、[[タップ]]式あるいは[[リストパッティング]]などと呼ばれるスタイルだった。現在ではショルダーストロークと呼ばれる手首をほとんど動かさない打ち方が主流で、この打法は過去のものとされ、実践する選手は少ない<ref>『チョイス』ゴルフダイジェスト社 2002年5月号219頁</ref>。[[ボブ・トスキ]]はリストパッティングを採りいれていた選手のうち、ゴルフ史上に残る名手として青木、[[ビリー・キャスパー]]、[[ボビー・ロック]]のいずれも1940年代以前に生まれた3名を挙げている<ref name="chs">『チョイス』ゴルフダイジェスト社 2010年2月号</ref>。
* [[パッティング]]・スタイルは、前傾を深くしてハンドダウンに構え、[[パター]]のトゥを立てた姿勢から、リストでテークバックしダウンブローに打ち込むという、[[タップ]]式あるいは[[リストパッティング]]などと呼ばれるスタイルだった。現在ではショルダーストロークと呼ばれる手首をほとんど動かさない打ち方が主流で、この打法は過去のものとされ、実践する選手は少ない<ref>『チョイス』ゴルフダイジェスト社 2002年5月号219頁</ref>。[[ボブ・トスキ]]はリストパッティングを採りいれていた選手のうち、ゴルフ史上に残る名手として青木、[[ビリー・キャスパー]]、[[ボビー・ロック]]のいずれも1940年代以前に生まれた3名を挙げている<ref name="chs">『チョイス』ゴルフダイジェスト社 2010年2月号</ref>。
* すでに旧式の打法になっていたにも拘わらず、青木はそのスタイルを頑に守り、勝負所のロングパットや難しいラインのパットを次々と放り込み続けた。特に帝王[[ジャック・ニクラス]]をして、「パッティングの[[教科書]]を書き替えないといけない」と言わしめた。
* すでに旧式の打法になっていたにも拘わらず、青木はそのスタイルを頑に守り、勝負所のロングパットや難しいラインのパットを次々と放り込み続けた。特に帝王[[ジャック・ニクラス]]をして、「パッティングの[[教科書]]を書き替えないといけない」と言わしめた。ゴルフ好きで知られ、青木からパターを贈られたこともある第45代[[アメリカ合衆国大統領]]の[[ドナルド・トランプ]]は「青木のパッティングは芸術だ。でもあの打ち方は彼にしかできない。決して真似しない方がいい」と発言している<ref>{{cite news|title=トランプ氏とゴルフで青木功がパターをプレゼント|url=https://www.nikkansports.com/general/nikkan/news/201905260001067.html|date=2019-05-27||accessdate=2020-10-16|work=[[日刊スポーツ]]}}</ref><ref>{{cite news|title=トランプ氏「青木氏パッティングは芸術」|url=https://mainichi.jp/articles/20171107/k00/00m/010/094000c|date=2017-11-06||accessdate=2020-10-16|work=[[毎日新聞]]}}</ref>
* 非常に自己流に徹しているゴルファーとも呼ばれ、パッティングスタイルと共に、通常のショットにおいても個性的である。外見的な特徴としては、深い前傾姿勢とベタ足の二点が挙げられる。実際に打球する際には腕に意識を多く置くリストターン打法であり、本人は「ボールを直接打つのはクラブで、それを握るのは手なんだよ。多くのプロは体を回す事に重きを置いているが、俺のやり方は違う。」と述べている<ref>『バッフィー』CBS・ソニー出版 1991年1月号35~37頁</ref>。[[金属|メタル]][[クラブ (ゴルフ用具)|ドライバー]]は自身の打法に合わなかったため、ほとんど使用しなかったが、[[チタン]]ドライバーが世に出ると、打法を変えることなく使えたため、すぐに実戦で使用するようになった<ref>『チョイス』ゴルフダイジェスト社 2006年7月号114~115頁</ref>。 (ただし[[パーシモン]]ドライバー時代に比べると、フェースローテーションを抑えているとされる。)
* 非常に自己流に徹しているゴルファーとも呼ばれ、パッティングスタイルと共に、通常のショットにおいても個性的である。外見的な特徴としては、深い前傾姿勢とベタ足の二点が挙げられる。実際に打球する際には腕に意識を多く置くリストターン打法であり、本人は「ボールを直接打つのはクラブで、それを握るのは手なんだよ。多くのプロは体を回す事に重きを置いているが、俺のやり方は違う。」と述べている<ref>『バッフィー』CBS・ソニー出版 1991年1月号35~37頁</ref>。[[金属|メタル]][[クラブ (ゴルフ用具)|ドライバー]]は自身の打法に合わなかったため、ほとんど使用しなかったが、[[チタン]]ドライバーが世に出ると、打法を変えることなく使えたため、すぐに実戦で使用するようになった<ref>『チョイス』ゴルフダイジェスト社 2006年7月号114~115頁</ref>。 (ただし[[カキノキ#木材|パーシモン]]ドライバー時代に比べると、フェースローテーションを抑えているとされる。)
* 全英オープン初挑戦は[[1977年]][[ターンベリー]]開催の第106回大会であり、54ホール終了時点で76-72-74のスコアで予選落ちした青木は、英国のリンクスコースを攻略するため、翌年の開催地[[セント・アンドルーズ]]のオールドコースを視察、帰国して錦ヶ原ゴルフ場の河川敷コースで練習を重ね、1978年の全英オープンに臨んだ。初日68で首位、2日目71で首位キープ、本選は73-73で、優勝したジャック・ニクラスに4打差の7位タイ。
* 全英オープン初挑戦は[[1977年]][[ターンベリー]]開催の第106回大会であり、54ホール終了時点で76-72-74のスコアで予選落ちした青木は、英国のリンクスコースを攻略するため、翌年の開催地[[セント・アンドルーズ]]のオールドコースを視察、帰国して錦ヶ原ゴルフ場の河川敷コースで練習を重ね、1978年の全英オープンに臨んだ。初日68で首位、2日目71で首位キープ、本選は73-73で、優勝したジャック・ニクラスに4打差の7位タイ。
* [[1980年]][[全米オープン (ゴルフ)|全米オープン]]で「バルタスロールの死闘」を演じた[[ジャック・ニクラス]]が、優勝[[インタビュー]]の中で「アオキの (ホールカップから) 100Y以内は世界一だ」と語ったため、この距離内で少ない打数で[[ホールアウト]]する事を競えば、青木の右に出るものはいないと言われた。これを裏付けるように USPGAのバンカーショット部門 (サンドセーブ率: [[バンカー (ゴルフ)|バンカー]]内から2打以内でホールアウトした率) では、'80年、'81年と二年連続No,1の座に就いている。'80年代10年間の通算成績でも首位タイに輝いている。
* [[1980年]][[全米オープン (ゴルフ)|全米オープン]]で「バルタスロールの死闘」を演じた[[ジャック・ニクラス]]が、優勝[[インタビュー]]の中で「アオキの (ホールカップから) 100Y以内は世界一だ」と語ったため、この距離内で少ない打数で[[ホールアウト]]する事を競えば、青木の右に出るものはいないと言われた。これを裏付けるように USPGAのバンカーショット部門 (サンドセーブ率: [[バンカー (ゴルフ)|バンカー]]内から2打以内でホールアウトした率) では、'80年、'81年と二年連続No,1の座に就いている。'80年代10年間の通算成績でも首位タイに輝いている。
*青木の長打力に関しては、当時としては距離の長いコースセッティングだったバルタスロールでの全米オープンでの最終日に、日に日に飛距離を伸ばす青木に対して飛ばし屋のニクラスは「You are so long」とその打力を評する言葉を掛けている。<ref>『チョイス』ゴルフダイジェスト社 2005年9月号83頁</ref>
*青木の長打力に関しては、当時としては距離の長いコースセッティングだった[[バルタスロールゴルフクラブ|バルタスロール]]での全米オープンでの最終日に、日に日に飛距離を伸ばす青木に対して飛ばし屋のニクラスは「You are so long」とその打力を評する言葉を掛けている。<ref>『チョイス』ゴルフダイジェスト社 2005年9月号83頁</ref>


