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「メトロ・ゴールドウィン・メイヤー」の版間の差分

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しかしターナーの取引銀行はMGMの巨額の負債を理由にこの買収を支持しなかったため、実質UAの後継会社となった「MGM/UA」を買収から74日後にオーナーで大投資家の[[カーク・カーコリアン]]に再度売却した。さらに1990年代初頭はオーナーの交代が相次ぎ、1996年に前オーナーのカーコリアンが株を買い戻し、元のMGMに復帰。[[1997年]]に、復興後の[[オライオン・ピクチャーズ]]を傘下に収めた。
しかしターナーの取引銀行はMGMの巨額の負債を理由にこの買収を支持しなかったため、実質UAの後継会社となった「MGM/UA」を買収から74日後にオーナーで大投資家の[[カーク・カーコリアン]]に再度売却した。さらに1990年代初頭はオーナーの交代が相次ぎ、1996年に前オーナーのカーコリアンが株を買い戻し、元のMGMに復帰。[[1997年]]に、復興後の[[オライオン・ピクチャーズ]]を傘下に収めた。


[[2005年]]には、[[ソニー]]を始めとする投資家グループ([[コンソーシアム]])がMGMを約6,000億円で買収(ソニーのMGM所有権は20%で非連結である)。[[北アメリカ]]市場においてMGMとUAの映画は[[ソニー・ピクチャーズ・エンタテインメント (米国)|ソニー・ピクチャーズ・エンタテインメント]](SPE)が配給・映像ソフトの発売をしていた。しかし[[2006年]]にアメリカでは自社配給に改め、[[2020年]][[6月30日]]まで、[[20世紀スタジオ|20世紀フォックス]]から映像ソフトを発売するようになった(一部のSPEとの共同製作品を除く)。日本では、2020年6月30日まで、[[20世紀スタジオ#日本法人|20世紀フォックス]](現:[[ウォルト・ディズニー・ジャパン]])が劇場配給や映像ソフトの発売・販売を行っていた。なお、[[アップル (企業)|アップル]]の[[iTunes]]による映像の配信は、他の資本から独立して行われていた。
[[2005年]]には、[[ソニー]]を始めとする投資家グループ([[コンソーシアム]])がMGMを約6,000億円で買収(ソニーのMGM所有権は20%で非連結である)。[[北アメリカ]]市場においてMGMとUAの映画は[[ソニー・ピクチャーズ・エンタテインメント (米国)|ソニー・ピクチャーズ・エンタテインメント]](SPE)が配給・映像ソフトの発売をしていた。しかし[[2006年]]にアメリカでは自社配給に改め、[[2020年]][[6月30日]]まで、[[20世紀スタジオ|20世紀フォックス]]から映像ソフトを発売するようになった(一部のSPEとの共同製作品を除く)。日本では、2020年6月30日まで、[[20世紀スタジオ#日本法人|20世紀フォックス]](現:[[ウォルト・ディズニー・ジャパン]])が劇場配給や映像ソフトの発売・販売を行っていた。なお、[[Apple]]の[[iTunes]]による映像の配信は、他の資本から独立して行われていた。


ソニーの資本が入っていた2005年から2015年までの間には、UA作品の続編・リメークを中心にSPEとの合作が頻繁に行われた(『[[ロッキー・ザ・ファイナル]]』、『[[ピンクパンサー]]』(2006年版)、『[[007 カジノ・ロワイヤル]]』(2006年版)、等)。20世紀フォックスとSPEの、どちらが配給・映像ソフトの発売するかは作品毎に決めていた。
ソニーの資本が入っていた2005年から2015年までの間には、UA作品の続編・リメークを中心にSPEとの合作が頻繁に行われた(『[[ロッキー・ザ・ファイナル]]』、『[[ピンクパンサー]]』(2006年版)、『[[007 カジノ・ロワイヤル]]』(2006年版)、等)。20世紀フォックスとSPEの、どちらが配給・映像ソフトの発売するかは作品毎に決めていた。

