「村田諒太」の版間の差分
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2016年12月30日、有明コロシアムでブルーノ・サンドバルと162ポンド契約10回戦を行い、3回2分53秒KO勝ちを収めた<ref>[http://boxingnews.jp/news/43901/ 村田諒太“世界前哨戦”3回KO勝ち、清水聡も快勝] Boxing News(ボクシングニュース) 2016年12月30日</ref>。この勝利でWBA世界ミドル級2位にランクされた<ref>[http://boxingnews.jp/news/44127/ WBA&IBF最新ランキング、井上尚&八重樫TV情報] Boxing News(ボクシングニュース) 2017年1月9日</ref>。 |
2016年12月30日、有明コロシアムでブルーノ・サンドバルと162ポンド契約10回戦を行い、3回2分53秒KO勝ちを収めた<ref>[http://boxingnews.jp/news/43901/ 村田諒太“世界前哨戦”3回KO勝ち、清水聡も快勝] Boxing News(ボクシングニュース) 2016年12月30日</ref>。この勝利でWBA世界ミドル級2位にランクされた<ref>[http://boxingnews.jp/news/44127/ WBA&IBF最新ランキング、井上尚&八重樫TV情報] Boxing News(ボクシングニュース) 2017年1月9日</ref>。 |
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⚫ | 2017年3月27日、同月18日に[[ダニエル・ジェイコブス]]が[[ゲンナジー・ゴロフキン]]との王座統一戦に敗れWBA世界ミドル級正規王座が空位となったことに伴い、WBA世界ミドル級[[暫定王座|暫定王者]]でWBA世界ミドル級1位の[[ハッサン・ヌダム・ヌジカム]]とWBA世界ミドル級2位の村田との間でWBA世界ミドル級正規王座決定戦を行うと発表した<ref>[http://www.fightnews.com/Boxing/n-dam-vs-murata-update-398893 N’Dam vs. Murata Update] Fightnews.com 2017年3月27日</ref>。 |
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2017年3月17日、WBAは最新ランキングを発表し、村田をWBA世界ミドル級2位にランクインした<ref>[http://www.wbaboxing.com/wp-content/uploads/rankings/2017-february.pdf World Boxing Association Ranking] WBA公式サイト 2017年3月17日</ref>。 |
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⚫ | 2017年3月27日、 |
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=== WBA世界ミドル級王座挑戦、再戦へ === |
=== WBA世界ミドル級王座挑戦、再戦へ === |
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2017年5月25日、WBAはヌジカム支持の採点をしたグスタボ・バティージャとヒューバート・アールを6ヵ月間の資格停止処分とし<ref>[http://www.wbaboxing.com/boxing-news/padilla-and-earle-suspended-for-6-months Padilla and Earle suspended for 6 months] WBA公式サイト 2017年5月25日</ref><ref>{{Cite news|date=2017-05-26|url=http://www.nikkei.com/article/DGXLSSXK50220_W7A520C1000000/|title=WBA会長、村田らに再戦指令 ジャッジ2人は資格停止|newspaper=日本経済新聞|accessdate=2017-05-26}}</ref>、上述のヌジカムと村田の間で行われたWBA世界ミドル級王座決定戦の採点に問題があったとしてヌジカムと村田に対し再戦するよう指令を出した<ref>[http://www.wbaboxing.com/boxing-news/wba-ratifies-rematch-ndam-murata-and-orders-barthelemy-relikh-2#.WSk2zJLyhdg WBA ratifies Rematch N’Dam-Murata and orders Barthelemy-Relikh 2] WBA公式サイト 2017年5月25日</ref><ref>[http://boxingnews.jp/news/48123/ WBAがジャッジ2人を資格停止処分、村田判定問題] Boxing News(ボクシングニュース) 2017年5月26日</ref>。 |
2017年5月25日、WBAはヌジカム支持の採点をしたグスタボ・バティージャとヒューバート・アールを6ヵ月間の資格停止処分とし<ref>[http://www.wbaboxing.com/boxing-news/padilla-and-earle-suspended-for-6-months Padilla and Earle suspended for 6 months] WBA公式サイト 2017年5月25日</ref><ref>{{Cite news|date=2017-05-26|url=http://www.nikkei.com/article/DGXLSSXK50220_W7A520C1000000/|title=WBA会長、村田らに再戦指令 ジャッジ2人は資格停止|newspaper=日本経済新聞|accessdate=2017-05-26}}</ref>、上述のヌジカムと村田の間で行われたWBA世界ミドル級王座決定戦の採点に問題があったとしてヌジカムと村田に対し再戦するよう指令を出した<ref>[http://www.wbaboxing.com/boxing-news/wba-ratifies-rematch-ndam-murata-and-orders-barthelemy-relikh-2#.WSk2zJLyhdg WBA ratifies Rematch N’Dam-Murata and orders Barthelemy-Relikh 2] WBA公式サイト 2017年5月25日</ref><ref>[http://boxingnews.jp/news/48123/ WBAがジャッジ2人を資格停止処分、村田判定問題] Boxing News(ボクシングニュース) 2017年5月26日</ref>。 |
