織田秀朝
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織田 秀朝(おだ ひでとも、慶長6年7月2日(1601年7月31日) - ?)は、江戸時代の人物。伝承に拠れば、父は織田秀信。母は西山梅(西山氏)。織田恒直の庶兄。織田信長の曾孫。
概要
[編集]慶長6年(1601年)、高野山を追放された織田秀信が紀州向副村善福寺に閑居した頃、地方有力者西山家の娘梅との間に儲けた庶子。のち、名乗りを西山弥三次郎清明と改めた。
後に生地真澄の娘町野が正式に継室として入り、恒直を儲けているため、出生順では先であるが秀朝は庶流ということになる。
ただしこれらは上質の史料では実在が確認されない。あくまで子孫の自称・伝承でしかない。 農政家、歴史学者の織田完之は彼の子孫を自称する。
参考文献
[編集]- 西山自然歴史博物館、西山家万世守る会編 『西山家文言覚書秘伝録 為朝及び信長孫秀信の生涯編』 1984年