「名鉄モ770形電車 (初代)」の版間の差分
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{{鉄道車両 |
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'''名鉄モ770形電車'''(めいてつモ770がたでんしゃ)とは、かつて[[名古屋鉄道]](名鉄)で運用された[[通勤形車両 (鉄道)|通勤形電車]]である。 |
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|車両名= 名鉄モ770形電車(初代) |
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|社色= #d02 |
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|画像= Meitetsu 772 ko.jpg |
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|画像説明= モ770形772(先頭)・771(2両目)<br />([[国府駅|国府]] 1950年代撮影) |
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|unit= self |
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|編成両数= |
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|営業最高速度= |
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|設計最高速度= |
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|減速度(通常)= |
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|減速度(非常)= |
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|車両定員= 100人(座席38人) |
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|全長= 15,850 [[ミリメートル|mm]] |
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|全幅= 2,640 mm |
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|全高= 4,150 mm |
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|車体材質= 半鋼製 |
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|車両重量= 28.0 [[トン|t]] |
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|軌間= 1,067 mm([[狭軌]]) |
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|電気方式= [[直流電化|直流]]600 [[ボルト (単位)|V]]([[架空電車線方式]]) |
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|主電動機= [[直巻整流子電動機|直流直巻電動機]] TDK-30-B |
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|主電動機出力= 29.84 [[ワット (単位)|kW]] |
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|搭載数= 4基 / 両 |
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|歯車比= 3.67 (66:18) |
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|定格速度= 27 [[キロメートル毎時|km/h]] |
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|駆動装置= [[吊り掛け駆動方式|吊り掛け駆動]] |
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|制御装置= MK[[主制御器#電磁単位スイッチ式|電磁単位スイッチ式]]間接非自動加速制御 |
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|台車= NSC31 |
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|制動方式= SME[[直通ブレーキ#SME|非常弁付直通ブレーキ]] |
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|保安装置= |
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|製造メーカー= [[東洋工機|日本鉄道自動車工業]] |
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|備考= 各データは竣功図表による<ref name="RFJ639_p15" />。 |
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'''名鉄モ770形電車'''(めいてつモ770がたでんしゃ)は、[[名古屋鉄道]](名鉄)が[[1944年]]([[昭和]]19年)に導入した[[電車]]([[動力車|制御電動車]])である。 |
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モ770形(以下「本形式」)は、現在の[[名鉄竹鼻線]]を敷設・運営した竹鼻鉄道が発注した車両であったが、落成時には竹鼻鉄道が名鉄へ吸収合併されていたため名鉄の保有車両モ770形771・772として竣功し、主に支線区において運用された。 |
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なお本項では、本形式と同一設計によって、現在の[[名鉄広見線]]および[[名鉄八百津線|八百津線]]を敷設・運営した[[東濃鉄道・東美鉄道|東美鉄道]]が発注し、名鉄においてモ770形773の[[鉄道の車両番号|記号番号]]付与が予定された1両の電車についても併せて記述する。 |
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晩年は電装解除され、'''ク2170形'''に改称されていた。 |
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== 導入経緯 == |