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2017年6月17日、WBAは最新ランキングを発表し、上述のヌジカム戦に敗れ王座獲得に失敗した村田をWBA世界ミドル級1位にランクインした<ref>[http://www.wbaboxing.com/wp-content/uploads/rankings/2017-may.pdf World Boxing Association Ranking] WBA公式サイト 2017年6月17日</ref><ref>[http://boxingnews.jp/news/48796/ 黒田と小浦がWBAランク入り、再戦指示の村田は1位] Boxing News(ボクシングニュース) 2017年6月20日</ref>。 |
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2017年6月27日、WBAは上述の再戦指令に基づく対戦交渉が合意に至らなければWBA世界ミドル級正規王者ハッサン・ヌダム・ヌジカム対WBA世界ミドル級1位村田諒太戦に関する入札を同年7月7日に行うと発表したが<ref>[http://www.wbaboxing.com/boxing-news/ndam-murata-goes-to-purse-bids N’Dam-Murata goes to purse bids] WBA公式サイト 2017年6月27日</ref><ref>[http://boxingnews.jp/news/49020/ WBAが村田諒太とエンダムの入札期日を指定] Boxing News(ボクシングニュース) 2017年6月28日</ref>、6月29日、帝拳ジムの[[本田明彦]]会長はWBAの入札指令について、「(相手陣営と)まだ交渉も始めていないのに、おかしな話だ。入札は100%やらない。こちらは(再戦を)あまりやる気はない」と話し、「村田がWBA以外の団体とやるのを阻止するために(入札指令を)出したのではないか」との見解を示した<ref>{{cite web|url= https://www.daily.co.jp/ring/2017/06/29/0010323709.shtml |title= 村田vsエンダムの再戦消滅も…WBAの興行権入札指令を本田会長が拒否へ |publisher= デイリースポーツ |date= 2017-6-29 |accessdate= 2017-9-3}}</ref><ref>{{cite web|url= http://www.hochi.co.jp/sports/boxing/20170628-OHT1T50261.html |title= WBAの「再戦入札」村田諒太陣営が拒否「まだ交渉も始めていないのに、おかしな話」 |publisher= スポーツ報知 |date= 2017-6-29 |accessdate= 2017-9-3}}</ref>。 |
2017年6月27日、WBAは上述の再戦指令に基づく対戦交渉が合意に至らなければWBA世界ミドル級正規王者ハッサン・ヌダム・ヌジカム対WBA世界ミドル級1位村田諒太戦に関する入札を同年7月7日に行うと発表したが<ref>[http://www.wbaboxing.com/boxing-news/ndam-murata-goes-to-purse-bids N’Dam-Murata goes to purse bids] WBA公式サイト 2017年6月27日</ref><ref>[http://boxingnews.jp/news/49020/ WBAが村田諒太とエンダムの入札期日を指定] Boxing News(ボクシングニュース) 2017年6月28日</ref>、6月29日、帝拳ジムの[[本田明彦]]会長はWBAの入札指令について、「(相手陣営と)まだ交渉も始めていないのに、おかしな話だ。入札は100%やらない。こちらは(再戦を)あまりやる気はない」と話し、「村田がWBA以外の団体とやるのを阻止するために(入札指令を)出したのではないか」との見解を示した<ref>{{cite web|url= https://www.daily.co.jp/ring/2017/06/29/0010323709.shtml |title= 村田vsエンダムの再戦消滅も…WBAの興行権入札指令を本田会長が拒否へ |publisher= デイリースポーツ |date= 2017-6-29 |accessdate= 2017-9-3}}</ref><ref>{{cite web|url= http://www.hochi.co.jp/sports/boxing/20170628-OHT1T50261.html |title= WBAの「再戦入札」村田諒太陣営が拒否「まだ交渉も始めていないのに、おかしな話」 |publisher= スポーツ報知 |date= 2017-6-29 |accessdate= 2017-9-3}}</ref>。 |
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=== WBA世界ミドル級王座獲得 === |
=== WBA世界ミドル級王座獲得 === |
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2017年10月22日、[[両国国技館]]でWBA世界ミドル級正規王者のハッサン・ヌダム・ヌジカムと再戦し、7回終了TKO勝ちを収め前戦の |
2017年10月22日、[[両国国技館]]でWBA世界ミドル級正規王者のハッサン・ヌダム・ヌジカムと再戦し、7回終了TKO勝ちを収め前戦の借りを返し、日本人として[[竹原慎二]]以来22年ぶり2人目のミドル級世界王者となった<ref>[http://fightnews.com/murata-dethrones-ndam/7269 Murata dethrones N’Dam] Fightnews.com 2017年10月22日</ref><ref>[http://www.wbaboxing.com/boxing-news/murata-stops-ndam-in-tokyo-to-win-wba-title#.Wez6GGhcX7o Murata stops N’Dam in Tokyo to win WBA title] WBA公式サイト 2017年10月22日</ref><ref>[http://boxingnews.jp/news/52659/ 村田諒太がエンダムに雪辱、WBAミドル級王者に] Boxing News(ボクシングニュース) 2017年10月22日</ref>。試合はアメリカでもスポーツチャンネルの「[[ESPN]]」によって生中継された<ref>{{cite web|url= https://www.ringtv.com/521095-top-rank-boss-bob-arum-talks-espn-boxing-schedule-plans-early-2018/ |title= TOP RANK BOSS BOB ARUM TALKS ESPN BOXING SCHEDULE, PLANS FOR EARLY 2018 |publisher= THE RING |date= 2017年10月26日 |accessdate= 2017年12月16日}}</ref>。