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株式会社島屋
Takashimaya Company, Limited
大阪店南海ビルディング
種類 株式会社 (日本)
市場情報
東証1部 8233
1949年5月16日上場
大証1部(廃止) 8233
1949年5月14日 - 2013年7月12日
略称 タカシマヤ、Takashimaya
本社所在地 日本の旗 日本
542-8510
大阪府大阪市中央区難波五丁目1番5号
設立 1919年大正8年)8月20日
(株式会社高島屋呉服店)
業種 小売業
事業内容 百貨店業、建装事業、不動産業、
金融リース業 他
代表者 木本茂(代表取締役社長
資本金 560億2512万5471円
2013年2月28日現在)
発行済株式総数 3億3082万7625株
(2013年2月28日現在)
売上高 連結:8,703億円
単独:6,802億円
(2013年2月期)
純利益 連結:165億円
単独:51億円
(2013年2月期)
純資産 連結:3,354億円
単独:2,469億円
(2013年2月28日現在)
総資産 連結:7,906億円
単独:6,299億円
(2013年2月28日現在)
従業員数 連結:7,830名
単独:5,173名
(2013年2月28日現在)
決算期 2月末日
会計監査人 有限責任あずさ監査法人
主要株主 日本トラスティ・サービス信託銀行(株)(信託口)(10.44%)
H2Oリテイリング(株)(9.31%)
日本マスタートラスト信託銀行(株)(信託口)(6.09%)
日本生命保険相互会社(2.79%)
髙島屋共栄会(1.94%)
相鉄ホールディングス(株)(1.35%)
(2015年2月28日現在)
主要子会社 高島屋スペースクリエイツ株式会社(100%)
東神開発株式会社(100%)
高島屋クレジット株式会社(67%)
関係する人物 初代飯田新七(創業者)
飯田慶三
飯田新一
石原一子
外部リンク www.takashimaya.co.jp[1]
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株式会社 島屋(たかしまや、: Takashimaya Company, Limited)は、大阪府大阪市中央区難波に本社を置く百貨店である。なお、大阪店は同社の登記上の本店である。日本百貨店協会に加盟しており、ハイランドグループを主宰している。ロゴなどで、「高」の字にいわゆる「はしご高()」の字体を用いている。

会社概要[編集]

1831年(天保2年)、京都飯田新七が古着・木綿商を開き、義父の飯田儀兵衛の出身地である近江国高島郡(現・高島市)から髙島屋と名付けた。1919年(大正8年)には改組し、株式会社 髙島屋呉服店として大阪・長堀橋に店を構える。1932年(昭和7年)には、現在の大阪店が入居する南海ビルディングが大阪・難波に竣工し、東洋一の規模を誇る大規模百貨店を開店する。また、翌年1933年(昭和8年)には、東京・日本橋に日本橋店を開店。

バラの花をイメージフラワーとして採用し、現在でも包装紙などに用いられている[1]

同社は、関係の深い地方百貨店と提携しているハイランドグループという百貨店共同体の中核企業である。ただし、グループ各社との間では、業務提携関係は有するものの、資本関係を持つものではない。なお、髙島屋自身は、三水会みどり会三和グループ)の会員企業だが、ハイランドグループ自体は、三和グループとは別である。

百貨店業界において、J.フロントリテイリング三越伊勢丹ホールディングスの発足といった再編が進む中、同社は、大手老舗百貨店では数少ない独立系百貨店である。2008年(平成20年)10月に、電鉄系百貨店の阪急百貨店阪神百貨店を傘下に持つエイチ・ツー・オー リテイリングとの間で資本・業務提携をした。その際、2011年(平成23年)4月を目処に経営統合まで行う予定であったが、2010年(平成22年)3月25日に、経営統合を撤回して業務提携にとどめることを正式発表した。

1959年(昭和34年)の今上天皇(明仁親王)の結婚後より放送を開始した毎日放送制作の皇室報道番組「皇室アルバム」のスポンサーを1980年代から2003年(平成15年)3月まで1社で担っていた(その後は資生堂1社提供を経て、関西ローカルのスポンサーはフジッコほかから現在は複数社提供)。

髙島屋の店是[編集]

初代飯田新七は、経営の三箇条「正札」「正道」「平等の待遇」を定め、原則である「利他の心」を加えた、髙島屋の「店是」がある。

第一義 確実なる品を廉価にて販売し、自他の利益を図るべし
第二義 正札掛値なし
第三義 商品の良否は、明らかにこれを顧客に告げ、一点の虚偽あるべからず
第四義 顧客の待遇を平等にし、いやしくも貧富貴賎に依りて差等を附すべからず

沿革[編集]