== 人物像 ==
== 人物像 ==
* 中学時代は野球部で、長身の為、一塁手を任されていた。
* 中学時代は野球部で、長身の為、一塁手を任されていた。
* 初優勝までは鳴かず飛ばずでどん底生活に甘んじていた。「飲む打つ?で元キャディーだった前妻にはたいへんな重荷を負わせた」と「私の履歴書」に書いている。
* 初優勝までは鳴かず飛ばずでどん底生活に甘んじていた。「飲む打つ?で元キャディーだった前妻にはたいへんな重荷を負わせた」と「私の履歴書」に書いている。
* 鷹巣南雄の紹介で[[王貞治]]と親交を持つ様になる。青木は「王さんをスポーツ選手の'''鑑'''にする」と王貞治を手本として日々を過ごすと、1971年に関東プロで初勝利、その後は王さんと同じように、「“世界”の青木」というニックネームを頂くまでになったと青木は語る<ref>[https://toyokeizai.net/articles/-/10813 「世界の王さんあっての私」- 東洋経済 2009年8月4日]</ref>。
* 元々はドローヒッターで飛ばし屋というスタイルであったが、安定させるため持ち球をフェードに変えてから成功している。
* 鷹巣南雄の紹介で[[王貞治]]と親交を持つ様になる。青木は「王さんをスポーツ選手の'''鑑'''にする」と王貞治を手本として日々を過ごすと、1971年に関東プロで初勝利、その後は王さんと同じように、「“世界”の青木」というニックネームを頂くまでになったと青木は語る<ref>[http://toyokeizai.net/articles/-/10813 「世界の王さんあっての私」 - 東洋経済 2009年8月4日]</ref>。
* 尾崎将司が日本国内のツアーにほぼ専念していたのに対して、青木功はこれまで海外ツアーに積極的に参戦しており、アメリカでは最も名の知れた日本人プロゴルファーの一人である。
* 尾崎将司が日本国内のツアーにほぼ専念していたのに対して、青木功はこれまで海外ツアーに積極的に参戦しており、アメリカでは最も名の知れた日本人プロゴルファーの一人である。
* 気さくで開けっ広げな性格で知られる。米国ツアー参戦後も[[英語]]上手く話せないなが、笑顔や[[ボディーランゲージ|ボディランゲージ]]を含めて色々な選手らにどんどん話しかけ、多くの人々と友人になれたという。ゴルフ界以外の友人も多く、[[ビートたけし]]のことを「たけしさん」ではなく「'''ビートさん'''」と呼ぶ、数少ない人物でもある
* 気さくで開けっ広げな性格で知られる。アメリカ[[PGAツアー]]参戦後も[[英語]]上手かった、「米ツアーで戦うには[[コミュニケーション]]が必要」と考え<ref>{{Cite news |url=https://www.nikkansports.com/sports/golf/news/202104120000820.html|title=苦しみ乗り越え松山V、1つのきっかけは「同世代」目沢コーチかも/青木功|publisher=日刊スポーツ|date=2020-4-12|accessdate=2020-4-14}}</ref>、笑顔や[[ボディーランゲージ|ボディランゲージ]]を含めて色々な選手らにどんどん話しかけ、多くの人々と友人になれたという。
* [[グレグ・ノーマン]]親友であるグレグ・ノーマンはゴルフ界でも[[アスペルガー症候群|アスペルガー]]的な性格で知られ、奇行や人見知りが有名であまり交友関係を持たないのだ、二人本当に仲が良く、青木が左肘を故障した際には[[主治医]]の紹介や[[リハビリ]]についてのアドバイスを与え、青木が世界ゴルフ殿堂入りした際にはプレゼンターを務めた (ゴルフ解説者の[[戸張捷]]が実際に見いって語ったところによると、二人は会話の際、青木は[[日本語]]で、グレグは英語で普通に喋るのだが、問題なく意思の疎通が出来るのだという。戸張曰く「僕の理解の外です」とのこと) 。
** [[グレグ・ノーマン]]親友。ノーマンは奇行や人見知りで知られ、他者とはあまり交友関係を持たないが青木とは仲が良く、青木が左肘を故障した際には[[主治医]]の紹介や[[リハビリ]]についてのアドバイスを与え、青木が世界ゴルフ殿堂入りした際にはプレゼンターを務めた。一方でノーマンは、日本ツアーの[[中日クラウンズ|国際招待ゴルフ・中日クラウンズ]]に出場するにあたり、青木に開催会場の[[名古屋ゴルフ倶楽部・和合コース]]の攻略方法を聞き出しりもしてた。その甲斐あって、ノーマンは1989年の30回記念大会で日本ツアー初優勝を果たした。その優勝インタビューの中でノーマンは、「青木のアドバイスのお陰で勝てた話していた。ゴルフ解説者の[[戸張捷]]の証言によると、二人は会話の際、青木は[[日本語]]でノーマンは英語で普通に喋って問題なく意思の疎通が出来るという。戸張曰く「僕の理解の外です」
** ゴルフ界以外の友人も多く、[[ビートたけし]]のことを「たけしさん」ではなく「ビートさん」と呼ぶ、数少ない人物でもある。
* 口調はべらんめぇ調で、一時期の口癖は「しゃんめえじゃんよ~」 (仕方がない、の意) 。ゴルフ解説においても、フランクな口調が特徴。
** 口調はべらんめぇ調で、一時期の口癖は「しゃんめえじゃんよ~」 (仕方がない、の意) 。ゴルフ解説などにおいても、フランクな口調が特徴。
* プロテストの受験費用は競輪で稼いだ。
* 私生活では離婚を経験の後現夫人と再婚している。夫人も再婚で夫人の連れ子である義理の娘がいる。このチエさんと結婚してからの青木はそれまでの生活様式や風貌が一変した。
* [[横尾要]]は青木の「[[ソニーオープン・イン・ハワイ|ハワイアン・オープン]]」で奇蹟のチップインイーグルによる逆転優勝を見たのを機にプロゴルファーになる決心をした。
* 日本人初のPGAツアー優勝を果たしたが、後にPGAツアーを勝利している[[丸山茂樹]]や[[今田竜二]]、[[松山英樹]]らがシーズンを通してのツアー参戦であったのに対し、青木は冬と夏のみをアメリカで過ごすという所謂スポット参戦という時差やグリーンの速さの違い等というハンデがつく厳しい条件の下で達成している。自身も著書の中で「行ったり来たりの生活を継続していると時差やグリーン速さの差やフォームのずれ等を調整するのが大変だった。中にはアメリカに行かなければこんな苦労をせずに済んだという人もいた。」と記している。
* 私生活では離婚を経験の後現夫人と再婚している。夫人も再婚で夫人の連れ子である義理の娘がいる。このチエさんと結婚してからの青木はそれまでの生活様式や風貌が一転した。
** [[横尾要]]は青木の「[[ソニーオープン・イン・ハワイ|ハワイアン・オープン]]」で奇蹟のチップインイーグルによる逆転優勝を見たのを機にプロゴルファーになる決心をした。
* 米ツアーで日本男子としてはじめて勝利を挙げている。[[丸山茂樹]]や[[今田竜二]]、[[松山英樹]]等も後に勝利しているが、彼等がシーズン通しての参戦であったのに対し青木は冬と夏のみをアメリカで過ごすという所謂スポット参戦という時差やグリーンの速さの違い等というハンデがつく厳しい条件の下で達成している。自身も著書の中で「行ったり来たりの生活を継続していると時差やグリーン速さの差やフォームのずれ等を調整するのが大変だった。中にはアメリカに行かなければこんな苦労をせずに済んだという人もいた。」と記している。


