過去に存在したマイカルの店舗
過去に存在したマイカルの店舗(かこにそんざいしたマイカルのてんぽ)では、マイカル(ニチイ時代を含む)によって運営されていたニチイやサティ、ビブレ店舗について記述する。
2011年(平成23年)3月1日、営業中であったサティは全国91店舗が全店(広島サティを除く)で店舗ブランドをイオンへ転換し[1]、残る広島サティは2011年(平成23年)7月18日に閉店した[2]。
- 2011年(平成23年)3月1日以降に開店したビブレ店舗についてはビブレ#過去に存在した店舗を、旧ダックビブレが運営していたビブレ店舗についてはビブレ#ダックビブレ参照。
- 店名に「マイカル」を冠した大型店舗については、マイカルタウンを参照。
凡例
[編集]- 無印はマイカルが経営していた店舗
- ※はイオン九州が経営していた店舗
- ✩はニチイから転換した店舗
- ○はイオングループ買収後に設置された店舗
- ×は建物が解体された店舗
イオンに改称された店舗
[編集]北海道
[編集]北海道では「サティ」店舗で閉店しなかった店舗は2002年に「ポスフール」に改称されているため、「サティ」から直接「イオン」に改称した店舗は存在しない。
東北
[編集]東北エリアの店舗は、店舗ブランドが「イオン」へ変更された後、2020年(令和2年)3月1日に運営がイオンリテールからイオン東北へ移管された[広報 1]。
岩手県
[編集]- 鉄筋コンクリート造地上4階建て[6]、延べ床面積約42,356m2[6]、店舗面積約17,100m2[4](うち直営店舗面積約14,300m2[7])。
- マイカル東北が運営していたが、2001年(平成13年)9月にマイカルに営業譲渡されて本体直営店の一つとなった[8]。
秋田県
[編集]- 延べ床面積約35,055m2[3]、店舗面積約23,694m2[13](うち直営店舗面積約14,000m2[15])。
- マイカル東北が運営していたが、2001年(平成13年)9月にマイカルに営業譲渡されて本体直営店の一つとなった[8]。
- マイカル東北が、2001年(平成13年)9月18日に民事再生法を申請した時点で引き続き運営していた店舗の1つだった[8]。
- 敷地面積約79,996m2[16]、鉄骨造地上2階建て[17]、延べ床面積約12,163m2[16]、店舗面積約11,732m2[16](うち直営店舗面積約9,700m2[16])、駐車台数約1,400台[16]。
- マイカルがイオングループの傘下に入ったことにより、隣接するジャスコ横手南店との間でグループ内で競合する状況となっていたため、2004年(平成16年)3月21日にファッションや子供用品に特化する改装を行うと同時に、隣接するジャスコ横手南店を食品や住居用品などを扱うスーパーセンターへ業態転換(イオンスーパーセンター横手南店へ)して一体的な運営を行い、競合を解消した[18]。
山形県
[編集]- 敷地面積約16,336m2[19]、地上3階建て[19]・延べ床面積約27,674m2[19]、店舗面積約17,500m2[19](うち直営店舗面積約14,500m2[19])、駐車台数約1,000台[19]。
- 開業時にはサティホールや室内遊園地「アルファ21」を併設していた[19]。
- マイカル東北が運営していたが、2001年(平成13年)9月にマイカルに営業譲渡されて本体直営店の一つとなった[8]。
福島県
[編集]- 敷地面積約25,048m2[21]、地上3階建て[21]・延べ床面積約37,201m2[21]、店舗面積約19,515m2[21](うち直営店舗面積約13,643m2[21])、駐車台数約1,600台[21]。
- 片倉工業の工場跡地に出店した[21]。
- マイカル東北が運営していたが、2001年(平成13年)9月にマイカルに営業譲渡されて本体直営店の一つとなった[8]。
- 敷地面積約33,923m2[24]、鉄骨鉄筋コンクリート造[24]地上3階建て[23]、延べ床面積約34,043m2[3]、店舗面積約17,500m2[23](うち直営店舗面積約12,500m2[23])、駐車台数約1,500台[23]。
- マイカル東北が運営していたが、2001年(平成13年)9月にマイカルに営業譲渡されて本体直営店の一つとなった[8]。
関東
[編集]茨城県
[編集]- 延べ床面積約16,283m2[20]、店舗面積約10,344m2[13](うち直営店舗面積約8,839m2[15])。
- ホソガネニチイとしては初めてのサティ業態として[29]、ブランドものを低価格で扱う独自の輸入品売場などを備えた生活百貨店として開業した[30]。
- ホソガネは、1918年(大正7年)12月に細金義夫が高萩で洋品小売業を創業したのが始まりで、1951年6月26日に株式会社ホソガネを設立して法人化した[31]。高萩市春日町27-7の高萩駅前通に出店していた[32]市内最大の綜合衣料品店であった[31]。
群馬県
[編集]埼玉県
[編集]- 敷地面積約15,581m2[42]、鉄筋コンクリート造地上4階一部5階建て[42]、延べ床面積約32,612m2[42]、店舗面積約15,315m2[42](直営店舗面積約9,468m2[42])、駐車台数約500台[42]。
- 敷地面積約17,610m2[48][47]、鉄筋コンクリート造地上4階建て[48][47]、延べ床面積約20,990m2[47]、店舗面積約16,163m2[47](直営店舗面積約8,890m2[47])、駐車台数約260台[47]。
- ニチイとして開業した後、1995年(平成7年)10月7日にサティへと業態転換[49]。
- イオンへと転換した後、2020年(令和2年)2月29日閉店[50]。閉店後の建物は解体され、跡地はイオンリテール運営の「そよら武蔵狭山」が開業[広報 2][51][52]。核店舗はイオンスタイル武蔵狭山[広報 2][51]。
- 延べ床面積約16,728m2[54]、店舗面積約9,602m2[54](うち直営店舗面積約7,445m2[54])。
- ニチイとして開業した後、1995年(平成7年)11月17日にサティに業態転換[55]。
- イオンに転換した後、2021年(令和3年)3月19日に「イオンスタイルせんげん台」へと再度転換した[広報 3]。
- 敷地面積約7,625m2[56]、鉄筋コンクリート造地下1階地上6階建て[56]、延べ床面積約29,330m2[56]、店舗面積約16,027m2[56](直営店舗面積約10,788m2[56])、駐車台数約600台[56]。
- (2代目)ニチイ新座ショッピングデパートとして開業し[59]、サティに業態転換[60]。
- 開業時に本格的な温水プールや屋上テニスコートなどを併設して注目された[61]。
- 2024年(令和6年)2月29日に建替えのため閉店予定[62]。
千葉県
[編集]- 敷地面積約26,751m2[63]、地上5階建て[63]・延べ床面積約85,010m2[63]、店舗面積約29,831m2[63](うち直営店舗面積約22,314m2[63])。
- 9スクリーンのシネマコンプレックスや、関東地区で初めての都市銀行のインストアブランチである富士銀行(現・みずほ銀行)が出店するなど、複合的な機能を持った3棟で構成される商業施設として開業した[65]。
- 敷地面積約16,858.91m2[67]、地下・鉄骨鉄筋コンクリート造・地上・鉄骨造・地下1階・地上7階建て[67]、延べ床面積約63,034.79m2[67]、店舗面積約27,719m2[67](うち直営店舗面積約12,200m2[20])。
- ゴルフ練習場・新稲毛ゴルフガーデンの一角を利用して建設された「スリースター稲毛ビル」の地下1階から地上2階までの商業施設部分の南側部分出店した[67]。
- 大型店進出が相次いでいたJR稲毛駅前への開店に対し、地元商店街が大型店のさらなる進出は大きな打撃となるとして地元主導型の運営を条件として出店を容認したため、地元商店などが出資する稲毛商業開発株式会社が中山製鋼所が建設したショッピングセンターを一括して借り上げ、マイカルをテナントとして入居させる形で「サティ稲毛メテオショッピングセンター」として[68]開業した。
- 地元主導の象徴として商業施設の管理・運営を担っていた稲毛商業開発は開業以来毎年赤字が続いていたところに[69]、1999年(平成11年)3月に中山製鋼所がマイカルに敷地と建物を売却してテナントが大家になる状況が生じたため[68]、マイカルと営業権の譲渡を交渉して清算可能な水準の金額を得られることになったことから2000年(平成12年)6月30日に臨時株主総会を開催して同日付で解散し[69]、翌日からマイカルによる管理・運営に移行した[69]。
- 2階に手織りのペルシャ絨毯やパキスタン絨毯を扱う本格的な専門店「セラフィアン絨毯」が入居していたが、2011年(平成23年)1月26日に閉店した[70]。
- 延べ床面積約37,076m2[3]、店舗面積約16,827m2[3](うち直営店舗面積約11,310m2[3])。
- 1999年(平成11年)3月6日に映画館や飲食店、雑貨大型店などが入る新館2番街(現・ユーカリプラザ)が開業した[75]。
- 2016年(平成28年)6月10日に西ユーカリが丘6-12-3の「イオンタウンユーカリが丘」に「イオンスタイルユーカリが丘」が移転する形で開業することに伴い[76]、同年6月5日閉店[77]。その後改装が行われ、山万が運営、オーケーを核店舗とするショッピングセンター、「スカイプラザ・モール」が2017年(平成29年)11月28日に開業した[77]。イオンシネマユーカリが丘(旧ワーナー・マイカル・シネマズユーカリが丘)のみ移転せずユーカリプラザで営業を続けたが、2018年(平成30年)5月31日をもって閉館し[広報 4]、同年6月15日より佐々木興業株式会社が運営する「シネマサンシャインユーカリが丘」として営業している[広報 5]。
東京都
[編集]- 敷地面積約29,930m2[78]、地下1階地上7階建て[78]、延べ床面積約73,934m2[78]、店舗面積約34,181m2[78](うち直営店舗面積約26,600m2[78])。
- 大木伸銅工業の創業の地である徳丸工場が周辺の住宅地化や市街地化の進展により生産が困難になってきたため1994年(平成6年)5月に閉鎖され、跡地を東京都と共同で再開発しようとしたが長期化が予想されたためマイカルとの共同開発に転換し、開業した[80]。
- 衣料品の製造小売(SPA)でマイカル版ユニクロにあたるアットウィル1号店など専門店を多く出店させたり、シネマコンプレックスのワーナー・マイカルを併設した店舗であった[81]。2018年11月に改装オープンし、イオン板橋ショッピングセンターの核店舗であるイオン板橋店は「イオンスタイル板橋」へと転換した[82]。
- 延べ床面積約21,288m2[3]、店舗面積約10,932m2[83]。
- 「矢野新商事」がデベロッパーとなってニチイ西新井ショッピングデパートとして開発され[86]、1991年(平成3年)4月26日にサティへと業態転換[83][84]。
神奈川県
[編集]- 敷地面積約14,235m2[91]、鉄骨鉄筋コンクリート造地下1階地上4階建て[91]、延べ床面積約21,692m2[91] → 約45,613m2[3]、店舗面積約13,306m2[91](直営店舗面積約6,860m2[91]) → 約15,951m2[3](うち直営店舗面積約13,096m2[3])、駐車台数約400台[91]。
- ニチイ天王町店として[93]開業した後、1992年(平成4年)2月19日に増床した上で天王町サティに業態転換[93]。また、周辺でマンション開発が進んでニューファミリー増加するなど住民構成が大きく変化したことを受けて2005年(平成17年)3月11日に地域密着型の食品に特化した店舗へと改装した[94]。
- イオンへ転換した後、2020年(令和2年)2月9日閉店[95]。閉店後の建物は解体され、跡地には「イオンスタイル天王町」を核店舗とする「イオン天王町ショッピングセンター」が2022年(令和4年)10月18日に開業した[広報 6]。
- 敷地面積約15,096m2[97][98]、鉄骨鉄筋コンクリート造地下1階地上25階建て塔屋2階[98]、延べ床面積約72,950m2[97](高層棟約29,001.79m2[98]、低層棟約41,928.29m2[99]、公会堂約2,000.00m2[100])、店舗面積約16,600m2[96](うち直営店舗面積約11,631m2[96])、駐車台数約250台[97]。
- ニチイ東神奈川ショッピングデパートとして開業[96]した後、サティへ業態転換。
- 東神奈川駅前の東海金属本社工場跡地に建設された「トーカイプラザ」に出店[96]。1駅隣の横浜駅西口に1978年(昭和53年)9月30日に竣工した「芙蓉ビル」にニチイ横浜店(現:横浜ビブレ)も開設している[101]。
- イオンへ転換した後、2017年(平成29年)7月に「イオンスタイル東神奈川」へ再度転換[102]。
- 敷地面積約6,844m2[103]、延べ床面積約32,284m2[103]、店舗面積約15,692m2[103](うち直営店舗面積約13,343m2[103])。
- 在日アメリカ軍が接収していた跡地に整備された[104]マイカル本牧の一番街の核店舗として開業[105]。1996年(平成8年)3月20日にマイカル本牧の改装に合せて食品売場を1.5倍に拡張し[106]、1999年(平成11年)3月6日に更に食品売場を約1.4倍に拡張して総菜売場を拡大する[105]など改装のたびに食品関連の強化を図った。
- みなとみらい21などとの競合で客を奪われたため、2005年(平成17年)にマイカル本牧は5番街を閉鎖するなど大幅に縮小している[107]。
- 敷地面積約7,391m2[110]、鉄骨鉄筋コンクリート造地下1階地上8階建て塔屋2階[110]、延べ床面積約36,955m2[110]、店舗面積約27,240m2[111]。
- 中町第1地区市街地再開発事業で建設された[110]厚木ガーデンシティビルの核店舗として開業した[108]。
- 敷地面積約20,102m2[112]、鉄骨鉄筋コンクリート造地上4階建て[113]、延べ床面積約24,812m2[113] → 約42,285m2[112]、店舗面積約19,515m2[113] → 約24,410m2[112](うち直営店舗面積約9,112m2[113] → 約16,457m2[112])、駐車台数約1,000台[113] → 約1,200台[114] → 約1,600台[112]。
- ホームセンター・専門店街・スポーツ施設・文化施設などを併設したニチイ海老名店として開業し[115]、アイススケート場を増改築して[116]シネマコンプレックス・ワーナーマイカルシネマズ1号店の「ワーナー・マイカル・シネマズ7・海老名」を導入するなど大規模な改装を行って1993年(平成5年)4月24日に海老名サティに業態転換した[117]。
- 延べ床面積約62,390m2[20]、店舗面積約25,000m2[119]。
- 新百合ヶ丘ビブレとして開業した後、2003年(平成15年)11月7日に一部を新百合ヶ丘サティへ業態転換[120]。
- 小田急電鉄新百合ヶ丘駅前に開業した複合商業施設の核店舗として、食品からファッション関連まで幅広く取り揃えると共にシネマコンプレックスのワーナーマイカルシネマズも併設した新百合ヶ丘ビブレとして開業した[121]。
- マイカルの経営再建策の一環として幅広い客層に対応出来る品揃えによる収益改善を図るため、食品売場を併設していて主婦や家族連れが中心となっているビブレをサティに業態転換することになり、当店もその対象となった[122]。
- イオンへ転換した後、2018年(平成30年)4月27日に「イオンスタイル新百合ヶ丘」へと再転換された。[要出典]
- 敷地面積約25,465.27m2[125]、鉄骨造り地下1階地上4階建て[125]、延べ床面積約61,657.32m2[125]、店舗面積約26,400m2[123](うち直営店舗面積約20,400m2[123]。
- 国道1号と神奈川県道404号遠藤茅ヶ崎線に面した日本精麦工場跡地に建設された「ニチバクビル」に出店した[125]。
- イオンへ転換された後[124]、2023年(令和5年)6月1日に「そよら湘南茅ヶ崎」として新装開店した[126]。イオンスタイル湘南茅ヶ崎はそよらの核店舗として規模を縮小し、食品・日用品・健康用品に特化した構成となった[広報 7]。
- 延べ床面積約85,127m2[128]、店舗面積約28,300m2[44](うち直営店舗面積約23,796m2[44])。
- イオンへ転換した後、建て替えを理由として2018年(平成30年)2月28日閉店[129]。建て替えを理由として閉店したが、跡地の大部分はマンション用地となり、店舗面積約999m2と標準的なマックスバリュよりも狭い食品のみを取り扱う「イオンスタイルつきみ野」が跡地の一角に2019年(令和元年)10月12日に開店した[130]。
- 延べ床面積約103,988m2[132]、店舗面積約21,239m2[132]。
- JR横浜線と相模線、京王電鉄相模原線が乗り入れる橋本駅北口の市街地再開発事業の核店舗として2000年(平成12年)3月4日に橋本ビブレとして開業[132]。マイカルの経営再建策の一環として、幅広い客層に対応出来る品揃えによる収益改善を図るため、食品売場を併設していて主婦や家族連れが中心となっているビブレをサティに業態転換することになり[122]、ビブレからの転換店舗第1号として橋本サティへ業態転換した[133]。
中部
[編集]新潟県
[編集]- 敷地面積約16,752m2[135]、4階建て[135]、延べ床面積約43,115m2[135]、店舗面積約9,000m2[83][136](うち直営店舗面積約6,600m2[136])、駐車台数約1,500台[135]。
- 燕三条駅前に出店していた[135]。
石川県
[編集]- 敷地面積約45,609m2[140]、地上3階建て塔屋付[140]、延べ床面積約66,377m2[140]、店舗面積約37,597m2[140]、駐車台数約1,800台[140]。
- 1.6km西にある白山市横江町に「イオンモール白山」が2021年(令和3年)7月19日に開業するのに先立ち、2021年(令和3年)5月31日閉店[141][142]。イオンシネマ(旧ワーナー・マイカル・シネマズ)などの一部テナントもイオンモール白山に移転した。
- 閉店後の建物は解体され、跡地には「アークスクエア御経塚」としてホームセンタームサシやヤマダデンキ、イオンスタイル御経塚からなる複合商業施設が開業した[143]
山梨県
[編集]- 鉄骨コンクリート造地上2階建て塔屋1階[148]、延べ床面積約14,021m2[148]、店舗面積約9,650m2[147]、駐車台数約1,000台[147]。
- 地元主導型ショッピングセンター「スコレーショッピングタウン」の核店舗・ニチイ石和店として開業した[147]。
- 1997年(平成9年)4月18日に石和サティに業態転換[90]。
- 2008年(平成20年)5月30日にマイカルのショッピングセンター初のマックスバリュが出店[149]。2015年(平成27年)3月14日にディスカウントストア「ザ・ビッグ」にリニューアルされている[150]。この経緯から旧マイカル店舗では唯一、総合スーパー内にディスカウントストアが出店する特殊形態で2022年現在も営業している。[要出典]
長野県
[編集]- 延べ床面積約2,880m2[3]、店舗面積約2,518m2[154](うち直営店舗面積約2,168m2[154])。
- サンマートオジマヤ駅前店[155]として開業した後、1981年(昭和56年)にアスク木曽福島店へ改称。2003年(平成15年)3月1日、アスク木曽福島から木曽福島サティに改称した。[要出典]
- 2006年(平成18年)2月4日に伊那谷と木曽谷を結ぶ権兵衛トンネルが開通してアピタ伊那店などの伊那地区の競合店が木曽地区にチラシを配布するなど競争が生じたため土日を中心に売上が減少するなどの影響を受けている[156]。
- 鉄筋コンクリート造地上3階建て・塔屋2階[157]、延べ床面積約23,559m2[3]、店舗面積約13,000m2[159](うち直営店舗面積約9,961m2[3])。
- 設置者はニチイグループのアライド信州[158](当時、後のマイカル信州[160])。店舗のある豊科町(現・安曇野市の一部)の開業当時の人口は約25,000人と少なかったものの周辺地域から需要を吸収して売上を順調に伸ばし、同レベルの人口である辰野町に辰野サティを開業させる誘引となった[161]。
- なお、豊科町(当時)の商圏人口は2009年(平成21年)には約16万5000人に増加している[162]。
愛知県
[編集]- 延べ床面積約85,359m2[20]、店舗面積約29,735m2[164](うち直営店舗面積約22,300m2[20])。
- 1999年(平成11年)3月29日にウルトラマン倶楽部や手塚治虫キャラクターショップなどの専門店や直営を中心とする食品売場を充実させた大型商業施設として開業した[165]。
- 延べ床面積約33,708m2[54]、店舗面積約25,381m2[22](うち直営店舗面積約20,024m2[54])。
- 1998年(平成10年)9月22日にシネマコンプレックスのワーナー・マイカル・シネマズ豊川やボウリング場やテーマレストランなどを併設した大型商業施設として開業した愛知県内のサティ2号店[166]。
三重県
[編集]- 敷地面積約110,595m2[167]、延べ床面積約153,358m2[167]、店舗面積約59,995m2[167]。
- マイカル桑名の3つの核店舗の1つとして開業した[168]。
- 2015年(平成27年)4月17日にマイカル桑名はイオンモール桑名として新装開店した[169]。
- 敷地面積約29,070m2[170]、鉄筋コンクリート造地上2階建て塔屋1階[170]、延べ床面積約19,838m2[170]、店舗面積約12,222m2[170](直営店舗面積約3,748m2[170])、駐車台数約1,350台[170]。
- 衣料品を販売する[172]ニチイ津店として開業[173]。ジャスコと共に核店舗として津ショッピングセンターエルに出店していたニチイ津店を1994年(平成6年)4月23日に増床して津サティに業態転換した[173]。2011年(平成23年)3月にマイカルとイオンリテールの合併に伴って「イオン津ショッピングセンター」となった[174]。
- 建て替えのため[174]2024年(令和6年)2月12日に閉店した[171]。別棟のイオンシネマ津(旧:ワーナー・マイカル・シネマズ津)は同日以降も営業を継続している[広報 8]。
近畿
[編集]滋賀県
[編集]- 敷地面積約13,953m2[175]、延べ床面積約60,908m2[175]、店舗面積約16,500m2[175] (うち直営店舗面積約12,000m2[175] )。
- 隣接地に[176]、専門店街やシネマコンプレックスのワーナー・マイカル・シネマズ近江八幡などが入居する2番街「マイカル・アクア21」が2000年(平成12年)10月6日に開業して既存の店舗とあわせた全体をマイカルタウン近江八幡として運営するようになった[177]。
- イオンモール草津の核店舗として開業[179]。イオンへ転換した後、イオンスタイル草津と改称(時期不詳)。
- 出店した時点では滋賀県内最大の規模でシネマコンプレックスなども併設されたショッピングセンターのイオンモール草津の核店舗である[179][178]。
京都府
[編集]- 敷地面積約15,335m2[180]、地上7階建て[180]、延べ床面積約59,895m2[180]、店舗面積約10,283m2[180](うち直営店舗面積約8,512m2[180])、駐車台数約1,500台[180]。
- 亀岡駅前再開発の一環で建設され、1階から3階が売り場で、4階以上は駐車場となっていた[180]。
- イオンモール高の原の核店舗として開業[182]。
- 延べ床面積約14,243m2[20]、店舗面積約8,177m2[184](直営売場面積約7,132m2[184])。
- 旧伏見店が手狭で防災上の問題も生じていたことから約100mほど離れた場所に移転し[185]、2代目の伏見店として開業[90]。
- 2020年(令和4年)12月31日をもって建て替えのため閉店[186]。なお、建て替え期間中は近隣に仮店舗として「イオン伏見プラザ店」を開設していたが、2024年(令和6年)10月15日にイオン伏見店跡地に「イオンスタイル伏見桃山」が開業するのに伴い、同年9月20日をもって閉店した[187][188][広報 9]。
- 敷地面積約5,107m2[190] → 約12,052m2[189]、鉄筋コンクリート造地上3階建て[190] → 鉄骨5階建て[191]、延べ床面積約6,682m2[190] → 約24,343m2[189]、売場面積約4,857m2[190] → 約14,142m2[189](直営売場面積約11,072m2[189])。
- ニチイ向日町店として開業[192]した後、増築・改装のため一旦営業を休止し、[要出典]1981年(昭和56年)11月18日に再開業した[90]
- 1997年(平成9年)4月19日に売場面積を約1.5倍増床して専門店などを導入し、サティに業態転換した[193]。
- 2004年(平成16年)から毎年1回アルバイトを含めた従業員が、使い古しのタオルで作ったぞうきんなどを店舗周辺の福祉施設に寄贈するなどの活動を行っている[194]。
- 2014年(平成26年)12月25日時点で専門店が34店出店していた[191]。
- 2015年(平成27年)5月31日閉店[195]。閉店後の建物は解体され、跡地は分譲マンションが併設された複合施設となり、1階と2階はグループ会社のダイエーが運営する「イオンフードスタイル東向日店」が入居し、2018年(平成30年)4月21日に開業、3階と4階は向日市役所の東向日別館となった[広報 10]。
- 敷地面積約11,046m2[196]、鉄筋コンクリート造地上4階建て[196]、延べ床面積約22,192m2[196]、店舗面積約15,726m2[196](当社店舗面積約11,308m2[196])、駐車台数約600台[196]。
- ニチイ大久保店(1961年開業、1969年建替の大久保100番館。後に平和堂へ譲渡。宇治市広野町西裏100)として開業。それに代わる2代目の[要出典]ニチイ大久保店として[198]、オークボスポーツレーンの跡地に開業[要出典]。
- 近鉄大久保駅近くに位置した4階建ての店舗[199]。2015年(平成27年)11月30日時点で専門店が27店出店し、1階が食料品売り場で、2階~4階が衣料品や日用品の売り場となっていた[199]。
- 2016年(平成28年)5月31日閉店[広報 11]。跡地は京都府城陽市に所在した「ほうようリハビリテーション病院」が「宇治リハビリテーション病院」として新築移転され[200]、2023年(令和5年)7月1日に開院した[201]。
大阪府
[編集]- 敷地面積約27,939m2[202]、鉄骨造地下1階・地上5階建て[202]、延べ床面積約68,809m2[202]、店舗面積約20,243m2[202](うち直営店舗面積約10,650m2[202])。
- 2001年(平成13年)1月1日に開業したマイカル茨木(現・イオンモール茨木)の核店舗の一つとして、ビブレ茨木などと共に開業した[203](なお、茨木ビブレは2015年(平成27年)2月28日をもって閉店している[要出典])。
- イオンへ転換した後、2015年(平成27年)4月29日に「イオンスタイル茨木」に再転換している。[要出典]
- 敷地面積23,598.21m2[205]、地下1階・地上8階建て[205]、延べ床面積27,829.573m2[205]、店舗面積約14,000m2[20](うち直営店舗面積約11,178m2[20])。
