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| 氏名 = ジャン=ルイ・シュレッサー |
| 氏名 = ジャン=ルイ・シュレッサー |
2021年8月1日 (日) 07:21時点における版
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ジャン=ルイ・シュレッサー | |
---|---|
ジャン=ルイ・シュレッサー (2013年10月) | |
基本情報 | |
フルネーム | ジャン=ルイ・ポール・シュレッサー |
国籍 |
![]() |
出身地 |
同・ムルト=エ=モゼル県 ナンシー |
生年月日 | 1948年9月12日(75歳) |
F1での経歴 | |
活動時期 | 1983,1988 |
所属チーム |
'83 RAM '88 ウィリアムズ |
出走回数 | 2 (1スタート) |
優勝回数 | 0 |
表彰台(3位以内)回数 | 0 |
通算獲得ポイント | 0 |
ポールポジション | 0 |
ファステストラップ | 0 |
初戦 | 1983年フランスGP |
最終戦 | 1988年イタリアGP |
ジャン=ルイ・ポール・シュレッサー(Jean-Louis Paul Schlesser, 1948年9月12日 - )は、フランス・ムルト=エ=モゼル県ナンシー出身のレーシングドライバー。
概要
1989年・1990年にはザウバー・メルセデスを駆り、世界スポーツプロトタイプカー耐久選手権(WSPC、後のスポーツカー世界選手権(SWC))のシリーズチャンピオンを獲得するなど、1990年代前半までは主にサーキットでのレースで活躍するドライバーだった。
1992年に独自開発の二輪駆動バギーでダカール・ラリーへの参戦を開始。以後ラリーレイドに活動の主軸を移すようになり、1999年・2000年にはダカール・ラリーで総合優勝を果たした[1]。2007年までダカール・ラリーへの参戦を続けてきたが、2008年のダカール・ラリー開催が中止となり2009年は開催地が南米に移された影響もあって、エントリーを見送っている。
叔父のジョー・シュレッサーもレーシングドライバー。
レース戦績
ヨーロッパF2選手権
年 | チーム | エンジン | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | WDC | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1982年 | マウラー・モータースポーツ | BMW | SIL | HOC | THR | NÜR | MUG 14 |
VLL Ret |
PAU 8 |
SPA 7 |
HOC | DON 8 |
MAN 7 |
PER 14 |
MIS Ret |
NC | 0 |
(key)
F1
年 | 所属チーム | シャシー | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | WDC | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1983年 | RAM | 01 | BRA | USW | FRA DNQ |
SMR | MON | BEL | DET | CAN | GBR | GER | AUT | NED | ITA | EUR | RSA | NC (35位) |
0 | |
1988年 | ウィリアムズ | FW12 | BRA | SMR | MON | MEX | CAN | DET | FRA | GBR | GER | HUN | BEL | ITA 11 |
POR | ESP | JPN | AUS | NC (30位) |
0 |
(key)
世界耐久選手権/世界スポーツプロトタイプカー選手権/スポーツカー世界選手権
年 | チーム | 使用車両 | クラス | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1982年 | BASFカセッテン・チーム | ザウバー・SHS C6 | C1 | MNZ | SIL | NÜR | LMN Ret |
SPA | MUG | FSW | BRH | NC | 0 | |||
1983年 | プレストン・ヘン・Tバード・スワップ・ショップ | ポルシェ・956 | C1 | MNZ | SIL | NÜR | LMN 10 |
SPA | FSW | KYA | 95位 | 1 | ||||
1984年 | ヨースト・レーシング | C1 | MNZ | SIL | LMN Ret |
NÜR | BRH | MOS | SPA | IMO | FSW | KYA | SUN | NC | 0 | |
1985年 | ジョン・フィッツパトリック・レーシング | ポルシェ・962C | C1 | MUG | MON | SIL | LMN DNQ |
HOC | NC | 0 | ||||||
TWR ジャガー | ジャガー・XJR-6 | MOS 3 |
SPA Ret |
BRH Ret |
FSW | SHA | ||||||||||
1986年 | シルクカット・ジャガー | C1 | MNZ Ret |
SIL 7 |
LMN Ret |
NOR 17 |
BRH 4 |
JER Ret |
NÜR Ret |