== 呼称・愛称 ==
== 呼称・愛称 ==
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== メディア ==
== メディア ==
=== テレビ ===
* [[日経スペシャル カンブリア宮殿]] 「「体・技・心」で戦い続けろ!」(2008年12月8日、テレビ東京)<ref>[https://www.tv-tokyo.co.jp/cambria/backnumber/2008/1208/ 「「体・技・心」で戦い続けろ!」] - テレビ東京 2008年12月8日</ref>

=== CM ===
* [[マツダ]] [[マツダ・ルーチェ|ルーチェ]](1983年)
* [[Schick]] インジェクター(1983年)
* [[アサヒビール]](尾崎将司と共演、1986年-1990年)
* [[オービック]]
*[[Nintendo Switch]] [[マリオゴルフ スーパーラッシュ]]([[関根勤]]、[[小祝さくら]]、[[原英莉花]]と共演、2021年)<ref>{{Cite web|和書|title=「マリオゴルフ スーパーラッシュ」のCM3本が公開 関根勤さんとプロゴルファーの青木功さん、小祝さくらさん、原英莉花さんが出演|url=https://game.watch.impress.co.jp/docs/news/1330811.html|website=GAME Watch|date=2021-06-11|accessdate=2021-07-01|language=ja|last=株式会社インプレス}}</ref>

== 作品 ==
=== DVD ===
=== DVD ===
* 青木功 生涯ゴルフの方程式 (発売元: 青木功ゴルフ企画/エンジンネットワーク、販売元: [[紀伊國屋書店]]、品番: KKCS-22~23)
* 青木功 生涯ゴルフの方程式 (2005年4月23日、発売元: 青木功ゴルフ企画/エンジンネットワーク、販売元: [[紀伊國屋書店]]、品番: KKCS-22~23)


=== ビデオ ===
=== ビデオ ===
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* 青木功・倉本昌弘のゴルフ帝王学([[バップ|Vap]]、1985年)
* 青木功・倉本昌弘のゴルフ帝王学([[バップ|Vap]]、1985年)


=== 著作 ===
== 書籍 ==
=== 著書 ===
* ゴルフ青木流 (ISBN 4-10-467901-1、定価1,400円)
* 『驚異のゴルフ カップ・インを狙え!』(1981年4月1日、二見書房)ISBN 978-4576001241
* たちまちうまくなる 驚異の寄せワン 確実に9ストローク縮める秘密 (ISBNなし、定価690円)
* 『青木功の芝の読み方』(1982年4月1日、ごま書房新社 ゴマポケット)ISBN 9784341030315
* 驚異のゴルフ カップ・インを狙え! (ISBNなし、定価690円)
* 『わがゴルフわが人』(1982年4月1日、徳間書店 徳間文庫)ISBN 9784195972991
* 青木功の芝の読み方 (ISBNなし、定価880円)
* 『青木功 ゴルフ五輪書』(写真:立木義浩)(1983年4月1日、集英社)ISBN 9784087800371
* 青木功 スーパー実戦テクニック (ISBN 4-06-126780-9、定価850円)
* 『青木功 スーパー実戦テクニック』(1983年5月1日、講談社)ISBN 9784061267800
* 青木ゴルフの極意 一問一答 (ISBN 4-569-21191-7、定価680円)
* 『青木ゴルフの極意・一問一答』(1983年12月1日、PHP研究所)ISBN 9784569211916
* 賢者のゴルフ 青木流 秘シンプル・ゴルフのすすめ (ISBN 4-334-00585-3、定価800円)
* 『勝負は、自分の心で決まる ここ一番に勝つ集中術』(1985年5月1日、ごま書房新社 ゴマブックス)ISBN 9784341013646
* 俺と闘った男たち (ISBN 4-08-780172-1、定価1,200円)
* 『たちまちうまくなる驚異の寄せワン 確実に9ストローク縮める秘密』(1989年2月9日、二見書房 サラ・ブックス)ISBN 9784576001050
* 青木功 ゴルフ五輪書 (ISBN 4-08-780037-7、定価580円)
* 『飛ばす・寄せる』(1992年3月10日、廣済堂出版 廣済堂文庫)ISBN 9784331700174
* ゴルフ青木流 基本編 ([[漫画]]/ISBN 4-8124-6284-3、定価429円+税)
* 『俺と闘った男たち 戦場のフェアウェイ』(1992年9月23日、集英社)ISBN 9784087801729
* ゴルフ青木流 スコアが伸びるマル秘実戦12のセオリー (漫画/ISBN 4-8124-6306-8、定価429円+税)
* 『ゴルフありて 青木功ゴルフ自伝』(写真:立木義浩)(1994年3月20日、日本文化出版)ISBN 9784890840021
* 『青木功 夢 プロフェッショナル』(1995年4月8日、集英社)ISBN 9784087802108
* 『勝つゴルフの法則 世界の青木の6ステップ・レッスン』(1995年9月14日、PHP研究所 PHP文庫)ISBN 9784569568058
* 『ゴルフわが技術 スコアの壁を破るシンプル・テクニック』(1996年3月15日、PHP研究所 PHP文庫)ISBN 9784569568720
* 『賢者のゴルフ 青木流マル超シンプル・ゴルフのすすめ』(1997年5月30日、光文社 カッパ・ブックス)ISBN 9784334005856
* 『青木功ゴルフ自伝』(1999年8月1日、小学館 小学館文庫)ISBN 9784094168815
* 『ゴルフ青木流』(2004年4月23日、新潮社)ISBN 9784104679010
* 『青木功ゴルフ殿堂入り記念生涯ゴルフの方程式 通常版』(2005年4月1日、紀伊國屋書店)ISBN 9784877667931
* 『ゴルフ青木流ラウンド シミュレーション 基本編』(作画:嶺岸信明)(2005年8月26日、竹書房)ISBN 9784812462843
* 『ゴルフ青木流スコアが伸びる(秘)実戦12のセオリー』(作画:嶺岸信明)(2005年10月14日、竹書房)ISBN 9784812463062
* 『パットの神髄』(2008年5月10日、三笠書房 知的生きかた文庫)ISBN 9784837977063
* 『俺の健康自慢 』(2008年6月11日、角川書店)ISBN 9784047101463
* 『青木功 プレッシャーを楽しんで 私の履歴書』(2010年11月12日、日本経済新聞出版社)ISBN 9784532167684
* 『青木功 オレと53人の盟友 フルスイング人生の交友録』(2013年11月21日、Pargolf & Company/学研マーケティング)ISBN 9784054058743
* 『勝負論』(2015年3月14日、新潮社 新潮新書)ISBN 9784106106101
* 『青木功・小田美岐のゴルフ色に染められて(上巻)』(2018年8月22日、日本文芸社)ISBN 9784537123425
* 『青木功・小田美岐のゴルフ色に染められて(下巻)』(2018年10月18日、日本文芸社)ISBN 9784537123449

