「稚内駅」の版間の差分
m 地図アイコン変更 |
|||
7行目: | 7行目: | ||
|pxl= 300px |
|pxl= 300px |
||
|画像説明= 駅舎(2016年10月) |
|画像説明= 駅舎(2016年10月) |
||
{{Infobox mapframe|zoom=14|frame-width=280|type=point|marker=rail}} |
|地図={{Infobox mapframe|zoom=14|frame-width=280|type=point|marker=rail}} |
||
|よみがな= わっかない |
|よみがな= わっかない |
||
|ローマ字= Wakkanai |
|ローマ字= Wakkanai |
2020年2月15日 (土) 03:28時点における版
稚内駅 | |
---|---|
駅舎(2016年10月) | |
わっかない Wakkanai | |
◄W79 南稚内 (2.7 km) | |
所在地 | 北海道稚内市中央3丁目6-1 |
駅番号 | ○W80 |
所属事業者 | 北海道旅客鉄道(JR北海道) |
所属路線 | ■宗谷本線 |
キロ程 | 259.4 km(旭川起点) |
電報略号 | ワカ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
乗車人員 -統計年度- |
107人/日(降車客含まず) -2015年- |
開業年月日 | 1928年(昭和3年)12月26日 |
備考 |
駅長配置駅 みどりの窓口 有 |
稚内駅(わっかないえき)は、北海道稚内市中央3丁目にある北海道旅客鉄道(JR北海道)宗谷本線の駅。駅番号はW80。事務管コードは▲121851[1]。
概要
日本国内の最北端にある鉄道駅であり[注 1]、ホームに列車が到着すると自動音声放送「日本最北端の駅、終点稚内駅到着です」が流れる。窓口では「日本最北端の駅来駅証明書付き記念入場券」を発売している。日本国内最南端のみどりの窓口設置駅となる鹿児島県の指宿駅と「姉妹駅」提携を結んでいる。駅舎となる「キタカラ(KITAcolor)」道の駅わっかない・バスターミナル(稚内駅前バスターミナル)と一体の交通結節点になっているほか、売店や飲食店、コンビニエンスストア、観光協会、地域交流センター、映画館、グループホーム、高齢者住宅がある複合施設になっている[2]。また、みなとオアシス「わっかない」を構成する施設になっている[3]。 また、1995年9月4日に深名線が廃止されて以降、最長片道切符の始発駅となっている。
駅名の由来
市名より。アイヌ語の「ヤムワッカナイ(ラテン翻字: yam-wakka-nay)」〔冷たい・水(飲み水)の・川〕から[4]。
歴史
1922年(大正11年)に開業した稚内駅は現在の南稚内駅であり[5]。1923年(大正12年)5月1日から、当時日本の統治下にあった南樺太の大泊町に連絡する鉄道連絡船「稚泊航路」の運航が始まった[5]。1924年(大正13年)11月10日に稚内連絡待合所が現在の稚内駅近くに建設されたが、当時の稚内駅からは約2 kmの距離を旅客は徒歩で、貨物は荷車で連絡していた。なお、当時の稚泊航路は夏期は隔日、冬期は10日で2往復の運航体制であり、東京から樺太の大泊港までは夜行3泊を要した。
