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「1968年メキシコグランプリ」の版間の差分

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*{{Cite book | last = Lang | first = Mike | title = Grand Prix! Vol 2 | publisher = Haynes Publishing Group | year = 1982 | pages = 82–83 | isbn = 0-85429-321-3}}
*{{Cite book | last = Lang | first = Mike | title = Grand Prix! Vol 2 | publisher = Haynes Publishing Group | year = 1982 | pages = 82–83 | isbn = 0-85429-321-3}}
* {{Cite book|和書|author=林信次|title=F1全史 1966-1970 [3リッターF1の開幕/ホンダ挑戦期の終わり]|date=1995|publisher=[[ニューズ出版]]|isbn=4-938495-06-6|ref=harv}}
* {{Cite book|和書|author=林信次|title=F1全史 1966-1970 [3リッターF1の開幕/ホンダ挑戦期の終わり]|date=1995|publisher=[[ニューズ出版]]|isbn=4-938495-06-6|ref=harv}}
* {{Cite book|和書|author=中村良夫|authorlink=中村良夫 (自動車)|title=F-1グランプリ ホンダF-1と共に 1963-1968 (愛蔵版)|date=1998|publisher=三樹書房|isbn=4-89522-233-0|ref=harv}}
* {{Cite book|和書|author=中村良夫|authorlink=中村良夫 (技術者)|title=F-1グランプリ ホンダF-1と共に 1963-1968 (愛蔵版)|date=1998|publisher=三樹書房|isbn=4-89522-233-0|ref=harv}}
* {{Cite book|和書|author=アラン・ヘンリー |title=チーム・フェラーリの全て |others= 早川麻百合+島江政弘(訳)|publisher=[[ソニー・マガジンズ|CBS・ソニー出版]] |date=1989-12 |isbn=4-7897-0491-2 |ref=harv}}
* {{Cite book|和書|author=アラン・ヘンリー |title=チーム・フェラーリの全て |others= 早川麻百合+島江政弘(訳)|publisher=[[ソニー・マガジンズ|CBS・ソニー出版]] |date=1989-12 |isbn=4-7897-0491-2 |ref=harv}}
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2023年2月8日 (水) 06:25時点における版

メキシコ 1968年メキシコグランプリ
レース詳細
1968年F1世界選手権全12戦の第12戦
マグダレナ・ミクスカ(1962–1970)
マグダレナ・ミクスカ(1962–1970)
日程 1968年11月3日
正式名称 VII Gran Premio de Mexico
開催地 マグダレナ・ミクスカ
メキシコの旗 メキシコ メキシコシティ
コース 恒久的レース施設
コース長 5.000 km (3.107 mi)
レース距離 65周 325.000 km (201.946 mi)
決勝日天候 晴(ドライ)
ポールポジション
ドライバー ロータス-フォード
タイム 1:45.22
ファステストラップ
ドライバー スイス ジョー・シフェール ロータス-フォード
タイム 1:44.23 (52周目)
決勝順位
優勝 ロータス-フォード
2位 マクラーレン-フォード
3位 ロータス-フォード

1968年メキシコグランプリ (1968 Mexican Grand Prix) は、1968年のF1世界選手権第12戦(最終戦)として、1968年11月3日マグダレナ・ミクスカで開催された。

背景

ドライバーズチャンピオン争い
本レースはグラハム・ヒルロータス)、ジャッキー・スチュワートマトラ・インターナショナル)、前年度王者のデニス・ハルムマクラーレン)の3人によるチャンピオン争いに決着をつけるためのものであった。当時は6位までが入賞圏内で、ポイントは1位から9-6-4-3-2-1点が与えられていた。同点の場合は上位入賞回数が多いドライバーが上位となる。ヒルとスチュワートは優勝すればチャンピオンを獲得でき、2位以下の場合は他のドライバーの結果次第となる。ハルムは優勝しない限り、2年連続でチャンピオンを獲得できる可能性はない。
  • ヒル(39点 - 優勝2回、2位3回、4位1回)
    • 優勝(48) - 無条件でチャンピオン決定
    • 2位(45) - スチュワートが3位以下
    • 3位(43) - スチュワートが2位以下
    • 4位(42)または5位(41) - スチュワートが3位以下、ハルムが2位以下
    • 6位(40) - スチュワートが4位以下、ハルムが2位以下
    • 7位以下(39) - スチュワートが5位以下、ハルムが2位以下
  • スチュワート(36点 - 優勝3回、3位1回、4位1回、6位2回)
    • 優勝(45) - 無条件でチャンピオン決定
    • 2位(42) - ヒルが4位以下、ハルムが3位以下
    • 3位(40) - ヒルが6位以下、ハルムが2位以下
    • 4位(39) - ヒルが7位以下、ハルムが2位以下
  • ハルム(33点 - 優勝2回、2位1回、4位1回、5位3回)
    • 優勝(42) - ヒルが4位以下、スチュワートが3位以下
日程
10月27日に閉幕したメキシコシティオリンピックと日程が重複しないように配慮するため、閉幕から1週間後に行われた。