  • 1831年天保2年)1月10日 - 初代の飯田新七が、京都烏丸松原で、古着・木綿商「たかしまや」を創業。
    屋号は、飯田新七の養父・儀兵衛が、近江国高島郡(現在の滋賀県高島市)の出身であることによる。幕末には官軍に物資を調達した。
  • 1855年 - 古着商を廃止、木綿呉服商を開始。
  • 1887年明治20年) - 京都博覧会より、美術染織品を出品。貿易部を開設。
  • 1888年(明治21年) - スペイン バルセロナ万国博覧会で銀碑を受賞。
  • 1896年(明治29年) - 座売り販売から、陳列販売方式に変更。ショーウインドー設置。
  • 1898年(明治31年) - 大阪店開店(南区心斎橋筋二丁目)。
  • 1899年(明治32年) - フランス リヨン出張所開設。通信販売地方係設置。
  • 1900年(明治33年) - 東京店(現 日本橋店)開店(京橋区西紺屋町)。
  • 1902年(明治35年) - 流行案内「新衣裳」発刊。
  • 1904年(明治37年) - 島屋マークを商標登録。
  • 1909年(明治42年) - 組織を改め「島屋飯田合名会社」設立。資本金100万円。
  • 1912年(明治45年) - 京都店 烏丸高辻に新築移転。日本初の鉄筋コンクリート造り商業施設となる。
  • 1916年大正5年) - 東京店新築移転(京橋区南伝馬町)。貿易部門が高島屋飯田株式会社として独立(後の丸紅飯田[2])。
  • 1919年(大正8年)8月20日 - 組織を改め「株式会社島屋呉服店」。
  • 1922年(大正11年) - 大阪店 新築移転(南区長堀橋筋一丁目)。
  • 1930年昭和5年)12月 - 「株式会社島屋」に商号変更。
  • 1931年(昭和6年) - 「島屋均一ストア」 野田阪神、大正橋を皮切りにチェーン展開開始。年末までに26店開店。
  • 1932年(昭和7年) - 南海店 開店(南区難波新地六番町 南海電鉄難波駅 南海ビルディング)。
  • 1933年(昭和8年) - 東京店(現 日本橋店) 新築開店(日本橋区通二丁目)。
  • 1938年(昭和13年) - 均一ストアが「株式会社丸均一店」として独立。1941年には全国106店舗まで拡充。
  • 1939年(昭和14年) - 長堀店を閉店し、南海店に統合。以降 南海店を大阪店と呼称。
  • 1946年(昭和21年) - 京都四条河原町に「マーケットセンター」開設。
  • 1949年(昭和24年)5月 - 大阪証券取引所及び東京証券取引所に上場。
  • 1952年(昭和27年)9月1日 - 包装紙のデザインに「バラ」を採用。以降バラが島屋のシンボルとなる。
  • 1958年(昭和33年) - 横浜島屋開店。「ニューヨーク島屋」オープン。
  • 1959年(昭和34年) - ピエール・カルダンとライセンス契約。
  • 1960年(昭和35年)12月 - 三和銀行提携「お買い物カード」(クレジットカード)発行。[3]
  • 1963年(昭和38年)12月 - 「東神開発株式会社」を設立。
  • 1964年(昭和39年) - 米子島屋開店。堺店開店。
  • 1968年(昭和43年) - 「タカシマヤ・クレジットカード」を発行。
  • 1969年(昭和44年) - 東神開発による玉川島屋ショッピングセンター開設、横浜島屋玉川支店開店。
  • 1970年(昭和45年) - 株式会社50周年記念事業として、島屋史料館を創設(大阪店東別館3階 入場無料)。
    • 6月 - 立川島屋開店。
    • 11月 - 大宮島屋開店。
  • 1973年(昭和48年) - 「フランス島屋(ブティック・タカシマヤ)」がパリ オ・プランタン1階にオープン。
    • 5月 - 和歌山店開店。岡山島屋開店。百貨店 今治センターが島屋ハイランドグループに加盟。
    • 8月 - 株式会社島屋友の会を設立。
    • 11月 - 柏島屋開店。
  • 1974年(昭和48年)10月 - 百貨店 今治センターに資本参加(株式会社せとうち島屋に商号変更)。
    • 11月 - 泉北島屋開店。
  • 1975年(昭和50年) - 株式会社大宮柏島屋(大宮島屋・柏島屋を合併)を設立。
  • 1976年(昭和51年) - せとうち島屋を今治高島屋に商号変更。
  • 1977年(昭和52年) - POSシステム導入。岐阜島屋開店。高崎島屋開店。
  • 1978年(昭和53年) - 津田沼島屋開店。
  • 1979年(昭和54年) - 石原一子が東証一部上場企業初の女性役員に就任。
  • 1981年(昭和56年) - ダイエーと業務提携開始。
  • 1982年(昭和57年) - 洛西店開店。
  • 1983年(昭和58年)3月 - 株式会社関東島屋(立川島屋・大宮柏島屋・高崎島屋を合併)を設立。
    • 10月 - 横浜島屋港南台支店開店。
  • 1984年(昭和59年) - 今治島屋閉店。
  • 1988年(昭和63年) - 津田沼島屋閉店。
  • 1990年平成2年)9月 - 「株式会社関東島屋」(立川店・大宮店・柏店・高崎店)を吸収合併
  • 1991年(平成3年)1月10日 - 島屋創業160周年記念事業として、タカシマヤ・グループソング『We can do, Takashimaya』を制作、社員に無料配布した(社歌・8cmシングルCD・非売品であり、一般販売はしていない)。
    • 5月 - 岡山島屋津山支店開店。
  • 1993年(平成5年) - 「シンガポール島屋百貨店」オープン。
  • 1994年(平成6年) - 中華民国台北市に「大葉島屋百貨店」オープン。
  • 1995年(平成7年)9月 - 「株式会社横浜島屋」(横浜店・玉川店・港南台店)、「株式会社岐阜島屋」、「株式会社泉北島屋」、「株式会社岡山島屋」(岡山店・津山店)、「株式会社米子島屋」の5社を吸収合併。売上高は百貨店業界で日本一になる。
  • 1996年(平成8年) - 新宿店開店。
  • 1997年(平成9年) - インターネットショップ「タカシマヤ バーチャルモール」オープン。
  • 1999年(平成11年) - 津山店閉店。
  • 2000年(平成12年) - ジェイアール名古屋タカシマヤ開店。
  • 2001年(平成13年)‐ 伊予鉄百貨店(現伊予鉄高島屋)が島屋ハイランドグループに加盟。
  • 2002年(平成14年)3月‐ 「伊予鉄百貨店」と提携により「株式会社伊予鉄高島屋(いよてつ島屋)」に商号変更。
  • 2003年(平成15年)9月 - 「株式会社米子島屋」の新会社を設立し分社化。
  • 2004年(平成16年)4月 - 「株式会社高崎島屋」「株式会社岐阜島屋」「株式会社岡山島屋」の新会社を設立し分社化。
  • 2006年(平成18年)3月 - 東京店(現: 日本橋店)本館が東京都選定歴史的建造物に選定される。
  • 2007年(平成19年)3月 - タカシマヤフードメゾンおおたかの森店開店。
  • 2008年(平成20年)3月 - タカシマヤフードメゾン新横浜店開店。
  • 2009年(平成21年)
  • 2010年(平成22年)
  • 2011年(平成23年)
  • 2012年(平成24年)
  • 2014年(平成26年)
    • 8月31日 - 和歌山店閉店。
    • 12月5日 - タカシマヤフードメゾン岡山店開店。
  • 2016年(平成28年)7月30日 - ベトナムホーチミンにて「ホーチミン高島屋」開店。

直営店[編集]

大阪店:増床工事実施前のもの
大阪店:増床工事実施前のもの
京都店
京都店
日本橋店(重要文化財指定)
日本橋店(重要文化財指定)
新宿タカシマヤタイムズスクエア
新宿タカシマヤタイムズスクエア
玉川店(玉川高島屋SC)
玉川店(玉川高島屋SC)
立川店
立川店
大宮店
大宮店
横浜店
横浜店
高崎店
高崎店
米子店
米子店

