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*{{Cite book | last = Lang | first = Mike | title = Grand Prix! Vol 2 | publisher = Haynes Publishing Group | year = 1982 | pages = 72–73 | isbn = 0-85429-321-3}} |
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* {{Cite book|和書|author=林信次|title=F1全史 1966-1970 [3リッターF1の開幕/ホンダ挑戦期の終わり]|date=1995|publisher=[[ニューズ出版]]|isbn=4-938495-06-6|ref=harv}} |
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* {{Cite book|和書|author=中村良夫|authorlink=中村良夫 (技術者)|title=F-1グランプリ ホンダF-1と共に 1963-1968 (愛蔵版)|date=1998|publisher=三樹書房|isbn=4-89522-233-0|ref=harv}} |
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* {{Cite book|和書|author=アラン・ヘンリー |title=チーム・フェラーリの全て |others= 早川麻百合+島江政弘(訳)|publisher=[[ソニー・マガジンズ|CBS・ソニー出版]] |date=1989-12 |isbn=4-7897-0491-2 |ref=harv}} |
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2023年2月8日 (水) 06:25時点における最新版
レース詳細 | |||
---|---|---|---|
1968年F1世界選手権全12戦の第7戦 | |||
ブランズ・ハッチ (1960-1975) | |||
日程 | 1968年7月20日 | ||
正式名称 | XXI RAC British Grand Prix | ||
開催地 |
ブランズ・ハッチ イギリス( イングランド) ケント州 | ||
コース | 恒久的レース施設 | ||
コース長 | 4.265 km (2.650 mi) | ||
レース距離 | 80周 341.200 km (212.012 mi) | ||
決勝日天候 | 晴(ドライ) | ||
ポールポジション | |||
ドライバー | ロータス-フォード | ||
タイム | 1:28.9 | ||
ファステストラップ | |||
ドライバー | ジョー・シフェール | ロータス-フォード | |
タイム | 1:29.7 (42周目) | ||
決勝順位 | |||
優勝 | ロータス-フォード | ||
2位 | フェラーリ | ||
3位 | フェラーリ |
1968年イギリスグランプリ (1968 British Grand Prix) は、1968年のF1世界選手権第7戦として、1968年7月20日にブランズ・ハッチで開催された。
80周で行われたレースはジョー・シフェールが勝ち、自身及びスイス人ドライバーにおけるF1初勝利を挙げた。シフェールの勝利により、プライベーターのロブ・ウォーカー・レーシングチームは通算9勝目でかつ最後の勝利を挙げた。
背景
[編集]この年は4月にジム・クラークがF2で、5月にマイク・スペンスがインディ500の練習走行で、6月にルドビコ・スカルフィオッティがヒルクライムで事故死したのに続き、前戦フランスグランプリでジョー・シュレッサーも事故で亡くなり、4ヶ月続けて現役F1ドライバーが命を落とした[1]。イギリスのファンはクラークとスペンスの2人を失ったが、グラハム・ヒルがドライバーズランキング首位で本レースを迎え、参加した20台のうちヒルを含む7人のイギリス人ドライバーを応援した[2]。
各チームとも可能な限り多くのダウンフォースを得るため、マシンに巨大なリアウイングが装着された[2][3]。ホンダも本レースからRA301にウイングを装着した[4]。
エントリー
[編集]クーパーは、地元イギリス出身のロビン・ウィドウズをスポット起用し[2]、レギュラーのルシアン・ビアンキがアルファロメオのスポーツカーレース用V8エンジンを搭載したT86Cを試走させた[5]。エンジンの問題により欠場が続いたイーグルがサーキットに戻ってきた[2]。
エントリーリスト
[編集]- 追記
予選
[編集]ヒルがチームメイトの2番手ジャッキー・オリバーに0.5秒差を付けてポールポジションを獲得し、ロータス勢は3番手のクリス・エイモン(フェラーリ)とともにフロントローを占めた[注 1]。ジョー・シフェール(ロブ・ウォーカーのロータス)はヨッヘン・リント(ブラバム)とともに2列目を、3列目はダン・ガーニー(イーグル)、ジャッキー・スチュワート(マトラ・インターナショナル)、ジャック・ブラバム(ブラバム)が占めた[2]。
