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名鉄モ780形電車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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名鉄モ780形電車(めいてつモ780がたでんしゃ)とは、1997年(平成9年)から2005年(平成17年)まで名古屋鉄道(名鉄)で使用されていた路面電車車両である。

名鉄での使用後に豊橋鉄道に譲渡された。本稿では譲渡後の状況についても記述する。

名鉄在籍時代

名鉄時代のモ780形電車

名鉄において岐阜市内線及び揖斐線近代化の一環として1997年(平成9年)から1998年(平成10年)にかけて日本車輌製造にて7両が製造された両運転台車両。これにより揖斐線専用の鉄道車両が大幅に淘汰された。

車両のスタイルは、屋根までの大きなガラスと黒いバンパーの目立つ正面が1980年(昭和55年)に製造されたモ880形電車(→福井鉄道へ移籍)に、3枚折り戸の前後扉・両開きの中扉と固定窓・扉の開閉に連動するステップの実装が1987年(昭和62年)から1988年(昭和63年)にかけて製造されたモ770形電車に準じている。これら連接車のボギー車版といった位置付けである。なお、前面窓下のステンレス飾りは省略された。

VVVFインバータ制御東洋電機製)・電気指令式ブレーキ・シングルアーム式パンタグラフなどの新鋭車の装備を多く有している。

単行運転中心の運用だったが、ラッシュ時には最大3両(岐阜市内線では2両)連結の姿を見ることもあった。

2005年(平成17年)4月1日の名鉄岐阜600V線区(岐阜市内線・揖斐線・美濃町線田神線)の廃止により、名古屋鉄道において廃車となった。

豊橋鉄道への譲渡

改装準備中、赤岩口工場にて2005年7月撮影(車庫敷地外より撮影)

豊橋鉄道東田本線へは、7両全車が名古屋鉄道より譲渡され、2005年5月頃にまずモ781 - 783が、モ800形電車1両とともに豊橋鉄道赤岩口工場に入庫した。

その後、2005年10月に残りのモ784 - 787の4両も赤岩口工場に入庫している。

営業運転開始にあたっては豊橋鉄道仕様のワンマン設備を実装・自動連結器の撤去・急カーブ対応のための床下機器位置変更などの改造が豊橋鉄道赤岩口工場にて実施され、同年8月2日より第1陣として781の運用が開始され、2006年3月までに全7両が運用についている。781は運行開始後、事故に遭い、一時期運用から外れていたが現在は既に復帰している。

なお、3つある扉のうち、進行方向向かって運転席右側の扉は締め切り扱いで、「締切」とシールが貼られているが、競輪場前電停の安全地帯新設により、赤岩口方のものは、競輪場前電停停車時のみ乗車口として使用されるようになった。

車体カラーは名鉄時代はアイボリーを基調にスカーレットとグリーンを配した塗装だったが、豊橋鉄道では置き換え対象であるモ3100形を受け継いで(一部を除く)全面広告塗装となっている。

現在の広告塗装
  • 781 - 豊橋丸栄(白ベース+紺色+細い赤帯)→浜松・東三河フェニックス(レッドベース)※がんばれフェニックス号→豊橋信用金庫
  • 782 - カスタムハウジングコーポレーション(マルーンベースのレトロを意識)
  • 783 - ヨコハマゴム(ADVAN)(ブラックベース・乗降用扉はスカーレット)
  • 784 - 日本通運(黄色+紺色)
  • 785 - 東和マンションセンター(紺色)
  • 786 - 日の丸薬局(白ベース+赤)
  • 787 - メガワールド(シルバーをベース)

主要諸元

  • 製造初年:1997年
  • 全長:14530mm
  • 全幅:2100mm
  • 全高:3765mm
  • 自重:19.1t
  • 車体構造:普通鋼製
  • 定員:64人(座席24人+補助席4人)
  • 出力・駆動方式:60.0kW×2、VVVFインバータ制御方式
  • 起動加速度:2.8km/h/s

関連項目

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