19店舗(分店5店舗含む)

近畿[編集]

髙島屋大阪店
Takashimaya Osaka
店舗概要
所在地

542-8510
大阪府大阪市中央区難波5丁目1番5号

北緯34度39分53.55秒 東経135度30分3.44秒 / 北緯34.6648750度 東経135.5009556度 / 34.6648750; 135.5009556
正式名称 髙島屋大阪店
建物名称 南海ビルディング
施設所有者 南海電気鉄道
施設管理者 株式会社高島屋
商業施設面積 78,000m2 m²
前身 高島屋大阪南海店(開業時から大阪長堀店閉店まで)
外部リンク http://www.takashimaya.co.jp/sp/osaka/
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  • 大阪店
    大阪市中央区難波5-1-5 南海ビルディング[6]
    南海電気鉄道難波駅併設[7]
    登記上の本店だが、島屋では本支店の呼称は用いていない。
    1898年6月1日、心斎橋筋・三ツ寺筋交差点北東角に開業。呉服店として初めてショーウインドーにマネキン人形を置いた。
    1922年9月20日、長堀橋筋(堺筋)・鰻谷南通交差点南東角に移転。岡田信一郎氏設計、竹中工務店施工。鉄筋コンクリート地下1階、地上7階建て、約10,000m2。換気・暖房装置、エレベーター(客用4基、店用4基)設置。後のアルテビル長堀橋 2007年解体済。
    1932年7月15日、南海店開店。南海難波駅大ビルディング(現在地)。久野節建築事務所設計、大林組施工 コリント様式近代名建築。地下2階、地上7階建て 約33,000m2。日本初の冷暖房を装備した百貨店となった。開業当初は「南海タカシマヤ」と呼称。長堀への出店から僅か10年であったが、大阪市営地下鉄御堂筋線建設に伴いメインストリートが堺筋から御堂筋にシフトすることを見越し 新店移転を決断をしたもの。
    1938年、呉服店系百貨店としては異例の食堂を開設。東洋一の大食堂となる。
    1939年2月1日、長堀店を閉店し、南海店に統合。以降、南海店を大阪店と呼称。
    1966年、浪速区日本橋にあった松坂屋大阪店が天満橋へ移転したのに伴い、同ビルを入手。東別館として使用することになった。外観や階段などは1934年建設当時のままである。館内に「髙島屋史料館」を併設。
    2011年3月、全館リニューアル。既存の本館と増床分を合わせて売場面積78,000m2の規模となり、近畿地区最大級の百貨店へと変貌することとなった。
    大阪店は、堺店(和歌山店)を統括する、母体店で、
    大阪店の売上・入店客数は、
    堺店(和歌山店)を含めた数値が、計上・発表される。
    外商部出張所が、河内長野市と、岸和田市にある。
  • 堺店(大阪店堺販売部)
    堺市堺区三国ヶ丘御幸通59 南海堺東ビル
    南海高野線堺東駅に併設。
    売場面積17,692m2。大阪店の支店として1964年10月4日開店。
    元々、SCとし、開業。
    「堺ひがしUP’ル」が、あったが、
    現在は、B1の飲食店街だけが、「UP’ル」の名称が、存在する。
    元々は、堺店と、単独店舗として、独立していたが、
    現在は、大阪店の堺出張所。
    店内の裏方、事務、人事、外商は、大阪店管轄である。
    堺店の売上は、大阪店に、含まれる。
  • 京都店
    京都市下京区四条通河原町西入真町52
    阪急京都線河原町駅地下直結。
    ビルの一部を阪急阪神東宝グループが所有。売場面積61,316m2
    1831年、京都烏丸松原に創業。
    1912年6月1日、烏丸高辻(現京都銀行本店)に新築移転。日本初の鉄筋コンクリート造り商業施設となる。耐火耐震の設備を施し、貿易店や美術織物の陳列場をあわせもつ総合的店舗だった。
    1948年10月1日、現在地に移転[9]。正面玄関左横の土地の一部が買収できなかったため、建物の外観は凹んだ歪な形をしている。
    レストラン街「ダイニングガーデン 京回廊」は、空間全体を日本庭園に見立た回遊式で「水の庭」「石の庭」「光の庭」がある。
    京都店の売上・入店客数は、洛西店を含めた数値が計上・発表される。

関東[編集]