- 北千里ビブレとして開業[133]したが、店舗周辺の狭商圏を対象として総菜や野菜などの食品を充実させると共に衣料品の商品構成を見直し、2003年(平成15年)2月27日にサティへ業態転換した[133]。
- 延べ床面積約25,322m2[3]、売場面積約7,686m2[207] → 店舗面積約14,160m2[3](直営売場面積約6,700m2[207] → 約12,044m2[3])、駐車台数約460台[207]。
- 敷地面積約11,765m2[208]、鉄筋コンクリート造地上5階建て[208]、延べ床面積約28,165m2[208]、店舗面積約13,290m2[208](当社店舗面積約8,200m2[208])、駐車台数約700台[208]。
- 2019年(令和元年)5月19日閉店[209]。閉店後の建物は撤去され、跡地にはイオンリテール運営の「そよら新金岡」が開業した[広報 12]。そよら業態としては、海老江に続く2店舗目の出店[広報 12]。
- 敷地面積8,427m2[210]、地下1階・地上15階建て[211]、延べ床面積約48,791m2[210]、店舗面積約25,130m2[210](うち直営店舗面積約10,827m2[20])。
- 1990年(平成2年)4月に京阪電鉄枚方市駅前の再開発事業で建設されたショッピングセンター「ビオルネ」[212]の核店舗、枚方ビブレとして開業[213]。2008年(平成20年)2月27日にサティへ業態転換した[213]。
- 当店の入居するショッピングセンター「ビオルネ」を管理・運営する枚方市の第三セクターのビオルネは競合店対策の改装費用の負担や競合に伴う売上減少を受けて2010年(平成22年)9月6日に大阪地方裁判所に民事再生法の適用を申請して同日保全命令を受けた[214]。
- 敷地面積57,290m2[215]、延べ床面積約38,239m2[215] → 約69,657m2[3]、店舗面積約31,630m2[3](うち直営店舗面積約17,779m2[3])。
- 地元主導型ショッピングセンター「トーク岸和田」の核店舗として、ニューキャッスル協同組合や「株式会社トーク岸和田」と共同で管理を行う形態で開業した[215]。
- JR東岸和田駅近くに出店しており、1994年(平成6年)にニチイから「東岸和田サティ」に転換して映画館やスポーツ施設なども併設した複合商業施設となった[216]。1999年(平成11年)3月10日には店舗面積を約10,000m2増床して新装開業した[216]。
- 2020年(令和2年)8月31日閉店[広報 13]。閉店後の建物は撤去され、跡地にはイオンリテール運営の「そよら東岸和田」が2023年(令和5年)9月26日に開業した[広報 13][217]。
- 敷地面積7,968.94m2[220]、鉄骨鉄筋コンクリート造地下2階・地上18階建て[218]、延べ床面積67,095.91m2[220]、店舗面積約15,927m2[218](うち直営店舗面積約12,460m2[218])、駐車台数約1,000台[218]。
- 東大阪市の近鉄奈良線・布施駅前の布施駅北口第一地区第一種市街地再開発事業として開発された[220]複合施設ヴェル・ノール布施の核店舗として1996年(平成8年)3月1日に布施ビブレを開業し[218][219]、2008年(平成20年)3月28日に改装して布施駅前サティに業態転換した[221]
兵庫県
[編集]- 敷地面積約47,658m2[222]、延べ床面積約157,056m2[222]、店舗面積約45,088m2[222]。駐車台数約4,000台[222]。
- JR大久保駅の南側で神戸製鋼所が事業主体として開発が進められたニュータウンである「オーズタウン」の中核施設として[224] 1997年(平成9年)10月23日に開業したマイカル明石の核店舗の1つとして明石ビブレやシネマコンプレックス等と共に開店した[223]。
- 敷地面積約27,000m2[225]、延べ床面積約35,853m2[225]、店舗面積約17,767m2[225](直営店舗面積約11,550m2[225])。
- 淡路市南部にある人工島の志筑新島に立地する[227]ショッピングセンター「アル・クリオ」の核店舗で[226]、地元の商業者による専門店街が併設されており[228]、マイカルの経営破綻後に専門店街のうちの6店が廃業して本社にサティの店舗存続を求める状況が生じたが閉店を免れた[228]。
- 店舗に隣接する大手総合商社などのリゾート計画がとん挫した跡地で進められた「850人が暮らす日本のフロリダ」を目指した構想の第1弾として2004年(平成16年)春に開業した182室の高齢者住宅の入居率が2005年(平成17年)4月で50%に達せず2期工事着工のめどが立たない等店舗周辺の開発はかつての構想より大幅に遅れている[227]。
- 2005年(平成17年)10月14日から18日まで淡路島の食材にこだわった特産品を製造する業者でつくる「淡路島物産協会」の特設販売コーナーを開設されて特産品の販売が行われた[229]。
- 敷地面積約28,000m2[230]、鉄筋コンクリート造地上2階建て[230]、延べ床面積約14,647m2[230] → 約34,662m2[3]、店舗面積約5,939m2[230](当社店舗面積約4,500m2[230]) → 約21,745m2[3](うち直営店舗面積約14,500m2[3])、駐車台数約740台[230]。
- 神姫バス小野営業所跡に建設された建物を賃借して出店した[231]ニチイ小野店を店舗面積2倍強に増床して1992年(平成4年)11月20日に小野サティへ飲食やサービス部門も増強して業態転換した店舗である[232]。
- 建て替えのため、2025年(令和7年)1月15日をもって一時閉店する予定[233]。
- 敷地面積約46,816.73m2[234]、鉄筋コンクリート造地上3階建て塔屋1階[234]、延べ床面積約34,504.97m2[234] → 約58,748m2[20]、店舗面積約14,935m2[236](当社店舗面積約10,535m2[236]) → 約33,286m2[20](うち直営店舗面積約21,471m2[20])、駐車台数約1,100台[236]。
- 日本製麻兵庫工場跡地の一部を鹿島建設が買収して開発したショッピングセンターに出店していた[237]。
- 一部を加工側商工会議所などが出資して設立した第三セクターの「加古川商工開発」が買い取って地元業者が出店する加古川方式で注目された[237]。
- 1994年(平成6年)9月21日に増床して「加古川サティ」として新装開店した[238]。
- 国道2号に面しており[239]、開業時は地域唯一の大型店だったためニチイグループ2位の売上高を誇ったこともある有力店舗だったが、マイカルの経営破綻後には商品調達が出来ずに客数が30%近く減少するなど破綻の影響を大きく受けた店舗の一つとなった[228]。
- 2006年(平成18年)11月1日に加古川市の総合窓口業務を行う「東加古川市民総合サービスプラザ」が開設され、各種の証明の交付・申請や届け出書類の受付から公金の収納などの市役所の窓口機能を年末年始と偶数月の第三土曜日を除く当店の営業日は毎日市民が利用できるようになった[239]。
- 延べ床面積約61,625m2[20]、店舗面積約25,298m2[20](うち直営店舗面積約17,716m2[20])。
- 三田市のニュータウン内に[228] 第三セクターの北摂コミュニティ開発センターが建設した「センチュリーRIVA!」の核店舗として自社直営の物販の売場が中心の一番街とシネマコンプレックスのワーナー・マイカルシネマズやレストラン街が入居する別館の二番街からなる複合型ショッピングセンターとして2000年(平成12年)11月1日に開業した[240]。
- 敷地面積約32,993m2[242]、地上5階建て[242]・延べ床面積約72,646m2[242]、店舗面積約23,578m2[242](うち直営店舗面積約15,000m2[242])。
- 第2次世界大戦前に外国人居留地として開発された通称ジェームス山と呼ばれる住宅地の小高い山の上に1997年(平成9年)6月6日に開業した店舗で[244]、ボウリング場やスポーツクラブ、レストラン街やフードコートなどサービス施設を充実させると共に[243] 明石漁港も近いため比較的舌の肥えた住民の多い土地柄とされることを考慮した品揃えを行っていた[244]。
- 敷地面積約9,796m2[248]、地下1階地上5階建て[245]、延べ床面積約24,166.28m2[245]、店舗面積約10,300m2[247]。
- 神戸市西区の住宅街にある神姫バスが保有していた[249]神姫西神ショッピングセンターの核店舗として[246]出店していた[249]。
- 店舗の土地建物は日本エスコンに2014年(平成26年)4月に譲渡され[248]、同年12月31日閉店[249]。跡地に「ケーズデンキ西神戸店」が建設された[250]。
- 敷地面積約33,300m2[252]、鉄筋コンクリート造地上2階建て[252]、延べ床面積約21,677m2[252] → 約26,332m2[20]、店舗面積約11,023m2[252](当社店舗面積約6,580m2[252]) → 約18,976m2[20](うち直営店舗面積約10,762m2[20])、駐車台数約900台[252]。
- 東洋紡績工場跡地の再開発事業として姫路市が推進した「北部副都心計画」の核店舗として出店した[254]。
- 鉄骨造2階建て塔屋付[255]・延べ床面積約10,945m2[255]、店舗面積約8,636m2[255]。
- サティの食品売場のノウハウを集約した食品専門店[257]サティ食品館として[258]1994年(平成6年)5月1日に三木サティ食品館として開業し[257]、周辺の住宅開発の進展など商圏環境の成熟化に対応して食品館の市道を挟んだ[258]向かいの敷地に別棟方式で衣料品・住関連売場を増築して衣食住のフルライン店舗へ改装して[259] 1998年(平成10年)9月3日に三木サティとして開業した[258]。
奈良県
[編集]- 敷地面積3,824m2[261] → 約5,412m2[260]、鉄筋コンクリート造地下1階地上2階一部3階建て[261]、延べ床面積4,342m2[261] → 約14,842m2[260]、売場面積約3,253m2[261] → 売場面積約7,023m2[207](直営約5,919m2[207]) → 売場面積約8,151m2[260](当社店舗面積約6,792m2[260])、駐車台数約340台[207] → 約100台[260]。
- 敷地面積約17,117m2[262]、鉄筋コンクリート造地上2階建て[262]、延べ床面積約11,910m2[262] → 約18,933m2[146]、店舗面積約7,932m2[262](当社店舗面積約5,758m2[262]) → 約12,909m2[146](うち直営店舗面積約10,040m2[146])、駐車台数約460台[262]。
- 1970年頃から開発が進んだ西大和ニュータウンの中核商業施設[264]、ニチイ西大和ショッピングデパートとして開業[263]、1993年(平成5年)10月に西大和サティに業態転換[265]。2000年(平成12年)12月1日にはシネマコンプレックスが開業した[266]。
- 地域の高齢化や、競争の激化により2001年頃から売上高は減少し[264]、2021年(令和3年)7月31日をもって閉店[267]。隣接のイオンシネマ西大和(旧ワーナー・マイカル・シネマズ)は営業を継続していたが、賃貸契約の満了に伴い2022年(令和4年)8月21日に閉館[268][269]。
- 跡地はアーク不動産が取得し、2024年7月17日にコーナン西大和店、コーナンPRO西大和店が開業[270]。同年7月26日にはオークワ西大和店が開業した[270]。イオンシネマ西大和の跡地については別業者が取得し、中古車買取販売店のリバティ西大和店などが開業している[270]。
中国
[編集]鳥取県
[編集]- 敷地面積約14,286m2[271]、地上5階建て[271]、延べ床面積約48,585m2[271]、店舗面積約17,860m2[271](うち直営店舗面積約8,500m2[271])、駐車台数約1,300台[271]。
- 1階が食品と日用雑貨、2階がファッション、3階が子供用品・住関連の売場と米子サティ東宝(1・2・3)で、4階がエグザスなどスポーツ・健康フロアとなっていた[271]。
- 米子サティ(初代) → 米子ビブレ(2001年(平成13年)2月25日に閉店[272]) → 米子駅前サティ(2001年(平成13年)3月に再びサティとして開業[272])
- 1990年(平成2年)6月29日に米子駅前に(株)米子ニチイにより開店[273]。グループ企業再編により、(株)サンインニチイ→(株)マイカルサンインの経営から、1996年(平成8年)3月13日に米子ビブレに業態転換に伴って(株)マイカルに移管されて直営店舗となる[274]。再度サティに業態転換したが、現在のホープタウンが「(2代目)米子サティ」を名乗っていたため店名を「米子駅前サティ」[275] とした。
- 2003年(平成15年)に経営破たんしたマイカルへの支援と市民の交流の場の提供を兼ねて米子市が4階に「市民交流広場」を開設していたが、2004年(平成16年)~2007年(平成19年)の年間利用日数が98~127日と低迷していた上マイカルがイオンの傘下に入って経営を支援する必要がなくなったとして2008年(平成20年)12月末で廃止とされた[275]。
- JR米子駅前であるが郊外店舗への対抗策として店舗併設の米子市開発公社が所有する立体駐車場を無料としていたが、買い物客や施設利用者以外も無償で駐車出来て近隣と不公平になっているとして有料化する方針であることが2009年(平成21年)6月10日開かれた米子市の第三セクター米子駅前開発の株主総会で明らかになった[276]。
- 2015年(平成27年)10月移転では、店舗の敷地と駐車場棟は一般財団法人「米子市開発公社」が所有し、建物は第三セクターの「米子駅前開発」が所有して全館を賃貸しているが、赤字縮小のためにイオンリテールが約4.81億円で取得した後、米子市に無償で譲渡して再賃貸することを希望している[277]。
- しかし、この所有形態の変更に伴うリスクとして老朽化の進んだ建物の維持管理費増大や、将来的な賃料収入の見込みが不明朗なことなどの問題点を指摘する批判がなされている[277]。
島根県
[編集]- イズミが店舗面積33,498m2のゆめタウン出雲を出店することやジャスコ日吉津店が店舗面積36,589m2へ増床する動きに対抗して[279]、既存店舗の北側に繋げてL字形となるように8,584m2の増床を行って店舗面積30,893m2へ拡大すると共に飲食店やフードコートなどの飲食関連の充実や直営の食品売り場拡大を図る計画を2008年(平成20年)2月7日に大規模小売店舗立地法に基づいて島根県に届出を出し[280]、2008年(平成20年)9月27日に増床して専門店を30店舗増やして100店舗とすると共に直営の食品売場などを拡張してリニューアルオープンした[281][282][283]。
- 2020年(令和2年)4月24日に直営売場の改装に伴い、「イオンスタイル松江」へ転換。[要出典]
- 敷地面積約9,554m2[284]、鉄骨鉄筋コンクリート造地上4階建て塔屋1階[284]、延べ床面積約10,453m2[284]、店舗面積約7,911m2[287]。
- 1975年(昭和50年)11月29日に開業したサンプラザマルシン(核店舗は広電ストア運営による「ひろでん益田店」)が前身である[288]。広電ストアが経営権をマイカルサンインに委譲し[286]、建物を改築して[要出典]1996年(平成8年)11月に益田サティとなった[287]。
広島県
[編集]- 敷地面積約17,067m2[289]、鉄筋コンクリート造地上2階建て塔屋1階[289]、延べ床面積約21,929m2[289]、店舗面積約10,607m2[289](当社店舗面積約7,676m2[289])、駐車台数約600台[289]。
- (2代目)ニチイ尾道店として開業し[291]、1994年(平成6年)6月に尾道サティへ業態転換した[292]
- 老朽化のため、2019年(平成31年)2月28日閉店[292]。閉店後、建物は解体され、2020年(令和2年)9月18日に「イオンスタイル尾道」として開業[292][293]。
- 敷地面積約5,300m2[295]、鉄筋コンクリート造地上5階建て塔屋1階[295]、延べ床面積約10,435m2[295]、店舗面積約9,377m2[295](当社店舗面積約6,400m2[295])、駐車台数約500台[295]。
- 商店街から約1㎞離れた国道2号と国道31号の交差点付近に郊外型ショッピングセンターとしてNAC加盟の地元スーパー「三浦ストアー」を核店舗として開発が進められ[296]、ニチイ海田ショッピングデパートとして開業[90]、1994年(平成6年)9月20日にサティへ業態転換した。
- 2018年(平成30年)2月28日閉店[297]。閉店後の建物は解体され、マックスバリュ海田店として開業[298]。
- 敷地面積約6,103m2[301]、鉄筋コンクリート造地下1階地上2階建て[301]、延べ床面積約20,410m2[20]、店舗面積約8,837m2[20](うち直営店舗面積約5,080m2[20])。
- 廿日市駅から西へ約1.5㎞の日本製麻工場跡地にニチイ廿日市ショッピングデパートとして開発され[301]、1990年(平成2年)5月23日にサティへ業態転換した。
- 2014年(平成26年)4月30日閉店[302]。
- 店舗跡は廿日市市が土地建物を約13.1億円で取得し、隣接するJA広島総合病院と合わせて地域医療拠点として整備する計画が進められている[302]。
山口県
[編集]- 敷地面積約16,112m2[305]、鉄筋コンクリート造地上3階建て[305]、延べ床面積約27,184m2[305]、店舗面積約6,909m2[305](当社店舗面積約4,459m2[305])、駐車台数約630台[305]。
- JR防府駅前にニチイ防府店として[306]1982年(昭和57年)4月1日に開業し[90]、宝酒造が防府工場跡地に建設した宝酒造防府ビルを借りて[307]1999年(平成11年)3月2日に店舗面積を約3倍に増床して食品部門などの物販を拡充すると同時にシネマコンプレックスやレストラン街などを導入して大規模化と総合化を図ってサティへ業態転換し[306]、2003年(平成15年)9月20日に寿司や弁当、揚げ物、惣菜などの売場を一箇所に集約してデリカゾーンとするなど生活場面を想定した売場編集の見直しを行って買い回り性の向上を狙った改装を行った[308]。
- 2011年(平成23年)3月1日にイオンリテールとマイカルが経営統合したことに伴ってイオン防府店に名称が変わる際には食品売り場の改装を行った[309]。
四国
[編集]香川県
[編集]- 敷地面積約16,788.24m2[313]、鉄骨鉄筋コンクリート造・一部鉄骨造・壁式プレキャスト鉄筋コンクリート造地上8階建て[313]、延べ床面積約83,026.92m2[313]、店舗面積約18,078m2[314]。
- JR坂出駅前にニチイ坂出店として開業。建物を改築し、1992年(平成4年)10月23日に[314]坂出サティとして増床して新装開店した[315]。
- 坂出駅前再開発計画に伴う建て替えのため、2024年(令和6年)2月29日をもって閉店した[316][317]。閉店後は建物を取り壊した上で、新店舗として出店する計画がある[318]。
- 敷地面積約35,800m2[323]、延べ床面積約84,000m2[323]、店舗面積約22,316m2[321](うち直営店舗面積約16,000m2[321])、駐車台数約2,000台[321]。
- 西日本放送のグラウンド跡地に[323]同社が建設したショッピングセンターの核店舗として出店しており[324]、同社のサテライトスタジオ「サティデュオ BOX」が開業時に開設された[325]。
- 2005年(平成17年)6月に子ども用品を専門とする「キッズプラザ」を開設して家族連れの集客力を高め、2007年(平成19年)2月23日に地場の野菜や果物の産直コーナー、香川県産の魚類を使った干物コーナーを設置すると共に、四国の地酒や焼酎の取り扱いを増やすなど、地場産品の取り扱いを増やすなど食品部門を強化し、有名ブランドのコーナーの拡充やスキンケアなどのカウンセリングを充実させるなどして、化粧品売場の専門性を高めるなどの改装を行った[326]。
愛媛県
[編集]- 延べ床面積約27,512m2[20]、店舗面積約13,619m2[20](うち直営店舗面積約10,928m2[20])。
- 2003年(平成15年)3月21日に地場商品の食品の取り扱いの強化やファッション衣料でのブランド品の品揃えの充実などを中心とした改装を行ってリニューアルを行った[328]。
- 2024年(令和6年)11月15日に四国初の都市型ショッピングセンター「そよら今治馬越」として大幅なリニューアルを施されて再オープンした[329]。直営売場は「イオンスタイル今治馬越」に店名変更され、食品・化粧品・キッズ用品を重点的に取り扱う[329]。
高知県
[編集]- 敷地面積約29,965m2[330]、鉄筋コンクリート造地上3階建て塔屋1階[330]、延べ床面積約17,991m2[330] → 約24,069m2[20]、店舗面積約9,953m2[330](当社店舗面積約6,506m2[330]) → 約13,217m2[20](うち直営店舗面積約11,486m2[20])、駐車台数約530台[330]。
- 高知市街地西側の国道沿いの[332]高知パルプ跡地に[333]、ニチイ高知ショッピングデパートとして開業[331][90]、1991年(平成3年)にサティへ業態転換[331]。
九州
[編集]福岡県
[編集]- 敷地面積約19,806m2[334]、鉄筋コンクリート造地上4階建て塔屋2階[334]、延べ床面積約19,079m2[334]、店舗面積約13,098m2[334](直営店舗面積約10,074m2[334])、駐車台数約600台[334]。
- ニチイ大野城店として開業[335]、1998年(平成10年)にサティへ転換[335] 。
- 徳力サティ※✩×(北九州市小倉南区守恒2丁目8-8[336]、1979年(昭和54年)10月23日開業[337][338] - 2017年(平成29年)8月31日閉店[広報 14]、イオン徳力店[339])
- 敷地面積約18,843m2[342]、鉄筋コンクリート造地上3階建て塔屋1階[342]、延べ床面積約27,882m2[342]、店舗面積約14,071m2[342](当社店舗面積約11,272m2[342])、駐車台数約550台[342]。
- ダイエー原店の撤退後、改装工事を行った上でサティとして開業[343]。
- 2019年(平成31年)1月31日閉店。店舗は建て替えられ、閉店時の核店舗の名称を引き継いだ「(2代目)イオン原店」として2020年(令和2年)11月19日開業[広報 15]。
- 鉄筋コンクリート造一部鉄骨造地上2階建て塔屋1階[344]、延べ床面積約12,342m2[344]、店舗面積約8,794m2[344](当社店舗面積約6,711m2[344])、駐車台数約580台[344]。
- ニチイ粕屋店として開業。2000年(平成12年)4月23日に建物を改築し、サティへ業態転換[345]。
- 延べ床面積約105,313m2[20]、店舗面積約29,302m2[20](うち直営店舗面積約21,302m2[20])。
- 2010年(平成22年)4月23日に直営売場を「戸畑サティ」から「イオン戸畑店」に名称変更し、5月28日にイオン戸畑ショッピングセンターとして開業した[346][広報 16]。
佐賀県
[編集]- 店舗面積約21,200m2[320]
- 1996年(平成8年)9月28日に九州初のシネマコンプレックスとしてワーナー・マイカル・シネマズ上峰が当店に併設されて開業したが[349]、佐賀市や福岡県久留米市などに相次いで競合するシネマコンプレックスが開業して競争が激化している中で最新技術の3D映像に対応できない上に老朽化しているとして2010年(平成22年)2月28日に閉館となり[350]、イオン上峰店も売り上げの減少や建物の老朽化により2019年(平成31年)2月28日に閉店した[351]。
鹿児島県
[編集]- サンシティ・リブレとして開業、2000年(平成12年)にサティへ店名変更。
- 2016年(平成28年)2月14日閉店[広報 17]。同年3月10日に隣接地に建設したイオンタウン姶良の核店舗として「イオン姶良店(2代目)」が開業した[353]。
- 延べ床面積約29,000m2[3]、店舗面積約18,000m2[354][3](うち直営店舗面積約13,000m2[3])。
- 隼人町見次地区に国分・隼人地区で2002年(平成14年)10月時点で最大の売り場面積18,000m2を持ち、優良進出企業を擁するテクノポリスの存在するために根強い経済力を誇っていた国分・隼人地区をバックにマイカルの民事再生法適用申請を受けて経営再建に入った後も売上げは順調に推移してマイカル九州の店舗網のなかでも最優良店と位置づけられていた[355]。
閉鎖された店舗
[編集]「サティ」から閉店せずに「イオン」に改称した店舗については「イオンに改称された店舗」を参照。
北海道
[編集]すべて旧マイカル北海道(後のポスフール、現イオン北海道)が運営していた。この項ではポスフールに改称する前の閉鎖店舗について述べる。
- 旧・ヤマダイ[357]。
- 店舗面積500m2に満たない小型店だった[359]。
- 株式会社とくちが既存店を閉鎖して移転する形で、新興住宅地に「栗山ファミリーデパート」として開店した[364]。
- 1階が食品売り場で、2階が衣料品売り場となっていた[364]。
- 店舗跡には、1998年(平成10年)3月に北雄ラッキーの「ラッキー栗山店」が開業した[365]。
- 敷地面積約14,690m2[366]、鉄筋コンクリート造地上4階建て[366]、延べ床面積約29,375m2[366]、店舗面積約6,900m2[366](直営店舗面積約6,000m2[366])、駐車台数約300台[366]。
- 地下鉄大谷地駅・大谷地バスターミナルと直結して三井不動産が開発した「シティアベニューショッピングセンター」の核店舗であるニチイ大谷地ショッピングデパートとして開業した[370]。プールやホールを併設していた[367]。1999年(平成11年)10月8日に増床し、サティへ業態転換した[371]。
- 当店は閉店が決まっていたため、道内他店が「ポスフール」に改称された2002年(平成14年)5月以降も「サティ」ブランドを継続していた。
- 閉店後、2003年(平成15年)4月16日に札幌東急ストア(現・東光ストア)が1階の核店舗で[372]ツルハが2階の核店舗となる複合商業施設「キャポ大谷地」が開業した[373]。
- 敷地面積約20,200m2[374]、鉄筋コンクリート造地下1階地上4階建て塔屋1階[374]、延べ床面積約18,242m2[374]、店舗面積約10,263m2[374](当社店舗面積約6,581m2[374])、駐車台数約50台[374]。
- 閉店後、2005年(平成17年)6月に津司が「卸スーパー」を開店し[376]、同年9月1日にオカモトグループの大型ゲーム施設「ヴァリオス手稲店」が開店した[377]が、後に閉店。その後同グループのジョイフィット札幌手稲が入居したが、2015年(平成27年)12月31日をもって撤退[広報 19]。その後2017年までに建物新築のため解体され[378]、同年12月28日に[広報 20]パチンコホール「KEIZ手稲店」が跡地に開業した[379]。
- 閉店後の店舗は北雄ラッキーが買収し[382]、2001年(平成13年)3月9日に北雄ラッキー新琴似四番通店が開業[383]。
- 店舗面積約3,265m2[384]。
- マイカル北海道では初のサティ食品館業態の店舗として開業した食品主体のSSM店舗だった[380]。