1928年(昭和3年)12月26日に現在の稚内駅である「稚内港駅」(わっかないみなとえき)まで鉄道路線が延伸された[6]。開業時の駅舎は、稚内連絡待合所の建物を改修した上で利用していたと推測されている。「稚泊航路」への連絡を重要としていたため市街地とは反対側の海側に駅舎があったが、1938年(昭和13年)6月30日に木造平屋建ての駅舎(2代目駅舎)を市街地側に建設した。1936年(昭和11年)には稚内港の北防波堤桟橋が竣工し、1937年(昭和12年)から防波堤桟橋内への線路延長敷設工事(約850 m)が始まり、1938年(昭和13年)10月1日から防波堤桟橋内に「稚内桟橋駅」(わっかないさんばしえき)を設置した(ただし、稚内港駅の構内乗降場の扱いであり、独立した駅とは見なされていなかった)[注 2][6]。稚内桟橋駅は、現存する北防波堤ドーム沿いに線路が敷かれてドーム内に旅客ホームがあり、線路を跨線橋で渡った南側に駅舎を設置していた。駅舎はコンクリート造り2階建てで、1階が乗船口や待合室・事務室・貨物保管庫、2階が日本食堂の構内食堂であった。駅舎南側には連絡船などが着岸する桟橋があり、陸地に近い側から利尻島・礼文島を結ぶ「利礼航路」、樺太の本斗町を結ぶ北日本汽船の「稚斗航路」、鉄道省の「稚泊航路」の順で離着岸していた。1939年(昭和14年)2月1日に稚内駅を「南稚内駅」に、稚内港駅を「稚内駅」に改称した[6]。その後、「稚泊航路」は1945年(昭和20年)8月以降のソ連軍の南樺太侵攻開始後も樺太からの引揚者輸送に当たっていたが、同年8月24日に稚内港に入港した便を最後に運航停止となり、稚内桟橋駅も実質的に廃止となった[6]。また、かつての駅構内には「稚泊航路」との連絡のほかに貨物扱いで多くの側線を敷設していたが、1984年(昭和59年)2月1日に貨物の取り扱いが廃止となって旅客専用駅になり、徐々に側線の撤去を進めていった。2010年(平成22年)1月31日には2番線が廃止されたことにより、単線の駅になった。2011年(平成23年)4月3日には「稚内駅前地区第1種市街地再開発事業」に伴う稚内駅再開発ビル「キタカラ」(KITAcolor)に新しい駅舎(4代目)が開業した(「キタカラ」(KITAcolor)は2012年(平成24年)に全面開業した)[7][8]。
年表
- 1923年(大正12年)5月1日:稚泊航路開設[5]。
- 1924年(大正13年)11月10日:稚内連絡待合所開設。
- 1928年(昭和3年)12月26日:宗谷線稚内駅(現在の南稚内駅) - 当駅間延伸開業[6]。開業時の駅名は稚内港駅(わっかないみなとえき)[6]。一般駅。
- 1938年(昭和13年)
- 1939年(昭和14年)2月1日:駅名を稚内駅と改称[6]。
- 1945年(昭和20年)8月25日:稚泊連絡船運航停止し、稚内桟橋駅が事実上廃止[6]。
- 1949年(昭和24年)6月1日:公共企業体である日本国有鉄道(国鉄)に移管。
- 1952年(昭和27年)11月6日:南稚内駅移転に伴い、南稚内駅との間のキロ程が1.2 kmから2.7 kmに変更[6]。
- 1965年(昭和40年)10月1日:駅舎建替えにより、3代目駅舎使用開始[9]。
- 1967年(昭和42年):指宿駅と「姉妹駅」提携。
- 1968年(昭和43年)10月1日:みどりの窓口設置[9]。
- 1970年(昭和45年)3月1日:補助コンテナ基地設置[10]。
- 1984年(昭和59年)2月1日:貨物取扱い廃止[10]。
- 1986年(昭和61年)11月1日:新聞紙を除き荷物扱い廃止。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により北海道旅客鉄道(JR北海道)に継承[11]。
- 1991年(平成3年)10月25日:新聞紙の取扱い廃止。
- 2000年(平成12年)3月11日:特急「スーパー宗谷」・「サロベツ」運転開始により、特急列車発着駅となる[9][12]。
- 2006年(平成18年)3月18日:夜行特急「利尻」が季節運転となる[9][13]。
- 2007年(平成19年)9月30日:季節運転の夜行特急「はなたび利尻」廃止し、夜行列車の運行終了[9]。
- 2010年(平成22年)1月30日:2番線廃止[9][14]。
- 2011年(平成23年)
- 4月2日:旧駅舎(3代目駅舎)閉鎖。キヨスク、立ち食いそば・うどん店閉店。