10月28日、WBAの2017年10月度の月間MVPに選出された<ref>[http://www.wbaboxing.com/wp-content/uploads/rankings/2017-october.pdf World Boxing Association Ranking] WBA公式サイト 2017年10月28日</ref><ref>[http://www.wbaboxing.com/boxing-news/there-have-been-many-changes-on-the-october-ranking#.WfUEvGhcWEc There have been many changes on the October ranking] WBA公式サイト 2017年10月28日</ref><ref>[http://boxingnews.jp/news/52830/ WBAランキング 村田諒太はじめ複数階級で新王者] Boxing News(ボクシングニュース) 2017年10月30日</ref>。 |
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[[2018年]]2月9日、東京・関西運動記者クラブ・ボクシング分科会による、2017年プロボクシング年間最優秀選手賞を受賞した<ref>[https://www.bbm-japan.com/_ct/17147131 2017年 プロボクシング『年間優秀選手表彰式』開催] ベースボール・マガジン社WEB</ref><ref>[https://www.sponichi.co.jp/battle/news/2018/02/09/kiji/20180209s00021000223000c.html 村田諒太が初MVP 恩師命日に…「見守ってくれると思う」] スポニチアネックス 2018年2月9日</ref>。 |
[[2018年]]2月9日、東京・関西運動記者クラブ・ボクシング分科会による、2017年プロボクシング年間最優秀選手賞を受賞した<ref>[https://www.bbm-japan.com/_ct/17147131 2017年 プロボクシング『年間優秀選手表彰式』開催] ベースボール・マガジン社WEB</ref><ref>[https://www.sponichi.co.jp/battle/news/2018/02/09/kiji/20180209s00021000223000c.html 村田諒太が初MVP 恩師命日に…「見守ってくれると思う」] スポニチアネックス 2018年2月9日</ref>。 |
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2018年4月15日、[[横浜アリーナ]]でWBA世界ミドル級6位のエマヌエーレ・ブランダムラと対戦し、8回2分56秒TKO勝ちを収め |
2018年4月15日、[[横浜アリーナ]]でWBA世界ミドル級6位で[[ヨーロッパボクシング連合|EBU]]欧州ミドル級王者のエマヌエーレ・ブランダムラと対戦し、8回2分56秒TKO勝ちを収め、初防衛に成功した<ref>[https://fightnews.com/murata-stops-blandamura-eight-retains-wba-belt/19196 Murata stops Blandamura, keeps WBA 160lb belt] Fightnews.com 2018年4月15日</ref><ref>[http://boxingnews.jp/news/57232/ 村田諒太は8回TKOで初防衛「ゴロフキン目指す」] Boxing News(ボクシングニュース) 2018年4月15日</ref>。アメリカではESPNの第2チャンネル「[[ESPN2]]」で生中継された<ref>{{cite web|url= https://www.sponichi.co.jp/battle/news/2018/03/21/kiji/20180321s00021000148000c.html |title= 村田諒太、初防衛戦が全米生中継 “宿敵”と7月にラスベガスで激突か |publisher= スポニチ |date= 2018年3月20日 |accessdate= 2018年7月10日}}</ref><ref>{{cite web|url= http://www.espn.com/boxing/story/_/id/23027148/ryota-murata-vs-emanuele-felice-blandamura-how-watch-fight-espn |title= How to watch Ryota Murata vs. Emanuele Felice Blandamura on ESPN |publisher= ESPN.com |date= 2018年4月5日 |accessdate= 2018年7月10日}}</ref>。 |
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2018年6月12日、WBAはWBA世界ミドル級3位のロバート・ブラントと指名試合を行うよう指令を出した<ref>{{cite web|url= https://www.sponichi.co.jp/battle/news/2018/06/13/kiji/20180613s00021000121000c.html |title= WBA 村田諒太に3位ブラントとの対戦を指示 |publisher= スポニチ |date= 2018年6月13日 |accessdate= 2018年7月10日}}</ref>。 |
2018年6月12日、WBAはWBA世界ミドル級3位のロバート・ブラントと指名試合を行うよう指令を出した<ref>{{cite web|url= https://www.sponichi.co.jp/battle/news/2018/06/13/kiji/20180613s00021000121000c.html |title= WBA 村田諒太に3位ブラントとの対戦を指示 |publisher= スポニチ |date= 2018年6月13日 |accessdate= 2018年7月10日}}</ref>。 |
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2018年8月13日、WBA本部で行われた指名試合の入札で村田を擁するトップランク社は参加せず、ブラントを擁するグレッグ・コーヘン・プロモーションズが最低入札額(200,000ドル)を僅かに上回る202,114ドルで落札、ファイトマネーの分配率は共に50%(101,057ドル)となった<ref>[https://www.boxingscene.com/ryota-murata-vs-robert-brant-purse-bid-won-by-greg-cohen--130851 Ryota Murata vs. Robert Brant Purse Bid Won By Greg Cohen] BoxingScene.com 2018年8月13日</ref>。 |
