「松阪駅」の版間の差分
Mister0124 (会話 | 投稿記録) m 地図を追加し、脚注節分離 |
|||
4行目: | 4行目: | ||
|pxl = |
|pxl = |
||
|画像説明 = 中央口(2018年1月) |
|画像説明 = 中央口(2018年1月) |
||
{{Infobox mapframe|zoom=14|frame-width=280|type=point}} |
|地図={{Infobox mapframe|zoom=14|frame-width=280|type=point}} |
||
|よみがな = まつさか |
|よみがな = まつさか |
||
|ローマ字 = Matsusaka |
|ローマ字 = Matsusaka |
2020年2月14日 (金) 23:01時点における版
松阪駅 | |
---|---|
中央口(2018年1月) | |
まつさか Matsusaka | |
三重県松阪市京町301(JR東海) 北緯34度34分36.8秒 東経136度32分7.9秒 / 北緯34.576889度 東経136.535528度座標: 北緯34度34分36.8秒 東経136度32分7.9秒 / 北緯34.576889度 東経136.535528度 三重県松阪市京町一区43-1(近鉄) 北緯34度34分38.9秒 東経136度32分10.9秒 / 北緯34.577472度 東経136.536361度 | |
所属事業者 |
東海旅客鉄道(JR東海) 近畿日本鉄道(近鉄) |
電報略号 | マサ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 5面7線 |
乗車人員 -統計年度- |
(JR東海)1,592人/日 (近鉄)7,734人/日(降車客含まず) -2017年- |
開業年月日 |
1893年(明治26年)12月31日[1](JR) 1930年(昭和5年)3月27日[2](近鉄) |
乗入路線 3 路線 | |
所属路線 | ■紀勢本線(JR東海) |
キロ程 | 34.6 km(亀山起点) |
◄六軒 (5.5 km) (3.0 km) 徳和► | |
所属路線 | ■名松線(JR東海) |
キロ程 | 0.0 km(松阪起点) |
(4.2 km) 上ノ庄► | |
所属路線 | M 山田線(近鉄) |
駅番号 | M64 |
キロ程 | 8.4 km(伊勢中川起点) |
◄M63 松ヶ崎 (2.7 km) (1.6 km) 東松阪 M65► | |
備考 |
共同使用駅 JR東海:駅長配置駅(管理駅) JR東海:JR全線きっぷうりば 有 |
松阪駅(まつさかえき)は、三重県松阪市京町および京町一区にある、東海旅客鉄道(JR東海)・近畿日本鉄道(近鉄)の駅である。駅番号は近鉄がM64。
乗り入れ路線
JR東海の紀勢本線・名松線と、近鉄の山田線が乗り入れており、両事業者が構内を分割して管理する共同使用駅となっている。JR東海の駅としては紀勢本線を所属線としている[3]。また、名松線は当駅が起点である。このほか、1964年までは三重電気鉄道の松阪線も乗り入れていた。
近鉄線利用時にはPiTaPa(スルッとKANSAI協議会)およびPiTaPaと相互利用可能な交通系ICカード(相互利用先は当該項目を参照)が使用が可能。ただしJR東海利用時にはこれらの利用ができない。
歴史
JR東海
- 1893年(明治26年)12月31日:参宮鉄道の駅として、津 - 宮川の開通時に開業[1]。一般駅。
- 1907年(明治40年)10月1日:参宮鉄道が国有化[1]。
- 1909年(明治42年)10月12日:線路名称制定により、参宮線所属駅となる[1]。
- 1929年(昭和4年)8月25日:国鉄名松線が権現前駅まで開業[4]。
- 1937年(昭和12年)12月3日:駅舎改築[5][6]。
- 1959年(昭和34年)7月15日:紀勢本線全通に伴い、参宮線多気以北が紀勢本線に編入され、同線の所属駅となる[7]。
- 1962年(昭和37年)11月16日:新駅舎完成。
- 1978年(昭和53年)8月4日:三交ビル口開設[6]。
- 1984年(昭和59年)2月1日:貨物の取扱いを廃止。
- 1986年(昭和61年)11月1日:荷物の取扱いを廃止。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により東海旅客鉄道が継承[8]。
近鉄
- 1930年(昭和5年)
- 1941年(昭和16年)3月15日:大阪電気軌道が参宮急行電鉄を合併、関西急行鉄道に改称[2]。この時の線路名称改定で、山田線所属駅となる[9]。
- 1944年(昭和19年)6月1日:関西急行鉄道が南海鉄道と合併、近畿日本鉄道設立[2]。
- 1955年(昭和30年)4月3日:北口開設[10][11]。
- 1969年(昭和44年)10月16日:近鉄下り待避線設置。
- 2007年(平成19年)4月1日:近鉄山田線PiTaPa使用開始[12]。
- 2012年(平成24年)3月20日:ダイヤ変更により、区間快速急行の運転が廃止される。
三重電気鉄道(廃止)
