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「関西電力モ250形電気機関車」の版間の差分

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{{鉄道車両
'''名鉄デキ250形電気機関車'''(めいてつデキ250がたでんききかんしゃ)は、かつて[[名古屋鉄道]](名鉄)に在籍した[[直流電化|直流]]用[[電気機関車]]である。2両(251, 252)が存在した。
|車両名= 関西電力モ250形電気機関車<div style="font-size:80%;">名鉄デキ250形電気機関車</div>
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'''関西電力モ250形電気機関車'''(かんさいでんりょくモ250がたでんききかんしゃ)は、[[関西電力]]が同社[[丸山ダム]]建設に際して[[1952年]]([[昭和]]27年)に導入した[[電気機関車]]である。


モ250形は関西電力が保有する私有機として2両が竣功し、建設資材輸送の[[貨物列車]]牽引に供された<ref name="JTBC-R200107_p37" />。のち、ダム建設工事完了に伴って[[1954年]](昭和29年)に[[名古屋鉄道]](名鉄)へ譲渡されて同社'''デキ250形'''となり、名鉄には[[1969年]](昭和44年)まで在籍した<ref name="RP249_p60" />。うち1両は北恵那鉄道(現・[[北恵那交通]])へ貸与ののち正式譲渡され、[[1978年]](昭和53年)まで運用された<ref name="JTBC-R200511_p121" />。
==概要==
[[1952年]](昭和27年)[[日立製作所]]製の、凸形で架線電圧600[[ボルト (単位)|V]]専用の電気機関車である。[[丸山ダム]]建設工事線([[丸山水力専用鉄道]])用の機関車として、[[関西電力]]の[[所有権|所有]]であった。[[車軸配置]]はB+B、出力は300[[ワット|kW]]である。


以下、本項では関西電力モ250形として導入された車両群を「本形式」と記述する。
[[1955年]](昭和30年)に丸山ダムが完成すると、関西電力から名鉄に譲渡され、旧[[名岐鉄道]]系の路線(西部線)の600V区間([[名鉄八百津線|八百津線]]、[[名鉄広見線|広見線]]、[[名鉄小牧線|小牧線]]など)で使用された。


== 導入経緯 ==
後に252は1500V用に昇圧改造され、[[1968年]](昭和43年)に[[廃車 (鉄道)|廃車]]となる。251は600V区間専用のまま、[[1966年]](昭和41年)頃に[[名鉄瀬戸線|瀬戸線]]に転籍する。その後、[[1969年]](昭和44年)に[[北恵那交通|北恵那鉄道]]に譲渡され、[[北恵那鉄道線|鉄道線]]で貨物輸送、[[入換 (鉄道)|入換]]用として使用されていた。[[1978年]](昭和53年)、北恵那鉄道線の[[廃線|廃止]]とともに廃車される。
{{See also|丸山水力専用鉄道}}
関西電力は、[[太平洋戦争]]中に[[日本発送電]]によって着工されたものの、戦局悪化により建設が中断された丸山水力発電所(丸山ダム)<ref name="mlit_maruyama-ayumi" />の建設再開を目的として、[[1951年]](昭和26年)11月より[[名鉄八百津線]]の終点[[八百津駅]]から[[錦織駅 (愛知県)|錦織駅]]を経て丸山発電所(丸山ダム)へ至る、延長4.1 [[キロメートル|km]]の建設資材運搬用の専用鉄道([[丸山水力専用鉄道]])の敷設工事に着手した<ref name="JTBC-R200107_p37" />{{Refnest|group="*"|専用線の建設は日本発送電によって着工され、線路を敷設する段階まで進捗していたものの、丸山ダム建設中断により遊休施設と化し、その後[[金属類回収令]]に基いて[[軌条]]を供出した<ref name="JTBC-R200107_p37" />。丸山水力専用鉄道はこの未成に終わった専用線の[[道床]]を補修の上で再利用し、敷設されたものである<ref name="JTBC-R200107_p37" />。}}。専用鉄道のうち、八百津 - 錦織間2.6 kmは[[1952年]](昭和27年)3月に開通したが、開通当初は[[非電化]]仕様とされ、内燃機関車牽引による資材輸送が行われた<ref name="JTBC-R200107_p37" />。


