「過去に存在したマイカルの店舗」の版間の差分
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'''過去に存在したマイカルの店舗'''では、[[マイカル]]([[ニチイ]]時代を含む)によって運営されていた店舗について記述する。本項では主に[[サティ (チェーンストア)|サティ]]として展開していた店舗について述べる。 |
'''過去に存在したマイカルの店舗'''では、[[マイカル]]([[ニチイ]]時代を含む)によって運営されていた店舗について記述する。本項では主に[[サティ (チェーンストア)|サティ]]として展開していた店舗について述べる。 |
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2021年9月6日 (月) 08:49時点における版
過去に存在したマイカルの店舗では、マイカル(ニチイ時代を含む)によって運営されていた店舗について記述する。本項では主にサティとして展開していた店舗について述べる。
2011年(平成23年)3月1日、営業中であったサティは全国91店舗が全店(広島サティを除く)で店舗ブランドをイオンへ転換し[1]、残る広島サティは2011年(平成23年)7月18日に閉店した。
- ニチイからブランド変更を行わず閉店した店舗については、過去に存在したニチイの店舗を参照。
- 過去に存在したビブレの店舗については、ビブレ#過去に存在した店舗を参照。
- 店名に「マイカル」を冠した大型店舗については、マイカルタウンを参照。
凡例
- 無印はマイカルが経営していた店舗
- ※はイオン九州が経営していた店舗
- ✩はニチイから転換した店舗
- ○イオングループ買収後に設置された店舗
イオンに改称された店舗
東北
東北エリアの店舗は、店舗ブランドが「イオン」へ変更された後、2020年3月1日に運営がイオン東北へ移管された(イオンモール盛岡南に出店する盛岡南店は食品売場を移管)。
岩手県
秋田県
山形県
福島県
関東
茨城県
群馬県
埼玉県
- 大井サティ:1998年(平成10年)10月7日に開業[7] → イオン大井店
- 大宮サティ:2000年(平成12年)10月21日に開業[15][16]→イオン大宮店[17]
- 北浦和サティ:1980年(昭和55年)10月31日に開業[7] → イオン北浦和店
- 熊谷サティ:2000年(平成12年)11月16日に開業[19] → イオン熊谷店
- 狭山サティ:ニチイ狭山店として[20]1979年(昭和54年)11月30日に開業[7] → 1995年(平成7年)10月7日に狭山サティに業態転換[20] → イオン武蔵狭山店✩ → 2020年2月29日閉店[21]
- せんげん台サティ(越谷市[23]):ニチイせんげん台店として1988年(昭和63年)10月28日に開業[24] → 1995年(平成7年)11月17日にせんげん台サティに業態転換[23] → イオンせんげん台店✩
- 新座サティ:1979年(昭和54年)11月23日にニチイ新座ショッピングデパートとして開業[26] → サティに業態転換[27] → イオン新座店✩
千葉県
- 市川妙典サティ:1999年(平成11年)4月1日に開業[28] → イオン市川妙典店
- 稲毛サティ:1990年(平成2年)11月16日に開業[7] → イオン稲毛店
- 店舗面積約23,476m2(うち直営店舗面積約12,200m2)[9]、延べ床面積約49,902m2[9]。
- 大型店進出が相次いでいたJR稲毛駅前への開店に対し、地元商店街が大型店のさらなる進出は大きな打撃となるとして地元主導型の運営を条件として出店を容認したため、地元商店などが出資する稲毛商業開発株式会社が中山製鋼所が建設したショッピングセンターを一括して借り上げ、マイカルをテナントとして入居させる形で「サティ稲毛メテオショッピングセンター」として[30]1990年(平成2年)11月16日に開業した[7]。
- 地元主導の象徴として商業施設の管理・運営を担っていた稲毛商業開発は開業以来毎年赤字が続いていたところに[31]、1999年(平成11年)3月に中山製鋼所がマイカルに敷地と建物を売却してテナントが大家になる状況が生じたため[30]、マイカルと営業権の譲渡を交渉して清算可能な水準の金額を得られることになったことから2000年(平成12年)6月30日に臨時株主総会を開催して同日付で解散し[31]、翌日からマイカルによる管理・運営に移行した[31]。
- 2階に手織りのペルシャ絨毯やパキスタン絨毯を扱う本格的な専門店「セラフィアン絨毯」が入居していたが、2011年(平成23年)1月26日に閉店した[32]。
- 北小金サティ:1994年(平成6年)3月に開業[33] → イオン北小金店
- ユーカリが丘サティ:1992年(平成4年)3月6日に開業[34] → イオンユーカリが丘店 → 2016年(平成28年)6月5日閉店[35]
東京都
- 板橋サティ:2000年(平成12年)5月25日に開業[39] → イオン板橋店(2018年10月31日まで)→ イオンスタイル板橋(2018年11月~現在。)
- 店舗面積約30,568m2(うち直営店舗面積約26,600m2)[2]、延べ床面積約75,978m2[2]。
- 大木伸銅工業の創業の地である徳丸工場が周辺の住宅地化や市街地化の進展により生産が困難になってきたため1994年(平成6年)5月に閉鎖され、跡地を東京都と共同で再開発しようとしたが長期化が予想されたためマイカルとの共同開発に転換し、2000年(平成12年)5月25日に開業した[40]。
- 衣料品の製造小売(SPA)でマイカル版ユニクロにあたるアットウィル1号店など専門店を多く出店させたり、シネマコンプレックスのワーナー・マイカルを併設した店舗であった[41]。2018年11月に改装オープン後、現在はイオンスタイル板橋に改称し、4階にセリアが入店となった。
- 西新井サティ:1981年(昭和56年)4月26日[7]に「ニチイ西新井店」として開業。1990年(平成2年)に西新井サティに変換。 → イオン西新井店✩
- ○日の出サティ:2007年(平成19年)11月23日に開業[7] → イオン日の出店
神奈川県
- 天王町サティ:ニチイ天王町店として[43]1977年(昭和52年)11月30日に開業[7] → 1992年(平成4年)2月19日に天王町サティに業態転換[43] → イオン天王町店✩ → 2020年(令和2年)2月9日閉店[44]
- 東神奈川サティ:1978年(昭和53年)9月20日に開業[7] → イオン東神奈川店 → イオンスタイル東神奈川✩
- 本牧サティ:1989年(平成元年)4月30日に開業[7] → イオン本牧店
- 店舗面積約15,691m2(うち直営店舗面積約13,649m2)[9]、延べ床面積約32,324m2[9]。
- 在日アメリカ軍が接収していた跡地に[46]1989年(平成元年)4月30日に開業した[7]マイカル本牧の一番街の核店舗として開業し[47]、1996年(平成8年)3月20日にマイカル本牧の改装に合せて食品売場を1.5倍に拡張し[48]、1999年(平成11年)3月6日に更に食品売場を約1.4倍に拡張して総菜売場を拡大する[47]など改装のたびに食品関連の強化を図った。
- みなとみらい21などとの競合で客を奪われたため2005年(平成17年)にマイカル本牧は5番街を閉鎖するなど大幅に縮小している[49]。
- 厚木サティ:1981年(昭和56年)11月6日に開業[7] → イオン厚木店[50]
- 海老名サティ:ニチイ海老名店として[51]1979年(昭和54年)11月30日に開業[7] → 1993年(平成5年)4月24日に海老名サティに業態転換[51] → イオン海老名店✩
- 新百合ヶ丘サティ:新百合ヶ丘ビブレとして1997年(平成9年)8月29日に開業[52] → 2003年(平成15年)11月7日に新百合ヶ丘ビブレの一部を新百合ヶ丘サティに業態転換[53] → イオン新百合ヶ丘店 → イオンスタイル新百合ヶ丘
- 茅ヶ崎サティ:1995年(平成7年)3月1日に開業[55] → イオン茅ヶ崎店[56] → イオンスタイル湘南茅ヶ崎[57]
- つきみ野サティ:2000年(平成12年)11月9日に開業[58][59] → イオンつきみ野店 → 2018年(平成30年)2月28日閉店[60]
- 橋本サティ:橋本ビブレとして2000年(平成12年)3月4日に開業[62] → 橋本ビブレを橋本サティに業態転換[63] → イオン橋本店
北陸・中部
新潟県
- 県央サティ:1991年(平成3年)4月26日に開業[7] → イオン県央店✩
- 新潟サティ:新潟県新潟市小新梅田で[64]1999年(平成11年)12月20日に地鎮祭を行って[65]2000年(平成12年)10月20日に開業した[66] → イオン新潟西店
石川県
山梨県
長野県
- 飯田サティ:1995年(平成7年)6月30日に開業[70] → イオン飯田アップルロード店
- 木曽福島サティ → イオン木曽福島店
- 豊科サティ:1993年(平成5年)4月15日に開業[7] → イオン豊科店
愛知県
- ○新瑞橋サティ:2010年(平成22年)3月9日に開業[7] → イオン新瑞橋店
- 春日井サティ:1999年(平成11年)3月29日に開業[75] → イオン春日井店
- 豊川サティ:1998年(平成10年)9月22日に開業[76] → イオン豊川店
近畿
三重県
- 桑名サティ:1995年(平成7年)3月24日に開業[77] → イオン桑名店(2015年(平成27年)4月17日にイオンモール桑名として新装開店[78])
- 1995年(平成7年)3月24日にマイカル桑名の3つの核店舗の1つとして開業した[77]。
- 津サティ:ニチイ津店として[79]1978年(昭和53年)9月21日に開業[7] → 1994年(平成6年)4月23日に津サティに業態転換[79] → イオン津店✩
滋賀県
- 近江八幡サティ:1991年(平成3年)4月18日に開業[7] → イオン近江八幡店
- ○草津サティ:イオンモール草津の核店舗として[82]2008年(平成20年)11月26日に開業[83] → イオン草津店 → イオンスタイル草津
京都府
- 亀岡サティ:1994年(平成6年)6月24日に開業[84] → イオン亀岡店
- 高の原サティ:2007年(平成19年)5月1日にイオンモール高の原の核店舗として開業[85] → イオン高の原店○
- 伏見サティ:1978年(昭和53年)11月10日に旧伏見店(1966年開店)を移転し2代目の伏見店として開業[7] → イオン伏見店☆
- 向日町サティ:ニチイ向日町店として1970年(昭和45年)9月に開業[86] → 増築・改装のため一旦営業を休止 → 1981年(昭和56年)11月18日に再開業[7] → 1997年(平成9年)4月19日に再増築・改装されニチイ向日町店を向日町サティに業態転換[87] → イオン向日町店☆ → 2015年(平成27年)5月31日閉店[88]
- 1997年(平成9年)4月19日にニチイ向日町店を売場面積を約1.5倍増床して専門店などを導入し、向日町サティに業態転換した[87]。
- 2004年(平成16年)から毎年1回アルバイトを含めた従業員が使い古しのタオルで作ったぞうきんなどを店舗周辺の福祉施設に寄贈している[89]。
- 鉄骨5階建ての店舗で、2014年(平成26年)12月25日時点で専門店が34店出店していた[90]。
- 店舗の建物は解体され、跡地は分譲マンションが併設された複合施設となり、1階と2階はグループ会社のダイエーが運営するイオンフードスタイル東向日店が入居し、2018年(平成30年)4月21日に開業、3階と4階は向日市役所の東向日別館となった[91]。