- 4月3日:新駅舎開業[9][15]。
- 2012年(平成24年)
- 2017年(平成29年)4月1日:窓口営業時間を短縮し、早朝・夜間の社員配置が取りやめとなる。
-
稚内港駅舎(初代駅舎)(1939年2月)
-
現在の北防波堤に接岸している稚泊連絡船「亜庭丸」(撮影月日不詳 鉄道ピクトリアル No.828 p.49より)
-
稚内駅舎(3代目)(2009年2月)
-
3代目駅舎の入口脇にあった「稚内駅」表示(2006年8月)
-
最北端の線路と移設前の看板(2005年5月)
-
「日本最北端の駅」標柱(2005年5月)
-
棒線化工事のための転轍機撤去工事(2010年1月)
駅構造
(現)稚内駅配線図 (2011年4月3日 - 現在) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
|
単式ホーム1線を持つ地上駅。以前は島式ホーム1面2線だったが、2010年(平成22年)1月30日をもって2番線を廃止し、線路や分岐器、出発信号機、場内信号機をすべて撤去し、棒線化及び停留所化した(棒線化以前は構内踏切(警報機のみ)も設置していた)。これに伴い、南稚内駅から本駅(線路終端)間は1閉塞となり、2列車以上の進入ができなくなった。また、駅進入時は過走余裕距離が短いため、全列車15 km/h以下の速度制限を設けている(冬季は更に速度を落として進入する)。
改札口からホームへ向かう通路はスロープになっており、バリアフリー化している。社員配置駅(駅長配置)。以前は終日に渡り駅員が配置され、出札・改札業務を行っていたが、現在は泊まり勤務が無くなったため、早朝・夜間は駅員が不在となっている。改札口横にみどりの窓口を兼ねた「稚内駅トラベルセンター」(営業時間:6時20分 - 17時50分)、自動券売機、待合室がある。2011年(平成23年)2月に駅名標を新しい仕様(函館駅などに使われているものと同じ様式)に取り替え、同年6月には液晶ディスプレイ式発車標に取り替えた。2012年(平成24年)2月からは駅自動放送を導入した。2011年(平成23年)4月の現駅舎開業後、日本最北端線路地点が約100m南側に移動し、以前の日本最北端の線路として使用していた車止めとレールは、稚内市が北海道旅客鉄道(JR北海道)から寄贈を受けてモニュメント「日本最北端の線路」として2012年(平成24年)3月に元の位置に復元した。また、かつて駅外から見ることができた最北端の駅・線路を示す看板・標柱は駅舎建替え時に移設し、ホーム内及び駅舎内待合室などのガラス窓越しに見ることができる。ホーム内の柱には駅名標とともに指宿駅はじめ、鹿児島駅・東京駅・函館駅・札幌駅・旭川駅からの距離を表示している。特急「宗谷・サロベツ」は稚内駅到着後、南稚内駅へ折り返して車庫(旧稚内機関区)に入り整備を行う。
-
駅舎内(2015年4月)
-
「最北端の線路」看板(2014年4月)
-
改札口(2017年10月)
-
ホーム(2017年10月)
-
駅名標(2017年10月)
-
車止め(宗谷本線の終端)
(2017年10月) -
復元した「日本最北端の線路」(2012年6月)
-
キタカラ(KITAcolor)外観(2012年7月)
かつての配線図
かつては稚泊連絡船への接続などを考慮した広大な構内に複雑な配線を施していた。しかし、貨物営業の廃止などにより側線は縮小していき、旅客列車が停車する部分についても棒線化が行われ、現在は分岐器がない駅になった。
旧稚内駅配線図 (1986年11月11日 - 2011年4月3日) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
|
← 旭川方 |
||
凡例 出典:[19] |
利用状況
- JR北海道によると、特定の平日の調査日に実施した乗降人員調査の数値は以下の通り。