その後、[[鉄道の電化|電化]]工事完成に先立つ同年8月に<ref name="JTBC-R200107_p37" />、[[日立製作所]]において30 [[トン|t]]級の凸形車体を備える電気機関車'''モ250形'''251・252の2両がメーカー製造番号191080-1・191080-2にて新製され<ref name="RP66_p63" />、同年9月13日の[[直流電化|直流]]600 [[ボルト (単位)|V]]電化工事完成をもって運用を開始した<ref name="JTBC-R200107_p37" />。モ251・モ252とも、当初より資材輸送終了後は名鉄へ譲渡する前提で導入された電気機関車であった<ref name="JTBC-R200107_p37" />。
251は[[瀬戸電気鉄道ホ103形電車|モ565]]とともに、[[愛知県]]内のレストランに保存されていたが、1990年頃解体されたという。


== 主要諸元==
== 車体 ==
全長10,850 [[ミリメートル|mm]]の台枠上の中央部に運転室を、運転室前後に主要機器を収納した機械室をそれぞれ配置した凸形の車体を備える<ref name="RML32_p44" />。その外観は「取り立てて面白みのない平々凡々なスタイル<ref name="RML32_p43" />」「専用鉄道用車両だけにいかにも実用本位のデザイン<ref name="RML32_p44" />」などと評される。
*全長:10,850mm

*全幅:2,740mm
運転室および機械室は全溶接工法によって組み立てられた丸みを帯びた形状とされ<ref name="RP859_p55-56" />、前後の機械室上部は運転室側より車端部に向かってなだらかな下り傾斜状とされている<ref name="RML32_p44" />。運転室側面には乗務員扉と側窓を各1箇所備え、前後妻面には2枚の横長形状の前面窓を備える<ref name="RML32_p44" />。また、機械室に設けられた通風用ルーバー内部には、降雪時の運用を考慮して雪の機械室への侵入を防止する防雪板が設置された<ref name="Hitachi35-1_p286" />。
*全高:4,100mm

*自重:21.3t
前照灯は[[白熱電球|白熱灯]]式の取付型で、前後の機械室上部の前端に各1灯、[[尾灯|後部標識灯]]は前後の機械室前面下部に左右1灯ずつ、それぞれ設置された<ref name="Hitachi35-1_p286" />。
*電気方式:直流600V(架空電車線方式)

*軸配置:B+B
== 主要機器 ==
*台車形式:棒台枠
搭載する機器は日立製作所製の製品で占められている<ref name="RP859_p60" />。
*主電動機:HS-266(75.0kW)×4基

[[主制御器|制御装置]]は[[主制御器#電空単位スイッチ式|電空単位スイッチ式]][[主制御器#手動進段|間接非自動制御器]]([[重連運転|重連総括制御]]非対応)を採用する<ref name="Hitachi35-1_p286" />。力行制御は[[電気車の速度制御#直並列組合せ制御|直列]]8段・[[電気車の速度制御#直並列組合せ制御|並列]]7段の計15段の[[抵抗制御]]によって行い、[[電気車の速度制御#弱め界磁制御|弱め界磁制御]]機能は実装されていない<ref name="Hitachi35-1_p286" />。

主電動機はHS-266Dr(端子電圧600 V時定格出力75 [[ワット|kW]])<ref name="JTBC-R200511_p171" />を[[歯車比]]4.19 (67:16) にて1両あたり4基、各軸に装架する<ref name="RP859_p60" />。全界磁時定格速度は24.6 [[キロメートル毎時|km/h]]、同定格牽引力は4,360 [[重量キログラム|kgf]]である<ref name="Hitachi35-1_p286" />。

[[鉄道車両の台車|台車]]は枕ばねを省略した[[鉄道車両の台車#イコライザー式|釣り合い梁式]]固定枕梁形台車(固定軸間距離2,100 mm、車輪径910 mm)を装着する<ref name="RP859_p60" />。

制動装置は機関車用制動装置であるEL-14A[[自動空気ブレーキ]]を採用する<ref name="RP859_p60" />。運転台の制動弁は自車にのみ作用する「単弁」と編成全体に作用する「貫通制動弁」の2つに分かれている<ref name="RP859_p55-56" />。この仕様は名鉄への譲渡後も変更されず、制動弁を1基のみ搭載して切替コックの操作により単弁相当または貫通制動弁相当に切り替える仕様が標準であった名鉄保有の電気機関車の中では異端な存在であった<ref name="RP859_p55-56" />{{Refnest|group="*"|名鉄において単弁と貫通制動弁の2つの制動弁を備える電気機関車は、本形式2両のほか[[上田温泉電軌デロ300形電気機関車|デキ500形]]1両の計3両のみに限られた<ref name="RP859_p55-56" />。操作性の相違などから、この仕様は乗務員には不評であったという<ref name="RP859_p57-58" />。}}。

