山本杉
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(山本快竜から転送)
山本 杉 やまもと すぎ | |
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『女性教養』1961年7月号より | |
生年月日 | 1902年8月19日 |
出生地 | 日本 広島県 |
没年月日 | 1995年9月9日(93歳没) |
出身校 |
東京女子医学専門学校卒業 (現東京女子医科大学) |
所属政党 | 自由民主党 |
称号 |
従四位 勲二等宝冠章 医学博士 |
配偶者 | 山本快竜 |
選挙区 | 全国区 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1959年6月2日 - 1971年7月3日 |
山本 杉(やまもと すぎ、1902年〈明治35年〉8月19日 - 1995年〈平成7年〉9月9日[1])は、日本の医師、性医学者、政治家。参議院議員(2期)。全日本仏教会常務理事、全日本仏教婦人連盟理事長・会長、家庭生活問題研究協会副会長、全日本母性連盟会長、至誠会会長[2]。夫は仏教学者で大正大学教授の山本快竜[3][4]。
経歴
[編集]広島県出身。1923年(大正12年)、東京女子医学専門学校卒業。昭和13年6月23日「人工気胸のレントゲン学的研究」で慶應義塾大学より医学博士号を授与[5]。
1959年(昭和34年)第5回参議院議員通常選挙で自由民主党より立候補して当選し[6]、1964年(昭和39年)に行政管理政務次官就任[2]。1965年(昭和40年)第7回参議院議員通常選挙で自由民主党より立候補して再選。1969年(昭和44年)物価対策特別委員長就任。1954年(昭和29年)から没するまで全日本仏教婦人連盟の理事長と会長を歴任し、仏教界での女性進出のための活動を担った[3]。1973年(昭和48年)秋の叙勲で勲二等宝冠章受章[2]。
1995年(平成7年)9月9日死去、93歳。死没日をもって従四位に叙される[7]。
家族
[編集]- 夫 - 山本快龍
- 長男 - 山本保[3]
著作
[編集]- 著書
- 『女性のための仏心』国書刊行会、1995年。
- 『女性のための仏道入門』木耳社、1989年。
- 『道心 : 現代人にとって仏道とは何か』木耳社、1979年。
- 『母のねがい』芝園書房、1959年。
- 『私に良人を―告白する女性たち』東西文明社、1955年。
- 『婦人解放と産児制限』社会教育連合会編、印刷庁、1950年。
- 『性の志向するもの』三元社、1949年。
- 訳書
- ポドルスキー著『現代人の性案内』季節風書店、1958年。
出典
[編集]参考文献
[編集]- 『新訂 政治家人名事典 明治〜昭和』日外アソシエーツ、2003年。ISBN 9784816918056