2021年5月20日 (木) 11:05時点における版

メトロ・ゴールドウィン・メイヤー
Metro-Goldwyn-Mayer Studios Inc.
MGMを代表するロゴ、レオ・ザ・ライオン
MGMを代表するロゴ、レオ・ザ・ライオン
種類 株式会社
略称 MGM
本社所在地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
カリフォルニア州ビバリーヒルズ
設立 1924年4月17日
事業内容 映画事業
テレビ事業
代表者 COO クリス・ブリートン
代表取締役会長 マイケル・デ・ルカ
代表取締役社長 パメラ・アブディ
従業員数 500人
主要株主 MGMホールディングス
主要子会社 ユナイテッド・アーティスツ
オライオン・ピクチャーズ
アメリカン・インターナショナル・ピクチャーズ
ユナイテッド・アーティスツ・リリーシング(50%出資)
関係する人物 マーカス・ロウ
サミュエル・ゴールドウィン
ルイス・B・メイヤー
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メトロ・ゴールドウィン・メイヤー(Metro-Goldwyn-Mayer Studios Inc.、MGM)はアメリカの巨大マスメディア企業。主に映画テレビ番組の製作・供給を行う。

歴史

「MGMスタジオ」成立

『ブロードウェイ・メロディ』

1924年、3社の映画スタジオが合併し「MGMスタジオ」が成立。MGMの名前の由来は、その3社の頭文字を取ったもの。「メトロ・ピクチャーズ・コーポレーション」(1915年創業)、サミュエル・ゴールドウィンの「ゴールドウィン・ピクチャーズ」 (1917年創業)、ルイス・B・メイヤーの「ルイス・B・メイヤー・ピクチャーズ」(1918年創業)の3社。

親会社は当時最大の劇場チェーン「ロウズ」社だったために財力に恵まれ、製作も豪華主義で、設立当時から業界トップの地位を約束された。さらに同社を潤わせたのは「ボーイ・ワンダー(神童)」と謳われたアーヴィング・タルバーグの存在である。心臓疾患を持ちながら24時間編集室を出ないという働きぶりで、総帥ルイス・B・メイヤーと組んで初期作品を一手に手がけた。しかし37歳で1936年に早世した。

最初期のミュージカル映画『ブロードウェイ・メロディ』が大ヒットし、その後も多数の所属スターによる豪華なキャスティングや豪華なセットと衣装、そして音楽をつぎ込んだ「大作主義」でミュージカル映画全盛期の1950年代半ばまで隆盛を極めることとなる。

全盛期

その後メイヤーがスタジオに独裁体制を敷くことになる。1930年代には「芸術のための芸術」をモットーに、巨額の費用とスターシステムを駆使し、大作映画を次々と世に産み出した。

メイヤー体制下のMGMはジーン・ハーロウロバート・テイラーグレタ・ガルボノーマ・シアラージョーン・クロフォードクラーク・ゲーブルジミー・デュランテをはじめとする多数の大スターを擁し、「空の星の数よりも多いスターたちがいる」がキャッチフレーズだった。またメイヤーは同時に子役スターの育成にも力を入れ、ミッキー・ルーニージュディ・ガーランドなどの子役を発掘、育成し自社のファミリー向け作品の主役に抜擢、スターに育て上げた。

1936年、MGMはイギリスハートフォードシャーに新たにスタジオを構えた(MGM-ブリティッシュ・スタジオ英語版) 。その理由として、映画1本あたりの制作費を抑えるだけでなく、イギリス政府が質の高い作品を作るように奨励金を出すのに目を付けたからである。そしてMGMはこのスタジオで『響け凱歌』、『チップス先生さようなら』などの傑作を生み出した。

アニメーション関連においては、1930年から33年にかけ、アブ・アイワークスのスタジオと、1934年から37年にかけては、ヒュー・ハーマンルドルフ・アイシングのスタジオと契約を交わしていたが、1937年にこれらのスタジオの外部発注を取り止め、独自にアニメーション・スタジオを設立した(MGM カートゥーン・スタジオ英語版)。フレッド・クインビーに率いられたこのスタジオは1940年代から50年代にかけ、ハーマン=アイシング、テックス・アヴェリーらにより多くの傑作を生み出した。中でもウィリアム・ハンナジョセフ・バーベラが生み出した『トムとジェリー』は、7度もアカデミー賞を授賞するなど、同社のマスコット的存在となった。

また、1939年9月に勃発し、1941年12月からアメリカが参戦した第二次世界大戦時には、メイヤーの主導でイギリス女優グリア・ガーソンなどが主演した戦時プロパガンダ的な作品を多数製作し、銃後からアメリカ政府や連合国を支援した。

第二次世界大戦終結後の1946年には、レコード事業に参入する(MGMレコード)。ハンク・ウィリアムスコニー・フランシスハーマンズ・ハーミッツなどのスターを生み出すが、ロックンロール全盛の波に乗れず1972年ポリグラムへ売却した。