調査対象の5年間 | 5年間の各調査日における 平均乗車人員 (人) |
出典 |
---|---|---|
2012年 - 2016年 | 117.8 | [20] |
2013年 - 2017年 | 120.0 | [21] |
2014年 - 2018年 | 111.8 | [22] |
- 稚内市統計書によると、JR北海道提供の乗車券発売人員(周遊券等除く)より算出した近年の乗車人員は以下の通り。
年度 | 乗車人員(人) | 出典 |
---|---|---|
2005年 | 53,300 | [23] |
2006年 | 47,450 | |
2007年 | 45,200 | [24] |
2008年 | 43,400 | |
2009年 | 40,150 | |
2010年 | 36,500 | |
2011年 | 38,690 | [25] |
2012年 | 37,230 | |
2013年 | 31,040 | |
2014年 | 29,600 | |
2015年 | 31,300 |
駅弁
かつては優等列車の発着に合わせて、社員1人で調製から販売を行うサンエイ商事の駅弁が立売で売られていたが、2004年1月にその社員が死去したため、それ以後立売は行われなくなった。その後旭川駅立売商会傘下の稚内駅立売株式会社が発足し調製及び販売を行なっている。
2009年(平成21年)6月30日をもって名寄駅が駅弁販売を終了したため[26]、稚内駅が宗谷本線内唯一の駅弁販売駅になった。売られている駅弁は下記の通り[27]。
- 最北駅弁(帆立)
- 蟹・いくら丼
- 最北かにめし
- 海の七つ星
- 三宝めし
- うにづくし
- 宗谷黒牛と帆立弁当
- 宗谷黒牛とかに弁当
- 食べくらべ四大かにめし
- 宗谷黒牛とたらば弁当
駅周辺
駅前交差点は国道40号の終点、国道232号と北海道道106号稚内天塩線の起点になっている。稚内フェリーターミナル、稚内港国際旅客フェリーターミナルまでは車で約2分(徒歩約15分)、稚内副港市場までは車で約3分、稚内市開基百年記念塔・北方記念館のある稚内公園までは車で約15分、ノシャップ岬(野寒布岬)までは車で約15分、稚内空港までは車で約20分(バスで約30分)、宗谷岬までは車で約1時間の距離に位置している。
バス路線
宗谷バスのバスが発着する。路線は当該記事を参照。
-
稚内駅前バスターミナル(2012年6月)
隣の駅
脚注
注釈
出典
- ^ 日本国有鉄道旅客局(1984)『鉄道・航路旅客運賃・料金算出表 昭和59年4月20日現行』。
- ^ “キタカラ KITAcolor”. 2017年7月25日閲覧。
- ^ “みなとオアシス「わっかない」”. 北海道開発局. 2017年7月25日閲覧。
- ^ “アイヌ語地名リスト ル~ワ P141-145”. アイヌ語地名リスト. 北海道 環境生活部 アイヌ政策推進室 (2007年). 2017年11月17日閲覧。
- ^ a b c 曽根悟, p. 14.
- ^ a b c d e f g h i j 曽根悟, p. 15.
- ^ “新駅舎きょう開業*地元グルメも満喫*旭川から記念列車運行”. フォト北海道(道新写真データベース). 北海道新聞社 (2011年4月3日). 2017年7月25日閲覧。
- ^ “飲食店や高齢者住宅が一体*稚内駅ビル 全面開業”. フォト北海道(道新写真データベース). 北海道新聞社 (2012年4月29日). 2017年7月25日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i 『週刊JR全駅・全車両基地 No.60 稚内駅 北見駅 丸瀬布駅ほか77駅』朝日新聞出版、2013年10月13日、4-10頁。
- ^ a b 曽根悟, p. 16.
- ^ 曽根悟, p. 17.