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=== 竹鼻鉄道(モ771・モ772) === |
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[[1942年]](昭和17年)竹鼻鉄道がこれまでの[[二軸車 (鉄道)|四輪単車]]のうちデ1~4の代替名義で[[東洋工機|日本鉄道自動車工業]]に全長16m級の半鋼製ボギー車デ1・2(2代)の2両を製造発注したが、翌[[1943年]](昭和18年)に竹鼻鉄道は名鉄に吸収合併されたため、[[1944年]](昭和19年)に車両が完成した時には引き受け先がない、という事態が発生した。結局、竹鼻鉄道を吸収した名鉄が引き受け、モ770形771・772となる。 |
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[[1942年]](昭和17年)当時の竹鼻鉄道は、[[竹鼻鉄道デ1形電車|デ1形]]1 - 4および[[竹鼻鉄道デ5形電車|デ5形]]5 - 8の計8両の旅客用車両を保有したが<ref name="RP816_p205-206" />、これらはいずれも小型車体の4輪単車であった<ref name="RP816_p205-206" />。そのため、[[太平洋戦争]]勃発に伴う戦時体制への移行による利用客増加に対応する目的で、より大型の2軸ボギー車を導入し輸送力増強を図ることを計画した<ref name="RP816_p205-206" />。当時は戦時体制移行に伴って民間向け資材の調達に難が生じつつあり、鉄道車両の設計認可に際しては製造に必要な鋼材・電気機器などの調達方法の明示が必須とされたことから<ref name="RP816_p205-206" />、従来車のうちデ1形1 - 4の4両を種車として同形式の改造名義によって2両の2軸ボギー車を新製する旨、同年11月10日付<ref name="RFJ641_p16" />で認可申請を行い、日本鉄道自動車工業(現・[[東洋工機]])に2両の電車を発注した<ref name="RP816_p205-206" />。 |
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同2両の形式および記号番号は'''デ1形'''(2代)1・2が予定されていたが<ref name="RFJ641_p16" />、実際に設計認可が下りたのは竹鼻鉄道が名鉄へ吸収合併された後の[[1943年]](昭和18年)5月19日のことであり<ref name="RFJ641_p16" />、翌1944年(昭和19年)7月<ref name="RP249_p64" />に現車2両が落成した際に付された形式および記号番号は'''モ770形'''(初代)771・772となった<ref name="RP816_p205-206" />。 |
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竹鼻鉄道が架線電圧600V電化であったため、当初600V用に電装されており、他私鉄の発生品とみられる[[ゼネラル・エレクトリック]]・MK手動加速制御器(大正時代に多く用いられた旧世代制御器)を装備していた。主に[[名鉄尾西線|尾西線]]や[[名鉄一宮線|一宮線]]で使用されていたという。[[1948年]](昭和23年)に西部線(旧名岐鉄道の路線)の架線電圧が1500Vに昇圧した際は2両とも電装解除されて付随車のサ770形となったが、翌[[1949年]](昭和24年)には再度1500V用に名鉄で標準的なHL制御器を用いて電装される。再電装後は1500Vの支線区で使用されていた。 |
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なお、本形式の種車となったデ1形1 - 4は本形式2両の竣功と引き換えに、本形式の製造メーカーである日本鉄道自動車工業へ下取りされる予定であった<ref name="RP816_p205-206" />。しかし実際にはデ1 - デ4とも本形式へ主電動機を供出して制御車代用となったのみで<ref name="RFJ641_p16" />、本形式の竣功後も名鉄の保有車両として主に竹鼻線において運用されたのち<ref name="RP816_p205-206" />、デ1・デ4が[[1948年]](昭和23年)2月9日付<ref name="RP816_p205-206" />で[[野上電気鉄道]]へ、デ2・デ3が同年6月25日付<ref name="RP816_p205-206" />で[[熊本電気鉄道]]へそれぞれ譲渡されている。 |
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[[1965年]](昭和40年)に[[名鉄3700系電車 (2代)|3730系]]などに電装品を譲り片運転台化されク2170形2171・2172と改称され、[[名鉄揖斐線|揖斐線]]・[[名鉄谷汲線|谷汲線]]に転属したが、戦時中に製造された少数派の異端形式で早くに整理対象となり、[[1968年]](昭和43年)に廃車となった。 |
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=== 東美鉄道(モ773) === |
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製造当初は窓配置d2D7D2dの両運転台、後に片運転台となる。また、片側のみ貫通化されていた。 |
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1943年(昭和18年)当時、東美鉄道に在籍する車両は、[[1928年]](昭和3年)と[[1930年]](昭和5年)の二度にわたって名鉄より譲渡された[[名古屋電気鉄道デシ500形電車|デ1形]]1 - 3および自社発注車である[[東美鉄道デボ100形電車|デボ100形]]101・102の計5両で<ref name="RFJ641_p16" />、これらの車両によって旅客運輸および貨車牽引による貨物輸送を行った<ref name="RFJ641_p16" />。貨物輸送は沿線より採掘される[[亜炭]]輸送を主としたが、戦時体制移行に伴って亜炭の需要が増大し動力車の増備が必要となったことから<ref name="RFJ641_p16" />、同年1月18日付で前述した竹鼻鉄道の車両と同一設計による2軸ボギー構造の電車1両の設計認可を申請した<ref name="RFJ641_p16" />。 |