- 1912年(大正元年)8月17日:松阪軽便鉄道大石線(のちの三重電気鉄道松阪線)の松阪駅が開業[13][14]。駅は国鉄松阪駅の南側に置かれた。
- 1919年(大正8年)7月19日:社名変更により松阪鉄道の駅となる[14]。
- 1928年(昭和3年)1月19日:社名変更により松阪電気鉄道の駅となる[14]。
- 1944年(昭和19年)2月11日:会社合併により三重交通の駅となる[14]。
- 1964年(昭和39年)
駅構造
5面7線のホームを持つ地上駅。うち、3面4線(単式ホーム1面・島式ホーム2面)がJR用、2面3線(単式ホーム・島式ホーム1面ずつ)が近鉄用となっている。のりばは1番から8番まで存在し[注釈 1]、1番ホームと6番ホームが単式ホームで、2・3番ホーム、4・5番ホーム、7・8番ホームがそれぞれ島式ホームとなっている。
なお、 1987年から1990年まで一時的に1番線ホームが存在しなかった。旧1番線は名松線用のホームで、線路も2番線とは別に敷設されていたが、同線の列車が5番線ホーム発着に変更されたため廃止、線路を撤去した。その後、旧1番のりばを2番線側に拡張、新たに線路は敷設せずに2番線ホームと線路を共有する形で1番線ホームが復活した。なお、現在は2番線ホームの使用が停止され、ホーム上には柵が設置されている。
JR線の1番線ホームと2番線ホームは線路(上り1番線)を共有する。なおその他の線路は3番線から順に上り本線、下り本線、下り1番線となっている。近鉄線は6番線が上り列車用、8番線が下り列車用で、間の7番線は上下列車に対応する待避線である。
駅舎は南北に2つあり、南側(南口)をJR東海が、北側(北口)を近鉄が管理する。駅舎とホームへ跨線橋で連絡している。中間改札は無くJR・近鉄のホームは自由に行き来できるが、不定期で近鉄が4・5番線と6番線の間に臨時の改札口を設けて検札を行っている。
JR東海の駅は駅長・駅員配置駅(直営駅)である。管理駅でもあり、紀勢本線の六軒駅・徳和駅および名松線の各駅を管理している。なお、近鉄の駅長は伊勢中川駅に置かれ、当駅はその被管理駅となっている[15]。
のりば
JR線のりば | ||||
---|---|---|---|---|
番線 | 路線 | 方向 | 行先 | 備考 |
1 | ■JR紀勢本線 | 上り | 亀山・名古屋方面[注釈 2] | 線路を共有している |
2 | (使用されていない) | |||
3 | ■JR紀勢本線 | 上り | 亀山・名古屋方面[注釈 2] | 一部の普通 |
4 | 下り | 新宮・伊勢市方面[注釈 2] | 一部の普通は1・5番線 | |
5 | ■JR名松線 | - | 伊勢奥津方面[注釈 2] | |
近鉄線のりば | ||||
のりば | 路線 | 方向 | 行先 | 備考 |
6 | M 近鉄山田線 | 上り | 伊勢中川・津・名古屋・大阪・神戸・京都方面 | |
7 | 伊勢中川・名古屋方面 | 待避・折返列車 | ||
下り | 宇治山田・鳥羽・賢島方面 | 待避列車 | ||
8 |
上り列車のうち、快速「みえ」は1番線、特急「南紀」は3番線から発車する。普通列車は基本的に1番線からであるが、「みえ」の通過待ちを行う場合は3番線に入る。
駅設備
- 南口・北口共に自動改札機、自動精算機を設置。自動改札機はいずれもICカードに対応しているがJR線ではICカードは利用できない。改札内に乗り換え用のカードリーダーもないため近鉄でICカードを利用した後にJR線に乗り換える場合は一旦改札を出てJRの乗車券を買い直して再び改札に入る必要がある。これは、津・伊勢市・鳥羽駅も同様である。
- かつては跨線橋の南端より三交百貨店に直結する有人改札口もあったが、同百貨店の閉店により建物は解体、今後の跡地活用方法が決まっていないため現在は有料駐車場となっている。
- JRの出札窓口(JR全線きっぷうりば)は南口のみ設置。北口には近距離券売機が1台設置されているのみである。
- 近鉄の出札窓口は北口・南口ともに設置。定期券の発売は南口のみ取り扱う。
- 駅売店は近鉄側は橋上通路内に近鉄リテーリングが運営するファミリーマートが[16]、JR側は改札脇にキヨスクと「あら竹」の駅弁売店がある。以前は駅そば店もあったが、2018年3月26日限りで営業を終了した。
- JR・近鉄とも水洗式便所の設備がある。バリアフリー・オストメイト対応。
特徴
停車列車
- JR線
- 当駅を通る全ての旅客列車が停車する。
- 夕刻に多気方面から当駅終着の紀勢線普通列車が2本設定されている。
- 快速「みえ」は登場当時、1往復の紀伊勝浦駅発着の列車(現在は特急「南紀」に格上げ)を除き、この駅までの運転だった。
- 近鉄線
- 甲特急・観光特急「しまかぜ」以外の全定期旅客列車が停車する[17]。
- 当駅発着の特急列車および急行系列車が多数設定されており、名古屋線急行の折り返し拠点駅の一つである[17]。一方で、当駅終着の定期普通列車は設定されていない[17]。
- 待避線は上下共用である。日中の普通列車は下りの毎時1本が当駅で急行と接続する以外は、伊勢中川駅か櫛田駅、明星駅、明野駅のいずれかで待避が行われる[17]。
その他
- 松阪市の代表駅である。
