「小和田駅」の版間の差分
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|よみがな= こわだ |
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|ローマ字= Kowada |
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2020年2月15日 (土) 02:48時点における版
小和田駅 | |
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駅舎(2005年4月) | |
こわだ Kowada | |
◄大嵐 (3.0 km) (4.0 km) 中井侍► | |
所在地 | |
所属事業者 | 東海旅客鉄道(JR東海) |
所属路線 | 飯田線 |
キロ程 | 83.8 km(豊橋起点) |
電報略号 | コワ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
乗車人員 -統計年度- |
8人/日(降車客含まず) -2017年- |
開業年月日 | 1936年(昭和11年)12月30日 |
備考 | 駅員無配置駅 |
小和田駅(こわだえき)は、静岡県浜松市天竜区水窪町奥領家にある、東海旅客鉄道(JR東海)飯田線の駅である。
概要
駅前には何ら施設が無く、また道路が通じていないため自動車では訪問できないことから、鉄道ファンに秘境駅の一つとして認知されている。秘境駅ブームの火付け役であり、『秘境駅へ行こう』の著書で知られる牛山隆信が最初に訪れた駅であり[1]、牛山が作成した「秘境駅ランキング」では全国3位にランキングされている。
以前は駅周辺に集落が存在したが、1956年に完成した佐久間ダムによりそれらの集落は水没してしまった。駅周辺の人家は約15分歩いたところに一軒あったが、現在は移転したため小和田集落は無人となり、現在一番近い人家は、そこから険しい山道を40 - 50分ほど登った先にある塩沢地区の数軒のみとなっている。この塩沢地区への郵便配達は、険しい地形のためにバイクでの配達が困難であるため、郵便局員が列車に乗って郵便物を届けていたが、小和田集落の無人化により、現在列車を利用しての配達は行われていない[2]。
また、天竜川対岸の愛知県豊根村富山地区内を通る長野・愛知・静岡県道1号飯田富山佐久間線が小和田駅対岸付近まで来ているものの、そこへの橋も佐久間ダム建設で廃道になり、現在は愛知県側から直接駅へアクセスすることはできない。
これらの経緯により、利用者はこの駅を目当てにやってくる鉄道ファンを除けば極端に少ない。テレビ番組『所さんの学校では教えてくれないそこんトコロ!』の「あなたはナゼ秘境駅へ来たんですか?」のコーナーで行った調査では(2014年5月16日OA)、塩沢集落では道路が整備されたために当駅を利用する住人はおらず、純然たる生活目的の利用者は前述の一軒家に住む老婦人一人しか確認できなかった[2]。
普段は閑散としているが、1993年の皇太子徳仁親王と皇太子妃雅子とのご成婚の折には、駅名が皇太子妃の旧姓である小和田(おわだ)と同表記であるとして、恋愛成就にあやかろうとする人々で賑わった[3]。水窪町(当時)は同駅下にある広場で結婚式を開きたいカップルを募集し、うち1組が挙式を行っている。その結婚式を記念して設置された「愛」と書かれたベンチや結婚式の写真などは、今も駅に残されている[4]。
駅構造
単式ホーム1面1線を有する地上駅。豊橋側のトンネル手前に保線車両用の引き込み線が設置されている。中部天竜駅管理の無人駅であり、無人化後も駅舎が残されている。
無人駅だが、飯田線秘境駅号が運行される際は列車の運行に合わせて数名の職員が常駐する(ホーム及び駅周辺の案内/誘導のみを行い改札業務は行わない)。
かつては相対式ホーム2面2線であったが、2008年(平成20年)1月に片側が使用中止され、単式ホームとなった。使用中止となった側の線路は現在撤去されているが、ホームはそのまま残されている(ただし立入はできない)。
利用状況
「静岡県統計年鑑」及び「浜松市統計書」によると、近年の1日平均乗車人員は以下の通りである。
年度 | 1日平均 乗車人員 |
---|---|
1993年 | 10 |
1994年 | 11 |
1995年 | 9 |
1996年 | 6 |
1997年 | 7 |
1998年 | 7 |
1999年 | 6 |
2000年 | 6 |
2001年 | 不明 |
2002年 | |
2003年 | |
2004年 | |
2005年 | |
2006年 | 7 |
2007年 | 8 |
2008年 | 5 |
2009年 | 7 |
2010年 | 6 |
2011年 | 6 |
2012年 | 6 |
2013年 | 6 |
2014年 | 6 |
2015年 | 6 |
2016年 | 5 |
2017年 | 8 |
駅周辺
前述の通り、駅周辺には目立った施設は無い。
駅前には住居跡と製茶工場跡がある。製茶工場跡の下の道には、佐久間ダム建設の際に転落したとされるミゼットの廃車が転がっている[4]。
飯田線が事実上唯一の交通手段であるため、警察官による巡視にも飯田線が利用されている。
駅の所在地は静岡県浜松市に属するが駅舎の電力メーター保守、検針は長野県の中部電気保安協会職員が行っており、検針の際にも飯田線が利用されている。
なお、同駅に設置されていたトイレは2013年に使用停止・撤去となっている。
歴史
- 1936年(昭和11年)12月30日 - 三信鉄道(北線)が満島駅(現・平岡駅)から延伸した際の終着駅(一般駅)として開業[5]。当時の南線の終着駅であった大嵐駅との間は船舶で連絡した。
- 1937年(昭和12年)8月20日 - 大嵐 - 小和田間が開通し三河川合駅への既存線(南線)と接続、途中駅となる。これを以って三信鉄道および豊川鉄道・鳳来寺鉄道・伊那電気鉄道を介して吉田(現・豊橋) - 辰野間が全通[5]。
- 1943年(昭和18年)8月1日 - 三信鉄道線が飯田線の一部として国有化され、鉄道省(後の日本国有鉄道)の駅となる[5]。
- 1971年(昭和46年)12月1日 - 貨物・荷物の取扱を廃止(旅客駅となる)。
- 1984年(昭和59年)2月 - 無人化。
- 1987年(昭和62年)4月1日 - 国鉄分割民営化により、東海旅客鉄道の駅となる。
- 2008年(平成20年)1月27日 - ホーム1面の使用を中止し、棒線駅となる。
隣の駅
脚注
- ^ 私と秘境駅 - 秘境駅ヘ行こう!
- ^ a b 所さんの学校では教えてくれないそこんトコロ!/2014年5月16日のバックナンバー - テレビ東京
- ^ a b 『なんにもないなんにもない…飯田線・秘境駅の旅いかが』 - 朝日新聞、2009年8月16日
- ^ a b JR東海配布「飯田線秘境6駅&見どころマップ」より
- ^ a b c 『日本鉄道旅行地図帳 7号 東海』新潮社、2008年、36-37頁。ISBN 978-4-10-790025-8。