松島 (岡山県)
地理 | |
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場所 | 瀬戸内海(水島灘) |
座標 | 北緯34度25分31秒 東経133度49分03秒 / 北緯34.42528度 東経133.81750度座標: 北緯34度25分31秒 東経133度49分03秒 / 北緯34.42528度 東経133.81750度 |
諸島 | 水島諸島 |
面積 | 0.08 km2 (0.031 sq mi)[1][2] |
海岸線 | 1.2 km (0.75 mi)[1][2] |
最高標高 | 27 m (89 ft)[1][2] |
行政 | |
都道府県 | 岡山県 |
市町村 | 倉敷市 |
大字 | 下津井 |
人口統計 | |
人口 | 2(2018年年時点)[3] |
人口密度 | 25 /km2 (65 /sq mi) |
言語 | 日本語 |
追加情報 | |
時間帯 |
松島(まつしま)は岡山県倉敷市下津井にある島である。面積0.08km2であり、岡山県の有人島の内、面積最小の島である[2]。
概要
[編集]鷲羽山麓の大浜の方約600m沖にある有人島。周囲は約1.2km[1]。松が多いことが島名の由来とされる。島に平坦地は少なく、集落は海岸沿いにある[2]。また、島の周囲は、岡山県下でも有数の優良な漁場とされる[2]。
中世には松島庄太夫という豪族が島内を開発し、その宅地跡の遺跡が現存する。また、水軍の根拠地の一つとなり、島全体が要塞化されていたこともあり、島内には、藤原純友に由来する純友神社が存在する[2]。『吉備温故秘録』には田畑1反2畝、家数2軒、男女9人と記載されている。近代には移住者が増え、大正年間には20戸以上になるなど、人口が増えていった。その中で1902年(明治35年)に筆海小学校の分教場が設置された[注釈 1][4][5]。戦後間もない頃には人口は100人を超え、1948年(昭和23年)には、児島市立下津井中学校の分校が設置された[注釈 2][6]。1971年(昭和46年)には52人が生活。1979年(昭和54年)には本土からの海底送水管が敷設された。昭和40年代には、小中学校の校舎が相次いで新築されたが、1979年(昭和54年)には小学校が休校となり、1989年(平成元年)には中学校が休校となった[4][6]。その後、1989年(平成元年)に小学校の分校が、2000年(平成12年)に中学校の分校がそれぞれ廃校となった[4][5][6]。現在、同校の建物は松島分校美術館として活用されている。1998年(平成10年)には島民は一桁になり、2010年(平成22年)時点の人口は3名であった[1]。2017年(平成29年)には、この内1人が島を去った[5]。2018年4月時点の人口は1家族2名[3]。現在の主産業は漁業である。2022年現在の島民は移住者である男性一名のみである。
水道、電気、電話は通じている[5]。
交通
[編集]定期船は無く、児島味野港または下津井港などからチャーター便を利用する必要がある[1][7]。
注釈
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e f “岡山県の離島 - 松島 -”. 岡山県. 2016年1月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年3月7日閲覧。
- ^ a b c d e f g 公益財団法人日本離島センター『日本の島ガイド SHIMADAS(シマダス)』公益財団法人日本離島センター、2019年、373-375頁。ISBN 9784931230385。
- ^ a b “松島 (倉敷市・児島諸島地域)”. 岡山県ホームページ(中山間・地域振興課). 2016年5月14日閲覧。
- ^ a b c d 倉敷市立下津井西小学校; 倉敷市教育委員会. “令和元年度学校沿革史” (PDF) (日本語). 倉敷市立下津井西小学校公式ウェブサイト. 2021年10月25日閲覧。
- ^ a b c d 2人暮らしの離島 倉敷・下津井沖「松島」を訪ねて山陽新聞デジタル (2020年7月26日) 2020年7月27日閲覧。
- ^ a b c d 倉敷市立下津井中学校; 倉敷市教育委員会. “平成30年度学校沿革史” (PDF) (日本語). 倉敷市立下津井中学校公式ウェブサイト. 2021年10月25日閲覧。
- ^ 離島振興(児島諸島) 倉敷市企画経営室 2015年3月7日閲覧。