エントリー

ロータスは、地元出身のモイセス・ソラーナ英語版を3台目にスポット起用した[1]フェラーリは、カナダGPで脚を負傷したジャッキー・イクスが復帰したが、脚を副え木で固定しながらという状態であった[2]

エントリーリスト

チーム No. ドライバー コンストラクター シャシー エンジン タイヤ
イギリスの旗 ブルース・マクラーレン・モーターレーシング 1 ニュージーランドの旗 デニス・ハルム マクラーレン M7A フォードコスワース DFV 3.0L V8 G
2 ニュージーランドの旗 ブルース・マクラーレン
イギリスの旗 ブラバム・レーシング・オーガニゼーション 3 オーストラリアの旗 ジャック・ブラバム ブラバム BT26 レプコ 860 3.0L V8 G
4 オーストリアの旗 ヨッヘン・リント
日本の旗 ホンダ・レーシング 5 イギリスの旗 ジョン・サーティース ホンダ RA301 ホンダ RA301E 3.0L V12 F
イタリアの旗 スクーデリア・フェラーリ SpA SEFAC 6 ニュージーランドの旗 クリス・エイモン フェラーリ 312/68 フェラーリ 242C 3.0L V12 F
7 ベルギーの旗 ジャッキー・イクス 312/67
イギリスの旗 オーウェン・レーシング・オーガニゼーション 8 メキシコの旗 ペドロ・ロドリゲス BRM P133 BRM P142 3.0L V12 G
フランスの旗 マトラ・スポール 9 フランスの旗 アンリ・ペスカロロ マトラ MS11 マトラ MS9 3.0L V12 D
21 フランスの旗 ジャン=ピエール・ベルトワーズ
イギリスの旗 ゴールドリーフ・チーム・ロータス 10 イギリスの旗 グラハム・ヒル ロータス 49B フォードコスワース DFV 3.0L V8 F
11 イギリスの旗 ジャッキー・オリバー
12 メキシコの旗 モイセス・ソラーナ
アメリカ合衆国の旗 アングロ・アメリカン・レーサーズ 14 アメリカ合衆国の旗 ダン・ガーニー マクラーレン M7A フォードコスワース DFV 3.0L V8 G
イギリスの旗 マトラ・インターナショナル 15 イギリスの旗 ジャッキー・スチュワート マトラ MS10 フォードコスワース DFV 3.0L V8 D
23 フランスの旗 ジョニー・セルボ=ギャバン
イギリスの旗 ロブ・ウォーカー/ジャック・ダーラッシャー・レーシングチーム 16 スイスの旗 ジョー・シフェール ロータス 49B フォードコスワース DFV 3.0L V8 F
スイスの旗 ヨアキム・ボニエ・レーシングチーム 17 スウェーデンの旗 ヨアキム・ボニエ 1 マクラーレン
ホンダ
M5A
RA301
BRM P142 3.0L V12
ホンダ RA301E 3.0L V12
G
イギリスの旗 クーパー・カー・カンパニー 18 イギリスの旗 ビック・エルフォード クーパー T86B BRM P142 3.0L V12 F
19 ベルギーの旗 ルシアン・ビアンキ
イギリスの旗 レグ・パーネル・レーシング 22 イギリスの旗 ピアス・カレッジ BRM P126 BRM P142 3.0L V12 G
ソース:[3]
追記
  • ^1 - ボニエは予選で自身のマクラーレン・M5Aを壊したため、ホンダから2台目のRA301を借りて以後のセッションに参加した[4]

予選

ロブ・ウォーカーロータス・49Bを駆るジョー・シフェールポールポジションを獲得し、2番手のクリス・エイモンとともにフロントローを占めた。チャンピオンを争うグラハム・ヒルデニス・ハルムは2列目、ジャッキー・スチュワートは4列目からスタートする[5]

自身のチーム英語版から参加するヨアキム・ボニエは予選2日目、マクラーレン・M5Aに搭載されたBRMエンジンが壊れてしまい、ホンダRA301のスペアカーの借用を申し出た。ホンダはRA301の2号車をボニエに貸し出し、長身のボニエのためにクラッチペダルを調整した[6]。1号車を走らせるジョン・サーティースは6番手で3列目からスタートする[5]