- 大久保サティ:初代大久保店(1961年開業、1969年建替の大久保100番館。後に平和堂へ譲渡)に代わる2代目のニチイ大久保店として[92]1979年(昭和54年)3月8日に開業[7] → イオン大久保店☆ → 2016年(平成28年)5月31日閉店[93]
大阪府
- 和泉府中サティ → イオン和泉府中店
- 茨木サティ:2001年(平成13年)1月1日にマイカル茨木として開業[95] → イオン茨木店 → イオンスタイル茨木
- 北千里サティ:北千里ビブレとして1994年(平成6年)4月[63]22日に開業[7] → 2003年(平成15年)2月27日に北千里ビブレを北千里サティに業態転換[63] → イオン北千里店
- 鴻池サティ:1977年(昭和52年)11月23日に開業[7] → イオン鴻池店
- 新金岡サティ:1983年(昭和58年)4月2日に開業[7] → イオン新金岡店 → 2019年(令和元年)5月19日閉店[96]→そよら新金岡
- 枚方サティ:1990年(平成2年)4月に京阪電鉄枚方市駅前の再開発事業で建設されたショッピングセンター「ビオルネ」[97]の核店舗として枚方ビブレを開業[98] → 2008年(平成20年)2月27日にサティへ業態転換[98] → イオン枚方店
- 東岸和田サティ:1979年(昭和54年)11月29日に開業[7] → イオン東岸和田店✩ → 2020年(令和2年)8月31日閉店[100]。
- 布施駅前サティ:1996年(平成8年)3月1日に布施ビブレとして開業[102] → 2008年(平成20年)3月28日に布施ビブレを布施駅前サティに業態転換[103] → イオン布施駅前店[104]
兵庫県
- 明石サティ(2代目):1997年(平成9年)10月23日に開業[105] → イオン明石店[1]
- 淡路サティ:1993年(平成5年)10月開店[33]→イオン淡路店
- 店舗面積約15,857m2[68]、延べ床面積約35,247m2[68]。
- 淡路市南部にある人工島の志筑新島に立地するショッピングセンターで[107]、地元の商業者による専門店街が併設されており[108]、マイカルの経営破たん後に専門店街のうちの6店が廃業して本社にサティの店舗存続を求める状況が生じたが閉店を免れた[108]。
- 店舗に隣接する大手総合商社などのリゾート計画がとん挫した跡地で進められた「850人が暮らす日本のフロリダ」を目指した構想の第1弾として2004年(平成16年)春に開業した182室の高齢者住宅の入居率が2005年(平成17年)4月で50%に達せず2期工事着工のめどが立たない等店舗周辺の開発はかつての構想より大幅に遅れている[107]。
- 2005年(平成17年)10月14日から18日まで淡路島の食材にこだわった特産品を製造する業者でつくる「淡路島物産協会」の特設販売コーナーを開設されて特産品の販売が行われた[109]。
- 小野サティ:ニチイ小野店[110] → 1992年(平成4年)11月20日に小野サティへ業態転換[110] → イオン小野店
- 加古川サティ:1982年(昭和57年)10月26日に開業[7] → イオン加古川店
- 店舗面積約33,286m2(うち直営店舗面積約21,471m2)[9]、延べ床面積約58,748m2[9]。
- 国道2号に面していて[111]開業時は地域唯一の大型店だったためニチイグループ2位の売上高を誇ったこともある有力店舗だったが、マイカルの経営破たん後には商品調達が出来ずに客数が30%近く減少するなど破綻の影響を大きく受けた店舗の一つとなった[108]。
- 2006年(平成18年)11月1日に加古川市の総合窓口業務を行う「東加古川市民総合サービスプラザ」が開設され、各種の証明の交付・申請や届け出書類の受付から公金の収納などの市役所の窓口機能を年末年始と偶数月の第三土曜日を除く当店の営業日は毎日市民が利用できるようになった[111]。
- 三田ウッディタウンサティ:2000年(平成12年)11月1日に開業[112][113] → イオン三田ウッディタウン店
- ジェームス山サティ:1997年(平成9年)6月6日に開業[114] → イオンジェームス山店
- 西神戸サティ:1988年(昭和63年)11月10日に開業[7] → イオン西神戸店 → 2014年(平成26年)12月31日閉店[116]
- 姫路サティ[117]:1979年(昭和54年)9月1日に開業[7] → イオン姫路店
- 三木サティ:三木サティ食品館として1994年(平成6年)5月1日に開業 → 1998年(平成10年)9月3日に三木サティへ改装して開業[119] → イオン三木青山店
- ○伊丹西サティ(仮称):2011年(平成23年)3月22日に開業[7] → イオン伊丹昆陽店 → イオンスタイル伊丹昆陽
奈良県
- 五條サティ:1975年(昭和50年)12月5日に開業[7] → イオン五條店
- 西大和サティ → イオン西大和店
中国
鳥取県
- 米子駅前サティ:1990年(平成2年)6月29日に開業[7] → イオン米子駅前店
- 店舗面積約16,193m2(うち直営店舗面積約13,274m2)[68]、延べ床面積約31,225m2[68]。
- (初代)米子サティ→米子ビブレ:2001年(平成13年)2月25日に閉店[123]→米子駅前サティ:2001年(平成13年)3月に再びサティとして開業[123]
- 2015年(平成27年)10月移転では、店舗の敷地と駐車場棟は一般財団法人「米子市開発公社」が所有し、建物は第三セクターの「米子駅前開発」が所有して全館を賃貸しているが、赤字縮小のためにイオンリテールが約4.81億円で取得した後、米子市に無償で譲渡して再賃貸することを希望している[124]。
- しかし、この所有形態の変更に伴うリスクとして老朽化の進んだ建物の維持管理費増大や、将来的な珍重収入の見込みが不明朗なことなどの問題点を指摘する批判がなされている[124]。
島根県
広島県
- 尾道サティ:1979年(昭和54年)5月8日に[7]ニチイ尾道店として開店[92] → 1994年(平成6年)に尾道サティとして業態転換[131] → イオン尾道店✩ → 2019年(平成31年)2月28日閉店。店舗老朽化のため、建て替えて、2020年(令和2年)9月18日に、イオンスタイル尾道としてオープンした[131][132]。
- 海田サティ:1982年(昭和57年)3月1日にニチイ海田ショッピングデパートとして開業[7] → 1994年(平成6年)9月20日に海田サティとして業態転換 → イオン海田店✩ → 2018年2月28日閉店[134]。店舗老朽化のため、建て替えて、マックスバリュ海田店としてオープンした。
- 廿日市サティ:1986年(昭和61年)5月に[33]ニチイ廿日市ショッピングデパートとして開業 → 1990年(平成2年)5月23日に廿日市サティとして業態転換 → イオン廿日市店✩ → 2014年(平成26年)4月30日閉店[135]。
- ○広島祇園サティ:2009年(平成21年)4月29日に開業[7] → イオン広島祇園店
山口県
- 防府サティ:ニチイ防府店として[136]1982年(昭和57年)4月1日に開業[7] → 1999年(平成11年)3月2日にニチイ防府店を防府サティに業態転換[136] → イオン防府店✩
- JR防府駅前にニチイ防府店として[136]1982年(昭和57年)4月1日に開業し[7]、宝酒造が防府工場跡地に建設した宝酒造防府ビルを借りて[137]1999年(平成11年)3月2日に店舗面積を約3倍に増床して食品部門などの物販を拡充すると同時にシネマコンプレックスやレストラン街などを導入して大規模化と総合化を図ってニチイ防府店を防府サティに業態転換し[136]、2003年(平成15年)9月20日に寿司や弁当、揚げ物、惣菜などの売場を一箇所に集約してデリカゾーンとするなど生活場面を想定した売場編集の見直しを行って買い回り性の向上を狙った改装を行い[138]、2011年(平成23年)3月1日にイオンリテールとマイカルが経営統合したことに伴ってイオン防府店に名称が変わる際には食品売り場の改装を行った[139]。
四国
香川県
- 坂出サティ:坂出市京町1丁目[140]、1993年(平成5年)2月10日に開業[7] → イオン坂出店✩[141]
- 高松サティ:高松市福岡町3丁目[140]、1995年(平成7年)3月30日に開業[7] → イオン高松東店[142]✩
愛媛県
高知県
九州
福岡県
- 大野城サティ(福岡県大野城市錦町)※:1977年(昭和52年)9月23日に[7]ニチイ大野城店として開業[147]。1998年(平成10年)に大野城サティに転換[147] → イオン大野城店[147]✩
- 徳力サティ(福岡県北九州市小倉南区守恒)※:'1979年(昭和54年)10月23日に開業[7]ニチイ徳力店' → イオン徳力店[148]✩ → 2017年8月31日閉店
- 原サティ(福岡県福岡市早良区原)※:ダイエー原店跡地に2007年(平成19年)3月8日に開業[149] → イオン原店 → 2019年(平成31年)1月31日閉店
- 福岡東サティ(福岡県糟屋郡志免町別府北)※:1978年(昭和53年)開業のニチイ粕屋店を改築し、2000年(平成12年)4月23日に開業[150] → イオン福岡東店✩
- 戸畑サティ(福岡県北九州市戸畑区汐井町)※:1999年(平成11年)3月1日に開業[7] → 2010年(平成22年)4月21日営業終了[151]
- 2010年(平成22年)4月23日に直営売場を「戸畑サティ」から「イオン戸畑店」に名称変更し、5月28日にイオン戸畑ショッピングセンターとして開業した[152]。
- 店舗面積約29,302m2(うち直営店舗面積約21,302m2)[9]、延べ床面積約105,313m2[9]。
佐賀県
鹿児島県
- 姶良サティ※:1988年(昭和63年)11月25日開業の[7]サンシティ・リブレ。2000年(平成12年)に姶良サティに店名変更。 → イオン姶良店(初代) → 2016年(平成28年)2月14日閉店[156]
- 隼人国分サティ※:1994年(平成6年)6月23日に開業[7] → イオン隼人国分店
閉鎖された店舗
この節の加筆が望まれています。 |
- ×は建物が解体された店舗。
- 2011年2月28日まで営業していたサティ店舗は、前述「広島サティ」を除きイオンなどへ転換されたが、これに該当する店舗はここには含まない。
北海道
すべて旧マイカル北海道(後のポスフール、現イオン北海道)が運営していた。この項ではポスフールに改称する前の閉鎖店舗について述べる。
- 大谷地サティ ✩(1989年(平成元年)9月28日開店[159] - 2002年(平成14年)10月16日閉店[160][161]、旧ニチイ大谷地店) → 2003年(平成15年)4月16日に札幌東急ストア(現・東光ストア)が1階の核店舗で[162]ツルハが2階の核店舗となる複合商業施設「キャポ大谷地」が開業した[163]。
- 手稲サティ✩ (開店日不明 - 2000年(平成12年)8月末に閉店[165]) → 2005年(平成17年)6月に津司が「卸スーパー」を開店し[166]、同年9月1日に24時間営業の大型ゲーム施設「ヴァリオス手稲店」が開店した[167]。
- 新琴似サティ食品館 (1996年(平成8年)11月1日開店[168] - 2001年(平成13年)1月閉店[169]) → 北雄ラッキーが買収し[170]、2001年(平成13年)3月9日に北雄ラッキー新琴似四番通店が開業[171]。
- サッポロファクトリーサティ住まいと暮らしの館 (1993年(平成5年)4月9日開店[172][173] - 1999年(平成11年)2月閉店)
東北