結果
[編集]順位 | No. | ドライバー | コンストラクター | タイム | 差 | グリッド |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 8 | グラハム・ヒル | ロータス-フォード | 1:28.9 | - | 1 |
2 | 9 | ジャッキー・オリバー | ロータス-フォード | 1:29.4 | +0.5 | 2 |
3 | 5 | クリス・エイモン | フェラーリ | 1:29.5 | +0.6 | 3 |
4 | 22 | ジョー・シフェール | ロータス-フォード | 1:29.7 | +0.8 | 4 |
5 | 4 | ヨッヘン・リント | ブラバム-レプコ | 1:29.9 | +1.0 | 5 |
6 | 24 | ダン・ガーニー | イーグル-ウェスレイク | 1:30.0 | +1.1 | 6 |
7 | 14 | ジャッキー・スチュワート | マトラ-フォード | 1:30.0 | +1.1 | 7 |
8 | 3 | ジャック・ブラバム | ブラバム-レプコ | 1:30.2 | +1.3 | 8 |
9 | 7 | ジョン・サーティース | ホンダ | 1:30.3 | +1.4 | 9 |
10 | 2 | ブルース・マクラーレン | マクラーレン-フォード | 1:30.4 | +1.5 | 10 |
11 | 1 | デニス・ハルム | マクラーレン-フォード | 1:30.4 | +1.5 | 11 |
12 | 6 | ジャッキー・イクス | フェラーリ | 1:31.0 | +2.1 | 12 |
13 | 10 | ペドロ・ロドリゲス | BRM | 1:31.6 | +2.7 | 13 |
14 | 18 | ジャン=ピエール・ベルトワーズ | マトラ | 1:31.6 | +2.7 | 14 |
15 | 11 | リチャード・アトウッド | BRM | 1:31.7 | +2.8 | 15 |
16 | 20 | ピアス・カレッジ | BRM | 1:32.3 | +3.4 | 16 |
17 | 15 | ビック・エルフォード | クーパー-BRM | 1:33.0 | +4.1 | 17 |
18 | 16 | ロビン・ウィドウズ | クーパー-BRM | 1:34.0 | +5.1 | 18 |
19 | 19 | シルビオ・モーザー | ブラバム-レプコ | 1:35.4 | +6.5 | 19 |
20 | 23 | ヨアキム・ボニエ | マクラーレン-BRM | 1:36.8 | +7.9 | 20 |
決勝
[編集]3戦連続でスタート時に小雨が降り、オリバーがヒルとシフェールをリードした。先頭を走るロータスは煙に巻かれ、4周目にオリバーはヒルに抜かれた。煙の道ができていたにもかかわらず、オリバーは2位にとどまった。しかし、27周目にヒルがリアサスペンションの故障でリタイアしたため、オリバーが首位に戻った。その後方でシフェールはエイモンと2位争いを繰り広げたが、オリバーからは徐々に離されていった[2]。
イギリス人のオリバーが首位を快走して地元ファンを喜ばせたが[1]、44周目にトランスミッションが壊れてマシンを止めるとシフェールが首位に立ち[2]、プライベーターのロブ・ウォーカーが1961年ドイツグランプリのスターリング・モス以来7年ぶりの勝利を手にした[1]。フェラーリのエイモンはレース終盤にタイヤの摩耗で優勝を逃し2位、1周遅れでチームメイトのイクスが3位となった。エイモンは「もしもマシンの後尾にもっと大きなウイングを付けていたら、フェラーリは勝てたに違いない」と語っている[10]。その一方でジョン・サーティースのホンダ・RA301がレース途中でウイングの支柱にヒビが入り、34周目にウイングを吹き飛ばしてしまうアクシデントもあり(サーティースはその後、オーバーステアと格闘することになったが5位に入賞)[11]、ウイングの巨大化は安全性に疑問を投げかけることになった[12]。
結果
[編集]順位 | No. | ドライバー | コンストラクター | 周回数 | タイム/リタイア原因 | グリッド | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 22 | ジョー・シフェール | ロータス-フォード | 80 | 2:01:20.3 | 4 | 9 |
2 | 5 | クリス・エイモン | フェラーリ | 80 | +4.4 | 3 | 6 |
3 | 6 | ジャッキー・イクス | フェラーリ | 79 | +1 Lap | 12 | 4 |
4 | 1 | デニス・ハルム | マクラーレン-フォード | 79 | +1 Lap | 11 | 3 |
5 | 7 | ジョン・サーティース | ホンダ | 78 | +2 Laps | 9 | 2 |
6 | 14 | ジャッキー・スチュワート | マトラ-フォード | 78 | +2 Laps | 7 | 1 |
7 | 2 | ブルース・マクラーレン | マクラーレン-フォード | 77 | +3 Laps | 10 | |
8 | 20 | ピアス・カレッジ | BRM | 72 | +8 Laps | 16 | |