予選結果

順位 No. ドライバー コンストラクター タイム グリッド
1 16 スイスの旗 ジョー・シフェール ロータス-フォード 1:45.22 - 1
2 6 ニュージーランドの旗 クリス・エイモン フェラーリ 1:45.62 +0.40 2
3 10 イギリスの旗 グラハム・ヒル ロータス-フォード 1:46.01 +0.97 3
4 1 ニュージーランドの旗 デニス・ハルム マクラーレン-フォード 1:46.04 +0.82 4
5 14 アメリカ合衆国の旗 ダン・ガーニー マクラーレン-フォード 1:46.29 +1.07 5
6 5 イギリスの旗 ジョン・サーティース ホンダ 1:46.49 +1.27 6
7 15 イギリスの旗 ジャッキー・スチュワート マトラ-フォード 1:46.69 +1.47 7
8 3 オーストラリアの旗 ジャック・ブラバム ブラバム-レプコ 1:46.80 +1.58 8
9 2 ニュージーランドの旗 ブルース・マクラーレン マクラーレン-フォード 1:47.00 +1.78 9
10 4 オーストリアの旗 ヨッヘン・リント ブラバム-レプコ 1:47.07 +1.85 10
11 12 メキシコの旗 モイセス・ソラーナ ロータス-フォード 1:47.67 +2.45 11
12 8 メキシコの旗 ペドロ・ロドリゲス BRM 1:47.80 +2.58 12
13 21 フランスの旗 ジャン=ピエール・ベルトワーズ マトラ 1:48.38 +3.16 13
14 11 イギリスの旗 ジャッキー・オリバー ロータス-フォード 1:48.44 +3.22 14
15 7 ベルギーの旗 ジャッキー・イクス フェラーリ 1:49.24 +4.02 15
16 23 フランスの旗 ジョニー・セルボ=ギャバン マトラ-フォード 1:49.27 +4.05 16
17 18 イギリスの旗 ビック・エルフォード クーパー-BRM 1:49.48 +4.26 17
18 17 スウェーデンの旗 ヨアキム・ボニエ 1 マクラーレン-BRM
ホンダ
1:49.96 +4.74 18
19 22 イギリスの旗 ピアス・カレッジ BRM 1:50.28 +5.06 19
20 9 フランスの旗 アンリ・ペスカロロ マトラ 1:50.43 +5.21 20
21 19 ベルギーの旗 ルシアン・ビアンキ クーパー-BRM 1:50.57 +5.35 21
ソース:[7][8]
追記
  • ^1 - ボニエは自身のマクラーレン-BRMを壊したため、ホンダからマシンを借りて参加[4]

決勝

フロントローからスタートしたジョー・シフェールクリス・エイモンは逃げられず、グラハム・ヒルが首位に立ったが、好スタートを切ったジョン・サーティースが1コーナーでリードを奪った。ヒルは1周目の後半で首位を奪い返し、1周目を終える頃までにサーティース以下を引き離していった。ジャッキー・スチュワートはエイモン、デニス・ハルムペドロ・ロドリゲスヨッヘン・リントを抜いて3位に浮上した。レース序盤は順位が目まぐるしく変わった[5]。サーティースはヒルを抜いた際にエンジンが8,000rpm以下になると不調を起こすトラブルに見舞われだし、周回を重ねるごとに悪化していった。3周目にスチュワートに抜かれ、5周目に釘を踏んでしまい右リアタイヤがパンクしてしまった。11周目にタイヤ交換を終えてピットアウトしたが、エンジンが急激なオーバーヒートを起こしてしまい、19周目にリタイアした[9]。リントは点火装置の問題でリタイアした[5]ジャッキー・イクスは脚の負傷で前戦アメリカGPを欠場した後フェラーリに復帰したが、彼も点火装置の故障により4周目にリタイアした[2]。スチュワートは数周に渡ってヒルからリードを奪ったが、ヒルはスチュワートから首位の座を取り戻した。ハルムは3位に浮上した直後にマシンの挙動が乱れだしてシフェールに抜かれていき[5]、11周目にダンパーが壊れてバリアにクラッシュし、もぎ取られた左のホイールは2つともピットロード出口の向こう側まで滑っていった。さらに燃料ラインが路面で削り取られ、摩擦による火花で出火してしまった。消火前にハルムはマシンを脱出し、彼のチャンピオン争いは終わった[10]