[[連結器]]は柴田式[[連結器#並形自動連結器|並形自動連結器]]を採用、前後の端梁部へ装着し<ref name="RP859_p60" />、[[集電装置]]はKC-110-C[[集電装置#菱形|菱形パンタグラフ]]を乗務員室の屋根部へ1両あたり1基搭載する<ref name="RP859_p60" />。

なお、本形式は低圧電源供給用の[[電動発電機]] (MG) を搭載せず、制御装置の動作などに用いる低圧電源は架線電圧を専用抵抗器によって降圧して使用した<ref name="RP859_p55-56" />。

== 運用 ==
導入後は、前述の通りダム建設の資材輸送列車の牽引用途に供された<ref name="JTBC-R200107_p37" />。なお、専用鉄道のうち[[1953年]](昭和28年)7月に開通した「延長線」と称される錦織 - 丸山発電所間1.5 kmについては非電化仕様とされたため、本形式の運用区間は錦織までに限定された<ref name="JTBC-R200107_p37" />。

その後、丸山ダム完成に伴って専用鉄道は1954年(昭和29年)5月31日をもって廃止となり、本形式2両は当初の計画通り名鉄へ譲渡された<ref name="JTBC-R200107_p37" />。名鉄籍への編入に際しては形式称号を'''デキ250形'''と改め、[[鉄道の車両番号|記号番号]]はモ251がデキ251、モ252がデキ252となった<ref name="JTBC-R200511_p121" />。名鉄への譲渡後は、八百津線・[[名鉄広見線|広見線]]・[[名鉄小牧線|小牧線]]など架線電圧600 V仕様の各支線区にて運用された<ref name="RP859_p55-56" />。

後年、デキ252は架線電圧1,500 V仕様の幹線系統へ転属のため、昇圧対応改造工事が施工された<ref name="RP66_p63" />。この際、制御装置動作用の低圧電源装置として[[東芝]]CLG-101電動発電機 (MG) を新たに搭載し<ref name="RP859_p60" />、また昇圧改造後における主電動機出力は90 kWに向上した<ref name="RP859_p60" />。一方、デキ251は架線電圧600 V仕様のまま運用され<ref name="RP249_p60" />、運用路線区の架線電圧1,500 V化によって一旦休車となったのち、[[1966年]](昭和41年)に同じく架線電圧600 V電化路線区である[[名鉄瀬戸線|瀬戸線]]へ転属した<ref name="RP859_p55-56" />。

その後の本形式の運用機会は少なく<ref name="RP859_p55-56" />、デキ251は瀬戸線転属の翌年、[[1967年]](昭和42年)9月に再び休車となったのち、[[1968年]](昭和43年)9月より北恵那鉄道へ貸与された<ref name="RP859_p55-56" />。また、デキ252は1968年(昭和43年)4月に発生した車両故障により休車となり<ref name="RP859_p55-56" />、修復されることなく同年8月22日付<ref name="PRC11_p180" />で[[廃車 (鉄道)|除籍]]・解体処分された<ref name="RP859_p55-56" />。デキ251も正式譲渡により<ref name="RP249_p60" />1969年(昭和44年)3月10日付で除籍され<ref name="PRC11_p180" />、名鉄におけるデキ250形は形式消滅した<ref name="RP249_p60" />。

デキ251は北恵那鉄道へ正式譲渡された後も、形式称号・記号番号は名鉄在籍当時のデキ250形251のままとされた<ref name="RML32_p43" />。デキ251は[[北恵那鉄道線]]における貨物列車牽引用途に供する目的で導入されたが<ref name="RML32_p43" />、当時の北恵那鉄道線は[[モータリゼーション]]の影響から貨物輸送量が激減し<ref name="RML32_p44" />、電気機関車による牽引列車運行の必要性が薄れていたことから、導入後は[[中津町駅]]構内に隣接する中央板紙中津川工場(現・[[王子マテリア]]中津川工場)に入出場する貨車の[[入換 (鉄道)|入換作業]]用途にのみ用いられた<ref name="RML32_p43" />。結局、デキ251は導入後一度も本線にて運用されることなく<ref name="RML32_p44" />、1978年(昭和53年)9月18日の北恵那鉄道線[[廃線|全線廃止]]に伴って、翌9月19日付で廃車となった<ref name="JTBC-R200511_p171" />。

