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伊島 (阿南市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
伊島
蒲生田岬より伊島を望む
所在地 日本徳島県
所在海域 紀伊水道
座標 北緯33度51分0秒 東経134度48分55秒 / 北緯33.85000度 東経134.81528度 / 33.85000; 134.81528座標: 北緯33度51分0秒 東経134度48分55秒 / 北緯33.85000度 東経134.81528度 / 33.85000; 134.81528
面積 1.45 km²
伊島の位置(徳島県内)
伊島
伊島
伊島 (徳島県)
伊島の位置(日本内)
伊島
伊島
伊島 (日本)
プロジェクト 地形
テンプレートを表示
伊島の空中写真。
2014年4月25日撮影の12枚を合成作成。
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。

伊島(いしま)は、徳島県阿南市伊島町にある。集落地を除く全域が室戸阿南海岸国定公園に指定されている[1]

地理

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四国最東端の蒲生田岬の東方6km紀伊水道の中に位置する[1]。伊島の西方には前島棚子島があり、現在はどちらも無人島である。

島の地質は砂岩からなる[1]。島の面積の約75パーセントが山林となっており、集落は西方の前島との間にある水道に面する約2ヘクタールの平地に存在する[1]

人口

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61世帯、115名(2023年5月31日時点)[2]。なお、1990年3月31日時点では279名であり、当時に比して過疎化が進行している[3]

沿革

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承応3年(1654年)、神野惣右衛門が領主・森甚五兵衛の命により移り住む[4][5]

元治元年(1865年12月20日、集落のほとんどを消失する火事が起こる[4][注釈 1]。復興するも、明治16年(1883年)に再び火災が起こり大半が消失する[4]

平成13年(2001年12月27日、「伊島および周辺沿岸」が日本の重要湿地500に選定される[7]

施設

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交通アクセス

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  • 本土との交通手段は伊島連絡交通有限会社が運営する伊島・答島航路のみである[8]。本土の阿南市津乃峰町答島港と伊島漁港の間を、連絡船「みしま」(2020年建造、軽合金船19トン)が一日三往復している(所要時間30分)[8]。答島港の最寄り駅は、牟岐線阿波橘駅である。

脚注

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注釈

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  1. ^ この火災を始めとする諸災害により、島に関する古い文献はその大半が消失したとされる[6]

出典

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  1. ^ a b c d 徳島県離島振興計画(令和5年度-14年度)”. 徳島県. p. 5. 2024年8月19日閲覧。
  2. ^ 令和5年阿南市人口台帳
  3. ^ 阿南市公式サイト 阿南市統計書-市勢概要
  4. ^ a b c 山口 1933, p. 46.
  5. ^ 岸本 1951, p. 71.
  6. ^ 岸本 1951, p. 72.
  7. ^ 重要湿地の選定(とりまとめ結果)について”. 環境省 (2001年12月27日). 2021年7月31日閲覧。
  8. ^ a b 徳島県離島振興計画(令和5年度-14年度)”. 徳島県. p. 6. 2024年8月19日閲覧。

参考文献

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外部リンク

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