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「過去に存在したマイカルの店舗」の版間の差分

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'''過去に存在したマイカルの店舗'''では、[[マイカル]]([[ニチイ]]時代を含む)によって運営されていた店舗について記述する。本項では主に[[サティ (チェーンストア)|サティ]]として展開していた店舗について述べる。
'''過去に存在したマイカルの店舗'''では、[[マイカル]]([[ニチイ]]時代を含む)によって運営されていた店舗について記述する。本項では主に[[サティ (チェーンストア)|サティ]]として展開していた店舗について述べる。



2021年9月6日 (月) 08:49時点における版

過去に存在したマイカルの店舗では、マイカルニチイ時代を含む)によって運営されていた店舗について記述する。本項では主にサティとして展開していた店舗について述べる。

2011年(平成23年)3月1日、営業中であったサティは全国91店舗が全店(広島サティを除く)で店舗ブランドイオンへ転換し[1]、残る広島サティは2011年(平成23年)7月18日に閉店した。

凡例

  • 無印はマイカルが経営していた店舗
  • ※はイオン九州が経営していた店舗
  • ✩はニチイから転換した店舗
  • ○イオングループ買収後に設置された店舗

イオンに改称された店舗

東北

東北エリアの店舗は、店舗ブランドが「イオン」へ変更された後、2020年3月1日に運営がイオン東北へ移管された(イオンモール盛岡南に出店する盛岡南店は食品売場を移管)。

岩手県

  • 一関サティ → イオン一関店
    店舗面積約19,420m2(うち直営店舗面積約14,846m2[2]、延べ床面積約42,356m2[2]
    マイカル東北が運営していたが2001年(平成13年)9月にマイカルに営業譲渡されて本体直営店の一つとなった[3]千葉久も参照。
  • 盛岡南サティ(2代目):イオン盛岡南ショッピングセンターに[4]5年9ヶ月ぶりの新店舗として2006年(平成18年)9月15日に開業[5]イオン盛岡南店

秋田県

  • 秋田サティ:1995年(平成7年)4月28日に開業[6]イオン秋田中央店
    店舗面積約23,060m2(うち直営店舗面積約15,746m2[2]、延べ床面積約35,055m2[2]
    マイカル東北が運営していたが2001年(平成13年)9月にマイカルに営業譲渡されて本体直営店の一つとなった[3]
  • 横手サティ:1997年(平成9年)4月25日に開業[7]イオン横手店
    マイカル東北が2001年(平成13年)9月18日に民事再生法を申請した時点で引き続き運営していた店舗の1つだった[3]
    店舗面積約13,334m2(うち直営店舗面積約7,168m2[2]、延べ床面積約36,864m2[2]
    マイカルがイオングループの傘下に入ったことにより隣接するジャスコ横手南店との間でグループ内で競合する状況となっていたため、2004年(平成16年)3月21日にファッションや子供用品に特化する改装を行うと同時に隣接するジャスコ横手南店を食品や住居用品などを扱うスーパーセンターへ業態転換してイオンスーパーセンター横手南店として一体的な運営を行い、競合を解消した[8]

山形県

  • 米沢サティ:1994年(平成6年)3月4日に開業[7]イオン米沢店
    店舗面積約18,029m2[9]、延べ床面積約27,674m2[9]
    マイカル東北が運営していたが、2001年(平成13年)9月にマイカルに営業譲渡されて本体直営店の一つとなった[3]

福島県

  • いわきサティ:1995年(平成7年)9月15日に開業[7]イオンいわき店
    店舗面積約24,223m2(うち直営店舗面積約15,810m2[9]、延べ床面積約37,201m2[9]
    マイカル東北が運営していたが、2001年(平成13年)9月にマイカルに営業譲渡されて本体直営店の一つとなった[3]
  • 福島サティ:1998年(平成10年)10月9日に開業[7]イオン福島店
    店舗面積約21,862m2(うち直営店舗面積約12,500m2[2]、延べ床面積約34,043m2[2]
    マイカル東北が運営していたが、2001年(平成13年)9月にマイカルに営業譲渡されて本体直営店の一つとなった[3]

関東

茨城県

  • 古河サティ:1998年(平成10年)9月9日に開業[10]イオン古河店
    店舗面積約20,700m2(うち直営店舗面積約16,549m2[9]、延べ床面積約28,212m2[9]
  • 高萩サティ:1995年(平成7年)7月21日に開業[11]イオン高萩店
    (株)ホソガネニチイとしては初めてのサティ業態として[12] ブランドものを低価格で扱う独自の輸入品売場などを備えた生活百貨店として1995年(平成7年)7月21日に開業した[13]
    店舗面積約10,344m2(うち直営店舗面積約8,139m2[9]、延べ床面積約16,283m2[9]

群馬県

  • ○高崎サティ(2代目):6年ぶりの新店舗としてイオン高崎ショッピングセンターに[4]2006年(平成18年)10月20日に開業[14]イオン高崎店
    店舗面積約19,240m2[2]

埼玉県

  • 大井サティ:1998年(平成10年)10月7日に開業[7] → イオン大井店
    店舗面積約24,234m2(うち直営店舗面積約19,446m2[9]、延べ床面積約61,232m2[9]
  • 大宮サティ:2000年(平成12年)10月21日に開業[15][16]イオン大宮店[17]
    店舗面積約24,877m2(うち直営店舗面積約21,803m2[2]、延べ床面積約79,603m2[2]
  • 北浦和サティ:1980年(昭和55年)10月31日に開業[7] → イオン北浦和店
    店舗面積約15,533m2(うち直営店舗面積約11,621m2[2]、延べ床面積約33,088m2[2]
    売場面積15,552m2[18]
  • 熊谷サティ:2000年(平成12年)11月16日に開業[19] → イオン熊谷店
    店舗面積約21,608m2(うち直営店舗面積約18,589m2[9]、延べ床面積約64,034m2[9]
  • 狭山サティ:ニチイ狭山店として[20]1979年(昭和54年)11月30日に開業[7] → 1995年(平成7年)10月7日に狭山サティに業態転換[20] → イオン武蔵狭山店✩ → 2020年2月29日閉店[21]
    店舗面積約16,691m2(うち直営店舗面積約14,301m2[22]、延べ床面積約26,076m2[22]
  • せんげん台サティ(越谷市[23]):ニチイせんげん台店として1988年(昭和63年)10月28日に開業[24] → 1995年(平成7年)11月17日にせんげん台サティに業態転換[23] → イオンせんげん台店✩
    店舗面積約9,602m2(うち直営店舗面積約7,445m2[25]、延べ床面積約16,728m2[25]
  • 新座サティ:1979年(昭和54年)11月23日にニチイ新座ショッピングデパートとして開業[26] → サティに業態転換[27] → イオン新座店✩
    店舗面積約17,561m2(うち直営店舗面積約11,659m2[2]、延べ床面積約44,952m2[2]

千葉県

  • 市川妙典サティ:1999年(平成11年)4月1日に開業[28] → イオン市川妙典店
    店舗面積約29,831m2(うち直営店舗面積約22,314m2[25]、延べ床面積約76,740m2[25]
    9スクリーンのシネマコンプレックスや、関東地区で初めての都市銀行のインストアブランチである富士銀行(現・みずほ銀行)が出店するなど、複合的な機能を持った3棟で構成される商業施設として開業した[29]
  • 稲毛サティ:1990年(平成2年)11月16日に開業[7] → イオン稲毛店
    店舗面積約23,476m2(うち直営店舗面積約12,200m2[9]、延べ床面積約49,902m2[9]
    大型店進出が相次いでいたJR稲毛駅前への開店に対し、地元商店街が大型店のさらなる進出は大きな打撃となるとして地元主導型の運営を条件として出店を容認したため、地元商店などが出資する稲毛商業開発株式会社が中山製鋼所が建設したショッピングセンターを一括して借り上げ、マイカルをテナントとして入居させる形で「サティ稲毛メテオショッピングセンター」として[30]1990年(平成2年)11月16日に開業した[7]
    地元主導の象徴として商業施設の管理・運営を担っていた稲毛商業開発は開業以来毎年赤字が続いていたところに[31]1999年(平成11年)3月に中山製鋼所がマイカルに敷地と建物を売却してテナントが大家になる状況が生じたため[30]、マイカルと営業権の譲渡を交渉して清算可能な水準の金額を得られることになったことから2000年(平成12年)6月30日に臨時株主総会を開催して同日付で解散し[31]、翌日からマイカルによる管理・運営に移行した[31]
    2階に手織りのペルシャ絨毯やパキスタン絨毯を扱う本格的な専門店「セラフィアン絨毯」が入居していたが、2011年(平成23年)1月26日に閉店した[32]
  • 北小金サティ:1994年(平成6年)3月に開業[33] → イオン北小金店
    店舗面積約11,628m2(うち直営店舗面積約10,286m2[2]、延べ床面積約35,921m2[2]
  • ユーカリが丘サティ:1992年(平成4年)3月6日に開業[34] → イオンユーカリが丘店 → 2016年(平成28年)6月5日閉店[35]
    店舗面積約16,827m2(うち直営店舗面積約11,310m2[2]、延べ床面積約37,076m2[2]
    1999年(平成11年)3月6日に映画館や飲食店、雑貨大型店などが入る新館2番街(現・ユーカリプラザ)が開業した[36]
    2016年(平成28年)6月10日に直線距離で200mほど離れた場所の「イオンタウンユーカリが丘」に「イオンスタイルユーカリが丘」が開業することに伴い、閉店[37]。その後改装が行われ、山万が運営、オーケーストアを核テナントとするショッピングセンター、「スカイプラザ・モール」[38]が2017年11月28日に開業した。

東京都

  • 板橋サティ:2000年(平成12年)5月25日に開業[39] → イオン板橋店(2018年10月31日まで)→ イオンスタイル板橋(2018年11月~現在。)
    店舗面積約30,568m2(うち直営店舗面積約26,600m2[2]、延べ床面積約75,978m2[2]
    大木伸銅工業の創業の地である徳丸工場が周辺の住宅地化や市街地化の進展により生産が困難になってきたため1994年(平成6年)5月に閉鎖され、跡地を東京都と共同で再開発しようとしたが長期化が予想されたためマイカルとの共同開発に転換し、2000年(平成12年)5月25日に開業した[40]
    衣料品の製造小売(SPA)でマイカル版ユニクロにあたるアットウィル1号店など専門店を多く出店させたり、シネマコンプレックスのワーナー・マイカルを併設した店舗であった[41]2018年11月に改装オープン後、現在はイオンスタイル板橋に改称し、4階にセリアが入店となった。
  • 西新井サティ:1981年(昭和56年)4月26日[7]に「ニチイ西新井店」として開業。1990年(平成2年)に西新井サティに変換。 → イオン西新井店
    店舗面積約11,484m2(うち直営店舗面積約10,133m2[2]、延べ床面積約21,288m2[2]
  • ○日の出サティ:2007年(平成19年)11月23日に開業[7]イオン日の出店
    イオン日の出ショッピングセンターの核店舗として[42]2007年(平成19年)11月23日に開業した[7]

神奈川県

  • 天王町サティ:ニチイ天王町店として[43]1977年(昭和52年)11月30日に開業[7] → 1992年(平成4年)2月19日に天王町サティに業態転換[43]イオン天王町店✩ → 2020年(令和2年)2月9日閉店[44]
    店舗面積約15,951m2(うち直営店舗面積約13,096m2[2]、延べ床面積約45,613m2[2]
    ニチイ天王町店として[43]1977年(昭和52年)11月30日に開業し[7]1992年(平成4年)2月19日に増床して天王町サティに業態転換し[43]、周辺でマンション開発が進んでニューファミリー増加するなど住民構成が大きく変化したことを受けて2005年(平成17年)3月11日に地域密着型の食品に特化した店舗へと改装した[45]
  • 東神奈川サティ:1978年(昭和53年)9月20日に開業[7] → イオン東神奈川店 → イオンスタイル東神奈川✩
    店舗面積約16,191m2(うち直営店舗面積約11,631m2[2]、延べ床面積約70,950m2[2]
    東神奈川駅前の東海アルミ箔工場跡地に建設された「トーカイプラザ」に出店。同時期に1駅隣の横浜駅西口にニチイ横浜店(現:横浜ビブレ)も開店している。2017年に旧ニチイ店舗としては初めてのイオンスタイルになった。
  • 本牧サティ:1989年(平成元年)4月30日に開業[7]イオン本牧店
    店舗面積約15,691m2(うち直営店舗面積約13,649m2[9]、延べ床面積約32,324m2[9]
    在日アメリカ軍が接収していた跡地に[46]1989年(平成元年)4月30日に開業した[7]マイカル本牧の一番街の核店舗として開業し[47]、1996年(平成8年)3月20日にマイカル本牧の改装に合せて食品売場を1.5倍に拡張し[48]、1999年(平成11年)3月6日に更に食品売場を約1.4倍に拡張して総菜売場を拡大する[47]など改装のたびに食品関連の強化を図った。
    みなとみらい21などとの競合で客を奪われたため2005年(平成17年)にマイカル本牧は5番街を閉鎖するなど大幅に縮小している[49]
  • 厚木サティ:1981年(昭和56年)11月6日に開業[7]イオン厚木店[50]
    店舗面積約22,359m2(うち直営店舗面積約20,616m2[2]、延べ床面積約36,955m2[2]
  • 海老名サティ:ニチイ海老名店として[51]1979年(昭和54年)11月30日に開業[7] → 1993年(平成5年)4月24日に海老名サティに業態転換[51]イオン海老名店
    店舗面積約24,709m2(うち直営店舗面積約18,198m2[2]、延べ床面積約42,043m2[2]
  • 新百合ヶ丘サティ:新百合ヶ丘ビブレとして1997年(平成9年)8月29日に開業[52]2003年(平成15年)11月7日に新百合ヶ丘ビブレの一部を新百合ヶ丘サティに業態転換[53] → イオン新百合ヶ丘店 → イオンスタイル新百合ヶ丘
    店舗面積約25,000m2[9]、延べ床面積約62,390m2[9]
    小田急電鉄新百合ヶ丘駅前に開業した複合商業施設の核店舗として、食品からファッション関連まで幅広く取り揃えると共にシネマコンプレックスのワーナーマイカルシネマズも併設した新百合ヶ丘ビブレとして1997年(平成9年)8月29日に開業した[52]
    マイカルの経営再建策の一環として幅広い客層に対応出来る品揃えによる収益改善を図るため、食品売場を併設していて主婦や家族連れが中心となっているビブレをサティに業態転換することになり、当店もその対象となった[54]
  • 茅ヶ崎サティ:1995年(平成7年)3月1日に開業[55] → イオン茅ヶ崎店[56] → イオンスタイル湘南茅ヶ崎[57]
    店舗面積約26,183m2(うち直営店舗面積約21,228m2[2]、延べ床面積約61,777m2[2]
  • つきみ野サティ:2000年(平成12年)11月9日に開業[58][59]イオンつきみ野店 → 2018年(平成30年)2月28日閉店[60]
    店舗面積約31,618m2(うち直営店舗面積約23,796m2[25]、延べ床面積約85,127m2[25]
    店舗の建物は解体され、2019年(令和元年)10月12日にイオンスタイルつきみ野として再開業。売場規模を約32分の1に縮小し、食料品・日用品・医薬品の日用必需品に絞った小型スーパー業態となった[61]
  • 橋本サティ:橋本ビブレとして2000年(平成12年)3月4日に開業[62] → 橋本ビブレを橋本サティに業態転換[63]イオン橋本店
    店舗面積約21,239m2[9]、延べ床面積約103,988m2[9]
    JR横浜線相模線京王電鉄相模原線が乗り入れる橋本駅北口の市街地再開発事業の核店舗として2000年(平成12年)3月4日に橋本ビブレとして開業[62]。マイカルの経営再建策の一環として、幅広い客層に対応出来る品揃えによる収益改善を図るため、食品売場を併設していて主婦や家族連れが中心となっているビブレをサティに業態転換することになり[54]、ビブレからの転換店舗第1号として橋本サティへ業態転換した[63]