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== 戦績 == |
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2018年8月30日 (木) 06:34時点における版
住之江競艇場のトークショーにて (2017年12月23日) | |
基本情報 | |
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本名 | 村田 諒太 |
階級 | ミドル級 |
身長 | 183cm[1] |
リーチ | 184cm[1] |
国籍 | 日本 |
誕生日 | 1986年1月12日(38歳) |
出身地 | 奈良県奈良市 |
スタイル | オーソドックス |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 15 |
勝ち | 14 |
KO勝ち | 11 |
敗け | 1 |
獲得メダル | ||
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日本 | ||
男子 ボクシング | ||
オリンピック | ||
金 | 2012 ロンドン | ミドル級 |
世界ボクシング選手権 | ||
銀 | 2011 バクー | ミドル級 |
インドネシア大統領杯 | ||
金 | 2011 ジャカルタ | ミドル級 |
アジア選手権 | ||
銅 | 2005 ホーチミン | ミドル級 |
村田 諒太(むらた りょうた、1986年1月12日 - )は、日本のプロボクサー。ロンドンオリンピックミドル級金メダリスト。奈良県奈良市出身。帝拳ボクシングジム所属。現WBA世界ミドル級王者。日本人ボクサーとして竹原慎二以来2人目のミドル級世界王者であり、オリンピックメダリストとしては日本人初の世界王者である[2]。 血液型AB型[3]。
マッチメイクは帝拳プロモーションとトップランク社が担当している。トレーナーはプロ転向当初はイスマエル・サラスたったが、現在は田中繊大が務めている。
来歴
両親が共に公務員の家庭に3人兄弟の末っ子として生まれた[4]。 小学校6年生の時に両親が離婚(ただし両親は離婚後も同居中である)、村田は当時のことを「崩壊した家庭環境が辛くて嫌でたまらなかった」と振り返っている[4]。
学生時代
5歳から水泳に親しみ、奈良市立伏見中学校では陸上部に所属。1500メートル走で奈良市大会4位の成績を残すが長続きしなかった[5]。家庭の事情もあり、喧嘩をするなどすさんでいた村田が金髪で登校したところ、担任であった北出忠徳先生に視聴覚室に連れ込まれ「お前、何かやりたいことはないんか?」との問いに、村田が「ボクシングやったら、やるわ」と答えたことがボクシングを始めるきっかけとなった[4]。北出先生の手配で、その週末には地元奈良工業高等学校(現奈良県立奈良朱雀高等学校)のボクシング部(当時の主将は名城信男)が主催する週末ボクシング教室に通いはじめる[6][7]。ロサンゼルスオリンピック日本代表で同校ボクシング部監督の高見公明によれば、当初から陸上競技仕込みのスピードがあったが、パワーは後の練習で身についたものだという[8]。しかし練習が辛く、わずか2週間ほどで行くのをやめてしまう。その後、再び奈良工業高等学校のボクシング練習に顔を出すようになるものの2ヶ月ほどで足首を負傷し、以降二度と練習に顔を出さなくなる[4]。中学校3年生から大阪の進光ボクシングジムでトレーニングを始める。授業にほとんど出ていなかったこともあって勉強は不得意で中学3年生時の通信簿は「1」と「2」だけであった[4]。
南京都高等学校に進学[7]、高校初戦は黒星スタートであったが徐々に頭角を現し、高校2年時で選抜・総体・国体の高校3冠を達成。また3年時でも選抜と総体を制して高校5冠を達成し、最後の国体で粟生隆寛に次ぐ史上2人目の高校6冠の達成がかかっていたが、2府4県が団体戦により3枠を争う国体近畿予選で村田自身はミドル級で優勝するも京都チームが団体戦4位に留まり(大阪・兵庫・奈良が全国に進出)、国体出場を逃す。国体に出られなくなった代わりに全日本選手権に参戦するも、決勝で佐藤幸治に1回RSC負けに終わる。
卒業後は東洋大学経営学部経営学科へ進学しボクシング部に所属。2004年に全日本選手権初優勝[9]。
2005年にはキングスカップに出場、前年のアテネオリンピックミドル級銅メダリストでムエタイで魔裟斗に勝ったこともあるスリヤー・ソー・プルンチットに判定で敗れ、銀メダルを獲得[4]。同年、ホーチミン市で開催されたアジア選手権にミドル級(75kg)で出場し銅メダルを獲得[10][9]。同年、中華人民共和国の綿陽市で開催された2005年世界ボクシング選手権大会にミドル級(75kg)で出場するが1回戦で敗退した [11]。
2006年にはドーハアジア大会代表に選ばれるが1回戦でアテネオリンピック、ウェルター級金メダリストのバクシャー・アルタエルに5-24で敗退する。アルタエフとは半年後のキングスカップで再戦するが再び敗退した[4]。
2007年には世界選手権にミドル級(75kg)で出場するも2回戦でショーン・エストラーダに敗退した[12]。同年の全日本選手権では2度目の優勝を収めたが[9]、2008年1月のオリンピック・アジア1次予選で準決勝敗退、3月のオリンピック・アジア2次予選でも初戦敗退[13]して北京オリンピックの出場権を獲得できなかったことで現役生活からの引退を決めた。
2008年3月に東洋大学を卒業。学校法人東洋大学に就職し大学職員 兼 ボクシング部コーチとして勤務。
2009年、2月に起きた東洋大学ボクシング部元部員の不祥事をきっかけに1年半ぶりの現役復帰を決意[14]。2009年から2011年にかけて全日本選手権で3連覇を果たす[9][15]。
2010年、カザフスタン大統領杯にミドル級(75kg)で出場するが2回戦敗退[16]。
2011年7月のインドネシア大統領杯にミドル級(75kg)で出場し初の国際大会優勝[映像 1][17]。
2011年8月、アジア選手権で2回戦敗退。
同年10月の世界選手権にミドル級(75kg)で出場、過去にこの大会のライトヘビー級・ミドル級で金メダリストとなったアボス・アトエフと2回戦で対戦。3回にアトエフから2度のスタンディングダウンを奪い、3回RSC勝ちを収めた。4回戦に勝利してロンドンオリンピック出場権を獲得した後、準決勝でエスキバ・ファルカオを破り、日本人として初めて決勝に進出したが、イエフゲン・フイトロフに22-24の僅差判定負けを喫して銀メダル獲得となった[18][19]。しかし、同選手権での銀メダル獲得は日本人最高成績であり、メダリストは石井幸喜、川内将嗣に次いで3人目であった。英国のボクシング専門誌『ボクシング・マンスリー』7月号は、ロンドンオリンピックにおける各階級最大の脅威を紹介する記事の中で、英国にとって「ミドル級最大の強敵は日本の村田」と評価した[20]。