SPA 5 |
FSW 15 |
21位 | 22 | |||
1987年 | コウロス・レーシング | ザウバー・C9 | C1 | JAR | JER | MNZ | SIL | LMN | NOR | BRH | NÜR | SPA 7 |
FSW | 47位 | 4 | |
1988年 | チーム・ザウバー メルセデス | C1 | JER 1 |
JAR 2 |
MNZ 2 |
SIL 2 |
LMN DNS |
BRN 1 |
BRH 3 |
NÜR 1 |
SPA 3 |
FSW 5 |
SUN 1 |
2位 | 208 | |
1989年 | C1 | SUZ 1 |
DIJ 2 |
JAR 1 |
BRH 3 |
NÜR 1 |
DON 1 |
SPA Ret |
MEX 1 |
1位 | 115 | |||||
1990年 | メルセデス・ベンツ・C11 | C1 | SUZ 1 |
MNZ 1 |
SIL Ret |
SPA 8 |
DIJ 1 |
NÜR 1 |
DON 1 |
MTL 1 |
MEX DSQ |
1位 | 49.5 | |||
1991年 | C2 | SUZ 2 |
MNZ 3 |
SIL 4 |
LMN Ret |
7位 | 45 | |||||||||
メルセデス・ベンツ・C291 | C1 | NÜR Ret |
MAG Ret |
MEX Ret |
AUT 5 |
世界ツーリングカー選手権
年 | チーム | 使用車両 | クラス | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1987年 | アルファ・コルセ | アルファロメオ・75 | Div.2 | MNZ | JAR | DIJ 6 |
NÜR 7 |
SPA 3 |
BRN | SIL | MPC | CAL | WEL | FSW | 27位 | 54 |
(key)
ル・マン24時間レース
年 | チーム | コ・ドライバー | 使用車両 | クラス | 周回 | 総合順位 | クラス順位 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1981年 | ![]() |
![]() ![]() |
ロンドー・M379 | GTP 3.0 |
340 | 2位 | 1位 |
1982年 | ![]() |
![]() ![]() |
ザウバー・SHS C6-フォード | C | 76 | DNF | DNF |
1983年 | ![]() |
![]() ![]() |
ポルシェ・956 | C | 327 | 10位 | 10位 |
1984年 | ![]() |
![]() ![]() |
C1 | 170 | DNF | DNF | |
1985年 | ![]() |
![]() ![]() |
ポルシェ・962C | C1 | 0 | DNQ | DNQ |
1986年 | ![]() ![]() |
![]() ![]() |
ジャガー・XJR-6 | C1 | 239 | DNF | DNF |
1989年 | ![]() |
![]() ![]() |
ザウバー・C9-メルセデス | C1 | 378 | 5位 | 5位 |
1991年 | ![]() ![]() |
メルセデス・ベンツ・C11 | C2 | 319 | DNF | DNF |
エピソード
- F1でのキャリアは、1983年フランスGPにRAMからスポットで出走、予選落ちした後、1988年イタリアGPにナイジェル・マンセルの代役としてウィリアムズ・ジャッドで初めて決勝に参戦。トップを走るマクラーレン・ホンダのアイルトン・セナとラスト2周のところで接触し、セナはリタイア(10位完走扱い)、自身は2LAP遅れの11位となる。このアクシデントは結果としてマクラーレン・ホンダのシーズン全勝を阻み、またエンツォ・フェラーリの死を悼むイタリア国民が見守る中での劇的なフェラーリ逆転優勝を演出することになった。
- 2001年のダカール・ラリーでは、三菱自動車のワークス・チームであるラリーアートより参戦し総合首位を走っていた増岡浩の動揺を誘う目的で、最終日直前のステージで本来のスタート順を無視して増岡より先にスタートしたほか、走行中にも増岡を執拗に妨害した。このため、結果として増岡は大きくペースダウン。これに主催者側の計時ミス等も加わったため、増岡は総合2位でゴール、初優勝を逃す結果となった。なおこの時優勝したのは、シュレッサーの同郷である女性ドライバーのユタ・クラインシュミットであった。
- 2002年のクロスカントリーラリー・ワールドカップでは、坂の上りでスタックして作業中であった増岡浩のマシンのリアに衝突。再スタートをする再、コ・ドライバーのアンドレアス・シュルツの両足を轢いた。幸い、主催者のヘリで駆けつけた医師が応急手当をして事なきを得た。シュレッサーは「砂丘の陰で見えなかった」、増岡は「シュレッサーは下を向いて止まっていたので、シュルツが見えていたはずだよ」と述べている[2]。
脚注
- ^ 三菱自動車モータースポーツ
- ^ シュレッサー、またも暴挙 トーチュウF1エクスプレス 2002年6月8日
その他
フランス映画『TAXi』シリーズでスタントドライバーとして制作に携わっている(『TAXi3』まで)。また、『TAXi2』では冒頭でプジョー・306MAXI(WRCF2キットカー)をドライブするシーンが見られる。