東北
[編集]1996年(平成8年)7月1日に東北ニチイからマイカル東北に商号を変更した[387]。 マイカル東北の運営店舗のうち、優良店舗7店は2001年(平成13年)9月1日付でマイカル本体に移管。直後にグループは破綻。残りの店舗の内、イオングループの店舗と隣接していた横手サティを除き不採算店舗としてすべて閉鎖し、その後会社清算となった。
青森県
[編集]- 売場面積611m2[390]。旧・武田ストア店舗[391]。
- 閉店後の建物はそのまま、スーパーマーケット「亀屋みなみチェーン食彩館旭町」が入居したが、後に閉店。[要出典]
- 現在は、スーパーマーケット「マエダストア旭町店」が入居している。[要出典]
- 延べ床面積約12,075m2[396]、店舗面積約7,407m2[396](直営店舗面積約6,469m2[396])。
- 青森ニチイが運営する八戸ショッピングプラザとして八戸市中心部に出店していた[398]。
- 東北ニチイグループの第一号店として開店し、1977年・78年のピーク時には年間売上高が38億円に上った[399]が、中心街での相次ぐ競合店の開業、景気低迷や郊外型大型店の進出などのあおりを受け、1994年度の売上高は最盛期の約半分である20億円を割り込むまでに悪化した[399]。
- 閉店2年前の1994年(平成6年)には、開店当初から入居し地下食品部門を担当していたユニバースニチイ店が撤退し[400]、同年暮れには三陸はるか沖地震の影響で老朽化した建物が深刻なダメージを受けるなど、店舗としての機能が減退していた[399]。
- 一時期サティへの業態転換に向けて検討が重ねられていたが、現店舗では敷地面積や駐車場の不足などによって増改築が出来ず、店舗展開上の最低条件を満たせないことから断念された[401]。
- 売場面積5,663m2[388]。
岩手県
[編集]- 5階建て[403]、売場面積2,833m2[403](直営売場面積2,396m2[392])。
- 1919年(大正8年)8月に飯塚洋服店として創業し、1949年(昭和24年)12月に有限会社飯塚商店を設立[404]。1952年(昭和27年)8月27日に株式会社飯塚テーラーを設立して、1955年(昭和30年)に準百貨店を開業し、1956年(昭和31年)1月に株式会社飯塚に商号を変更した[405]。1971年(昭和46年)10月に(初代)株式会社飯塚商店を合併して(2代目)株式会社飯塚商店に商号を変更した[406]。同年11月に[407]ニチイと共に「岩手ニチイ」を設立し[408]、1972年(昭和47年)5月1日に山田百貨店・尾張屋・浦和着物センターと共にニチイに吸収合併された[409]。
- 1979年(昭和54年)[410]に盛岡市三本柳にあった店舗で[411]、当初は盛岡近郊における店舗面積13,000m2を誇る郊外型大型店の先駆けとして開店した[410]ニチイ都南店(後の盛岡南サティ)があったが、2006年(平成18年)3月31日に閉店した[412]。
- パブリックイイヅカ(盛岡市、 - 1993年(平成18年)1月下旬閉店[413])
- 大通商店街のほぼ中央にあった5階建ての東北ニチイが経営する衣料品店ビルだったが、老朽化を理由として閉店となった[413]。
- 売場面積280.5m2[414]。
- 東北ニチイ・エルメ(盛岡市中ノ橋通1-15-22[397])
- 売場面積386m2[397]。
- ハロービビ(1998年(平成10年)[415]2月閉店)
- マイカル東北が経営していた服飾専門店[415]。
- 盛岡南サティ(初代)✩×(盛岡市三本柳5地割字百目木21[416]、1979年(昭和54年)4月27日開業[417] - 2006年(平成18年)3月31日閉店[412]、ニチイ都南店 → 盛岡南サティ)
- 敷地面積約40,198m2[417]、鉄筋コンクリート造地上3階建て[417]、延べ床面積約31,276m2[417]、店舗面積約12,536m2[417](当社店舗面積約7,700m2[417])、駐車台数約1,020台[417]。
- 閉店時の直営店舗面積約8,275m2[412]
- 盛岡市三本柳にあった店舗で[411]、1979年(昭和54年)に開店した当初は盛岡近郊における店舗面積13,000m2を誇る郊外型大型店の先駆けとして[410]、盛岡市南部の都南地区の中核的な商業施設だった[418]。そのため、順調に売上を伸ばし[410]、1998年(平成10年)に売上高約70億円を上げていたが競合する大型店の出店などの影響で2003年(平成15年)に売上高約40億円に落ち込んで約1.5億円の赤字となるなど業績が低迷すると共に老朽化に伴う修繕費が毎年6000万円かかるようになったため[410]、業績の回復が困難だとして2006年(平成18年)3月31日に閉店した[411][410][418]。
- マイカル東北が運営していたが2001年(平成13年)9月にマイカルに営業譲渡されて本体直営店の一つとなった[8]。
- 建物は2009年(平成21年)4月末に解体に着手して秋までに更地にされた[419]。この店舗は、上述のマイカル本体へ移管された店舗であった。跡地にはケーズデンキ新盛岡南店(運営はデンコードー)が[418]2011年(平成23年)7月28日にオープンした[広報 22]。
- 旧店舗閉店後の2006年(平成18年)9月15日に開店したイオン盛岡南ショッピングセンター(現:イオンモール盛岡南)内のサティ(現在のイオン盛岡南店)とは別店舗。
- 丸光釜石店として開業し[421]、東北ニチイが営業を継承した[423]。
- 店舗面積約3,673m2(うち直営店舗面積約3,493m2)[424]、延べ床面積約6,055m2[424]。
- 店舗跡は取り壊されて空地となっていたが2017年に釜石市民ホールが完成[423]。
- 売場面積3,742m2[427]。
- 駅前通りと大町商店街の交差点角に出店していた地場資本の百貨店千葉久がニチイと資本提携したもの[426]。
- 1986年(昭和61年)12月に「株式会社たから屋」が「一関ショッピングデパート」と合併して「サントーホー」に商号を変更した[428]。
- 江刺サティ✩(江刺市岩谷堂下惣田96-2[429]、1986年(昭和61年)10月25日開業[429] - 2002年(平成14年)8月31日閉店[430]、 旧・ニチイ江刺店 → 江刺サティ → ジャスコ江刺店 → イオン江刺店)
- 敷地面積約13,318m2[429]、鉄骨鉄筋コンクリート造地上2階建て塔屋1階[429]、延べ床面積約7,425m2[429]、店舗面積約5,846m2[429](当社店舗面積約4,500m2[429])、駐車台数約310台[429]。
- 江刺市初の大型店として「ニチイ江刺ショッピングデパート」として開業したのが始まりである[431]。
- マイカル東北が2001年(平成13年)9月18日に民事再生法を申請した時点で引き続き運営していた店舗の1つだった[8]。
- 宮古サティ✩(宮古市栄町5-1-2スカイビル[432]、1980年(昭和55年)11月25日開業[433]、2002年(平成14年)8月31日に閉店[434]。旧・宮古ファミリーデパート玉木屋 → サンホーユー宮古店 →ニチイ宮古店 → 宮古サティ)
- 店舗面積約5,500m2[432]、延べ床面積約10,572m2[384]。
- 1920年(大正9年)に寺崎孫七郎が創業して1952年(昭和27年)9月に「合資会社玉木屋商店」を設立した[435]。1963年(昭和38年)2月に店舗が焼失し、同年9月に「株式会社玉木屋」を設立して、同年11月に宮古市末広町2-1に新店舗を建設して事業を承継した[436]。1966年(昭和41年)1月28日に宮古市末広町2-5に「スーパーストア玉木屋」を開店した[437]。
- 1980年(昭和55年)5月16日に「株式会社宮古ファミリーデパート」を設立し[438]、同年11月25日に開店した[433]。
- マイカル東北が2001年(平成13年)9月18日に民事再生法を申請した時点で引き続き運営していた店舗の1つだった[8]。
- 店舗跡地はテナントを集めた商業施設として利用することになり[439]、2003年(平成15年)12月12日にキャトル宮古として開業し[440][441]、2004年(平成16年)1月17日に宮古駅側の入口も完成して完全な形で開業した[442]。しかし、キャトル宮古は新型コロナウイルス感染症の拡大による経営不振で2021年12月10日に閉店[443][444]。建物は宮古市が取得し、再開発を行う方針を示している[444]。
- 店舗面積約280m2[432]。
- 店舗面積約369m2[432]。
- 敷地面積約7,351m2[451]、地上3階建て[451]、延べ床面積約17,253m2[384]、店舗面積約6,232m2[449](当社約3,527m2[451])、駐車台数約450台[451]。
- ニチイが70%・玉木屋が30%を出資して設立した「岩手ファミリーデパート」が「遠野ショッピングセンターとぴあ」の核店舗として開業時の店舗面積約3,527m2で出店した[451]。テナント30のうち岩手県外はわずか3社で地元の遠野市からの業者が22社と地場の店舗が大半を占めており、2階中央の展示などに使われる「とぴあホール」などのコミュニティ施設も併設していた[451]。
- マイカル東北が2001年(平成13年)9月18日に民事再生法を申請した時点で引き続き運営していた店舗の1つだった[8]。
- 閉店後の建物はそのまま、スーパーマーケット「キクコーストア」を核店舗とした「遠野ショッピングセンターとぴあ」が2002年(平成14年)12月1日[452] に開業した。
- 2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震の影響で、遠野市役所本庁舎が多大な被害を受けたため、当施設の2階部分を改装し、役所機能の一部を「遠野市役所とぴあ庁舎」として移転させた[広報 23]。
- 2017年(平成29年)9月には、当施設の平面駐車場だった場所を含む一帯に遠野市役所本庁舎が落成し、本庁舎との間に連絡通路が設けられた[453]。
宮城県
[編集]- 売場面積1,604m2[427]。
- 敷地面積1,816m2[457]、延べ床面積7,564m2[457]、売場面積4,628m2[427]。
- 1877年(明治10年)に「ゆやす呉服店」を創業して1963年(昭和38年)9月2日に「有限会社ゆやす」を設立して法人化した[457]。1981年(昭和56年)4月にニチイと業務提携し[458]、1986年(昭和61年)9月1日に[459]株式会社ノムラ(福島県原町市(現在の南相馬市原町区))[460]と対等合併して「有限会社ゆやす」が「有限会社ホーユー」と商号を変更した[458]。
- 角田市の中心商店街の一角に出店して商店街の集客の中核を担っていた[456]。
- 地上4階建て[462]、延べ床面積11,320m2[461]、店舗面積約5,400m2[462] → 約6,500m2[462] → 約7,544m2[464](直営店舗面積約5,000m2[462] → 約5,500m2[462])。
- 国鉄バス営業所跡地や古川市農業協同組合中央出張所跡などに古川ショッピングデパートとして開業し、約500台収容の立体駐車場と約400台収容の平面駐車場を併設していた[461]。
- マイカル東北が運営していた[8]。
- 延べ床面積約5,487m2[384]、店舗面積約3,960m2[466][467] → 約3,536m2[465]。
- 1957年(昭和32年)6月5日に築館町で設立された「株式会社白鳥屋」の旧店舗を1979年(昭和54年)2月に閉店し、移転する形で開店した[467]。築館町で当時唯一の第1種大型小売店舗だった[468]。
- 1986年(昭和61年)12月に「株式会社たから屋」が「一関ショッピングデパート」と合併して「サントーホー」に商号を変更した[428]。
- 築館ファミリーデパート白鳥屋 → サンホーユー築館店 → ニチイ築館店 → 築館サティ → マックスバリュ築館
- マイカル東北が2001年(平成13年)9月18日に民事再生法を申請した時点で引き続き運営していた店舗の1つだった[8]。
- 敷地面積約2,520m2[470]、延べ床面積約7,200m2[470]、売場面積4,300m2[470] → 4,462m2[469]。
- 千石賢吾が1947年(昭和22年)に涌谷町で衣料品卸を創業し、1959年(昭和34年)に涌谷町本町で小売業に転じて、1965年(昭和40年)10月4日に「株式会社たから屋」を設立して法人化した[472]。
- 涌谷ファミリーデパートたから屋[473] → サンホーユー涌谷店[474] → ニチイ涌谷店 → 涌谷サティと変遷
- 売場面積650m2[475]。
- 売場面積330m2[475]。
秋田県
[編集]- 延べ床面積約2,038m2[424]、店舗面積約1,185m2[424]。
- 1957年(昭和32年)8月31日に山本郡二ツ井町で設立された「合資会社いしやま呉服店」が1964年(昭和39年)5月に「合資会社イシヤマ」に商号を変更した後、1966年(昭和41年)に鷹巣店として開業した[477]。1976年(昭和51年)4月8日に「株式会社愛敬」を設立して同社の店舗となり[479]、愛敬チェーンイシヤマ鷹巣店となった[476]。
- 1985年(昭和60年)9月1日に[480]「株式会社マルシメ」が愛敬・米沢ファミリーデパートを合併して「株式会社トーホー」に商号を変更した[481]。サンホーユー鷹巣店(1989年(平成元年)開業)を経て、1994年(平成6年)にニチイ鷹巣店に転換した。[要出典]
- 敷地面積約10,978m2[483]、鉄骨造地下1階地上3階建て[483]、延べ床面積約18,225m2[483]、店舗面積約8,910m2[483](直営店舗面積約5,610m2[483])、駐車台数約600台[483]。
- 能代市最大の売り場面積を持つ[485]アイケーショッピングデパートとして開店し[486]、中和通に賑わいをもたらした[485]。
- 1985年(昭和60年)9月1日に[480]「株式会社マルシメ」が愛敬・米沢ファミリーデパートを合併して「株式会社トーホー」に商号を変更した[481]。
- マイカル東北が2001年(平成13年)9月18日に民事再生再生法を申請した時点で引き続き運営していた店舗の1つだった[8]。
- 2003年(平成15年)1月17日にTMO能代が専門家を招いて店舗跡地の活用について勉強会を行い[487]、コンサルタントの提案で共同出資会社を設立して[488] 建物を再活用して新たな施設を開業する方向で一旦まとまったが[489]、同年11月に能代商工会議所が建物を再活用する方針を撤回して計画は白紙に戻った[490]。
- 店舗後の再活用の白紙撤回を受けて2004年(平成16年)3月に能代市が再開発案の検討を始め[491]、同年5月には能代商工会議所が再開発の案を提案し[492]、6月には能代市議会で海潮園を店舗跡地に設置する案が出された[493] が実現しなかった。
- 能代市や能代商工会議所などが主導する再開発が実現しなかったため、2005年(平成17年)12月に民間企業が国や県の補助金を活用して事業化を目指した[494] がこの構想も実現せず、店舗後の建物はそのまま残り続けたため2008年(平成20年)11月に地元企業が買収して解体する方向となった[484]。
- 1968年(昭和43年)6月に当店を本店として開設し、1970年(昭和45年)9月21日に株式会社イシヤマを設立して改組した[495]。
- 売場面積330m2[496]。
- 1947年(昭和22年)6月に古着商として創業した旧・イシヤマ本店[477]。
- 1985年(昭和60年)9月1日に[480]「株式会社マルシメ」が愛敬・米沢ファミリーデパートを合併して「株式会社トーホー」に商号を変更した[481]。
- 1872年(明治5年)に本庄町浦尾崎で8[504]羽田恒松が[503]呉服店を開いたのが始まりで[504]、1967年(昭和42年)6月に上横町から大町に移転した[503]。1972年(昭和47年)3月1日に株式会社つるがやを設立して法人化し[505]、1975年(昭和50年)1月にニチイチェーンに加盟して[504]、1979年(昭和54年)に食品売り場を導入した[504]。
- 売場面積990m2[504]。
- 売場面積115.5m2[504]。
- 敷地面積約5,044m2[509]、鉄骨造地下1階地上3階建て[509]、延べ床面積約19,800m2[509]、店舗面積約10,024m2[509](直営店舗面積約5,308m2[509])、駐車台数約500台[509]。
- 食品ストアーふじ久(約1,058m2)が準核店舗として出店していた[509]。
山形県
[編集]- 米沢ファミリーデパート→サンホーユーの屋号で出店。地下1階の食品売場はヨークベニマル[512](福島県外1号店)。米沢市の最大の商店街であった平和通りにあった旧米沢市役所本庁舎跡地の敷地面積2,805m2に建設した地上5階建ての店舗で延べ床面積は約11,748m2であった[511]。
- 地場資本の衣料品店「クサカリ」と提携して開業したもので、開業時には5階にボウリング場が入居していたが1974年(昭和49年)に撤退した[511]。
- 1985年(昭和60年)9月1日に[480]「株式会社マルシメ」が愛敬・米沢ファミリーデパートを合併して「株式会社トーホー」に商号を変更した[481]。
- 1994年(平成6年)3月の米沢サティの開店に伴い閉店した[511]。
- 売場面積8,359m2[427]。
- 1973年(昭和48年)3月に山形駅前にニチイ山形店として出店。地下の食品売場は、ヤマザワが担当した。
- 1994年(平成6年)3月1日に、ニチイからダックシティへ営業権が譲渡され、店名も山形ビブレとなったが、2000年(平成12年)1月閉店[515]。
- 店舗跡のビルは2001年(平成13年)までに解体され、幾度もホテル等の建設計画[516]が行われるも、実現することなくコインパーキングの状態が長らく続いている。[要出典]
- 売場面積4,100m2[501]。
- 1972年(昭和47年)7月19日に結成されたNACに設立当初から参画していた[520]。
- 1615年(元和元年)に創業し[519]、1930年(昭和5年)12月1日に北村山郡楯岡町大字楯岡62番地で大石近男を代表社員として「合資会社大石呉服店」を設立して法人化した[521]。1960年(昭和35年)5月17日に[519]「株式会社マルシメ大石呉服店」を設立した[522]。
- 1980年(昭和55年)4月にファミリーデパートマルシメとして開店した[519]。
- 1985年(昭和60年)9月1日に[480]「株式会社マルシメ」が愛敬・米沢ファミリーデパートを合併して「株式会社トーホー」に商号を変更し[481]、トーホー村山店となった[518]。
福島県
[編集]福島市
[編集]- 売場面積1,752m2[397]。屋号はNマート。
- 山田Vボウル跡地に開店[524]。福島サティの出店に伴い閉店[415]。
- 開店から1年後の1979年(昭和54年)3月5日午前10時すぎに、駐車場内で東邦銀行の集金車から1,900万円が盗まれる事件が発生した[525]。
- 延べ床面積約1,170m2[528]、店舗面積約927m2[528]。
- 当初は、山田百貨店の量販店部門「ハッピー産業」の店舗だったが、八戸店を運営する青森ニチイに営業権を譲渡[391]。後には東北ニチイが運営していた[528]。屋号はNマート。
- ハッピーストア新町店(福島市新町8-5[526])
- 店舗面積280m2[526]。
- ハッピーストア栄町店(福島市栄町9-18[526])
- 店舗面積255m2[526]。
福島市以外の中通り
[編集]- 延べ床面積約2,939m2[424]、店舗面積約1,937m2[424]。平屋建て[530]。
- 1980年(昭和55年)12月に、成田屋本宮ファミリーとして開業[530]。
- 成田屋→マイカル福島(赤トリヰ)が運営していた[478]。
- 閉店後、元市長の佐藤嘉重の選挙事務所として使用された後、跡地は2011年(平成23年)12月1日に「ヨークベニマル新本宮舘町店」(現・本宮舘町店)として開業[531]。
- 鉄骨鉄筋コンクリート造地上2階建て塔屋2階[533]、延べ床面積約27,583m2[533]、店舗面積約4,500m2[533](直営店舗面積約3,500m2[533])、駐車台数約800台[533]。
- 須賀川サティはマイカル東北ではなく、赤トリヰ→マイカル福島が運営していた店舗[535]。
- マイカルグループ離脱して2003年(平成15年)3月1日に元の名称の「赤トリヰグリーンモール」に戻し運営していた[535] が、東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の影響で、店舗に地盤沈下など甚大な被害を受け2011年(平成23年)4月29日をもって閉店[536]。
- 建物は解体され、跡地には2013年(平成25年)9月20日にフレスポ須賀川グリーンモールが開業した[537]。
浜通り
[編集]- 敷地面積約4,003m2[538]、鉄筋コンクリート造地下1階地上4階建て塔屋1階[538]、延べ床面積約10,770m2[538]、店舗面積約6,435m2[538](直営店舗面積約4,784m2[538])、駐車台数約250台[538]。
- 元々は、1924年(大正13年)に原町市四つ葉通りに野村清助が創業した雑貨店「ノムラ」が起源である[541]。1979年(昭和54年)3月に「ファミリーデパートノムラ」として大町に新築移転[539]。1986年(昭和61年)9月1日には[459]「ファミリーデパートゆやす」(宮城県角田市)と合併し、「有限会社ホーユー」と商号を変更[541]。その後、サンホーユー原町店[542]、1996年(平成8年)9月27日には福島県3番目のサティ業態として原町サティへ業態転換した[543]。
- マイカル東北が2001年(平成13年)9月18日に民事再生再生法を申請した時点で引き続き運営していた店舗の1つだった[8]。
- 跡地には、南相馬市が管理する大町南災害公営住宅が建設[544]。
会津
[編集]- 売場面積3,696m2[388]。
- 1961年(昭和36年)に百貨店の大善として開業[547]。1971年(昭和46年)に福島ニチイが営業権を取得し[391]、ニチイダイゼンとなった。福島ニチイは、1975年(昭和50年)に東北ニチイへ吸収されている[394]。
- ニチイ会津若松店 → 会津サティ✩×(会津若松市駅前町6-47[548][482]、1982年(昭和57年)7月1日開業[548][549][550] - 2009年(平成21年)6月30日閉店[551][552])
- 敷地面積約7,570m2[548]、鉄骨鉄筋コンクリート造地下1階地上5階建て塔屋1階[548]、延べ床面積約20,633m2[548]、店舗面積約6,618m2[548](当社店舗面積約5,148m2[548])、駐車台数約510台[548]。閉店時の直営店舗面積約7,195m2[553]
- 上記のニチイダイゼンが、1982年(昭和57年)7月1日に会津若松駅前へ移転し、ニチイ会津若松店として開業[554]。1993年(平成5年)3月13日にサティへ転換[555]。
- 東北ニチイ(→マイカル東北)傘下での初めてのサティ店舗。2001年(平成13年)9月にマイカルに営業譲渡されて本体直営店の一つとなった[8]。
- 2009年(平成21年)6月29日にマイカルや隣接した商店などの地権者で構成する「会津若松駅前地区再開発協議会」が発足して後李の利用方法の検討を行い[556]、大型店が撤退後に跡地を売却せずに地元側とまちづくりに乗り出すのは全国的にも珍しい取り組みとして注目を集めていた[557] が、協議が難航したため2012年(平成24年)2月に結論が出ないまま協議会が解散となって跡地利用は宙に浮いた状態となった[558]。
関東
[編集]茨城県
[編集]- 売場面積12,821m2[83]。
- 1991年(平成3年)5月に[560]水戸線、真岡鐵道、関東鉄道常総線のターミナルである[561] 下館駅北口の駅前市街地再開発事業で建設された[562]下館SPICAの核店舗として開業したが[561]、2002年(平成14年)8月末に閉店した[559]。
- 店舗跡には2003年(平成15年)7月にエコスや長崎屋などが出店する下館SPICAが再開業したが[563]、2006年(平成18年)1月16日にエコスが閉店した[561]。
- 2006年(平成18年)1月16日にエコスが閉店したため[561]、エコスの後継店舗として農協を含む食品スーパーの招致を進めたが[563]、売り上げ不振が続いて2007年(平成19年)にサントマト[562]、2008年(平成20年)にエイムと撤退が相次ぎ[562]、2007年(平成19年)に3階と4階を筑西市役所分庁舎として借り上げる状況となり[562]、最盛期に約40店舗あったテナントが2009年(平成21年)4月9日現在で12店舗に減少して核店舗もない状態になった[562]。
- 市役所本庁舎の老朽化などにより、2017年(平成29年)2月に本庁舎機能がSPICAへ移転してきた[広報 24]。
栃木県
[編集]- 敷地面積約8,234m2[566]、鉄筋コンクリート造地上2階建て塔屋1階[566]、延べ床面積約8,725m2[566]、店舗面積約5,631m2[566](直営店舗面積約3,636m2[566])、駐車台数約500台[566]。
- 1979年(昭和54年)、東野鉄道大田原駅跡地にアイアイタウン・エドヤとして開店。1993年(平成5年)に大田原サティとなり、2003年(平成15年)10月に閉店[567]。その後、2004年(平成16年)6月9日には、スーパーセンター・トライアル大田原店が開店したが[567]、2014年(平成27年)5月に閉店。その後建物は利活用されていなかったが、2019年(令和元年)6月にクスリのアオキ山の手店が解体後の跡地に開店した。[要出典]
群馬県
[編集]- 敷地面積約3,072m2[568][569]、鉄骨鉄筋コンクリート造地下1階地上6階建て[568][569]、延べ床面積約14,049m2[569]、店舗面積約8,453.7m2[568] → 約8,663m2[569](直営店舗面積約6,347.2m2[568] → 約7,110m2[569])、駐車台数約76台[568][569]。
- 郡部出身者が好んで利用する店舗であった[570]。
- 店舗跡の建物は2000年(平成12年)に解体されて駐車場になった[571]。
- 1979年(昭和54年)9月に食品売り場を拡張して直営化した[572]。
- 1993年(平成5年)10月20日に同じ前橋市内に前橋サティが開業したが[573]、2010年(平成22年)10月17日に閉店した[574]。
- 延べ床面積約66,500m2[576]、店舗面積約20,949m2[577]。
- 閉店時の直営店舗面積約17,500m2[579]
- 地下1階[要出典]地上6階建てで、1階から3階に売場を持ち、他の階は駐車場という開業時点では群馬県内最大の大型店であった[580]。
- 近隣に競合する大型商業施設の開業が相次いだことなどの影響により、売上高が最盛期の約40%にまで落ち込んだことから閉店となった[581]。
- 閉店後の店舗跡の活用については大家であるグンゼグループが2011年(平成23年)6月に自社の中期経営計画で改装して商業施設として再生する方針を明記してテナント招致などを進め[582]、2011年(平成23年)12月にスーパーのカスミ(1,709m2)[583]やブックオフ[584] などが出店する前橋リリカとして2011年(平成23年)12月8日に新装開業した[585][583]。
- ニチイ高崎店 → (初代)高崎サティ → 高崎ビブレ✩×(高崎市八島町46-1[586][587]、1976年(昭和51年)3月26日開業[586][588] - 2014年(平成26年)3月31日閉店[589])