  • 日本橋店
    東京都中央区日本橋二丁目4番1号
    東京メトロ 日本橋駅 B1出口
    売場面積50,481m2
    1890年、「たかしまや東京出張所」設置。
    1900年11月23日、「京都島屋飯田新七東京店」京橋区西紺屋町に開店。
    1916年12月1日、京橋区南伝馬町の大通り沿いに 木造3階建て店舗新築、移転。
    1923年9月1日、関東大震災により全焼。一か月後、千代田生命ビル仮店舗で営業再開。
    1927年9月15日、東京店(南伝馬町)再建。
    1933年3月20日、現在地(東京市日本橋区通二丁目)へ移転。日本生命所有のビルで、高橋貞太郎が設計、大林組施工。鉄筋コンクリート造りで、地下2階、地上8階建て 約27,500m2。1階ホールの柱は、イタリアから取り寄せたアンモナイト化石が埋め込まれている大理石張り、天井には豪華なシャンデリアを3本吊るすなど贅沢なもの。
    1950年、屋上にタイ王国から買い受けたアジアゾウの子象「高子ちゃん」が登場。公開初日には約17万人が押し寄せた。高子ちゃんは4年後上野動物園へ移動した。
    2006年平成18年)「東京都選定歴史的建造物」に選定。
    2009年(平成21年)には、本館が重要文化財百貨店として初めて指定された[10][11]
    2012年9月1日、店舗の正式名称を東京店から「日本橋店」に改称・統一。
    「上質生活百華店」を目指す島屋の象徴店舗(フラッグシップストア)として位置づけられ、皇族VIPの利用も多く同社を代表する店舗である。一時は増床のために本館の建て替え計画が検討されていたが、前述の通り重要文化財となったため、代わって2014年より新館を建て替えて、本館に設定されている空中権を活かして約62,000m2に増床し、2018年度中に開業させる計画が明らかになった[12]
  • 新宿店
    渋谷区千駄ヶ谷五丁目24番2号 タイムズスクエアビル
    新宿駅新南口
    売場面積53,946m2
    1996年10月4日開店。国鉄清算事業団が貨物操車場跡地を再開発したビルで 2006年まで、レールシティ東開発との賃貸契約[13]で年間120億円を支払っていたために大幅な赤字を出していた。契約期間満了に際して一部を自社物件化したため、負担は減少した。テコ入れを図るため、100億円を投資し、2007年(平成19年)春に全面改装を行った。
    店舗はJR新宿駅新南口と直結しているものの、京王線・小田急線の改札口からは幾分離れている。2008年(平成20年)に東京メトロ副都心線新宿三丁目駅が店舗寄りの明治通り直下に開業することに伴い、地下連絡通路が設けられた。
    2005年からは、タイムズスクエア専門店の運営は東神開発となった。
  • 玉川店
    世田谷区玉川三丁目17番1号 玉川島屋S.C
    東急二子玉川駅西口
    売場面積24,012m2
    1969年11月1日、「株式会社横浜島屋」の支店として開店。日本初の「本格的米国型のショッピングセンター」として成功した事例である。デベロッパーは東神開発。
    1995年 吸収合併。横浜店から独立。
  • 立川店
    立川市曙町二丁目39-3 ファーレ立川 立川TMビル
    多摩都市モノレール立川北駅
    売場面積25,160m2
    1960年12月24日、後の立川島屋となる(株)東京ストアを設立。
    1961年、立川ビルディング「銀座デパート」に「島屋 東京ストアー」が入居。
    1970年1月13日、(株)東京ストアを「株式会社立川島屋」と改称して設立。
    1970年6月5日、百貨店として開店(立川駅北口 みずほ銀行立川支店の東側)。
    1983年3月、大宮柏・高崎(旧社)と合併し「株式会社関東島屋」を設立。
    1990年、吸収合併。
    1995年3月1日、立川駅北口、在日米軍基地跡地再開発事業により現在地に移転。伊勢丹立川店が立川駅寄りの旧店舗付近に拡張移転してきたため、売上は地区2位に転落した。
  • 横浜店
    横浜市西区南幸一丁目6番31号 相鉄ジョイナス
    売場面積53,950m2
    1952年、相模鉄道が米国スタンダード・オイル社から西口用地24,688m²を買収。
    1956年4月2日、横浜駅西口名店街(現.ジョイナス、平屋アーケード街)と島屋ストアが開店。
    当初、相鉄では 直営百貨店の建設や三越の誘致が検討されていた。しかし名店街も島屋ストアも非常に成功したため、2社の合弁で「株式会社横浜島屋」を1957年4月12日に設立し、本格的百貨店を建設することになった。
    1958年4月16日、横浜島屋として仮店舗で開店。
    1959年10月1日、本設店舗開店。
    1995年 吸収合併。合併後も相鉄ホールディングス島屋主要株主の一つとして名を連ねている。
    島屋の多店舗化は同店の好調に刺激される形で始められた。現在も売上高などで事実上の基幹店舗。一時は売り場面積でデパートとして国内最大になったこともある。
    横浜店の売上・入店客数は、港南台店、タカシマヤフードメゾン新横浜店、タカシマヤスタイルメゾン海老名店を含めた数値が計上・発表される。
    2008年2月期に全面改装が行われた。投資額は約150億円。
  • 港南台店
    横浜市港南区港南台三丁目1番3号 港南台バーズ
    高島屋グループとして初めてテナントとしてニトリが入居している。
    JR根岸線港南台駅
    売場面積17,475m2
    1983年10月1日 「株式会社横浜島屋」の支店として開業。ビルのオーナーは相鉄ビルマネジメント相鉄ローゼンも入居している。相鉄沿線ではない町に作られた「オール相鉄グループ」のショッピングセンター。
    1995年 吸収合併。
  • タカシマヤフードメゾン新横浜店
    横浜市港北区新横浜二丁目100番地45 キュービックプラザ新横浜3-4F
    売場面積2,500m2
    2008年3月26日開店。キュービックプラザはJR東海が開発した複合駅ビル
    横浜店の分店で食料品販売を主体とする店舗。
  • タカシマヤスタイルメゾン海老名店
    海老名市扇町13番地1 ららぽーと海老名2F
    売場面積725m2
    2015年10月29日に、ららぽーと海老名開業と同時に開店。
    横浜店の分店で婦人服・婦人雑貨・化粧品販売を主体とする店舗。
  • 大宮店
    さいたま市大宮区大門町一丁目32番地
    大宮駅東口駅前
    売場面積17,300m2
    1968年7月13日、「株式会社大宮島屋」を設立。
    1970年11月2日開店。
    1975年3月、柏と合併し「株式会社大宮柏島屋」を設立。
    1983年3月、立川・高崎(旧社)と合併し「株式会社関東島屋」を設立。
    1990年、吸収合併。
    2013年4月24日に近隣の旧・大宮ロフトが閉店したため、5月8日より地下2階にABCクッキングスタジオが、6月21日より7階にジュンク堂書店が、8月1日より8階にクラフトワールドが、大宮ロフトの移転先のそごう大宮店より移転入居した。また、三井住友信託銀行大宮駅前支店が2014年5月26日より、また大宮支店が店舗内同居方式店舗として2015年1月19日より移転入居した。
  • 柏店
    千葉県柏市末広町3-16 島屋ステーションモール本館
    柏駅西口
    1971年7月17日、東武鉄道との提携により「株式会社柏島屋」を設立。
    1973年11月2日開店。
    1975年3月、大宮と合併し「株式会社大宮柏島屋」を設立。
    1979年、専門店ビル「柏ローズタウン」(運営:京葉興業株式会社)開業(現.S館専門店・S館島屋)。
    1983年、京葉興業を 東神開発株式会社が吸収合併。
    1983年3月、立川・高崎(旧社)と合併し「株式会社関東島屋」を設立。
    1990年、吸収合併。
    1992年4月23日、柏ローズタウンを増築し「柏島屋ステーションモール」と改称オープン。
    2008年10月1日、新館がオープン。
    柏店の売上・入店客数は、タカシマヤフードメゾンおおたかの森店を含めた数値が計上・発表される。
    売場面積:島屋単独としては本館18,860m2+S館島屋[14]8,650m2の合計で27,510m2、ステーションモール全体(S館専門店(含東急ハンズ柏店)16,300m2、新館7,000m2を含めた4館)で50,810m2

連結子会社の百貨店[編集]