北陸・中部

新潟県

  • 県央サティ:1991年(平成3年)4月26日に開業[7] → イオン県央店✩
    店舗面積約17,139m2(うち直営店舗面積約10,755m2[2]、延べ床面積約43,115m2[2]
  • 新潟サティ:新潟県新潟市小新梅田で[64]1999年(平成11年)12月20日に地鎮祭を行って[65]2000年(平成12年)10月20日に開業した[66] → イオン新潟西店

石川県

  • 御経塚サティ:1998年(平成10年)3月14日に開業[7]イオン御経塚店→2021年(令和3年)5月31日閉店
    店舗面積約26,512m2(うち直営店舗面積約18,978m2[2]、延べ床面積約68,233m2[2]
  • 金沢サティ:2000年(平成12年)4月21日に開業[67]イオン金沢店
    店舗面積約22,927m2(うち直営店舗面積約16,000m2[68]、延べ床面積約40,000m2[68]

山梨県

  • 石和サティ:1997年(平成9年)4月18日に開業[7]イオン石和店
    2008年(平成20年)5月30日にマイカルのショッピングセンター初のマックスバリュが出店[69]

長野県

  • 飯田サティ:1995年(平成7年)6月30日に開業[70] → イオン飯田アップルロード店
    店舗面積約12,796m2(うち直営店舗面積約11,449m2[9]、延べ床面積約19,273m2[9]
  • 木曽福島サティ → イオン木曽福島店
    2003年(平成15年)3月1日、アスク木曽福島から木曽福島サティに名称を変更。2006年(平成18年)2月4日に伊那谷と木曽谷を結ぶ権兵衛トンネルが開通してアピタ伊那店などの伊那地区の競合店が木曽地区にチラシを配布するなど競争が生じたため土日を中心に売上が減少するなどの影響を受けている[71]
    店舗面積約2,274m2(うち直営店舗面積約1,998m2[2]、延べ床面積約2,880m2[2]
  • 豊科サティ:1993年(平成5年)4月15日に開業[7] → イオン豊科店
    設置者はニチイグループのアライド信州(当時、後のマイカル信州[72])。店舗のある豊科町(現・安曇野市の一部)の開業当時の人口は約25,000人と少なかったものの周辺地域から需要を吸収して売上を順調に伸ばし、同レベルの人口の辰野町に辰野サティを開業させる誘引となった店舗である[73]
    なお、豊科町(当時)の商圏人口は2009年(平成21年)には約16万5000人に増加している[74]
    店舗面積約13,606m2(うち直営店舗面積約9,961m2[2]、延べ床面積約23,559m2[2]

愛知県

  • ○新瑞橋サティ:2010年(平成22年)3月9日に開業[7]イオン新瑞橋店
  • 春日井サティ:1999年(平成11年)3月29日に開業[75]イオン春日井店
    店舗面積約29,735m2(うち直営店舗面積約22,300m2[9]、延べ床面積約85,359m2[9]
    1999年(平成11年)3月29日にウルトラマン倶楽部や手塚治虫キャラクターショップなどの専門店や直営を中心とする食品売場を充実させた大型商業施設として開業した[75]
  • 豊川サティ:1998年(平成10年)9月22日に開業[76]イオン豊川店
    店舗面積約22,966m2(うち直営店舗面積約20,024m2[25]、延べ床面積約33,708m2[25]
    1998年(平成10年)9月22日にシネマコンプレックスのワーナー・マイカル・シネマズ豊川やボウリング場やテーマレストランなどを併設した大型商業施設として開業した愛知県内のサティ2号店[76]

近畿

三重県

  • 桑名サティ:1995年(平成7年)3月24日に開業[77]イオン桑名店(2015年(平成27年)4月17日にイオンモール桑名として新装開店[78]
    1995年(平成7年)3月24日にマイカル桑名の3つの核店舗の1つとして開業した[77]
  • 津サティ:ニチイ津店として[79]1978年(昭和53年)9月21日に開業[7] → 1994年(平成6年)4月23日に津サティに業態転換[79]イオン津店
    店舗面積約25,347m2(うち直営店舗面積約17,684m2[9]、延べ床面積約60,389m2[9]
    1978年(昭和53年)9月21日に開業した[7]ジャスコと共に核店舗として津ショッピングセンターエルに出店していたニチイ津店を1994年(平成6年)4月23日に増床して津サティに業態転換した[79]

滋賀県

  • 近江八幡サティ:1991年(平成3年)4月18日に開業[7]イオン近江八幡店
    隣接地に[80]専門店街やシネマコンプレックスのワーナー・マイカル・シネマズ近江八幡などが入居する2番街「マイカル・アクア21」が2000年(平成12年)10月6日に開業して既存の店舗とあわせた全体をマイカルタウン近江八幡として運営するようになった[81]
  • ○草津サティ:イオンモール草津の核店舗として[82]2008年(平成20年)11月26日に開業[83] → イオン草津店 → イオンスタイル草津
    出店した時点では滋賀県内最大の規模でシネマコンプレックスなども併設されたショッピングセンターのイオンモール草津の核店舗である[82][83]

京都府

  • 亀岡サティ:1994年(平成6年)6月24日に開業[84]イオン亀岡店
    店舗面積約12,564m2(うち直営店舗面積約9,949m2[2]、延べ床面積約55,528m2[2]
  • 高の原サティ:2007年(平成19年)5月1日にイオンモール高の原の核店舗として開業[85]イオン高の原店
  • 伏見サティ:1978年(昭和53年)11月10日に旧伏見店(1966年開店)を移転し2代目の伏見店として開業[7] → イオン伏見店☆
    店舗面積約8,656m2[9]、延べ床面積約14,243m2[9]
  • 向日町サティ:ニチイ向日町店として1970年(昭和45年)9月に開業[86] → 増築・改装のため一旦営業を休止 → 1981年(昭和56年)11月18日に再開業[7] → 1997年(平成9年)4月19日に再増築・改装されニチイ向日町店を向日町サティに業態転換[87] → イオン向日町店☆ → 2015年(平成27年)5月31日閉店[88]
    1997年(平成9年)4月19日にニチイ向日町店を売場面積を約1.5倍増床して専門店などを導入し、向日町サティに業態転換した[87]
    2004年(平成16年)から毎年1回アルバイトを含めた従業員が使い古しのタオルで作ったぞうきんなどを店舗周辺の福祉施設に寄贈している[89]
    鉄骨5階建ての店舗で、2014年(平成26年)12月25日時点で専門店が34店出店していた[90]
    店舗の建物は解体され、跡地は分譲マンションが併設された複合施設となり、1階と2階はグループ会社のダイエーが運営するイオンフードスタイル東向日店が入居し、2018年(平成30年)4月21日に開業、3階と4階は向日市役所の東向日別館となった[91]
  • 大久保サティ:初代大久保店(1961年開業、1969年建替の大久保100番館。後に平和堂へ譲渡)に代わる2代目のニチイ大久保店として[92]1979年(昭和54年)3月8日に開業[7] → イオン大久保店☆ → 2016年(平成28年)5月31日閉店[93]
    イオン大久保店(旧大久保サティ)
    近鉄大久保駅近くの府道15号沿いに出店した4階建ての店舗[94]。2015年(平成27年)11月30日時点で専門店が27店出店し、1階が食料品売り場で、2階~4階が衣料品や日用品の売り場となっていた[94]

大阪府

  • 和泉府中サティ → イオン和泉府中店
    店舗面積約21,329m2(うち直営店舗面積約13,681m2[9]、延べ床面積約69,184m2[9]
  • 茨木サティ:2001年(平成13年)1月1日にマイカル茨木として開業[95] → イオン茨木店 → イオンスタイル茨木
    21世紀を象徴する店舗とするためその初日である2001年(平成13年)1月1日に開業したマイカルタウンの核店舗の一つとしてビブレ茨木などと共に開業した[95]なお、茨木ビブレは2015年(平成27年)2月28日をもって閉店している[要出典])。
  • 北千里サティ:北千里ビブレとして1994年(平成6年)4月[63]22日に開業[7] → 2003年(平成15年)2月27日に北千里ビブレを北千里サティに業態転換[63] → イオン北千里店
    イオン北千里店(旧北千里サティ)
    店舗面積約14,000m2(うち直営店舗面積約11,178m2[9]、延べ床面積約27,854m2[9]
    北千里ビブレとして1994年(平成6年)4月[63]22日に開業した[7]が、店舗周辺の狭商圏を対象として総菜や野菜などの食品を充実させると共に衣料品の商品構成を見直して2003年(平成15年)2月27日に北千里ビブレを北千里サティに業態転換した[63]
  • 鴻池サティ:1977年(昭和52年)11月23日に開業[7] → イオン鴻池店
    店舗面積約14,160m2(うち直営店舗面積約12,044m2[2]、延べ床面積約25,322m2[2]
  • 新金岡サティ:1983年(昭和58年)4月2日に開業[7] → イオン新金岡店 → 2019年(令和元年)5月19日閉店[96]→そよら新金岡
  • 枚方サティ:1990年(平成2年)4月に京阪電鉄枚方市駅前の再開発事業で建設されたショッピングセンター「ビオルネ[97]の核店舗として枚方ビブレを開業[98] → 2008年(平成20年)2月27日にサティへ業態転換[98] → イオン枚方店
    店舗面積約22,509m2(うち直営店舗面積約10,827m2[9]、延べ床面積約55,385m2[9]
    当店の入居するショッピングセンター「ビオルネ」を管理・運営する枚方市の第三セクターのビオルネは競合店対策の改装費用の負担や競合に伴う売上減少を受けて2010年(平成22年)9月6日に大阪地方裁判所に民事再生法の適用を申請して同日保全命令を受けた[99]
  • 東岸和田サティ:1979年(昭和54年)11月29日に開業[7]イオン東岸和田店✩ → 2020年(令和2年)8月31日閉店[100]
    店舗面積約31,630m2(うち直営店舗面積約17,779m2[2]、延べ床面積約69,657m2[2]
    協同組合の運営によるニューキャッスルショッピングセンターの核店舗として出店している[2]
    JR東岸和田駅近くに出店しており、1994年(平成6年)に「東岸和田サティ」に転換して映画館やスポーツ施設なども併設した複合商業施設となった[101]。1999年(平成11年)3月10日に店舗面積を約10,000m2増床して新装開業した[101]
  • 布施駅前サティ:1996年(平成8年)3月1日に布施ビブレとして開業[102] → 2008年(平成20年)3月28日に布施ビブレを布施駅前サティに業態転換[103] → イオン布施駅前店[104]
    店舗面積約21,862m2(うち直営店舗面積約12,500m2[2]、延べ床面積約34,043m2[2]
    1996年(平成8年)3月1日に東大阪市の近鉄奈良線・布施駅前の再開発事業の一環として開発された複合施設ヴェル・ノール布施の核店舗として布施ビブレを開業し[102]、2008年(平成20年)3月28日に改装して布施駅前サティに業態転換[103]

兵庫県

  • 明石サティ(2代目):1997年(平成9年)10月23日に開業[105]イオン明石店[1]
    JR大久保駅の南側で神戸製鋼所が事業主体として開発が進められたニュータウンである「オーズタウン」の中核施設として[106]1997年(平成9年)10月23日に開業したマイカル明石の核店舗の1つとして明石ビブレやシネマコンプレックス等と共に開店した[105]
  • 淡路サティ:1993年(平成5年)10月開店[33]イオン淡路店
    店舗面積約15,857m2[68]、延べ床面積約35,247m2[68]
    淡路市南部にある人工島の志筑新島に立地するショッピングセンターで[107]、地元の商業者による専門店街が併設されており[108]、マイカルの経営破たん後に専門店街のうちの6店が廃業して本社にサティの店舗存続を求める状況が生じたが閉店を免れた[108]
    店舗に隣接する大手総合商社などのリゾート計画がとん挫した跡地で進められた「850人が暮らす日本のフロリダ」を目指した構想の第1弾として2004年(平成16年)春に開業した182室の高齢者住宅の入居率が2005年(平成17年)4月で50%に達せず2期工事着工のめどが立たない等店舗周辺の開発はかつての構想より大幅に遅れている[107]
    2005年(平成17年)10月14日から18日まで淡路島の食材にこだわった特産品を製造する業者でつくる「淡路島物産協会」の特設販売コーナーを開設されて特産品の販売が行われた[109]
  • 小野サティ:ニチイ小野店[110] → 1992年(平成4年)11月20日に小野サティへ業態転換[110] → イオン小野店
    店舗面積約21,745m2(うち直営店舗面積約14,500m2[2]、延べ床面積約34,662m2[2]
    ニチイ小野店を店舗面積2倍強に増床して1992年(平成4年)11月20日に小野サティへ飲食やサービス部門も増強して業態転換した店舗である[110]
  • 加古川サティ:1982年(昭和57年)10月26日に開業[7] → イオン加古川店
    店舗面積約33,286m2(うち直営店舗面積約21,471m2[9]、延べ床面積約58,748m2[9]
    国道2号に面していて[111]開業時は地域唯一の大型店だったためニチイグループ2位の売上高を誇ったこともある有力店舗だったが、マイカルの経営破たん後には商品調達が出来ずに客数が30%近く減少するなど破綻の影響を大きく受けた店舗の一つとなった[108]
    2006年(平成18年)11月1日に加古川市の総合窓口業務を行う「東加古川市民総合サービスプラザ」が開設され、各種の証明の交付・申請や届け出書類の受付から公金の収納などの市役所の窓口機能を年末年始と偶数月の第三土曜日を除く当店の営業日は毎日市民が利用できるようになった[111]
  • 三田ウッディタウンサティ:2000年(平成12年)11月1日に開業[112][113] → イオン三田ウッディタウン店
    店舗面積約25,298m2(うち直営店舗面積約17,716m2[9]、延べ床面積約61,625m2[9]
    三田市のニュータウン内に[108]第三セクターの北摂コミュニティ開発センターが建設した「センチュリーRIVA!」の核店舗として自社直営の物販の売場が中心の一番街とシネマコンプレックスのワーナー・マイカルシネマズやレストラン街が入居する別館の二番街からなる複合型ショッピングセンターとして2000年(平成12年)11月1日に開業した[112]
  • ジェームス山サティ:1997年(平成9年)6月6日に開業[114] → イオンジェームス山店
    店舗面積約23,362m2(うち直営店舗面積約15,000m2[9]、延べ床面積約99,076m2[9]
    第2次世界大戦前に外国人居留地として開発された通称ジェームス山と呼ばれる住宅地の小高い山の上に1997年(平成9年)6月6日に開業した店舗で[115]、ボウリング場やスポーツクラブ、レストラン街やフードコートなどサービス施設を充実させると共に[114]明石漁港も近いため比較的舌の肥えた住民の多い土地柄とされることを考慮した品揃えを行っていた[115]
  • 西神戸サティ:1988年(昭和63年)11月10日に開業[7] → イオン西神戸店 → 2014年(平成26年)12月31日閉店[116]
    店舗面積約12,029m2(うち直営店舗面積約9,297m2[9]、延べ床面積約24,166m2[9]
    神戸市西区の住宅街にある神姫バスが保有していたビルに核店舗として出店していた[116]。閉店後建物は取り壊され、近隣で営業していたケーズデンキが2016年3月に建物を新築して移転開業した。
  • 姫路サティ[117]1979年(昭和54年)9月1日に開業[7] → イオン姫路店
    店舗面積約18,976m2(うち直営店舗面積約10,762m2[9]、延べ床面積約26,332m2[9]
    東洋紡績工場跡地の再開発事業として姫路市が推進した「北部副都心計画」の核店舗として出店した[118]
  • 三木サティ:三木サティ食品館として1994年(平成6年)5月1日に開業 → 1998年(平成10年)9月3日に三木サティへ改装して開業[119] → イオン三木青山店
    サティの食品売場のノウハウを集約した食品専門店[120]サティ食品館として[119]1994年(平成6年)5月1日に三木サティ食品館として開業し[120]、周辺の住宅開発の進展など商圏環境の成熟化に対応して食品館の市道を挟んだ[119]向かいの敷地に別棟方式で衣料品・住関連売場を増築して衣食住のフルライン店舗へ改装して[121]1998年(平成10年)9月3日に三木サティとして開業した[119]
  • ○伊丹西サティ(仮称):2011年(平成23年)3月22日に開業[7] → イオン伊丹昆陽店 → イオンスタイル伊丹昆陽