- 敷地面積約4,086m2[586]、鉄骨造地下1階地上8階[586]、延べ床面積約31,098m2[586]、店舗面積約13,253m2[586](直営店舗面積約9,963m2[586])、駐車台数約300台[586]。
- 高崎駅西口前に「ニチイ高崎店」として開店し、1987年(昭和62年)3月1日に(初代)高崎サティに業態転換[587]、1996年(平成8年)3月に高崎ビブレに業態転換した[589]。
- 当店跡地と周辺敷地と合わせた敷地には高崎オーパが出店された[広報 26][広報 27]。
- イオンモール高崎にある2代目の高崎サティ(後のイオン高崎店、現イオンスタイル高崎)とは異なる。
- 敷地面積約5,000m2[590]、鉄筋コンクリート造地上4階塔屋1階[590]、延べ床面積約10,222m2[590]、店舗面積約5,631m2[590](当社店舗面積約3,439m2[58])、駐車台数約180台[590]。
- 群馬県館林市に本拠を置くとりせんと提携して[591][592]、伊勢崎警察署跡地に[593]同社が開発した「伊勢崎ショッピングセンター」に同社と共に核店舗として出店していた[590]衣料品店舗[58]。
- 敷地面積約25,653m2[596]、鉄筋コンクリート造地上2階塔屋1階[596]、延べ床面積約23,345m2[596]、店舗面積約12,400m2[596](直営店舗面積約8,368m2[596])、駐車台数約1,200台[596]。
- ショッピングセンター・ラブの核店舗のニチイとして開店[597]、サティへ転換した後、2002年(平成14年)3月に契約解除の通知を行って閉店[595]。閉店後、フレッセイ等が出店したが[598]、2007年(平成19年)5月15日に撤退。後続テナントに丸鮮市場が出店するも、2013年(平成25年)9月25日にSCが閉店[要出典]。
- 跡地にケーズデンキ太田店[要出典]。
- 沼田市の市街地再開発事業に三井生命保険が参画して建設された[560]、再開発ビルグリーンベル21の核店舗として売場面積8,800m2で開業した[600]が、2002年(平成14年)8月に閉店[601]。「グリーンベル21」には当店の他に開業時で専門店46店が入居していたほか、当店の入る商業棟以外に立体駐車場や沼田市立図書館の入るビルがあり、それら各館と空中歩廊を用いて連絡する構造となっていた[602]。
- 閉店後、2002年(平成14年)に沼田の観光宣伝と当施設の運営支援を兼ねて地元の物産販売や観光案内のほか沼田市内の伝統工芸士の作品展示などを行う「沼田ふるさと館」を5階に入居させ[603]、店舗跡に核店舗となる大型店を招致するため改造費の2分の1や賃貸料の2分の1を沼田市が助成する「グリーンベル21出店促進条例」を施行してサンバード長崎屋[604] や2002年(平成14年)11月に開業したAコープ群馬を新たな核店舗とするグリーンベル21としての営業を続けた[605]。しかし、2008年(平成20年)5月にサンバード長崎屋[601]、2010年(平成22年)5月にAコープも撤退し[601][606]、「沼田ふるさと館」も2012年(平成24年)3月31日で閉鎖されるなど他のテナントの撤退も相次いだ[603]。その結果、2012年(平成24年)4月初めの時点で4階は完全に閉鎖、5階は沼田エフエム放送のみ1~3階も大半が空き店舗となった[603]。
- 2014年(平成26年)2月までにすべての小売店が撤退し[607]、2015年(平成27年)1月に沼田市は施設全体を取得したと発表し[608][609]、2015年(平成27年)7月末までに沼田エフエム放送(FM OZE)も移転して全テナントが退去することになった[610]。
- 敷地面積約5,957m2[614]、鉄筋コンクリート造地上4階塔屋1階[614]、延べ床面積約23,475m2[614]、店舗面積約6,580m2[614](直営店舗面積約4,968m2[614] → 閉店時の直営店舗面積約5,600m2[553])、駐車台数約267台[614]。
- ニチイ渋川店として開業し、1995年(平成7年)10月にサティへ転換[615]。
- JR渋川駅に近い中心市街地に出店していたが、郊外へのスーパーなどの進出による競争激化や中心市街地の衰退を受けて[616]2009年(平成21年)7月31日に閉店し[613]、パワーセンターうおかつ[613]などが出店する渋川ショッピングプラザとなったが、2016年6月をもって完全閉鎖し、建物は解体されている[615]。跡地には2017年(平成29年)11月22日に食品スーパーベルク渋川店とコインランドリーが開業した[615]。
埼玉県
[編集]- 店舗面積1,500m2[630]。
- 店舗面積4,332m2[635] → 5,667m2[634]、駐車場50台[635]。
- 旧尾張屋の店舗[636]。
- マルエツ川越店(店舗面積1,320m2)が出店していた[637]。
- 営業当時の建物は現存せず、現在は健康ランドとシティホテルの「川越温泉湯遊ランド・ホテル三光」になっている。[要出典]
- 敷地面積約2,144m2[638]、鉄筋コンクリート造5階建て[638]、延べ床面積約6,100m2[638]、店舗面積約5,157m2[638](直営売場面積4,300m2[640])。
- 尾張屋志木店として志木駅南口に開業した[641]。
- 敷地面積約2,157m2[638]、鉄筋コンクリート造地下1階地上6階建て[638]、延べ床面積約10,831m2[638]、店舗面積約7,954m2[638](直営売場面積3,405m2[388])、駐車台数約90台[642]。
- 駅前西側に出店していた[644]。
- 同じ熊谷市内に2000年(平成12年)11月16日に熊谷サティ(現イオン熊谷店)が開業した[45]。
- 旧・尾張屋[645]。
- 春日部サティ✩×(春日部市粕壁東1-11-22[618][642](旧・粕壁富士見町4371[650])、1970年(昭和45年)11月1日開店[420] - 2001年8月19日閉店[広報 21])
- 敷地面積約2,640m2[650]、鉄筋コンクリート造地上4階建て[650]、延べ床面積約7,866m2[650]、店舗面積約5,274m2[650]、駐車台数約140台[642]。
- 旧ニチイ春日部店。春日部駅東口に[651]。、旧尾張屋と折半出資で設立した東京エーゼットの春日部ショッピングセンターの核店舗として開業[420]。1996年(平成8年)にサティへと業態転換[広報 28]。
- 敷地面積約10,989m2[652]、鉄筋コンクリート造地上3階建て[652]、延べ床面積約16,500m2[652]、店舗面積約9,376m2[652](直営店舗面積約4,412m2[652])、駐車台数約610台[652]。閉店時の直営店舗面積約7,215m2[広報 29]
- 2005年(平成17年)11月23日に食品スーパーのカスミフードスクエア三郷駅前店を核店舗とする[653]「ワオシティ三郷[90]」としてリニューアルしたが、2021年(令和3年)2月21日に閉店し、建物は解体されている。
- 敷地面積約12,231m2[654]、鉄骨鉄筋コンクリート造地上4階建て[654]、延べ床面積約10,810m2[654]、店舗面積約6,714m2[654](直営店舗面積約5,090m2[654])、駐車台数約150台[654]。
- (2代目)尾張屋がニチイチェーン本庄店として開業[647]、1997年(平成9年)6月27日に本庄サティ業態転換[655]。
- 店舗跡には本庄BLALAが出店したが、2016年8月をもって完全閉鎖し、建物は解体されている。
- 敷地面積約8,566m2[656]、地下1階地上12階建て[656]、延べ床面積約52,397m2[656]、店舗面積約18,337m2[656](直営店舗面積約13,213m2[656])、駐車台数約700台[656]。
- 閉店時の直営店舗面積約12,676m2[579]
- 東武野田線岩槻駅前の再開発ビル「ワッツ東館」[659]の核店舗として1996年(平成8年)3月8日に開店したが[660]、近隣の大型店などとの競争激化で赤字が続いたため2010年(平成22年)3月7日に閉店した[658][659]。
- 2010年(平成22年)6月にマルエツと専門店が開業[659]。住民からの反対運動があったが[659]、2012年(平成24年)1月4日に保健センターや教育相談室などを併設したさいたま市岩槻区役所が3階と4階に移転して開業した[661]。
東京都
[編集]- 売場面積559m2[665][662]。
- 1981年(昭和56年)4月にニチイの関連会社の「神奈川エヌマート」が「神奈川エヌマート中板橋店」を開店した[666]。
- スーパーマーケット「よしや中板橋店」の2階部分に出店していた。[要出典]
- ニチイ閉店後も、1階部分は現在も「よしやセーヌ中板橋本店」として営業しており、ニチイが入居していた2階部分には100円ショップのダイソーが入居している。[要出典]
- 売場面積535m2[665]。
- 1981年(昭和56年)4月にニチイの関連会社の「神奈川エヌマート」が「神奈川エヌマート仲宿店」を開店した[666]。
- スーパーマーケット「よしや仲宿店」の2階部分に出店していた。[要出典]
- ニチイ閉店後も、1階部分は現在も「よしやセーヌ仲宿店」として営業しており、ニチイが入居していた2階部分には100円ショップのキャンドゥが入居している。[要出典]
- 敷地面積約1,545m2[669]、鉄骨鉄筋コンクリート造地下2階地上5階建て[669]、延べ床面積約6,595m2[669]、店舗面積約4,203m2[669](直営約店舗面積約2,554m2[669])、駐車台数約450台[669]。
- ビブレ4店目となる「原宿ビブレ21」として開業[672]。地下1階・地上5階建てで店舗面積は約3,830m2[672]。
- 開業当時は、4階が当時ニチイ・グループであったピープルが運営する会員制スポーツクラブのエグザスと美容室があり、5階にはテラス・レストランとレコーディング・スタジオを入居させるなど、店舗面積のうち約40%を非物販に当てていた[672]。
- 2000年(平成12年)11月に三菱商事へ売却された[673]。店舗跡の建物を改装して2001年(平成13年)9月29日にファッションと飲食の複合商業施設「エスキス表参道」として新装開業した[674]。→「ジャイル」[要出典]
- 敷地面積約4,611m2[678]、鉄筋コンクリート造地下1階地上4階建て[678]、延べ床面積約28,726.5m2[678]、店舗面積約16,599.6m2[678](直営店舗面積約6,082.5m2[678])、駐車台数約150台[678]。
- (2代目)尾張屋がニチイチェーン清瀬店として開業[647]、1996年(平成8年)3月23日にサティへと業態転換した[広報 30]。
- 清瀬駅南口の一画に出店していた[60]。
神奈川県
[編集]- 大船サティ✩×(横浜市戸塚区笠間町1045[665](現・栄区笠間2丁目2-1)、1976年(昭和51年)4月24日開業[682][広報 31][300] - 2002年(平成14年)1月閉店[679][広報 31])
- 地下1階地上5階建て[682]、店舗面積約8,573m2[665] → 約10,878m2[300]。
- ニチイ大船店として開業。1996年(平成8年)10月24日にサティへ業態転換した[広報 31]。
- ライフ等が入居する商業ビル「Oh!Plaza(オー!プラッザ)」が2002年(平成14年)4月23日に開業[683][684]。
- 大型商業施設「GRAND SHIP(グランシップ)」が2021年(令和3年)2月27日に開業[685]。核店舗として三越伊勢丹ホールディングスによる「FOOD&TIME ISETAN」が出店する他、ヤマダ電機やライフが再出店した[685][686]。
- 売場面積3,240m2[687]。
- 神奈川Nマート平塚店(平塚市明石町21-12[689]、1978年(昭和53年)10月1日開店[690])
- 小田急商事と共同出資で設立した神奈川Nマートの第1号店として出店したもので、小田急OXが食品売り場を約500坪で出店し、ニチイが衣料品売り場を約1,000坪で出店する店舗形態であった[690]。
- 売場面積1,000m2[688]。
- 敷地面積約8,734m2[692]、4階建て[692]、延べ床面積約17,358m2[692]、店舗面積約8,527m2[692](直営店舗面積約6,186m2[692])、駐車台数約260台[692]。
- ニチイ辻堂ショッピングデパートとして開業[694]。1995年(平成7年)10月21日に辻堂サティに業態転換し、100店舗目のサティとなった[696]。
- 敷地面積約3,070m2[697]、鉄筋コンクリート造地下1階・地上6階建て塔屋2階[697]、延べ床面積約17,145m2[697]、店舗面積約8,558m2[697](直営店舗面積約4,546m2[697])、駐車台数約78台[697]。
- 1972年(昭和47年)11月に「小田原ショッピングデパート」として開業[700]したが、1999年(平成11年)8月31日閉店。
- ヤオハン小田原店(売場面積約1,651m2)が[697]地下1階に出店[699]。
- 店舗跡には、2000年(平成12年)4月27日にアプリ小田原が開店した[701]。
- 開店のほぼ1週間前の1996年(平成8年)9月19日に隣接地に長崎屋ホームセンターが開店していたため[705]、同店との買いまわりによる相乗効果を狙って食品や実用医療などの生活必需品をそろえた食品スーパーとして開業した[706]。
- 店舗跡には2001年(平成13年)10月19日にいなげや大和相模大塚店が開業した[704]。
- 本牧ビブレ(横浜市中区本牧原19−1)
甲信越
[編集]山梨県
[編集]長野県
[編集]- 店舗面積約11,136m2、延べ床面積約21,618m2[384]。
- 人口約25,000人の豊科町に開業させた豊科サティが周辺地域から需要を吸収して売上を順調に伸ばしたことを受け、独自の商圏で高いシェアを確保することを目指して1998年(平成10年)4月17日に開店した[161]が、マイカルの再建策の一環として2002年(平成14年)に7月24日に閉店が発表され[710]、2003年(平成15年)2月28日に閉店した[708]
- 店舗跡地は商業施設ときめきの街として営業している[709]。
- 2001年(平成13年)に辰野町が当店を核とする開発計画を当店東側の辰野町開発公社所有の国営林署跡地で計画していたが、当店の閉店により実現しなかった[709]。
- 江戸末期創業の呉服店「まるごん」が[712]、1952年(昭和27年)12月27日に「株式会社まるごん」を設立して法人化した[713]。1978年(昭和53年)4月にニチイの傘下に入り、1979年(昭和54年)4月に「株式会社長野サンマート」と「株式会社長野マート」を合併して「株式会社信州サンマート」に商号を変更して、同年6月に「小島屋商事株式会社」を合併した[714]。1981年(昭和56年)5月には「株式会社信州サンマート」が「株式会社いちかわファミリーデパート」と合併して、同年6月1日に「株式会社アライド信州」に商号を変更した[713]。1996年(平成8年)に「株式会社アライド信州」から「株式会社マイカル信州」に商号を変更し[715]、2000年(平成12年)に「マイカル」に全店舗の営業権を譲渡することになった[716]。
- 敷地面積約1,800m2[718]、鉄筋コンクリート造地下1階地上3階一部4階建て[718]、延べ床面積約5,820m2[718]、店舗面積約3,845m2[718](当社店舗面積約825m2[718])、駐車台数約50台[718]。
- 「協同組合パラス」の「ファミリーデパートパラス・いちかわブラザー」の核店舗として[718]1階から4階に出店していた[719]。1981年(昭和56年)5月には「株式会社信州サンマート」が「株式会社いちかわファミリーデパート」と合併して同年6月1日に「株式会社アライド信州」に商号を変更したため[713]、アライド信州中込店となった[717]。
- 敷地面積約26,038m2[721]、鉄骨造地上2階建て塔屋1階[721]、延べ床面積約12,274m2[721]、店舗面積約7,826m2[721](当社店舗面積約1,235m2[721])、駐車台数約800台[721]。
- 長野西友(約1,011m2)・はなおか(約1,024m2)・ホームセンターイケウチ(約1,042m2)と共にバスターミナル併設の「ショップシティ リッチランド」の核店舗として[721]2階に出店していた[719]。
- 「いちかわ岩村田店」として開店した[722]。1981年(昭和56年)5月には「株式会社信州サンマート」が「株式会社いちかわファミリーデパート」と合併して同年6月1日に「株式会社アライド信州」に商号を変更したため[713]、アライド信州岩村田店となった[717]。
- 佐久市岩村田619にNAC加盟の「なかむら」があった[723]。
- 敷地面積約5,651.8m2[725]、鉄骨鉄筋コンクリート造地上3階建て塔屋1階[725]、延べ床面積約4,700.16m2[725]、店舗面積約3,918m2[725]、駐車台数約280台[725]。
- 「株式会社サンマルコ」の「ショッピングツアー・サンマルコ」の核店舗として「つるや」と共に「いちかわサンマルコ店」として出店した[725]。1981年(昭和56年)5月には「株式会社信州サンマート」が「株式会社いちかわファミリーデパート」と合併して同年6月1日に「株式会社アライド信州」に商号を変更したため[713]、アライド信州臼田店となった[724]。
- 店舗面積約822m2[729]。
- 店舗面積約2,878m2[731]。
新潟県
[編集]- 敷地面積約16,002m2[740]、鉄骨造地上2階建て塔屋1階[740]、延床面積約7,365m2[740]、売場面積4,494m2[740]、駐車台数約450台[740]。
- 清水商事の笹口ショッピングセンターに出店していた[740]。
- 1990年(平成2年)9月1日に「株式会社糸魚川ショッピングセンター」・「株式会社北越ファミリーデパート」・「株式会社ファミリーデパート江口屋」・「株式会社ファミリーデパートサクライ」・「株式会社ファミリーデパートサイトウ」の5社が合併して「株式会社アイビス」となり[741]、1993年(平成5年)9月に「新潟ニチイ」に「株式会社アイビス」の営業権を譲渡して新潟県内の営業を一本化することになった[742]。
- 敷地面積約16,207m2[745] → 約28,683m2[747]、鉄筋コンクリート造2階建て[745]、延べ床面積約7,070m2[745] → 約15,995m2[384]、売場面積約4,000m2[745](当社売場面積約3,200m2[745]) → 約12,500m2[747]、駐車台数約500台[745] → 約1,000台[747]。
- 1920年(大正9年)に五十嵐リツが創業し、1956年(昭和31年)4月20日に「株式会社江口屋呉服店」を設立して法人化した[748]。1974年(昭和49年)にニチイアライドチェーンに加盟した[749]。
- 丸壮製作所跡地に[750]、1981年(昭和56年)10月29日にファミリーデパート江口屋として開店[745]。ファミリーデパート豊栄店へのリブランドを経て、1991年(平成3年)6月27日に「豊栄サティ」として新装開店した[751]。
- 2002年(平成14年)1月28日に閉店が発表され[710]、2003年(平成15年)2月28日に閉店した[746]。
- 1990年(平成2年)9月1日に「株式会社糸魚川ショッピングセンター」・「株式会社北越ファミリーデパート」・「株式会社ファミリーデパート江口屋」・「株式会社ファミリーデパートサクライ」・「株式会社ファミリーデパートサイトウ」の5社が合併して「株式会社アイビス」となり[741]、1993年(平成5年)9月に「新潟ニチイ」に「株式会社アイビス」の営業権を譲渡して新潟県内の営業を一本化することになった[742]。
- 老朽化のため店舗施設を撤去して更地化され、2010年(平成22年)2月20日にウオロク葛塚店が開店[752]。
- 店舗面積約8,500m2[754]。
- 新井ショッピングセンターの核店舗として新潟ニチイが開業した[754]。
- 2002年の閉店までは核テナント「サティ」と専門店「COA」が同じ建物内で営業していた。マイカル破綻後の2002年(平成14年)1月28日、収益改善が見込めないとして閉店が発表され[756]、2002年(平成14年)8月31日に閉店した[755]。
- 閉店した8月末時点で後継店舗の招致が大詰めとされていた[755] が、2008年(平成20年)にようやく新井ショッピングセンターCOAとしての再出発が決まった[757]。
- 敷地面積約13,816m2[758]、鉄筋コンクリート造2階建て塔屋1階[758]、延べ床面積約8,595m2[758]、売場面積約6,130m2[758](当社売場面積約4,700m2[758]) → 約6,321m2[384]、駐車台数約400台[758]。
- 1985年3月29日に西頚城地域で初の郊外型SC『糸魚川ショッピングセンター アイビス』として開店[759]。1990年(平成2年)9月1日に「株式会社糸魚川ショッピングセンター」・「株式会社北越ファミリーデパート」・「株式会社ファミリーデパート江口屋」・「株式会社ファミリーデパートサクライ」・「株式会社ファミリーデパートサイトウ」の5社が合併して「株式会社アイビス」となり[741]、1993年(平成5年)9月に「新潟ニチイ」に「株式会社アイビス」の営業権を譲渡して新潟県内の営業を一本化することになった[742]。
1999年(平成11年)3月1日にマイカル北陸へ移管されて改装された[760]。
- マイカルの破綻後の2002年(平成14年)1月28日に収益改善が見込めないとして閉店が発表され[756]、次の核店舗が見つかるまでの営業存続をテナントの専門店の経営者らが要請したが受け入れられず[761]、2002年(平成14年)8月31日に閉店した[755]。
- 閉店後の跡地を糸魚川市が予算を用意して買収する準備を進めていた[755] が、2003年(平成15年)にマイカルが民間企業に売却したため糸魚川市による買収は実現せず[762]、建物解体の上で2009年(平成21年)にスーパーマーケットのイチコが出店することになった[757]。
- 中条サティ×[要出典](北蒲原郡中条町大川町3127[763][764](現:胎内市大川町14−41)、1980年(昭和55年)3月7日開業[763][765] - 2003年(平成15年)6月30日閉店[753])
- 敷地面積約19,300m2[763]、鉄筋コンクリート造2階建て塔屋1階[763]、延べ床面積約7,070m2[763]、売場面積約3,647m2[763](当社売場面積約2,500m2[763])、駐車台数約700台[763]。
- 1980年(昭和55年)3月7日に豊栄市の江口屋呉服店と村上市の中善商店が共同でファミリーデパート中条として開店[765]、1995年(平成7年)3月1日に中条サティに業態転換、2003年(平成15年)6月30日閉店[753]。
- 1990年(平成2年)9月1日に「株式会社糸魚川ショッピングセンター」・「株式会社北越ファミリーデパート」・「株式会社ファミリーデパート江口屋」・「株式会社ファミリーデパートサクライ」・「株式会社ファミリーデパートサイトウ」の5社が合併して「株式会社アイビス」となり[741]、1993年(平成5年)9月に「新潟ニチイ」に「株式会社アイビス」の営業権を譲渡して新潟県内の営業を一本化することになった[742]。
- 跡地には、2013年4月11日にケーズデンキ胎内店(北越ケーズ運営)が出店している[要出典][広報 32]。
- 1948年(昭和23年)に中島次郎吉が行商を行ったのが始まりで、1952年(昭和27年)4月15日に「株式会社中善商店」を設立して法人化した[767]。1962年(昭和37年)に長井町から移転した[767]。1979年(昭和54年)7月18日に「株式会社北越ファミリーデパート」を設立した[768]。
- 店舗面積約190m2[775]。
- 1966年(昭和41年)12月17日に主婦の店吉田店として開店し[777]、 1967年(昭和42年)4月に「株式会社主婦の店サイトー」を設立して法人化した[776]。1981年(昭和56年)11月に「株式会社ファミリーデパートサイトー」を設立した[778]。
- 店舗面積約3,514m2[136]
- 1990年(平成2年)9月1日に「株式会社糸魚川ショッピングセンター」・「株式会社北越ファミリーデパート」・「株式会社ファミリーデパート江口屋」・「株式会社ファミリーデパートサクライ」・「株式会社ファミリーデパートサイトウ」の5社が合併して「株式会社アイビス」となり[741]、1993年(平成5年)9月に「新潟ニチイ」に「株式会社アイビス」の営業権を譲渡して新潟県内の営業を一本化することになった[742]。
- 吉田町に本店を置き、西蒲原郡巻町(現:新潟市西蒲区)や分水町(現:燕市)に店舗を持っていた衣料品店サクライと同じく吉田町中心部で食品スーパーを運営していた主婦の店サイトーが核となったファミリーデパートよしだとして開店。その後吉田ニチイへの店名変更を経てサティにリブランド。2000年閉店。[要出典]
- 店舗面積約4,000m2[136]
- 巻町大字巻甲2920にあった[783]1869年(明治2年)創業の本団呉服店が核店舗として出店した[784]。
- 1990年(平成2年)9月1日に「株式会社糸魚川ショッピングセンター」・「株式会社北越ファミリーデパート」・「株式会社ファミリーデパート江口屋」・「株式会社ファミリーデパートサクライ」・「株式会社ファミリーデパートサイトウ」の5社が合併して「株式会社アイビス」となり[741]、1993年(平成5年)9月に「新潟ニチイ」に「株式会社アイビス」の営業権を譲渡して新潟県内の営業を一本化することになった[742]。
- 1887年(明治20年)に創業して、1965年(昭和40年)10月29日に「有限会社トースケ呉服店」を設立して法人化し、1978年(昭和53年)12月に「有限会社トースケ」に商号を変更した[786]。1980年(昭和55年)5月24日に「株式会社上越ファミリーデパートトースケ」を設立し、同年12月に「有限会社トースケ」の2店舗の営業を譲受して同社を不動産管理会社とした[787]。
- 上越ファミリーデパートトースケ第1号店として開店した[787]。
北陸
[編集]富山県
[編集]- 延べ床面積約19,869m2[384]、店舗面積約9,690m2[4]。
- 当初は1995年秋のオープンを目指していた[794]。
- 直営店舗面積約8,000m2で1998年(平成10年)度は売上高約36.38億円を上げたが、アピタ魚津店の進出などで2001年(平成13年)度は売上高約27.27億円まで低迷したため閉店した[792]。跡地はユニーが買収して[795] 2004年(平成16年)4月17日にアピタ黒部店を開業[796] するも、2017年(平成29年)8月20日を以て閉店。なお、跡地の入居者は2017年7月21日の時点で2、3社と入居の協議がされていた[797][798] が、2017年10月24日にPLANTが同店舗跡地に出店を検討していることが明らかになった[799] が、最終的に店舗は2019年(平成31年/令和元年)までに解体された[800]。跡地は2022年(令和4年)7月22日にアルビス黒部店が[801]、同年9月22日にナフコ黒部店がそれぞれオープンした[802]。
