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三河鉄道キ50形気動車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
三河鉄道キ50形気動車
名鉄キハ200形気動車
名鉄サ2290形電車・ク2290形電車
キ50形51
基本情報
運用者 三河鉄道名古屋鉄道
製造所 日本車輌製造
製造年 1936年昭和11年)
製造数 2両
主要諸元
軌間 1,067 mm(狭軌
車両定員 62人(座席32人)
車両重量 15.64 t
全長 11,974 mm
全幅 2,720 mm
全高 3,680 mm
車体 半鋼
台車 日本車輌 BB-75
機関 ウォーケシャ 6SRL
機関出力 85 kW
搭載数 1基 / 両
制動装置 日本車輌製 直通空気ブレーキ
備考 1944年の諸元表より[1]
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三河鉄道キ50形気動車(みかわてつどうキ50がたきどうしゃ)は、三河鉄道が新製したガソリンカー。後年三河鉄道が名古屋鉄道(名鉄)へ吸収合併されたことに伴いキハ200形と改称・改番され、後年に電車化(付随車化)改造を受けサ2290形と再改称・改番、さらに制御車化に伴いク2290形となった。

後に北恵那鉄道に譲渡されク80形(81・82)に改称。北恵那鉄道線廃止まで運用された。

構造

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1936年昭和11年)に三河鳥羽駅 - 蒲郡駅が非電化で開業した際に、キ50形として2両(51・52)が日本車輌製造で新製された。車体は全長12mの2扉車。座席はセミクロスシートを採用する。機関はアメリカ、ウォーケシャ社製6SRL[2]ガソリンエンジンを搭載する。台車のうち片側は偏心台車(BB-75)を使用し、電車化(制御車化)された後も変更されなかった。

沿革

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代用燃料装置が取り付けられたキハ200形201
  • 1936年(昭和11年)7月、キ50形(51・52)の2両が新製される。
  • 1941年(昭和16年)に三河鉄道が名古屋鉄道に吸収合併された際、キハ200形(201・202)と改称・改番された。三河線蒲郡線西尾線で運用される。太平洋戦争によりガソリンが不足すると代用燃料装置を取り付けて運用される。
  • 1947年(昭和22年)にエンジンを取り外し付随車化され、サ2290形(2291・2292)に改称。
  • 1953年(昭和28年)に制御車に改造。ク2290形(2291・2292)に改称。このさい片運転台となる。
  • 1963年(昭和38年)5月、モ350形353とともに北恵那鉄道に譲渡され、ク80形(81・82)に改称する。後に座席はセミクロスシートからロングシートに変更。81は貫通扉を新設している。
  • 1978年(昭和53年)9月18日、北恵那鉄道線廃止とともに廃車される。

脚注

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  1. ^ 清水武、田中義人『名古屋鉄道車両史 上巻』アルファベータブックス、2019年、167頁。ISBN 978-4865988475 
  2. ^ 6気筒6.9l、78HP/1,500rpm、97HP/2,000rpm、最大102HP/2,400rpm。

参考文献

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