衰退

その後、巨大になりすぎた社の、豪華な「大作主義」を中心とした方針は時代の流れに折り合わず、更にテレビの普及も相まって1950年代半ば辺りから次第に衰退。1959年にはロウズが親会社から外れ、1973年には配給部門を整理し、ユナイテッド・アーティスツ(UA)が配給権を掌握した(日本公開はCIC=のちのUIPが委託)。しかしUAは『天国の門』の大失敗で経営破綻し、1981年にMGMが逆にこれを吸収して「MGM/UA」になった。

また制作体制の旧さも目立った。1960年代後半に入っても、未だに3フィルム方式のテクニカラーシステムに固執し続けていたのである。(*この部分、要確認)当時、すでにカラー映画の時流はイーストマン・コダックが開発した多層式カラーネガ・ポジ・システム時代に突入していた。この旧弊なシステムへの固執は、製作コストの高騰、収益性の悪化を招いた。

かつてMGMはロサンゼルス・カルヴァーシティーに巨大なスタジオを所有していたが、1970年にスタジオの敷地を一部売却。売却された土地はその後高級住宅地に生まれ変わった。現在、残された敷地をソニー・ピクチャーズ・エンタテインメント(SPE)がスタジオとして使用している。

経営権移動

1986年にはテッド・ターナー率いる「ターナー・ブロードキャスティング・システム(TBS、現在はワーナーメディア傘下)」傘下になり、この時にMGM(1986年5月23日以前の旧作)・ワーナー(1950年1月1日以前の旧作(ただし、ワーナー・ブラザース・カートゥーン英語版(カラー作品のみ)における1948年8月以前の旧作とハーマン=アイジング製作によるメリー・メロディーズの作品を含む))・RKOアソシエイテッド・アーティスツ・プロダクション英語版(a.a.p.)製作の旧作の版権の大部分(『オズの魔法使』・『風と共に去りぬ』・『トムとジェリー』・『ビクター/ビクトリア』など)がターナー・エンターテイメント英語版に移され、版権が残されたのはUA製作の作品(『お熱いのがお好き』・『噂の二人』・『ロッキー』など)および少数のMGM作品(『野郎どもと女たち』・『昼下りの情事』・『007 美しき獲物たち』など。MGM/UA名義の作品はUA作品の続編(『007』シリーズなど)のみMGMに残されたが、『ポルターガイスト』シリーズのように版権が分断されたものもある)となった。

しかしターナーの取引銀行はMGMの巨額の負債を理由にこの買収を支持しなかったため、実質UAの後継会社となった「MGM/UA」を買収から74日後にオーナーで大投資家のカーク・カーコリアンに再度売却した。さらに1990年代初頭はオーナーの交代が相次ぎ、1996年に前オーナーのカーコリアンが株を買い戻し、元のMGMに復帰。1997年に、復興後のオライオン・ピクチャーズを傘下に収めた。

2005年には、ソニーを始めとする投資家グループ(コンソーシアム)がMGMを約6,000億円で買収(ソニーのMGM所有権は20%で非連結である)。北アメリカ市場においてMGMとUAの映画はソニー・ピクチャーズ・エンタテインメント(SPE)が配給・映像ソフトの発売をしていた。しかし2006年にアメリカでは自社配給に改め、2020年6月30日まで、20世紀フォックスから映像ソフトを発売するようになった(一部のSPEとの共同製作品を除く)。日本では、2020年6月30日まで、20世紀フォックス(現:ウォルト・ディズニー・ジャパン)が劇場配給や映像ソフトの発売・販売を行っていた。なお、AppleiTunesによる映像の配信は、他の資本から独立して行われていた。

ソニーの資本が入っていた2005年から2015年までの間には、UA作品の続編・リメークを中心にSPEとの合作が頻繁に行われた(『ロッキー・ザ・ファイナル』、『ピンクパンサー』(2006年版)、『007 カジノ・ロワイヤル』(2006年版)、等)。20世紀フォックスとSPEの、どちらが配給・映像ソフトの発売するかは作品毎に決めていた。

2006年11月には、UAのトップに人気俳優のトム・クルーズと、パートナーのポーラ・ワグナーが就任。「新生UA」として2007年から映画製作を開始したが、数本の映画を製作したのみで、2008年8月に退任した。