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竹鼻鉄道における例と同様に、東美鉄道においても製造に際しては従来保有したデ1形より電装品を転用する旨申請した<ref name="RFJ641_p16" />。しかし、同車は種車からの流用品がごく一部の電気機器および車体付属部品の一部に留まる、事実上の完全新造車両であったことから<ref name="RFJ641_p16" />、当時鉄道車両の許認可を管轄した[[商工省]]傘下の統制機関である車両統制会が難色を示し、計画内容の修正を迫られることとなった<ref name="RFJ641_p16" />{{refnest|group="注釈"|結局、車両統制会より''「本車輌ハ日本自動車会社手持品ヲ充当スルモノニシテ、車輌統制会ニ於テハ十八年度に於テノミ、カカルモノヲ特ニ認ムル」''(原表記ママ、ただし読点は引用者による)との見解が示され<ref name="RFJ641_p16" />、後述の通り設計認可に至った。}}。設計認可が下りたのは東美鉄道が名鉄へ吸収合併された後の1943年(昭和18年)5月3日のことで<ref name="RFJ641_p16" />、モ771・モ772と同じく日本鉄道自動車工業へ発注され<ref name="RFJ641_p16" />、形式および記号番号は同2両の続番となるモ770形773が予定されたが<ref name="RFJ639_p15" />、現車は竣功せずに終わった<ref name="RFJ641_p16" />。 |
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ク2170形に改造された時、2171は貫通扉のある側に、2172は貫通扉のない側に運転台がつけられた。そのため、異なる形式の車両に見えたという。 |
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モ773として導入予定であった車両については、名鉄に納入されず注文流れとなった末に他社へ転売されたという説が存在し<ref name="RFJ639_p14" /><ref name="RFJ641_p17" />、日本鉄道自動車工業から東京芝浦電気(現・[[東芝]])へ納入され東芝車輌(現・[[東芝府中事業所]])の従業員輸送に用いられたのち、京王帝都電鉄(現・[[京王電鉄]])へ譲渡・導入された[[京王デハ1750形電車|京王デハ1750形]]がそれに該当すると指摘される<ref name="RFJ639_p14" /><ref name="RFJ641_p17" />{{refnest|group="注釈"|鉄道研究家の澤内一晃は、自らが執筆した『名鉄モ770形と岐阜のGE電車について』において、京王デハ1750形のほか、同じく日本鉄道自動車工業から[[富山地方鉄道]]へ納入された[[富山地方鉄道モハ7510形電車|モハ7510形]]をモ773の後身である可能性がある車両として指摘している<ref name="RFJ641_p16" />。実際に名鉄モ770形・京王デハ1750形・富山地鉄モハ7510形の3形式は、各部寸法を含めた車体設計が全く同一であり<ref name="RFJ641_p17" />、また台車も全車とも[[#主要機器|後述する]]NSC31で統一されている<ref name="RFJ641_p17" /><ref name="RP578_p239" />。}}。 |
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また製造当初は、当時の私鉄電車で一般的であったイコライザー台車でなく、[[鉄道省]]の標準台車「[[国鉄TR23形台車|TR23形]]」のホイールベースを縮めた亜流設計で日本鉄道自動車工業が製造したペデスタル支持・軸距2300mmの「ペンシルバニア台車」NSC31を装備しており、この点でも特異であった。 |
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== 車体 == |
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車体長15,000 [[ミリメートル|mm]]の半鋼製車体である<ref name="RFJ639_p15" />。車体の前後に半室形の乗務員室を備える両運転台構造で<ref name="RFJ639_p15" />、ごく緩い円弧を描く平妻形状の前後妻面には710 mm幅の窓を3枚均等配置し、貫通路および貫通扉を持たない非貫通構造とした<ref name="RFJ639_p15" />。側面には500 mm幅の乗務員扉、1,100 mm幅の片開客用扉、800 mm幅の2段式の側窓をそれぞれ配し<ref name="RFJ639_p15" />、[[構体 (鉄道車両)#側面窓配置|側面窓配置]]はd2D7D2d(d:乗務員扉、D:客用扉、各数値は側窓の枚数)である<ref name="RFJ639_p15" />。 |
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竹鼻鉄道が本形式を発注したのとほぼ同時期の1943年に、竹鼻と同時に名鉄へ合併された[[東濃鉄道・東美鉄道|東美鉄道]]([[名鉄広見線|広見線]]・[[名鉄八百津線|八百津線]]の前身)も日本鉄道自動車に本形式と同一設計の車両を発注した。本形式同様名鉄へ引き継がれ、続番であるモ773の番号が予定されていたが、現車は名鉄に納入されることがなかった。 |
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前照灯は露出取付形の[[白熱電球|白熱灯]]式で、落成当初は前後妻面中央窓下の腰板部に各1灯設置したが<ref name="RFJ639_p15" />、後年屋根上中央部へ取付ステーを介して設置する形に改められている<ref name="RFJ639_p14" />。[[尾灯|後部標識灯]]は前後妻面腰板部の向かって左側へ各1灯設置し<ref name="RFJ639_p15" />、こちらも後年妻面腰板部の向かって右側へ各1灯増設し、前後とも各2灯仕様とした<ref name="RFJ639_p14" />。 |
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== 関連項目 == |
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*[[京王デハ1750形電車]] - 本形式と同形の電車で、上記モ773との関連が指摘されている。 |
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車内は[[鉄道車両の座席#ロングシート (縦座席)|ロングシート]]仕様で、車内照明として40 [[ワット (単位)|W]]の白熱電球を1両あたり15個設置した<ref name="RFJ639_p15" />。 |
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その他、モ771・モ772は竹鼻鉄道の運営する路線が[[直流電化|直流]]600 V電化路線であり、かつ集電装置にトロリーポールが用いられていたことから<ref name="RFJ639_p14" />、竣功図表上は集電装置としてトロリーポールと菱形パンタグラフを併設し、屋根上前後端部にトロリーポールを、同中央部にパンタグラフ1基をそれぞれ配置した形で図示された<ref name="RFJ639_p15" />。ただし、実際はトロリーポールのみを搭載した状態で落成したことが記録されている<ref name="RFJ639_p14" />。また、未成に終わったモ773については、東美鉄道が運営する路線が竹鼻鉄道と同じく直流600 V電化路線ながら既にパンタグラフ集電方式が採用されていたため<ref name="RFJ639_p14" />、竣功図表においても一端の屋根上にパンタグラフ1基を搭載した形で図示されていた点がモ771・モ772とは異なる<ref name="RFJ639_p15" />。 |