  • 株式会社高崎島屋(高崎店)
    群馬県高崎市旭町45 高崎駅前ビル
    JR東日本・上信電鉄高崎駅西口。
    地上6階・地下3階建てで、売場面積19,346m2
    1972年11月10日、「株式会社高崎島屋」(旧社)を設立。
    1977年10月1日開店。
    1983年3月、立川・大宮柏と合併し「株式会社関東島屋」を設立。
    1990年 吸収合併。2004年 再分社化。
  • 株式会社岐阜島屋(岐阜店)
    岐阜市日ノ出町2-25 平和ビル
    金華橋通柳ヶ瀬 柳バス「島屋前」下車。
    売場面積23,924m2
    1974年8月28日、「株式会社ヤナゲン島屋」を設立。
    1976年10月8日、 「株式会社岐阜島屋」(旧社)と改称。
    1977年9月23日開店。
    1995年 吸収合併。2004年 再分社化。
    当初、大垣市ハイランドグループ加盟百貨店 ヤナゲンとの合弁で計画されたが、最終的には島屋単独で開店した。
  • 株式会社岡山島屋(岡山店)
    岡山市北区本町6-40 日本生命岡山駅前ビル
    岡山駅東口
    売場面積19,493m2
    1971年4月1日、「株式会社岡山島屋」(旧社)を設立。
    1973年5月19日、山陽新幹線岡山開業の翌年に開店。
    1995年 吸収合併。2004年 再分社化。
    中四国最大規模の地下街、岡山一番街と直結。村野藤吾設計のビル。
    開店記念オリジナルソングとして「初めまして」(歌:シモンズ)を使用。
    開店以来、強力なライバルである地元の天満屋(バスセンター併設)の後塵を拝し続けており、消費の低迷により採算が悪化。分社化され、株式の一部を両備ホールディングスが取得し、赤字を脱却。両備グループは、同店開業以来、物流とレストラン営業に携わっており[15]、ポイントカード「たまルン」が利用できる[16]。たまルンは、両備グループ傘下の和歌山電鐵の猫の駅長・たまをキャラクターとしており、島屋が地元企業との共通ポイントカードを発行するのはグループとして初。
    岡山店の売上・入店客数は、タカシマヤフードメゾン岡山店を含めた数値が計上・発表される。
  • タカシマヤフードメゾン岡山店
    岡山市北区下石井1丁目2番1号 イオンモール岡山 
    売場面積1,900m2
    2014年12月5日開店。[17]
    岡山店の分店で、西日本初の食料品販売を主体とする店舗。運営は、株式会社岡山島屋
  • 株式会社米子島屋(米子店)
    鳥取県米子市角盤町1-30 日本生命米子島屋ビル
    米子駅発着日本交通一般バス路線、日ノ丸自動車一般バス路線「島屋前」下車。
    売場面積16,407m2
    1961年5月22日、「株式会社米子島屋」(旧社)を設立。
    1964年4月1日、山陰初の百貨店として開店(啓成小学校跡)。
    1995年 吸収合併。2003年 再分社化。

グループ企業の百貨店[編集]

ジェイアール名古屋タカシマヤ
ジェイアール名古屋タカシマヤ
いよてつ髙島屋(愛媛県松山市)
いよてつ島屋(愛媛県松山市)
台北大葉高島屋
台北大葉高島屋

国内2社

  • 株式会社伊予鉄島屋 いよてつ島屋
    愛媛県松山市湊町5-1-1 伊予鉄道松山市駅ターミナルビル 売場面積39,000m2
    1969年9月1日に「伊予鉄百貨店」を設立。1971年7月5日「いよてつそごう」として開店。そごう破綻後高島屋ハイランドグループに加盟。2002年3月1日 資本提携により社名変更した。
    支店:三島店、新居浜店、西条店、今治店、大洲店、八幡浜店、宇和島店、南宇和店 [18]

海外3社

  • 上海島屋 上海高岛屋百货有限公司 Shanghai Takashimaya co.,ltd
    上海市长宁区虹桥路(虹橋路)1438号。地下鉄10号線伊犁路駅地下直結。
    2012年12月19日開店。75%出資合弁企業。
    地下1階地上7階 売り場面積は約40.000m2
  • 大葉島屋股份有限公司(台灣) Dayeh Takashimaya co.,ltd
    台北市士林區忠誠路二段55號。故宮博物院の近く、台湾の高級住宅街の天母に立地。
    1992年3月設立。羽田機械50%出資の合弁会社[19]。1994年7月9日開業。[20]
    ※羽田機械はダイハツプジョーと技術提携する自動車メーカー。
    2000年より統一超商(台湾でセブン-イレブンを展開する統一企業のグループ会社)も出資。2004年 信義地区に2号店「統一高島屋」を建設する計画があったが破談になり、統一は阪急百貨店と提携で「統一阪急百貨」を開店させた。
    2016年5月16日。高島屋は保有する大葉高島屋百貨の全株式を、大葉開発に譲渡すると発表した。これにより、大葉高島屋との資本関係はなくなるものの、新たに商標等ライセンス契約を締結し、大葉高島屋の名称は引き続き継続される(太平洋SOGOと同じ)。
  • タカシマヤ・シンガポール Takashimaya Singapore Ltd
    391 Orchard Road Singapore
    1993年10月8日開業。東南アジア一のショッピング・ストリート、オーチャード通りに面する。
  • ホーチミン島屋
    ホーチミン市1区
    2016年7月30日開業。

百貨店業以外の店舗[編集]

博多リバレインモール by TAKASHIMAYA

日本[編集]

東神開発[編集]

海外[編集]

過去に存在した店舗[編集]

