コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「ブルーリボン賞 (映画)」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Cewbot (会話 | 投稿記録)
401行目: 401行目:
*作品賞『[[瀬戸内少年野球団]]』
*作品賞『[[瀬戸内少年野球団]]』
*監督賞 [[伊丹十三]]『[[お葬式]]』
*監督賞 [[伊丹十三]]『[[お葬式]]』
*主演男優賞 [[山努]]『お葬式』『[[さらば箱舟]]』
*主演男優賞 [[山努]]『お葬式』『[[さらば箱舟]]』
*主演女優賞 [[薬師丸ひろ子]]『[[Wの悲劇 (映画)|Wの悲劇]]』
*主演女優賞 [[薬師丸ひろ子]]『[[Wの悲劇 (映画)|Wの悲劇]]』
*助演男優賞 [[高品格]]『[[麻雀放浪記]]』
*助演男優賞 [[高品格]]『[[麻雀放浪記]]』
583行目: 583行目:
*主演男優賞 [[野村萬斎]]『[[陰陽師 (映画)|陰陽師]]』
*主演男優賞 [[野村萬斎]]『[[陰陽師 (映画)|陰陽師]]』
*主演女優賞 [[天海祐希]]『[[狗神 (小説)|狗神]]』『[[連弾 (映画)|連弾]]』『[[千年の恋 ひかる源氏物語]]』
*主演女優賞 [[天海祐希]]『[[狗神 (小説)|狗神]]』『[[連弾 (映画)|連弾]]』『[[千年の恋 ひかる源氏物語]]』
*助演男優賞 [[山努]]『GO』
*助演男優賞 [[山努]]『GO』
*助演女優賞 [[奈良岡朋子]]『ホタル』
*助演女優賞 [[奈良岡朋子]]『ホタル』
*新人賞 [[柴咲コウ]]『GO』
*新人賞 [[柴咲コウ]]『GO』

2022年12月5日 (月) 09:46時点における版

ブルーリボン賞
受賞対象作品、監督、俳優
開催日毎年2月
会場イイノホール
日本の旗 日本
主催東京映画記者会
初回第1回(1950年度)
最新回第64回(2021年度)
最新受賞者孤狼の血 LEVEL2

ブルーリボン賞(ブルーリボンしょう)は、1950年(昭和25年)に創設された日本映画賞である。

現在の主催は、東京のスポーツ7紙(スポーツ報知デイリースポーツサンケイスポーツ東京中日スポーツ東京スポーツスポーツニッポン日刊スポーツ)の映画担当記者で構成された「東京映画記者会」。当初は「東京映画記者会賞」の名称でスタートしたが後に「ブルーリボン賞」に改称された。ブルーリボン賞は加盟各社の合資と映画会社からの賛助金によって運営され、作品賞・個人賞計8部門の賞を毎年1月に発表、2月に授賞式が行われる[1][2]

沿革

1950年(昭和25年)、読売新聞朝日新聞毎日新聞の映画担当記者を中心として「東京映画記者会」が設立され、1年間の映画界を総括する記者同士のおさらいの成果を、賞として世に問うとして「東京映画記者会賞」の名で始まった。1951年3月22日、東京・中央区にあった東京劇場で第1回授賞式が行われた。第4回から第7回までは、銀座・並木座が授賞式会場となった[1]

当初は記者の親睦的組織として始まった東京映画記者会だったが、最大時には在京の日刊紙・通信社の加盟社は17社、会員数は80人を超えるまでに成長する。しかし、規模が大きくなるにつれ、選考に対する考え方に違いが生じるようになり、1960年(昭和35年)3月には大手新聞6社(読売新聞・朝日新聞・毎日新聞・産経新聞東京新聞日本経済新聞)および共同通信社が脱退、翌年から独自に「日本映画記者会賞」を設立する[1]。これによりブルーリボン賞はスポーツ紙を中心にした新聞社による主催となり、現在に至っている。

1966年(昭和41年)に起こった政界の「黒い霧事件」の影響を受け[要出典]、第17回(1966年度)を最後にブルーリボン賞は一時廃止される事となる。また、分裂した7社が設立した日本映画記者会賞や、テアトロン賞(東京演劇記者会)、ホワイトブロンズ賞(地方新聞映画記者会)などの記者会賞も1966年度で一斉に廃止されている[1]