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== 主要機器 == |
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制御装置は[[ゼネラル・エレクトリック]] (GE) 製のMK[[主制御器#電磁単位スイッチ式|電磁単位スイッチ式]]間接非自動加速制御器を採用した<ref name="RFJ639_p14" />。同制御器は[[東京急行電鉄]]より同社の前身事業者である[[目黒蒲田電鉄]]当時に新製された車両に用いられたものを購入した中古品であると伝わり<ref name="RFJ639_p14" />、名鉄における間接非自動加速制御器は[[ウェスティングハウス・エレクトリック]] (WH) 社開発の[[主制御器#電空単位スイッチ式|電空単位スイッチ式]]HL制御器が主流である中においては異端な機種であった<ref name="RFJ639_p14" />。 |
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主電動機は[[東洋電機製造]]TDK-530-B(端子電圧500 V時定格出力29.84 kW)を名義上の種車であるデ1 - デ4より流用し<ref name="RFJ641_p16" />、4輪単車のデ1形2両分を2軸ボギー車の本形式1両分に集約して1両あたり4基搭載した<ref name="RFJ639_p15" />。駆動方式は[[吊り掛け駆動方式|吊り掛け式]]、歯車比は3.67 (66:18) である<ref name="RFJ639_p15" />。 |
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台車は日本鉄道自動車工業製の[[鉄道車両の台車#軸箱守式(ペデスタル式)|ペデスタル式]]ペンシルバニア形台車NSC31を装着する<ref name="RFJ639_p15" /><ref name="RP816_p205-206" /><ref name="RP473_p176" />。この台車は国鉄制式台車の一つである[[国鉄TR23形台車|TR23台車]]と構造・外観とも酷似しているが<ref name="RP816_p205-206" /><ref name="RP473_p176" />、固定軸間距離がTR23の2,500 mmに対して2,300 mmと200 mm縮小されており<ref name="RFJ639_p15" />、また装着される車輪の直径もTR23の910 mmに対して863 mmと異なる<ref name="RFJ639_p15" />。 |
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制動装置は構造の簡易な[[直通ブレーキ]]に連結運転を考慮して非常弁を付加したSME[[直通ブレーキ#SME|直通ブレーキ]]を常用<ref name="RFJ639_p14" />、[[手ブレーキ|手用制動]]を併設した<ref name="RFJ639_p15" />。 |
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その他、集電装置は前述の通りトロリーポールを採用し<ref name="RFJ639_p14" />、連結器は前後妻面ともアライアンス式の下作用型[[連結器#並形自動連結器|並形自動連結器]]を採用した<ref name="RFJ639_p15" />。 |
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一方、モ773の主要機器は、主電動機は竣功図表によると定格出力48.49 kW(端子電圧600 V時)の直流直巻電動機を歯車比3.83 (69:18) で1両あたり4基搭載することとし<ref name="RFJ639_p15" />{{refnest|group="注釈"|48.49 kWの定格出力および3.83 (69:18) の歯車比とも、ウェスティングハウス・エレクトリックWH-546J主電動機と同一値である<ref name="PRC11_p174-175" />。WH-546Jは、名鉄においては[[尾西鉄道デボ100形電車|モ160形]](旧尾西鉄道デボ100形)や[[愛知電気鉄道電4形電車|モ1030形]](旧愛知電気鉄道電4形)など被合併事業者より継承した各形式が採用し<ref name="RP611_p112-113" />、後年は[[名古屋鉄道デセホ700形電車|モ700形・モ750形]]に転用搭載された機種である<ref name="PRC11_p174-175" /><ref name="RP611_p112-113" />。}}、制御装置はモ771・モ772と同じくMK電磁単位スイッチ式間接非自動加速制御器を採用する計画であったとされる<ref name="RFJ639_p14" />。台車については形式の記載はないが、図表上においては固定軸間距離2,300 mm、車輪径863 mmと、モ771・モ772が装着したNSC31台車と同一の数値が記載されている<ref name="RFJ639_p15" />。 |
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== 運用 == |
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本形式は導入後間もなく電気系統の故障を頻発し<ref name="RP473_p176" /><ref name="RP249_p59" />、一時休車状態となった<ref name="RP249_p59" />。その後、モ771は集電装置をトロリーポールからパンタグラフへ改め[[豊橋駅|豊橋]]寄りの屋根上車端部へ1基搭載し<ref name="RFJ639_p14" />、制御装置についてもMK電磁単位スイッチ式間接非自動加速制御器から同じくGE社製のPC[[主制御器#電空カム軸接触器式|電空カム軸式]]間接自動加速制御器へ換装<ref name="RFJ639_p14" />、低い主電動機出力を考慮して主に勾配区間の少ない[[名鉄一宮線|一宮線]]において運用された<ref name="RFJ639_p14" />。一方、モ772は運転機器および電装品を撤去して[[付随車]]'''サ770形'''772と形式および記号を改め<ref name="RFJ639_p14" />、主に[[名古屋鉄道デセホ700形電車|モ700形]]と編成を組成して、西部線(旧名岐鉄道が保有した路線の総称)にて運用された<ref name="RFJ639_p14" />。 |