マイカル東北の運営店舗のうち、優良店舗7店は2001年(平成13年)9月1日付でマイカル本体に移管。直後にグループは破綻。残りの店舗の内、イオングループの店舗と隣接していた横手サティを除き不採算店舗としてすべて閉鎖し、その後会社清算となった。
岩手県
- 江刺サティ✩(1986年(昭和61年)10月25日開店[7] - 2002年(平成14年)8月閉店[174]、 旧・ニチイ江刺店 → 江刺サティ → ジャスコ江刺店 → イオン江刺店)
- 宮古サティ✩:1980年(昭和55年)11月に開店[33]、2002年(平成14年)8月に閉店[175]。旧・ファミリーデパート玉木屋宮古店 → サンホーユー宮古店 → ニチイ宮古店 → 宮古サティ → 閉店)
- 遠野サティ・とぴあ✩:1989年(平成元年)11月23日に開店し[7]、2002年(平成14年)8月末に閉店[180] → 2002年(平成14年)12月1日[181]に遠野ショッピングセンター・とぴあ
- 盛岡南サティ✩(初代・1979年(昭和54年)4月開店[182] - 2006年(平成18年)3月31日閉店[183]、旧・ニチイ都南店 → 盛岡南サティ → 閉店 → 建物解体)×
- 閉店時の直営店舗面積約8,275m2[183]
- 盛岡市三本柳にあった店舗で[184]1979年(昭和54年)に開店した当初は盛岡近郊における店舗面積13,000m2を誇る郊外型大型店の先駆けとして[185]盛岡市南部の都南地区の中核的な商業施設だった[186]ため順調に売上を伸ばし[185]、1998年(平成10年)に売上高約70億円を上げていたが競合する大型店の出店などの影響で2003年(平成15年)に売上高約40億円に落ち込んで約1.5億円の赤字となるなど業績が低迷すると共に老朽化に伴う修繕費が毎年6000万円かかるようになって[185]業績の回復が困難だとして2006年(平成18年)3月31日に閉店した[185][184][186]。
- マイカル東北が運営していたが2001年(平成13年)9月にマイカルに営業譲渡されて本体直営店の一つとなった[3]。
- 建物は2009年(平成21年)4月末に解体に着手して秋までに更地にされた[187]。この店舗は、上述のマイカル本体へ移管された店舗であった。跡地にはケーズデンキ新盛岡南店(運営はデンコードー)が[186]2011年(平成23年)7月28日にオープンした。
- 旧店舗閉店後の2006年(平成18年)9月15日に開店したイオン盛岡南ショッピングセンター(現:イオンモール盛岡南)内のサティ(現在のイオン盛岡南店)とは別店舗。
宮城県
- 古川サティ✩×(旧ニチイ古川店、1984年(昭和59年)4月開店[182] - 2001年(平成13年)8月末に閉店[3][188])
- 築館サティ✩(栗原郡築館町藤木[164]、1979年(昭和54年)3月[164]、築館ファミリーデパート白鳥屋 → サンホーユー築館店 → ニチイ築館店 → 築館サティ → マックスバリュ築館店 → 2008年(平成20年)8月閉店 → 解体)
- 涌谷サティ✩×(遠田郡涌谷町[189]、1981年(昭和56年)3月に開店[33]-1999年(平成11年)1月閉店)
秋田県
- 能代サティ✩× :1977年(昭和52年)3月に開店[33]、2002年(平成14年)6月に閉店[190]
- 店舗面積約13,696m2[164]、延べ床面積約26,628m2[164]。
- マイカル東北が2001年(平成13年)9月18日に民事再生再生法を申請した時点で引き続き運営していた店舗の1つだった[3]。
- 2003年(平成15年)1月17日にTMO能代が専門家を招いて店舗跡地の活用について勉強会を行い[191]、コンサルタントの提案で共同出資会社を設立して[192]建物を再活用して新たな施設を開業する方向で一旦まとまったが[193]、同年11月に能代商工会議所が建物を再活用する方針を撤回して計画は白紙に戻った[194]。
- 店舗後の再活用の白紙撤回を受けて2004年(平成16年)3月に能代市が再開発案の検討を始め[195]、同年5月には能代商工会議所が再開発の案を提案し[196]、6月には能代市議会で海潮園を店舗跡地に設置する案が出された[197]が実現しなかった。
- 能代市や能代商工会議所などが主導する再開発が実現しなかったため、2005年(平成17年)12月に民間企業が国や県の補助金を活用して事業化を目指した[198]がこの構想も実現せず、店舗後の建物はそのまま残り続けたため2008年(平成20年)11月に地元企業が買収して解体する方向となった[190]。
福島県
- 原町サティ✩×(原町市大町2-100(現在の南相馬市原町区大町2-100)[199]、「ノムラ」→1979年(昭和54年)3月30日開店「ファミリーデパートノムラ」[200]→「サンホーユー原町店」→「ニチイ原町店」→1996年(平成8年)9月27日開店「原町サティ」[201]→2002年(平成14年)5月31日閉店[202])
- 店舗面積約6,819m2[164]。地下1階・4階建て(ファミリーデパートノムラ・原町サティ時代)[201]。
- 元々は、1924年(大正13年)に原町市四つ葉通りに野村清助が創業した雑貨店「ノムラ」が起源である[203]。1979年3月に「ファミリーデパートノムラ」として大町に新築移転[200]。1986年(昭和61年)9月1日には、同じニチイ系の「NAC(ニッポンアライドチェーン)」に属していた角田ファミリーデパートゆやす(後のサンホーユー角田店)と合併し、有限会社ホーユーが発足[203]。組織は後にニチイ本体に吸収され、店名もサンホーユー、ニチイと変遷した後、1996年(平成8年)9月にサティ業態の原町サティとなった[201]。
- マイカル東北が2001年(平成13年)9月18日に民事再生再生法を申請した時点で引き続き運営していた店舗の1つだった[3]。
- 跡地には南相馬市が管理する大町南災害公営住宅が建設されることになった[204]。
- ノムラ時代の店名ロゴは独自のものを使っていたが、サンホーユー時代は「ニチイ(nichii)」の文字を「サンホーユー(SUNHOYU)」に差し替えて使っていた。
- 須賀川サティ ×:1981年(昭和56年)10月27日開店[205](赤トリヰグリーンモール→須賀川サティ→赤トリヰグリーンモール)
- 会津サティ✩×(大善百貨店→ニチイダイゼン→1982年(昭和57年)7月1日[209]移転開店「ニチイ会津若松店」[210]→1993年(平成5年)3月13日開店「会津サティ」[211]→2009年(平成21年)6月30日閉店[212][213])→現在は暫定でフレンドパーク(コインパーキング)になっているが土地はイオンリテール所有。
- 閉店時の直営店舗面積約7,195m2[214]
- 東北ニチイ(→マイカル東北)傘下での初めてのサティ店舗。2001年(平成13年)9月にマイカルに営業譲渡されて本体直営店の一つとなった[3]。
- なお、マイカル本社に店舗譲渡前の旧東北ニチイ(旧マイカル東北)傘下でニチイから業態変更したサティとして最後の店舗であった。
- 2009年(平成21年)6月29日にマイカルや隣接した商店などの地権者で構成する「会津若松駅前地区再開発協議会」が発足して後李の利用方法の検討を行い[215]、大型店が撤退後に跡地を売却せずに地元側とまちづくりに乗り出すのは全国的にも珍しい取り組みとして注目を集めていた[216]が、協議が難航したため2012年(平成24年)2月に結論が出ないまま協議会が解散となって跡地利用は宙に浮いた状態となった[217]。
関東
茨城県
- 下館サティ:1991年(平成3年)5月開店[33][218]→2002年(平成14年)8月末閉店[219]
- 売場面積10,000m2[33]。
- 1991年(平成3年)5月に[218]水戸線、真岡鐵道、関東鉄道常総線のターミナルである[220]下館駅北口の駅前市街地再開発事業で建設された[221]下館SPICAの核店舗として開業したが[220]、2002年(平成14年)8月末に閉店した[219]。
- 店舗跡には2003年(平成15年)7月にエコスや長崎屋などが出店する下館SPICAが再開業したが[222]、2006年(平成18年)1月16日にエコスが閉店した[220]。
- 2006年(平成18年)1月16日にエコスが閉店したため[220]、エコスの後継店舗として農協を含む食品スーパーの招致を進めたが[222]、売り上げ不振が続いて2007年(平成19年)にサントマト[221]、2008年(平成20年)にエイムと撤退が相次ぎ[221]、2007年(平成19年)に3階と4階を筑西市役所分庁舎として借り上げる状況となり[221]、最盛期に約40店舗あったテナントが2009年(平成21年)4月9日現在で12店舗に減少して核店舗もない状態になった[221]。
- 境サティ(1996年(平成8年)11月15日開店→2008年(平成20年)1月9日閉店[223]) → 2008年(平成20年)4月24日にエコス境SC店[224]などが出店するT-PLACE[225]が開業している。
- 閉店時の直営店舗面積約6,630m2[223]
栃木県
- 大田原サティ×(1993年(平成5年)開店 - 2003年(平成15年)10月閉店[226] )
- 1979年(昭和54年)、東野鉄道大田原駅跡地にアイアイタウン・エドヤとして開店。1993年(平成5年)に大田原サティとなり、2003年(平成15年)10月に閉店[226]。その後、2004年(平成16年)6月9日には、スーパーセンター・トライアル大田原店が開店したが[226]、2014年(平成27年)5月に閉店。その後建物は利活用されていなかったが、2019年(令和元年)6月にクスリのアオキ山の手店が解体後の跡地に開店した。
群馬県
- 太田高林サティ✩×:1981年(昭和56年)6月にショッピングセンター・ラブの核店舗のニチイとして開店し[227]、2002年(平成14年)3月に契約解除の通知を行って閉店[228] → フレッセイ等が出店してショッピングセンター・ラブとして営業[229]。
- 沼田サティ(1993年(平成5年)4月16日開店[230]→2002年(平成14年)8月閉店[231] → 2002年(平成14年)11月にAコープ群馬が開業[232]
- 沼田市の市街地再開発事業に三井生命保険が参画して建設された[218]再開発ビルグリーンベル21の核店舗として売場面積8,800m2で1993年(平成5年)に4月16日開店した[230]が2002年(平成14年)8月に閉店した[231]。「グリーンベル21」には当店の他に開業時で専門店46店が入居していたほか、当店の入る商業棟以外に立体駐車場や沼田市立図書館の入るビルがあり、それら各館と空中歩廊を用いて連絡する構造となっていた[233]。
- 閉店後、2002年(平成14年)に沼田の観光宣伝と当施設の運営支援を兼ねて地元の物産販売や観光案内のほか沼田市内の伝統工芸士の作品展示などを行う「沼田ふるさと館」を5階に入居させ[234]、店舗跡に核店舗となる大型店を招致するため改造費の2分の1や賃貸料の2分の1を沼田市が助成する「グリーンベル21出店促進条例」を施行してサンバード長崎屋[235]や2002年(平成14年)11月に開業したAコープ群馬を新たな核店舗とするグリーンベル21としての営業を続けた[232]。しかし、2008年(平成20年)5月にサンバード長崎屋[231]、2010年(平成22年)5月にAコープも撤退し[231][236]、「沼田ふるさと館」も2012年(平成24年)3月31日で閉鎖されるなど他のテナントの撤退も相次いだ[234]。その結果、2012年(平成24年)4月初めの時点で4階は完全に閉鎖、5階は沼田エフエム放送のみ1~3階も大半が空き店舗となった[234]。