  • 株式会社津田沼島屋(津田沼店)
    千葉県習志野市谷津1-16-1 習志野サンペデック(現.モリシア津田沼津田沼駅南口
    1976年3月1日設立。
    1978年10月14日開店。1988年8月28日閉店。
    習志野市の再開発計画により建設された 日本生命所有のビルに ダイエーと共に入居(2核)。
    北口には 西武津田沼ショッピングセンター(当初は西友津田沼店・津田沼パルコ)、新京成新津田沼駅イトーヨーカ堂が先行出店していたため、激しい価格競争となった。また、2駅隣の船橋駅前に西武百貨店東武百貨店があり、更に1981年にららぽーと船橋ショッピングセンターも開業したため、売上は伸び悩んだ。
    1981年には、ダイエー島屋の株式を10.7%を買占め強引に業務提携を迫ったため、両社間ばかりではなく社内もギクシャクすることになった。
    結果として、全く採算ベースに乗らない津田沼店は10年で撤退することになり、以降、島屋が総武線沿線への出店することはなかった。
  • 和歌山店(大阪店和歌山販売部)
    和歌山市東蔵前丁3-6
    南海本線和歌山市駅ビル(「南海和歌山ビルディング」)内(駅は2階)。
    売場面積4,347m2の小型店。大阪店の支店として1973年5月16日開店。2014年8月31日閉店。
    競争激化や商圏人口の減少で、10年以上赤字が続いていた[21]
    なお、この和歌山店は2代目で、初代和歌山店は1931年9月11日に大阪店の出張所として和歌山市七番丁に開店。和歌山県内で初の百貨店だった。1948年8月1日に大阪店の支店に昇格し、同年9月22日に和歌山市十番丁に移転。1952年8月30日に閉店した。
    現在、元の子会社、「高
  • 津山店
    岡山県津山市大手町5-10 対鶴ビル 中鉄バス大手町バス停1分
    4,500m2の小型店。
    1991年5月27日開店。1999年3月31日閉店。
    岡山島屋の支店として地元資本「大手町デパート」の譲渡を受けて出店したが、郊外にジャスコ津山店が出店した影響で受け売上が伸びず、不採算店リストに載ったほか、アルネ津山天満屋が開店するため撤退した。
  • 株式会社今治島屋(今治店)
    愛媛県今治市大正町1-1-2 瀬戸内運輸バス 今治バスセンター併設。
    前身は「百貨店 今治センター」(ハイランドグループ加盟)。1974年10月9日、資本提携により「せとうち島屋」(店舗名は変更せず)、1976年10月22日、「今治島屋」に社名を変更し、12月1日、島屋に店舗名を変更してテコ入れを行ったが、業績が向上しなかったため1984年6月17日に閉店した。
  • ニューヨーク島屋 Takashimaya New York LLC
    693 Fifth Avenue,New York,N.Y10022, U.S.A
    1993年4月23日開店。2010年6月5日閉店。
    「タカシマヤ・フィフスアベニュー」(100%出資子会社)が「フィフスビル」を所有し、「ニューヨーク島屋」はその子会社でテナントとして入居・営業していた。5番街の54・55丁目間で 地下1階・地上6階、売場面積1705m2。撤退に伴い建物は売却され、両社とも清算された。
  • パリ島屋 Paris, Takashiyama (France) S.A.
    Printemps, 64 Boulevard Haussmann, 75009 Paris, FRANCE
    1973年パリ9区オースマン大通り「オ・プランタン」本店内に入居。日本人スタッフが免税手続きをすることで人気があった。2011年8月営業終了。現在、プランタンでは自社スタッフが直接日本人向けのサービスを行っている。

中型・小型店舗

  • 水戸店(茨城県水戸市) - JR水戸駅北口に高島屋ローズランドとして営業していた。跡地は、サントピアネクストを経て、中村ビルになった。
  • 桐生店(群馬県桐生市本町4丁目)- 現在の美喜仁ビル。1932年(昭和7年)4月高島屋十銭ストア(均一店)として桐生市本町4丁目に出店。1952年(昭和27年)10月(株)丸高<のちの(株)高島屋ストア>が経営を引継ぎ再出発。1967年(昭和42年)11月、桐生出店35周年を期して、店舗を大幅増築、新装オープン。1982年(昭和57年)撤退。1階に入店していた鮮魚店「美喜仁」が買い受け、寿司和食「美喜仁 本店」となり、現在にいたる。
  • 足利店(栃木県足利市通2丁目) - 現在のいぶきビル。地下1階地上4階建て。客用エレベーター1基、昇りエスカレーター設置。
  • 所沢店(埼玉県所沢市) - 1970年(昭和45年)7月開業。その後閉店し、1981年(昭和56年)1月にシズオカヤが入店するも、後に店舗ごと取り壊され、現在ではパチンコ屋になっている。
  • 岸和田店(大阪府岸和田市)- 岸和田市堺町に戦前に出店。

出店を断念した店舗[編集]

  • 新宿店(国鉄新宿駅東口ビル) - 新宿ターミナルビル(現在のルミネエスト新宿)への出店を計画したが、西武グループ等の競合他社の反撃で、4社共同出資の専門店ビルになり、計画は白紙に戻った。
  • 上野店(東京都台東区) - バブル期に、JR上野駅に建設が計画されていた駅ビルに出店構想があったが、バブル崩壊や東北・上越新幹線の東京駅延伸による乗降客の減少による地元の反対などから、駅ビルの建設計画自体が立ち消えになった。のちに上野アトレがオープンしている。
  • 港北ニュータウン店(横浜市都筑区) - 横浜市営地下鉄センター南駅前に設定された共同化義務街区の入札へ応札し、第一交渉権を得た[22]。地上15階・地下4階、延べ床面積163,400m²の商業施設を構想したが、共同化義務街区の地権者組織との交渉が物別れに終わり、出店を断念した[23]。現在、センター南駅前には港北 TOKYU S.C.が出店している。
  • 相模大野店(神奈川県相模原市) - 相模大野駅西側地区第一種市街地再開発事業の核店舗として出店する予定だったが、既に伊勢丹岡田屋モアーズなどがあり、計画は白紙になった。出店予定だった土地にはbono相模大野がオープンしている。
  • 藤沢店(神奈川県藤沢市) - 1950年代から「高島屋ストア」を出店しており、同地に建設される「北口再開発ビル」に「横浜高島屋」の支店として入居することが内定していたが、隣地で営業していたさいか屋及び先行進出していた地方百貨店3社の猛反対にあい断念した。
  • 博多店(JR博多駅) - 入居していた博多井筒屋を排除して進出が内定しかけたが、5万m²を超える大型店との主張を崩さなかったため、JR九州の主張する4万m²での出店に応じた阪急百貨店に一転して敗れ、出店の機会を逸した[24]。九州では、玉屋グループ(シンボルフラワーが同じ「バラ」)がハイランドグループの一員であるが、福岡県内の店舗が相次いで閉店に追い込まれたこともあり、これらに代わるハイランドグループ九州地区拠点としての出店を目指していた。このほか、福岡市中央区天神博多区下川端にも出店構想があった。
    • 2012年になって出店候補地の一つだった下川端にある博多リバレインの商業施設「イニミニマニモ」の運営権を子会社の東神開発が取得。2015年6月12日、同施設の名称を「博多リバレインモール by TAKASHIMAYA」に変更。