奈良県

  • 五條サティ:1975年(昭和50年)12月5日に開業[7] → イオン五條店
  • 西大和サティ → イオン西大和店
    店舗面積約12,909m2(うち直営店舗面積約10,040m2[68]、延べ床面積約18,933m2[68]
    2000年(平成12年)12月1日にシネマコンプレックス開業[122]

中国

鳥取県

  • 米子駅前サティ:1990年(平成2年)6月29日に開業[7]イオン米子駅前店
    店舗面積約16,193m2(うち直営店舗面積約13,274m2[68]、延べ床面積約31,225m2[68]
    (初代)米子サティ→米子ビブレ:2001年(平成13年)2月25日に閉店[123]→米子駅前サティ:2001年(平成13年)3月に再びサティとして開業[123]
    2015年(平成27年)10月移転では、店舗の敷地と駐車場棟は一般財団法人「米子市開発公社」が所有し、建物は第三セクターの「米子駅前開発」が所有して全館を賃貸しているが、赤字縮小のためにイオンリテールが約4.81億円で取得した後、米子市に無償で譲渡して再賃貸することを希望している[124]
    しかし、この所有形態の変更に伴うリスクとして老朽化の進んだ建物の維持管理費増大や、将来的な珍重収入の見込みが不明朗なことなどの問題点を指摘する批判がなされている[124]

島根県

  • 松江サティ:1994年(平成6年)5月1日に開業[125] → イオン松江店 → イオンスタイル松江
    イズミが店舗面積33,498m2ゆめタウン出雲を出店することやジャスコ日吉津店が店舗面積36,589m2へ増床する動きに対抗して[126]既存店舗の北側に繋げてL字形となるように8,584m2の増床を行って店舗面積30,893m2へ拡大すると共に飲食店やフードコートなどの飲食関連の充実や直営の食品売り場拡大を図る計画を2008年(平成20年)2月7日に大規模小売店舗立地法に基づいて島根県に届出を出し[127]、2008年(平成20年)9月27日に増床して専門店を30店舗増やして100店舗とすると共に直営の食品売場などを拡張してリニューアルオープンした[128][129][130]
  • 益田サティ:1975年(昭和50年)11月29日に開業[7]イオン益田店
    店舗面積約7,593m2(うち直営店舗面積約6,628m2[9]、延べ床面積約10,251m2[9]

広島県

  • 尾道サティ:1979年(昭和54年)5月8日に[7]ニチイ尾道店として開店[92]1994年(平成6年)に尾道サティとして業態転換[131]イオン尾道店✩ → 2019年(平成31年)2月28日閉店。店舗老朽化のため、建て替えて、2020年(令和2年)9月18日に、イオンスタイル尾道としてオープンした[131][132]
    店舗面積約11,806m2(うち直営店舗面積約9,180m2[133]、延べ床面積約21,929m2[133]
  • 海田サティ:1982年(昭和57年)3月1日にニチイ海田ショッピングデパートとして開業[7]1994年(平成6年)9月20日に海田サティとして業態転換 → イオン海田店✩ → 2018年2月28日閉店[134]。店舗老朽化のため、建て替えて、マックスバリュ海田店としてオープンした。
    店舗面積約9,180m2(うち直営店舗面積約6,400m2[68]、延べ床面積約13,865m2[68]
  • 廿日市サティ:1986年(昭和61年)5月に[33]ニチイ廿日市ショッピングデパートとして開業 → 1990年(平成2年)5月23日に廿日市サティとして業態転換 → イオン廿日市店✩ → 2014年(平成26年)4月30日閉店[135]
    店舗面積約8,837m2(うち直営店舗面積約5,080m2[9]、延べ床面積約20,410m2[9]
    店舗跡は廿日市市が土地建物を約13.1億円で取得し、隣接するJA広島総合病院と合わせて地域医療拠点として整備する計画が進められている[135]
  • ○広島祇園サティ:2009年(平成21年)4月29日に開業[7]イオン広島祇園店

山口県

  • 防府サティ:ニチイ防府店として[136]1982年(昭和57年)4月1日に開業[7] → 1999年(平成11年)3月2日にニチイ防府店を防府サティに業態転換[136]イオン防府店
    JR防府駅前にニチイ防府店として[136]1982年(昭和57年)4月1日に開業し[7]、宝酒造が防府工場跡地に建設した宝酒造防府ビルを借りて[137]1999年(平成11年)3月2日に店舗面積を約3倍に増床して食品部門などの物販を拡充すると同時にシネマコンプレックスやレストラン街などを導入して大規模化と総合化を図ってニチイ防府店を防府サティに業態転換し[136]、2003年(平成15年)9月20日に寿司や弁当、揚げ物、惣菜などの売場を一箇所に集約してデリカゾーンとするなど生活場面を想定した売場編集の見直しを行って買い回り性の向上を狙った改装を行い[138]、2011年(平成23年)3月1日にイオンリテールとマイカルが経営統合したことに伴ってイオン防府店に名称が変わる際には食品売り場の改装を行った[139]

四国

香川県

  • 坂出サティ:坂出市京町1丁目[140]、1993年(平成5年)2月10日に開業[7]イオン坂出店[141]
    店舗面積約22,993m2(うち直営店舗面積約15,147m2[2]、延べ床面積約58,566m2[2]
  • 高松サティ:高松市福岡町3丁目[140]、1995年(平成7年)3月30日に開業[7]イオン高松東店[142]
    店舗面積約26,546m2(うち直営店舗面積約20,495m2[9]、延べ床面積約83,030m2[9]
    2005年(平成17年)6月に子ども用品を専門とする「キッズプラザ」を開設して家族連れの集客力を高め、2007年(平成19年)2月23日に地場の野菜や果物の産直コーナー、香川県産の魚類を使った干物コーナーを設置すると共に、四国の地酒や焼酎の取り扱いを増やすなど、地場産品の取り扱いを増やすなど食品部門を強化し、有名ブランドのコーナーの拡充やスキンケアなどのカウンセリングを充実させるなどして、化粧品売場の専門性を高めるなどの改装を行った[143]

愛媛県

  • 今治サティ:1999年(平成11年)4月24日に開業[144]イオン今治店
    店舗面積約13,619m2(うち直営店舗面積約10,928m2[9]、延べ床面積約27,512m2[9]
    2003年(平成15年)3月21日に地場商品の食品の取り扱いの強化やファッション衣料でのブランド品の品揃えの充実などを中心とした改装を行ってリニューアルを行った[145]

高知県

  • 高知サティ:ニチイ高知ショッピングデパートとして[146]1978年(昭和53年)8月11日に開業[7] → 1991年(平成3年)に高知サティに転換[146]イオン高知旭町店[146]
    店舗面積約13,217m2(うち直営店舗面積約11,486m2[9]、延べ床面積約24,069m2[9]

九州

福岡県

佐賀県

  • 上峰サティ※:1995年(平成7年)3月18日に開業[7] → イオン上峰店 → 2019年(平成31年)2月28日閉店[153]
    1996年(平成8年)9月に九州初のシネマコンプレックスとしてワーナー・マイカル・シネマズ上峰が当店に併設されて開業したが、佐賀市や福岡県久留米市などに相次いで競合するシネマコンプレックスが開業して競争が激化している中で最新技術の3D映像に対応できない上に老朽化しているとして2010年(平成22年)2月28日に閉館となり[154]、イオン上峰店も売り上げの減少や建物の老朽化により2019年(平成31年)2月28日に閉店した[155]

鹿児島県

  • 姶良サティ※:1988年(昭和63年)11月25日開業の[7]サンシティ・リブレ。2000年(平成12年)に姶良サティに店名変更。 → イオン姶良店(初代) → 2016年(平成28年)2月14日閉店[156]
    2016年(平成28年)3月10日に隣接地に建設したイオンタウン姶良の核店舗としてイオン姶良店(2代目)が開業した[157]
  • 隼人国分サティ※:1994年(平成6年)6月23日に開業[7]イオン隼人国分店
    店舗面積約18,000m2(うち直営店舗面積約13,000m2[2]、延べ床面積約29,000m2[2]
    隼人町見次地区に国分・隼人地区で2002年(平成14年)10月時点で最大の売り場面積18,000m2を持ち、優良進出企業を擁するテクノポリスの存在するために根強い経済力を誇っていた国分・隼人地区をバックにマイカルの民事再生法適用申請を受けて経営再建に入った後も売上げは順調に推移してマイカル九州の店舗網のなかでも最優良店と位置づけられていた[158]

閉鎖された店舗

  • ×は建物が解体された店舗。
  • 2011年2月28日まで営業していたサティ店舗は、前述「広島サティ」を除きイオンなどへ転換されたが、これに該当する店舗はここには含まない。

北海道

すべて旧マイカル北海道(後のポスフール、現イオン北海道)が運営していた。この項ではポスフールに改称する前の閉鎖店舗について述べる。

  • 大谷地サティ ✩(1989年(平成元年)9月28日開店[159] - 2002年(平成14年)10月16日閉店[160][161]、旧ニチイ大谷地店) → 2003年(平成15年)4月16日に札幌東急ストア(現・東光ストア)が1階の核店舗で[162]ツルハが2階の核店舗となる複合商業施設「キャポ大谷地」が開業した[163]
    店舗面積約11,066m2[164]、延べ床面積約34,625m2[164]
    プールやホールも併設したニチイ大谷地ショッピングデパートとして開店[159]
    当店は閉店が決まっていたため、道内他店が「ポスフール」に改称された2002年(平成14年)5月以降も「サティ」ブランドを継続していた。
  • 手稲サティ✩ (開店日不明 - 2000年(平成12年)8月末に閉店[165]) → 2005年(平成17年)6月に津司が「卸スーパー」を開店し[166]、同年9月1日に24時間営業の大型ゲーム施設「ヴァリオス手稲店」が開店した[167]
    店舗面積約11,058m2[164]、延べ床面積約18,073m2[164]
  • 新琴似サティ食品館 (1996年(平成8年)11月1日開店[168] - 2001年(平成13年)1月閉店[169]) → 北雄ラッキーが買収し[170]、2001年(平成13年)3月9日に北雄ラッキー新琴似四番通店が開業[171]
    店舗面積約3,265m2[164]
    1996年(平成8年)11月1日にマイカル北海道では初のサティ食品館業態の店舗として札幌市北区新琴似8条10丁目に開店した食品主体のSSM店舗だった[168]
  • サッポロファクトリーサティ住まいと暮らしの館 (1993年(平成5年)4月9日開店[172][173] - 1999年(平成11年)2月閉店)

東北

マイカル東北の運営店舗のうち、優良店舗7店は2001年(平成13年)9月1日付でマイカル本体に移管。直後にグループは破綻。残りの店舗の内、イオングループの店舗と隣接していた横手サティを除き不採算店舗としてすべて閉鎖し、その後会社清算となった。

岩手県

  • 江刺サティ✩(1986年(昭和61年)10月25日開店[7] - 2002年(平成14年)8月閉店[174]、 旧・ニチイ江刺店 → 江刺サティ → ジャスコ江刺店 → イオン江刺店)
    店舗面積約5,444m2[164]、延べ床面積約7,505m2[164]
    マイカル東北が2001年(平成13年)9月18日に民事再生法を申請した時点で引き続き運営していた店舗の1つだった[3]
    店舗跡には2003年(平成15年)4月に「ジャスコ江刺店」が出店したが、2011年(平成23年)3月1日に「イオン江刺店」に改称後、2019年(令和元年)11月10日をもって閉店。500m程の距離に同年11月29日に開業したイオンタウン江刺の核テナントとして「イオンスタイル江刺」が出店したためであり、事実上の移転となる。
  • 宮古サティ✩:1980年(昭和55年)11月に開店[33]、2002年(平成14年)8月に閉店[175]。旧・ファミリーデパート玉木屋宮古店 → サンホーユー宮古店 → ニチイ宮古店 → 宮古サティ → 閉店)
    店舗面積約6,155m2[164]、延べ床面積約10,572m2[164]
    マイカル東北が2001年(平成13年)9月18日に民事再生法を申請した時点で引き続き運営していた店舗の1つだった[3]
    店舗跡地はテナントを集めた商業施設として利用することになり[176]、2003年(平成15年)12月12日にキャトル宮古として開業し[177][178]、2004年(平成16年)1月17日に宮古駅側の入口も完成して完全な形で開業した[179]
  • 遠野サティ・とぴあ✩:1989年(平成元年)11月23日に開店し[7]、2002年(平成14年)8月末に閉店[180] → 2002年(平成14年)12月1日[181]に遠野ショッピングセンター・とぴあ
    店舗面積約7,351m2[164]、延べ床面積約17,253m2[164]
    マイカル東北が2001年(平成13年)9月18日に民事再生法を申請した時点で引き続き運営していた店舗の1つだった[3]
  • 盛岡南サティ✩(初代・1979年(昭和54年)4月開店[182] - 2006年(平成18年)3月31日閉店[183]、旧・ニチイ都南店 → 盛岡南サティ → 閉店 → 建物解体)×
    閉店時の直営店舗面積約8,275m2[183]
    盛岡市三本柳にあった店舗で[184]1979年(昭和54年)に開店した当初は盛岡近郊における店舗面積13,000m2を誇る郊外型大型店の先駆けとして[185]盛岡市南部の都南地区の中核的な商業施設だった[186]ため順調に売上を伸ばし[185]、1998年(平成10年)に売上高約70億円を上げていたが競合する大型店の出店などの影響で2003年(平成15年)に売上高約40億円に落ち込んで約1.5億円の赤字となるなど業績が低迷すると共に老朽化に伴う修繕費が毎年6000万円かかるようになって[185]業績の回復が困難だとして2006年(平成18年)3月31日に閉店した[185][184][186]
    マイカル東北が運営していたが2001年(平成13年)9月にマイカルに営業譲渡されて本体直営店の一つとなった[3]
    建物は2009年(平成21年)4月末に解体に着手して秋までに更地にされた[187]。この店舗は、上述のマイカル本体へ移管された店舗であった。跡地にはケーズデンキ新盛岡南店(運営はデンコードー)が[186]2011年(平成23年)7月28日にオープンした。
    旧店舗閉店後の2006年(平成18年)9月15日に開店したイオン盛岡南ショッピングセンター(現:イオンモール盛岡南)内のサティ(現在のイオン盛岡南店)とは別店舗。