- 2014年(平成26年)2月までにすべての小売店が撤退し[237]、2015年(平成27年)1月に沼田市は施設全体を取得したと発表し[238][239]、2015年(平成27年)7月末までに沼田エフエム放送(FM OZE)も移転して全テナントが退去することになった[240]。
- 高崎サティ✩×(1976年(昭和51年)3月開店[241]→1987年(昭和62年)3月に初代高崎サティに業態転換[241][242]→1996年(平成8年)3月に高崎ビブレに業態転換[241]→2014年(平成26年)3月31日閉店[241])
- 渋川サティ✩×(「ニチイ渋川店」:1980年(昭和55年)11月28日開店[245]→1995年(平成7年)10月開店「渋川サティ」→2009年(平成21年)7月31日閉店[246]) → パワーセンターうおかつ[246]などが出店して渋川ショッピングプラザ
- 前橋サティ✩(ニチイ前橋店→1993年(平成5年)10月20日[7]移転開店「前橋サティ」→2010年(平成22年)10月17日閉店[248][249])
- 2011年(平成23年)12月8日にスーパーのカスミなどが出店する前橋リリカとして新装開店した[250]。
- 店舗面積約21,707m2(うち直営店舗面積約17,205m2)[2]、延べ床面積約63,377m2[2]。
- 地上6階建てで、1階から3階に売り場を持ち、他の階は駐車場という開業時点では群馬県内最大の大型店であった[251]。
- 近隣に競合する大型商業施設の開業が相次いだことなどの影響により、売上高が最盛期の約40%にまで落ち込んだことから閉店となった[252]。
- 閉店時の直営店舗面積約17,500m2[249]
- 閉店後の店舗跡の活用については大家であるグンゼグループが2011年(平成23年)6月に自社の中期経営計画で改装して商業施設として再生する方針を明記してテナント招致などを進め[253]、2011年(平成23年)12月にスーパーのカスミ(1,709m2)[254]やブックオフ[255]などが出店する前橋リリカとして2011年(平成23年)12月8日に新装開業した[254]。
埼玉県
- 武蔵浦和サティ食品館:1995年(平成7年)10月6日開店[256]。
- 春日部サティ✩×(春日部市粕壁富士見町4371[257]、1970年(昭和45年)11月1日開店[257])
- ニチイ春日部店。旧尾張屋と折半出資で設立した東京エーゼットの春日部ショッピングセンターの核店舗として開業[257]
- 三郷サティ✩(1978年(昭和53年)12月1日開店[7]→2005年(平成17年)6月30日閉店[258]) → 2005年(平成17年)11月23日に食品スーパーのカスミフードスクエア三郷駅前店を核店舗とする[259]ワオシティ三郷[7]としてリニューアルした。(宮脇書店・日本旅行などの専門店街あり)
- 閉店時の直営店舗面積約7,991m2[258]
- 本庄サティ✩×:1972年(昭和47年)9月に[182]ニチイ本庄店として開店[260] → 1997年(平成9年)6月27日に本庄サティ業態転換[260]。
- 岩槻サティ(1996年(平成8年)3月8日開店[261]→2010年(平成22年)3月7日閉店[249][262]) → 2010年(平成22年)6月にマルエツと専門店が開業し[263]、2012年(平成24年)1月4日にさいたま市岩槻区役所が移転した[264]。
- 店舗面積約18,337m2(うち直営店舗面積約13,213m2)[164]、延べ床面積約35,140m2[164]。
- 閉店時の直営店舗面積約12,676m2[249]
- 東武野田線岩槻駅前の再開発ビルワッツ東館[263]の核店舗として1996年(平成8年)3月8日に開店したが[265]、近隣の大型店などとの競争激化で赤字が続いたため2010年(平成22年)3月7日に閉店[262]した[263]。
- 2010年(平成22年)6月にマルエツと専門店が開業し[263]、住民からの反対運動があったが[263]、2012年(平成24年)1月4日に保健センターや教育相談室などを併設したさいたま市岩槻区役所が3階と4階に移転して開業した[264]。
千葉県
閉店した店舗は、存在しない。
東京都
- 清瀬サティ✩(1973年(昭和48年)9月21日開店[33][266]「尾張屋清瀬店」→「ニチイ清瀬店」→1996年(平成8年)3月23日付で「清瀬サティ」に業態転換[266]→2002年(平成14年)1月[267]10日閉店)×
- 自由ヶ丘サティ食品館:1969年(昭和44年)3月にニチイ自由ケ丘店として開店[92] → ヤマダ電機LABI自由が丘(旧テックランド自由が丘店)。
- 店舗面積約1,693m2[164]。
神奈川県
- 大船サティ✩:1976年(昭和51年)4月に鎌倉市大船にニチイ開店[33]→その後サティに変わり、2002年(平成14年)1月閉店[267]
- 辻堂サティ✩:1984年(昭和59年)9月に[33]ニチイ辻堂店として開店[270] → 1995年(平成7年)10月21日に辻堂サティに業態転換した100店舗目のサティ[270] → 2003年(平成15年)2月末閉店[271]
- 相模大塚サティ食品館:1996年(平成8年)9月26日開店[272]→2001年(平成13年)1月閉店[273]
北陸・中部
新潟県
- 豊栄サティ(新潟市北区(旧豊栄市)太田字法花鳥屋甲[164])×
- 上越サティ(妙高市(当時は新井市[279])栗原) → 新井ショッピングセンター[280]
- 糸魚川サティ(糸魚川市)× → イチコ糸魚川店[280]
- 店舗面積約6,321m2[164]。
- 1985年3月29日に西頚城地域で初の郊外型SC『糸魚川ショッピングセンター アイビス』として開店[283]。店舗名はその後ニチイ→サティと変遷した。新潟ニチイ→マイカル新潟が経営する店舗だったが1999年(平成11年)3月1日にマイカル北陸へ移管されて改装された[284]。
- マイカルの破綻後の2002年(平成14年)1月28日に収益改善が見込めないとして閉店が発表され[281]、次の核店舗が見付かるまでの営業存続をテナントの専門店の経営者らが要請したが受け入れられず[285]、2002年(平成14年)8月31日に閉店した[282]。
- 閉店後の跡地を糸魚川市が予算を用意して買収する準備を進めていた[282]が、2003年(平成15年)にマイカルが民間企業に売却したため糸魚川市による買収は実現せず[286]、建物解体の上で2009年(平成21年)にスーパーマーケットのイチコが出店することになった[280]。
- 中条サティ(胎内市大川町、旧北蒲原郡中条町)×
- 村上サティ食品館:2001年(平成13年)4月8日に閉店[289](村上市田端町、建物解体)→宅地分譲
- 亀田サティ食品館(新潟市江南区西町、旧中蒲原郡亀田町) → パチンコ店「エスタディオ」亀田店
- 店舗面積約2,000m2[164]。
- 2000年(平成12年)閉店
- 吉田サティ(燕市吉田東栄町、旧西蒲原郡吉田町) → サンキ吉田店・ドリームマート吉田店→閉店・更地化。
- 吉田町に本店を置き、西蒲原郡巻町(現新潟市西蒲区)や分水町(現燕市)に店舗を持っていた衣料品店サクライと同じく吉田町中心部で食品スーパーを運営していた主婦の店サイトーが核となったファミリーデパートよしだとして開店。その後吉田ニチイへの店名変更を経てサティに。
富山県
- 黒部サティ×(黒部市[290]、1997年(平成9年)8月27日開店[290] → 2003年(平成15年)6月30日閉店[291][292])
- 店舗面積約13,657m2[164]、延べ床面積約19,869m2[164]。当初は1995年秋のオープンを目指していた[293]。
- 直営店舗面積約8,000m2で1998年(平成10年)度は売上高約36.38億円を上げたが、アピタ魚津店の進出などで2001年(平成13年)度は売上高約27.27億円まで低迷したため閉店した[291]。跡地はユニーが買収して[294]2004年(平成16年)4月17日にアピタ黒部店を開業[295]するも、2017年(平成29年)8月20日を以て閉店。なお、跡地の入居者は2017年7月21日の時点で2、3社と入居の協議がされていた[296][297]が、2017年10月24日にPLANTが同店舗跡地に出店を検討していることが明らかになった[298]が、最終的に店舗は2019年までに解体された[299]。
- 砺波(となみ)サティ食品館(となみ野ミルズサティ[300]、砺波市、1997年(平成9年)4月開店[301] → 2001年(平成13年)4月10日に閉店[289] → 2003年(平成15年)2月14日にヤマダ電機テックランド砺波店が開業[302])×
- 高岡サティ×(高岡市、1993年(平成5年)10月開店[303] → 2009年(平成21年)1月12日閉店[304])
- 1993年(平成5年)10月に北陸ニチイがワーナー・マイカル・シネマズ高岡を併設した富山県内最大級の売り場面積を誇るショッピングセンターとして開業し[303]、1996年(平成8年)に3階を増床してテナント数を増やして1997年(平成9年)2月期には売上高108億円を上げ[303]、1999年(平成11年)に300メートル離れた場所にあったダイエーを閉店に追い込むほどの影響を高岡の商業界に与えた[305]。
- 2001年(平成13年)3月にマイカル直営店になったものの半年後にマイカルが経営破綻してイオンの傘下に入ったが[303]、そのイオンが2002年(平成14年)9月にわずか1.5キロ南に当店を上回るイオン高岡ショッピングセンター(現イオンモール高岡)を開店するなどして当店の経営を圧迫し[303]、2001年(平成13年)度以降赤字状態が続き[303]、2008年(平成20年)2月期に売上高がピーク時の約3分の1に当たる37億円へ落ち込んで[304]収益改善の見通しが立たないとして[305]2009年(平成21年)1月12日に閉店した[304]。
- 店舗跡は2010年(平成22年)末から建物を解体し[306]、2011年(平成23年)11月22日にホームセンタームサシが開業している[307]。
- 当店閉店後に高岡市の中心市街地に生鮮食品を扱う大型店がなくなって周辺住民の生活にも影響が出ていたため[308]、マルワフードの食品スーパー新鮮市場がムサシに併設されて2011年(平成23年)11月21日に開店している[307]。
石川県
閉店した店舗は、存在しない。
福井県
- 春江サティ食品館・おしゃれ生活館(春江ハロータウン内、1991年(平成3年)11月開店[309] - 2001年(平成13年)4月5日閉店[309])
- 芦原(あわら)サティ食品館・おしゃれ生活館(芦原ハロータウン内[164]):2000年(平成12年)8月28日に閉店[310]
- この節の加筆が望まれています。
山梨県
長野県
- 辰野サティ(上伊那郡辰野町中央[164]):1998年(平成10年)4月17日開店[73] → 2003年(平成15年)2月28日閉店[312] → 大型商業施設ときめきの街[313]
- 店舗面積約11,136m2[164]、延べ床面積約21,618m2[164]。
- 人口約25,000人の豊科町に開業させた豊科店が周辺地域から需要を吸収して売上を順調に伸ばしたことを受けて独自の商圏で高いシェアを確保することを目指して1998年(平成10年)4月17日に開店した[73]が、マイカルの再建策の一環として2002年(平成14年)に7月24日に閉店が発表され[276]、2003年(平成15年)2月28日に閉店した[312]
- 店舗跡地は商業施設ときめきの街として営業している[313]。
- 2001年(平成13年)に辰野町が当店を核とする開発計画を当店東側の辰野町開発公社所有の国営林署跡地で計画していたが、当店の閉店により実現しなかった[313]。