しかし、若手記者を中心に再開を望む声があがるようになり、1973年(昭和48年)秋にブルーリボン復活準備委員会が発足され、1975年度に再スタートを果たした[1]

選考・授賞式

毎年1月1日から12月31日までに、首都圏で封切られた全作品を対象とし、1月に選考が行われる。作品、監督、主演男女優、助演男女優、新人(監督も含み、映画デビュー2年以内が対象)、外国映画の各部門がある。年によってスタッフ賞や特別賞も選ばれる。前年末までに記者会員全員による投票で選ばれたノミネートの中から、選考会で合議ののち投票で過半数を得た作品・人に賞が贈られる。[1]選考にあたっては、演技だけでなく、映画に対する姿勢や人格も対象とする[3]

授賞式は2月に行われ、受賞者発表時の各紙で、授賞式への読者抽選無料招待の応募要項が掲載される。なお、「映画記者の手作りの賞」を標榜することから、この選考だけでなく授賞式会場の設営、照明・音響、観客の誘導といった裏方の仕事なども全て各紙の映画記者たちが行っている[1][2]

進行役(司会者)は、前年度に主演男優賞、主演女優賞を受賞した俳優が担当する。

由来と賞品

開始当初は主催者の財政が厳しいため受賞者への賞品も特になく、賞状青色リボンで結んで渡したことから「ブルーリボン賞」と呼ばれるようになり、のちに正式名称になった[1]。現在も続くこの青いリボンには「青空の下で取材した記者が選考する」という意味が込められている[2][3]。この他に記者の象徴であるペンを賞品とし[3]、受賞者名入りのモンブラン万年筆1本が贈られる[1]

歴代各賞

(表記年は対象映画の年度であり、授賞式は翌年2月)

第1回(1950年度) - 第10回(1959年度)

第1回(1950年度)

第2回(1951年度)

第3回(1952年度)

第4回(1953年度)

第5回(1954年度)

第6回(1955年度)

第7回(1956年度)

第8回(1957年度)

第9回(1958年度)

第10回(1959年度)

第11回(1960年度) - 第17回(1966年度)

第11回(1960年度)

第12回(1961年度)

第13回(1962年度)

第14回(1963年度)

第15回(1964年度)

第16回(1965年度)

第17回(1966年度)

第18回(1975年度) - 第20回(1977年度)

第18回(1975年度)

第19回(1976年度)

第20回(1977年度)

第21回(1978年度) - 第30回(1987年度)

第21回(1978年度)

第22回(1979年度)

第23回(1980年度)

第24回(1981年度)

第25回(1982年度)

第26回(1983年度)

第27回(1984年度)

第28回(1985年度)

第29回(1986年度)

第30回(1987年度)

第31回(1988年度) - 第40回(1997年度)

第31回(1988年度)

第32回(1989年度)

第33回(1990年度)

第34回(1991年度)

第35回(1992年度)

第36回(1993年度)

第37回(1994年度)

第38回(1995年度)

第39回(1996年度)

第40回(1997年度)

第41回(1998年度) - 第50回(2007年度)

第41回(1998年度)

第42回(1999年度)

第43回(2000年度)

第44回(2001年度)

第45回(2002年度)

第46回(2003年度)

第47回(2004年度)

第48回(2005年度)

第49回(2006年度)

第50回(2007年度)

第51回(2008年度) - 第60回(2017年度)

第51回(2008年度)

第52回(2009年度)

第53回(2010年度)

第54回(2011年度)

第55回(2012年度)

第56回(2013年度)

第57回(2014年度)

第58回(2015年度)

第59回(2016年度)

第60回(2017年度)

第61回(2018年度) -

第61回(2018年度)

第62回(2019年度)

第63回(2020年度)

[注釈 1]

第64回(2021年度)

[注釈 2]

脚注

注釈

  1. ^ 新型コロナウイルス感染拡大防止に伴い、授賞式は見送られた[20]
  2. ^ 前年度に引き続き、新型コロナウイルス感染拡大防止に伴い、授賞式は中止された[21]