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[[1948年]](昭和23年)5月12日<ref name="RP771_p136" />に従来直流600 V仕様であった西部線の架線電圧を直流1,500 Vへ昇圧する工事が完成したことに伴って<ref name="RFJ639_p14" /><ref name="RP771_p136" />、直流600 V仕様の制御電動車であったモ771についても運転機器および電装品の撤去を施工、サ771と形式および記号が改められ<ref name="RFJ639_p14" />{{refnest|group="注釈"|この電装解除は、本形式の名義上の種車であったデ1 - デ4の他社への譲渡に際して電装品を同4両へ戻すための措置であったとも指摘される<ref name="RFJ641_p16" />。}}、またサ772ともども制動装置がSME直通ブレーキからATM[[自動空気ブレーキ]]に改造された<ref name="RFJ639_p14" />。その後は架線電圧1,500 V区間用の付随車として運用されたが、翌[[1949年]](昭和24年)10月にはサ771・サ772とも制御電動車化改造が実施された<ref name="RP249_p59" />。主電動機は東京芝浦電気SE-132C(端子電圧750 V時定格出力75 kW)<ref name="RP64_p35" />{{refnest|group="注釈"|東京芝浦電気SE-132Cは、名鉄が保有するHL制御の電動車各形式における標準主電動機であったウェスティングハウス・エレクトリックWH-556-J6の国内模倣生産機種で<ref name="RP771_p174-175" />、両者は同一の特性を備える<ref name="RP771_p174-175" />。}}を、制御装置は電空単位スイッチ式間接非自動加速制御器(HL制御器)をそれぞれ新たに搭載し<ref name="RFJ639_p14" />、記号番号は再びモ770形771・772となった<ref name="RP249_p59" />。 |
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制御電動車化改造後は主にモ771・モ772の同形式2両で編成を組成し<ref name="RP249_p59" />、[[名鉄豊川線|豊川線]]など支線区において運用された<ref name="RP249_p59" />。その後モ771の[[名鉄岐阜駅|新岐阜]]側妻面およびモ772の豊橋側妻面に貫通扉・貫通幌枠・貫通幌を新設<ref name="KEIO-guide3_p91" />、両車の連結面を通行可能とした<ref name="KEIO-guide3_p91" />。 |
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HL制御車各形式の[[名鉄3700系電車 (2代)|3700系列]]への更新進捗に伴って、本形式は[[1966年]](昭和41年)に2両とも電装解除され<ref name="RP249_p59" />、架線電圧600 V区間用の[[制御車]]として転用、形式および記号番号を'''ク2170形'''2171・2172と改められた<ref name="RP249_p59" />。同時に台車を廃車発生品の[[鉄道車両の台車#イコライザー式|釣り合い梁式台車]]である[[日本車輌製造]][[ボールドウィンA形台車|BW42-84-MCB-1]]に換装し、従来装着したNSC31台車は3780系の制御車ク2780形2789・2790の新製に際して転用された<ref name="Titech-guide4_p306-307" />。また、2両とも豊橋側乗務員室の運転機器を撤去して片運転台構造化されたが<ref name="KEIO-guide3_p91" />、この結果ク2171(元モ771)は前面貫通構造の連結面非貫通構造<ref name="KEIO-guide3_p91" />、ク2172(元モ772)は前面非貫通構造の連結面貫通構造<ref name="KEIO-guide3_p91" />と、それぞれ異なる形態となった<ref name="KEIO-guide3_p91" />。 |
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制御車化改造後は直流600 V電化路線区である[[名鉄揖斐線|揖斐線]]・[[名鉄谷汲線|谷汲線]]において運用されたのち<ref name="RP473_p176" />、ク2171・ク2172とも[[1968年]](昭和43年)8月22日付<ref name="PRC11_p179" />で廃車となり、本形式は形式消滅した<ref name="PRC11_p179" />。 |
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== 脚注 == |
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{{脚注ヘルプ}} |
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=== 注釈 === |
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{{reflist|group="注釈"}} |
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=== 出典 === |
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{{Reflist|2|refs= |
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<ref name="KEIO-guide3_p91">『私鉄ガイドブック3 名鉄・京成・都営地下鉄・京浜』 p.91</ref> |
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<ref name="Titech-guide4_p306-307">『私鉄電車ガイドブック4 相鉄・横浜市・名鉄・名古屋市』 pp.306 - 307</ref> |
|||
<ref name="PRC11_p174-175">『私鉄の車両11 名古屋鉄道』 pp.174 - 175</ref> |
|||
<ref name="PRC11_p179">『私鉄の車両11 名古屋鉄道』 p.179</ref> |
|||
<ref name="RP64_p35">「私鉄車両めぐり(27) 名古屋鉄道 2」(1956) p.35</ref> |
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<ref name="RP249_p59">「私鉄車両めぐり(87) 名古屋鉄道 終」(1971) p.59</ref> |
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<ref name="RP249_p64">「私鉄車両めぐり(87) 名古屋鉄道 終」(1971) p.64</ref> |
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<ref name="RP473_p176">「名古屋鉄道の車両前史 現在の名鉄を構成した各社の車両」 (1986) p.176</ref> |
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== 参考資料 == |
== 参考資料 == |
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; 書籍 |