Ret | 4 | ヨッヘン・リント | ブラバム-レプコ | 55 | 燃料漏れ | 5 | |
Ret | 10 | ペドロ・ロドリゲス | BRM | 52 | エンジン | 13 | |
NC | 19 | シルビオ・モーザー | ブラバム-レプコ | 52 | 規定周回数不足 | 19 | |
Ret | 9 | ジャッキー・オリバー | ロータス-フォード | 43 | トランスミッション | 2 | |
Ret | 16 | ロビン・ウィドウズ | クーパー-BRM | 34 | イグニッション | 18 | |
Ret | 8 | グラハム・ヒル | ロータス-フォード | 26 | ハーフシャフト | 1 | |
Ret | 15 | ビック・エルフォード | クーパー-BRM | 26 | エンジン | 17 | |
Ret | 18 | ジャン=ピエール・ベルトワーズ | マトラ | 11 | エンジン | 14 | |
Ret | 11 | リチャード・アトウッド | BRM | 10 | ラジエーター | 15 | |
Ret | 24 | ダン・ガーニー | イーグル-ウェスレイク | 8 | 燃料ポンプ | 6 | |
Ret | 23 | ヨアキム・ボニエ | マクラーレン-BRM | 6 | エンジン | 20 | |
Ret | 3 | ジャック・ブラバム | ブラバム-レプコ | 0 | エンジン | 8 | |
ソース:[13]
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- ジョー・シフェール - 1:29.7(42周目)
- ラップリーダー[15]
- ジャッキー・オリバー - 20周 (Lap 1-3, 27-43)
- グラハム・ヒル - 23周 (Lap 4-26)
- ジョー・シフェール - 37周 (Lap 44-80)
- 節目となった記録
第7戦終了時点のランキング
[編集]
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- 注: トップ5のみ表示。前半6戦のうちベスト5戦及び後半6戦のうちベスト5戦がカウントされる。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c (林信次 1995, p. 61)
- ^ a b c d e f g “British GP, 1968”. grandprix.com. 2019年9月18日閲覧。
- ^ (林信次 1995, p. 56-58)
- ^ (中村良夫 1998, p. 258)
- ^ (林信次 1995, p. 71)
- ^ “Britain 1968 - Race entrants”. STATS F1. 2019年9月18日閲覧。
- ^ a b “Britain 1968 - Result”. STATS F1. 2019年9月18日閲覧。
- ^ “Britain 1968 - Qualifications”. STATS F1. 2019年9月18日閲覧。
- ^ “Britain 1968 - Starting grid”. STATS F1. 2019年9月18日閲覧。
- ^ (アラン・ヘンリー 1989, p. 241)
- ^ (中村良夫 1998, p. 259)
- ^ (林信次 1995, p. 58)
- ^ “1968 British Grand Prix”. formula1.com. 18 January 2015時点のオリジナルよりアーカイブ。26 September 2015閲覧。
- ^ “Britain 1968 - Best laps”. STATS F1. 2019年9月18日閲覧。
- ^ “Britain 1968 - Laps led”. STATS F1. 2019年9月18日閲覧。
- ^ a b “Britain 1968 - Championship”. STATS F1. 13 March 2019閲覧。
参照文献
[編集]- Wikipedia英語版 - en:1968 British Grand Prix(2019年3月13日 22:42:20(UTC))
- Lang, Mike (1982). Grand Prix! Vol 2. Haynes Publishing Group. pp. 72–73. ISBN 0-85429-321-3
- 林信次『F1全史 1966-1970 [3リッターF1の開幕/ホンダ挑戦期の終わり]』ニューズ出版、1995年。ISBN 4-938495-06-6。
- 中村良夫『F-1グランプリ ホンダF-1と共に 1963-1968 (愛蔵版)』三樹書房、1998年。ISBN 4-89522-233-0。
- アラン・ヘンリー『チーム・フェラーリの全て』早川麻百合+島江政弘(訳)、CBS・ソニー出版、1989年12月。ISBN 4-7897-0491-2。
外部リンク
[編集]前戦 1968年フランスグランプリ |
FIA F1世界選手権 1968年シーズン |
次戦 1968年ドイツグランプリ |
前回開催 1967年イギリスグランプリ |
イギリスグランプリ | 次回開催 1969年イギリスグランプリ |