宮城県

  • 古川サティ✩×(旧ニチイ古川店、1984年(昭和59年)4月開店[182] - 2001年(平成13年)8月末に閉店[3][188]
    店舗面積約7,544m2[164]
    マイカル東北が運営していた[3]
  • 築館サティ✩(栗原郡築館町藤木[164]、1979年(昭和54年)3月[164]、築館ファミリーデパート白鳥屋 → サンホーユー築館店 → ニチイ築館店 → 築館サティ → マックスバリュ築館店 → 2008年(平成20年)8月閉店 → 解体)
    店舗面積約3,812m2[164]、延べ床面積約5,487m2[164]
    マイカル東北が2001年(平成13年)9月18日に民事再生法を申請した時点で引き続き運営していた店舗の1つだった[3]
    跡地にはケーズデンキ築館店(運営はデンコードー)が2010年(平成22年)11月3日にオープンした。
  • 涌谷サティ✩×(遠田郡涌谷町[189]、1981年(昭和56年)3月に開店[33]-1999年(平成11年)1月閉店)
    売場面積4,223m2[33]
    涌谷ファミリーデパートたから屋 → サンホーユー涌谷店[189] → ニチイ涌谷店 → 涌谷サティと変遷

秋田県

  • 能代サティ✩× :1977年(昭和52年)3月に開店[33]、2002年(平成14年)6月に閉店[190]
    店舗面積約13,696m2[164]、延べ床面積約26,628m2[164]
    マイカル東北が2001年(平成13年)9月18日に民事再生再生法を申請した時点で引き続き運営していた店舗の1つだった[3]
    2003年(平成15年)1月17日にTMO能代が専門家を招いて店舗跡地の活用について勉強会を行い[191]、コンサルタントの提案で共同出資会社を設立して[192]建物を再活用して新たな施設を開業する方向で一旦まとまったが[193]、同年11月に能代商工会議所が建物を再活用する方針を撤回して計画は白紙に戻った[194]
    店舗後の再活用の白紙撤回を受けて2004年(平成16年)3月に能代市が再開発案の検討を始め[195]、同年5月には能代商工会議所が再開発の案を提案し[196]、6月には能代市議会で海潮園を店舗跡地に設置する案が出された[197]が実現しなかった。
    能代市や能代商工会議所などが主導する再開発が実現しなかったため、2005年(平成17年)12月に民間企業が国や県の補助金を活用して事業化を目指した[198]がこの構想も実現せず、店舗後の建物はそのまま残り続けたため2008年(平成20年)11月に地元企業が買収して解体する方向となった[190]

福島県

  • 原町サティ✩×(原町市大町2-100(現在の南相馬市原町区大町2-100)[199]、「ノムラ」→1979年(昭和54年)3月30日開店「ファミリーデパートノムラ」[200]→「サンホーユー原町店」→「ニチイ原町店」→1996年(平成8年)9月27日開店「原町サティ」[201]→2002年(平成14年)5月31日閉店[202]
    店舗面積約6,819m2[164]。地下1階・4階建て(ファミリーデパートノムラ・原町サティ時代)[201]
    元々は、1924年(大正13年)に原町市四つ葉通りに野村清助が創業した雑貨店「ノムラ」が起源である[203]。1979年3月に「ファミリーデパートノムラ」として大町に新築移転[200]。1986年(昭和61年)9月1日には、同じニチイ系の「NAC(ニッポンアライドチェーン)」に属していた角田ファミリーデパートゆやす(後のサンホーユー角田店)と合併し、有限会社ホーユーが発足[203]。組織は後にニチイ本体に吸収され、店名もサンホーユー、ニチイと変遷した後、1996年(平成8年)9月にサティ業態の原町サティとなった[201]
    マイカル東北が2001年(平成13年)9月18日に民事再生再生法を申請した時点で引き続き運営していた店舗の1つだった[3]
    跡地には南相馬市が管理する大町南災害公営住宅が建設されることになった[204]
    ノムラ時代の店名ロゴは独自のものを使っていたが、サンホーユー時代は「ニチイ(nichii)」の文字を「サンホーユー(SUNHOYU)」に差し替えて使っていた。
  • 須賀川サティ ×:1981年(昭和56年)10月27日開店[205](赤トリヰグリーンモール→須賀川サティ→赤トリヰグリーンモール)
    須賀川サティはマイカル東北ではなく、マイカル福島が運営していた店舗[206]
    マイカルグループ離脱して2003年(平成15年)3月1日に元の名称の「赤トリヰグリーンモール」に戻し運営していた[206]が、東北地方太平洋地震 の影響で、店舗に地盤沈下など甚大な被害を受け2011年(平成23年)4月29日をもって閉店[207]
    建物は解体され、跡地には2013年(平成25年)9月20日にフレスポ須賀川グリーンモールが開業した[208]
  • 会津サティ✩×(大善百貨店→ニチイダイゼン→1982年(昭和57年)7月1日[209]移転開店「ニチイ会津若松店」[210]→1993年(平成5年)3月13日開店「会津サティ」[211]→2009年(平成21年)6月30日閉店[212][213])→現在は暫定でフレンドパーク(コインパーキング)になっているが土地はイオンリテール所有。
    閉店時の直営店舗面積約7,195m2[214]
    東北ニチイ(→マイカル東北)傘下での初めてのサティ店舗。2001年(平成13年)9月にマイカルに営業譲渡されて本体直営店の一つとなった[3]
    なお、マイカル本社に店舗譲渡前の旧東北ニチイ(旧マイカル東北)傘下でニチイから業態変更したサティとして最後の店舗であった。
    2009年(平成21年)6月29日にマイカルや隣接した商店などの地権者で構成する「会津若松駅前地区再開発協議会」が発足して後李の利用方法の検討を行い[215]、大型店が撤退後に跡地を売却せずに地元側とまちづくりに乗り出すのは全国的にも珍しい取り組みとして注目を集めていた[216]が、協議が難航したため2012年(平成24年)2月に結論が出ないまま協議会が解散となって跡地利用は宙に浮いた状態となった[217]

関東

茨城県

  • 下館サティ:1991年(平成3年)5月開店[33][218]→2002年(平成14年)8月末閉店[219]
    売場面積10,000m2[33]
    1991年(平成3年)5月に[218]水戸線真岡鐵道関東鉄道常総線のターミナルである[220]下館駅北口の駅前市街地再開発事業で建設された[221]下館SPICAの核店舗として開業したが[220]、2002年(平成14年)8月末に閉店した[219]
    店舗跡には2003年(平成15年)7月にエコスや長崎屋などが出店する下館SPICAが再開業したが[222]、2006年(平成18年)1月16日にエコスが閉店した[220]
    2006年(平成18年)1月16日にエコスが閉店したため[220]、エコスの後継店舗として農協を含む食品スーパーの招致を進めたが[222]、売り上げ不振が続いて2007年(平成19年)にサントマト[221]、2008年(平成20年)にエイムと撤退が相次ぎ[221]、2007年(平成19年)に3階と4階を筑西市役所分庁舎として借り上げる状況となり[221]、最盛期に約40店舗あったテナントが2009年(平成21年)4月9日現在で12店舗に減少して核店舗もない状態になった[221]
  • 境サティ(1996年(平成8年)11月15日開店→2008年(平成20年)1月9日閉店[223]) → 2008年(平成20年)4月24日にエコス境SC店[224]などが出店するT-PLACE[225]が開業している。
    閉店時の直営店舗面積約6,630m2[223]

栃木県

  • 大田原サティ×(1993年(平成5年)開店 - 2003年(平成15年)10月閉店[226]
1979年(昭和54年)、東野鉄道大田原駅跡地にアイアイタウン・エドヤとして開店。1993年(平成5年)に大田原サティとなり、2003年(平成15年)10月に閉店[226]。その後、2004年(平成16年)6月9日には、スーパーセンター・トライアル大田原店が開店したが[226]、2014年(平成27年)5月に閉店。その後建物は利活用されていなかったが、2019年(令和元年)6月にクスリのアオキ山の手店が解体後の跡地に開店した。

群馬県

  • 太田高林サティ✩×:1981年(昭和56年)6月にショッピングセンター・ラブの核店舗のニチイとして開店し[227]2002年(平成14年)3月に契約解除の通知を行って閉店[228]フレッセイ等が出店してショッピングセンター・ラブとして営業[229]
    ショッピングセンター・ラブは店舗面積約18,134m2[164]、延べ床面積約25,368m2[164]
    ニチイ太田高林店は店舗面積約8,368m2[182]
    跡地にケーズデンキ太田店[要出典]
  • 沼田サティ(1993年(平成5年)4月16日開店[230]→2002年(平成14年)8月閉店[231] → 2002年(平成14年)11月にAコープ群馬が開業[232]
    沼田市の市街地再開発事業に三井生命保険が参画して建設された[218]再開発ビルグリーンベル21の核店舗として売場面積8,800m2で1993年(平成5年)に4月16日開店した[230]が2002年(平成14年)8月に閉店した[231]。「グリーンベル21」には当店の他に開業時で専門店46店が入居していたほか、当店の入る商業棟以外に立体駐車場や沼田市立図書館の入るビルがあり、それら各館と空中歩廊を用いて連絡する構造となっていた[233]
    閉店後、2002年(平成14年)に沼田の観光宣伝と当施設の運営支援を兼ねて地元の物産販売や観光案内のほか沼田市内の伝統工芸士の作品展示などを行う「沼田ふるさと館」を5階に入居させ[234]、店舗跡に核店舗となる大型店を招致するため改造費の2分の1や賃貸料の2分の1を沼田市が助成する「グリーンベル21出店促進条例」を施行してサンバード長崎屋[235]や2002年(平成14年)11月に開業したAコープ群馬を新たな核店舗とするグリーンベル21としての営業を続けた[232]。しかし、2008年(平成20年)5月にサンバード長崎屋[231]、2010年(平成22年)5月にAコープも撤退し[231][236]、「沼田ふるさと館」も2012年(平成24年)3月31日で閉鎖されるなど他のテナントの撤退も相次いだ[234]。その結果、2012年(平成24年)4月初めの時点で4階は完全に閉鎖、5階は沼田エフエム放送のみ1~3階も大半が空き店舗となった[234]
    2014年(平成26年)2月までにすべての小売店が撤退し[237]、2015年(平成27年)1月に沼田市は施設全体を取得したと発表し[238][239]、2015年(平成27年)7月末までに沼田エフエム放送(FM OZE)も移転して全テナントが退去することになった[240]
  • 高崎サティ✩×(1976年(昭和51年)3月開店[241]→1987年(昭和62年)3月に初代高崎サティに業態転換[241][242]→1996年(平成8年)3月に高崎ビブレに業態転換[241]→2014年(平成26年)3月31日閉店[241]
    高崎駅西口前に「ニチイ高崎店」として開店し、サティとビブレへ合計2度業態転換した[241]
    当店跡地と周辺敷地と合わせた敷地には高崎オーパが出店された[243][244]
    イオンモール高崎にある2代目の高崎サティ(現在のイオン高崎店)とは異なる
  • 渋川サティ✩×(「ニチイ渋川店」:1980年(昭和55年)11月28日開店[245]→1995年(平成7年)10月開店「渋川サティ」→2009年(平成21年)7月31日閉店[246]) → パワーセンターうおかつ[246]などが出店して渋川ショッピングプラザ
    店舗面積約7,721m2(うち直営店舗面積約6,430m2[9]、延べ床面積約14,175m2[9]
    閉店時の直営店舗面積約5,600m2[214]
    JR渋川駅に近い中心市街地に出店していたが、郊外へのスーパーなどの進出による競争激化や中心市街地の衰退を受けて[247]2009年(平成21年)7月31日に閉店し[246]、パワーセンターうおかつ[246]などが出店する渋川ショッピングプラザとなったが、2016年6月をもって完全閉鎖し、建物は解体されている。
  • 前橋サティ✩(ニチイ前橋店→1993年(平成5年)10月20日[7]移転開店「前橋サティ」→2010年(平成22年)10月17日閉店[248][249]
    2011年(平成23年)12月8日にスーパーのカスミなどが出店する前橋リリカとして新装開店した[250]
    店舗面積約21,707m2(うち直営店舗面積約17,205m2[2]、延べ床面積約63,377m2[2]
    地上6階建てで、1階から3階に売り場を持ち、他の階は駐車場という開業時点では群馬県内最大の大型店であった[251]
    近隣に競合する大型商業施設の開業が相次いだことなどの影響により、売上高が最盛期の約40%にまで落ち込んだことから閉店となった[252]
    閉店時の直営店舗面積約17,500m2[249]
    閉店後の店舗跡の活用については大家であるグンゼグループが2011年(平成23年)6月に自社の中期経営計画で改装して商業施設として再生する方針を明記してテナント招致などを進め[253]、2011年(平成23年)12月にスーパーのカスミ(1,709m2[254]やブックオフ[255]などが出店する前橋リリカとして2011年(平成23年)12月8日に新装開業した[254]

埼玉県

  • 武蔵浦和サティ食品館:1995年(平成7年)10月6日開店[256]
    売場面積1,956m2[33]
    店舗跡にはケーズデンキ武蔵浦和パワフル館
  • 春日部サティ✩×(春日部市粕壁富士見町4371[257]、1970年(昭和45年)11月1日開店[257]
  • ニチイ春日部店。旧尾張屋と折半出資で設立した東京エーゼットの春日部ショッピングセンターの核店舗として開業[257]
    店舗面積約5,070m2[164]、延べ床面積約7,885m2[164]
  • 三郷サティ✩(1978年(昭和53年)12月1日開店[7]→2005年(平成17年)6月30日閉店[258]) → 2005年(平成17年)11月23日に食品スーパーのカスミフードスクエア三郷駅前店を核店舗とする[259]ワオシティ三郷[7]としてリニューアルした。(宮脇書店日本旅行などの専門店街あり)
    閉店時の直営店舗面積約7,991m2[258]
  • 本庄サティ✩×:1972年(昭和47年)9月に[182]ニチイ本庄店として開店[260] → 1997年(平成9年)6月27日に本庄サティ業態転換[260]
    ニチイ本庄店は店舗面積約5,283m2[182]
    店舗跡には本庄BLALAが出店したが、2016年8月をもって完全閉鎖し、建物は解体されている。
  • 岩槻サティ(1996年(平成8年)3月8日開店[261]→2010年(平成22年)3月7日閉店[249][262]) → 2010年(平成22年)6月にマルエツと専門店が開業し[263]、2012年(平成24年)1月4日にさいたま市岩槻区役所が移転した[264]
    店舗面積約18,337m2(うち直営店舗面積約13,213m2[164]、延べ床面積約35,140m2[164]
    閉店時の直営店舗面積約12,676m2[249]
    東武野田線岩槻駅前の再開発ビルワッツ東館[263]の核店舗として1996年(平成8年)3月8日に開店したが[265]、近隣の大型店などとの競争激化で赤字が続いたため2010年(平成22年)3月7日に閉店[262]した[263]
    2010年(平成22年)6月にマルエツと専門店が開業し[263]、住民からの反対運動があったが[263]、2012年(平成24年)1月4日に保健センターや教育相談室などを併設したさいたま市岩槻区役所が3階と4階に移転して開業した[264]