この後、試合をこなしながら調整した方がいいと思う気持ちもあり、全日本選手権には出場し優勝したが[15]、「手の内を明かしたくない」と考え国際試合からは離れた[21]。2012年5月にはワタナベジムへの出稽古で元日本・東洋太平洋スーパーウェルター級王者の柴田明雄とスパーリングをし、高校3年時から交流がある同ジム所属の現役世界王者・内山高志から左ボディー打ちをアドバイスされた[22]。また、7月には帝拳ジムで日本スーパーミドル級1位の三浦広光とスパーリングをし、南京都高の先輩で同ジム所属の現役世界王者・山中慎介から激励を受けた[23]。
ロンドンオリンピック
2012年のロンドンオリンピックで村田は第2シードとなり[24]、8月2日に行われた2回戦から出場。アブデルマレク・ラフーを21-12の判定で下し、準々決勝に進出した[25]。
8月6日に行われた準々決勝の前日には、同い年で大学1年時からともに日本代表の清水聡が先に準々決勝を勝ち抜き、ボクシング競技では日本人として44年ぶりとなるメダル獲得を確定させていた[26][27]。村田は「どれだけプレッシャーかけてくれるんやろうって、回し蹴り食らわせたいぐらいだった」という状況の中、アデム・キリッチ(トルコ)に初回から1ポイントのリードを許した[27]。初回については想定内であったものの、2回のボディー攻撃で挽回できなかったことについては「追いついていると思っていたので少し焦った」と試合後に話しているが、3回には10-5の大差をつけて最終的に17-13の逆転ポイント勝ちを収めメダル獲得を確定させた[28]。ボクシングの日本代表がオリンピックの一大会で複数のメダルを獲得するのは初であった[29]。また、ミドル級での出場は1996年のアトランタオリンピックでの本博国に続いて16年ぶりで[30]、他に1964年の東京オリンピックに出場した天間一がいるが[31]、バンタム級を超えた階級でのメダル獲得は日本初となった[30]。
8月10日、準決勝で前年の世界選手権で勝利したウズベキスタンのアボス・アトエフと対戦、1回に3ポイントをリードされたものの[32]、後半に入り猛攻を見せ、ポイントで逆転、最終的に13-12で判定勝ちを収めて決勝に進出した[33][34]。
8月11日の決勝戦ではブラジルのエスキバ・ファルカオを14-13で破り金メダルを獲得した[映像 2][映像 3][35]。日本人選手によるボクシング金メダル獲得は1964年東京オリンピックのバンタム級、桜井孝雄以来48年ぶりであった。この試合は初回を村田、2回をファルカンがとる接戦で、結果的に3回にファルカンのホールディングで村田に2ポイントが加点されたことが勝敗を分けた[36]。ブラジル五輪委員会 (COB) は8月17日になって国際ボクシング協会 (AIBA) に試合結果の見直しを求めたが[37]、この要請は退けられた[38]。
博報堂DYメディアパートナーズが同月下旬に行った「アスリートイメージ評価調査」では、ロンドン五輪で期待以上の成績だったと思う選手の1位に選ばれた[39]。
ロンドンから帰国後間もなく、和歌山県立体育館で開催された国体近畿ブロック予選に参加。村田はミドル級のシード選手として大会最終日の8月26日に行われた決勝の1試合を行った。国体には南京都高1年時に初出場し、京都代表として過去に4度優勝してきた[40]。この予選に2回56秒RSC勝ちで優勝を収め、京都の岐阜国体出場権を確保すると[41]、自らは国体に出場せずに東洋大職員の業務に専念する意向を示し[42][43]、長期的な展望としては日本オリンピック委員会 (JOC) のスポーツ指導者海外研修員として[42]スポーツ科学やスポーツマネジメントを学びに[44][45][46]英国など英語圏の国へ留学する構想もあることを明かし[47]、2020年東京オリンピックの招致活動を応援していた[48]。
アマチュア引退勧告、プロ転向
ロンドン五輪終了後、村田はAIBAが設立するプロ団体APBへの参加を名指しで要請されていたが[49]、現役を引退する可能性がある旨を記した公式文書を提出し、日本アマチュアボクシング連盟(現・日本ボクシング連盟。以下、日連)経由で辞退した[50]。その後、村田はアマチュアでの現役続行を選び、AIBAから再度APB参加を要請されたが、再び辞退[51]。その一方で、全日本社会人選手権への出場に意欲を示し、プロ転向に向けても独自に動くなど一貫性を欠いたと見られる行動をとっていた[52]。五輪終了後に東洋大学総監督の東郷武は、3年以内に監督を任せようと考えていたというが[53]、スポーツ報知によれば、2012年秋からはフジテレビ主導で、同局ボクシング中継の窓口である三迫ジム入り(プロ転向)を奨められていた[54]。日連会長の山根明は、2013年1月14日に大阪市内で村田からプロ転向の意思を伝えられ、数日後に同ジムの会長・三迫仁志とマネジャーから、経緯報告のための訪問を受けた[50]。
日連幹部の中には、清水聡の不当判定への抗議をAIBAが受け入れ、五輪史上初めて結果が覆ったことも山根がAIBA執行部と良好な関係を築き、維持してきたことによるものという見方があり、日連内では村田の動向をめぐってAIBAとの関係が悪化することへの懸念があった[49]。また山根によれば、村田が「『プロ転向を他には言ってない』と話しておきながら、東京では(その動きを)ほとんど知っていた」ことも不信感を募らせる一因となった。日連は村田に対して2013年2月2日、大阪市開催の理事会で、引退かアマチュア続行かプロ転向かの進路決定をめぐる信義則違反を理由として、同連盟初となるアマチュア選手としての引退勧告を満場一致で決議した[52]。山根は村田の言動には一貫性がなく、AIBAに対する約束違反があったと説明し[51]、また一連の経過の中で選手の意思は尊重するものの、プロ側とは共存共栄を図れる関係で日連強化選手の引き抜きなどはないものと認識していたが「裏切られた」と不快感を示した[49]。
村田は同日夜に山根と会談し、報道が先行して迷惑をかけたことを全面謝罪した。その後の会見で村田は改めてプロ転向の意思を表明し、引退勧告については「愛情ある措置をいただいたと、僕のことをしっかり考えた上ですべてのことを進めて下さっていると感謝しています。連盟の出された指示に従うだけですから」、またプロ入りについては「僕がプロに行く以上、負けは許されない。東洋大学もまだこの話を知らないですし、まず皆さんに応援していただける環境づくりをしたいと思います」と話した[52][55]。三迫ジム関係者はまだ何も決まっていないと言い、「村田君と連盟のこういう関係は望んでいなかった」と困惑した様子を見せた[56]。翌3日、日連は大阪市内で臨時総会を開き、村田への引退勧告を正式に承認した[57]。引退勧告から9日後の4月12日、プロ転向を宣言し、三迫ボクシングジムに所属することとなった。