- JRは紀勢本線・名松線とも非電化で、近鉄山田線は直流架空電車線方式となっている。
- JR紀勢本線と近鉄線の三重県側最南の接続駅であるため、紀勢本線・参宮線の各駅と大阪方面に関して、当駅 - 鶴橋間の近鉄線を介した通過連絡運輸も設定されている。
- 三重交通・三重急行自動車が、ここから(正確には松阪中央病院発着)、尾鷲・熊野市方面へ「南紀特急バス」を運行している。
駅弁
- 松阪名物霜ふり寿司
- 松阪名物モー太郎寿司
- 本居宣長辨當
- 五街道 彩(いろどり)弁当
- 松阪名物うまーいどん丼
- 元祖特選牛肉弁当
- 松阪名物黒毛和牛モー太郎弁当
- 復刻版 元祖牛肉弁当
- 松阪でアッツアツ牛めしに出会う!!
- 特上牛肉弁当
- 匠の技 松阪牛物語
- ほかほかモー太郎松阪(まっつぁか)弁当
利用状況
「三重県統計書」によると、1日の平均乗車人員は以下の通りである。近鉄はJRからの乗り継ぎ人員を含んでいる。
年度 | JR東海 | 近畿日本 鉄道 |
---|---|---|
1997年 | 2,077 | 10,364 |
1998年 | 2,000 | 9,967 |
1999年 | 1,974 | 9,721 |
2000年 | 1,970 | 9,459 |
2001年 | 1,928 | 9,185 |
2002年 | 1,840 | 8,840 |
2003年 | 1,774 | 8,596 |
2004年 | 1,709 | 8,456 |
2005年 | 1,775 | 8,327 |
2006年 | 1,863 | 8,203 |
2007年 | 1,845 | 8,009 |
2008年 | 1,836 | 7,867 |
2009年 | 1,769 | 7,536 |
2010年 | 1,683 | 7,434 |
2011年 | 1,654 | 7,379 |
2012年 | 1,619 | 7,530 |
2013年 | 1,652 | 7,880 |
2014年 | 1,563 | 7,637 |
2015年 | 1,559 | 7,642 |
2016年 | 1,601 | 7,653 |
2017年 | 1,592 | 7,734 |
近鉄
当駅乗降人員
近年における当駅の1日乗降人員の調査結果は以下の通り[19]。
- 2018年11月13日:12,876人
- 2015年11月10日:12,817人
- 2012年11月13日:12,723人
- 2010年11月9日:13,034人
- 2008年11月18日:14,108人
- 2005年11月8日:13,690人
利用状況
松阪駅の利用状況の変遷を下表に示す。
- 輸送実績(乗車人員)の単位は人であり、年度での総計値を示す。年度間の比較に適したデータである。
- 乗降人員調査結果は任意の1日における値(単位:人)である。調査日の天候・行事等の要因によって変動が大きいので年度間の比較には注意を要する。
- 表中、最高値を赤色で、最高値を記録した年度以降の最低値を青色で、最高値を記録した年度以前の最低値を緑色で表記している。
年度別利用状況(近鉄松阪駅) | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|
年 度 | 当駅分輸送実績(乗車人員):人/年度 | 乗降人員調査結果 人/日 |
特 記 事 項 | ||||
通勤定期 | 通学定期 | 定期外 | 合 計 | 調査日 | 調査結果 | ||
1950年(昭和25年) | 1,115,790 | ←←←← | 1,185,339 | 2,301,129 | |||
1951年(昭和26年) | 1,256,760 | ←←←← | 928,684 | 2,185,444 | |||
1952年(昭和27年) | 1,216,830 | ←←←← | 1,267,700 | 2,484,530 | |||
1953年(昭和28年) | 1,202,195 | ←←←← | 1,344,942 | 2,547,137 | |||
1954年(昭和29年) | 1,234,650 | ←←←← | 1,403,612 | 2,638,262 | |||
1955年(昭和30年) | 1,301,610 | ←←←← | 1,458,487 | 2,760,097 | |||
1956年(昭和31年) | 1,460,310 | ←←←← | 1,522,984 | 2,983,294 | |||
1957年(昭和32年) | 1,548,660 | ←←←← | 1,560,062 | 3,108,722 | |||
1958年(昭和33年) | 1,690,890 | ←←←← | 1,597,754 | 3,288,644 | |||
1959年(昭和34年) | 1,799,280 | ←←←← | 1,414,043 | 3,213,323 | |||
1960年(昭和35年) | 2,077,560 | ←←←← | 1,451,328 | 3,528,888 | |||
1961年(昭和36年) | 2,272,860 | ←←←← | 1,493,833 | 3,766,693 | |||