- なお、これ以前にもニチイ北陸1号店となる見通しであった[803]『黒部マイカルタウン』(仮称)の出店計画が存在していた。前沢地区に敷地面積約50,000m2に建物床面積72,700m2(うち物販26,000m2)の店舗を1991年8月に着工、1992年6月にオープンを目指していたが、一部用地について地権者との同意が得られず、出店を断念すると1990年10月19日までに発表した[804]。
- 日本製麻工場跡地にて開店[805]。鉄骨平屋建て延べ4,290m2、店舗面積3,277m2。駐車場は屋上部分の170台を含めて400台分を確保。隣接地には多目的ホール『ニチマ倶楽部 ザ・ホール』もオープンしていた。不況と全国的なスーパー間の競争が激化したため閉店[806]。
- 跡地に、2003年(平成15年)2月14日にヤマダ電機テックランド砺波店が開業[807])
- 延べ床面積約74,100m2[811]、店舗面積約15,000m2[809] → 約33,000m2。
- 1993年(平成5年)10月に北陸ニチイがワーナー・マイカル・シネマズ高岡を併設した富山県内最大級の売り場面積を誇るショッピングセンターとして開業し[812]、1996年(平成8年)に3階を増床してテナント数を増やして1997年(平成9年)2月期には売上高108億円を上げ[812]、1999年(平成11年)に300メートル離れた場所にあったダイエーを閉店に追い込むほどの影響を高岡の商業界に与えた[813]。
- 2001年(平成13年)3月にマイカル直営店になったものの半年後にマイカルが経営破綻してイオンの傘下に入ったが[812]、そのイオンが2002年(平成14年)9月にわずか1.5キロ南に当店を上回るイオン高岡ショッピングセンター(現イオンモール高岡)を開店するなどして当店の経営を圧迫し[812]、2001年(平成13年)度以降赤字状態が続き[812]、2008年(平成20年)2月期に売上高がピーク時の約3分の1に当たる37億円へ落ち込んで[810] 収益改善の見通しが立たないとして[813] 2009年(平成21年)1月12日に閉店した[810]。
- 店舗跡は2010年(平成22年)末から建物を解体し[814]、2011年(平成23年)11月22日にホームセンタームサシが開業している[815]。
- 当店閉店後に高岡市の中心市街地に生鮮食品を扱う大型店がなくなって周辺住民の生活にも影響が出ていたため[816]、マルワフードの食品スーパー新鮮市場がムサシに併設されて2011年(平成23年)11月21日に開店している[815]。
福井県
[編集]- 春江サティ食品館・おしゃれ生活館(坂井市春江町江留下高道113[817]・春江ハロータウン内[要出典]、1991年(平成3年)11月開業[818][819] - 2001年(平成13年)4月5日閉店[818])
- 芦原ハロータウンの店舗面積約4,294m2[384]、延べ床面積約5,367m2[384]。
- 1976年(昭和51年)に開業した福進チェーン(後に解散)のショッピングセンター「芦原ハロータウン」[821]に出店していた[384]。
- 店舗跡はビッグベリーマーケット(ながすぎ)芦原店、あわらハロータウン(ハローおしゃれ館、100円ショップポピアあわら店)[独自研究?]
東海
[編集]岐阜県
[編集]- 店舗面積約6,081m2[825]、鉄骨造り平屋建て・延べ床面積約8,382m2[825]。
- 2002年(平成14年)3月7日 三起屋関食品館[826] → 2002年(平成14年)3月7日に改装してバロー関ひがし店を開業[826]
- 敷地面積約4,886m2[827]、鉄筋コンクリート造地上3階建て塔屋1階[827]、延べ床面積約13,685m2[827]、店舗面積約7,883m2[827](直営店舗面積約5,483m2[827])、駐車台数約500台[827]。
- 1957年(昭和32年)6月設立の株式会社カネ山三起屋が[829]、1979年(昭和54年)1月17日に株式会社岐東ファミリーデパートを設立し[830]、1980年(昭和55年)6月28日に開業した[827]。
- 関・土岐の2店舗は、マイカルグループから離脱し、2001年(平成13年)にバローグループ入りした岐東ファミリーデパートが現在も運営[822]。
- 2002年(平成14年)にトミダヤが買収して[834]羽島Wing151として開業。
- 敷地面積約24,116m2[831]、鉄筋コンクリート造3階建て[831]、延べ床面積約16,201m2[384]、店舗面積約8,400m2[831]、駐車台数約800台[831]。
静岡県
[編集]浜松市
[編集]- 敷地面積約2,472m2[835]、鉄筋コンクリート造地下1階地上6階建て[835]、延べ床面積約12,005m2[835]、売場面積約8,664m2[835] → 7,699m2[836]、駐車台数約100台[114]。
- 浜松駅近くのモール街と呼ばれる商店街の一角に出店していた[837]。
- 敷地面積約24,176m2[838]、鉄筋コンクリート造地上3階建て[838]、延べ床面積約19,762m2[838]、店舗面積約10,243m2[838](当社店舗面積約6,806m2[838])、駐車台数約720台[838]。
- 跡地に後継店として宮竹サティを開業[300]。
- 敷地面積約37,000m2[840]、鉄筋コンクリート造地上2階建て[840]、延べ床面積約19,000m2[840]、店舗面積約10,878m2[300]。
- ニチイ宮竹店を1997年(平成9年)3月31日に閉店した[839] ことに伴う後継店としてに開業。
- 店舗跡は改装されて2002年(平成14年)4月18日に浜松プラザウエストとなった[842]が閉店し、2015年(平成27年)10月に解体されることになった[843]。跡地には2017年にユニクロやGUなど複数の店舗が独立した建物で相次ぎオープンした。[独自研究?]
浜松市以外
[編集]- 敷地面積約1,277m2[844]、鉄筋コンクリート造地下2階地上9階建て[844]、延べ床面積約12,540m2[844]、店舗面積約6,787m2[844](当社店舗面積約4,840m2[844])、駐車台数約700台[844]。
- 売場面積3,473m2[388]。
- 沼津駅南口前の[845]中心街の一角に出店していた[846]「協同組合沼津商連会館」の「新沼津ショッピングセンター」の核店舗だった[844]。
- 敷地面積約6,869m2[848]、鉄筋コンクリート造地上6階建て[848]、延べ床面積約15,307m2[848]、売場面積約9,899m2[848](当社店舗面瀬約3,697m2[848])。
- 富士ショッピングセンターパピーの核テナントとして2階から5階に出店していた衣料品店[849]。地階の食品売り場は当初、静岡鉄道の関連企業ファミリーストアが担当していたが1979年(昭和54年)に撤退[849]、後継としてシズオカヤが出店したが[849]、ニチイと同じ年に閉店した。[要出典]
愛知県
[編集]- 敷地面積約11,416m2[850]、地下1階地上12階建て[850]、延べ床面積約63,311m2[850]、店舗面積約19,572m2[850](直営店舗面積約16,020m2[850])、駐車台数約1,800台[850]。
- 店舗面積約16,020m2[300]。
- 1995年(平成7年)4月26日に名古屋鉄道豊田市駅東地区市街地再開発事業で建設された再開発ビル「GAZA」の核店舗として開店した愛知県下初出店の店舗だった[851]。
- 1970年代から郊外地域にユニーやジャスコ、トヨタ生協が本部店を立地していて既存店舗間による競争があるところに出店したため、売上高は約60億円に留まって豊田市内の総売上高に占めるシェアも約20%に留まった[853]
- 店舗跡は1階にはトヨタ生協がメグリアセントレとして入居[852]。2階・3階は専門店街が移転して営業している。残りのフロアはオフィスビル化されている。このフロアへのエスカレーター・エレベータは使用できなくなっている。[独自研究?]
三重県
[編集]鈴鹿市
[編集]- 敷地面積約33,550m2[854]、鉄筋コンクリート造地上4階建て[854]、延べ床面積約22,092m2[854]、店舗面積約11,798m2[854](当社店舗面積約4,270m2[854])、駐車台数約1,600台[854]。
- 「ヤマナカ」(約1,487m2)と共に[854]「ショッビングセンターアイリス」の核店舗の衣料品店として出店していた[855]。
- 1998年(平成10年)10月23日に鈴鹿サティが開店したが[856]、2002年(平成14年)8月31日に閉店した[857]。
- 2004年(平成16年)10月22日にアピタ鈴鹿店(現:MEGAドン・キホーテUNY鈴鹿店)を開業[859]。
- シネマコンプレックス「ワーナー・マイカル・シネマズ鈴鹿」(7スクリーン、計1,014席)やボウリング場「パームボウル」を併設していた[860]。
- ワーナー・マイカル・シネマズはイオンモール鈴鹿へ移転。[要出典]
伊賀市
[編集]近畿
[編集]滋賀県
[編集]- 栗東サティ(栗太郡栗東町大字綣字正立182[139](現:栗東市綣2丁目3−22)、1998年(平成10年)3月20日開業[139][871] - 2003年(平成15年)2月末閉店[872][873])
- マイカルによる地元自治体と組んだ駅周辺の都市開発プロジェクトの先駆けとして[874]JR栗東駅前に駅と2階部分がペデストリアンデッキでつながる建物内に[872] 1998年(平成10年)3月20日に開店した[871] が、イオンの岡田元也社長が会社更生手続きの事業管財人となった後の2002年(平成14年)7月24日に追加の閉鎖店舗の一つとして記者会見で発表され[710]、2003年(平成15年)2月末に閉店した[872]。
- 閉店後、店舗を改装した上で2003年(平成15年)4月25日にアル・プラザ栗東が開業[872][875]。
京都府
[編集]京都市
[編集]中京区
[編集]- 売場面積396m2[877]。
- 河原町ビブレ☆×(京都市中京区河原町通蛸薬師上ル裏寺町595-1[882]、1970年(昭和45年)10月29日開業[190] - 1983年(昭和58年)4月に河原町ビブレ21に業態転換[672] - 2010年(平成22年)7月末閉店[883][884])
- 敷地面積約1,982m2[190]、鉄筋コンクリート造地下1階地上6階建て[190]、延べ床面積約10,809m2[190]、店舗面積7,225m2[190]。
- 店舗名としてはニチイ河原町店[672]→河原町ビブレ21[672]→河原町ビブレ[883]という変遷となっている。
- 「ニチイ」として開業した当時から衣料品専門の店舗であった[883]。
- 2003年(平成15年)1月29日にロフトを1階から5階までの核店舗として新装開店し[885][886]、閉店時には直営は地下1階の衣料品だけとなっていた[883]。ロフトは市内移転。[要出典]
- 店舗跡には1階部分に店舗が入居する地上11階・地下1階建てのマンション建設計画を不動産会社が立て、2015年(平成27年)12月に竣工したが、地元の商店街などは建設に反対していた[884]。
- 売場面積606m2[887]。
上京区
[編集]東山区
[編集]右京区
[編集]- 売場面積609m2[620]。
- 清水ママセンター内に出店していた[895]。
- 1996年(平成8年)9月にはニチイからサティへ業態転換。[要出典]
- マイカルナック商事の経営であった。清水ママセンター破綻後出店、閉鎖後は解体。[独自研究?]
伏見区
[編集]その他の京都市
[編集]- 売場面積93m2[893]。
- 当地で1953年(昭和28年)4月に小林敏峯が洋品・肌着問屋として創業し[879]、1954年(昭和29年)1月に当地で資本金100万円で株式会社ヤマト小林商店を設立して法人化した[891]。
- 敷地面積約8,405m2[901]、地上2階建て[901]、延べ床面積約1,424m2[901]、店舗面積約1,170m2[901]、駐車台数約23台[901]。
- 国立京都国際会館近くに開設された中央部に吹き抜けの円形ホールを持つ2階建ての建物で、1階にマツダ系列のディーラー「ユーノス」とイタリアンレストラン「ラ・ヴィータ」、2階に高級輸入家具VISの店舗を設けており、衣料品売り場の無い商業施設だった[901]。
- 店舗面積約1,200m2[904]→約2,373m2[905]。
- 桂ショッピングセンター(約2,840m2)内に出店していた[904]。
- 旧ニチイ桂店。サティ転換後は、ポロロッカ食品館を併設する業態をとっていた。
- 2001年(平成13年)7月末に契約していた駐車場の一部の閉鎖による収容台数の減少が2001年(平成13年)9月25日の京都市大規模小売店舗立地審議会で認められたが、その際には民事再生法適用申請後であったためそのことの審議への影響について委員から質問が出ている[906]。
- 売場面積777m2[620]。
- 売場面積400m2[887]。
京都市以外
[編集]- 敷地面積約6,673m2[907]、鉄筋コンクリート造地地上3階建て[907]、延べ床面積約7,022m2[907]、店舗面積約4,500m2[907](当社店舗面積約2,504m2[907])、駐車台数約300台[907]。
- 閉店後の建物はそのまま、「エピコット長岡」として利用され、衣料品チェーンのオンセンドや、100円ショップのシルク等が入居していたが、2019年7月をもって閉鎖された[908]。
- 敷地面積約8,405m2[909]、鉄筋コンクリート造地地上3階建て[909]、延べ床面積約11,331m2[909]、店舗面積約6,435m2[909](当社店舗面積約5,619m2[909])、駐車台数約600台[909]。
- 小売市場である「八幡市場」に隣接する八幡ショッピングセンター(売場面積約7,331m2)の核店舗として売場面積約5,761m2で「ニチイ八幡店」として出店した[853]。
- 当地は核店舗として平和堂が出店する計画が進んでいた場所であったが、調整の結果ニチイが選ばれて出店した[853]。
- 店舗跡は商業施設「ファミレ八幡」となり、2008年(平成20年)8月8日に1階にコノミヤ八幡店が出店[910]。その後2023年(令和5年)7月5日にコノミヤ八幡店が閉店[911]、2023年(令和5年)9月28日にコノミヤ八幡店跡地にKOHYO八幡店が出店した[912]。
大阪府
[編集]大阪市
[編集]北区 (大阪市)
[編集]- 売場面積43m2[914] → 1,382m2[915]。
- 1955年(昭和30年)7月7日に間口2m奥行7mに拡張してセルフサービス式を導入し、「セルフハトヤ」として新装開店した[916]。
- 閉店後の建物はそのまま、子会社のマックロードへ移管され「マックロード天神橋店」となるも、後に閉店。[要出典]
- 売場面積965m2[917]。
- セルフハトヤの支店第1号として開店した[918]。
- 1968年(昭和43年)にメンズ・レディスファッション専門店の[920]エイティーン(後のエルメ)として新装開店し[921]、1972年(昭和47年)10月5日に設立された[922]株式会社エルメに譲渡された[923]。
- 売場面積1,755m2[924]。
中央区 (大阪市)
[編集]- 心斎橋ビブレ×[要出典](大阪市中央区周防町1[668]、1987年(昭和62年)11月1日開店[928] - 2001年(平成13年)11月30日閉店[929])
- 地下3階地上10階建て[930]、延べ床面積約10,564.7m2[931]、店舗面積約4,618m2[931](直営店舗面積約4,068m2[931])。
- 「心斎橋ビブレ21」として開業[928]。9階にはピープルの新業態スポーツクラブ「ジ・アドバンスドクラブ・エックスワン心斉橋」が開業時に開設された[932]。
- 閉店後もビル(心斎橋AXY)はそのまま残り、長らくビームスの大阪旗艦店などが入居していたが、2011年にビルを解体。跡地は三井不動産によって再開発が進められ、南北2つの低層店舗に生まれ変わった。南棟には2013年10月、ヒューゴ・ボスの路面店が開業。北棟には2015年3月8日、バーバリーの路面店が開業した。ビームスはビル解体後、大丸南館に移転した)[要出典]
淀川区・東淀川区
[編集]- ニューニチイ十三店 → 十三サティ✩(大阪市東淀川区十三本町1-12-1[903]ショウキン第8ビル[384](旧・十三西之町2-89-4[933][934])、1962年(昭和37年)4月開店[935])
- 売場面積1,570m2[933] → 約3,649m2[905]。
- 1952年(昭和27年)10月に川口商店として[934]大阪市東淀川区元今里で洋品小売業を創業し[935]、1956年(昭和31年)3月に屋号を「赤のれん」と改称[934]。1960年(昭和35年)9月12日に株式会社川口商店を設立して法人化し[934]、1962年(昭和37年)4月に当地に衣料スーパーを開店した[935]。1968年(昭和43年)に株式会社川口商店が株式会社みつもとと共に株式会社ニューニチイに吸収合併された[936]。
- ポロロッカ食品館を併設。[要出典]
- 店舗の規模が小さかったため、マイカル本体をサティやビブレを中心とした大型店舗の開発に特化するため中小型店をマイカルナック商事へ移管した際に当店も同社へ移管された[937]。
住之江区
[編集]- 売場面積148m2[933]。
- 売場面積111m2[620]。
住吉区・東住吉区
[編集]- 売場面積130m2[938]。
- 売場面積1,560m2[943]
その他の大阪市
[編集]- 売場面積1,658m2[880]。
- 1974年(昭和49年)1月29日に火災が発生し、1,187m2を焼失した[951]。
- 閉店後の建物はそのまま、大幅に改装され「大林寺病院」として利用されていたが、後に閉院。[要出典]
- 現在は解体され、2019年12月に11階建てのマンション「グランデュール林寺」が竣工した。[要出典]
- 売場面積384m2[620]。
- 売場面積439m2[933]。
- 敷地面積約12,783m2[957]、鉄骨造地上5階建て[957]、延べ床面積約8,194m2[957]、店舗面積約5,908.2m2[957](当社直営店舗面積約4,919.5m2[957])。
- 岡本常男が開いた旧「赤のれん」創業店で[958]、同社の本社が置かれていた[941]。
- 1996年(平成8年)5月にサティへ業態転換。[要出典]
- 店舗の規模が小さかったため、マイカル本体をサティやビブレを中心とした大型店舗の開発に特化するため中小型店をマイカルナック商事へ移管した際に当店も同社へ移管された[937]。
- 四貫島サティ✩×[要出典](大阪市此花区梅香3-20-4[881](旧・四貫島宮居町5[924])、1969年(昭和44年)6月[881][959] - 2001年(平成13年)4月30日閉店[広報 35])
- 売場面積1,258m2[881]。
- ニチイ四貫島店として開業。1996年(平成8年)にサティへ業態転換。[要出典]
- ポロロッカ食品館を併設[要出典]
- 店舗の規模が小さかったため、マイカル本体をサティやビブレを中心とした大型店舗の開発に特化するため中小型店をマイカルナック商事へ移管した際に当店も同社へ移管された[937][広報 35]。
堺市
[編集]- ニチイ初のショッビングセンターの店舗で[962]、敷地面積1,423m2[961]、鉄筋コンクリート造地下1階地上5階建て[961]、延べ床面積6,229m2[961]、店舗面積4,678m2[961] → 4,992m2[634]。
- 敷地面積約2,310m2[963]、鉄骨造地上4階建て[963]、延べ床面積約6,000m2[963]、店舗面積約4,356m2[963](当社店舗面積約1,980m2[963])、駐車台数約50台[963]。
- 「パリオ鳳店」(約990m2)と共に「オオトリショッピングセンター」の核店舗として出店していた[963]。
- 1974年(昭和49年)2月に偽爆弾電話が掛けられた事件が発生した[965]。
- ニチイ綾之町店 → 綾之町サティ✩×(堺市桜之町東1-1-2[881][880](旧・桜之町6丁目[966][967][968]、現・堺市堺区)、1960年(昭和35年)4月開業[966] - 閉店時期不明)
堺市以外の大阪府南部
[編集]- 敷地面積約3,882m2[970]、鉄筋コンクリート造地上5階建て[970]、延べ床面積約4,268m2[970]、店舗面積約2,651.08m2[970](当社店舗面積約1,880.64m2[970])。
- 地元資本によって開発されたショッピングセンターへ出店していた[547]。
- 1階食品売り場は「サンエー」が出店していた[972]。
- 敷地面積約1,594m2[975]、鉄筋コンクリート造地下1階地上6階建て[974][975]、延べ床面積約8,629m2[969]、売場面積約4,377.1m2[973] → 5,794m2[974](当社店舗面積約2,288m2[973] → 約3,681m2[974])、駐車台数約20台[975]。
- 南海本線泉佐野駅前にあった店舗で、1974年(昭和49年)2月17日に泉州銀行の店舗外への現金自動預け払い機第1号機が設置された[976]。
- 食品売り場は「まつや」(店舗面積約660m2)が出店していた[974]。
- 敷地面積約10,586m2[981]、鉄筋コンクリート造地上3階建て[981]、延べ床面積約20,455m2[981]、店舗面積約6,935m2[981](当社店舗面積約4,200m2[981])、駐車台数約500台[981]。
- ニチイ熊取ショッピングデパートとして開業[694]。
- 阪和線熊取駅近くの明治紡績工場跡地に岩出建設がデベロッパーとなって開発2[982]。
東大阪市
[編集]- 敷地面積約3,736.50m2[986]、鉄筋コンクリート造地下1階地上7階建て[986][987]、延べ床面積約26,591m2[987]、店舗面積約16,417.5m2[986](直営店舗面積約9,544.2m2[986] → 閉店時の直営店舗面積約9,391m2[988])。
- 旧(2代目)ニチイ布施店。近鉄布施駅前にあった地下1階地上7階建ての店舗で約半分を直営売り場とし、約半分が約80店舗の専門店街となっていた[989]。
- 代替店舗として、1996年(平成8年)3月1日に「ヴェル・ノール布施」の核店舗として開業した「布施ビブレ」を業務転換した「布施駅前サティ」(現・イオン布施駅前店)が、布施サティ閉店の8日後に開業している[221]。
- 敷地面積約2,380m2[990]、鉄骨造地上2階建て[990]、延べ床面積約4,538m2[990]、店舗面積約2,612m2[990](当社店舗面積約989m2[990])。
- 「花園食糧百貨」の核店舗として出店していた[990]。
八尾市
[編集]- 敷地面積約8,930m2[991]、鉄筋コンクリート造地下1階地上5階建て塔屋2階[991]、延べ床面積約17,590m2[991]、店舗面積約10,451m2[991](当社店舗面積約8,141m2[991] → 閉店時の直営店舗面積約9,373m2[広報 25])、駐車台数約500台[991]。
- ニチイ八尾ショッピングデパートとして開業[198]。
- 店舗跡の土地の一部に2011年(平成23年)12月に12階建ての大阪経済法科大学八尾駅前キャンパスが完成し、2012年(平成24年)春に正式にキャンパスとなることになった[992]。
- 敷地面積約3,300m2[993]、鉄筋コンクリート造地上2階建て[993]、延べ床面積約3,114m2[993]、売場面積1,401m2[300]。
- 養鶏場跡地への出店[993]。
- 現在は解体され、跡地にはスーパーマーケット「万代南木の本店」が[994]2010年(平成22年)11月1日に開業した。[要出典]
枚方市
[編集]- 敷地面積約1,980m2[995]、鉄骨造地上3階建て[995]、延べ床面積約4,290m2[995]、店舗面積約2,807.22m2[995](直営店舗面積約2,066.40m2[995])。
- 枚方デパートに出店していた[962][996]。
- 売場面積1,839m2[388]。
- 1974年(昭和49年)6月に火災が発生した[965]。
- 1990年(平成2年)4月に京阪電鉄枚方市駅前の再開発事業で建設されたショッピングセンター「ビオルネ」[212]の核店舗として開業した枚方ビブレで[213]、2008年(平成20年)2月27日にサティへ業態転換した[213]現在のイオン枚方店とは別店舗。
高槻市
[編集]- 敷地面積約2,291m2[961]、鉄筋コンクリート造地上5階建て[961]、延べ床面積約8,258m2[961]、店舗面積約5,133m2[961]、駐車台数約10台[961]。
- ニチイ高槻ショッビングデパートとして開業し[998]、開業時には4階に星電社が出店していた[999]。1995年(平成7年)4月にサティへ業態転換。[要出典]
- マイカルナック商事[424]。
- [1001]、鉄筋コンクリート造地下1階地上3階建て[1001]、延べ床面積約29,665m2[424]、店舗面積約12,627m2[424](うち直営店舗面積約11,160m2[424])。閉店時の直営店舗面積約11,160m2[広報 29]。
- 東洋紡績研究所跡地への出店[1001]。
- 1994年(平成6年)にサティへ業態転換。
- 閉店後、跡地には2004年(平成16年)9月10日にマックスバリュ高槻南店が開業[1002]。
その他の大阪府北中部
[編集]- 柏原デパートに出店していた[1003]。
- また、2008年(平成20年)には、3・4階部分に「柏原市民交流ひろば」が開業[広報 38]するが、2017年(平成29年)12月28日をもって閉館[広報 39]。
- 店舗面積1,315m2[1006]。
- 茨木本町中央銀座商店街に出店していた[952]。
- (2代目)ニチイ茨木店(茨木市元町7-5[1010]、1974年(昭和49年)5月25日開業[1009] - 1990年(平成2年)12月閉店[要出典])
- 敷地面積約1,943m2[1011]、鉄筋コンクリート造地下1階地上6階一部7階建て[1011]、延べ床面積約10,988m2[1011]、店舗面積約7,431m2[1011](当社店舗面積約4,540m2[1011])、駐車台数約20台[1011]。
- ニチイ豊中ショッビングデパートとして開業[420]。
- ライフ駅前店(約532m2)と共に「豊中新開地ビル」の核店舗として出店していた[1011]。
- 1995年(平成7年)に阪神大震災により被害を受けたため、小林敏峯社長を室長とする阪神大震災復興対策室の支援を受けて店舗の再建を行った[1012]。
- 敷地面積約16,726m2[1013]、鉄骨鉄筋コンクリート造地下1階地上3階建て[1013]、延べ床面積約15,803m2[1013]、店舗面積約6,018m2[1013](当社店舗面積約4,000m2[1013])、駐車台数約600台[1013]。
- 1997年(平成9年)4月23日にサティへ業態転換。[要出典]
- ショッピングセンター・ジャンボスクエア交野の核店舗であった。現在は核店舗を「イズミヤ交野店」に変えて営業。[要出典]
- 敷地面積約8,373m2[987]、鉄筋コンクリート造A棟地上2階建て・B棟地上3階建て[987]、延べ床面積A棟約5,412m2・B棟約8,177m2[987] → 約15,232m2[424]、店舗面積A棟約2,017m2・B棟約5,869m2[987] → 約10,128m2[424](うち直営店舗面積約9,039m2[424])。
- ニチイ藤井寺ショッビングデパートとして開業し、開業時にはB棟1階に食品スーパーのサンプラザイズミダイワが出店していた[1014]。
兵庫県
[編集]神戸市
[編集]- ニチイ・エイティーン(神戸市三宮町1-18[1016]、? - ?)