プロ転向の際の騒動について村田は2016年9月3日放送のザ・インタビュー〜トップランナーの肖像〜にて、「僕は初めは引退するつもりだった。でもチヤホヤされたのを含めて周囲から評価されるなかで、まだ体力的にイケるからもうちょっとボクシングがしたい、五輪金メダルを取ったような成功体験をもう一度味わいたいと思った。でもアマチュアで現役続行したいと言ったら『駄目だ』と言われた(誰に言われたか名前は明かさず)。なので後進の指導がしたいし英語の勉強もしたいから海外留学もしたいと職場に相談したがそれも駄目だった。それで今度はプロに転向しようかと妻に相談したら絶対に駄目だと言われ、迷っていた。そんな最中にNHKの課外授業 ようこそ先輩(2012年12月29日放送分)の収録で奈良市立伏見小学校で母校の小学校6年生と2日間過ごしてるうちに、昔の自分の夢が『五輪で金メダルを取ってプロ転向してラスベガスでやる』ことだったことを思い出した。収録を終えて妻に『もう1回自分の夢を追いかけたいからプロに行きたい』と言ったら許してくれた。たぶん妻は最初に相談した時はプロ転向の理由がアマチュアで現役続行できない、留学できないというネガティブな理由だったから駄目と言ったんだと思う。明日に向かっていくもの、次に向かうパワーが理由になったから許してくれたのだと思うので感謝している」と語っている。
4月16日に後楽園ホールでフジテレビ「EXCITING TIME」で生中継もされたプロテストマッチを受け合格、プロボクサーへと転向した。
プロデビュー戦へ
プロテスト合格後、アメリカ合衆国で練習を積むなどした後、2013年7月3日、東京・有明コロシアムにて、8月25日に東洋太平洋ミドル級王者で日本スーパーウェルター級王者でもある柴田明雄を相手に73kg契約6回戦でデビュー戦を行うことが発表された[58]。
2013年8月25日、有明コロシアムで柴田明雄と対戦し、2回2分24秒TKOで下し、圧勝でプロデビュー戦を飾った[59]。この勝利で東洋太平洋ミドル級1位[60]、日本ミドル級1位[61]、WBC世界ミドル級19位にランクされた[62]。
2013年12月6日、両国国技館でデイブ・ピーターソンと73kg契約8回戦を行い、8回1分20秒TKO勝ちを収めた[63]。
2014年2月22日、中華人民共和国のマカオにあるザ・ベネチアン・マカオ内コタイ・アリーナでカルロス・ナシメンと73.4kg契約8回戦を行い、4回43秒TKO勝ちを収めた[64]。
2014年5月22日、島津アリーナ京都でヘスス・アンヘル・ネリオと73.4kg契約10回戦を行い、6回2分35秒KO勝ちを収めた[65]。この勝利でWBC世界ミドル級13位にランクされた[66]。
2014年7月10日、アメリカ合衆国のカリフォルニア州でWBA世界ミドル級スーパー王者ゲンナジー・ゴロフキンとスパーリングを行い[67]、15日にWBC世界ミドル級11位にランクされた[68]。
2014年9月5日、国立代々木第二体育館でWBC世界ミドル級22位でメキシコミドル級王者でもあるアドリアン・ルナと73.4kg契約10回戦を行い、10回3-0(98-92、99-91、100-90)の判定勝ちを収めた[69]。この試合から村田は帝拳ボクシングジムの所属選手になることが発表された[70]。この勝利でWBC世界ミドル級8位にランクされた[71]。
2014年12月30日、東京体育館でジェシー・ニックロウと73.4kg契約10回戦を行い、10回3-0(100-91、2者が100-90)の判定勝ちを収めた[72]。この勝利でIBF世界ミドル級15位にランクされた[73]。
2015年5月1日、大田区総合体育館でWBO世界ミドル級14位でWBOラテンアメリカミドル級王者でもあるダグラス・ダミアオ・アタイデと73.4kg契約10回戦を行い、5回38秒TKO勝ちを収めた[74]。この勝利でIBF世界ミドル級9位[75]、WBO世界ミドル級11位にランクされた[76]。
2015年8月12日、WBAが最新ランキングを発表し、村田はWBA世界ミドル級15位にランクされた。この時点で村田はWBC世界ミドル級4位、IBF世界ミドル級8位、WBO世界ミドル級9位にランクされていた[77]。
2015年9月12日、アメリカのラスベガスで試合を予定していたが、練習中に右肩を痛め中止となった。また、これにより計画がずれ込んだため年内の世界挑戦も白紙となった[78]。
2015年11月7日、ラスベガスのトーマス&マック・センターでアメリカデビュー戦。ティモシー・ブラッドリーvsブランドン・リオスの前座で元WBOオリエンタルミドル級王者のガナー・ジャクソンと73.4kg契約10回戦を行い、10回3-0(97-93、98-92、99-91)の判定勝ちを収めた[79]。
2016年1月30日、上海の上海東方体育中心でWBCムンドヒスパノミドル級王者のガストン・アレハンドロ・ベガと73.4kg契約10回戦を行い、2回2分23秒KO勝ちを収めた[80]。
2016年5月14日、香港の香港コンベンション・アンド・エキシビション・センターでフェリペ・サントス・ペドロソと73.4kg契約10回戦を行い、4回2分50秒TKO勝ちを収めた[81]。
2016年7月23日、MGMグランド・ガーデン・アリーナに念願の初登場。テレンス・クロフォードvsビクトル・ポストルの前座で元NABA北米並びにWBCアメリカ大陸ミドル級王者のジョージ・タドーアーニッパーとスーパーミドル級契約10回戦を行った。元世界ランカーを相手に臆することなく強打を当て、ボディアッパーでダウンを奪い最後は連打でレフェリーがストップ。初回1分52秒TKO勝ちを収めた[82]。
2016年12月30日、有明コロシアムでブルーノ・サンドバルと162ポンド契約10回戦を行い、3回2分53秒KO勝ちを収めた[83]。この勝利でWBA世界ミドル級2位にランクされた[84]。
2017年3月27日、同月18日にダニエル・ジェイコブスがゲンナジー・ゴロフキンとの王座統一戦に敗れWBA世界ミドル級正規王座が空位となったことに伴い、WBA世界ミドル級暫定王者でWBA世界ミドル級1位のハッサン・ヌダム・ヌジカムとWBA世界ミドル級2位の村田との間でWBA世界ミドル級正規王座決定戦を行うと発表した[85]。
WBA世界ミドル級王座挑戦、再戦へ
2017年5月20日、有明コロシアムでWBA世界ミドル級暫定王者でWBA世界ミドル級1位のハッサン・ヌダム・ヌジカムとWBA世界ミドル級王座決定戦を行い、プロ初黒星となる12回1-2(117-110、111-116、112-115)の判定負けを喫し王座獲得に失敗した[86][87]。試合後、WBA会長はヌジカムと村田を再戦させる意向を示すと共に「私のスコアは117-110で村田の勝利。まずは村田諒太、帝拳プロモーション、そしてすべての日本のファンに謝らなければならない。このひどい判定によるダメージを修復する言葉はない」と自身のソーシャルメディアにコメントを載せ、この試合の判定に言及した異例の声明を発表した[88][89]。
2017年5月24日、JBCは上述のヌジカムと村田の間で行われたWBA世界ミドル級王座決定戦に関し、採点の内容に関してWBA会長に文書で抗議したと発表した。試合の採点結果を再検証し、2週間以内の回答を求めたとのこと[90]。