=== 監修 ===
* 『青木功「体」の奥義 「プロ生活50年、72歳まだまだ現役」を可能にした考え方とエクササイズ』(著者:比佐仁)(2014年10月22日、ベースボール・マガジン社)ISBN 9784583106267


=== 関連書籍 ===
=== 関連書籍 ===
* [[あした天気になあれ (漫画)]](『週刊少年マガジン』1981年 - 1981年、講談社) - 青木功一のモデル
* シニアの国の青木功 (佐山透著、ISBN 4-06-207652-7、定価1,600円)
* 『青木功のパイナップルストーリー』(著者:マイク・青木)(1983年9月20日、バイセル出版)ISBN 9784938169008
* イサオそして私 (青木チエ著、ISBN 4-416-89949-1、定価1,300円)
* 『劇画・青木功のゴルフ五輪書(上巻)』(構成:松田誠士、劇画:山崎享祐)(1989年2月10日、日本文芸社 ゴラク・コミックス)ISBN 9784537032192
* 青木功物語 誰も書けなかった、ちょっといい話 (青木功を心から愛する友の会編、ISBN 4-89084-060-5、定価1,800円)
* 『劇画・青木功のゴルフ五輪書(下巻)』(構成:松田誠士、劇画:山崎享祐)(1989年2月10日、日本文芸社 ゴラク・コミックス)ISBN 9784537032208
* 青木功の諦めないで自分を変えろ ([[大西久光]]著、ISBN 978-4576980485、定価1,575円)
* 『東通倒産と青木功ゴルフクラブ事件 その背景と会社更生後に向けて』(著者:有本猛)(1993年8月10日、新風書房)ISBN 9784882692447
* 日本経済新聞 『私の履歴書』[[2010年]][[2月]]掲載
* 『シニアの国の青木功』(著者:佐山透)(1995年6月10日、講談社)ISBN 9784062076524
* [[あした天気になあれ (漫画)]] 青木功一のモデル
* 『青木功ゴルフ・スコアメイクの秘策』(著者:角田満弘)(1996年5月18日、日本文芸社)ISBN 9784537096699

* 『青木功 勝つためのゴルフ この「勝負哲学」が強さを生んだ!』(著者:角田満弘)(1996年10月10日、三笠書房 知的生きかた文庫)ISBN 9784837908395
=== CM ===
* 『青木功の諦めないで自分を変えろ』(著者:大西久光)(1998年3月25日、二見書房)ISBN 9784576980485
* [[マツダ]] [[マツダ・ルーチェ|ルーチェ]](1983年)
* 『青木功の実践ゴルフ 1 ラウンド編』(著者:学習研究社)(1999年4月19日、学研マーケティング)ISBN 9784056020953
* [[Schick]] インジェクター(1983年)
* 『青木功の実践ゴルフ 2 アプローチ&コースマネジメント編』(著者:学習研究社)(1999年5月28日、学研マーケティング)ISBN 9784056020960
* [[アサヒビール]](尾崎将司と共演、1986年-1990年)
* 『イサオそして私』(著者:青木チエ)(1999年11月19日、誠文堂新光社)ISBN 9784416899496
* [[オービック]]
* 『青木功物語 誰も書けなかった、ちょっといい話。』(編者:青木功を心から愛する友の会)(2002年1月1日、日本文化出版)ISBN 9784890840601
* 『青木功に学ぶ「超える!メンタルの壁」』(著者:児玉光雄)(2003年10月26日、東邦出版)ISBN 9784809403354
* 『青木功 人生のバックナイン シニアの国の挑戦記 日経ビジネス文庫』(著者:佐山透)(2004年7月1日、日本経済新聞社)ISBN 9784532192358
* 『真説 青木功 上達を目指す全てのゴルファーに捧げる』(著者:菊谷匡祐)(2010年6月29日、学研パブリッシング)ISBN 9784054046290