廃車後、デキ251は同じく路線廃止によって廃車となった[[瀬戸電気鉄道ホ103形電車|モ560形]]565とともに[[愛知県]][[名古屋市]]内のレストランにて[[静態保存]]されたが、後年解体処分された<ref name="RML32_p30-31" />。従って、関西電力モ250形として導入された2両はいずれも現存しない<ref name="RP859_p55-56" /><ref name="RML32_p30-31" />。

== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{reflist|group="*"}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2|refs=
<ref name="PRC11_p180">[[#PRC11|『私鉄の車両11 名古屋鉄道』 p.180]]</ref>
<ref name="JTBC-R200107_p37">[[#JTBC-R200107|『名鉄の廃線跡を歩く』 p.37]]</ref>
<ref name="RML32_p30-31">[[#RML32|『RM LIBRARY32 北恵那鉄道』 pp.30 - 31]]</ref>
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<ref name="mlit_maruyama-ayumi">[http://www.cbr.mlit.go.jp/maruyama/syoukai/ayumi/ayumi.htm 丸山ダムのあゆみ] - [[国土交通省]]中部地方整備局 2014年9月30日閲覧</ref>
}}

== 参考資料 ==
=== 書籍 ===
* {{Anchor|PRC11|白井良和 『私鉄の車両11 名古屋鉄道』 [[保育社]] 1985年12月 ISBN 4-586-53211-4}}
* {{Anchor|JTBC-R200107|[[徳田耕一]] 『名鉄の廃線跡を歩く』 [[JTBパブリッシング]] 2001年7月 ISBN 4-533-03923-5}}
* {{Anchor|RML32|清水武 『RM LIBRARY32 北恵那鉄道』 [[ネコ・パブリッシング]] 2002年3月 ISBN 4-87366-267-2}}
* {{Anchor|JTBC-R200107|[[寺田裕一]] 『私鉄機関車30年』 JTBパブリッシング 2005年11月 ISBN 4-533-06149-4}}

=== 雑誌記事 ===
* 『[[日立評論]]』 日立評論社
** {{Anchor|Hitachi35-1_p284-303|「XVIII. 鉄道車輌」 1953年1月号(第35巻1号) pp.284 - 303}}

* 『[[鉄道ピクトリアル]]』 [[電気車研究会|鉄道図書刊行会]]
** {{Anchor|RP66_p59-63|渡辺肇 「私鉄車両めぐり(27) 名古屋鉄道 続」 1957年1月号(通巻66号) pp.59 - 63}}
** {{Anchor|RP249_p54-65|渡辺肇・加藤久爾夫 「私鉄車両めぐり(87) 名古屋鉄道 終」 1971年4月号(通巻249号) pp.54 - 65}}
** {{Anchor|RP859_p53-61|清水武 「名古屋鉄道の凸型電気機関車」 2012年2月号(通巻859号) pp.53 - 61}}


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[[Category:日立製作所製の電気機関車]]
[[Category:1952年製の鉄道車両]]
[[Category:1952年製の鉄道車両]]

2014年10月2日 (木) 14:37時点における版

関西電力モ250形電気機関車
名鉄デキ250形電気機関車
モ250形252(落成時)
基本情報
製造所 日立製作所
主要諸元
軸配置 B-B
軌間 1,067 mm(狭軌
電気方式 直流600 V架空電車線方式
車両重量 30.00 t
全長 10,850 mm
全幅 2,740 mm
全高 4,100 mm
台車 釣り合い梁式固定枕梁形
主電動機 直流直巻電動機 HS-266Dr
主電動機出力 75 kW
搭載数 4基 / 両
駆動方式 吊り掛け駆動
歯車比 4.19 (67:16)
定格速度 24.6 km/h
定格引張力 4,360 kgf
制御装置 電空単位スイッチ式間接非自動制御
制動装置 EL-14A自動空気ブレーキ
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関西電力モ250形電気機関車(かんさいでんりょくモ250がたでんききかんしゃ)は、関西電力が同社丸山ダム建設に際して1952年昭和27年)に導入した電気機関車である。