岐阜県
- 関サティ食品館[314](FC) → 2002年(平成14年)3月7日 三起屋関食品館[315] → 2002年(平成14年)3月7日に改装してバロー関ひがし店を開業[315]
- 土岐サティ (FC):1990年(平成2年)6月28日に現在の店舗を開業[7] → 三起屋(2001年(平成13年)にバローグループ[316])
- 羽島サティ:1981年(昭和56年)9月開店[182]。2001年(平成13年)2月に閉店[317] → 2002年(平成14年)にトミダヤが買収して[318]羽島Wing151
静岡県
- 宮竹サティ:2001年(平成13年)8月31日に閉店[319]
愛知県
- 店舗面積約16,020m2[33]。
- 1995年(平成7年)4月26日に名古屋鉄道豊田市駅東地区市街地再開発事業で建設された再開発ビルGAZAの核店舗として開店した愛知県か初出店の店舗だった[322]。
- 1970年代から郊外地域にユニーやジャスコ、トヨタ生協が本部店を立地していて既存店舗間による競争があるところに出店したため、売上高は約60億円に留まって豊田市内の総売上高に占めるシェアも約20%に留まった[324]
- 店舗跡は1階にはトヨタ生協がメグリアセントレとして入居[323]。2階・3階は専門店街が移転して営業している。残りのフロアはオフィスビル化されている。このフロアへのエスカレーター・エレベータは使用できなくなっている。
- 有松サティ
- 名古屋鉄道名古屋本線有松駅前のウインハート有松に2000年(平成12年)4月に出店を目指して[325]100%出資の子会社のマイカル総合開発が1999年(平成11年)4月17日に名古屋市と契約を交わして総額76.3億円のうち土地代金相当額約37億6607万円を支払ったが[326]、2002年(平成14年)1月21日にマイカル総合開発が会社更生法第103条1項を根拠に有松駅前第1種市街地再開発事業に関する事業参画契約の解除を申し入れて出店の中止を目指し[327]、最終的にはイオンが出店を肩代わりしてイオン有松ショッピングセンターとして開業した。
近畿
三重県
- 鈴鹿サティ:1998年(平成10年)10月23日に開店[328] → 2002年(平成14年)8月31日に閉店[329][330] → ユニーが買収して[294]2004年(平成16年)10月22日にアピタ鈴鹿店(現:MEGAドン・キホーテUNY鈴鹿店)を開業[331]。
- シネマコンプレックス「ワーナー・マイカル・シネマズ鈴鹿」(7スクリーン、計1,014席)やボウリング場「パームボウル」を併設していた[332]。ワーナー・マイカル・シネマズはイオンモール鈴鹿へ移転。
滋賀県
- 栗東サティ:1998年(平成10年)3月20日に開店[333] → 2003年(平成15年)2月末に閉店[334][335] → 2003年(平成15年)4月25日に平和堂アル・プラザ栗東が開業[334][336]
- マイカルによる地元自治体と組んだ駅周辺の都市開発プロジェクトの先駆けとして[337]JR栗東駅前に駅と2階部分がペデストリアンデッキでつながる建物内に[334]1998年(平成10年)3月20日に開店した[333]が、イオンの岡田元也社長が会社更生手続きの事業管財人となった後の2002年(平成14年)7月24日に追加の閉鎖店舗の一つとして記者会見で発表され[276]、2003年(平成15年)2月末に閉店した[334]。
- 店舗跡は地元で強い地盤を誇る平和堂が閉店前の2003年(平成15年)2月24日に出店表明し[335]、約2ヵ月後の同年4月25日にアル・プラザ栗東として開業した[334][336]。
京都府
- 長岡サティ ✩(長岡京市[182]、1967年(昭和42年)4月開店[182] - 1998年閉店)
- 店舗面積約2,504m2[182]。
- 桂サティ✩:1970年(昭和45年)6月に開店[33](ポロロッカ食品館併設)
- 京都花園サティ✩×(京都市右京区太秦安井藤ノ木町16[340]、1961年(昭和36年)5月に開店[33]、2001年(平成13年)8月19日に閉店[267])
- マイカルナック商事の経営であった。清水ママセンター破綻後出店、閉鎖後は解体。
- 売場面積598m2[33]。
- 八幡サティ✩:1983年(昭和58年)6月に開店[33]、2007年(平成19年)11月12日に閉店[223]
大阪府
- 千林サティ✩×(大阪市旭区):1952年(昭和27年)3月開店[182]→1996年(平成8年)5月に千林サティへ業態転換→2002年(平成14年)3月閉店[342]
- 十三サティ(ジュウソウ、大阪市淀川区十三本町ショウキン第8ビル[164]、ポロロッカ食品館を併設)✩:1967年(昭和42年)1月にニチイ十三店として開店[164]。
- 四貫島サティ✩×(シカンジマ、大阪市此花区梅香3-20-4、ポロロッカ食品館を併設)✩×:1969年(昭和44年)6月[344]にニチイ四貫島店として開店→1996年(平成8年)に四貫島サティに業態転換→2001年(平成13年)4月30日閉店[345]
- 駒川サティ✩:1976年(昭和51年)4月開店[182] → 1995年(平成7年)10月に駒川サティに業態転換 → 2002年(平成14年)[347]3月に閉店 → パチンコ店
- 店舗面積約6,808m2[164]。
- 豊中サティ(豊中市本町1丁目[257]):1968年(昭和43年)12月1日にニチイ豊中ショッビングデパートとして開店[257]→1995年(平成7年)に阪神大震災により被害を受けたため、小林敏峯社長を室長とする阪神大震災復興対策室の支援を受けて店舗の再建を行った[348]。
- 高槻サティ✩×(高槻市高槻町17—4[257]) - 1969年(昭和44年)6月7日にニチイ高槻ショッビングデパートとして開店[257]→1995年(平成7年)4月に高槻サティへ業態転換→2002年(平成14年)3月に閉店
- 南高槻サティ✩×(高槻市沢良木町[22]):1985年(昭和60年)5月開店[22]→1994年(平成6年)に南高槻サティへ業態変換→2005年(平成17年)5月30日閉店[258] → 2004年(平成16年)9月10日にマックスバリュ高槻南店が開業[349]。マンション
- 交野サティ✩(交野市私部西1-33-20[22]、1982年(昭和57年)11月30日開店[22]、→ 1997年(平成9年)4月23日に交野サティに業態転換、→2003年6月30日に閉店。ショッピングセンター・ジャンボスクエア交野の核店舗だった。現在は核テナントを「イズミヤ」交野店に変えて営業している)
- 大阪花園サティ✩(東大阪市花園本町1-6-7[22]、1968年(昭和43年)9月開店[22]、ジャンボスクエアの核店舗[22]。非食のみの取り扱いだった)
- 八尾サティ✩×:1977年(昭和52年)9月にニチイ八尾ショッピングデパートとして開店[92]→2007年(平成19年)2月28日に閉店[223] → 大阪経済法科大学八尾駅前キャンパス(2012年(平成24年)春開校)、マンション
- 南木の本サティ✩:1982年(昭和57年)2月に開店[33]
- 藤井寺サティ✩×(藤井寺市岡1-7-12[164]):1971年(昭和46年)11月5日にニチイ藤井寺ショッビングデパートとして開店[257] → マンション
- 泉南サティ(泉南市信達牧野、1996年(平成8年)11月1日開店[22])→ 2003年6月30日に閉店。
- 熊取サティ×(泉南郡熊取町紺屋[22]、1984年(昭和59年)11月開店[22]) → 万代熊取店
- 布施サティ✩× - 1970年(昭和45年)5月に「ニチイ布施ショッピングデパート」として開店[92]→1993年(平成5年)に布施サティに業態転換→2008年(平成20年)3月20日閉店[352])建物は解体され、跡地にはパチンコ店「123+N布施店」が建設された。
- 枚方北山サティ食品館(枚方市北山1-23-1[22]、1998年(平成10年)3月1日開店[354] - 2009年(平成21年)2月1日閉店[352])
兵庫県
- 明石サティ✩(明石市本町1-3-15[340]、1960年(昭和35年)9月に開店[33] - ?閉店、初代・ニチイ明石店 → 明石サティ → マイカル明石開店後、本町サティ → 閉店)
- ニチイ明石店は店舗面積約182m2[182]。
- 尼崎サティ✩(サティ2号店、ニチイ尼崎店、1965年(昭和40年)5月に開店[355] - 1985年(昭和60年)に尼崎サティに業態転換[242] → 尼崎ビブレ → NAC尼崎 → 閉店)
尼崎ビブレの店舗面積約4,998m2[355]。尼崎サティ時代には食品の取り扱いが無かった為、従業員の名札、看板は青色だった。
- 西宮サティ✩×(西宮市北口町2-22[340]、1973年(昭和48年)にニチイ西宮店として開業[92][356] → 西宮サティ。2005年(平成17年)1月10日閉店[356]。建物は西宮北口駅周辺の再開発事業のため解体)
- 店舗面積約12,889m2[164]、延べ床面積約25,726m2[164]。
- 1973年(昭和48年)に阪急電鉄西宮北口駅の南側にニチイ西宮店として開業した5階建ての総合スーパーで開店当初は広域から集客して売上を伸ばし、2001年(平成13年)2月期に売上高78億円を上げていたが同年9月のマイカルの破綻の影響や周辺への競合の大型店の出店などの影響で2004年(平成16年)2月期に売上高43億円にまで落ち込んだ上、建物の一部が西宮市が駅周辺で進めている土地区画整理事業の道路用地になっていたため営業継続には建替えが必要で、資金面から対応が難しいこともあり2005年(平成17年)1月10日を以って閉店した。店舗周辺にはグループ企業店舗が何店舗があった。(マイカルイストの飲食店など)[356]。
- ピープル・エグザス(現コナミスポーツ)の第1号が存在した。現在コナミスポーツは西宮北口駅前で営業中。
- 1995年(平成7年)に阪神大震災により被害を受けたため、小林敏峯社長を室長とする阪神大震災復興対策室の支援を受けて再建を行った店舗の1つである[348]。
- 店舗の移転計画が進められていたが業績悪化に伴い2001年(平成13年)に移転計画を断念した[357]。
- 建物解体後は更地のまま暫く放置されたが、後に周辺の新築分譲マンションのマンションギャラリー用地として活用され、その後はコインパーキング、2014年4月26日より住宅展示場「西宮北口ハウジングギャラリー」となっている。
- 甲南山手サティ(東神戸サティ[348]として1992年(平成4年)10月27日に開業[358] → 2003年(平成15年)7月末に甲南山手サティが閉店[359])
- 店舗面積約15,205m2[164]。
- 1992年(平成4年)10月に阪神間で最大規模を誇った旧森市場を再開発したセルバの核店舗として誘致されて開業し[359]、1995年(平成7年)には阪神大震災により被害を受けて小林敏峯社長を室長とする阪神大震災復興対策室の支援を受けて再建を行い[348]、1997年(平成9年)度に売上高73億円を上げていたが競争の激化により2001年(平成13年)度に売上高46億円に落ち込んだため[359]、2003年(平成15年)7月末に閉店することになった[359]。
- 店名変更は店舗裏手の甲南山手駅開業にあわせた対応。
- セルバ自体はそのままで、サティ部分の退去跡には2003年(平成15年)11月22日に地下1階に関西スーパーを皮切りに2階のユニクロや4階の100円ショップザ・ダイソーなど全13店が順次開業した[360]。
- 三田サティ✩:1980年(昭和55年)3月に開店[361] → 2002年(平成14年)11月30日に閉店[361]