== 関連人物 ==
== 関連人物 ==
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* [[ジャック・ニクラス]]
* [[ジャック・ニクラス]]
* [[グレグ・ノーマン]]
* [[グレグ・ノーマン]]
* [[石橋貴明]]([[とんねるず]]) - 「[[とんねるずのみなさんのおかげでした]]」のコーナー「[[とんねるずのみなさんのおかげでしたのコーナー一覧|全落・水落シリーズ]]」にて、青木をモデルとした'''「世界のAO木さん」'''<ref>ただし、「AO木」は「アオキ」ではなく「'''エオキ'''」と読む。</ref>というキャラに扮して進行を行っている。また、水落プロでは、たまたまロケ地のゴルフ場でレッスン中だった青木本人が急遽解説に加わり「青木とAO木のダブル解説」が実現している。
* [[石橋貴明]]([[とんねるず]]) - 「[[とんねるずのみなさんのおかげでした]]」のコーナー「[[とんねるずのみなさんのおかげでしたのコーナー一覧#全落・水落シリーズ|全落・水落シリーズ]]」にて、青木をモデルとした'''「世界のAO木さん」'''<ref group="注">ただし、「AO木」は「アオキ」ではなく「'''エオキ'''」と読む。</ref> というキャラに扮して進行を行っている。また、水落プロでは、たまたまロケ地のゴルフ場でレッスン中だった青木本人が急遽解説に加わり「青木とAO木のダブル解説」が実現している。
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* 尾崎将司[[尾崎健夫|/尾崎健夫]][[尾崎直道|/尾崎直道]]
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* [[海老原清治]]
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* [[鷹巣南雄]]
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* [[福嶋晃子]]
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== 脚注 ==
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=== 注釈 ===
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=== 出典 ===
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== 外部リンク ==
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* {{Official website}}
* [http://www.isaoaoki.com/ 青木功公式ホームページ]
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[[Category:存命人物]]
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2024年11月12日 (火) 06:47時点における最新版

青木 功
Isao AOKI
2019年5月25日撮影
基本情報
名前 青木 功
生年月日 (1942-08-31) 1942年8月31日(82歳)
身長 180 cm (5 ft 11 in)
体重 80 kg (176 lb)
国籍 日本の旗 日本
出身地 千葉県我孫子市
経歴
プロ勝利数 78
優勝数
PGAツアー 1
ヨーロッパ 1
日本ツアー 51 (歴代2位)[1]
チャンピオン 9
他ツアー 16
メジャー選手権最高成績
マスターズ 16位: 1985
PGA選手権 4位タイ: 1981
全米オープン 2位: 1980
全英オープン 7位タイ: 1978, 1979, 1988
受賞
日本ツアー賞金王 1976, 1978, 1979, 1980, 1981
成績
優勝回数 通算85勝 <国内シニア9勝・海外シニア9勝・海外グランドシニア3勝>
初優勝 日本男子: 関東プロ (1971年)
米国男子: ハワイアン・オープン (1983年)
賞金ランク最高位 日本男子: 1位 (5度)
米国男子: 34位 (1983)
殿堂表彰者
選出年 2004年
選出部門 国際投票
殿堂表彰者
選出年 2013年
選出部門 プレーヤー
2012年9月23日現在
テンプレートを表示

青木 功(あおき いさお、1942年8月31日[2] - )は、千葉県我孫子市[2] 出身のプロゴルファー日本プロゴルフツアー永久シード保持者。2016年から日本ゴルフツアー機構(JGTO)会長。1980年に全米オープンで準優勝、1983年には日本人で初めてPGAツアーで優勝を果たすなど、尾崎将司(ジャンボ)、中嶋常幸と共に「AON (エーオーエヌ)」と呼ばれる日本を代表する名ゴルファーの一人である。日本ゴルフツアー通算51勝は歴代2位[1]

略歴

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主な記録

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  • 1980年全米オープンでは、準優勝。 (優勝はニクラスで、青木は2位。共に当時の優勝レコードを塗り替えての1、2フィニッシュ。これは2021年松山英樹のマスターズ優勝までの41年間、日本人男子選手のメジャー大会最高成績であった)
  • 同年の全英オープンでは、3日目に最小スコアレコード「63」を叩き出している。 (2010年現在も、タイ記録)
  • 日本人初の米国PGAツアー(ハワイアン・オープン)優勝。最終日・最終ホールでピンまでの距離128ヤードのショットでチップインイーグルを決めて、2位に1打差の勝利であった。1打差でリードしたままホールアウトしたジャック・レナーがスコアカードを提出しているさなかの奇跡の逆転であった。同ショットは米国にて、80年代を代表する印象に残るショットの一つに選定されており、このショットで使用したパワービルト社製のPW (ピッチング・ウェッジ) は、世界ゴルフ殿堂の施設内に展示されている。なお、128ヤードは勝利の翌日青木が歩測して確認した数字であり、翌日同じ場所から同じクラブで何度打ってもバンカーにつかまり、グリーンに届かなかったという。

プロ優勝 (78)

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日本ツアー (51)

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PGAツアー優勝 (1)

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No. Date Tournament 優勝スコア 打差 2位
1 1983年2月13日 ハワイアンオープン −20 (66-70-65-67=268) 1打差 アメリカ合衆国の旗 ジャック・レナー

ヨーロピアンツアー (1)

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その他優勝 (7)

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チャンピオンズツアー優勝 (9)

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No. Date Tournament 優勝スコア 打差 2位(タイ)
1 27 Sep 1992 ネイションワイド選手権 −8 (70-66=136) 1打差 アメリカ合衆国の旗 レイモンド・フロイド
2 18 Sep 1994 バンクワンシニアクラシック −14 (69-64-69=202) 3打差 アメリカ合衆国の旗 チチ・ロドリゲス
3 25 Sep 1994 ブリックヤードクロッシング選手権 −11 (66-67=133) 1打差 アメリカ合衆国の旗 ジミー・パウエル, アメリカ合衆国の旗 トム・ワーゴ
4 27 Aug 1995 バンク・オブ・ボストンシニアクラシック −12 (69-66-69=204) 1打差 ニュージーランドの旗 ボブ・チャールズ, アメリカ合衆国の旗 ヘール・アーウィン
5 26 May 1996 ベルサウスシニアクラシック −14 (64-68-70=202) 1打差 オーストラリアの旗 グラハム・マーシュ, アメリカ合衆国の旗 ジェイ・シーゲル
6 30 Jun 1996 クローガーシニアクラシック −15 (63-69-66=198) 1打差 アメリカ合衆国の旗 マイク・ヒル, アメリカ合衆国の旗 ロッキー・トンプソン
7 28 Sep 1997 エメラルドコーストクラシック −14 (71-60-65=196) Playoff アメリカ合衆国の旗 ギル・モーガン
8 14 Jun 1998 ベルサウスシニアクラシック −18 (62-66-70=198) 2打差 アメリカ合衆国の旗 ラリー・ネルソン
9 19 May 2002 インスティネットクラシック −15 (69-67-65=201) 4打差 アメリカ合衆国の旗 ジョン・ヤコブス

日本シニアツアー優勝 (9)

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  • 1994 日本シニアオープン
  • 1995 アメリカン・エキスプレスグランドスラム, 日本シニアオープン
  • 1996 日本シニアオープン
  • 1997 日本シニアオープン
  • 2000 N.カップシニアオープン
  • 2002 N.カップシニアオープン
  • 2007 日本シニアオープン
  • 2008 鬼ノ城シニアオープン

成績

[編集]

メジャー選手権

[編集]
大会 1974 1975 1976 1977 1978 1979 1980 1981 1982 1983 1984 1985 1986 1987 1988 1989 1990
マスターズ CUT CUT DNP T28 CUT T34 CUT T45 CUT 19 T25 T16 CUT CUT T25 DNP DNP
全米オープン DNP DNP DNP DNP DNP T36 2 T11 T30 DNP T16 DNP DNP T14 T50 T33 T33
全英オープン DNP DNP DNP CUT T7 T7 T12 T11 T20 DNP T47 DNP DNP DNP T7 DNP CUT
PGA選手権 DNP DNP DNP DNP DNP CUT DNP T4 T49 CUT CUT DNP T36 CUT T38 T17 T40

DNP = 出場せず
WD = 怪我で辞退
CUT = ハーフウェイ・カット
T =順位タイ
黄色はトップ10入り.