モ250形は関西電力が保有する私有機として2両が竣功し、建設資材輸送の貨物列車牽引に供された[1]。のち、ダム建設工事完了に伴って1954年(昭和29年)に名古屋鉄道(名鉄)へ譲渡されて同社デキ250形となり、名鉄には1969年(昭和44年)まで在籍した[2]。うち1両は北恵那鉄道(現・北恵那交通)へ貸与ののち正式譲渡され、1978年(昭和53年)まで運用された[3]

以下、本項では関西電力モ250形として導入された車両群を「本形式」と記述する。

導入経緯

関西電力は、太平洋戦争中に日本発送電によって着工されたものの、戦局悪化により建設が中断された丸山水力発電所(丸山ダム)[4]の建設再開を目的として、1951年(昭和26年)11月より名鉄八百津線の終点八百津駅から錦織駅を経て丸山発電所(丸山ダム)へ至る、延長4.1 kmの建設資材運搬用の専用鉄道(丸山水力専用鉄道)の敷設工事に着手した[1][* 1]。専用鉄道のうち、八百津 - 錦織間2.6 kmは1952年(昭和27年)3月に開通したが、開通当初は非電化仕様とされ、内燃機関車牽引による資材輸送が行われた[1]

その後、電化工事完成に先立つ同年8月に[1]日立製作所において30 t級の凸形車体を備える電気機関車モ250形251・252の2両がメーカー製造番号191080-1・191080-2にて新製され[5]、同年9月13日の直流600 V電化工事完成をもって運用を開始した[1]。モ251・モ252とも、当初より資材輸送終了後は名鉄へ譲渡する前提で導入された電気機関車であった[1]

車体

全長10,850 mmの台枠上の中央部に運転室を、運転室前後に主要機器を収納した機械室をそれぞれ配置した凸形の車体を備える[6]。その外観は「取り立てて面白みのない平々凡々なスタイル[7]」「専用鉄道用車両だけにいかにも実用本位のデザイン[6]」などと評される。

運転室および機械室は全溶接工法によって組み立てられた丸みを帯びた形状とされ[8]、前後の機械室上部は運転室側より車端部に向かってなだらかな下り傾斜状とされている[6]。運転室側面には乗務員扉と側窓を各1箇所備え、前後妻面には2枚の横長形状の前面窓を備える[6]。また、機械室に設けられた通風用ルーバー内部には、降雪時の運用を考慮して雪の機械室への侵入を防止する防雪板が設置された[9]

前照灯は白熱灯式の取付型で、前後の機械室上部の前端に各1灯、後部標識灯は前後の機械室前面下部に左右1灯ずつ、それぞれ設置された[9]

主要機器

搭載する機器は日立製作所製の製品で占められている[10]

制御装置電空単位スイッチ式間接非自動制御器重連総括制御非対応)を採用する[9]。力行制御は直列8段・並列7段の計15段の抵抗制御によって行い、弱め界磁制御機能は実装されていない[9]

主電動機はHS-266Dr(端子電圧600 V時定格出力75 kW[11]歯車比4.19 (67:16) にて1両あたり4基、各軸に装架する[10]。全界磁時定格速度は24.6 km/h、同定格牽引力は4,360 kgfである[9]

台車は枕ばねを省略した釣り合い梁式固定枕梁形台車(固定軸間距離2,100 mm、車輪径910 mm)を装着する[10]

制動装置は機関車用制動装置であるEL-14A自動空気ブレーキを採用する[10]。運転台の制動弁は自車にのみ作用する「単弁」と編成全体に作用する「貫通制動弁」の2つに分かれている[8]。この仕様は名鉄への譲渡後も変更されず、制動弁を1基のみ搭載して切替コックの操作により単弁相当または貫通制動弁相当に切り替える仕様が標準であった名鉄保有の電気機関車の中では異端な存在であった[8][* 2]

連結器は柴田式並形自動連結器を採用、前後の端梁部へ装着し[10]集電装置はKC-110-C菱形パンタグラフを乗務員室の屋根部へ1両あたり1基搭載する[10]

なお、本形式は低圧電源供給用の電動発電機 (MG) を搭載せず、制御装置の動作などに用いる低圧電源は架線電圧を専用抵抗器によって降圧して使用した[8]