出典

  1. ^ a b c d e f g h i ブルーリボン賞とは
  2. ^ a b c 宮路美穂 (2014年9月14日). “【宮路美穂のミヤジ屋】思い出すと背筋伸びるピエール瀧の言葉”. スポーツ報知. オリジナルの2014年9月15日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20140915003617/http://www.hochi.co.jp/entertainment/20140914-OHT1T50102.html 2018年2月9日閲覧。 
  3. ^ a b c d “第56回ブルーリボン賞発表”. 日刊スポーツ (大阪: 日刊スポーツ新聞西日本): p. 20. (2014年1月23日) 
  4. ^ a b c d e f g h シネマ報知 ブルーリボン賞ヒストリー 今井正監督の「また逢う日まで」が2冠で初代王者に - ウェイバックマシン(2012年2月19日アーカイブ分)
  5. ^ a b c d e f g h i 1952年 第3回 ブルーリボン賞”. allcinema. 2022年9月20日閲覧。
  6. ^ a b c d e f g h i j ブルーリボン賞ヒストリー 成瀬巳喜男監督が「稲妻」で2年連続の作品賞”. シネマ報知. 2012年5月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。 Template:Cite webの呼び出しエラー:引数 accessdate は必須です。
  7. ^ シネマ報知 ブルーリボン賞ヒストリー 淡島千景が第1回以来の主演女優 森繁久彌と“夫婦受賞””. 2012年11月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年2月12日閲覧。
  8. ^ シネマ報知 ブルーリボン賞ヒストリー 野村芳太郎監督が“一家”で4冠 - ウェイバックマシン(2012年2月19日アーカイブ分)
  9. ^ シネマ報知 ブルーリボン賞ヒストリー 桃井かおり 初の主演女優賞に「これが欲しかったのよね」 - ウェイバックマシン(2012年2月19日アーカイブ分)
  10. ^ シネマ報知 ブルーリボン賞ヒストリー 黒澤明監督3度目の作品賞 仲代達矢が隆大介と師弟受賞 - ウェイバックマシン(2013年1月15日アーカイブ分)
  11. ^ シネマ報知 ブルーリボン賞ヒストリー 佐藤浩市が父・三國連太郎に続く新人賞 - ウェイバックマシン(2009年2月7日アーカイブ分)
  12. ^ a b c d e f g h i シネマ報知 ブルーリボン賞ヒストリー 節目の50回 三國連太郎が新垣結衣にエール - ウェイバックマシン(2012年2月19日アーカイブ分)
  13. ^ a b c d e f g h i シネマ報知 ブルーリボン賞ヒストリー オスカーを前に、本木雅弘が14年ぶりの夫婦ツーショットを披露 - ウェイバックマシン(2012年5月29日アーカイブ分)
  14. ^ allcinema. “2009年 第52回 ブルーリボン賞 受賞結果 映画データベース”. allcinema. 2020年9月11日閲覧。
  15. ^ 入倉功一 (2015年1月23日). “第57回ブルーリボン賞が決定!佐々木蔵之介『超高速!参勤交代』が作品賞!”. シネマトゥデイ. http://www.cinematoday.jp/page/N0070022 2015年1月23日閲覧。 
  16. ^ a b c d e f g h 有村架純、主演女優賞に輝く!第58回ブルーリボン賞受賞結果発表”. シネマトゥデイ (2016年1月27日). 2016年1月27日閲覧。
  17. ^ “『シン・ゴジラ』作品賞!『君の名は。』特別賞!第59回ブルーリボン賞決定”. シネマトゥデイ (株式会社シネマトゥデイ). (2017年1月26日). http://www.cinematoday.jp/page/N0089196 2017年1月26日閲覧。 
  18. ^ ブルーリボン賞「あゝ、荒野」が作品賞に、阿部サダヲ&新垣結衣も受賞映画ナタリー(2018年1月24日), 2018年1月24日閲覧。
  19. ^ “「翔んで埼玉」武内英樹監督、作品賞に「ウソだろうと」…ブルーリボン賞”. スポーツ報知 (報知新聞社). (2020年1月28日). https://hochi.news/articles/20200127-OHT1T50177.html 2020年1月28日閲覧。 
  20. ^ a b "「第63回ブルーリボン賞」受賞作品&草なぎ剛、長澤まさみ、成田凌、伊藤沙莉ら受賞者発表". ORICON NEWS. oricon ME. 24 February 2021. 2021年2月24日閲覧
  21. ^ a b "白石和彌監督、「孤狼の血」さらなる続編意欲「-LEVEL2」がブルーリボン賞作品賞". スポーツ報知. 報知新聞社. 24 February 2022. 2022年2月24日閲覧

関連項目

外部リンク