シニアメジャー選手権

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大会 1993 1994 1995 1996 1997 1998 1999 2000 2001 2002
全米プロシニアゴルフ選手権 3 T5 T5 2 T20 T44 T15 T62 T20 CUT
ザ・トラディション 6 T9 2 T12 2 T13 T28 DNP T47 T35
シニア・プレーヤーズ選手権 T5 T3 6 T30 T2 3 T14 T18 T17 21
全米シニアオープン T20 10 T3 11 T49 T4 CUT T47 T2 T18
大会 2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011 2012
全米プロシニアゴルフ選手権 CUT T27 T62 T28 CUT CUT CUT DNP DNP DNP
ザ・トラディション T20 T53 T32 T67 T71 DNP T57 64 DNP DNP
シニア・プレーヤーズ選手権 T12 T28 T18 52 DNP DNP DNP DNP DNP DNP
全米シニアオープン T30 DNP DNP T45 CUT DNP DNP DNP DNP DNP
全英シニアオープン T14 T22 T36 T60 CUT 50 CUT DQ CUT CUT

プレースタイル

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  • 元々はドローヒッターで飛ばし屋というスタイルであったが、安定させるため持ち球をフェードに変えてから成功している[10]
  • パッティング・スタイルは、前傾を深くしてハンドダウンに構え、パターのトゥを立てた姿勢から、リストでテークバックしダウンブローに打ち込むという、タップ式あるいはリストパッティングなどと呼ばれるスタイルだった。現在ではショルダーストロークと呼ばれる手首をほとんど動かさない打ち方が主流で、この打法は過去のものとされ、実践する選手は少ない[11]ボブ・トスキはリストパッティングを採りいれていた選手のうち、ゴルフ史上に残る名手として青木、ビリー・キャスパーボビー・ロックのいずれも1940年代以前に生まれた3名を挙げている[12]
  • すでに旧式の打法になっていたにも拘わらず、青木はそのスタイルを頑に守り、勝負所のロングパットや難しいラインのパットを次々と放り込み続けた。特に帝王ジャック・ニクラスをして、「パッティングの教科書を書き替えないといけない」と言わしめた。ゴルフ好きで知られ、青木からパターを贈られたこともある第45代アメリカ合衆国大統領ドナルド・トランプは「青木のパッティングは芸術だ。でもあの打ち方は彼にしかできない。決して真似しない方がいい」と発言している[13][14]
  • 非常に自己流に徹しているゴルファーとも呼ばれ、パッティングスタイルと共に、通常のショットにおいても個性的である。外見的な特徴としては、深い前傾姿勢とベタ足の二点が挙げられる。実際に打球する際には腕に意識を多く置くリストターン打法であり、本人は「ボールを直接打つのはクラブで、それを握るのは手なんだよ。多くのプロは体を回す事に重きを置いているが、俺のやり方は違う。」と述べている[15]メタルドライバーは自身の打法に合わなかったため、ほとんど使用しなかったが、チタンドライバーが世に出ると、打法を変えることなく使えたため、すぐに実戦で使用するようになった[16]。 (ただしパーシモンドライバー時代に比べると、フェースローテーションを抑えているとされる。)
  • 全英オープン初挑戦は1977年ターンベリー開催の第106回大会であり、54ホール終了時点で76-72-74のスコアで予選落ちした青木は、英国のリンクスコースを攻略するため、翌年の開催地セント・アンドルーズのオールドコースを視察、帰国して錦ヶ原ゴルフ場の河川敷コースで練習を重ね、1978年の全英オープンに臨んだ。初日68で首位、2日目71で首位キープ、本選は73-73で、優勝したジャック・ニクラスに4打差の7位タイ。
  • 1980年全米オープンで「バルタスロールの死闘」を演じたジャック・ニクラスが、優勝インタビューの中で「アオキの (ホールカップから) 100Y以内は世界一だ」と語ったため、この距離内で少ない打数でホールアウトする事を競えば、青木の右に出るものはいないと言われた。これを裏付けるように USPGAのバンカーショット部門 (サンドセーブ率: バンカー内から2打以内でホールアウトした率) では、'80年、'81年と二年連続No,1の座に就いている。'80年代10年間の通算成績でも首位タイに輝いている。
  • 青木の長打力に関しては、当時としては距離の長いコースセッティングだったバルタスロールでの全米オープンでの最終日に、日に日に飛距離を伸ばす青木に対して飛ばし屋のニクラスは「You are so long」とその打力を評する言葉を掛けている。[17]

人物像

[編集]
  • 中学時代は野球部で、長身の為、一塁手を任されていた。
  • 初優勝までは鳴かず飛ばずでどん底生活に甘んじていた。「飲む打つ?で元キャディーだった前妻にはたいへんな重荷を負わせた」と「私の履歴書」に書いている。
  • 鷹巣南雄の紹介で王貞治と親交を持つ様になる。青木は「王さんをスポーツ選手のにする」と王貞治を手本として日々を過ごすと、1971年に関東プロで初勝利、その後は王さんと同じように、「“世界”の青木」というニックネームを頂くまでになったと青木は語る[18]
  • 尾崎将司が日本国内のツアーにほぼ専念していたのに対して、青木功はこれまで海外ツアーに積極的に参戦しており、アメリカでは最も名の知れた日本人プロゴルファーの一人である。
  • 気さくで開けっ広げな性格で知られる。アメリカPGAツアー参戦後も英語は上手でなかったが、「米ツアーで戦うにはコミュニケーションが必要」と考え[19]、笑顔やボディランゲージを含めて色々な選手らにどんどん話しかけ、多くの人々と友人になれたという。
    • グレグ・ノーマンは親友。ノーマンは奇行や人見知りで知られ、他者とはあまり交友関係を持たないが青木とは仲が良く、青木が左肘を故障した際には主治医の紹介やリハビリについてのアドバイスを与え、青木が世界ゴルフ殿堂入りした際にはプレゼンターを務めた。一方でノーマンは、日本ツアーの国際招待ゴルフ・中日クラウンズに出場するにあたり、青木に開催会場の名古屋ゴルフ倶楽部・和合コースの攻略方法を聞き出したりもしていた。その甲斐あって、ノーマンは1989年の30回記念大会で日本ツアー初優勝を果たした。その優勝インタビューの中でノーマンは、「青木のアドバイスのお陰で勝てた」と話していた。ゴルフ解説者の戸張捷の証言によると、二人は会話の際、青木は日本語でノーマンは英語で普通に喋って問題なく意思の疎通が出来るという。戸張曰く「僕の理解の外です」
    • ゴルフ界以外の友人も多く、ビートたけしのことを「たけしさん」ではなく「ビートさん」と呼ぶ、数少ない人物でもある。
    • 口調はべらんめぇ調で、一時期の口癖は「しゃんめえじゃんよ~」 (仕方がない、の意) 。ゴルフ解説などにおいても、フランクな口調が特徴。
  • 私生活では離婚を経験の後現夫人と再婚している。夫人も再婚で夫人の連れ子である義理の娘がいる。このチエさんと結婚してからの青木はそれまでの生活様式や風貌が一変した。
  • 日本人初のPGAツアー優勝を果たしたが、後にPGAツアーを勝利している丸山茂樹今田竜二松山英樹らがシーズンを通してのツアー参戦であったのに対し、青木は冬と夏のみをアメリカで過ごすという所謂スポット参戦という時差やグリーンの速さの違い等というハンデがつく厳しい条件の下で達成している。自身も著書の中で「行ったり来たりの生活を継続していると時差やグリーン速さの差やフォームのずれ等を調整するのが大変だった。中にはアメリカに行かなければこんな苦労をせずに済んだという人もいた。」と記している。