ハルムのリタイアにより、チャンピオン争いとレースの行方はヒルとスチュワートの一騎打ちとなっていたが、22周目にシフェールが首位に立った。しかし、シフェールはスロットルケーブルが壊れたためピットインしなければならず、再びヒルとスチュワートが1-2位に戻り、ジャック・ブラバムが3位に浮上した。そして、スチュワートは燃料供給の問題によりすぐに後退していく。さらにエンジンがミスファイアを起こし、ハンドリングも悪化していった。51周目にブルース・マクラーレン(ブラバムを抜いて3位に浮上していた)とブラバムがスチュワートを抜いていったが、ブラバムはエンジントラブルでリタイアし、ジョニー・セルボ=ギャバンもエンジントラブルでリタイアしたため、ジャッキー・オリバーが3位に浮上した。スチュワートは7位に後退した。ヒルはトップでチェッカーフラッグを受け、1962年以来2度目のドライバーズチャンピオンを獲得した[5]。オリバーは自身初の3位表彰台を獲得した。1965年以来3度目のコンストラクターズチャンピオンを獲得したロータスは、4月にジム・クラークを失い窮地に陥ったが、それを乗り越えて再びしっかりと前進を再開した[11]。2台目のホンダ・RA301を走らせたヨアキム・ボニエは5位に入賞し、ホンダにコンストラクターズポイント2点をもたらした。しかし、年間合計ポイントは14点でコンストラクターズランキング6位[注 1]、サーティースは12点でドライバーズランキング8位[注 2]という結果にとどまり、シーズン開幕前にはチャンピオン獲得を目論んでいたホンダにとっては不本意以外の何物でもなかった[4]

メキシコ政府は国民の不安を抑えようと努力した結果、憲兵隊から非武装の警官隊に切り替え、観衆を統制するためにコースマーシャルとともにコース上に配置された[12]。しかし、レースが終わる頃には観衆がコース上に侵入した。これが後にメキシコGPを中止に追い込んだ理由の一つとなった[13]

レース結果

順位 No. ドライバー コンストラクター 周回数 タイム/リタイア原因 グリッド ポイント
1 10 イギリスの旗 グラハム・ヒル ロータス-フォード 65 1:56:43.95 3 9
2 2 ニュージーランドの旗 ブルース・マクラーレン マクラーレン-フォード 65 +1:19.32 9 6
3 11 イギリスの旗 ジャッキー・オリバー ロータス-フォード 65 +1:40.65 14 4
4 8 メキシコの旗 ペドロ・ロドリゲス BRM 65 +1:41.09 12 3
5 17 スウェーデンの旗 ヨアキム・ボニエ ホンダ 64 +1 Lap 18 2
6 16 スイスの旗 ジョー・シフェール ロータス-フォード 64 +1 Lap 1 1
7 15 イギリスの旗 ジャッキー・スチュワート マトラ-フォード 64 +1 Lap 7
8 18 イギリスの旗 ビック・エルフォード クーパー-BRM 63 +2 Laps 17
9 9 フランスの旗 アンリ・ペスカロロ マトラ 62 +3 Laps 20
10 3 オーストラリアの旗 ジャック・ブラバム ブラバム-レプコ 59 油圧 8
Ret 23 フランスの旗 ジョニー・セルボ=ギャバン マトラ-フォード 57 イグニッション 16
Ret 14 アメリカ合衆国の旗 ダン・ガーニー マクラーレン-フォード 28 サスペンション 5
Ret 22 イギリスの旗 ピアス・カレッジ BRM 25 エンジン 19
Ret 19 ベルギーの旗 ルシアン・ビアンキ クーパー-BRM 21 エンジン 21
Ret 5 イギリスの旗 ジョン・サーティース ホンダ 17 オーバーヒート 6
Ret 6 ニュージーランドの旗 クリス・エイモン フェラーリ 16 トランスミッション 2
Ret 12 メキシコの旗 モイセス・ソラーナ ロータス-フォード 14 ウイング破損 11
Ret 1 ニュージーランドの旗 デニス・ハルム マクラーレン-フォード 10 サスペンション 4
Ret 21 フランスの旗 ジャン=ピエール・ベルトワーズ マトラ 10 サスペンション 13
Ret 7 ベルギーの旗 ジャッキー・イクス フェラーリ 3 イグニッション 15
Ret 4 オーストリアの旗 ヨッヘン・リント ブラバム-レプコ 2 イグニッション 10
DNS 17 スウェーデンの旗 ヨアキム・ボニエ マクラーレン-BRM エンジン
ソース:[14][15]
ファステストラップ[16]
ラップリーダー[17]