千葉県

閉店した店舗は、存在しない。

東京都

  • 清瀬サティ✩(1973年(昭和48年)9月21日開店[33][266]尾張屋清瀬店」→「ニチイ清瀬店」→1996年(平成8年)3月23日付で「清瀬サティ」に業態転換[266]2002年(平成14年)1月[267]10日閉店)×
    店舗面積約9,376m2[33]
    清瀬駅南口の一画に出店していた[27]。清瀬サティ時代はマツモト電器が入居。跡地はマンション「アイラシティ」清瀬。
  • 自由ヶ丘サティ食品館:1969年(昭和44年)3月にニチイ自由ケ丘店として開店[92]ヤマダ電機LABI自由が丘(旧テックランド自由が丘店)。
    店舗面積約1,693m2[164]

神奈川県

  • 大船サティ✩:1976年(昭和51年)4月に鎌倉市大船にニチイ開店[33]→その後サティに変わり、2002年(平成14年)1月閉店[267]
    店舗面積約10,878m2[33]
    店舗跡には2002年(平成14年)4月23日にヤマダ電機LABI大船・ライフ等が入居する商業ビル「Oh!Plaza」が開業[268][269]
  • 辻堂サティ✩:1984年(昭和59年)9月に[33]ニチイ辻堂店として開店[270] → 1995年(平成7年)10月21日に辻堂サティに業態転換した100店舗目のサティ[270] → 2003年(平成15年)2月末閉店[271]
    店舗面積約7,549m2[33]
    店舗跡には家具の大正堂など
  • 相模大塚サティ食品館:1996年(平成8年)9月26日開店[272]→2001年(平成13年)1月閉店[273]
    店舗跡には2001年(平成13年)10月19日にいなげや大和相模大塚店が開業[273]
    開店のほぼ1週間前の1996年(平成8年)9月19日に隣接地に長崎屋ホームセンターが開店していたため[274]、同店との買いまわりによる相乗効果を狙って食品や実用医療などの生活必需品をそろえた食品スーパーとして開業した[275]が、2001年(平成13年)1月に閉店した[273]
    店舗跡には2001年(平成13年)10月19日にいなげや大和相模大塚店が開業した[273]

北陸・中部

新潟県

  • 豊栄サティ(新潟市北区(旧豊栄市太田字法花鳥屋甲[164])×
    店舗面積約9,536m2[164]、延べ床面積約15,995m2[164]
    1981年(昭和56年)10月29日にファミリーデパート江口屋として開店。その後店名はファミリーデパート豊栄店を経て1991年(平成3年)6月27日サティへ。
    2002年(平成14年)1月28日に閉店が発表され[276]、2003年(平成15年)2月28日に閉店した[277]
    老朽化のため店舗施設を撤去して更地化され、2010年(平成22年)2月20日にウオロク葛塚店が開店[278]
  • 上越サティ(妙高市(当時は新井市[279])栗原) → 新井ショッピングセンター[280]
    店舗面積約7,288m2[164]
    マイカルの破綻後の2002年(平成14年)1月28日に収益改善が見込めないとして閉店が発表され[281]、2002年(平成14年)8月31日に閉店した[282]
    閉店した8月末時点で後継店舗の招致が大詰めとされていた[282]が、2008年(平成20年)にようやく新井ショッピングセンターの開業が決まった[280]
  • 糸魚川サティ(糸魚川市)× → イチコ糸魚川店[280]
    店舗面積約6,321m2[164]
    1985年3月29日に西頚城地域で初の郊外型SC『糸魚川ショッピングセンター アイビス』として開店[283]。店舗名はその後ニチイ→サティと変遷した。新潟ニチイ→マイカル新潟が経営する店舗だったが1999年(平成11年)3月1日にマイカル北陸へ移管されて改装された[284]
    マイカルの破綻後の2002年(平成14年)1月28日に収益改善が見込めないとして閉店が発表され[281]、次の核店舗が見付かるまでの営業存続をテナントの専門店の経営者らが要請したが受け入れられず[285]、2002年(平成14年)8月31日に閉店した[282]
    閉店後の跡地を糸魚川市が予算を用意して買収する準備を進めていた[282]が、2003年(平成15年)にマイカルが民間企業に売却したため糸魚川市による買収は実現せず[286]、建物解体の上で2009年(平成21年)にスーパーマーケットのイチコが出店することになった[280]
  • 中条サティ(胎内市大川町、旧北蒲原郡中条町)×
    店舗面積約5,874m2[164]、延べ床面積約11,178m2[164]
    1980年(昭和55年)3月7日にファミリーデパート中条として開店[287]、1995年(平成7年)3月1日に中条サティに業態転換、2003年(平成15年)6月30日閉店[279]村上市のスーパー「エノモト」が入居したが2010年(平成22年)閉店。建物は2012年解体[要出典]
    その跡地には、2013年4月11日 北越ケーズによるケーズデンキ胎内店が出店している[288]
  • 村上サティ食品館:2001年(平成13年)4月8日に閉店[289]村上市田端町、建物解体)→宅地分譲
  • 亀田サティ食品館(新潟市江南区西町、旧中蒲原郡亀田町) → パチンコ店「エスタディオ」亀田店
    店舗面積約2,000m2[164]
    2000年(平成12年)閉店
  • 吉田サティ(燕市吉田東栄町、旧西蒲原郡吉田町) → サンキ吉田店・ドリームマート吉田店→閉店・更地化。
    吉田町に本店を置き、西蒲原郡巻町(現新潟市西蒲区)や分水町(現燕市)に店舗を持っていた衣料品店サクライと同じく吉田町中心部で食品スーパーを運営していた主婦の店サイトーが核となったファミリーデパートよしだとして開店。その後吉田ニチイへの店名変更を経てサティに。


富山県

  • 黒部サティ×(黒部市[290]、1997年(平成9年)8月27日開店[290] → 2003年(平成15年)6月30日閉店[291][292]
    店舗面積約13,657m2[164]、延べ床面積約19,869m2[164]。当初は1995年秋のオープンを目指していた[293]
    直営店舗面積約8,000m2で1998年(平成10年)度は売上高約36.38億円を上げたが、アピタ魚津店の進出などで2001年(平成13年)度は売上高約27.27億円まで低迷したため閉店した[291]。跡地はユニーが買収して[294]2004年(平成16年)4月17日にアピタ黒部店を開業[295]するも、2017年(平成29年)8月20日を以て閉店。なお、跡地の入居者は2017年7月21日の時点で2、3社と入居の協議がされていた[296][297]が、2017年10月24日にPLANTが同店舗跡地に出店を検討していることが明らかになった[298]が、最終的に店舗は2019年までに解体された[299]
  • 砺波(となみ)サティ食品館(となみ野ミルズサティ[300]砺波市、1997年(平成9年)4月開店[301] → 2001年(平成13年)4月10日に閉店[289] → 2003年(平成15年)2月14日にヤマダ電機テックランド砺波店が開業[302])×
    日本製麻工場跡地にて開店[301]。鉄骨平屋建て延べ4,290m2、店舗面積3,277m2。駐車場は屋上部分の170台を含めて400台分を確保。隣接地には多目的ホール『ニチマ倶楽部 ザ・ホール』もオープンしていた。不況と全国的なスーパー間の競争が激化したため閉店[300]
  • 高岡サティ×(高岡市、1993年(平成5年)10月開店[303] → 2009年(平成21年)1月12日閉店[304]
    1993年(平成5年)10月に北陸ニチイがワーナー・マイカル・シネマズ高岡を併設した富山県内最大級の売り場面積を誇るショッピングセンターとして開業し[303]、1996年(平成8年)に3階を増床してテナント数を増やして1997年(平成9年)2月期には売上高108億円を上げ[303]、1999年(平成11年)に300メートル離れた場所にあったダイエーを閉店に追い込むほどの影響を高岡の商業界に与えた[305]
    2001年(平成13年)3月にマイカル直営店になったものの半年後にマイカルが経営破綻してイオンの傘下に入ったが[303]、そのイオンが2002年(平成14年)9月にわずか1.5キロ南に当店を上回るイオン高岡ショッピングセンター(現イオンモール高岡)を開店するなどして当店の経営を圧迫し[303]、2001年(平成13年)度以降赤字状態が続き[303]、2008年(平成20年)2月期に売上高がピーク時の約3分の1に当たる37億円へ落ち込んで[304]収益改善の見通しが立たないとして[305]2009年(平成21年)1月12日に閉店した[304]
    店舗跡は2010年(平成22年)末から建物を解体し[306]、2011年(平成23年)11月22日にホームセンタームサシが開業している[307]
    当店閉店後に高岡市の中心市街地に生鮮食品を扱う大型店がなくなって周辺住民の生活にも影響が出ていたため[308]、マルワフードの食品スーパー新鮮市場がムサシに併設されて2011年(平成23年)11月21日に開店している[307]

石川県

閉店した店舗は、存在しない。

福井県

山梨県

  • 甲府サティ食品館 → いちやまマートイッツモア塩部ショッピングセンター
    店舗面積約3,659m2[164]

長野県

  • 辰野サティ(上伊那郡辰野町中央[164]):1998年(平成10年)4月17日開店[73] → 2003年(平成15年)2月28日閉店[312] → 大型商業施設ときめきの街[313]
    店舗面積約11,136m2[164]、延べ床面積約21,618m2[164]
    人口約25,000人の豊科町に開業させた豊科店が周辺地域から需要を吸収して売上を順調に伸ばしたことを受けて独自の商圏で高いシェアを確保することを目指して1998年(平成10年)4月17日に開店した[73]が、マイカルの再建策の一環として2002年(平成14年)に7月24日に閉店が発表され[276]、2003年(平成15年)2月28日に閉店した[312]
    店舗跡地は商業施設ときめきの街として営業している[313]
    2001年(平成13年)に辰野町が当店を核とする開発計画を当店東側の辰野町開発公社所有の国営林署跡地で計画していたが、当店の閉店により実現しなかった[313]

岐阜県

  • 関サティ食品館[314](FC) → 2002年(平成14年)3月7日 三起屋関食品館[315] → 2002年(平成14年)3月7日に改装してバロー関ひがし店を開業[315]
    店舗面積約3,267m2[164]、延べ床面積約4,160m2[164]
  • 土岐サティ (FC):1990年(平成2年)6月28日に現在の店舗を開業[7] → 三起屋(2001年(平成13年)にバローグループ[316]
    店舗面積約8,371m2[164]、延べ床面積約13,685m2[164]
    関・土岐の2店舗は、マイカルグループから離脱し、2001年(平成13年)にバローグループ入りした岐東ファミリーデパートが現在も運営[314]
  • 羽島サティ:1981年(昭和56年)9月開店[182]。2001年(平成13年)2月に閉店[317] → 2002年(平成14年)にトミダヤが買収して[318]羽島Wing151
    店舗面積約10,220m2[164]、延べ床面積約16,201m2[164]

静岡県

  • 宮竹サティ:2001年(平成13年)8月31日に閉店[319]
    店舗面積約10,878m2[33]
    1979年(昭和54年)10月に開店した[33]ニチイ宮竹店を1997年(平成9年)3月31日に閉店した[320]ことに伴う後継店。
    店舗跡は浜松プラザウエストとなったが閉店し、2015年(平成27年)10月に解体されることになった[321]

愛知県

店舗面積約16,020m2[33]
1995年(平成7年)4月26日に名古屋鉄道豊田市駅東地区市街地再開発事業で建設された再開発ビルGAZAの核店舗として開店した愛知県か初出店の店舗だった[322]
1970年代から郊外地域にユニーやジャスコ、トヨタ生協が本部店を立地していて既存店舗間による競争があるところに出店したため、売上高は約60億円に留まって豊田市内の総売上高に占めるシェアも約20%に留まった[324]
店舗跡は1階にはトヨタ生協メグリアセントレとして入居[323]。2階・3階は専門店街が移転して営業している。残りのフロアはオフィスビル化されている。このフロアへのエスカレーター・エレベータは使用できなくなっている。
  • 有松サティ
名古屋鉄道名古屋本線有松駅前のウインハート有松に2000年(平成12年)4月に出店を目指して[325]100%出資の子会社のマイカル総合開発が1999年(平成11年)4月17日に名古屋市と契約を交わして総額76.3億円のうち土地代金相当額約37億6607万円を支払ったが[326]、2002年(平成14年)1月21日にマイカル総合開発が会社更生法第103条1項を根拠に有松駅前第1種市街地再開発事業に関する事業参画契約の解除を申し入れて出店の中止を目指し[327]、最終的にはイオンが出店を肩代わりしてイオン有松ショッピングセンターとして開業した。

近畿

三重県

シネマコンプレックスワーナー・マイカル・シネマズ鈴鹿」(7スクリーン、計1,014席)やボウリング場「パームボウル」を併設していた[332]。ワーナー・マイカル・シネマズはイオンモール鈴鹿へ移転。

滋賀県

  • 栗東サティ:1998年(平成10年)3月20日に開店[333] → 2003年(平成15年)2月末に閉店[334][335] → 2003年(平成15年)4月25日に平和堂アル・プラザ栗東が開業[334][336]
    マイカルによる地元自治体と組んだ駅周辺の都市開発プロジェクトの先駆けとして[337]JR栗東駅前に駅と2階部分がペデストリアンデッキでつながる建物内に[334]1998年(平成10年)3月20日に開店した[333]が、イオンの岡田元也社長が会社更生手続きの事業管財人となった後の2002年(平成14年)7月24日に追加の閉鎖店舗の一つとして記者会見で発表され[276]2003年(平成15年)2月末に閉店した[334]
    店舗跡は地元で強い地盤を誇る平和堂が閉店前の2003年(平成15年)2月24日に出店表明し[335]、約2ヵ月後の同年4月25日にアル・プラザ栗東として開業した[334][336]

京都府

  • 長岡サティ ✩(長岡京市[182]、1967年(昭和42年)4月開店[182] - 1998年閉店)
    店舗面積約2,504m2[182]
  • 桂サティ✩:1970年(昭和45年)6月に開店[33]ポロロッカ食品館併設)
    店舗面積約2,373m2[33]。(ニチイ桂店時の売場面積1,085m2[338]。)
    2001年(平成13年)7月末に契約していた駐車場の一部の閉鎖による収容台数の減少が2001年(平成13年)9月25日の京都市大規模小売店舗立地審議会で認められたが、その際には民事再生法適用申請後であったためそのことの審議への影響について委員から質問が出ている[339]
  • 京都花園サティ✩×(京都市右京区太秦安井藤ノ木町16[340]、1961年(昭和36年)5月に開店[33]、2001年(平成13年)8月19日に閉店[267]
    マイカルナック商事の経営であった。清水ママセンター破綻後出店、閉鎖後は解体。
    売場面積598m2[33]
  • 八幡サティ✩:1983年(昭和58年)6月に開店[33]、2007年(平成19年)11月12日に閉店[223]
    小売市場である「八幡市場」に隣接する八幡ショッピングセンター(売場面積約7,331m2)の核店舗として売場面積約5,761m2で「ニチイ八幡店」として出店した[324]
    当地は核店舗として平和堂が出店する計画が進んでいた場所であったが、調整の結果ニチイが選ばれて出店した[324]
    店舗面積約5,761m2[33]、閉店時の直営店舗面積約5,940m2[223]
    店舗跡は商業施設「ファミレ八幡」となり、2008年(平成20年)8月8日に1階にコノミヤ八幡店が出店している[341]