2010年4月20日には経営難を理由に2011年公開予定であった007シリーズ第23作目『007 スカイフォール』が2012年に公開された。2010年3月には約37億ドルの負債返済延期を決定しており、タイム・ワーナー(現:ワーナーメディア)をはじめとする同社の買収に複数のオファーがあったが不成功に終わっている。コンソーシアム傘下になり経営再建が急がれていたが、2010年10月29日、債権者による投票で採択された再建案により、米連邦倒産法第11章の適用を申請。事前調整型の法的整理により、結果米国の投資会社サーベラス・キャピタル・マネジメント傘下の新興映画制作会社スパイグラス・エンターテインメントの支援で再建を行った。しかし、前述した『007 スカイフォール』と同年の『ホビット 思いがけない冒険』の2作が興行収入10億ドルを突破する世界的な大ヒットを記録したため、MGMは破産状態から脱却した。

2015年11月に、ソニー・ピクチャーズ・エンタテインメントとの契約が終了し、資本関係が解消された[1]

現在

2017年3月には、アンナプルナ・ピクチャーズとの間で、長期に渡る配給と共同製作の契約を結んだ事が発表された[2]。海外同様に日本国内でもメトロ・ゴールドウィン・メイヤー(MGM)、ユナイテッド・アーティスツ(UA)、オライオン・ピクチャーズ作品のソフト販売を2020年6月30日をもってウォルト・ディズニー・ジャパン(旧:20世紀フォックス ホーム エンターテイメント ジャパン)と契約を解消し、2020年7月から一部の国でのソフト販売をワーナー・ブラザースに移行。日本国内でも2020年11月11日からワーナー ブラザース ジャパンが発売元を、NBCユニバーサル・エンターテイメントジャパンが販売元となりメトロ・ゴールドウィン・メイヤー(MGM)、ユナイテッド・アーティスツ(UA)、オライオン・ピクチャーズ作品のソフト販売を開始した[3][4]

2021年5月17日、米IT大手Amazon.comがMGMの買収に向けて協議していることが米バラエティ紙などの報道で明らかになったが、AmazonとMGMの両者は公式のコメントを控えており、合意に至るかは不透明だ。

主な映画

1920年代

1930年代

1940年代

1950年代

1960年代

1970年代

↓ここから北米での配給のみユナイテッド・アーティスツが担当。↓

1980年 - 1985年

↑ここまでは現在ワーナーメディアが版権を保有(注釈付きを除く)↑

1986年以降 ‐ 1990年代

2000年代

2010年代

2020年代

レオ・ザ・ライオン

1924年の創業当時からライオンが登場するオープニングロゴを使用、「レオ・ザ・ライオンLeo the Lion)」の愛称で親しまれている。創業開始当初は吠えなかったが、トーキー映画が主流になってきてからは吠えるようになった。一時期ライオンのシルエット静止画を意匠としたものも使われた(『The Subject Was Roses』・『2001年宇宙の旅』のみで使用)が、すぐにライオンが吠えるものに戻している(MGMレコードのロゴに残された)。

主要子会社

関連項目

脚注

  1. ^ Busch, Anita (2015年10月30日). “James Bond Movie Rights Auction: Where Will 007 Land?”. Deadline. 2016年1月1日閲覧。
  2. ^ Lodderhose, Diana (2017年3月27日). “MGM & Annapurna Seal Multi-Year Movie Distribution Deal”. Deadline. https://deadline.com/2017/03/mgm-annapurna-pictures-movie-distribution-partnership-kathryn-bigelow-megan-ellison-untitled-detroit-project-1202052928/ 2017年6月30日閲覧。 
  3. ^ 日本国内においては、メトロ・ゴールドウィン・メイヤー(MGM)のソフト販売を担当していたのは、1991年 - 1999年までにかけてワーナー・ホーム・ビデオが発売元を担当していた以来21年振りとなり、ユナイテッド・アーティスツ(UA)作品のソフト販売を担当していたのは、1983年 - 1999年までにかけてワーナー・ホーム・ビデオ(ワーナー・ホーム・ビデオ(初代:ワーナー・パイオニア株式会社)→ワーナー・ホーム・ビデオ(ワーナー・ブラザース映画会社→ワーナー・ブラザース・ジャパン・インコーポレーテッド))が発売元を担当していた以来21年振りとなる。
  4. ^ ただし、現在日本でのウォルト・ディズニー・ジャパン(20世紀スタジオ ホーム エンターテイメント名義)におけるメトロ・ゴールドウィン・メイヤー(MGM)、ユナイテッド・アーティスツ(UA)、オライオン・ピクチャーズ作品の発売・販売権を持っていた『ラストタンゴ・イン・パリ』は、DVD・Blu-rayによるオリジナル無修正での製作により、継続となった。
  5. ^ 北米での配給は20世紀フォックスが担当。

外部リンク