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*「モ770形と岐阜のGE車の原図を発見」 - [[白井昭]]、『RAILFAN』([[鉄道友の会]]会報誌)2006年1月号(通巻639号)収録 |
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* [[慶應義塾大学|慶応義塾大学]]鉄道研究会 『私鉄ガイドブック3 名鉄・京成・都営地下鉄・京浜』 [[誠文堂新光社]] |
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*「名鉄モ770形と岐阜のGE電車について」 - 澤内一晃、同2006年3月号(通巻641号)収録 |
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* [[東京工業大学]]鉄道研究部 『私鉄電車ガイドブック4 相鉄・横浜市・名鉄・名古屋市』 誠文堂新光社 1978年11月 |
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* 白井良和 『私鉄の車両11 名古屋鉄道』 保育社 1985年12月 ISBN 4-586-53211-4 |
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; 雑誌 |
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* 『[[鉄道ピクトリアル]]』 [[電気車研究会|鉄道図書刊行会]] |
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** 渡辺肇 「私鉄車両めぐり(27) 名古屋鉄道 2」 1956年11月号(通巻64号) pp.33 - 37 |
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** 渡辺肇・加藤久爾夫 「私鉄車両めぐり(87) 名古屋鉄道 終」 1971年4月号(通巻249号) pp.54 - 65 |
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** 白井良和 「名古屋鉄道の車両前史 現在の名鉄を構成した各社の車両」 1986年12月臨時増刊号(通巻473号) pp.166 - 176 |
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** 出崎宏 「私鉄車両めぐり(149) 京王帝都電鉄」 1993年7月臨時増刊号(通巻578号) pp.223 - 242 |
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** 渡利正彦 「名鉄モ700、モ750を称え、その足跡をたどる」 1995年8月号(通巻611号) pp.108 - 113 |
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** 白井良和 「名鉄に見る戦後のダイヤと運転」 2006年1月臨時増刊号(通巻771号) pp.136 - 141 |
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** 真鍋裕司 「琴電へ譲渡された名鉄3700系」 2006年1月臨時増刊号(通巻771号) pp.174 - 180 |
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** 白土貞夫 「竹鼻鉄道『竹鼻駅』駅名異聞」 2009年3月臨時増刊号(通巻816号) pp.202 - 207 |
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* 『RAILFAN』([[鉄道友の会]]会報誌) |
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** [[白井昭]] 「モ770形と岐阜のGE車の原図を発見」 2006年1月号(通巻639号) pp.14 - 17 |
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** 澤内一晃 「名鉄モ770形と岐阜のGE電車について」 2006年3月号(通巻641号) pp.16 - 18 |
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[[Category:東洋工機製の電車]] |
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2013年9月10日 (火) 14:30時点における版
名鉄モ770形電車(初代) | |
---|---|
モ770形772(先頭)・771(2両目) (国府 1950年代撮影) | |
基本情報 | |
製造所 | 日本鉄道自動車工業 |
主要諸元 | |
軌間 | 1,067 mm(狭軌) |
電気方式 | 直流600 V(架空電車線方式) |
車両定員 | 100人(座席38人) |
車両重量 | 28.0 t |
全長 | 15,850 mm |
全幅 | 2,640 mm |
全高 | 4,150 mm |
車体 | 半鋼製 |
台車 | NSC31 |
主電動機 | 直流直巻電動機 TDK-30-B |
主電動機出力 | 29.84 kW |
搭載数 | 4基 / 両 |
駆動方式 | 吊り掛け駆動 |
歯車比 | 3.67 (66:18) |
定格速度 | 27 km/h |
制御装置 | MK電磁単位スイッチ式間接非自動加速制御 |
制動装置 | SME非常弁付直通ブレーキ |
備考 | 各データは竣功図表による[1]。 |
名鉄モ770形電車(めいてつモ770がたでんしゃ)は、名古屋鉄道(名鉄)が1944年(昭和19年)に導入した電車(制御電動車)である。
モ770形(以下「本形式」)は、現在の名鉄竹鼻線を敷設・運営した竹鼻鉄道が発注した車両であったが、落成時には竹鼻鉄道が名鉄へ吸収合併されていたため名鉄の保有車両モ770形771・772として竣功し、主に支線区において運用された。
なお本項では、本形式と同一設計によって、現在の名鉄広見線および八百津線を敷設・運営した東美鉄道が発注し、名鉄においてモ770形773の記号番号付与が予定された1両の電車についても併せて記述する。
導入経緯
竹鼻鉄道(モ771・モ772)
1942年(昭和17年)当時の竹鼻鉄道は、デ1形1 - 4およびデ5形5 - 8の計8両の旅客用車両を保有したが[2]、これらはいずれも小型車体の4輪単車であった[2]。そのため、太平洋戦争勃発に伴う戦時体制への移行による利用客増加に対応する目的で、より大型の2軸ボギー車を導入し輸送力増強を図ることを計画した[2]。当時は戦時体制移行に伴って民間向け資材の調達に難が生じつつあり、鉄道車両の設計認可に際しては製造に必要な鋼材・電気機器などの調達方法の明示が必須とされたことから[2]、従来車のうちデ1形1 - 4の4両を種車として同形式の改造名義によって2両の2軸ボギー車を新製する旨、同年11月10日付[3]で認可申請を行い、日本鉄道自動車工業(現・東洋工機)に2両の電車を発注した[2]。