大阪府

  • 千林サティ✩×(大阪市旭区):1952年(昭和27年)3月開店[182]→1996年(平成8年)5月に千林サティへ業態転換→2002年(平成14年)3月閉店[342]
    ニチイ千林店は店舗面積約5,502m2[182]
    岡本常男が開いた旧「赤のれん」創業店[342]。跡地は現在、ミック千林薬店。
    店舗の規模が小さかったため、マイカル本体をサティやビブレを中心とした大型店舗の開発に特化するため中小型店をマイカルナック商事へ移管した際に当店も同社へ移管された[343]
  • 十三サティ(ジュウソウ、大阪市淀川区十三本町ショウキン第8ビル[164]ポロロッカ食品館を併設)✩:1967年(昭和42年)1月にニチイ十三店として開店[164]
    店舗面積約2,188m2[164]
    店舗の規模が小さかったため、マイカル本体をサティやビブレを中心とした大型店舗の開発に特化するため中小型店をマイカルナック商事へ移管した際に当店も同社へ移管された[343]
  • 四貫島サティ✩×(シカンジマ、大阪市此花区梅香3-20-4、ポロロッカ食品館を併設)✩×:1969年(昭和44年)6月[344]にニチイ四貫島店として開店→1996年(平成8年)に四貫島サティに業態転換→2001年(平成13年)4月30日閉店[345]
    売場面積1,258m2[346]
    店舗の規模が小さかったため、マイカル本体をサティやビブレを中心とした大型店舗の開発に特化するため中小型店をマイカルナック商事へ移管した際に当店も同社へ移管された[343][345]
    店舗の跡地はマンションおよび中華料理屋(自転車置き場の跡地はコインパーキング)。
  • 駒川サティ✩:1976年(昭和51年)4月開店[182] → 1995年(平成7年)10月に駒川サティに業態転換 → 2002年(平成14年)[347]3月に閉店 → パチンコ店
    店舗面積約6,808m2[164]
  • 豊中サティ(豊中市本町1丁目[257]):1968年(昭和43年)12月1日にニチイ豊中ショッビングデパートとして開店[257]→1995年(平成7年)に阪神大震災により被害を受けたため、小林敏峯社長を室長とする阪神大震災復興対策室の支援を受けて店舗の再建を行った[348]
    店舗面積約6,606m2[9]、延べ床面積約10,988m2[9]
  • 高槻サティ✩×(高槻市高槻町17—4[257]) - 1969年(昭和44年)6月7日にニチイ高槻ショッビングデパートとして開店[257]→1995年(平成7年)4月に高槻サティへ業態転換→2002年(平成14年)3月に閉店
    店舗面積約5,867m2(うち直営店舗面積約4,313m2[22]、延べ床面積約8,290m2[22]
    マイカルナック商事[22]
  • 南高槻サティ✩×(高槻市沢良木町[22]):1985年(昭和60年)5月開店[22]→1994年(平成6年)に南高槻サティへ業態変換→2005年(平成17年)5月30日閉店[258] → 2004年(平成16年)9月10日にマックスバリュ高槻南店が開業[349]。マンション
    店舗面積約12,627m2(うち直営店舗面積約11,160m2[22]、延べ床面積約29,665m2[22]
    閉店時の直営店舗面積約11,160m2[258]
  • 交野サティ✩(交野市私部西1-33-20[22]、1982年(昭和57年)11月30日開店[22]、→ 1997年(平成9年)4月23日に交野サティに業態転換、→2003年6月30日に閉店。ショッピングセンター・ジャンボスクエア交野の核店舗だった。現在は核テナントを「イズミヤ」交野店に変えて営業している)
    店舗面積約13,557m2(うち直営店舗面積約5,247m2[22]、延べ床面積約16,856m2[22]
  • 大阪花園サティ✩(東大阪市花園本町1-6-7[22]、1968年(昭和43年)9月開店[22]、ジャンボスクエアの核店舗[22]。非食のみの取り扱いだった)
    店舗面積約3,768m2[22]、延べ床面積約3,969m2[22]
  • 八尾サティ✩×:1977年(昭和52年)9月にニチイ八尾ショッピングデパートとして開店[92]→2007年(平成19年)2月28日に閉店[223]大阪経済法科大学八尾駅前キャンパス(2012年(平成24年)春開校)、マンション
    店舗面積約10,092m2(うち直営店舗面積約8,295m2[22]、延べ床面積約17,848m2[22]
    閉店時の直営店舗面積約9,373m2[223]
    店舗跡の土地の一部に2011年(平成23年)12月に12階建ての大阪経済法科大学八尾駅前キャンパスが完成し、2012年(平成24年)春に正式にキャンパスとなることになった[350]
  • 南木の本サティ✩:1982年(昭和57年)2月に開店[33]
    売場面積1,401m2[33]
    店舗跡は万代[351]
  • 藤井寺サティ✩×(藤井寺市岡1-7-12[164]):1971年(昭和46年)11月5日にニチイ藤井寺ショッビングデパートとして開店[257] → マンション
    店舗面積約10,128m2(うち直営店舗面積約9,039m2[22]、延べ床面積約15,232m2[22]
  • 泉南サティ(泉南市信達牧野、1996年(平成8年)11月1日開店[22])→ 2003年6月30日に閉店。
    店舗面積約18,327m2[22]、延べ床面積約38,494m2[22]
    現在は3階部分に娯楽施設ストライクス、2階部分に娯楽施設100KING、1階部分にはディスカウント食料品スーパーラ・ムー、100円ショップひゃくえんやが入る。
  • 熊取サティ×(泉南郡熊取町紺屋[22]、1984年(昭和59年)11月開店[22]) → 万代熊取店
    店舗面積約7,453m2(うち直営店舗面積約4,449m2[22]、延べ床面積約20,455m2[22]
    2013年(平成25年)5月20日をもって万代が閉店し、解体されたため、この建物は現存しない。
    2015年(平成27年)年12月に万代熊取店として再び新装開店している。
  • 布施サティ✩× - 1970年(昭和45年)5月に「ニチイ布施ショッピングデパート」として開店[92]→1993年(平成5年)に布施サティに業態転換→2008年(平成20年)3月20日閉店[352])建物は解体され、跡地にはパチンコ店「123+N布施店」が建設された。
    店舗面積約15,035m2[2]、延べ床面積約26,592m2[2]
    閉店時の直営店舗面積約9,391m2[352]
    近鉄布施駅前にあった地下1階地上7階建ての店舗で約半分を直営売り場とし、約半分が約80店舗の専門店街となっていた[353]
    代替店舗として布施ビブレ跡建物に布施駅前サティ(現:イオン布施駅前店)が2008年(平成20年)3月28日に開店している[103]
  • 枚方北山サティ食品館(枚方市北山1-23-1[22]、1998年(平成10年)3月1日開店[354] - 2009年(平成21年)2月1日閉店[352]
    閉店時の直営店舗面積約2,267m2[352]
    サティ食品館の関西地区2店舗目として1998年(平成10年)3月1日に開店した[354]
    大阪府下に於けるサティ食品館として最後の店舗であった。

兵庫県

  • 明石サティ✩(明石市本町1-3-15[340]、1960年(昭和35年)9月に開店[33] - ?閉店、初代・ニチイ明石店 → 明石サティ → マイカル明石開店後、本町サティ → 閉店)
    ニチイ明石店は店舗面積約182m2[182]
  • 尼崎サティ✩(サティ2号店、ニチイ尼崎店、1965年(昭和40年)5月に開店[355] - 1985年(昭和60年)に尼崎サティに業態転換[242] → 尼崎ビブレ → NAC尼崎 → 閉店)

  尼崎ビブレの店舗面積約4,998m2[355]。尼崎サティ時代には食品の取り扱いが無かった為、従業員の名札、看板は青色だった。

  • 西宮サティ✩×(西宮市北口町2-22[340]1973年(昭和48年)にニチイ西宮店として開業[92][356] → 西宮サティ。2005年(平成17年)1月10日閉店[356]。建物は西宮北口駅周辺の再開発事業のため解体)
    店舗面積約12,889m2[164]、延べ床面積約25,726m2[164]
    1973年(昭和48年)に阪急電鉄西宮北口駅の南側にニチイ西宮店として開業した5階建ての総合スーパーで開店当初は広域から集客して売上を伸ばし、2001年(平成13年)2月期に売上高78億円を上げていたが同年9月のマイカルの破綻の影響や周辺への競合の大型店の出店などの影響で2004年(平成16年)2月期に売上高43億円にまで落ち込んだ上、建物の一部が西宮市が駅周辺で進めている土地区画整理事業の道路用地になっていたため営業継続には建替えが必要で、資金面から対応が難しいこともあり2005年(平成17年)1月10日を以って閉店した。店舗周辺にはグループ企業店舗が何店舗があった。(マイカルイストの飲食店など)[356]
    ピープル・エグザス(現コナミスポーツ)の第1号が存在した。現在コナミスポーツは西宮北口駅前で営業中。
    1995年(平成7年)に阪神大震災により被害を受けたため、小林敏峯社長を室長とする阪神大震災復興対策室の支援を受けて再建を行った店舗の1つである[348]
    店舗の移転計画が進められていたが業績悪化に伴い2001年(平成13年)に移転計画を断念した[357]
    建物解体後は更地のまま暫く放置されたが、後に周辺の新築分譲マンションのマンションギャラリー用地として活用され、その後はコインパーキング、2014年4月26日より住宅展示場「西宮北口ハウジングギャラリー」となっている。
  • 甲南山手サティ(東神戸サティ[348]として1992年(平成4年)10月27日に開業[358] → 2003年(平成15年)7月末に甲南山手サティが閉店[359]
    店舗面積約15,205m2[164]
    1992年(平成4年)10月に阪神間で最大規模を誇った旧森市場を再開発したセルバの核店舗として誘致されて開業し[359]、1995年(平成7年)には阪神大震災により被害を受けて小林敏峯社長を室長とする阪神大震災復興対策室の支援を受けて再建を行い[348]、1997年(平成9年)度に売上高73億円を上げていたが競争の激化により2001年(平成13年)度に売上高46億円に落ち込んだため[359]、2003年(平成15年)7月末に閉店することになった[359]
    店名変更は店舗裏手の甲南山手駅開業にあわせた対応。
    セルバ自体はそのままで、サティ部分の退去跡には2003年(平成15年)11月22日に地下1階に関西スーパーを皮切りに2階のユニクロや4階の100円ショップザ・ダイソーなど全13店が順次開業した[360]
  • 三田サティ✩:1980年(昭和55年)3月に開店[361] → 2002年(平成14年)11月30日に閉店[361]
    店舗面積約9,998m2(うち直営店舗面積約5,629m2[25]、延べ床面積約15,022m2[25]
    1980年(昭和55年)3月に開業し[361]、自社の店舗である三田ウッディタウンサティ(現:イオン三田ウッディタウン店)がニュータウンに立地し映画館なども備えて顧客の一部流れていた上[108]、店舗に近い三田市の中心市街地の商店街の三田本町通りセンター街の店舗数が最盛期の約半分の29店にまで減少するなど中心市街地の衰退が進んでニュータウンの競合店に客を奪われて1991年(平成3年)度に94.2億円だった売り上げが[362]2001年(平成13年)2月期に約55.82億円へ減少して2004年(平成16年)2月期には約28.97億円まで落ち込んで回復の見込みが立たず土地と建物の賃貸契約が2005年(平成17年)12月末に満了を迎えるため[363]、その直前の2005年(平成17年)11月30日に閉店した[361]
    店舗跡は2006年(平成18年)7月から解体工事が行われ、食品スーパーを核店舗とする商業施設を招致する方向で計画が進められていることが同年11月15日に開かれた三田市議会決算特別委員会で三田市の当局側から明らかにされた[364]2007年(平成19年)12月にミスミモールが開業[要出典]
  • 伊丹サティ✩:ニチイ伊丹店として1971年(昭和46年)4月に開店[92][33]
    当店の開業した1971年(昭和46年)4月には他にジャスコと長崎屋、それに関西スーパーマーケットも伊丹駅前に開業しており、スーパーマーケット4店が一気に開業した[92]。阪神大震災で被災し1995年1月17日にニチイとしての営業は終了、その後サティへ鞍替え。
    店舗面積約4,201m2[33]

奈良県

  • 学園前サティ×:1984年(昭和59年)3月に開店[33]、2001年(平成13年)5月31日に閉店[365]
    1984年(昭和59年)3月にサティ1号店として開店[242][366]。開店時は「サティ学園前」と名称が逆表示となっていた。また、食品の取扱いはなく、衣料品のみであった。看板は青色だった。
    店舗跡は、閉店翌月の6月29日にLICKS学園店が開業した[367]
    跡地は地下構造(駐車場部分)を残して建て替えられ、現在、ならコープ「コープ学園前店」となっている。
  • 生駒サティ✩(生駒市本町2-932[340]、1963年(昭和38年)11月開店[182] - 1992年5月閉店)
    売場面積220m2[340][182]。(衣料品のみの扱い)
  • 桜井サティ✩ (桜井市[33]、1978年(昭和53年)4月1日、それまで桜井駅南側にあった旧桜井店を桜井市街北部の粟殿(おおどの)へ移転し2代目桜井店として開店、1990年(平成2年)4月からサティ[33] - ?閉店)
    売場面積約7,674m2[33]
  • 香芝サティ✩ 2001年(平成13年)3月閉店[368]
    店舗面積約8,382m2[164]
    現在、サティ跡には2階に「エディオン」(旧:ミドリ電化)香芝店、1階には「近商ストア」が入居している。現在の施設名はじゃんぼスクエア香芝であるが、かつてはこの名称の最後に香芝サティが付いて、じゃんぼスクエア香芝サティという名称であった。
  • 八木サティ✩×(橿原市八木町1-8-15[164]、1970年(昭和46年)7月開店[182] - ?閉店)(衣料品のみの扱い)
    売場面積5,489m2[338][182]
    店舗跡は建物再利用で総合スーパー「ヤマトー」八木店となったが建物の老朽化や郊外型量販店との競合激化で2009年(平成21年)1月末で閉店した[369]。その跡地に「ヤマトー」が食品スーパーで再出店を計画している[369]
  • 結崎サティ✩(1984年(昭和59年)1月10日開店[7]「ニチイ結崎店」→結崎サティ→2009年(平成21年)5月31日閉店[370]
    閉店時の直営店舗面積約5,833m2[214]
    2010年(平成22年)に建物の再利用で「スーパーおくやま」結崎店が入居している[371]
  • 高田サティ✩:ニチイ高田店として[372]1976年(昭和51年)5月28日に2代目高田店として開店[7]→1992年(平成4年)4月22日にニチイ高田店を高田サティへ業態転換[373]→2010年(平成22年)6月30日閉店[374][372]
    近鉄高田市駅前の一角にある[372]片塩町の国道168号沿いに1976年(昭和51年)5月28日に2代目高田店として開店した[7]地上4階建ての専門店も入居した総合スーパー[375]で大和高田市のに買い物客を呼び込む中心的な役割を果たし[372]、1991年(平成3年)度に売上高134億円を上げていて1992年(平成4年)4月22日に増床してニチイ高田店を高田サティへ業態転換を行った際には初年度売上高目標として160億円を見込むほど売上を伸ばしていた[373]が、当地でも1977年(昭和52年)にユニチカが工場を閉鎖するなど繊維産業の衰退と生産拠点の海外移転が進んで大和高田市の人口がピークの1997年から約8000人減少して約6万8000人となり[372]、また近隣に競合するスーパーが出店するなどして[375]店舗周辺の人通りも減って賑わいを失うなど[372]商環境が変化したため、2004年(平成16年)9月10日に熟年層をターゲットに改装を行った[376]が売上が伸び悩み、建物の老朽化で修繕費などが嵩むようになったことも重なり[375]2010年(平成22年)6月30日に閉店した[374]
    敷地面積15,233m2に地上4階建て延床面積37,913m2で、売場面積20,199m2(うち直営13,950m2)の店舗だった[373]
    閉店直後の2010年(平成22年)7月に行われた毎年恒例の大和高田商工会議所による商店街の通行量調査でサンサン中通りが平日で前年度比42.34%減で休日が57.66%減となり、片塩コスモス通りも合計で23.26%減となるなど店舗に近い商店街ほど大きく落ち込むなど店舗閉鎖は周辺商店街の集客に大きなマイナスの影響を与える結果となった[377]
    店舗跡は2011年(平成23年)9月に地元大和高田商工会議所会頭が経営する[378]大和ガスが取得して食品スーパーの招致に乗り出し[379]、「近商ストア」大和高田店が2013年(平成25年)4月4日に開店した[380][381]
  • :初代高田店だった建物は南河生鮮市場の高田店として2021年現在も現存。