クレジットカード[編集]

高島屋に関連するクレジットカードは、2013年2月の時点で以下の4種類が存在する。前3種については当該記事を参照。

大阪店の増床・改装[編集]

大阪店では、店舗東側に建っていた新事務館・事務別館・別館・南分館・南別館の後方施設を取り壊し、新館「TE館」を建設し増床した。加えて当初は従来店舗の一部のみを改装する予定[25]だったが、既存の本館と増床部を一体化し「新本館」となった。全面改装そのものの効果に加え、2009年3月に開通した阪神なんば線による波及効果[26]を狙った戦略とみられる。

投資額は340億円。従来の店舗で売り場が分散していたブランド店と洋品雑貨、レストランをそれぞれ集約・拡充し、増床前の約56,000m²に22,000m²のTE館を加えて、78,000m²の日本最大級規模となった。2006年(平成18年)秋に着工し、2009年(平成21年)秋に開業する計画であったが、2007年(平成19年)10月に全面開業を一年先送りし、2010年(平成22年)秋に変更すると発表した[27]。既存建物(本館)の改装を段階的に実施し、売り場の閉鎖など工事に伴う売り上げへの影響を最小限に抑えるのが狙いである。

増床部「TE館」の建設は2期に分けて行われ、第1期の南部分(事務所棟)が2007年(平成19年)冬に竣工し、2008年(平成20年)1月から使用を開始。第2期の部分は2009年(平成21年)秋に竣工した(南海ターミナルビル改装工事と同時プロジェクト)。

店舗の改装は3期に分けて行われ、2010年(平成22年)3月2日に、TE館・22,000m²(地下1階・地上9階)を含めた第1期分(既存売場の一部の改装を含む)が先行開業し、同年9月1日には地階や中央ゾーンの一部を改装したことによる第2期分がオープン。そして2011年(平成23年)3月3日に、既存売場の残りの部分が改装されたことで、全館がグランドオープンした(なんばCITYのリニューアルを含めた、南海難波駅のリニューアルは、2011年(平成23年)4月26日に完成)。

この増床・改装により、南海・難波駅のホームに直結した出入り口を本館3階に新設したほか、三菱東京UFJ銀行[28]が使用していた本館の地下一階から地上二階(銀行移転後の跡地は約1,300m²)の一部を売り場に変更。従来の本館とTE館の一体性を高めるほか、隣接する南海難波駅や商業施設「なんばCITY」「なんばパークス[29]との回遊性も高めた。

丸井今井支援への動き[編集]

2009年(平成21年)2月19日の各報道によれば、民事再生法を申請した札幌市の百貨店「丸井今井」の支援企業として高島屋が名乗りを上げたことが判明した[30]。理由として高島屋の店舗が北海道に存在しないことが挙げられており、元々の提携先である伊勢丹三越伊勢丹ホールディングス)の対応次第では、高島屋傘下に移行して再建を図る可能性があると見られていた(経営統合の結果直系となった札幌三越や、伊勢丹と業務提携関係にある東急百貨店札幌店との調整を迫られる事になる)。

同年4月19日には、札幌の本店の他、旭川・函館・室蘭の計4店の支援を表明した高島屋が、丸井今井の支援企業となることに合意した、との報道発表があった(三越伊勢丹HDは、札幌と函館の2店舗のみの支援を表明)。しかしその後、高島屋側と丸井今井側との間で支援額などの条件で折り合いが付かなくなり、合意が白紙撤回されたことにより、同年4月30日に三越伊勢丹HDが丸井今井を支援することに決定した。なお2011年(平成23年)現在は、三越伊勢丹HD傘下である札幌丸井三越と函館丸井今井の2社がそれぞれ運営する体制となっている。

関連会社[編集]

  • 株式会社アール・ティー・コーポレーション(東京都中央区
  • 株式会社伊予鉄高島屋松山市
  • 株式会社エー・ティ・エー(東京都中央区)
  • 株式会社グッドリブ(東京都中央区)
  • 株式会社ジェイアール東海高島屋(名古屋市中村区) - ジェイアール名古屋タカシマヤの運営会社
  • 株式会社センチュリーアンドカンパニー(東京都中央区)
  • 高島屋クレジット株式会社(東京都中央区)
  • 高島屋スペースクリエイツ株式会社(東京都中央区)
  • 株式会社高島屋友の会(東京都中央区)
  • 株式会社高島屋サービス(東京都中央区)-高島屋ビジネスサービスと高島屋ビルメンテナンスと高島屋物流と高島屋テレコムが合併して発足。
  • 高島屋保険株式会社 (東京都中央区)
  • 株式会社タップ(大阪市中央区)
  • たまがわ生活文化研究所株式会社(東京都中央区)
  • 東神開発株式会社(東京都世田谷区
  • 株式会社ファッションプラザ・サンローゼ(東京都渋谷区
  • 株式会社セレクトスクエア(東京都江東区
ほか

かつての関連会社[編集]

  • 相鉄ローゼン - 相模鉄道系列のスーパーマーケット。相模鉄道と高島屋が設立した合弁会社、株式会社相高の流れを汲んでいた。後に吸収合併される際に商号変更が行われたが、高島屋にちなんで『ローゼン』(バラ)の名がつけられた。高島屋はその後経営から撤退、現在は相模鉄道の完全子会社となっている。ただし、両社のお買物券を相互利用できることや、お中元・お歳暮の包装紙に高島屋のものを使用できるなど、現在でも一定の協力関係がある。
  • 高島屋ストア(当初は丸高ストア)- 大阪市・堺市中心に同名のスーパーマーケットを数店舗営業していた。全店舗をイズミヤに営業譲渡。現在は「デイリーカナート」として営業中。
  • 高島屋日発工業 - 当社及び子会社の「高島屋工作所」と日本発条トヨタ自動車によって設立された、自動車内装メーカー。高島屋がトヨタに株を売却したことから経営からは撤退し、社名も「タカニチ」に変更。現在は合併によりトヨタ紡織となっている。
  • トヨタカローラ高島屋 - 1965年(昭和40年)から1984年(昭和59年)頃まで、都内にトヨタカローラ店を展開していた。現在はトヨタ東京カローラが業務を承継。また、輸入中古車販売店も運営していたこともあった[31]
  • 生活彩家 - 株式会社ハイ・リテイル・システムが運営のコンビニエンスストア。現在はポプラ傘下。
  • 白樺自動車 - 東京都23区内でハイヤー・タクシー事業及び、来店者用送迎バスの運行を担当していたが、1995年3月に業界大手の国際自動車に売却。