2017年5月25日、WBAはヌジカム支持の採点をしたグスタボ・バティージャとヒューバート・アールを6ヵ月間の資格停止処分とし[91][92]、上述のヌジカムと村田の間で行われたWBA世界ミドル級王座決定戦の採点に問題があったとしてヌジカムと村田に対し再戦するよう指令を出した[93][94]。
2017年6月27日、WBAは上述の再戦指令に基づく対戦交渉が合意に至らなければWBA世界ミドル級正規王者ハッサン・ヌダム・ヌジカム対WBA世界ミドル級1位村田諒太戦に関する入札を同年7月7日に行うと発表したが[95][96]、6月29日、帝拳ジムの本田明彦会長はWBAの入札指令について、「(相手陣営と)まだ交渉も始めていないのに、おかしな話だ。入札は100%やらない。こちらは(再戦を)あまりやる気はない」と話し、「村田がWBA以外の団体とやるのを阻止するために(入札指令を)出したのではないか」との見解を示した[97][98]。
WBA世界ミドル級王座獲得
2017年10月22日、両国国技館でWBA世界ミドル級正規王者のハッサン・ヌダム・ヌジカムと再戦し、7回終了TKO勝ちを収め前戦の借りを返し、日本人として竹原慎二以来22年ぶり2人目のミドル級世界王者となった[99][100][101]。試合はアメリカでもスポーツチャンネルの「ESPN」によって生中継された[102]。10月28日、WBAの2017年10月度の月間MVPに選出された[103][104][105]。
2018年2月9日、東京・関西運動記者クラブ・ボクシング分科会による、2017年プロボクシング年間最優秀選手賞を受賞した[106][107]。
2018年4月15日、横浜アリーナでWBA世界ミドル級6位でEBU欧州ミドル級王者のエマヌエーレ・ブランダムラと対戦し、8回2分56秒TKO勝ちを収め、初防衛に成功した[108][109]。アメリカではESPNの第2チャンネル「ESPN2」で生中継された[110][111]。
2018年6月12日、WBAはWBA世界ミドル級3位のロバート・ブラントと指名試合を行うよう指令を出した[112]。
2018年8月13日、WBA本部で行われた指名試合の入札で村田を擁するトップランク社は参加せず、ブラントを擁するグレッグ・コーヘン・プロモーションズが最低入札額(200,000ドル)を僅かに上回る202,114ドルで落札、ファイトマネーの分配率は共に50%(101,057ドル)となった[113]。
戦績
- アマチュアボクシング:138戦 119勝 (89KO・RSC) 19敗
- プロボクシング:15戦 14勝 (11KO) 1敗
戦 | 日付 | 勝敗 | 時間 | 内容 | 対戦相手 | 国籍 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2013年8月24日 | 勝利 | 2R 2:24 | TKO | 柴田明雄 | 日本 | プロデビュー戦 |
2 | 2013年12月6日 | 勝利 | 8R 1:20 | TKO | デイブ・ピーターソン | アメリカ合衆国 | |
3 | 2014年2月22日 | 勝利 | 4R 0:43 | TKO | カルロス・ナシメント | ブラジル | |
4 | 2014年5月22日 | 勝利 | 6R 2:35 | KO | ヘスス・アンヘル・ネリオ | メキシコ | |
5 | 2014年9月5日 | 勝利 | 10R | 判定3-0 | アドリアン・ルナ | メキシコ | |
6 | 2014年12月30日 | 勝利 | 10R | 判定3-0 | ジェシー・ニックロウ | アメリカ合衆国 | |
7 | 2015年5月1日 | 勝利 | 5R 0:38 | TKO | ダグラス・ダミアオ・アタイデ | ブラジル | |
8 | 2015年11月7日 | 勝利 | 10R | 判定3-0 | ガナー・ジャクソン | ニュージーランド | |
9 | 2016年1月30日 | 勝利 | 2R 2:23 | KO | ガストン・アレハンドロ・ベガ | アルゼンチン | |
10 | 2016年5月14日 | 勝利 | 4R 2:50 | TKO | フェリペ・サントス・ペドロソ | ブラジル | |
11 | 2016年7月23日 | 勝利 | 1R 1:52 | TKO | ジョージ・タドーアーニッパー | アメリカ合衆国 | |
12 | 2016年12月30日 | 勝利 | 3R 2:53 | KO | ブルーノ・サンドバル | メキシコ | |
13 | 2017年5月20日 | 敗北 | 12R | 判定1-2 | ハッサン・ヌダム・ヌジカム | フランス | WBA世界ミドル級王座決定戦 |
14 | 2017年10月22日 | 勝利 | 7R 終了 | TKO | ハッサン・ヌダム・ヌジカム | フランス | WBA世界ミドル級タイトルマッチ |
15 | 2018年4月15日 | 勝利 | 8R 2:56 | TKO | エマヌエーレ・ブランダムラ | イタリア | WBA防衛1 |
テンプレート |
人物
- 南京都高等学校ボクシング部で指導を受けた同校監督の武元前川を恩師として挙げている。2010年2月に武元は急死したが、村田は「先生の夢は五輪選手を育てたい、だった」と話している[14]。
- 2008年北京五輪出場を逃しボクシング界から引退する。東洋大学職員兼ボクシング部コーチとして大学に勤務し後進の指導を担当していたが、2009年2月 東洋大学ボクシング部の元部員が覚せい剤取締法違反容疑で逮捕され、東洋大学ボクシング部は活動自粛となり、関東大学リーグ1部から3部へ降格処分が下される。村田はコーチであったのに不祥事を止められなかった自戒の念と、全日本選手権で優勝することが出来れば東洋大学ボクシング部の名誉回復につながるのではと判断し現役に復帰した[4]。
- 2010年5月、東洋大学に勤務する4歳年上の女性と結婚。翌年5月に長男、2014年5月に長女が誕生。ロンドンオリンピック準々決勝直前には携帯電話で日本にいる長男の映像を見て気持ちを落ち着かせた[114]。
- ロンドンオリンピック準々決勝に出発する前、前日にメダル獲得を確定させた清水聡からは「村田は変に『頑張れよ』という方が緊張するだろうから」と考えて「負けろよ」とエールを送られた。村田のほうでも清水と互いにいいライバル関係にあることを認めた上で[115]、後に東日本大震災の被災地を勇気づけるために訪問したいと語った際に公開スパーリングの計画に話が及ぶと、「清水とやるなら、ボコボコにしてやりますよ」と話している[116][117]。
- アマチュアボクシングに誇りを持っているため「アマチュア」という言葉を嫌い、その理由を「プロに負ける要素がないから」と説明している。プロボクサーとのスパーリングで実際には村田が相手を翻弄していても「引けを取らない」などとマスメディアが報じることも好まない[118]。ロンドンオリンピックを控えた2012年中ごろには「世界チャンピオンが今、プロで何人もいますけど、僕らの世界ではそうはいかないですよ」と話している[映像 4]。
- 好きな選手は、フェリックス・トリニダード[4]。