- 売場面積380m2[1016]。
- 1988年(昭和63年)11月10日に神戸市西区王塚台に2代目「ニチイ西神戸店」が開業したが[90]、西神戸サティを経てイオン西神戸店に転換後、2014年(平成26年)12月31日に閉店した[249]。
- 湊川サティ(神戸市兵庫区荒田町1-20-1[955]パークタウン2F[1019](旧・1-36[1020][1016][935]パークタウン2F[1021])、1956年(昭和31年)3月開店[955][1022] - 閉店時期不明)
- 売場面積300m2[1020]。
- 敷地面積約8,168.61m2[1027]、鉄筋コンクリート造地下1階地上13階建て[1023]、延べ床面積約45,241.39m2[1023][1027]、店舗面積約15,557m2[1024](当社店舗面積約10,600m2[1028])。
- 1992年(平成4年)10月に阪神間で最大規模を誇った旧森市場を再開発したセルバの核店舗として誘致されて「東神戸サティ」として[1012]開業[1026]。
- 1995年(平成7年)に阪神大震災により被害を受けたため、小林敏峯社長を室長とする阪神大震災復興対策室の支援を受けて再建を行った店舗の1つである[1012]。
- 1997年(平成9年)度に売上高73億円を上げていたが、競争の激化により2001年(平成13年)度に売上高46億円に落ち込み[1026]、2003年(平成15年)7月末に閉店した[1026]。
- 店名変更は店舗裏手の甲南山手駅開業にあわせた対応。[要出典]
- セルバ自体はそのままで、サティ部分の退去跡には2003年(平成15年)11月22日に地下1階に関西スーパーを皮切りに2階のユニクロや4階の100円ショップザ・ダイソーなど全13店が順次開業した[1029]。
尼崎市
[編集]- 売場面積466m2[889]。
- 旧・三元商会の店舗で[1030]、1968年(昭和43年)に株式会社みつもとが株式会社川口商店と共に株式会社ニューニチイに吸収合併された[936]。
- 衣料品店であった[955]。
- ニチイ閉店後も、杭瀬市場には「ニチイチェーン 杭瀨店」の看板が残されている。[要出典]
- 尼崎サティ✩(尼崎市神田北通5-137[665][57]、1965年(昭和40年)5月[1032]30日開業[要出典] - 1987年(昭和62年)4月{{要出典範囲|date=2023年12月|29日業態転換(サティ尼崎)[1033]→ 1996年(平成8年)9月4日業務転換(尼崎ビブレ)→ 1999年(平成11年)10月31日閉店[要出典])
- 尼崎ビブレの店舗面積約4,998m2[665][57]。
- 旧・ニチイ尼崎店。1987年4月に「サティ尼崎」に業態転換し[1033]、その後「尼崎サティ」に改称。[要出典]
- 尼崎サティ時代には食品の取り扱いが無かった為、従業員の名札、看板は青色だった。[独自研究?]
- 1996年9月4日に「尼崎ビブレ」に業務転換し、1999年10月31日をもって閉店。尼崎ビブレ閉店後、「NAC尼崎」に再び業務転換したが、2002年3月に閉店した。[要出典]
西宮市
[編集]- 売場面積378m2[1034] → 185m2[1035][1036]。
- 旧・三元商会市雅の店舗で[1034]、1968年(昭和43年)に株式会社みつもとが株式会社川口商店と共に株式会社ニューニチイに吸収合併された[936]。
- 敷地面積約9,266m2[1037]、鉄筋コンクリート造地下1階地上5階建て塔屋2階[1037]、延べ床面積約25,831m2[1037]、店舗面積約15,562m2[1037](当社店舗面積約9,574m2[1037])、駐車台数約200台[1037]。
- 関西スーパーマーケット(店舗面積約1,452m2)と共に核店舗として出店していた[1037]。
- 1973年(昭和48年)に阪急電鉄西宮北口駅の南側にニチイ西宮店として開業。5階建ての総合スーパーで、開店当初は広域から集客して売上を伸ばし、2001年(平成13年)2月期に売上高78億円を上げていたが、同年9月のマイカルの破綻の影響や周辺への競合の大型店の出店などの影響で2004年(平成16年)2月期に売上高43億円にまで落ち込んだ上、建物の一部が西宮市が駅周辺で進めている土地区画整理事業の道路用地になっていたため営業継続には建替えが必要で、資金面から対応が難しいこともあり、2005年(平成17年)1月10日をもって閉店した。店舗周辺にはマイカルイストの飲食店など、グループ企業店舗が何店舗があった[1039]。
- 国内スーパー業界初のアスレチッククラブ併設の店舗として開業した[1038]。(ピープル・エグザス(現・コナミスポーツ)の第1号)。現在コナミスポーツは西宮北口駅前の本店と駅西側の本店アネックスで営業中。
- 1995年(平成7年)に阪神大震災により被害を受けたため、小林敏峯社長を室長とする阪神大震災復興対策室の支援を受けて再建を行った店舗の1つである[1012]。
- 店舗の移転計画が進められていたが業績悪化に伴い2001年(平成13年)に移転計画を断念した[1040]。
その他の兵庫県
[編集]- 店舗面積約231m2[1043][1044] → 約182m2[955]。
- 衣料品店であった[955]。
- 赤のれん明石店が[1044]、1968年(昭和43年)に株式会社川口商店が株式会社みつもとと共に株式会社ニューニチイに吸収合併され[936]、ニューニチイ明石店[1045]。
- サティ転換後、しばらくは「明石サティ」の店名であったが、1997年10月23日に「マイカル明石(現・イオン明石ショッピングセンター)」が開業し、店名を「本町サティ」に改称した。[独自研究?]
- 敷地面積約9,216m2[1046]、鉄筋コンクリート造地上3階建て[1046]、延べ床面積約14,108m2[1046]、店舗面積約5,939m2[1046](当社店舗面積約5,629m2[1046])、駐車台数約750台[1046]。
- 1980年(昭和55年)3月に開業し[1047]、自社の店舗である三田ウッディタウンサティ(現:イオン三田ウッディタウン店)がニュータウンに立地し、映画館などを備えて顧客の一部流れていた上[228]、店舗に近い三田本町通りセンター街の店舗数が最盛期の約半分の29店にまで減少するなど、中心市街地の衰退が進んだことにより、1991年(平成3年)度に94.2億円だった売り上げが[1048]2001年(平成13年)2月期に約55.82億円へ減少、2004年(平成16年)2月期には約28.97億円まで落ち込み、土地と建物の賃貸契約が2005年(平成17年)12月末に満了を迎えるため[1049]、その直前の2005年(平成17年)11月30日に閉店した[1047]。
- 店舗跡は2006年(平成18年)7月から解体工事が行われ、食品スーパーを核店舗とする商業施設を招致する計画が進められていると、同年11月15日の三田市議会決算特別委員会にて明らかにされた[1050]。
- 敷地面積約2,170m2[1051]、鉄筋コンクリート造地下1階・地上8階建て・塔屋2階[1052]、延べ床面積16,052.5m2[1052]、店舗面積 約8,335m2[1051](当社店舗面積約4,173m2[1051])、駐車台数約230台[1051]。
- 関西スーパーマーケットの開設した「伊丹ショッピングデパート」内にニチイ伊丹店として開業した[1053]。
- ニチイや関西スーパーが開業した1971年(昭和46年)4月には、他にも「ジャスコ伊丹店(初代、1995年閉店)」や「長崎屋伊丹店(後のシャル長崎屋伊丹店、1990年閉店)」が伊丹駅前に開業しており、スーパーマーケット4店が一気に開業した[198]。
奈良県
[編集]奈良市
[編集]- ニチイ奈良店 → 奈良ビブレ(奈良市小西町25[66]、1968年(昭和43年)11月21日開業[1054] - 1990年(平成2年)6月28日ビブレ業態転換[66] - 2013年(平成25年)1月20日閉店[1055])
- 敷地面積約1,758m2[1054]、鉄筋コンクリート造地下1階地上5階建て[1054]、延べ床面積約7,757m2[1054]、店舗面積約5,178m2[1054](当社店舗面積約3,396m2[1054])、駐車台数約50台[1054]。
- 1990年(平成2年)6月28日に奈良ビブレに業態転換した[66]。
- 敷地面積約4,428m2[1056]、鉄筋コンクリート造地下1階地上2階建て[1056]、延べ床面積約8,627m2[1056]、店舗面積約3,794m2[1056](当社店舗面積約2,788m2[1056])、駐車台数約200台[1056]。
- 1984年(昭和59年)3月にサティ1号店として開業[1058][1059]。開店時は「サティ学園前」と名称が逆表示となっていた。また、食品の取扱いはなく、衣料品のみであった。看板は青色だった。
- 店舗跡は、閉店翌月の6月29日にLICKS学園店が開業した[1060]。
- 1962年(昭和37年)12月に「もも屋奈良店」として開店し[1061]、1971年(昭和46年)7月15日に「ニチイ」が「もも屋」を吸収合併して営業を継承した[1062]。
- 奈良市東向中町17には[1063]1973年(昭和48年)6月に「エルメ奈良店」が開店した[983]。
天理市
[編集]- 敷地面積約1,492m2[1064]、鉄筋コンクリート造地下1階地上6階建て[1064]、延べ床面積約8,231m2[1064]、店舗面積約2,793m2[1064](当社店舗面積約1,333m2[1064])。
- 衣料品店であった[881]。
- 天理ビル内に[1065][1066]「いそかわ」(約532m2)(現在のマルヤス)[要出典]と共に核店舗として出店していた[1064]。
- 閉店後の建物はそのまま、100円ショップのダイソーや、衣料品チェーンのオンセンドなどが入居している。[要出典]
- 売場面積469m2[880][620]。
- 1967年(昭和42年)10月に[881]「もも屋天理店」として開店し[1067]、1971年(昭和46年)7月15日に「ニチイ」が「もも屋」を吸収合併して営業を継承した[1062]。
- 衣料品店であった[881]。
- 閉店後の建物はそのまま、子会社のマックロードに移管され「マックロード天理店」となるも、後に閉店。[要出典]
- 現在は「天理駅前第2ビル」として利用されている。[要出典]
- 売場面積300m2[1068]。
- 1967年(昭和42年)12月に株式会社新津商事が株式会社ニチイほか2社と共に株式会社ニューニチイを設立し[1069]、1968年(昭和43年)3月に株式会社新津商事が有限会社トミヤ商店と株式会社フタバヤと共に株式会社ニューニチイに吸収合併された[950]。
桜井市
[編集]- (初代)ニチイ桜井店[1065] → ニチイ桜井本町店[620](桜井市本町2-932[889](旧・932[1065][1068])、1952年(昭和27年)7月12日開店[1070] - 閉店時期不明)
- 売場面積871m2[1065] → 1,060m2[620]。
- 1952年(昭和27年)7月12日に新津和彦が新津雑貨店として開店し[1070]、1961年(昭和36年)6月24日に衣料スーパーの「セルフシンツ」となった[1071]。
衣料品店であった[881]。
- 敷地面積12,437.25m2[1073]、鉄筋コンクリート造3階建て[1073][1072]、延べ床面積22,240.79m2[1073]、売場面積約10,255m2[1072](直営約7,674m2[1072])、駐車台数約400台[1072]。
- 総合スーパーとして桜井本町店と並行して営業していた[881]。
- 1990年(平成2年)4月にサティへと業態転換[300]
高田市
[編集]- 敷地面積約1,996.5m2[1074]、鉄骨造地上2階が一部3階建て[1074]、店舗面積約2,385m2[1075]、駐車台数約10台[1074]。
- 天神橋筋商店街に出店していたが、オークタウンに対抗するために増床移転する形で閉店した[1077]。
- 建物は2022年現在も現存しており、南河生鮮市場高田店が入居している。[独自研究?]
- 敷地面積約13,049m2[1078] → 約15,233m2[1082]、鉄筋コンクリート造地上4階建て[1078]、延べ床面積約37,913m2[1078][1083][1082]、店舗面積約16,162m2[1078](当社店舗面積約11,531m2[1078])、駐車台数約600台[1078][1083]。
- 近鉄高田市駅前の一角にある[1080]片塩町の国道168号沿いに1976年(昭和51年)5月28日に[1079]2代目高田店として開業[1077]。地上4階建ての専門店も入居した総合スーパー[1084]で、大和高田市の中核的な商業施設となり[1080]、1991年(平成3年)度に売上高134億円を上げており、1992年(平成4年)4月22日に増床した上でサティへ業態転換[1085][1082]を行った際には、初年度売上高目標として160億円を見込むほど売上を伸ばしていた[1082] が、当地でも1977年(昭和52年)にユニチカが工場を閉鎖するなど繊維産業の衰退と生産拠点の海外移転が進み、大和高田市の人口がピークの1997年から約8000人減少して約6万8000人となり[1080]、また近隣に競合するスーパーが出店するなどして[1084]店舗周辺の人通りも減るなど[1080]商環境が変化したため、2004年(平成16年)9月10日に熟年層をターゲットに改装を行った[1086]。しかし、それでも売上が伸び悩み、建物の老朽化で修繕費などが嵩むようになったことも重なり[1084]、2010年(平成22年)6月30日をもって閉店した[1081]。
- 閉店直後の2010年(平成22年)7月に行われた毎年恒例の大和高田商工会議所による商店街の通行量調査で、サンサン中通りが平日で前年度比42.34%減で休日が57.66%減となり、片塩コスモス通りも合計で23.26%減となるなど店舗に近い商店街ほど大きく落ち込むなど、店舗閉鎖は周辺商店街の集客に大きなマイナスの影響を与える結果となった[1087]。
- 店舗跡は2011年(平成23年)9月に地元大和高田商工会議所会頭が経営する[1088]大和ガスが取得して食品スーパーの招致に乗り出し[1089]、「近商ストア」大和高田店が2013年(平成25年)4月4日に開店した[1090][1091]。
五條市
[編集]その他の奈良県
[編集]- 売場面積220m2[880][1095][881]。
- 1951年(昭和26年)に[1096]当地で「ヒガシモト衣料店」として開店して[1061]1962年(昭和37年)3月1日に[1096]「株式会社もも屋」を設立し[1061]、1963年(昭和38年)11月に[881]鉄筋コンクリート造5階建ての店舗を新築して[1061]「もも屋生駒店」として開店した[1094]。1971年(昭和46年)7月15日に「ニチイ」が「もも屋」を吸収合併して営業を継承した[1062]。
- 衣料品店であった[881]。
- 敷地面積約4,568m2[1100]、鉄筋コンクリート造地上6階建て塔屋1階[1100]、延べ床面積約17,319m2[1100]、店舗面積約10,337m2[1100](当社店舗面積約5,489m2[1100])、駐車台数約510台[1100]。
- スーパー「ヤマトー八木店」(約532m2)と共に核店舗として出店していた[1100]。
- 衣料品店であった[881]。
- 店舗跡は建物再利用で総合スーパー「ヤマトー八木店」となったが、建物の老朽化や郊外型量販店との競合激化で2009年(平成21年)1月末で閉店した[1101]。その跡地に「ヤマトー」が食品スーパーで再出店を計画している[1101]。
- 敷地面積約25,762m2[1102]、鉄筋コンクリート造地上2階建て[1102]、延べ床面積約10,557m2[1102]、店舗面積約7,905m2[1102](当社店舗面積約6,314m2[1102])、駐車台数約320台[1102]。
- 閉店時の直営店舗面積約5,833m2[553]
- 2010年(平成22年)に居抜きで「スーパーおくやま結崎店」が入居している[1104]。
- 敷地面積約1,127.27m2[1105]、鉄筋コンクリート造地上3階建て[1105]、延べ床面積約2,420.28m2[1105]、店舗面積約1,611.93m2[1105](当社店舗面積約948.20m2[1105])、駐車台数約50台[1105]。
和歌山県
[編集]- 敷地面積約2,194m2[1106]、鉄筋コンクリート造地下1階地上12階建て塔屋1階[1106]、延べ床面積約20,079m2[1106]、店舗面積約9,597m2[1106](当社店舗面積約7,272m2[1106])。
- ぶらくり丁商店街の一角の[1109]日の丸ビルに出店していた[1107]。
- ニチイから1985年(昭和60年)3月にファッションビルの「サティ」へ業態転換した[1110]。
- 店舗跡は総合卸売問屋ワボック → 現在は建て替えられパチンコ店マルハン[独自研究?]