呼称・愛称

[編集]
  • アメリカなどの英語圏では、「アイセイオー・エイオーキ」、「アイザオ・エオーキ」などと発音されていたが、'80年の全米オープンでの活躍以後は「イツァオ・ェイォーキィ」と、日本語読みに近い発音で呼ばれるようになる。
  • 米国レギュラーツアー時代は、長いパットを次々と放り込む姿や、難しいバンカーからの絶妙な寄せ技などから「東洋の魔術師 (オリエンタル・マジシャン) 」と呼ばれた。
  • 1978年の「世界マッチプレー選手権」で海外ツアー初優勝後は「世界の青木」と呼ばれるようになった。青木自身は「青木功は青木功。何も変わっちゃいないんだ」と、急に「世界の」という冠を付けて語られ始めたことに、当初は戸惑いを表明していた。
  • ライバル尾崎将司のニックネーム「ジャンボ尾崎」にちなんで、一時「コンコルド青木」と呼ばれていた時期もあったが、定着することは無かった。

メディア

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テレビ

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CM

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作品

[編集]

DVD

[編集]
  • 青木功 生涯ゴルフの方程式 (2005年4月23日、発売元: 青木功ゴルフ企画/エンジンネットワーク、販売元: 紀伊國屋書店、品番: KKCS-22~23)

ビデオ

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  • GOLF 青木功の世界 Part1~Part3
  • NHK趣味百科 青木功のベストゴルフ Vol,1~Vol,3 (定価各5,000円)
  • 青木功のゴルフ早わかり OUT編/IN編
  • 青木功の勝つためのゴルフ オリジナルレッスン・イン・ハワイ 第1巻/第2巻
  • 青木功・倉本昌弘のゴルフ帝王学(Vap、1985年)

書籍

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著書

[編集]
  • 『驚異のゴルフ カップ・インを狙え!』(1981年4月1日、二見書房)ISBN 978-4576001241
  • 『青木功の芝の読み方』(1982年4月1日、ごま書房新社 ゴマポケット)ISBN 9784341030315
  • 『わがゴルフわが人』(1982年4月1日、徳間書店 徳間文庫)ISBN 9784195972991
  • 『青木功 ゴルフ五輪書』(写真:立木義浩)(1983年4月1日、集英社)ISBN 9784087800371
  • 『青木功 スーパー実戦テクニック』(1983年5月1日、講談社)ISBN 9784061267800
  • 『青木ゴルフの極意・一問一答』(1983年12月1日、PHP研究所)ISBN 9784569211916
  • 『勝負は、自分の心で決まる ここ一番に勝つ集中術』(1985年5月1日、ごま書房新社 ゴマブックス)ISBN 9784341013646
  • 『たちまちうまくなる驚異の寄せワン 確実に9ストローク縮める秘密』(1989年2月9日、二見書房 サラ・ブックス)ISBN 9784576001050
  • 『飛ばす・寄せる』(1992年3月10日、廣済堂出版 廣済堂文庫)ISBN 9784331700174
  • 『俺と闘った男たち 戦場のフェアウェイ』(1992年9月23日、集英社)ISBN 9784087801729
  • 『ゴルフありて 青木功ゴルフ自伝』(写真:立木義浩)(1994年3月20日、日本文化出版)ISBN 9784890840021
  • 『青木功 夢 プロフェッショナル』(1995年4月8日、集英社)ISBN 9784087802108
  • 『勝つゴルフの法則 世界の青木の6ステップ・レッスン』(1995年9月14日、PHP研究所 PHP文庫)ISBN 9784569568058
  • 『ゴルフわが技術 スコアの壁を破るシンプル・テクニック』(1996年3月15日、PHP研究所 PHP文庫)ISBN 9784569568720
  • 『賢者のゴルフ 青木流マル超シンプル・ゴルフのすすめ』(1997年5月30日、光文社 カッパ・ブックス)ISBN 9784334005856
  • 『青木功ゴルフ自伝』(1999年8月1日、小学館 小学館文庫)ISBN 9784094168815
  • 『ゴルフ青木流』(2004年4月23日、新潮社)ISBN 9784104679010
  • 『青木功ゴルフ殿堂入り記念生涯ゴルフの方程式 通常版』(2005年4月1日、紀伊國屋書店)ISBN 9784877667931
  • 『ゴルフ青木流ラウンド シミュレーション 基本編』(作画:嶺岸信明)(2005年8月26日、竹書房)ISBN 9784812462843
  • 『ゴルフ青木流スコアが伸びる(秘)実戦12のセオリー』(作画:嶺岸信明)(2005年10月14日、竹書房)ISBN 9784812463062
  • 『パットの神髄』(2008年5月10日、三笠書房 知的生きかた文庫)ISBN 9784837977063
  • 『俺の健康自慢 』(2008年6月11日、角川書店)ISBN 9784047101463
  • 『青木功 プレッシャーを楽しんで 私の履歴書』(2010年11月12日、日本経済新聞出版社)ISBN 9784532167684
  • 『青木功 オレと53人の盟友 フルスイング人生の交友録』(2013年11月21日、Pargolf & Company/学研マーケティング)ISBN 9784054058743
  • 『勝負論』(2015年3月14日、新潮社 新潮新書)ISBN 9784106106101
  • 『青木功・小田美岐のゴルフ色に染められて(上巻)』(2018年8月22日、日本文芸社)ISBN 9784537123425
  • 『青木功・小田美岐のゴルフ色に染められて(下巻)』(2018年10月18日、日本文芸社)ISBN 9784537123449