運用

導入後は、前述の通りダム建設の資材輸送列車の牽引用途に供された[1]。なお、専用鉄道のうち1953年(昭和28年)7月に開通した「延長線」と称される錦織 - 丸山発電所間1.5 kmについては非電化仕様とされたため、本形式の運用区間は錦織までに限定された[1]

その後、丸山ダム完成に伴って専用鉄道は1954年(昭和29年)5月31日をもって廃止となり、本形式2両は当初の計画通り名鉄へ譲渡された[1]。名鉄籍への編入に際しては形式称号をデキ250形と改め、記号番号はモ251がデキ251、モ252がデキ252となった[3]。名鉄への譲渡後は、八百津線・広見線小牧線など架線電圧600 V仕様の各支線区にて運用された[8]

後年、デキ252は架線電圧1,500 V仕様の幹線系統へ転属のため、昇圧対応改造工事が施工された[5]。この際、制御装置動作用の低圧電源装置として東芝CLG-101電動発電機 (MG) を新たに搭載し[10]、また昇圧改造後における主電動機出力は90 kWに向上した[10]。一方、デキ251は架線電圧600 V仕様のまま運用され[2]、運用路線区の架線電圧1,500 V化によって一旦休車となったのち、1966年(昭和41年)に同じく架線電圧600 V電化路線区である瀬戸線へ転属した[8]

その後の本形式の運用機会は少なく[8]、デキ251は瀬戸線転属の翌年、1967年(昭和42年)9月に再び休車となったのち、1968年(昭和43年)9月より北恵那鉄道へ貸与された[8]。また、デキ252は1968年(昭和43年)4月に発生した車両故障により休車となり[8]、修復されることなく同年8月22日付[13]除籍・解体処分された[8]。デキ251も正式譲渡により[2]1969年(昭和44年)3月10日付で除籍され[13]、名鉄におけるデキ250形は形式消滅した[2]

デキ251は北恵那鉄道へ正式譲渡された後も、形式称号・記号番号は名鉄在籍当時のデキ250形251のままとされた[7]。デキ251は北恵那鉄道線における貨物列車牽引用途に供する目的で導入されたが[7]、当時の北恵那鉄道線はモータリゼーションの影響から貨物輸送量が激減し[6]、電気機関車による牽引列車運行の必要性が薄れていたことから、導入後は中津町駅構内に隣接する中央板紙中津川工場(現・王子マテリア中津川工場)に入出場する貨車の入換作業用途にのみ用いられた[7]。結局、デキ251は導入後一度も本線にて運用されることなく[6]、1978年(昭和53年)9月18日の北恵那鉄道線全線廃止に伴って、翌9月19日付で廃車となった[11]

廃車後、デキ251は同じく路線廃止によって廃車となったモ560形565とともに愛知県名古屋市内のレストランにて静態保存されたが、後年解体処分された[14]。従って、関西電力モ250形として導入された2両はいずれも現存しない[8][14]

脚注

注釈

  1. ^ 専用線の建設は日本発送電によって着工され、線路を敷設する段階まで進捗していたものの、丸山ダム建設中断により遊休施設と化し、その後金属類回収令に基いて軌条を供出した[1]。丸山水力専用鉄道はこの未成に終わった専用線の道床を補修の上で再利用し、敷設されたものである[1]
  2. ^ 名鉄において単弁と貫通制動弁の2つの制動弁を備える電気機関車は、本形式2両のほかデキ500形1両の計3両のみに限られた[8]。操作性の相違などから、この仕様は乗務員には不評であったという[12]

出典

参考資料

書籍

雑誌記事

  • 日立評論』 日立評論社
    • 「XVIII. 鉄道車輌」 1953年1月号(第35巻1号) pp.284 - 303
  • 鉄道ピクトリアル鉄道図書刊行会
    • 渡辺肇 「私鉄車両めぐり(27) 名古屋鉄道 続」 1957年1月号(通巻66号) pp.59 - 63
    • 渡辺肇・加藤久爾夫 「私鉄車両めぐり(87) 名古屋鉄道 終」 1971年4月号(通巻249号) pp.54 - 65
    • 清水武 「名古屋鉄道の凸型電気機関車」 2012年2月号(通巻859号) pp.53 - 61