- 鉄筋コンクリート造地上2階建て[1111]、延べ床面積約10,000m2[1111]、店舗面積約5,293m2[1111](当社店舗面積約3,300m2[1111])。
- 「リバータウン」の核店舗として出店していた[1111]。
- 敷地面積約9,240m2[1113]、鉄筋コンクリート造地上2階建て[1112]、延べ床面積約11,332m2[1112]、店舗面積約5,729m2[1112](当社店舗面積約3,960m2[1112][1107])、駐車台数約600台[206]。
- 「ライオン蚊取り線香工場」跡地に開発された[1113]「ミノシマショッピングセンター」の核店舗として出店していた[1112]。
- 店舗跡は2002年(平成14年)11月8日にオークワ箕島店が開業[1114]。なお、かつてのオークワ箕島店は「プライスカット有田店」に業態変更。
- 高野口サティ✩:(伊都郡高野口町伏原140[1115](現:橋本市高野口町伏原139−1)、1980年(昭和55年)12月1日開店[1115][1107] - 2001年(平成13年)1月10日閉店[1116])
- 敷地面積約8,319m2[1115]、鉄筋コンクリート造地上2階建て[1115]、延べ床面積約9,655m2[1115]、店舗面積約4,716m2[1115](当社店舗面積約3,800m2[1115][1107])、駐車台数約350台[1115]。
- 高野口駅から東へ約2㎞の国道24号沿いへ出店[1117]。
- 店舗跡は2001年(平成13年)10月31日付でオークワが買収し[1116]、2002年(平成14年)3月8日にオークワ高野口店が開業[1118]。
- JR和歌山線紀伊山田駅から約1キロ離れた国道24号沿いに立地していた[1118]。
- 敷地面積約16,235m2[1119]、鉄筋コンクリート造地上2階建て塔屋1階[1119]、延べ床面積約12,759m2[1119]、店舗面積約6,613m2[1119](当社店舗面積約5,125m2[1119])、駐車台数約650台[1119]。
- 2000年(平成12年)11月29日にオークワミレニアシティ岩出店が開業[1120]。
- 岩出町清水にあった「紀ノ川協同組合」の小売市場の移転大型化計画に合わせて出店[1117]。
- 和歌山県からすべてのサティが撤退。和歌山ビブレも2001年5月に撤退し、和歌山県内からマイカル系列の店舗が消滅した。[要出典]
中国
[編集]鳥取県
[編集]- 敷地面積約12,497m2[1121]、鉄筋コンクリート造地上3階建て塔屋1階[1121]、延べ床面積約13,469m2[1121]、店舗面積約7,781m2[1121](当社店舗面積約5,298m2[1121])、駐車台数約800台[1121]。
- 当初、「米子ホープタウン」として開業し[1123]、同グループだった出雲ファミリーデパート、浜田ファミリーデパートと合併し、「サンメルトホープタウン店」となった。1993年(平成5年)3月に、米子駅前に出店した「米子サティ」を経営する米子ニチイ(ニチイ100%出資子会社)などと合併して、「サンインニチイ」が発足[1124]。店名は「ホープタウンサティ」となった[1124]。なお、サンインニチイは後にマイカルサンインに社名変更を行っている。
- その後、同エリア内でのサティ2店舗による自社競合を避けるため、米子サティは百貨店業態に転換し「米子ビブレ」となる(運営もマイカル本体に移管)。この後、ホープタウンサティは「(2代目)米子サティ」にリニューアル。
- マイカル破綻後、マイカルサンインはマイカルグループから独立。「ホープタウン」と社名変更し、米子サティも店名を再び「ホープタウンサティ」に変更した。その後、リニューアルを繰り返す中で徐々にマイカル色を払拭し、サティの店名も外し「ホープタウン」となる[1125]。2008年(平成20年)にはマルイと提携し、マルイが食品部門に入居する形態となり、食品部門のみ「ホープタウンマルイ」となった[1126]。
- 2022年(令和4年)1月31日閉店[1127][1128]。
島根県
[編集]- 敷地面積約20,035m2[1129]、延べ床面積約26,527m2[1129]、店舗面積約15,419m2[1129]。駐車台数約960台[1129]。
- 商業施設「パラオ」[1132] と共に開業するが、2002年(平成14年)8月31日に閉店[1131]。
- 店舗跡にはサティよりも食品や下着、子供関連の売場を強化すると共に化粧品や医薬品などを扱うヘルス&ビューティーケア売場の導入し、ヤングファミリー層をメーンターゲットとした「ジャスコ出雲パラオ店」として2002年(平成14年)10月6日に開店した[1133]が、2008年(平成20年)6月に[281]ゆめタウン出雲(イズミ)が出店、同年9月27日に松江サティが対抗して増床[281]、また同年10月に[281]ジャスコ日吉津店も増床する[279]など大型ショッピングセンターの競争が激化したため[281]売上が伸び悩み、2009年(平成21年)1月20日にジャスコ出雲パラオ店は閉店となった[1134]。その後、2009年(平成21年)4月22日にトライアルが出店した[1135][1136]が、2016年(平成28年)2月14日に閉店。[要出典]
- 併設された専門店街の「パラオ」は競合するショッピングセンターの開業に伴う競争激化で、売上高も1993年(平成5年)度の64億円が2011年(平成23年)3月期に約10億円に落ち込み、店舗数もピーク時の70から減少し続けて45にまで減少するなど業績が低迷したため、専門店街を運営していた協同組合「出雲ショッピングセンター」が2012年(平成24年)2月29日に松江地方裁判所に自己破産を申し立てて倒産し、営業停止となった[1132]。
- ジャスコ閉店後、2009年(平成21年)4月22日にトライアル出雲店が開業[1135][1136]するも、2016年(平成28年)2月14日に閉店。[要出典]
- トライアル閉店後、建物は解体され、[要出典]跡地の一部にマックスバリュ西日本が「マックスバリュ今市店」を2022年(令和4年)9月3日にオープンした[1137]。
- 敷地面積約3,871m2[1138]、鉄骨鉄筋コンクリート造地上3階建て[1138]、延べ床面積約7,800m2[1138]、店舗面積約4,021m2[1138](当社店舗面積約3,000m2[1138])、駐車台数約200台[1138]。
- 延べ床面積約7,832m2[384]、店舗面積約5,854m2[384]。
- 「朝日木材」工場跡地に[1141]、浜田ファミリーデパートとして開業[1139]。
- 店舗跡はシティパルク浜田 → ゆめマート浜田[独自研究?]
岡山県
[編集]倉敷市
[編集]- ニチイ倉敷店[1142][1143](倉敷市阿知2-2-5[1142](旧・2-600-36[1144])、1963年(昭和38年)5月1日開業[1144] - 1993年(平成5年)2月末閉店[543])
- 岡山エステートビル[384]。延べ床面積約14,660m2[384]、店舗面積約4,929m2[206] → 約7,361m2[57]、駐車台数約430台[206][57]。
- ニチイ水島店として開業[1145][広報 21]。1995年(平成7年)にサティへ業態転換した[広報 21]。
- 地元主導型ショッピングセンター「パオ」内に[1149]ニチイ新倉敷ショッピングデパートとして1979年(昭和54年)3月16日に開店[1150]。
- 1990年(平成2年)10月24日に[1147]サティに業界転換[1151]。
- 店舗跡はトライアル倉敷店[1152]が居抜き出店したが、2020年(令和2年)5月17日に閉店[1153]。解体後、2021年10月にハローズ玉島店が出店。[要出典]
- 地元主導型の共同店舗に出店する形で[1156]、ニチイ児島店として開業[1157]。1992年(平成4年)9月23日にサティへ業態転換[1157]するが、競争激化による売り上げ不振を理由に2001年(平成13年)3月5日閉店[1155]
倉敷市以外
[編集]- 敷地面積約27,380m2[1161]、鉄筋コンクリート造地上2階建て塔屋2階[1161]、延べ床面積約22,270m2[1161]、店舗面積約12,932m2[1161](当社店舗面積約6,786m2[1161])、駐車台数約1,000台[1161]。
- 笠岡シーサイドモールの核店舗として出店していた[1161]。
- 店舗跡は2002年(平成14年)7月に山陽マルナカが開業[1164])
広島県
[編集]呉市
[編集]- 敷地面積約1,848m2[1168]、鉄筋コンクリート造地下1階地上4階建て[1168]、延べ床面積約7,689m2[1168]、店舗面積約4,581m2[1168](当社店舗面積約1,437m2[1168] → 1,678m2[634])。
- 「協同組合銀座デパート」の運営する同名のショッピングセンターの核店舗として出店していた[1168]。
福山市
[編集]- 福山ビブレ☆×[1170](福山市東桜町1−41[1142][1171]、元ニチイ福山店:1970年(昭和45年)10月2日開店[1171][1172] - 1993年福山ビブレに転換 - 1999年(平成11年)8月末閉店[1173])
- 敷地面積約2,970m2[1171][1172]、鉄筋コンクリート造地下2階地上7階建て[1172]、延べ床面積約22,188m2[1172]、店舗面積約13,999.6m2[1172](直営店舗面積約9,442.6m2[1172])。
- 店舗面積約677m2[1178]。
- 店舗面積約492m2[1142]。
- 店舗面積約495m2[1178]。
- 敷地面積約15,074m2[1179]、鉄筋コンクリート造地上2階建て[1179]、延べ床面積約12,534m2[1179]、店舗面積約7,099m2[1179](当社店舗面積約5,610m2[1179])、駐車台数約500台[1179]。
- ニチイ駅家店として開業[300]。1994年にサティへ業態転換した。[要出典]
- 店舗跡は2005年(平成17年)3月にハローズ、しまむら等の「駅家モール」が開業[1180]。
- 敷地面積約13,959m2[1181]、鉄筋コンクリート造地上2階建て[1181]、延べ床面積約7,745m2[1181]、店舗面積約4,044m2[1181](当社店舗面積約2,716m2[1181])、駐車台数約410台[1181]。
- 店舗跡はホームセンターユーホーとなるが、同店の新築移転後、パチンコ店(マンハッタン)となった。2022年10月31日から11月3日にかけてエブリイ、ウォンツなどのアクロスプラザ神辺となっている。[独自研究?]
- 三吉サティ食品館(福山市三吉町4丁目10−22、2001年(平成13年)5月20日閉店[1183])
三原市
[編集]- 敷地面積東館約5,970m2[1188]・西館約5,158m2[1188]、東館鉄筋コンクリート造地下2階地上7階建て塔屋2階[1188]・西館鉄筋コンクリート造地上7階建て塔屋1階[1188]、延べ床面積東館約35,290m2[1188]・西館約21,375m2[1188]、店舗面積約21,805m2[1188](当社店舗面積約5,074m2[1188])、駐車台数約162台[1188]。
- 三原駅前再開発ビルの[1189]「ペアシティ三原」西館の核テナントとして出店していた[1190]。
- 店舗跡は1階に三原スーパーのパルディ三原駅前店が出店していたものの、2015年9月に閉店。中層階は、三原市と第三セクターが取得して総合保健福祉センター等として活用されている[1191]。
その他の広島県
[編集]- 店舗面積約1,115m2[1192]。
- 1966年11月8日、福山市に本社を置くみとうが尾道店を開店[1193]。1969年、みとうがニチイと合併し瀬戸内ニチイ尾道店となる。1972年にはニチイ本体に営業が移管されニチイ尾道店となった。1979年、天満町の東洋繊維尾道工場跡地に新店舗を開店する為に閉店。以降はイオン尾道店を参照。[要出典]
- 因島サティ✩×(因島市土生町塩浜南区1899-3[1010](現・尾道市因島土生町1899-3)、1970年(昭和45年)4月17日開店[895] - 2008年(平成20年)11月30日閉店[1198])
- ニチイ因島店は店舗面積約1,400m2[895]→約2,796m2[1010]。
- 閉店時の直営店舗面積約2,293m2[988]
- 1972年(昭和47年)11月に因島土生町の土生商店街に開店、因島南部と愛媛県上島町を商圏として1983年(昭和58年)2月期は売上高約26億円を上げていたが、2008年(平成20年)2月期には売上高10億円弱に落ち込んで営業損益が数千万円の赤字となり、店舗の老朽化も進んでいたことも相俟って2008年(平成20年)11月30日に閉店して36年の歴史に幕を下ろした[1198]。
- 店舗跡は2009年(平成21年)1月8日から解体工事が行われ[1199]更地になり、地権者が因島の島外資本を含めた集客力のある食品スーパーの出店交渉を行って最終的に日立造船因島生活協同組合が出店することになり[1200]、同年10月26日に地鎮祭を行って建設工事に入り[1201]、2010年(平成22年)4月16日に日立造船因島生活協同組合「コープ・フレニール」が開店した[1202]。
- 広島初の7スクリーンのシネマコンプレックスであったワーナー・マイカル・シネマズ広島[1204] を併設して1997年(平成9年)10月に開店し[1203]、中四国最大の11スクリーンを持つシネマコンプレックスの「広島バルト11」を併設するダイヤモンドシティ・ソレイユ(現在のイオンモール広島府中)が2004年(平成16年)3月に開業し[1204]、8スクリーンのシネマコンプレックスの「TOHOシネマズ緑井」を併設するフジグラン緑井が2004年(平成16年)9月30日に開業した[1205] のに対抗して2004年(平成16年)9月18日にリニューアルを行った[1206]が、ショッピングセンター間の競争激化の影響を受けて[1203]2011年(平成23年)7月18日閉店した[2]。
- サティからイオンへのブランド変更が発表された時点で閉店が決まっていたため、2011年3月以降も「サティ」ブランドは継続していた。
- サティ直営の売場の閉店後の各テナントの営業継続は各々との協議に委ねられて一律に閉鎖しなかったため[1203]、ワーナー・マイカル・シネマズなどの専門店は継続営業を行っていた。[要出典]
- サティの直営店の店舗跡のうち1階部分が2011年(平成23年)9月21日にマックスバリュ段原店となり[1207]、翌月には残りの階も整備しイオンモールが運営する「広島段原ショッピングセンター」として開店。5階部分は移転に伴ってマックスバリュ西日本の本社とイオンリテール中四国カンパニーが入居する事務所フロアとなった[1208] 以外のフロアは大型専門店や雑貨、サービス、飲食など店舗が入り、広島段原ショッピングセンターとして開業した[1209]。
- 2024年3月1日、マックスバリュ西日本がフジと経営統合(持株会社のフジが事業子会社のフジ・リテイリングとマックスバリュ西日本を吸収合併)したことに伴い、フジが本社を愛媛県松山市から当ビルに移転し、マックスバリュ西日本の本社を新本社として使用している[広報 40][広報 41][1210]。
山口県
[編集]下関市
[編集]- ニチイます屋唐戸店 (下関市赤間町[1212])
- 売場面積990m2[1212]。
- SC名称:山の田ショッピングプラザ[1213]
- 敷地面積約9,156m2[1213]、鉄骨造地下1階地上3階建て塔屋1階[1213]、延べ床面積約17,965m2[1213]、店舗面積約4,747m2[1213](当社店舗面積約3,792m2[1213]) → 約9,000m2[1214]、駐車台数約459台[1213]。
- 2、3階が売り場の店舗だった[1214]。
- 1995年(平成7年)にサティへ業態転換した[1214]。
- ニチイ時代の1985年(昭和60年)度には売上高約35億円を上げたが、競合店の度重なる出店などによる商環境の変化の影響を受けて2007年(平成19年)度に売上高が約10億円にまで落ち込み、そのうえ建物も老朽化していて将来の収益の目処が立たないとして2009年(平成21年)2月28日に閉店[1214]。
- 建物は暫くの間廃墟として放置されていたが後に解体され、跡地にはマンションが建築された[1216]。
山口市
[編集]- 延べ床面積約3,089m2[384]、店舗面積約2,218m2[1010]。
- 衣料品スーパー・ニチイ山口店として開店し、1996年(平成8年)3月に「山口サティ」に業態転換した[1219]。
- ダイエー山口店とともに道場門前商店街に出店[1220]。1978年(昭和53年)度に売上高約13.4億円を上げ[1221]、3階建てで売り場面積は2,218m2と小規模だったため1994年(平成6年)度からは衣料品とベーカリーを組み合わせた業態に転換し、売上の回復を目指したが、1997年(平成9年)度に売上高約3.18億円に落ち込むなど業績が好転しなかったため、1998年(平成10年)5月末をもって閉店した[1221]。ダイエー山口店も翌月6月末に閉店し[1220]、ダイエー跡地には生活協同組合コープやまぐちどうもん店が出店した[1222]。
萩市
[編集]その他の山口県
[編集]- 徳山サティ✩×(徳山市銀座2-30—32[1227](現周南市銀座2-30)、1971年(昭和46年)11月27日開業[1211] - 1999年(平成11年)5月31日閉店[1228][1229])
- 敷地面積約1,386m2[1227]、鉄筋コンクリート造地下1階地上7階建て[1227]、延べ床面積約8,740m2[1227]、店舗面積約5,880m2[1227]、駐車台数約400台[206]。
- ニチイ徳山ショッピングデパートとして開業[1227]。
- 店舗跡は1999年(平成11年)7月21日にダイソーが開業(1階・地下1階部分のみ)[1230] → コインパーキング
- 開業時の店舗面積は5,880m2[1211]。徳山サティ閉店後は空き店舗対策として1999年(平成11年)7月21日にダイソーが暫定的に1階・地下1階に入居[1230]。スペースGが営業していた[1231] が、その後建物は解体されてコインパーキングになった。[独自研究?]
- 地下1階地上7階建て、店舗面積12,010m2[1234]
四国
[編集]徳島県
[編集]- 敷地面積約24,750m2[1238]、鉄筋コンクリート造地上2階建て塔屋1階[1238]、延べ床面積約18,150m2[1238]、店舗面積約7,305m2[1238](当社店舗面積約5,000m2[1238])、駐車台数約650台[1238]。
- 閉店時の直営店舗面積約7,659m2[988]
- 1995年(平成7年)3月にサティへ業態転換[1240]。
- 店舗跡は田岡病院が2008年(平成20年)12月に店舗跡地を取得する契約を締結して2009年(平成21年)6月23日付で売買を成立させた[1241]。(2011年(平成23年)3月1日開院)[要出典]
- 地場百貨店のつぼ美屋の新館として1974年に建設された地上13階・地下1階建て延べ約8,400m2のビルに出店していた[1245]。
- コムサイズムを核店舗とする「ラスタ徳島」(複合商業ビル)が[1246] 2001年(平成13年)10月12日に開業したが[1247]、2003年(平成15年)1月27日閉店した[1246]。
- 跡地は2005年(平成17年)にノヴィルが取得したが、地震などによる損壊の危険性を避けるため2012年(平成24年)9月から解体された[1245]。
- 店舗跡は2002年(平成14年)9月14日にサンシャインとして再開業[1250]。
- これにより、徳島県から全てのサティが消滅。同県では、過去に徳島市中心部に徳島ビブレが1999年(平成11年)4月に閉店したことから、県内からマイカルグループの店舗が完全に消滅した。[要出典]
香川県
[編集]- ニチイ高松勅使店は店舗面積約3,400m2[1258]。
- SC名称:高松勅使ショッピングデパート[1259]。建築には「住友式フラットスラブ工法」を採用している[1260]。
- 当初はニチイ勅使店として開店。1995年(平成7年)の高松サティ(現:イオン高松東店)開店後、1996年(平成8年)に改称。[要出典]
- 郊外の立地だったが、1997年(平成9年)に約1.1km東にあるウインズ高松来場者の不法駐車対策で駐車場を有料化したこと、1998年(平成10年)10月にゆめタウン高松(約2.6km先)が開店したことで客離れを引き起こし、閉店。[要出典]
- 2003年(平成15年)5月解体。[要出典]
- 延べ床面積約35,380m2[54]、店舗面積約12,491m2[54]。
- 閉店時の直営店舗面積約11,000m2[553]
- ニチイ観音寺ショッピングデパートとして開店[1261]、1994年(平成6年)3月にサティへ業態転換。観音寺市唯一の大型店舗として営業していたが、1994年(平成6年)をピークに売り上げが下降線をたどり、閉店前の数年は採算ラインを割り込んでいた。2008年(平成20年)11月5日に同じイオングループのマックスバリュ観音寺駅南店が先行オープンして同月12日に同店を核店舗とするイオンタウン観音寺ショッピングセンターが開業[1263]し、観音寺市内における小売店競争が激化したために客離れを引き起こし、2009年(平成21年)2月27日に9月30日をもって閉店した[1262]。
- 2011年(平成23年)6月23日にビッグ・エスが運営する家電量販店ケーズデンキ観音寺店がオープン[1264]。店舗西側の平面駐車場にはサティの駐車場入場標識が残っていたが、2021年現在宅地開発によりそれも失われている。[独自研究?]