レース後

ホンダRA301インディアナポリス・モーター・スピードウェイに持ち込み、F1活動初期の1964年-1966年に在籍していたロニー・バックナムによってテスト走行を行った[18]。その後、本田技研工業が2輪主体から本格的な4輪並行出産に移行するため、世界市場に通用する市販車の開発を優先する方針もあり、F1撤退を決定した。ただし、イギリスのホンダ・レーシングから発表されたプレスリリースは「撤退」ではなく、「ホンダが本格的な4輪メーカーとして成長するまでの”一時休止”」という形を取った[19]。こうして5年に渡るホンダの第1期活動は幕を閉じた。ホンダがF1活動を再開するのは、エンジンサプライヤーとして15年後の1983年まで[4]フルワークス活動の再開は2006年まで待たなければならなかった。

そして、1959年-1960年コンストラクターズチャンピオンを獲得したクーパーもこの年をもってF1から撤退した[20][注 3]

ランキング

  • : トップ5のみ表示。前半6戦のうちベスト5戦及び後半6戦のうちベスト5戦がカウントされる。

脚注

注釈

  1. ^ クーパー-BRMと同じ14点だが、ホンダは2位が最上位(フランスGP)で、クーパーは3位が最上位(スペインGPモナコGP)だったため、ホンダが上位となる。
  2. ^ シフェールと同じ12点だが、シフェールはイギリスGPで優勝したのに対し、サーティースはフランスGPの2位が最上位だったため、シフェールが上位となる。
  3. ^ 1969年モナコGPでプライベートチームがクーパーを走らせたのを最後に、F1からクーパーの名は完全に消滅した。(林信次 1995, p. 92)

出典

  1. ^ (林信次 1995, p. 70)
  2. ^ a b (アラン・ヘンリー 1989, p. 245)
  3. ^ Mexico 1968 - Race entrants”. STATS F1. 2019年10月17日閲覧。
  4. ^ a b c d (林信次 1995, p. 61)
  5. ^ a b c d e f Mexican GP, 1968”. grandprix.com. 2019年10月17日閲覧。
  6. ^ (中村良夫 1998, p. 273)
  7. ^ Mexico 1968 - Qualifications”. STATS F1. 2019年10月17日閲覧。
  8. ^ Mexico 1968 - Starting grid”. STATS F1. 2019年10月17日閲覧。
  9. ^ (中村良夫 1998, p. 274-275)
  10. ^ (ダグ・ナイ 1989, p. 204)
  11. ^ (林信次 1995, p. 58)
  12. ^ Kettlewell, Mike. "Grand Prix Racing South of the Border", in Ward, Ian, executive editor. World of Automobiles (London: Orbis, 1974) Volume 12, p.1332.
  13. ^ Kettlewell, p.1332.
  14. ^ 1968 Mexican Grand Prix”. formula1.com. 19 January 2015時点のオリジナルよりアーカイブ。26 September 2015閲覧。
  15. ^ The start of the 3-litre era”. 8WForix. January 12, 2019閲覧。
  16. ^ Mexico 1968 - Best laps”. STATS F1. 2019年10月19日閲覧。
  17. ^ Mexico 1968 - Laps led”. STATS F1. 2019年10月19日閲覧。
  18. ^ (中村良夫 1998, p. 276)
  19. ^ (中村良夫 1998, p. 286-288)
  20. ^ (林信次 1995, p. 71)
  21. ^ a b Mexico 1968 - Championship”. STATS F1. 19 March 2019閲覧。

参照文献

  • Wikipedia英語版 - en:1968 Mexican Grand Prix(2019年10月6日 11:06:33(UTC))
  • Lang, Mike (1982). Grand Prix! Vol 2. Haynes Publishing Group. pp. 82–83. ISBN 0-85429-321-3 
  • 林信次『F1全史 1966-1970 [3リッターF1の開幕/ホンダ挑戦期の終わり]』ニューズ出版、1995年。ISBN 4-938495-06-6 
  • 中村良夫『F-1グランプリ ホンダF-1と共に 1963-1968 (愛蔵版)』三樹書房、1998年。ISBN 4-89522-233-0 
  • アラン・ヘンリー『チーム・フェラーリの全て』早川麻百合+島江政弘(訳)、CBS・ソニー出版、1989年12月。ISBN 4-7897-0491-2 
  • ダグ・ナイ『チーム・マクラーレンの全て』森岡成憲(訳)、CBS・ソニー出版、1989年12月。ISBN 4-7897-0491-2 

外部リンク

前戦
{{{前戦のグランプリ名}}}
FIA F1世界選手権
1968年シーズン
次戦
{{{次戦のグランプリ名}}}
前回開催
{{{前回のグランプリ名}}}
メキシコの旗 {{{開催グランプリ名}}} 次回開催
{{{次回のグランプリ名}}}