- ^ “スーパー宗谷デビュー*期待乗せて雪原を疾走*乗客「揺れ少なく静かで快適」「名寄以北は実質値上げ」「乗り換えないのが便利」*鉄道ファン 駅にカメラの列”. フォト北海道(道新写真データベース). 北海道新聞社 (2000年3月12日). 2017年7月25日閲覧。
- ^ “名残惜しむ乗客、ファン*「利尻」定期運行終了*車窓の景色 見納め*稚内駅長「皆さんに親しまれた」”. フォト北海道(道新写真データベース). 北海道新聞社 (2006年3月19日). 2017年7月25日閲覧。
- ^ “JR稚内駅*さよなら2番線*駅舎新築で30日廃止”. フォト北海道(道新写真データベース). 北海道新聞社 (2010年1月28日). 2017年7月25日閲覧。
- ^ "稚内新駅舎の開業日について" (PDF) (Press release). 北海道旅客鉄道. 9 February 2011. 2017年7月25日閲覧。
- ^ “稚内駅ビル「キタカラ」全面開業*飲食コーナー盛況*最北端の線路*モニュメント除幕”. フォト北海道(道新写真データベース). 北海道新聞社 (2012年4月30日). 2017年7月25日閲覧。
- ^ “稚内駅ビル「キタカラ」グランドオープン! 市民の憩いの場に”. 北海道ファンマガジン (2012年4月30日). 2017年7月25日閲覧。
- ^ “GW後半も各地で笑顔*記念切符に長い行列*道の駅わっかない開業”. フォト北海道(道新写真データベース). 北海道新聞社 (2012年5月4日). 2017年7月25日閲覧。
- ^ 三宅俊彦 2005, pp. 142–160.
- ^ "宗谷線(名寄・稚内間)" (PDF) (Press release). 北海道旅客鉄道. 8 December 2017. 2017年12月30日時点のオリジナル (PDF)よりアーカイブ。2017年12月30日閲覧。
{{cite press release2}}
: 不明な引数|deadlinkdate=
が空白で指定されています。 (説明) - ^ "宗谷線(名寄・稚内間)" (PDF) (Press release). 北海道旅客鉄道. 2 July 2017. 2017年12月30日時点のオリジナル (PDF)よりアーカイブ。2018年7月13日閲覧。
{{cite press release2}}
: 不明な引数|deadlinkdate=
が空白で指定されています。 (説明) - ^ “宗谷線(名寄・稚内間)” (PDF). 線区データ(当社単独では維持することが困難な線区)(地域交通を持続的に維持するために). 北海道旅客鉄道. p. 3 (2019年10月18日). 2019年10月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年10月18日閲覧。
- ^ “運輸・通信・観光(データ)”. 平成22年版稚内市統計書. 稚内市 (2010年). 2017年11月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年11月17日閲覧。
- ^ “第10章 交通”. 平成24年版稚内市統計書. 稚内市 (2012年). 2017年11月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年11月17日閲覧。
- ^ “第10章 交通”. 平成28年版稚内市統計書. 稚内市 (2016年). 2017年11月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年11月17日閲覧。
- ^ “6月末で最北の駅弁を廃業 名寄市の角舘商会・老舗「のれん」を惜しむ声も”. 名寄新聞 (名寄新聞社). (2009年5月19日) 2017年7月25日閲覧。
- ^ 『JR時刻表』2017年3月号、交通新聞社、2017年、711頁。
- ^ “営業所・案内所のご案内”. 宗谷バス. 2019年1月30日閲覧。
参考文献
- 三宅俊彦「稚内駅3代記 -さいはての国鉄駅、その歴史の変遷-」『トワイライトゾーンマニュアル』第14巻、ネコパブリッシング、2005年12月、142-160頁。「RMモデルズ臨時増刊号」
- 本久公洋『北海道鉄道駅大図鑑』北海道新聞社、2008年。
- 曽根悟(監修) 著、朝日新聞出版分冊百科編集部(編集) 編『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』 20号・宗谷本線/留萌本線、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2009年11月2日、5-17頁。
- 三宅俊彦「稚内、南稚内駅の歴史研究」『鉄道ピクトリアル』第828巻、電気車研究会、2010年1月、86-95頁。