監修

[編集]
  • 『青木功「体」の奥義 「プロ生活50年、72歳まだまだ現役」を可能にした考え方とエクササイズ』(著者:比佐仁)(2014年10月22日、ベースボール・マガジン社)ISBN 9784583106267

関連書籍

[編集]
  • あした天気になあれ (漫画)(『週刊少年マガジン』1981年 - 1981年、講談社) - 青木功一のモデル
  • 『青木功のパイナップルストーリー』(著者:マイク・青木)(1983年9月20日、バイセル出版)ISBN 9784938169008
  • 『劇画・青木功のゴルフ五輪書(上巻)』(構成:松田誠士、劇画:山崎享祐)(1989年2月10日、日本文芸社 ゴラク・コミックス)ISBN 9784537032192
  • 『劇画・青木功のゴルフ五輪書(下巻)』(構成:松田誠士、劇画:山崎享祐)(1989年2月10日、日本文芸社 ゴラク・コミックス)ISBN 9784537032208
  • 『東通倒産と青木功ゴルフクラブ事件 その背景と会社更生後に向けて』(著者:有本猛)(1993年8月10日、新風書房)ISBN 9784882692447
  • 『シニアの国の青木功』(著者:佐山透)(1995年6月10日、講談社)ISBN 9784062076524
  • 『青木功ゴルフ・スコアメイクの秘策』(著者:角田満弘)(1996年5月18日、日本文芸社)ISBN 9784537096699
  • 『青木功 勝つためのゴルフ この「勝負哲学」が強さを生んだ!』(著者:角田満弘)(1996年10月10日、三笠書房 知的生きかた文庫)ISBN 9784837908395
  • 『青木功の諦めないで自分を変えろ』(著者:大西久光)(1998年3月25日、二見書房)ISBN 9784576980485
  • 『青木功の実践ゴルフ 1 ラウンド編』(著者:学習研究社)(1999年4月19日、学研マーケティング)ISBN 9784056020953
  • 『青木功の実践ゴルフ 2 アプローチ&コースマネジメント編』(著者:学習研究社)(1999年5月28日、学研マーケティング)ISBN 9784056020960
  • 『イサオそして私』(著者:青木チエ)(1999年11月19日、誠文堂新光社)ISBN 9784416899496
  • 『青木功物語 誰も書けなかった、ちょっといい話。』(編者:青木功を心から愛する友の会)(2002年1月1日、日本文化出版)ISBN 9784890840601
  • 『青木功に学ぶ「超える!メンタルの壁」』(著者:児玉光雄)(2003年10月26日、東邦出版)ISBN 9784809403354
  • 『青木功 人生のバックナイン シニアの国の挑戦記 日経ビジネス文庫』(著者:佐山透)(2004年7月1日、日本経済新聞社)ISBN 9784532192358
  • 『真説 青木功 上達を目指す全てのゴルファーに捧げる』(著者:菊谷匡祐)(2010年6月29日、学研パブリッシング)ISBN 9784054046290

関連人物

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(師弟関係)
(我孫子一門)

脚注

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注釈

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  1. ^ ただし、「AO木」は「アオキ」ではなく「エオキ」と読む。

出典

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  1. ^ a b ツアー勝利数ランキング”. 日本ゴルフツアー機構. 2019年5月26日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g 市制施行50周年記念 青木功さん、上橋菜穂子さんを名誉市民に決定”. www.city.abiko.chiba.jp. 我孫子市. 2023年1月19日閲覧。
  3. ^ 青木功がJGTO新会長に就任 ジャンボ&丸山もサポート 株式会社ゴルフダイジェスト・オンライ 2016/03/04
  4. ^ “首相、トランプ氏と5回目ゴルフ 青木功プロも同伴”. 日本経済新聞. (2019年5月26日). https://www.nikkei.com/article/DGXMZO45289120W9A520C1000000/ 2020年10月16日閲覧。 
  5. ^ “男子ゴルフの青木会長が3選:朝日新聞デジタル”. (2020年3月26日). https://www.asahi.com/articles/DA3S14416966.html 
  6. ^ 市制施行50周年記念 青木功さん、上橋菜穂子さんを名誉市民に決定”. 我孫子市役所 (2020年4月3日). 2021年7月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年8月26日閲覧。
  7. ^ 青木功氏、JGTO会長退任を表明 男子ゴルフ 日経電子版 2024年3月4日
  8. ^ 青木功氏 男子ダンロップフェニックス名誉アドバイザー就任「いろいろとお手伝いできたら」 - スポニチ Sponichi Annex スポーツ”. スポニチ Sponichi Annex. 2024年10月29日閲覧。
  9. ^ ちばてつやさん、漫画家初の文化勲章 文化功労者に青木功さんら”. 朝日新聞デジタル (2024年10月25日). 2024年10月25日閲覧。
  10. ^ 「スクェアグリップは、人それぞれ違う」青木功が取り組んだ世紀のグリップ改造 - みんなのゴルフダイジェスト 2016年8月29日
  11. ^ 『チョイス』ゴルフダイジェスト社 2002年5月号219頁
  12. ^ 『チョイス』ゴルフダイジェスト社 2010年2月号
  13. ^ “トランプ氏とゴルフで青木功がパターをプレゼント”. 日刊スポーツ. (2019年5月27日). https://www.nikkansports.com/general/nikkan/news/201905260001067.html 2020年10月16日閲覧。 
  14. ^ “トランプ氏「青木氏パッティングは芸術」”. 毎日新聞. (2017年11月6日). https://mainichi.jp/articles/20171107/k00/00m/010/094000c 2020年10月16日閲覧。 
  15. ^ 『バッフィー』CBS・ソニー出版 1991年1月号35~37頁
  16. ^ 『チョイス』ゴルフダイジェスト社 2006年7月号114~115頁
  17. ^ 『チョイス』ゴルフダイジェスト社 2005年9月号83頁
  18. ^ 「世界の王さんあっての私」- 東洋経済 2009年8月4日
  19. ^ “苦しみ乗り越え松山V、1つのきっかけは「同世代」目沢コーチかも/青木功”. 日刊スポーツ. (2020年4月12日). https://www.nikkansports.com/sports/golf/news/202104120000820.html 2020年4月14日閲覧。 
  20. ^ 「「体・技・心」で戦い続けろ!」 - テレビ東京 2008年12月8日
  21. ^ 株式会社インプレス (2021年6月11日). “「マリオゴルフ スーパーラッシュ」のCM3本が公開 関根勤さんとプロゴルファーの青木功さん、小祝さくらさん、原英莉花さんが出演”. GAME Watch. 2021年7月1日閲覧。

外部リンク

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