和歌山県

  • 橋本サティ[382]橋本市、1985年(昭和60年)11月開店[182] - ?閉店)
    売場面積3,300m2[182]。店舗名は2001年10月から神奈川県の橋本サティに再利用された。
  • 箕島サティ✩(有田市、1981年(昭和56年)1月開店[182] - ?閉店)
    売場面積3,960m2[182]
    店舗跡は2002年(平成14年)11月8日にオークワ箕島店が開業[383]。(かつてのオークワ箕島店は「プライスカット有田店」に業態変更)
  • 高野口サティ✩:(高野口町(現、橋本市)、1978年(昭和53年)6月に開店[33]、2001年(平成13年)1月10日に閉店
  • [384])
    店舗跡は2001年(平成13年)10月31日付でオークワが買収し[384]、2002年(平成14年)3月8日にオークワ高野口店が開業[385]
    JR和歌山線紀伊山田駅から約1キロ離れた国道24号沿いに立地していた[385]
  • 岩出サティ(那賀郡、1980年(昭和55年)12月開店[182] - ?閉店)✩
    売場面積4,935m2[182]
    2000年(平成12年)11月29日にオークワミレニアシティ岩出店が開業[386]
    和歌山県からすべてのサティが撤退。和歌山ビブレも撤退したため、県内よりマイカルの店舗が消滅。

中国

鳥取県

  • ホープタウンサティ(1982年(昭和57年)7月に[355]米子ホープタウンとして開業[387] → サンメルトホープタウン店として開店) → (2代目)米子サティ → ホープタウンサティ[355] → ホープタウン
    当初、「米子ホープタウン」として開店し、同グループだった出雲ファミリーデパート、浜田ファミリーデパートと合併し、「サンメルトホープタウン店」となった。1993年(平成5年)3月に、米子駅前に出店した「米子サティ」を経営する米子ニチイ(ニチイ100%出資子会社)などと合併して、「サンインニチイ」が発足[355]。店名は「ホープタウンサティ」となった[355]。なお、サンインニチイは後にマイカルサンインに社名変更を行っている。
    その後、同エリア内でのサティ2店舗による自社競合を避けるため、米子サティは百貨店業態に転換し「米子ビブレ」となる(運営もマイカル本体に移管)。この後、ホープタウンサティは「(2代目)米子サティ」にリニューアル。
    マイカル破綻後、マイカルサンインはマイカルグループから独立。「ホープタウン」と社名変更し、米子サティも店名を再び「ホープタウンサティ」に変更した。その後、リニューアルを繰り返す中で徐々にマイカル色を払拭し、サティの店名も外し「ホープタウン」となる[388]。2008年(平成20年)にはマルイと提携し、マルイが食品部門に入居する形態となり、食品部門のみ「ホープタウンマルイ」となった[389]
  • (初代)米子サティ → 米子ビブレ → 米子駅前サティ→イオン米子駅前店
    SC名称:米子駅前ショッピングセンター
    1990年(平成2年)6月29日に米子駅前に(株)米子ニチイにより開店[390]。グループ企業再編により、(株)サンインニチイ→(株)マイカルサンインの経営から、1996年(平成8年)3月13日に米子ビブレに業態転換に伴って(株)マイカルに移管されて直営店舗となる[391]。再度サティに業態転換したが、現在のホープタウンが「(2代目)米子サティ」を名乗っていたため店名を「米子駅前サティ[392]とした。
    2003年(平成15年)に経営破たんしたマイカルへの支援と市民の交流の場の提供を兼ねて米子市が4階に「市民交流広場」を開設していたが、2004年(平成16年)~2007年(平成19年)の年間利用日数が98~127日と低迷していた上マイカルがイオンの傘下に入って経営を支援する必要がなくなったとして2008年(平成20年)12月末で廃止とされた[392]
    JR米子駅前であるが郊外店舗への対抗策として店舗併設の米子市開発公社が所有する立体駐車場を無料としていたが、買い物客や施設利用者以外も無償で駐車出来て近隣と不公平になっているとして有料化する方針であることが2009年(平成21年)6月10日開かれた米子市の第三セクター米子駅前開発の株主総会で明らかになった[393]
    マイカルグループのスポーツクラブであったエグザス米子店(米子駅前サティ内)と松江店(松江サティ内)はコナミによる買収後もホープタウンが2010年(平成22年)までエグザスブランドで運営していたが、現在はコナミブランドに転換している。

島根県

  • 出雲サティ✩:1980年(昭和55年)9月に開業した商業施設「パラオ」[394]と共に開店し、2002年(平成14年)8月31日に閉店[395]
    店舗跡は2002年(平成14年)10月6日にジャスコ出雲パラオ店が開業[396][397]→2009年(平成21年)1月20日にジャスコ出雲パラオ店が閉店[398][399]→2009年(平成21年)4月22日にトライアル出雲店が開業[400][401]→2016年(平成28年)2月14日にトライアル出雲店が閉店
    店舗跡にはサティよりも食品や下着、子供関連の売場を強化すると共に化粧品や医薬品などを扱うヘルス&ビューティーケア売場の導入してヤングファミリー層をメーンターゲットとしたジャスコ出雲パラオ店として2002年(平成14年)10月6日に開店した[396]が、2008年(平成20年)6月に[128]イズミが店舗面積33,498m2のゆめタウン出雲が出店し、同年9月27日に松江サティが対抗して増床して店舗面積30,893m2となり[128]、同年10月に[128]ジャスコ日吉津店が店舗面積36,589m2へ増床する[126]など大型ショッピングセンターの競争が激化したため[128]売上が伸び悩み、2009年(平成21年)1月20日にジャスコ出雲パラオ店は閉店となった[399]。その後2009年(平成21年)4月22日にトライアルが出店した[400][401]
    併設された専門店街の「パラオ」は競合するショッピングセンターの開業に伴う競争激化で売上高も1993年(平成5年)度の64億円が2011年(平成23年)3月期に約10億円に落ち込み、店舗数もピーク時の70から減少し続けて45にまで減少するなど業績が低迷したため、専門店街を運営していた協同組合「出雲ショッピングセンター」が2012年(平成24年)2月29日に松江地方裁判所に自己破産を申し立てて倒産し、営業停止となった[394]
  • 浜田サティ✩:1982年(昭和57年)9月開店[355] - 2002年(平成14年)6月30日に閉店[402]
    店舗跡は「イズミ」シティパルク浜田 → ゆめマート浜田
    店舗面積約5,854m2[164]、延べ床面積約7,832m2[164]

岡山県

  • 水島サティ(倉敷市連島町亀島新田1427[340])✩
    ニチイ水島店として1975年(昭和50年)7月に開店[403]
    岡山エステートビル[164]。店舗面積約8,945m2[164]、延べ床面積約14,660m2[164]
  • 新倉敷サティ:1990年(平成2年)3月に開店[33]、2002年(平成14年)7月28日に閉店[404]
    店舗面積約16,111m2[164]
    店舗跡はトライアル倉敷店[405](建物はそのまま流用で、一階の半分だけ使用)→その後2020年5月17日に閉店[406]、現在空きテナント
  • 児島サティ✩:ニチイ児島店として1981年(昭和56年)3月に開店[407] → 1992年(平成4年)9月23日に児島サティへ業態転換[407] → 競争激化による売り上げ不振を理由に2001年(平成13年)3月5日に閉店[408]
    店舗面積約11,754m2[164]、延べ床面積約17,295m2[164]
    店舗跡はサンキワールド児島店(パチンコ屋)
  • 笠岡サティ(笠岡シーサイドモールのテナント)✩:1979年(昭和54年)11月に開店[33]、2002年(平成14年)5月末に閉店[409]
    店舗面積約13,820m2[164]
    店舗跡は2002年(平成14年)7月に山陽マルナカが開業[410]
  • 庭瀬サティ食品館(岡山市北区庭瀬)
    店舗跡は2003年2月1日にハローズ[411]庭瀬店が開業[412]

広島県

  • 駅家サティ✩×:1980年(昭和55年)1月に開店[33]
    店舗面積約6,698m2[33]
    店舗跡は2005年(平成17年)3月にハローズしまむら等の「駅家モール」が開業[413]
  • 神辺サティ✩:1980年(昭和55年)6月に開店[33]、1999年(平成11年)9月30日に閉店[414]
    店舗面積約3,575m2[33]
    店舗跡はホームセンターユーホーとなるが、同店の新築移転後、パチンコ店(マンハッタン)となった。
  • 三吉サティ食品館:2001年(平成13年)5月20日に閉店[415]
    店舗跡は2001年(平成13年)7月21日にフレスタ三吉店が開業した[416]
  • 因島サティ✩×(因島市土生町塩浜南区1899-3[340]、ニチイ因島店として1972年(昭和47年)11月開店[417] → 因島サティ → 2008年(平成20年)11月30日閉店[417]
    ニチイ因島店は店舗面積約2,796m2[182]
    閉店時の直営店舗面積約2,293m2[352]
    1972年(昭和47年)11月に因島土生町の土生商店街に開店、因島南部と愛媛県上島町を商圏として1983年(昭和58年)2月期は売上高約26億円を上げていたが、2008年(平成20年)2月期には売上高10億円弱に落ち込んで営業損益が数千万円の赤字となり、店舗の老朽化も進んでいたことも相俟って2008年(平成20年)11月30日に閉店して36年の歴史に幕を下ろした[417]
    店舗跡は2009年(平成21年)1月8日から解体工事が行われて[418]更地になり、地権者が因島の島外資本を含めた集客力のある食品スーパーの出店交渉を行って最終的に日立造船因島生活協同組合が出店することになり[419]、同年10月26日に地鎮祭を行って建設工事に入り[420]、2010年(平成22年)4月16日に日立造船因島生活協同組合「コープ・フレニール」が開店した[421]
  • 広サティ(ニチイ広店→広サティ):1978年(昭和53年)4月に開店[33]。1996年(平成8年)5月31日広サティとなる。
    店舗面積約4,824m2[33]
    店舗跡はナフコ広店)
  • 広島サティ - 1997年(平成9年)10月[422]1日開店 - 2011年(平成23年)7月18日閉店[423](閉店が決まっていたため、2011年3月以降も「サティ」ブランドは継続していた)。
    広島初の7スクリーンのシネマコンプレックスであったワーナー・マイカル・シネマズ広島[424]を併設して1997年(平成9年)10月に開店し[422]、中四国最大の11スクリーンを持つシネマコンプレックスの「広島バルト11」を併設するダイヤモンドシティ・ソレイユ(現在のイオンモール広島府中)が2004年(平成16年)3月に開業し[424]、8スクリーンのシネマコンプレックスの「TOHOシネマズ緑井」を併設するフジグラン緑井が2004年(平成16年)9月30日に開業した[425]のに対抗して2004年(平成16年)9月18日にリニューアルを行った[426]が、ショッピングセンター間の競争激化の影響を受けて[422]2011年(平成23年)7月18日閉店した[423]
    サティ直営の売場の閉店後の各テナントの営業継続は各々との協議に委ねられて一律に閉鎖しなかったため[422]、ワーナー・マイカル・シネマズなどの専門店は継続営業を行っていた。
    サティの直営店の店舗後のうち1階部分が2011年(平成23年)9月21日にマックスバリュ段原店となり[427]、翌月には残りの階も整備しイオンモールが運営する「広島段原ショッピングセンター」として開店。5階部分は移転に伴ってマックスバリュ西日本の本社とイオンリテール中四国カンパニーが入居する事務所フロアとなった[428]以外のフロアは大型専門店や雑貨、サービス、飲食など店舗が入り、広島段原ショッピングセンターとして開業した[429]

山口県

  • 徳山サティ✩×(徳山市銀座2—30—32[257]、1971年(昭和46年)10月27日にニチイ徳山ショッピングデパートとして開店[257] - 1999年(平成11年)5月末閉店[430]
    店舗跡は1999年(平成11年)7月21日にダイソーが開業(1階・地下1階部分のみ)[431]コインパーキング
    開業時の店舗面積は5,880m2[257]。徳山サティ閉店後は空き店舗対策として1999年(平成11年)7月21日にダイソーが暫定的に1階・地下1階に入居していた[431]スペースGが営業していた[432]が、その後建物は解体されてコインパーキングになった。
  • 山口サティ✩(山口市道門前2-3-6[340]、1960年(昭和35年)開店[433] - 1998年(平成10年)5月31日閉店[434]
    店舗面積約2,218m2[164]、延べ床面積約3,089m2[164]
    ダイエー山口店とともに道場門前商店街に出店して[435]1978年(昭和53年)度に売上高約13.4億円を上げ[433]、3階建てで売り場面積は2,218m2と小規模だったため1994年(平成6年)度からは衣料品とベーカリーを組み合わせた業態に転換して売上の回復を目指したが1997年(平成9年)度に売上高約3.18億円に落ち込むなど業績が好転しなかったため1998年(平成10年)5月末に閉店した[433]。ダイエー山口店も翌月6月末に閉店し[435]、ダイエー跡地には生活協同組合コープやまぐちどうもん店が出店した[436]
  • 山の田サティ✩(ニチイ山の田店として1979年(昭和54年)10月[437]27日開店[7] - 1995年(平成7年)に山の田サティに業態転換[437] - 2009年(平成21年)2月28日閉店[437][438]
    SC名称:山の田ショッピングデパート[2]
    ニチイ山の田店は店舗面積約3,792m2[182]
    店舗面積約6,112m2(うち直営店舗面積約5,323m2[2]、延べ床面積約18,040m2[2]
    売り場面積は約9,000m2[437]。4階建ての店舗で2、3階が売り場だった[437]
    1985年(昭和60年)度に売上高約35億円を上げたが、競合店舗の出店などによる商環境の変化の影響を受けて2007年(平成19年)度に売上高約10億円にまで落ち込み、建物も老朽化していて将来の収益の目処が立たないとして2009年(平成21年)2月28日に閉店した[437]。山の田サティの閉店により、山口県内のサティは防府サティ(現在のイオン防府店)1店舗を残すのみとなっていた。