- 憧れのアスリートとして魔裟斗と室伏広治をあげている[4]。また「喧嘩をしたら負けると思った」人物として室伏広治と朝青龍の二人を挙げている[119]。村田が18歳の頃から魔裟斗がパンチのみのボクシングスパーリングをする際にスパーリング・パートナーとして招聘され拳を交えている。最初にスパーリングした当時はボクシングがK-1に人気を奪われていた時期ということもあり、「蹴りが無いパンチだけのスパーリングでは絶対に負けたくない」と意気込んでいたが当時既にK-1世界王者に輝いていた魔裟斗にはさすがにかなわず劣勢だった。しかし、ゴング格闘技で両者が対談した際に魔裟斗は「村田くんの素質の良さは当時から感じていた」と語っている。
- アマ時代の一時期ウェイトトレーニングを取り入れていたが、スピードが鈍り、故障も増えたことから現在はやっていない[4][120]。
- 試合前、試合後は飲まないが、それ以外の日には飲酒をすることがある[4]。
- 勝負曲はSuperflyの「Beep!!」である[4]。
- CTスキャン撮影の際、医者に「頭蓋骨が厚いね。一般の人より1.5倍くらい厚い」と言われたことがある[4]。
- 2013年9月、女性向けファッションショー「神戸コレクション」にゲストモデルとして出演[121]。
- 2017年5月、WBA世界ミドル級王座決定戦を前に岡山県笠岡市大島中に在住する父方の祖父母が笠岡市の小林嘉文市長を表敬訪問し、応援を依頼。市民有志が「笠岡から村田諒太選手を応援する会」を結成した[122][123][124][125]。
- 2018年4月、竹原慎二がウィリアム・ジョッピーに敗れ果たせなかったWBA世界ミドル級王座の初防衛を横浜アリーナで日本人ミドル級世界王者として初めて果たした[126]。
獲得タイトル
- アマチュア
- 2005年アジア選手権ミドル級銅メダル
- 2011年インドネシア大統領杯ミドル級金メダル
- 2011年世界ボクシング選手権大会ミドル級銀メダル
- ロンドンオリンピックミドル級金メダル
- プロ
主な受賞歴
- ボクシング競技
- プロ・アマチュア年間表彰
- JOCスポーツ賞 特別功労賞(2012年)[135]
- 京都府スポーツ賞 特別栄誉賞(2012年)[136]
- JOC オリンピック特別賞(2012年)[137]
- 東京都栄誉賞(2012年)[138]
- 都民スポーツ大賞(2012年)[138]
- 奈良県県民栄誉賞(2012年)[139]
- 奈良市市民栄誉賞(2012年)[140]
- 紫綬褒章(2012年)[141]
- アジア・オリンピック評議会 スポーツ・スター賞(2012年)[142]
- スポーツニッポンフォーラム FOR ALL 2012 グランプリ(2012年)[143]
- 毎日スポーツ人賞 個人賞(2012年)[47]
- ビッグスポーツ賞(2012年)[144]
- 日本スポーツ賞 オリンピック特別賞(2012年)[145]
- デイリースポーツ ホワイトベア・スポーツ賞 個人賞(2012年)[146]
- 日本プロスポーツ大賞 殊勲賞(2017年)[147]
- WBA 2017年10月度月間MVP
- その他
- ベストジーニスト(2012年)[148]
- GQ Men of the Year 2012[149]
- イクメン オブ ザイヤー (2013年)
- ベスト・ファーザー イエローリボン賞(2014年)[150]
- ベストネクタイスト賞(2014年)
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過去のスポンサー
メディア出演
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CM
- NTTドコモ LTE 「Strong.村田さんと謙さん」 篇 (同社のイメージキャラクター・渡辺謙と共演、2013年10月12日 - )
- 高橋書店
- アンダーアーマー
- すき家
- NURO
- フジテレビ「変わる、フジ。変える、テレビ」
テレビ番組
- 情熱大陸 (毎日放送、2013年08月25日[154]、2017年5月28日[155]、10月29日[156])
- 「黄金のバンタム」を破った男〜ファイティング原田物語〜(フジテレビ、2014年2月22日) - ジムの選手 役
- 第68回NHK紅白歌合戦(2017年12月31日、NHK) - ゲスト審査員
脚注
- ^ a b 村田諒太はリラックスモードも「結果がすべて」 Boxing News(ボクシングニュース) 2018年4月12日
- ^ 村田“因縁”エンダムに涙のリベンジ!7回TKOで日本人2人目ミドル級王者 スポニチアネックス 2017年10月22日
- ^ 選手プロフィール 帝拳ジム公式サイト
- ^ a b c d e f g h i j k l m n 村田諒太『101%のプライド』幻冬舎、2012年。ISBN 978-4344023093。
- ^ “【インタビュー】村田諒太(ロンドン五輪ボクシング男子ミドル級金メダリスト)前編(2012.10.23)”. dime.jp. p. 2 (2012年10月23日). 2014年7月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年11月10日閲覧。
- ^ “名城3度目世界奪取へ村田に見に来て〜…WBA世界Sフライ級”. スポーツ報知大阪版 (2012年8月21日). 2012年8月25日閲覧。
- ^ a b "金の拳 宿った金言 ボクシング村田" 2012年8月13日付朝日新聞朝刊(大阪本社13版)29面
- ^ “五輪ボクシング・村田準決勝へ 恩師「金必ず取れる」”. 読売新聞奈良版. (2012年8月8日) 2012年8月9日閲覧。
- ^ a b c d ASBC(アジアボクシング連盟)による主な試合結果
- ^ “23.Asian Championships - Ho Chi Minh City, Vietnam - August 29 - September 4 2005”. Amateur.Boxing.Strefa.pl. 2014年5月18日閲覧。
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関連項目
- 男子ボクサー一覧
- アマチュアボクシング日本王者一覧
- 2012年ロンドンオリンピックの日本選手団
- 2012年ロンドンオリンピックのメダリスト一覧
- 日本の夏季オリンピック金メダル
- オリンピックのボクシング競技・メダリスト一覧
- 年間表彰選手 (ボクシング)
- 日本のボクシング世界王者一覧
- 世界ボクシング協会(WBA)世界王者一覧
- ボクシング現王者一覧
外部リンク
- AIBA(国際ボクシング協会)による主な試合結果
- AIBA(国際ボクシング協会)によるAIBA関連の詳細な試合結果
- 村田 諒太 Ryota Murata (ryota.murata.official) - Facebook
- 村田 諒太「SUPPORTER'S CLUB」
- 村田諒太 - 帝拳ジム公式サイト
- 村田諒太の戦績 - BoxRec
前王者 ハッサン・ヌダム・ヌジカム |
WBA世界ミドル級王者 2017年10月22日 - 現在 |
次王者 N/A |