- 店舗面積約9,998m2(うち直営店舗面積約5,629m2)[25]、延べ床面積約15,022m2[25]。
- 1980年(昭和55年)3月に開業し[361]、自社の店舗である三田ウッディタウンサティ(現:イオン三田ウッディタウン店)がニュータウンに立地し映画館なども備えて顧客の一部流れていた上[108]、店舗に近い三田市の中心市街地の商店街の三田本町通りセンター街の店舗数が最盛期の約半分の29店にまで減少するなど中心市街地の衰退が進んでニュータウンの競合店に客を奪われて1991年(平成3年)度に94.2億円だった売り上げが[362]2001年(平成13年)2月期に約55.82億円へ減少して2004年(平成16年)2月期には約28.97億円まで落ち込んで回復の見込みが立たず土地と建物の賃貸契約が2005年(平成17年)12月末に満了を迎えるため[363]、その直前の2005年(平成17年)11月30日に閉店した[361]。
- 店舗跡は2006年(平成18年)7月から解体工事が行われ、食品スーパーを核店舗とする商業施設を招致する方向で計画が進められていることが同年11月15日に開かれた三田市議会決算特別委員会で三田市の当局側から明らかにされた[364]。2007年(平成19年)12月にミスミモールが開業[要出典]。
- 伊丹サティ✩:ニチイ伊丹店として1971年(昭和46年)4月に開店[92][33]。
奈良県
- 学園前サティ×:1984年(昭和59年)3月に開店[33]、2001年(平成13年)5月31日に閉店[365]。
- 生駒サティ✩(生駒市本町2-932[340]、1963年(昭和38年)11月開店[182] - 1992年5月閉店)
- 桜井サティ✩ (桜井市[33]、1978年(昭和53年)4月1日、それまで桜井駅南側にあった旧桜井店を桜井市街北部の粟殿(おおどの)へ移転し2代目桜井店として開店、1990年(平成2年)4月からサティ[33] - ?閉店)
- 売場面積約7,674m2[33]。
- 香芝サティ✩ 2001年(平成13年)3月閉店[368]
- 店舗面積約8,382m2[164]。
- 現在、サティ跡には2階に「エディオン」(旧:ミドリ電化)香芝店、1階には「近商ストア」が入居している。現在の施設名はじゃんぼスクエア香芝であるが、かつてはこの名称の最後に香芝サティが付いて、じゃんぼスクエア香芝サティという名称であった。
- 八木サティ✩×(橿原市八木町1-8-15[164]、1970年(昭和46年)7月開店[182] - ?閉店)(衣料品のみの扱い)
- 結崎サティ✩(1984年(昭和59年)1月10日開店[7]「ニチイ結崎店」→結崎サティ→2009年(平成21年)5月31日閉店[370])
- 高田サティ✩:ニチイ高田店として[372]1976年(昭和51年)5月28日に2代目高田店として開店[7]→1992年(平成4年)4月22日にニチイ高田店を高田サティへ業態転換[373]→2010年(平成22年)6月30日閉店[374][372])
- 近鉄高田市駅前の一角にある[372]片塩町の国道168号沿いに1976年(昭和51年)5月28日に2代目高田店として開店した[7]地上4階建ての専門店も入居した総合スーパー[375]で大和高田市のに買い物客を呼び込む中心的な役割を果たし[372]、1991年(平成3年)度に売上高134億円を上げていて1992年(平成4年)4月22日に増床してニチイ高田店を高田サティへ業態転換を行った際には初年度売上高目標として160億円を見込むほど売上を伸ばしていた[373]が、当地でも1977年(昭和52年)にユニチカが工場を閉鎖するなど繊維産業の衰退と生産拠点の海外移転が進んで大和高田市の人口がピークの1997年から約8000人減少して約6万8000人となり[372]、また近隣に競合するスーパーが出店するなどして[375]店舗周辺の人通りも減って賑わいを失うなど[372]商環境が変化したため、2004年(平成16年)9月10日に熟年層をターゲットに改装を行った[376]が売上が伸び悩み、建物の老朽化で修繕費などが嵩むようになったことも重なり[375]、2010年(平成22年)6月30日に閉店した[374]。
- 敷地面積15,233m2に地上4階建て延床面積37,913m2で、売場面積20,199m2(うち直営13,950m2)の店舗だった[373]。
- 閉店直後の2010年(平成22年)7月に行われた毎年恒例の大和高田商工会議所による商店街の通行量調査でサンサン中通りが平日で前年度比42.34%減で休日が57.66%減となり、片塩コスモス通りも合計で23.26%減となるなど店舗に近い商店街ほど大きく落ち込むなど店舗閉鎖は周辺商店街の集客に大きなマイナスの影響を与える結果となった[377]。
- 店舗跡は2011年(平成23年)9月に地元大和高田商工会議所会頭が経営する[378]大和ガスが取得して食品スーパーの招致に乗り出し[379]、「近商ストア」大和高田店が2013年(平成25年)4月4日に開店した[380][381]。
- :初代高田店だった建物は南河生鮮市場の高田店として2021年現在も現存。
和歌山県
- 橋本サティ[382](橋本市、1985年(昭和60年)11月開店[182] - ?閉店)
- 箕島サティ✩(有田市、1981年(昭和56年)1月開店[182] - ?閉店)
- 高野口サティ✩:(高野口町(現、橋本市)、1978年(昭和53年)6月に開店[33]、2001年(平成13年)1月10日に閉店
- [384])
- 岩出サティ(那賀郡、1980年(昭和55年)12月開店[182] - ?閉店)✩
中国
鳥取県
- ホープタウンサティ(1982年(昭和57年)7月に[355]米子ホープタウンとして開業[387] → サンメルトホープタウン店として開店) → (2代目)米子サティ → ホープタウンサティ[355] → ホープタウン
- 当初、「米子ホープタウン」として開店し、同グループだった出雲ファミリーデパート、浜田ファミリーデパートと合併し、「サンメルトホープタウン店」となった。1993年(平成5年)3月に、米子駅前に出店した「米子サティ」を経営する米子ニチイ(ニチイ100%出資子会社)などと合併して、「サンインニチイ」が発足[355]。店名は「ホープタウンサティ」となった[355]。なお、サンインニチイは後にマイカルサンインに社名変更を行っている。
- その後、同エリア内でのサティ2店舗による自社競合を避けるため、米子サティは百貨店業態に転換し「米子ビブレ」となる(運営もマイカル本体に移管)。この後、ホープタウンサティは「(2代目)米子サティ」にリニューアル。
- マイカル破綻後、マイカルサンインはマイカルグループから独立。「ホープタウン」と社名変更し、米子サティも店名を再び「ホープタウンサティ」に変更した。その後、リニューアルを繰り返す中で徐々にマイカル色を払拭し、サティの店名も外し「ホープタウン」となる[388]。2008年(平成20年)にはマルイと提携し、マルイが食品部門に入居する形態となり、食品部門のみ「ホープタウンマルイ」となった[389]。
- (初代)米子サティ → 米子ビブレ → 米子駅前サティ→イオン米子駅前店
- SC名称:米子駅前ショッピングセンター
- 1990年(平成2年)6月29日に米子駅前に(株)米子ニチイにより開店[390]。グループ企業再編により、(株)サンインニチイ→(株)マイカルサンインの経営から、1996年(平成8年)3月13日に米子ビブレに業態転換に伴って(株)マイカルに移管されて直営店舗となる[391]。再度サティに業態転換したが、現在のホープタウンが「(2代目)米子サティ」を名乗っていたため店名を「米子駅前サティ」[392]とした。
- 2003年(平成15年)に経営破たんしたマイカルへの支援と市民の交流の場の提供を兼ねて米子市が4階に「市民交流広場」を開設していたが、2004年(平成16年)~2007年(平成19年)の年間利用日数が98~127日と低迷していた上マイカルがイオンの傘下に入って経営を支援する必要がなくなったとして2008年(平成20年)12月末で廃止とされた[392]。
- JR米子駅前であるが郊外店舗への対抗策として店舗併設の米子市開発公社が所有する立体駐車場を無料としていたが、買い物客や施設利用者以外も無償で駐車出来て近隣と不公平になっているとして有料化する方針であることが2009年(平成21年)6月10日開かれた米子市の第三セクター米子駅前開発の株主総会で明らかになった[393]。
- マイカルグループのスポーツクラブであったエグザス米子店(米子駅前サティ内)と松江店(松江サティ内)はコナミによる買収後もホープタウンが2010年(平成22年)までエグザスブランドで運営していたが、現在はコナミブランドに転換している。
島根県
- 出雲サティ✩:1980年(昭和55年)9月に開業した商業施設「パラオ」[394]と共に開店し、2002年(平成14年)8月31日に閉店[395]。
- 店舗跡は2002年(平成14年)10月6日にジャスコ出雲パラオ店が開業[396][397]→2009年(平成21年)1月20日にジャスコ出雲パラオ店が閉店[398][399]→2009年(平成21年)4月22日にトライアル出雲店が開業[400][401]→2016年(平成28年)2月14日にトライアル出雲店が閉店
- 店舗跡にはサティよりも食品や下着、子供関連の売場を強化すると共に化粧品や医薬品などを扱うヘルス&ビューティーケア売場の導入してヤングファミリー層をメーンターゲットとしたジャスコ出雲パラオ店として2002年(平成14年)10月6日に開店した[396]が、2008年(平成20年)6月に[128]イズミが店舗面積33,498m2のゆめタウン出雲が出店し、同年9月27日に松江サティが対抗して増床して店舗面積30,893m2となり[128]、同年10月に[128]ジャスコ日吉津店が店舗面積36,589m2へ増床する[126]など大型ショッピングセンターの競争が激化したため[128]売上が伸び悩み、2009年(平成21年)1月20日にジャスコ出雲パラオ店は閉店となった[399]。その後2009年(平成21年)4月22日にトライアルが出店した[400][401]。
- 併設された専門店街の「パラオ」は競合するショッピングセンターの開業に伴う競争激化で売上高も1993年(平成5年)度の64億円が2011年(平成23年)3月期に約10億円に落ち込み、店舗数もピーク時の70から減少し続けて45にまで減少するなど業績が低迷したため、専門店街を運営していた協同組合「出雲ショッピングセンター」が2012年(平成24年)2月29日に松江地方裁判所に自己破産を申し立てて倒産し、営業停止となった[394]。
- 浜田サティ✩:1982年(昭和57年)9月開店[355] - 2002年(平成14年)6月30日に閉店[402]。
岡山県
- 水島サティ(倉敷市連島町亀島新田1427[340])✩
- 新倉敷サティ:1990年(平成2年)3月に開店[33]、2002年(平成14年)7月28日に閉店[404]。
- 児島サティ✩:ニチイ児島店として1981年(昭和56年)3月に開店[407] → 1992年(平成4年)9月23日に児島サティへ業態転換[407] → 競争激化による売り上げ不振を理由に2001年(平成13年)3月5日に閉店[408]。
- 笠岡サティ(笠岡シーサイドモールのテナント)✩:1979年(昭和54年)11月に開店[33]、2002年(平成14年)5月末に閉店[409]。
- 庭瀬サティ食品館(岡山市北区庭瀬)
広島県
- 駅家サティ✩×:1980年(昭和55年)1月に開店[33]。
- 神辺サティ✩:1980年(昭和55年)6月に開店[33]、1999年(平成11年)9月30日に閉店[414]。
- 店舗面積約3,575m2[33]。