同2両の形式および記号番号はデ1形(2代)1・2が予定されていたが[3]、実際に設計認可が下りたのは竹鼻鉄道が名鉄へ吸収合併された後の1943年(昭和18年)5月19日のことであり[3]、翌1944年(昭和19年)7月[4]に現車2両が落成した際に付された形式および記号番号はモ770形(初代)771・772となった[2]。
なお、本形式の種車となったデ1形1 - 4は本形式2両の竣功と引き換えに、本形式の製造メーカーである日本鉄道自動車工業へ下取りされる予定であった[2]。しかし実際にはデ1 - デ4とも本形式へ主電動機を供出して制御車代用となったのみで[3]、本形式の竣功後も名鉄の保有車両として主に竹鼻線において運用されたのち[2]、デ1・デ4が1948年(昭和23年)2月9日付[2]で野上電気鉄道へ、デ2・デ3が同年6月25日付[2]で熊本電気鉄道へそれぞれ譲渡されている。
東美鉄道(モ773)
1943年(昭和18年)当時、東美鉄道に在籍する車両は、1928年(昭和3年)と1930年(昭和5年)の二度にわたって名鉄より譲渡されたデ1形1 - 3および自社発注車であるデボ100形101・102の計5両で[3]、これらの車両によって旅客運輸および貨車牽引による貨物輸送を行った[3]。貨物輸送は沿線より採掘される亜炭輸送を主としたが、戦時体制移行に伴って亜炭の需要が増大し動力車の増備が必要となったことから[3]、同年1月18日付で前述した竹鼻鉄道の車両と同一設計による2軸ボギー構造の電車1両の設計認可を申請した[3]。
竹鼻鉄道における例と同様に、東美鉄道においても製造に際しては従来保有したデ1形より電装品を転用する旨申請した[3]。しかし、同車は種車からの流用品がごく一部の電気機器および車体付属部品の一部に留まる、事実上の完全新造車両であったことから[3]、当時鉄道車両の許認可を管轄した商工省傘下の統制機関である車両統制会が難色を示し、計画内容の修正を迫られることとなった[3][注釈 1]。設計認可が下りたのは東美鉄道が名鉄へ吸収合併された後の1943年(昭和18年)5月3日のことで[3]、モ771・モ772と同じく日本鉄道自動車工業へ発注され[3]、形式および記号番号は同2両の続番となるモ770形773が予定されたが[1]、現車は竣功せずに終わった[3]。
モ773として導入予定であった車両については、名鉄に納入されず注文流れとなった末に他社へ転売されたという説が存在し[5][6]、日本鉄道自動車工業から東京芝浦電気(現・東芝)へ納入され東芝車輌(現・東芝府中事業所)の従業員輸送に用いられたのち、京王帝都電鉄(現・京王電鉄)へ譲渡・導入された京王デハ1750形がそれに該当すると指摘される[5][6][注釈 2]。
車体
車体長15,000 mmの半鋼製車体である[1]。車体の前後に半室形の乗務員室を備える両運転台構造で[1]、ごく緩い円弧を描く平妻形状の前後妻面には710 mm幅の窓を3枚均等配置し、貫通路および貫通扉を持たない非貫通構造とした[1]。側面には500 mm幅の乗務員扉、1,100 mm幅の片開客用扉、800 mm幅の2段式の側窓をそれぞれ配し[1]、側面窓配置はd2D7D2d(d:乗務員扉、D:客用扉、各数値は側窓の枚数)である[1]。
前照灯は露出取付形の白熱灯式で、落成当初は前後妻面中央窓下の腰板部に各1灯設置したが[1]、後年屋根上中央部へ取付ステーを介して設置する形に改められている[5]。後部標識灯は前後妻面腰板部の向かって左側へ各1灯設置し[1]、こちらも後年妻面腰板部の向かって右側へ各1灯増設し、前後とも各2灯仕様とした[5]。
車内はロングシート仕様で、車内照明として40 Wの白熱電球を1両あたり15個設置した[1]。
その他、モ771・モ772は竹鼻鉄道の運営する路線が直流600 V電化路線であり、かつ集電装置にトロリーポールが用いられていたことから[5]、竣功図表上は集電装置としてトロリーポールと菱形パンタグラフを併設し、屋根上前後端部にトロリーポールを、同中央部にパンタグラフ1基をそれぞれ配置した形で図示された[1]。ただし、実際はトロリーポールのみを搭載した状態で落成したことが記録されている[5]。また、未成に終わったモ773については、東美鉄道が運営する路線が竹鼻鉄道と同じく直流600 V電化路線ながら既にパンタグラフ集電方式が採用されていたため[5]、竣功図表においても一端の屋根上にパンタグラフ1基を搭載した形で図示されていた点がモ771・モ772とは異なる[1]。
主要機器
制御装置はゼネラル・エレクトリック (GE) 製のMK電磁単位スイッチ式間接非自動加速制御器を採用した[5]。同制御器は東京急行電鉄より同社の前身事業者である目黒蒲田電鉄当時に新製された車両に用いられたものを購入した中古品であると伝わり[5]、名鉄における間接非自動加速制御器はウェスティングハウス・エレクトリック (WH) 社開発の電空単位スイッチ式HL制御器が主流である中においては異端な機種であった[5]。
主電動機は東洋電機製造TDK-530-B(端子電圧500 V時定格出力29.84 kW)を名義上の種車であるデ1 - デ4より流用し[3]、4輪単車のデ1形2両分を2軸ボギー車の本形式1両分に集約して1両あたり4基搭載した[1]。駆動方式は吊り掛け式、歯車比は3.67 (66:18) である[1]。
台車は日本鉄道自動車工業製のペデスタル式ペンシルバニア形台車NSC31を装着する[1][2][8]。この台車は国鉄制式台車の一つであるTR23台車と構造・外観とも酷似しているが[2][8]、固定軸間距離がTR23の2,500 mmに対して2,300 mmと200 mm縮小されており[1]、また装着される車輪の直径もTR23の910 mmに対して863 mmと異なる[1]。
制動装置は構造の簡易な直通ブレーキに連結運転を考慮して非常弁を付加したSME直通ブレーキを常用[5]、手用制動を併設した[1]。
その他、集電装置は前述の通りトロリーポールを採用し[5]、連結器は前後妻面ともアライアンス式の下作用型並形自動連結器を採用した[1]。
一方、モ773の主要機器は、主電動機は竣功図表によると定格出力48.49 kW(端子電圧600 V時)の直流直巻電動機を歯車比3.83 (69:18) で1両あたり4基搭載することとし[1][注釈 3]、制御装置はモ771・モ772と同じくMK電磁単位スイッチ式間接非自動加速制御器を採用する計画であったとされる[5]。台車については形式の記載はないが、図表上においては固定軸間距離2,300 mm、車輪径863 mmと、モ771・モ772が装着したNSC31台車と同一の数値が記載されている[1]。
運用
本形式は導入後間もなく電気系統の故障を頻発し[8][11]、一時休車状態となった[11]。その後、モ771は集電装置をトロリーポールからパンタグラフへ改め豊橋寄りの屋根上車端部へ1基搭載し[5]、制御装置についてもMK電磁単位スイッチ式間接非自動加速制御器から同じくGE社製のPC電空カム軸式間接自動加速制御器へ換装[5]、低い主電動機出力を考慮して主に勾配区間の少ない一宮線において運用された[5]。一方、モ772は運転機器および電装品を撤去して付随車サ770形772と形式および記号を改め[5]、主にモ700形と編成を組成して、西部線(旧名岐鉄道が保有した路線の総称)にて運用された[5]。