四国

徳島県

  • 小松島サティ✩(ニチイ小松島店)(1986年(昭和61年)4月開店[33] - 2002年(平成14年)7月に閉店[439]
    店舗面積約4,178m2[33]
    店舗跡はキョーエイ小松島店(2002年(平成14年)開店[439]
  • 徳島サティ✩×(徳島市万代町4丁目2-1[440]、ニチイ徳島店として[441]1981年(昭和56年)3月1日開店[440][442] → 1995年(平成7年)3月に徳島サティへ変更[441] → 2008年(平成20年)4月6日閉店[441]
    店舗跡は田岡病院が2008年(平成20年)12月に店舗跡地を取得する契約を締結して2009年(平成21年)6月23日付で売買を成立させた[443]。(2011年(平成23年)3月1日開院)
    店舗面積約9,465m2(うち直営店舗面積約7,997m2[9]、延べ床面積約16,157m2[9]
    閉店時の直営店舗面積約7,659m2[352]
  • 貞光サティ食品館
    店舗跡は2002年(平成14年)9月14日にサンシャインとして再開業[444]
    徳島県から全てのサティが消滅。同県では、過去に徳島市中心部に徳島ビブレが1999年(平成11年)4月に閉店したことから、同県からマイカルグループの店舗が完全に消滅した。

香川県

  • 高松勅使(チョクシ)サティ✩×(1984年(昭和59年)6月開店[33] - 1999年(平成11年)12月31日閉店[445]、2003年(平成15年)5月に建物解体)
    ニチイ高松勅使店は店舗面積約3,400m2[182]
    店舗面積約4,134m2[33]
    SC名称:高松勅使ショッピングデパート[446]
    当初はニチイ勅使店として開店。1995年(平成7年)の高松サティ(現・イオン高松東店)開店後、1996年(平成8年)に改名。
    郊外の立地だったが、1997年(平成9年)に約1.1km東にあるウインズ高松来場者の不法駐車対策で駐車場を有料化したこと、1998年(平成10年)10月にゆめタウン高松(約2.6km先)が開店したことで客離れを引き起こし、閉店。現在はパチンコ店。自走式立体駐車場のみ流用されている。
  • 観音寺サティ✩×(観音寺市観音寺町甲[140]、1989年(平成元年)2月25日開店[447] - 2009年(平成21年)9月30日閉店[448]
    店舗面積約12,491m2[25]、延べ床面積約35,380m2[25]
    閉店時の直営店舗面積約11,000m2[214]
    ニチイ観音寺ショッピングデパートとして開店[447]。1994年(平成6年)3月、観音寺サティに改名。観音寺市唯一の大型店舗として営業していたが、1994年(平成6年)をピークに売り上げが下降線をたどり、閉店前の数年は採算ラインを割り込んでいた。2008年(平成20年)11月5日に同じイオングループマックスバリュ観音寺駅南店が先行オープンして同月12日に同店を核店舗とするイオンタウン観音寺ショッピングセンターが開業[449]し、観音寺市内における小売店競争が激化したために客離れを引き起こし、2009年(平成21年)2月27日に9月30日付けで閉店する事が明らかになって9月30日に閉店した[448]。2011年(平成23年)6月23日にビッグ・エスが運営する家電量販店ケーズデンキ観音寺店がオープン[450]。店舗西側の平面駐車場にはサティの駐車場入場標識が残っていたが、2021年現在宅地開発によりそれも失われている。

愛媛県

  • 松山サティ✩(松山市湊町3-4-4[133]、1973年(昭和48年)11月23日[7] - 1999年(平成11年)6月30日閉店[451]
    銀天街ショッピングビルは、店舗面積約10,635m2[133]、延べ床面積約16,878m2[133]
    1973年(昭和48年)11月23日に[7]松山銀天街の商店4店が建設した銀天街ショッピングビル「ラブリープラザ」(地下1、地上5階)の核店舗の(2代目)ニチイ松山店として出店した[452]
    のちに、松山サティとリニューアルする。1995年(平成7年)、周辺用地(パチンコホームラン跡地)を買収し、ビブレ化を画策するも、地元商店の反対(地権者の土地売却不同意)にあい頓挫。1997年(平成9年)には、近隣のダイエー千舟町店も閉店しており、松山中央商店街で残った唯一の総合スーパーに。1999年(平成11年)閉店。
    その後、建物は(協)銀天街ショッピングビルが運営し、ショッピングセンタGETとなっている[7]

高知県

  • 窪川サティ食品館 (高知県高岡郡窪川町[453]、1997年(平成9年)9月開店[453] - 2002年(平成14年)6月26日閉店[453]
2002年(平成14年)6月29日にショッピングプラザ四万十として新装開店した[453][454]

九州

福岡県

  • 門司サティ✩(北九州市門司区栄町9-18[340]、1968年(昭和43年)7月開店[455] - 2008年(平成20年)8月31日閉店[352]
    ニチイ門司店は店舗面積約2,015m2[182]
    閉店時の直営店舗面積約1,442m2[352]
    ニチイ門司店として開店[455]。門司サティの閉店により、九州地区のサティは全てイオン九州の運営となった。建物は閉店後改修され、2009年(平成21年)1月にサンキュードラッグが1階と2階に入居した。

イオン九州運営店舗

※は旧マイカル九州時代の閉鎖店舗

福岡県

  • ※福重サティ食品館 → 2001年(平成13年)3月1日にサニーに営業を譲渡し[456]、同年5月19日にサニー福重店として新装開店した[457]
  • ※月隈サティ食品館 → 2001年(平成13年)3月1日にサニーに営業を譲渡し[456]、同年5月19日にサニー月隈店として新装開店した[457]
  • 曽根サティ✩ (1980年(昭和55年)11月開店[455][22] - 2005年(平成17年)2月末に閉店[458])→ レッドキャベツ曽根店・ダイソー曽根店など
    店舗面積約10,765m2(うち直営店舗面積約7,986m2[22]、延べ床面積約20,736m2[22]

長崎県

  • ※長崎サティ:(長崎市浜町2-32[340]、?開店 - 2001年(平成13年)8月19日に閉店[459]) → 2001年(平成13年)10月12日にデオデオ長崎店(現・エディオン長崎本店)が開業[460]
    店舗面積約1,394m2[340]
  • ※諫早サティ:(諫早市本町24[340]、1972年開店 - 2005年(平成17年)6月10日に閉店[461]) → アエルいさはや(まるたか生鮮市場などの複合商業施設)
    店舗面積約2,757m2[340]
    SC名:諌早ショッピングデパート[462]
  • ※福江サティ → 福江シティモール → 五島シティモール
    店舗面積約9,991m2[164]、延べ床面積約17,476m2[164]

熊本県

  • 八代サティ✩×(八代市本町3-1-2[340]、ニチイ八代店として[463]1974年(昭和49年)5月23日開店[464]→1992年(平成4年)3月1日に八代サティへ業態転換[465]→2006年(平成18年)1月31日閉店[466]
    SC名:八代ショッピングデパート[462]
    1974年(昭和49年)5月に本町商店街のアーケードに隣接して開店し、店舗を改装した1992年(平成4年)度に売上高約48億円を上げていたが、2004年(平成16年)度に前年度比15.5%減の売上高約24億円で経常損益は500万円の赤字に落ち込み、2004年(平成16年)秋から2005年(平成17年)夏にかけて競合相手となる複合商業施設が相次いで出店したことなども影響して2006年(平成18年)1月31日に閉店した[466]
    地下1階地上6階建て延床面積約15,813m2(敷地面積約2,964m2)で店舗面積は約10,267m2(うち店舗面積約9,029m2)で[465]2001年(平成13年)に閉店した壽屋と共に同じ八代市の中心商店街に出店していた[463]
    跡地に2007年(平成19年)9月1日0時にマックスバリュ八代店を核テナントとして2F建ての複合商業施設が開業した[467]

大分県

  • ※中津サティ✩×
〒871-0033、大分県中津市大字島田字手渡232番
JR中津駅に隣接していた中津大分交通北部ビルに入居していた。店舗面積約10,879m2[164]、延べ床面積約14,876m2[164]
1977年(昭和52年)1月に「丸吉百貨店」開業[468]。1981年(昭和56年)にニチイグループに)ニチイ中津店[469]し、1993年(平成5年)3月18日に中津サティへ業態転換[469]→2000年(平成12年)8月20日に閉店[470]
  • 店舗の入居していた中津大交ビルは2004年(平成16年)に解体されて駐車場として利用されていたが、大分交通が8,413m2の敷地に鉄骨2階建て延べ床面積4,063m2の建物を建設して2012年(平成24年)3月にサンレーが経営する結婚式場VILLA LUCE(ヴィラ・ルーチェ)として開業することになった[471]
  • 大分サティ✩(ニチイ大分ショッピングデパートとして1973年(昭和48年)9月開店[472][473] - 2009年(平成21年)3月20日閉店[474]
    大分市に本社を置く地元の不動産会社の西原パーキングがイオン九州と2009年(平成21年)11月30日に土地・建物の譲渡契約を締結し[475]、同年12月10日に地元の百貨店トキハの子会社でスーパーを運営するトキハインダストリーがテナントとして出店することが明らかになり[476]、地下に約1,000台が収容できる駐輪場として整備する設備などの工事費を一般会計補正予算案として2010年(平成22年)6月7日に開会する定例議会に大分市が提案する[477]など地元政財界の支援を受けて改装が進められ、同年10月25日にトキハインダストリー若草公園店や大分市営の地下駐輪場などがオープンした[478]
    4-8階・屋上を解体後、地階は駐輪場、1階はトキハインダストリー大分中央町店、2階は専門街店、3階は店舗駐車場という構成の「セントポルタビル」として2010年(平成22年)10月に開業した[473]

宮崎県

  • ※くしまサティ → ニシムタ串間店
    店舗面積約8,165m2[164]
    店舗跡は、2002年(平成14年)4月にニシムタが「N’s CITY串間店」を開店。

店舗の一例

参考/出店を断念した店舗

  • 盛岡サティ:岩手県盛岡市前潟で2003年(平成15年)の開業を目指していたが[479]、業績悪化に伴い2001年(平成13年)に出店を断念した[480]。予定地に、2003年(平成15年)8月[481]9日にイオンモールがイオン盛岡ショッピングセンター(現・イオンモール盛岡)を開業。
  • 仙台サティ:仙台市太白区に2000年(平成12年)12月の開業を目指して1999年(平成11年)の着工を計画していたが[482]、業績悪化に伴い2000年(平成12年)に出店を断念した[483]
  • 新庄サティ:山形県新庄市で出店を目指していたが業績悪化に伴い出店を断念した[484]
  • 富山サティ:富山県富山市で出店を目指して用地選定していたが業績悪化に伴い出店を断念した[485]
  • 大垣サティ:1997年(平成9年)8月7日に岐阜県大垣市のオーミケンシ大垣工場跡地に出店する計画を発表していたが[486]、業績悪化に伴い2001年(平成13年)に出店を断念した[487]。予定地に、2007年(平成19年)10月27日にユニーがアクアウォーク大垣を開業[488]
  • 稲沢サティ:稲沢市に1999年(平成11年)の出店を目指していたが[489]、業績悪化に伴い出店を断念した。
  • 橿原サティ:奈良県橿原市で出店を目指していたが業績悪化に伴い2001年(平成13年)に出店を断念した[490]
  • 緑井サティ:広島市安佐南区の緑井駅前再開発への出店を目指していたもので[491]、2000年(平成12年)3月4日に再開発ビルの管理会社を設立した時点や[491]、再開発工事の着手時点までは商業棟にはマイカルが出店予定だったが[492]、マイカルが破たんした影響を受けて2003年(平成15年)にフジに変更され[493]、2004年(平成16年)10月2日に「フジグラン緑井」として開業した[494][495]
  • 周南サティ:山口県下松市で出店を目指していたが業績悪化に伴い出店を断念した[496]
  • 北島サティ:1998年(平成10年)2月20日に、徳島県板野郡北島町の日清紡徳島工場社宅跡地の区画整理事業予定地に出店を発表、2000年(平成12年)3月の開店を目指していたが[497]申請した売場面積から22.4%削減された[498]ため、そのことを理由として1999年(平成11年)11月に出店を正式に断念した[499]。予定地には、2001年(平成13年)11月2日にフジがフジグラン北島を開業[500]
  • 長崎サティ新店舗(未開業) → 夢彩都(イズミが運営するSC、現・ゆめタウン夢彩都

このほか、沖縄県那覇新都心地区おもろまち4丁目の大型店舗計画でサティとしてダイエー、ジャスコ(現イオン)とともに入札したがダイエーに敗れた。そのダイエーも経営が苦しくなり出店断念、再入札でサンエーが取得し現在はサンエー那覇メインプレイスとなる。なお、マイカルとダイエーは両方ともイオンに買収されている。

上記以外にかつて存在したニチイの店舗

1970年(昭和45年)9月1日以降、(新)株式会社ニチイ発足直後から存在した店舗を記載する。当初は100~400m2程度の衣料品専門小型店が多く、その多くはスクラップ&ビルドの対象になった。出典は各年度に発刊された「日本スーパーマーケット年鑑」による。


  • ニチイエルメ梅田店 (大阪市北区)
  • ニチイ泉尾店 (大阪市大正区)
  • ニチイ野田店 (大阪市西成区)
  • ニチイ西新道店 (京都市東山区)
  • ニチイ島原店 (京都市下京区)
  • ニチイ洛南店 (京都市南区)
  • ニチイ御影店 (神戸市東灘区)
  • ニチイエルメ奈良店(奈良市)
  • ニチイ大和王寺店 (北葛城郡王寺町)
  • ニチイ玉島店 (倉敷市)
  • ニチイ鞆店 (福山市)
  • ニチイ沖野上店 (福山市)
  • ニチイ手条店 (福山市)
  • ニチイ唐戸店 (下関市)
  • ニチイ萩呉服店 (萩市)
  • ニチイニューます屋店 (北九州市)
  • ニチイかほう店 (長崎市)
  • ニチイマルセイ店 (島原市)
  • ニチイクマモトヤ店 (八代市)
  • ニチイダイワ店 (小林市)

脚注

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  5. ^ “「盛岡南サティ」9月15日(金)グランドオープン 5年9ヶ月ぶりの新規出店 岩手県盛岡市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2006年9月7日)
  6. ^ “秋田市に大型SC サティ船出 1800台収容駐車場も満杯”. 秋田魁新報 (秋田魁新報社). (1995年4月29日)
  7. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb bc bd be bf bg bh bi bj bk bl bm bn bo bp bq 都道府県別・政令指定都市別・市町村別SC (Report). 日本ショッピングセンター協会. (2012年1月)
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関連項目