- 店舗跡はホームセンターユーホーとなるが、同店の新築移転後、パチンコ店(マンハッタン)となった。
- 三吉サティ食品館:2001年(平成13年)5月20日に閉店[415]。
- 因島サティ✩×(因島市土生町塩浜南区1899-3[340]、ニチイ因島店として1972年(昭和47年)11月開店[417] → 因島サティ → 2008年(平成20年)11月30日閉店[417])
- ニチイ因島店は店舗面積約2,796m2[182]。
- 閉店時の直営店舗面積約2,293m2[352]
- 1972年(昭和47年)11月に因島土生町の土生商店街に開店、因島南部と愛媛県上島町を商圏として1983年(昭和58年)2月期は売上高約26億円を上げていたが、2008年(平成20年)2月期には売上高10億円弱に落ち込んで営業損益が数千万円の赤字となり、店舗の老朽化も進んでいたことも相俟って2008年(平成20年)11月30日に閉店して36年の歴史に幕を下ろした[417]。
- 店舗跡は2009年(平成21年)1月8日から解体工事が行われて[418]更地になり、地権者が因島の島外資本を含めた集客力のある食品スーパーの出店交渉を行って最終的に日立造船因島生活協同組合が出店することになり[419]、同年10月26日に地鎮祭を行って建設工事に入り[420]、2010年(平成22年)4月16日に日立造船因島生活協同組合「コープ・フレニール」が開店した[421]。
- 広サティ(ニチイ広店→広サティ):1978年(昭和53年)4月に開店[33]。1996年(平成8年)5月31日広サティとなる。
- 広島サティ - 1997年(平成9年)10月[422]1日開店 - 2011年(平成23年)7月18日閉店[423](閉店が決まっていたため、2011年3月以降も「サティ」ブランドは継続していた)。
- 広島初の7スクリーンのシネマコンプレックスであったワーナー・マイカル・シネマズ広島[424]を併設して1997年(平成9年)10月に開店し[422]、中四国最大の11スクリーンを持つシネマコンプレックスの「広島バルト11」を併設するダイヤモンドシティ・ソレイユ(現在のイオンモール広島府中)が2004年(平成16年)3月に開業し[424]、8スクリーンのシネマコンプレックスの「TOHOシネマズ緑井」を併設するフジグラン緑井が2004年(平成16年)9月30日に開業した[425]のに対抗して2004年(平成16年)9月18日にリニューアルを行った[426]が、ショッピングセンター間の競争激化の影響を受けて[422]2011年(平成23年)7月18日閉店した[423]。
- サティ直営の売場の閉店後の各テナントの営業継続は各々との協議に委ねられて一律に閉鎖しなかったため[422]、ワーナー・マイカル・シネマズなどの専門店は継続営業を行っていた。
- サティの直営店の店舗後のうち1階部分が2011年(平成23年)9月21日にマックスバリュ段原店となり[427]、翌月には残りの階も整備しイオンモールが運営する「広島段原ショッピングセンター」として開店。5階部分は移転に伴ってマックスバリュ西日本の本社とイオンリテール中四国カンパニーが入居する事務所フロアとなった[428]以外のフロアは大型専門店や雑貨、サービス、飲食など店舗が入り、広島段原ショッピングセンターとして開業した[429]。
山口県
- 徳山サティ✩×(徳山市銀座2—30—32[257]、1971年(昭和46年)10月27日にニチイ徳山ショッピングデパートとして開店[257] - 1999年(平成11年)5月末閉店[430])
- 山口サティ✩(山口市道門前2-3-6[340]、1960年(昭和35年)開店[433] - 1998年(平成10年)5月31日閉店[434])
- 店舗面積約2,218m2[164]、延べ床面積約3,089m2[164]。
- ダイエー山口店とともに道場門前商店街に出店して[435]1978年(昭和53年)度に売上高約13.4億円を上げ[433]、3階建てで売り場面積は2,218m2と小規模だったため1994年(平成6年)度からは衣料品とベーカリーを組み合わせた業態に転換して売上の回復を目指したが1997年(平成9年)度に売上高約3.18億円に落ち込むなど業績が好転しなかったため1998年(平成10年)5月末に閉店した[433]。ダイエー山口店も翌月6月末に閉店し[435]、ダイエー跡地には生活協同組合コープやまぐちどうもん店が出店した[436]。
- 山の田サティ✩(ニチイ山の田店として1979年(昭和54年)10月[437]27日開店[7] - 1995年(平成7年)に山の田サティに業態転換[437] - 2009年(平成21年)2月28日閉店[437][438])
- SC名称:山の田ショッピングデパート[2]
- ニチイ山の田店は店舗面積約3,792m2[182]。
- 店舗面積約6,112m2(うち直営店舗面積約5,323m2)[2]、延べ床面積約18,040m2[2]。
- 売り場面積は約9,000m2[437]。4階建ての店舗で2、3階が売り場だった[437]。
- 1985年(昭和60年)度に売上高約35億円を上げたが、競合店舗の出店などによる商環境の変化の影響を受けて2007年(平成19年)度に売上高約10億円にまで落ち込み、建物も老朽化していて将来の収益の目処が立たないとして2009年(平成21年)2月28日に閉店した[437]。山の田サティの閉店により、山口県内のサティは防府サティ(現在のイオン防府店)1店舗を残すのみとなっていた。
四国
徳島県
- 小松島サティ✩(ニチイ小松島店)(1986年(昭和61年)4月開店[33] - 2002年(平成14年)7月に閉店[439])
- 徳島サティ✩×(徳島市万代町4丁目2-1[440]、ニチイ徳島店として[441]1981年(昭和56年)3月1日開店[440][442] → 1995年(平成7年)3月に徳島サティへ変更[441] → 2008年(平成20年)4月6日閉店[441])
- 貞光サティ食品館
香川県
- 高松勅使(チョクシ)サティ✩×(1984年(昭和59年)6月開店[33] - 1999年(平成11年)12月31日閉店[445]、2003年(平成15年)5月に建物解体)
- 観音寺サティ✩×(観音寺市観音寺町甲[140]、1989年(平成元年)2月25日開店[447] - 2009年(平成21年)9月30日閉店[448])
- 店舗面積約12,491m2[25]、延べ床面積約35,380m2[25]。
- 閉店時の直営店舗面積約11,000m2[214]
- ニチイ観音寺ショッピングデパートとして開店[447]。1994年(平成6年)3月、観音寺サティに改名。観音寺市唯一の大型店舗として営業していたが、1994年(平成6年)をピークに売り上げが下降線をたどり、閉店前の数年は採算ラインを割り込んでいた。2008年(平成20年)11月5日に同じイオングループのマックスバリュ観音寺駅南店が先行オープンして同月12日に同店を核店舗とするイオンタウン観音寺ショッピングセンターが開業[449]し、観音寺市内における小売店競争が激化したために客離れを引き起こし、2009年(平成21年)2月27日に9月30日付けで閉店する事が明らかになって9月30日に閉店した[448]。2011年(平成23年)6月23日にビッグ・エスが運営する家電量販店ケーズデンキ観音寺店がオープン[450]。店舗西側の平面駐車場にはサティの駐車場入場標識が残っていたが、2021年現在宅地開発によりそれも失われている。
愛媛県
- 松山サティ✩(松山市湊町3-4-4[133]、1973年(昭和48年)11月23日[7] - 1999年(平成11年)6月30日閉店[451])
- 銀天街ショッピングビルは、店舗面積約10,635m2[133]、延べ床面積約16,878m2[133]。
- 1973年(昭和48年)11月23日に[7]松山銀天街の商店4店が建設した銀天街ショッピングビル「ラブリープラザ」(地下1、地上5階)の核店舗の(2代目)ニチイ松山店として出店した[452]。
- のちに、松山サティとリニューアルする。1995年(平成7年)、周辺用地(パチンコホームラン跡地)を買収し、ビブレ化を画策するも、地元商店の反対(地権者の土地売却不同意)にあい頓挫。1997年(平成9年)には、近隣のダイエー千舟町店も閉店しており、松山中央商店街で残った唯一の総合スーパーに。1999年(平成11年)閉店。
- その後、建物は(協)銀天街ショッピングビルが運営し、ショッピングセンタGETとなっている[7]。
高知県
九州
福岡県
イオン九州運営店舗
※は旧マイカル九州時代の閉鎖店舗
福岡県
- ※福重サティ食品館 → 2001年(平成13年)3月1日にサニーに営業を譲渡し[456]、同年5月19日にサニー福重店として新装開店した[457]。
- ※月隈サティ食品館 → 2001年(平成13年)3月1日にサニーに営業を譲渡し[456]、同年5月19日にサニー月隈店として新装開店した[457]。
- ※曽根サティ✩ (1980年(昭和55年)11月開店[455][22] - 2005年(平成17年)2月末に閉店[458])→ レッドキャベツ曽根店・ダイソー曽根店など
長崎県
- ※長崎サティ:(長崎市浜町2-32[340]、?開店 - 2001年(平成13年)8月19日に閉店[459]) → 2001年(平成13年)10月12日にデオデオ長崎店(現・エディオン長崎本店)が開業[460]
- 店舗面積約1,394m2[340]。
- ※諫早サティ:(諫早市本町24[340]、1972年開店 - 2005年(平成17年)6月10日に閉店[461]) → アエルいさはや(まるたか生鮮市場などの複合商業施設)
- ※福江サティ → 福江シティモール → 五島シティモール
熊本県
- ※八代サティ✩×(八代市本町3-1-2[340]、ニチイ八代店として[463]1974年(昭和49年)5月23日開店[464]→1992年(平成4年)3月1日に八代サティへ業態転換[465]→2006年(平成18年)1月31日閉店[466])
- SC名:八代ショッピングデパート[462]。
- 1974年(昭和49年)5月に本町商店街のアーケードに隣接して開店し、店舗を改装した1992年(平成4年)度に売上高約48億円を上げていたが、2004年(平成16年)度に前年度比15.5%減の売上高約24億円で経常損益は500万円の赤字に落ち込み、2004年(平成16年)秋から2005年(平成17年)夏にかけて競合相手となる複合商業施設が相次いで出店したことなども影響して2006年(平成18年)1月31日に閉店した[466]。
- 地下1階地上6階建て延床面積約15,813m2(敷地面積約2,964m2)で店舗面積は約10,267m2(うち店舗面積約9,029m2)で[465]2001年(平成13年)に閉店した壽屋と共に同じ八代市の中心商店街に出店していた[463]。
- 跡地に2007年(平成19年)9月1日0時にマックスバリュ八代店を核テナントとして2F建ての複合商業施設が開業した[467]。
大分県
- ※中津サティ✩×
- 〒871-0033、大分県中津市大字島田字手渡232番
- JR中津駅に隣接していた中津大分交通北部ビルに入居していた。店舗面積約10,879m2[164]、延べ床面積約14,876m2[164]。
- 1977年(昭和52年)1月に「丸吉百貨店」開業[468]。1981年(昭和56年)にニチイグループに)ニチイ中津店[469]し、1993年(平成5年)3月18日に中津サティへ業態転換[469]→2000年(平成12年)8月20日に閉店[470]。