1948年(昭和23年)5月12日[12]に従来直流600 V仕様であった西部線の架線電圧を直流1,500 Vへ昇圧する工事が完成したことに伴って[5][12]、直流600 V仕様の制御電動車であったモ771についても運転機器および電装品の撤去を施工、サ771と形式および記号が改められ[5][注釈 4]、またサ772ともども制動装置がSME直通ブレーキからATM自動空気ブレーキに改造された[5]。その後は架線電圧1,500 V区間用の付随車として運用されたが、翌1949年(昭和24年)10月にはサ771・サ772とも制御電動車化改造が実施された[11]。主電動機は東京芝浦電気SE-132C(端子電圧750 V時定格出力75 kW)[13][注釈 5]を、制御装置は電空単位スイッチ式間接非自動加速制御器(HL制御器)をそれぞれ新たに搭載し[5]、記号番号は再びモ770形771・772となった[11]。
制御電動車化改造後は主にモ771・モ772の同形式2両で編成を組成し[11]、豊川線など支線区において運用された[11]。その後モ771の新岐阜側妻面およびモ772の豊橋側妻面に貫通扉・貫通幌枠・貫通幌を新設[15]、両車の連結面を通行可能とした[15]。
HL制御車各形式の3700系列への更新進捗に伴って、本形式は1966年(昭和41年)に2両とも電装解除され[11]、架線電圧600 V区間用の制御車として転用、形式および記号番号をク2170形2171・2172と改められた[11]。同時に台車を廃車発生品の釣り合い梁式台車である日本車輌製造BW42-84-MCB-1に換装し、従来装着したNSC31台車は3780系の制御車ク2780形2789・2790の新製に際して転用された[16]。また、2両とも豊橋側乗務員室の運転機器を撤去して片運転台構造化されたが[15]、この結果ク2171(元モ771)は前面貫通構造の連結面非貫通構造[15]、ク2172(元モ772)は前面非貫通構造の連結面貫通構造[15]と、それぞれ異なる形態となった[15]。
制御車化改造後は直流600 V電化路線区である揖斐線・谷汲線において運用されたのち[8]、ク2171・ク2172とも1968年(昭和43年)8月22日付[17]で廃車となり、本形式は形式消滅した[17]。
脚注
注釈
- ^ 結局、車両統制会より「本車輌ハ日本自動車会社手持品ヲ充当スルモノニシテ、車輌統制会ニ於テハ十八年度に於テノミ、カカルモノヲ特ニ認ムル」(原表記ママ、ただし読点は引用者による)との見解が示され[3]、後述の通り設計認可に至った。
- ^ 鉄道研究家の澤内一晃は、自らが執筆した『名鉄モ770形と岐阜のGE電車について』において、京王デハ1750形のほか、同じく日本鉄道自動車工業から富山地方鉄道へ納入されたモハ7510形をモ773の後身である可能性がある車両として指摘している[3]。実際に名鉄モ770形・京王デハ1750形・富山地鉄モハ7510形の3形式は、各部寸法を含めた車体設計が全く同一であり[6]、また台車も全車とも後述するNSC31で統一されている[6][7]。
- ^ 48.49 kWの定格出力および3.83 (69:18) の歯車比とも、ウェスティングハウス・エレクトリックWH-546J主電動機と同一値である[9]。WH-546Jは、名鉄においてはモ160形(旧尾西鉄道デボ100形)やモ1030形(旧愛知電気鉄道電4形)など被合併事業者より継承した各形式が採用し[10]、後年はモ700形・モ750形に転用搭載された機種である[9][10]。
- ^ この電装解除は、本形式の名義上の種車であったデ1 - デ4の他社への譲渡に際して電装品を同4両へ戻すための措置であったとも指摘される[3]。
- ^ 東京芝浦電気SE-132Cは、名鉄が保有するHL制御の電動車各形式における標準主電動機であったウェスティングハウス・エレクトリックWH-556-J6の国内模倣生産機種で[14]、両者は同一の特性を備える[14]。
出典
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u 「モ770形と岐阜のGE車の原図を発見」 (2006) p.15
- ^ a b c d e f g h i j k l 「竹鼻鉄道『竹鼻駅』駅名異聞」 (2009) pp.205 - 206
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 「名鉄モ770形と岐阜のGE電車について」 (2006) p.16
- ^ 「私鉄車両めぐり(87) 名古屋鉄道 終」(1971) p.64
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v 「モ770形と岐阜のGE車の原図を発見」 (2006) p.14
- ^ a b c d 「名鉄モ770形と岐阜のGE電車について」 (2006) p.17
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- ^ a b c d 「名古屋鉄道の車両前史 現在の名鉄を構成した各社の車両」 (1986) p.176
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- ^ a b 「名鉄モ700、モ750を称え、その足跡をたどる」 (1995) pp.112 - 113
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- ^ a b c d e f 『私鉄ガイドブック3 名鉄・京成・都営地下鉄・京浜』 p.91
- ^ 『私鉄電車ガイドブック4 相鉄・横浜市・名鉄・名古屋市』 pp.306 - 307
- ^ a b 『私鉄の車両11 名古屋鉄道』 p.179
参考資料
- 書籍
- 慶応義塾大学鉄道研究会 『私鉄ガイドブック3 名鉄・京成・都営地下鉄・京浜』 誠文堂新光社
- 東京工業大学鉄道研究部 『私鉄電車ガイドブック4 相鉄・横浜市・名鉄・名古屋市』 誠文堂新光社 1978年11月
- 白井良和 『私鉄の車両11 名古屋鉄道』 保育社 1985年12月 ISBN 4-586-53211-4
- 雑誌
- 『鉄道ピクトリアル』 鉄道図書刊行会
- 渡辺肇 「私鉄車両めぐり(27) 名古屋鉄道 2」 1956年11月号(通巻64号) pp.33 - 37
- 渡辺肇・加藤久爾夫 「私鉄車両めぐり(87) 名古屋鉄道 終」 1971年4月号(通巻249号) pp.54 - 65
- 白井良和 「名古屋鉄道の車両前史 現在の名鉄を構成した各社の車両」 1986年12月臨時増刊号(通巻473号) pp.166 - 176
- 出崎宏 「私鉄車両めぐり(149) 京王帝都電鉄」 1993年7月臨時増刊号(通巻578号) pp.223 - 242
- 渡利正彦 「名鉄モ700、モ750を称え、その足跡をたどる」 1995年8月号(通巻611号) pp.108 - 113
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- 白土貞夫 「竹鼻鉄道『竹鼻駅』駅名異聞」 2009年3月臨時増刊号(通巻816号) pp.202 - 207
- 『RAILFAN』(鉄道友の会会報誌)
- 白井昭 「モ770形と岐阜のGE車の原図を発見」 2006年1月号(通巻639号) pp.14 - 17
- 澤内一晃 「名鉄モ770形と岐阜のGE電車について」 2006年3月号(通巻641号) pp.16 - 18