愛媛県
[編集]- 敷地面積約3,171m2[1267]、鉄筋コンクリート造地上5階建て塔屋2階[1267]、延べ床面積約15,901m2[1267]、店舗面積約8,565m2[1267](当社店舗面積約6,918m2[1267])、駐車台数約170台[1267]。
- 「今治センター(後の今治髙島屋)」の東隣りに[1269]新設された中山ビルに[1269]売場面積約7.878m2の「今治ショッピングデパート」として移転する形で開店した[1270]。
- 店舗跡地には閉店後に取り壊され[853]、2002年(平成14年)にマルナカが買収して[1271]2003年(平成15年)7月に食料品スーパー「マルナカ今治駅前店」(売場面積約1,702m2)が出店した[853]。
- 中心市街地からしまなみ海道の今治インターチェンジ近くに移転する形で売場面積約12,287m2の今治サティが[853]1999年(平成11年)4月24日に同じ今治市内に開業し[1272]、現在はイオン今治店となっている。
- なにわやから営業を継承した四国ニチイが[962]、湊町に新装開店した[1276]。
- 1973年(昭和48年)11月23日に[90]松山銀天街の商店4店が建設した銀天街ショッピングビル「ラブリープラザ」の核店舗の(2代目)ニチイ松山店を出店した[1274]。
- 銀天街ショッピングビルは、店舗面積約10,635m2[1279]、延べ床面積約16,878m2[1279]。
- 松山銀天街の商店4店が建設した銀天街ショッピングビル「ラブリープラザ」の核店舗の(2代目)ニチイ松山店として開業し[1274]、1997年(平成9年)に松山サティに転換された[1280]。。
- 1995年(平成7年)、周辺用地(パチンコホームラン跡地)を買収し、ビブレ化を画策するも、地元商店の反対(地権者の土地売却不同意)にあい頓挫。1997年(平成9年)には、近隣のダイエー千舟町店も閉店しており、松山中央商店街で残った唯一の総合スーパーとなったが、1999年(平成11年)閉店[1280]。
- その後、建物は(協)銀天街ショッピングビルによる運営の松山銀天街GET!となったが[90]、2020年(令和2年)9月30日に閉館している[1281]。
- 鉄筋コンクリート造地下1階地上4階建て塔屋1階[1282]、延べ床面積約16,546m2[1282]、店舗面積約6,792m2[1268]。
- 「登り道商店街」に出店していた[1282]。
- 建物は後にはぴねす福祉会の特別養護老人ホーム/短期入所生活介護事業所「若水館」とリニューアルされ現存。店舗裏手に「ニチイ 荷受所」と書かれたビルが2012年頃まで残っていたが後に解体されている。また駐車スペースに関してもコインパーキング「パーキングドーム」に姿を変えて現存している。[要出典]
高知県
[編集]九州
[編集]福岡県
[編集]- ニューます屋売場面積1,380m2[1289] → ニチイ門司店店舗面積約2,348m2[1010]。
- 閉店時の直営店舗面積約1,442m2[988]
- ニューます屋として開業[1289]。門司サティの閉店により、九州地区のサティは全てイオン九州の運営となった。建物は閉店後改修され、2009年(平成21年)1月にサンキュードラッグが1階と2階に入居した[1291]。
- ニチイます屋店 (北九州市門司区栄町9-10[1289])
- 売場面積693m2[1289]。
- ニチイ天神店 → 天神ビブレ(福岡市中央区天神1-96[1292]、1976年(昭和51年)11月6日開店[1292] - 1982年(昭和51年)3月20日ビブレ21に業態転換[1293] - 2020年(令和2年)2月11日閉店[1294])
- 敷地面積2,430.25m2[1295]、鉄筋コンクリート造地下3階地上8階建て塔屋2階[1295]、延べ床面積23,809.96m2[1295]、店舗面積約13,836m2[1293](直営店舗面積約9,533m2[1293])。
- 因幡町商店街跡の第一防災ビル[1296]「天神第1名店ビル」の[1297]核店舗「ニチイ天神ショッピングデパート」として開業した[1293]。
- しかし、業績が伸び悩んだことから業態転換を図り、1982年(昭和51年)3月20日ビブレ21に業態転換した[1293]。この業態転換時にはインショップ形式を全面的に採用し、ヤング・ジュニア層向けへ改装した[1298]。
- 敷地面積約4,076m2[1302]、鉄筋コンクリート造地下1階地上6階建て塔屋1階[1302]、延べ床面積約16,426m2[1302]、店舗面積約8,235m2[1302](当社店舗面積約7,217m2[1302]) → 約9,934m2[1301]、駐車台数約100台[1302]。
- 当社と「まるふじ商事株式会社」が折半出資で1972年(昭和47年)6月26日に設立した「株式会社福岡ニチイ」の1号店西新ショッピングデパートとして[1305]株式会社天狗屋ビル所有のビルに開店した[1303]。
- 1990年(平成2年)4月25日にビブレにリニューアル後[1301]、1999年4月4日に閉店した。
イオン九州運営店舗
[編集]※は旧マイカル九州時代の閉鎖店舗
福岡県
[編集]- 敷地面積約18,100m2[1311][1313]、鉄筋コンクリート造地下1階地上3階建て[1311][1313]、延べ床面積約18,875m2[1311]、店舗面積約8,723m2[1311](当社店舗面積約6,311m2[1311])、駐車台数約400台[1311]。
- 1996年(平成8年)3月16日に曽根サティに業態転換[341]。
- 売場面積500m2[1307]。
長崎県
[編集]- 売場面積778m2[1317]。
- 1951年(昭和26年)9月21日に長崎市浜町3で「有限会社華豊商事」を設立して衣料品小売業を開き、1955年(昭和30年)7月に長崎市浜町9に移転して「有限会社華豊洋品店」に商号を変更した[1318]。1961年(昭和36年)4月に「有限会社かほう商事」に商号を変更し、1967年(昭和42年)10月に長崎市浜町14に「かほうセルフストア」を開設して同店に本店を移した[1318]。
1970年(昭和45年)6月に「ニュー九州ニチイ」を設立して[1319]、同年7月に本店を分離して「有限会社かほう商事」は「有限会社新樹苑」に商号を変更して高級婦人服専門店となった[1318]。
- 店舗面積約1,394m2[1283]。
- 西浜町のアーケード街の一角にあった「浜の湯」と「千里十里」の跡地に浜電気商会が地下1階地上5階建ての浜電気ビルを1969年(昭和44年)10月に完成させ[1322]、その1階から3階に「(2代目)ニチイチェーンかほう」として開店した[1320]。
- 閉店後、2001年(平成13年)10月12日にデオデオ長崎店(現・エディオン長崎本店)が開業[1323]
- 売場面積990m2[880]。
- 1970年(昭和45年)6月に島原市の「マルセイ」などと「ニュー九州ニチイ」を設立したが[962]、(2代目)ニチイ島原店の閉鎖に伴って「有限会社マルセイ」を設立して営業を継承した[1325]。
- 売場面積2,157m2[1307]。
熊本県
[編集]- 延床面積4,223m2[1331]、売場面積3,960m2[1331]。
- 鉄筋コンクリート造3階建てで[1331]、水俣市中心部の国道3号沿いに出店していた[1333]。
- 1868年(明治元年)に(初代)西村庄五郎が水俣で呉服商を開いたのが始まりで、1940年(昭和15年)9月30日に「合名会社衣屋」を設立して法人化した[1334]。そして、「ショッピングデパート衣屋」として開業させた[1333]水俣市初のスーパーを開店した[1331]。1978年(昭和53年)5月に「株式会社水俣ファミリーデパート」を設立して事業を継承させ[1333]、ニチイの傘下に入った[1333]。
- 1981年(昭和56年)10月1日に[1335]水俣ファミリーデパート・株式会社三典・(2代目)株式会社丸三・株式会社福岡ニチイ・宇土ファミリーデパート・株式会社九州サンマートが[1336]株式丸吉百貨店に吸収合併されて株式会社アライド九州となったが[1337]、営業不振で閉店することになった[1333]。
- 天草ショッピングデパート百貨街三典 → ※ニチイ本渡店(本渡市中央新町15-7[1338][1339]、1975年(昭和50年)5月19日開業[1340] - 1999年(平成11年)2月19日閉店[1341])
- 売場面積3,851m2[1340]。
- 1975年(昭和50年)3月19日に株式会社三典を設立して[1342]、1975年(昭和50年)5月19日に開店し[1340]、1976年(昭和51年)4月に1階と2階を(2代目)株式会社丸三に賃貸した[1342]。
- 1981年(昭和56年)10月1日に[1335]株式会社三典・(2代目)株式会社丸三・株式会社福岡ニチイ・水俣ファミリーデパート・宇土ファミリーデパート・株式会社九州サンマートが[1336]株式丸吉百貨店に吸収合併されて株式会社アライド九州となり[1337]、1984年(昭和59年)3月に株式会社九州ニチイに商号を変更した[1337]。
- 本渡中央商店街に出店していた[1341]。
- 天草ショッピングデパート専門店街 → 熊本ニチイ → ※ニチイ本渡店(本渡市中央新町14-13[1343][1344]、1976年(昭和51年)5月14日開業[1340] - 1999年(平成11年)2月19日閉店[1341])
- 敷地面積452m2[1343]、延べ床面積1,480m2[1343]、売場面積1,151m2[1340](直営店舗面積約684.3m2[1340]) → 2,600m2[1345]。
- (初代)淀川三次郎が[1346]1902年(明治35年)に本渡町で呉服太物商として創業して[1347]、本渡町上町交差点南東角に新店舗を建設して薄利多売を展開し[1348]、1940年(昭和15年)6月1日に株式会社淀川呉服店を設立して法人化した[1347]。1946年(昭和21年)7月18日に店舗の半分を貸店舗として「丸三百貨店」と店名を変更して半分を占める呉服部を直営売り場とし、1961年(昭和36年)2月7日に株式会社淀川呉服店から(初代)株式会社丸三に商号を変更した[1347]。1964年(昭和39年)に全焼したため、1966年(昭和41年)7月に店舗を再建した[1346]。1971年(昭和46年)10月にニチイ・アライド・チェーンに加盟し、1972年(昭和47年)6月7日に株式会社熊本ニチイを設立して(初代)株式会社丸三は不動産管理会社となった[1343]。1975年(昭和50年)10月に株式会社熊本ニチイが(2代目)株式会社丸三に商号を変更し、隣接店舗を借用して増床した[1345]。
- 1981年(昭和56年)10月1日に[1335]株式会社三典・(2代目)株式会社丸三・株式会社福岡ニチイ・水俣ファミリーデパート・宇土ファミリーデパート・株式会社九州サンマートが[1336]株式丸吉百貨店に吸収合併されて株式会社アライド九州となり[1337]、1984年(昭和59年)3月に株式会社九州ニチイに商号を変更した[1337]。
- 三典多良木支店として開店した[1342]。
- 三典免田支店として開店した[1342]。
- 売場面積6,000m2[1352]
- 1843年(天保14年) に米澄新平が宇土で衣料品小売業を開いたのが始まりで、1951年(昭和26年)6月に「合名会社中米屋呉服店」として法人化し、1965年(昭和40年)4月7日に「株式会社中米屋本店」を設立して改組した[1350]。1971年(昭和46年)11月にニチイ・アライド・チェーン中九州協同組合に加盟し、1973年(昭和48年)9月に店舗を大型化した[1350]。1981年(昭和56年)10月1日に[1335]株式会社三典・(2代目)株式会社丸三・株式会社福岡ニチイ・水俣ファミリーデパート・宇土ファミリーデパート・株式会社九州サンマートが[1336]株式丸吉百貨店に吸収合併されて株式会社アライド九州となり[1337]、1984年(昭和59年)3月に株式会社九州ニチイに商号を変更した[1337]。
- 敷地面積597m2[1353]、延床面積425m2[1353]、売場面積320m2[1354]。
- 1953年(昭和28年)1月12日に八代市本町2-4-43で合資会社熊本屋衣料品店として設立され、1961年(昭和36年)6月にスーパーに業態転換した[1353]。1967年(昭和42年)5月に合資会社クマモトヤに商号を変更すると共に八代市本町1-10-34に移転した[1353]。
- SC名:八代ショッピングデパート[1328]。
- 敷地面積約2,964m2[1357]、地下1階地上6階建て延床面積約15,813m2[1357]、店舗面積は約10,267m2[1357](直営店舗面積約9,029m2[1357])
- 2001年(平成13年)に閉店した壽屋と共に同じ八代市の中心商店街の[1356]八代市役所跡地に出店していた[1358]。
- 1974年(昭和49年)5月に本町商店街のアーケードに隣接して開店し、店舗を改装した1992年(平成4年)度に売上高約48億円を上げていたが、2004年(平成16年)度に前年度比15.5%減の売上高約24億円で経常損益は500万円の赤字に落ち込み、2004年(平成16年)秋から2005年(平成17年)夏にかけて競合相手となる複合商業施設が相次いで出店したことなども影響して2006年(平成18年)1月31日に閉店した[1355]。
- 1992年(平成4年)3月1日にサティへ業態転換[1357]。
- 跡地に2007年(平成19年)9月1日0時にマックスバリュ八代店を核テナントとして2F建ての複合商業施設が開業した[1359]。
大分県
[編集]- 1684年(貞享元年)に中津藩の御用商人として呉服小売業を創業したのが始まりで[1362]、1911年(明治44年)7月23日に大分県下野郡中津町1757番地で[1363](3代目)阿部吉助が[1362]出資金2万円で合資会社丸吉呉服店を設立して法人化した[1364]。1969年(昭和44年)1月7日に株式会社丸吉を設立して改組し[1362]、1973年(昭和48年)6月26日にニチイグループ入りして株式会社中津ショッピングデパートを設立して株式会社丸吉は不動産管理会社となった[1361]。
- ※中津サティ✩×(中津市大字島田字手渡232番地中津大交ビル本館[1365](現・中津市東本町1-1)、1977年(昭和52年)4月14日開業[1366] - 2000年(平成12年)8月20日閉店[1367]
- 延べ床面積 店舗棟約14,851.46m2[1365]・駐車場棟約7,153.47m2[1365]、店舗面積約8,470m2[1368]、駐車台数約400台[1365]。
- 中津駅南口の耶馬渓鉄道跡に大分交通が建設した「中津大交ビル」に「丸吉百貨店」として開業[1366]。
- 1684年(貞享元年)に中津藩の御用商人として呉服小売業を創業したのが始まりで[1362]、1911年(明治44年)7月に(3代目)阿部吉助が[1362]出資金2万円で合資会社丸吉呉服店を設立して法人化した[1364]。1969年(昭和44年)1月7日に株式会社丸吉を設立して改組し[1362]、1973年(昭和48年)6月26日にニチイグループ入りして株式会社中津ファミリーデパートを設立して1976年(昭和51年)5月に株式会社丸吉百貨店に商号を変更し[1369]、1977年(昭和52年)4月14日に[1366]総合スーパーを開店した[1369]。
- 1981年(昭和56年)10月1日に[1335]株式会社三典・(2代目)株式会社丸三・株式会社福岡ニチイ・水俣ファミリーデパート・宇土ファミリーデパート・株式会社九州サンマートが[1336]を吸収合併してて株式会社アライド九州となって[1337]ニチイグループ入りした[1370]。1984年(昭和59年)3月に株式会社九州ニチイに商号を変更したため[1337]ニチイ中津店となり、1993年(平成5年)3月18日にサティへ業態転換した[1370]。
- 店舗の入居していた中津大交ビルは2004年(平成16年)に解体されて駐車場として利用されていたが、大分交通が8,413m2の敷地に鉄骨2階建て延べ床面積4,063m2の建物を建設して2012年(平成24年)3月にサンレーが経営する結婚式場VILLA LUCE(ヴィラ・ルーチェ)として開業することになった[1371]。
- 売場面積300m2[1307]。
- 1981年(昭和56年)10月1日に[1335]株式会社三典・(2代目)株式会社丸三・株式会社福岡ニチイ・水俣ファミリーデパート・宇土ファミリーデパート・株式会社九州サンマートが[1336]株式丸吉百貨店に吸収合併されて株式会社アライド九州となり[1337]、1984年(昭和59年)3月に株式会社九州ニチイに商号を変更した[1337]。
- 売場面積300m2[1307]。
- 売場面積8,520m2[206]、駐車台数約500台[206]。
- 中央町商店街の一角に[1375]ニチイ大分ショッピングデパートとして開業[1372]。
- 大分市に本社を置く地元の不動産会社の西原パーキングがイオン九州と2009年(平成21年)11月30日に土地・建物の譲渡契約を締結し[1376]、同年12月10日に地元の百貨店トキハの子会社でスーパーを運営するトキハインダストリーがテナントとして出店することが明らかになり[1377]、地下に約1,000台が収容できる駐輪場として整備する設備などの工事費を一般会計補正予算案として2010年(平成22年)6月7日に開会する定例議会に大分市が提案する[1378] など地元政財界の支援を受けて改装が進められ、同年10月25日にトキハインダストリー若草公園店や大分市営の地下駐輪場などがオープンした[1379]。
- 4-8階・屋上を解体後、地階は駐輪場、1階はトキハインダストリー若草公園店、2階は専門街店、3階は店舗駐車場という構成の「セントポルタビル」として2010年(平成22年)10月に開業した[1373]。
宮崎県
[編集]- 鉄骨造地上2階建て塔屋付[1380]、延べ床面積約10,817m2[1380]、店舗面積約8,381m2[1381](当社店舗面積約6,538m2[1380])。
- 平成では宮崎唯一の店舗。マイカルと地元出資の株式会社武田が運営していた店舗。地元テナント5社でサティ存続のために「有限会社あきんど」を設立し、マイカルナック商事と交渉を行っていた[1382]。店舗跡は、2002年(平成14年)4月にニシムタが「N's CITY串間店」を開業。[要出典]
- 売場面積198m2[1384]。
- 売場面積92m2[1307]。
- 売場面積396m2[1384]。
- 売場面積429m2[1307]。
店舗の一例
[編集]参考/出店を断念した店舗
[編集]北海道
[編集]- 羊ヶ丘サティ(札幌市豊平区美しが丘[1387])
東北
[編集]- 秋田駅前:秋田駅前再開発の一角である金座第1共同ビルへの出店計画だったが、商業調整協議会での事前調整で直営 店舗面積約3,100m2店舗面積6,000m2以下で地元専門店のテナント部分6,000m2を合わせた合計の店舗面積12,000m2以下とされたため、1979年(昭和54年)に出店を断念[1388]。
- 盛岡サティ:岩手県盛岡市前潟で2003年(平成15年)の開業を目指していたが[1389]、業績悪化に伴い2001年(平成13年)に出店を断念した[1390]。予定地に、2003年(平成15年)8月[1391] 9日にイオンモールがイオン盛岡ショッピングセンター(現・イオンモール盛岡)を開業。
- 仙台サティ:仙台市太白区のセイコーインスツルメント工場跡地約44,000m2に店舗面積約20,784m2で出店する構想で[1392]、2000年(平成12年)12月の開業を目指して1999年(平成11年)の着工を計画していた[1393]。しかし、長町荒巻青葉山線の建設遅延や工業地域の指定解除が進まなかったことでアミューズメント施設の併設が不可能な状況が続いていたことから開設延期を模索したものの、セイコー側が出店延期を拒絶したことから2000年(平成12年)3月に出店を断念した[1392]。
- 南福島グリーンハイツ(福島市)
関東
[編集]- 地上2階建て[1396]。延べ床面積約19,578m2[1396]、店舗面積約14,035m2[1396]。
- 「日本ショッピングセンタービル」が鋳物工場跡に開発を進めていたショッピングセンターの核店舗としての出店計画[1396]。
- 坂戸(坂戸市)
- 売り場面積は約18,570m2[1398]。
- 鴨宮:1979年(昭和54年)9月に発表された大同毛織工場敷地跡の一部に出店を打ち出すもたが[700]、地元の小売業者などが「西湘地区大型店対策協議会」を結成して「第1種大型店出店の凍結宣言」出ともとに「小田原商工会所」も「大規模小売店舗出店凍結」を出す[1401]など反対が強かったことからした[700]。代わりにイトーヨーカドーが出店する形で[700]1993年(平成5年)10月21日にダイドープラザとして開業し[1402]、2000年(平成12年)9月28日にはロビンソン百貨店[1403]が入居するウエストモールが増設され[1404]、イトーヨーカドー小田原店が入居する既存のイーストモールと合せて百貨店と総合スーパーの2核を持つショッピングセンターダイナシティとなった[1404]。
北陸・甲信越
[編集]- 鉄筋コンクリート造地上2階建て[1406]。延べ床面積約13,000m2[1406]、店舗面積約9,900m2[1406]。
- 塩沢町と湯沢町の商店街の中間付近に郊外型ショッピングセンターとして出店する計画だった[1406]。
- 店舗面積約14,500m2[1407]。
- 延べ床面積約26,819m2[1411]、店舗面積約17,866m2[1410][1411](当社店舗面積約15,008m2[1411])。
- 上信越自動車道東部湯の丸インターチェンジに隣接する東部インター流通団地への出店経緯であったが、1999年(平成11年)5月10日に断念して東部町土地開発公社から了承された[1412]。
- 富山サティ:富山県富山市で出店を目指して用地選定していたが業績悪化に伴い出店を断念した[1413]。
東海
[編集]- 名古屋鉄道名古屋本線有松駅前のウインハート有松に2000年(平成12年)4月に出店を目指し[1414]、100%出資の子会社のマイカル総合開発が1999年(平成11年)4月17日に名古屋市と契約を交わして、総額76.3億円のうち土地代金相当額約37億6607万円を支払ったが[1415]、2002年(平成14年)1月21日にマイカル総合開発が会社更生法第103条1項を根拠に有松駅前第1種市街地再開発事業に関する事業参画契約の解除を申し入れて出店の中止を目指し[1416]、最終的にはイオンが出店を肩代わりしてイオン有松ショッピングセンター(現:イオンタウン有松)として開業した。
- 大垣サティ(岐阜県大垣市)
- 1997年(平成9年)8月7日に岐阜県大垣市のオーミケンシ大垣工場跡地に出店する計画を発表していたが[1418]、業績悪化に伴い2001年(平成13年)に出店を断念した[1419]。予定地に、2007年(平成19年)10月27日にユニーがアクアウォーク大垣を開業[1420]。
- 稲沢サティ(愛知県稲沢市)
- 鉄筋コンクリート造地上4階建て[1423]・延べ床面積約23,982m2[1423]、売場面積約15,698m2[1423](直営売場面積約11,899m2[1423])。1988年(昭和63年)4月30日の開業を目指していた[1423]。
- 鉄筋コンクリート造地上4階建て[1424]・延べ床面積約20,011m2[1424]、売場面積約14,843m2[1424](直営売場面積約10,025m2[1424])。1989年(平成元年)8月3日の開業を目指していた[1424]。
- 地上3階建て[1426]。延べ床面積約21,798m2[1426]、店舗面積約16,608m2[1426]。
- 1980年(昭和55年)5月の商調協の結審で店舗面積約1,545m2と90%以上削減された[1426]。
- 店舗面積約35,002m2[1410]。
関西
[編集]- 近江八幡ビブレ[1428](滋賀県近江八幡市)
- マイカル近江八幡(現・イオン近江八幡ショッピングセンター)に出店する計画があった[176]。
- 鉄筋コンクリート造地上4階建て[1430]。延べ床面積約3,715m2[1430]、店舗面積約2,402m2[1430]。
- 予備校跡地への出店計画で、1階が食品で2階が家庭雑貨など、3階が衣料品という売り場構成を計画していた[1430]。
- 枚方市駅前(大阪府枚方市)
- 「ひらかたサンプラザ」の2号棟に出店を目指したが、西武百貨店と共に選考委員会の審査で落選した[996]。
- 近鉄グループのひらかた丸物が開業したが、枚方近鉄百貨店、近鉄百貨店枚方店を経て2012年(平成24年)2月29日に閉店。建て替えの上、2016年(平成28年)5月16日に枚方T-SITEが開業した[広報 45]。
- 1990年、駅北口側のビオルネに枚方サティが開業し。ビブレへの改称とサティへの再改称を経て、現在はイオン枚方店。
- イオン伊丹昆陽ショッピングセンターの核店舗として出店する予定だったが、開業延期[1431]とマイカルのイオンリテールへの吸収合併による店舗ブランド統一の時期[1]が被ったことにより「イオン伊丹昆陽店」として開業した。
- 2017年(平成29年)、イオンスタイル伊丹昆陽へと転換[広報 46]。
- 鉄筋コンクリート造地上3階建て[1429]。延べ床面積約21,278m2[1429]、店舗面積約13,348m2[1429]、駐車台数約700台[1429]。
- 国道308号沿いへの出店計画[1429]。
- 敷地面積約13,000m2[1432]、鉄筋コンクリート造地上2階建て[1432]、延べ床面積約12,420m2[1432]、店舗面積約8,360m2[1432]。
- 近鉄大阪線近鉄下田駅近くの国道165号沿いへの出店計画[1432]。
中国地方
[編集]- 北倉敷ローズタウン(倉敷市宮前字馬場326-1[1435])
- 緑井サティ(広島県広島市安佐南区)
- 広島市安佐南区の緑井駅前再開発への出店を目指していたもので[1436]、2000年(平成12年)3月4日に再開発ビルの管理会社を設立した時点や[1436]、再開発工事の着手時点までは商業棟にはマイカルが出店予定だったが[1437]、マイカルが破たんした影響を受けて2003年(平成15年)にフジに変更され[1438]、2004年(平成16年)10月2日に「フジグラン緑井」として開業した[1439][1440]。
- 周南サティ(山口県下松市)
- 山口県下松市で出店を目指していたが業績悪化に伴い出店を断念した[1442]。
四国
[編集]- 高松ショッピングセンター(香川県高松市)
- 北島サティ(徳島県板野郡北島町)
- 1998年(平成10年)2月20日に、日清紡徳島工場社宅跡地の区画整理事業予定地に出店を発表、2000年(平成12年)3月の開店を目指していたが[1445] 申請した売場面積から22.4%削減された[1446] ため、そのことを理由として1999年(平成11年)11月に出店を正式に断念した[1447]。予定地には、2001年(平成13年)11月2日にフジがフジグラン北島を開業[1445]。
九州
[編集]このほか、沖縄県の那覇新都心地区おもろまち4丁目の大型店舗計画でサティとしてダイエー、ジャスコ(現:イオン)とともに入札したがダイエーに敗れた。そのダイエーも経営が苦しくなり出店断念、再入札でサンエーが取得し現在はサンエー那覇メインプレイスとなる。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c 武内彩(1998年8月4日). “サティ:名称「イオン」に 全国91店舗で”. 毎日新聞 (毎日新聞社)
- ^ a b c “広島サティ:閉店 SC競争激化直撃 営業14年“感謝””. 毎日新聞 (毎日新聞社). (2011年7月19日)
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa 『週刊東洋経済 臨時増刊 全国大型小売店総覧 2009年版』 東洋経済新報社、2009年。
- ^ a b c d “基本調査 ′97年開店SC一覧”. ショッピングセンター 1997年12月号 (日本ショッピングセンター協会) (1997年12月1日).pp13
- ^ “一関商圏(中)人の流れ中心部を離れる”. 岩手日報 (岩手日報社). (2003年10月7日)
- ^ a b “届出情報”. ショッピングセンター 1993年7月号 (日本ショッピングセンター協会) (1993年7月1日).pp97
- ^ “山形・岩手の商圏レポート 水沢市・一関市”. 仙台経済界1999年12月号 (仙台経済界) (1999年12月).pp127
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p “マイカル東北が再生法を申請”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2001年9月24日)
- ^ “イオン、盛岡南SC開業 岡田元也社長「GMSの新しい試み」”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2006年9月27日). pp3
- ^ “マイカル、6年ぶり「サティ」開業”. 日本経済新聞 (日本経済新聞社). (2006年4月27日)
- ^ “「盛岡南サティ」9月15日(金)グランドオープン 5年9ヶ月ぶりの新規出店 岩手県盛岡市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2006年9月7日)
- ^ “届出情報”. ショッピングセンター 1992年11月号 (日本ショッピングセンター協会) (1992年11月1日).pp84
- ^ a b c d e “’95年開店SC一覧”. ショッピングセンター 1995年12月号 (日本ショッピングセンター協会) (1995年12月1日).pp56
- ^ “秋田市に大型SC サティ船出 1800台収容駐車場も満杯”. 秋田魁新報 (秋田魁新報社). (1995年4月29日)
- ^ a b “大手スーパーの想像力とDS戦略”. ヤノニュース 1995年3月20日号 (矢野経済研究所) (1995年3月20日).pp44
- ^ a b c d e f g “SC INFORMATION 横手サティ”. ショッピングセンター 1997年7月号 (日本ショッピングセンター協会) (1997年7月1日).pp95
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- ^ a b c d e 岡橋葉子 “第四回専門店のための消費最前線視察セミナー青葉ゆるがす流通戦国絵巻”. 専門店 1999年2月号 (協同組合連合会日本専門店会連盟) (1999年2月).pp12
- ^ a b “「福島ビブレ」の曽根田進出は偽装移転!? 「十月一日オープンは絶対無理」で"隠れミノ"論ささやかれる”. 財界ふくしま 1997年新年号 (財界21) (1996年12月).pp134
- ^ a b c “’98年開店SC一覧(1998年1月~12月)”. ショッピングセンター 1999年1月号 (日本ショッピングセンター協会) (1999年1月1日).pp12
- ^ “マイカル「古河サティ」9月9日開店”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1998年8月31日)
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- ^ “ホソガネニチイ、「高萩サティ」オープン“生活百貨店”地元も期待”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1995年7月31日)
- ^ “ホソガネニチイ、「高萩サティ」開店 年商50億円目指す”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1995年7月17日)
- ^ “北関東・新潟地区夏期特集 大手チェーンの次世代店舗戦略 ニチイ高萩サティ”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (1995年8月30日)
- ^ a b 『茨城県会社要覧 昭和49年版』 常陽産業開発センター、1974年11月30日。pp276
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- ^ a b c “オープン情報 マイカル「高崎サティ」”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2006年10月18日). pp4
- ^ a b ““新生”マイカル、新店相次ぎ攻勢に弾み イオンSC初出店”. 日本食糧新聞 (日本食糧新聞社). (2006年1月8日). pp4
- ^ “イオンモールにサティ初出店 イオン高崎SC 10月20日オープン 群馬県高崎市”. タイハン特報 (大量販売新聞社). (2006年10月19日)
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広報資料・プレスリリースなど一次資料
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参考文献
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- 伊藤大作『マイカル宣言 : 独自のソフト構築をめざすプロ集団』東洋経済新報社、1996年7月。ISBN 4492552677。
関連項目
[編集]- 他社の過去に存在した店舗一覧記事