- 店舗の入居していた中津大交ビルは2004年(平成16年)に解体されて駐車場として利用されていたが、大分交通が8,413m2の敷地に鉄骨2階建て延べ床面積4,063m2の建物を建設して2012年(平成24年)3月にサンレーが経営する結婚式場VILLA LUCE(ヴィラ・ルーチェ)として開業することになった[471]。
- 大分サティ✩(ニチイ大分ショッピングデパートとして1973年(昭和48年)9月開店[472][473] - 2009年(平成21年)3月20日閉店[474])
- 大分市に本社を置く地元の不動産会社の西原パーキングがイオン九州と2009年(平成21年)11月30日に土地・建物の譲渡契約を締結し[475]、同年12月10日に地元の百貨店トキハの子会社でスーパーを運営するトキハインダストリーがテナントとして出店することが明らかになり[476]、地下に約1,000台が収容できる駐輪場として整備する設備などの工事費を一般会計補正予算案として2010年(平成22年)6月7日に開会する定例議会に大分市が提案する[477]など地元政財界の支援を受けて改装が進められ、同年10月25日にトキハインダストリー若草公園店や大分市営の地下駐輪場などがオープンした[478]。
- 4-8階・屋上を解体後、地階は駐輪場、1階はトキハインダストリー大分中央町店、2階は専門街店、3階は店舗駐車場という構成の「セントポルタビル」として2010年(平成22年)10月に開業した[473]。
宮崎県
- ※くしまサティ → ニシムタ串間店
- 店舗面積約8,165m2[164]。
- 店舗跡は、2002年(平成14年)4月にニシムタが「N’s CITY串間店」を開店。
店舗の一例
参考/出店を断念した店舗
- 盛岡サティ:岩手県盛岡市前潟で2003年(平成15年)の開業を目指していたが[479]、業績悪化に伴い2001年(平成13年)に出店を断念した[480]。予定地に、2003年(平成15年)8月[481]9日にイオンモールがイオン盛岡ショッピングセンター(現・イオンモール盛岡)を開業。
- 仙台サティ:仙台市太白区に2000年(平成12年)12月の開業を目指して1999年(平成11年)の着工を計画していたが[482]、業績悪化に伴い2000年(平成12年)に出店を断念した[483]。
- 新庄サティ:山形県新庄市で出店を目指していたが業績悪化に伴い出店を断念した[484]。
- 富山サティ:富山県富山市で出店を目指して用地選定していたが業績悪化に伴い出店を断念した[485]。
- 大垣サティ:1997年(平成9年)8月7日に岐阜県大垣市のオーミケンシ大垣工場跡地に出店する計画を発表していたが[486]、業績悪化に伴い2001年(平成13年)に出店を断念した[487]。予定地に、2007年(平成19年)10月27日にユニーがアクアウォーク大垣を開業[488]。
- 稲沢サティ:稲沢市に1999年(平成11年)の出店を目指していたが[489]、業績悪化に伴い出店を断念した。
- 橿原サティ:奈良県橿原市で出店を目指していたが業績悪化に伴い2001年(平成13年)に出店を断念した[490]。
- 緑井サティ:広島市安佐南区の緑井駅前再開発への出店を目指していたもので[491]、2000年(平成12年)3月4日に再開発ビルの管理会社を設立した時点や[491]、再開発工事の着手時点までは商業棟にはマイカルが出店予定だったが[492]、マイカルが破たんした影響を受けて2003年(平成15年)にフジに変更され[493]、2004年(平成16年)10月2日に「フジグラン緑井」として開業した[494][495]。
- 周南サティ:山口県下松市で出店を目指していたが業績悪化に伴い出店を断念した[496]。
- 北島サティ:1998年(平成10年)2月20日に、徳島県板野郡北島町の日清紡徳島工場社宅跡地の区画整理事業予定地に出店を発表、2000年(平成12年)3月の開店を目指していたが[497]申請した売場面積から22.4%削減された[498]ため、そのことを理由として1999年(平成11年)11月に出店を正式に断念した[499]。予定地には、2001年(平成13年)11月2日にフジがフジグラン北島を開業[500]。
- 長崎サティ新店舗(未開業) → 夢彩都(イズミが運営するSC、現・ゆめタウン夢彩都)
このほか、沖縄県の那覇新都心地区おもろまち4丁目の大型店舗計画でサティとしてダイエー、ジャスコ(現イオン)とともに入札したがダイエーに敗れた。そのダイエーも経営が苦しくなり出店断念、再入札でサンエーが取得し現在はサンエー那覇メインプレイスとなる。なお、マイカルとダイエーは両方ともイオンに買収されている。
上記以外にかつて存在したニチイの店舗
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1970年(昭和45年)9月1日以降、(新)株式会社ニチイ発足直後から存在した店舗を記載する。当初は100~400m2程度の衣料品専門小型店が多く、その多くはスクラップ&ビルドの対象になった。出典は各年度に発刊された「日本スーパーマーケット年鑑」による。
- ニチイエルメ梅田店 (大阪市北区)
- ニチイ泉尾店 (大阪市大正区)
- ニチイ野田店 (大阪市西成区)
- ニチイ西新道店 (京都市東山区)
- ニチイ島原店 (京都市下京区)
- ニチイ洛南店 (京都市南区)
- ニチイ御影店 (神戸市東灘区)
- ニチイエルメ奈良店(奈良市)
- ニチイ大和王寺店 (北葛城郡王寺町)
- ニチイ玉島店 (倉敷市)
- ニチイ鞆店 (福山市)
- ニチイ沖野上店 (福山市)
- ニチイ手条店 (福山市)
- ニチイ唐戸店 (下関市)
- ニチイ萩呉服店 (萩市)
- ニチイニューます屋店 (北九州市)
- ニチイかほう店 (長崎市)
- ニチイマルセイ店 (島原市)
- ニチイクマモトヤ店 (八代市)
- ニチイダイワ店 (小林市)
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脚注
- ^ a b 武内彩(1998年8月4日). “サティ:名称「イオン」に 全国91店舗で”. 毎日新聞 (毎日新聞社)
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb bc bd be bf bg bh bi bj bk 『週刊東洋経済 臨時増刊 全国大型小売店総覧 2009年版』 東洋経済新報社、2009年。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p “マイカル東北が再生法を申請”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2001年9月24日)
- ^ a b “マイカル、6年ぶり「サティ」開業”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社). (2006年4月27日)
- ^ “「盛岡南サティ」9月15日(金)グランドオープン 5年9ヶ月ぶりの新規出店 岩手県盛岡市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2006年9月7日)
- ^ “秋田市に大型SC サティ船出 1800台収容駐車場も満杯”. 秋田魁新報 (秋田魁新報社). (1995年4月29日)
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb bc bd be bf bg bh bi bj bk bl bm bn bo bp bq 都道府県別・政令指定都市別・市町村別SC (Report). 日本ショッピングセンター協会. (2012年1月)
- ^ “イオン、横手でジャスコとサティを同時改装 SuCとサティで相乗効果”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2004年3月31日)
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai aj ak al am an ao ap aq ar as at au av aw ax ay az ba bb bc bd be bf bg bh bi bj 『週刊東洋経済 臨時増刊 全国大型小売店総覧 2007年版』 東洋経済新報社、2007年。
- ^ “マイカル「古河サティ」9月9日開店”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1998年8月31日)
- ^ “ホソガネニチイ、「高萩サティ」オープン“生活百貨店”地元も期待”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1995年7月31日)
- ^ “ホソガネニチイ、「高萩サティ」開店 年商50億円目指す”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1995年7月17日)
- ^ “北関東・新潟地区夏期特集 大手チェーンの次世代店舗戦略 ニチイ高萩サティ”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1995年8月30日)
- ^ “イオンモールにサティ初出店 イオン高崎SC 10月20日オープン 群馬県高崎市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2006年10月19日)
- ^ “オープン情報=マイカル”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2000年10月25日)
- ^ “マイカル、「大宮サティ」オープン、惣菜で差別化図る”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (2000年11月8日)
- ^ 『さいたま市告示第874号 平成23年6月24日』 さいたま市、2011年6月24日。
- ^ 杉村暢二 『中心商業地の構造と変容』 大明堂、2000年7月16日。ISBN 978-4470540235
- ^ “熊谷サティ11月16日オープン 埼玉県熊谷市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2000年11月27日)
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- ^ “マイカル「市川妙典サティ」、”街”イメージを強調”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1999年4月12日)
- ^ “マイカル「市川妙典サティ」開店、関東初の店内銀行も”. 日本食糧新聞(日本食糧新聞社). (1999年3月29日)
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- ^ “イオン天王町店、2020年2月9月閉店-旧・マイカル天王町サティ、2022年に再出店目指す”. 都商研ニュース. (2020年1月1日) 2020年2月10日閲覧。
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- ^ “本牧に新商業施設「ベイタウン本牧5番街」22日オープン、地域密着で本牧の顔に”. 神奈川新聞 (神奈川新聞社). (2010年10月19日)
- ^ ダックシティ厚木店 → 厚木ビブレ
- ^ a b “ニチイ、「海老名サティ」24日開店”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1993年4月16日)
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