提供番組[編集]

過去

ほか

この他、『新婚さんいらっしゃい!』(朝日放送[32])―ペアマッチでの出場者プレゼント(スポンサー各社からの提供分を除く)の発送を担当している。
また、かつては『がっちり買いまショウ』(毎日放送)にも協賛していた。
  • 番組名不詳(ラジオ番組らしい)。放送内で使われていた曲に「バラ咲くおうち」(作詞作曲:当時のプロデューサ、唄:ダークダックス)が、ソノシートで存在する。2005年(平成17年)頃、横浜高島屋広報に問い合わせしたが、古すぎてそれ以上は不詳とのこと。ジャズ風な曲で前半にコーラスがあり、後半1/2はインストルメンタルだけという構成である。唄の途中に女性の声で「そう、横浜高島屋ね」とセリフがある。

高島屋が舞台となっている作品[編集]

補足[編集]

  1. ^ ただし、髙島屋にとって元々バラが特別な意味を持っていたわけではない。1952年に包装紙にバラをあしらった結果、以降、バラが髙島屋のシンボルフラワーとなったのである。そして、この包装紙などに使われているシンボルフラワーのバラの品種は、1980年(昭和55年)よりモダンローズが使用されていたが、2007年(平成19年)4月19日からイングリッシュローズに切り替えられた。またバラに関連することとして、髙島屋のマスコットキャラクターとして「ローズちゃん」がいる。このローズちゃんは1962年に登場し、翌年にそのデザインが定まった。ただし、髙島屋のマスコットキャラクターが初めて作られたのは、1959年の秋に作られた「ハッピーちゃん」であって、ローズちゃんが最初のマスコットキャラクターではない。
  2. ^ 丸紅は 伊藤忠商事とともに住友銀行(現在の三井住友銀行)の融資系列下にあったが、高島屋飯田が戦後富士銀行の融資系列に移行したため、合併後の丸紅は芙蓉グループの中核企業となっている。百貨店の島屋は三和銀行(現在の三菱東京UFJ銀行)の「三水会」に参加していたが、上記の関係でみずほグループとも関係がある。
  3. ^ クレジットカードは同年に丸井が行っているが、百貨店と都市銀行が業務提携を行って実施したケースは国内初。
  4. ^ “高島屋、サイゴンセンターに15年出店[商業]”. NNA. (2012年2月24日). http://news.nna.jp/free/news/20120224icn002A.html 2012年2月25日閲覧。 
  5. ^ “高島屋、ベトナム進出を正式発表 3年後にホーチミン市に出店”. 産経新聞. (2012年2月23日). http://www.sankeibiz.jp/business/news/120223/bsd1202231959014-n1.htm 2012年2月25日閲覧。 
  6. ^ 南海電気鉄道が所有。
  7. ^ 当時は南海難波駅も同じ建物内に入居していたが、戦後の改装時に難波駅自体が和歌山方にずらされ、現在は髙島屋のみ。
  8. ^ 泉北高速鉄道の子会社
  9. ^ 戦前から当地への移転事業はあったが、基礎を打ったところで中断。鉄材は供出させられた。
  10. ^ “「気軽に立ち寄れる文化財」へ 高島屋東京支店の重文指定”. asahi.com (朝日新聞社). (2009年4月27日). http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200904270108.html 2010年5月15日閲覧。 
  11. ^ "高島屋東京店 重要文化財指定記念" (Press release). 高島屋. 30 June 2009. 2010年5月15日閲覧
  12. ^ 流通ニュース- 高島屋/150億円投じ、日本橋店再開発(2013年3月25日)2014年4月9日閲覧。
  13. ^ 大規模小売店舗立地法届出内容一覧(東京都・平成17年度) (PDF) - 2012年7月14日閲覧
  14. ^ S館のうち、北側の部分の1階-6階に相当する部分で、1,2,4階の専門店の一部・3階の化粧品売り場・5階のGAP・6階の子供服フロアが該当。7・8階の東急ハンズおよびユザワヤ、屋上のアップ・ゴルフスクール柏はこれに含まない。
  15. ^ 両備グループ代表メッセージ
  16. ^ たまルンが利用できるお店
  17. ^ タカシマヤフードメゾン岡山店グランドオープン ニュースリリース(2014年11月5日)
  18. ^ いよてつ島屋会社概要
  19. ^ 大葉高島屋 - JapanDesk
  20. ^ 福岡国際大学「台湾における小売業の進展と課題」
  21. ^ “高島屋、和歌山店を閉鎖へ 10年以上赤字に苦しむ”. 朝日新聞. (2013年10月26日). http://www.asahi.com/articles/ASF0OSK201312260106.html 2013年12月27日閲覧。 
  22. ^ 港北ニュータウン事業推進連絡協議会発行「港北ニュータウン」
  23. ^ 「横浜流通戦争」1993年(平成5年)苅谷昭久著、オーエス出版社 ISBN 4871903613
  24. ^ 博多阪急2011年(平成23年)3月3日に、JR博多シティの核テナントとして開業した
  25. ^ 既存の本館の他に南海ターミナルビル改装工事と耐震化の工事も兼ねた様子、段階的に耐震工事をしながらの改装を進める予定であった。
  26. ^ 此花西淀川尼崎西宮芦屋神戸姫路方面からの顧客獲得
  27. ^ 読売新聞(関西)2007年10月10日「高島屋 大阪店改装の工期延長」
  28. ^ 旧UFJ店舗の難波支店。現在は東向かいにある旧東京三菱店の難波駅前支店にブランチインブランチ
  29. ^ 「なんばパークス」の2期計画でも、高島屋は33億円を投じて、5,800m²の専門店街をつくり、2007年(平成19年)4月に開業した。
  30. ^ 高島屋が丸井今井支援へ名乗り 読売新聞、2009年2月19日
  31. ^ 当時のカーグラフィック誌に広告を載せていたこともあった。
  32. ^ 朝日放送の発足時からの大株主であるが、2015年(平成27年)現在は一社提供番組は持っていない。

ギャラリー[編集]

関連項目[編集]


外部リンク[編集]