1962年(昭和37年) | 2,607,030 | ←←←← | 1,593,533 | 4,200,563 | |||
1963年(昭和38年) | 2,758,020 | ←←←← | 1,510,220 | 4,268,240 | |||
1964年(昭和39年) | 3,041,340 | ←←←← | 1,566,648 | 4,607,988 | |||
1965年(昭和40年) | 3,298,530 | ←←←← | 1,625,004 | 4,923,534 | |||
1966年(昭和41年) | 3,303,390 | ←←←← | 1,579,026 | 4,882,416 | |||
1967年(昭和42年) | 3,421,740 | ←←←← | 1,663,263 | 5,085,003 | |||
1968年(昭和43年) | 3,501,090 | ←←←← | 1,788,316 | 5,289,406 | |||
1969年(昭和44年) | 3,496,260 | ←←←← | 1,875,108 | 5,371,368 | |||
1970年(昭和45年) | 3,810,030 | ←←←← | 2,017,892 | 5,827,922 | |||
1971年(昭和46年) | 3,831,990 | ←←←← | 2,070,033 | 5,902,023 | |||
1972年(昭和47年) | 3,931,320 | ←←←← | 2,201,265 | 6,132,585 | |||
1973年(昭和48年) | 3,892,200 | ←←←← | 2,398,137 | 6,290,337 | |||
1974年(昭和49年) | 4,167,800 | ←←←← | 2,452,775 | 6,620,575 | |||
1975年(昭和50年) | 3,927,960 | ←←←← | 2,422,981 | 6,350,941 | |||
1976年(昭和51年) | 3,689,040 | ←←←← | 2,289,290 | 5,978,330 | |||
1977年(昭和52年) | 3,540,480 | ←←←← | 2,346,392 | 5,886,872 | |||
1978年(昭和53年) | 3,402,030 | ←←←← | 2,359,027 | 5,761,057 | |||
1979年(昭和54年) | 3,322,950 | ←←←← | 2,331,378 | 5,654,328 | |||
1980年(昭和55年) | 3,300,000 | ←←←← | 2,354,860 | 5,684,860 | |||
1981年(昭和56年) | 3,428,190 | ←←←← | 2,300,211 | 5,548,401 | |||
1982年(昭和57年) | 3,080,700 | ←←←← | 2,281,818 | 5,362,518 | 11月16日 | 22,937 | |
1983年(昭和58年) | 3,083,460 | ←←←← | 2,228,351 | 5,311,811 | 11月8日 | 23,917 | |
1984年(昭和59年) | 2,972,730 | ←←←← | 2,184,273 | 5,157,003 | 11月6日 | 22,800 | |
1985年(昭和60年) | 2,967,360 | ←←←← | 2,179,515 | 5,146,875 | 11月12日 | 22,226 | |
1986年(昭和61年) | 2,888,610 | ←←←← | 2,153,579 | 5,042,189 | 11月11日 | 22,949 | |
1987年(昭和62年) | 2,805,780 | ←←←← | 2,082,428 | 4,888,208 | 11月10日 | 20,751 | |
1988年(昭和63年) | 2,734,230 | ←←←← | 2,072,235 | 4,806,465 | 11月8日 | 21,330 | |
1989年(平成元年) | 2,631,540 | ←←←← | 2,067,527 | 4,699,067 | 11月14日 | 20,657 | |
1990年(平成2年) | 2,651,110 | ←←←← | 2,070,088 | 4,721,198 | 11月6日 | 20,084 | |
1991年(平成3年) | 2,680,980 | ←←←← | 2,032,145 | 4,713,125 | |||
1992年(平成4年) | 2,604,510 | ←←←← | 1,960,209 | 4,564,719 | 11月10日 | 20,088 | |
1993年(平成5年) | 2,547,210 | ←←←← | 1,897,972 | 4,445,182 | |||
1994年(平成6年) | 2,509,290 | ←←←← | 1,837,757 | 4,347,047 | |||
1995年(平成7年) | 2,442,120 | ←←←← | 1,780,082 | 4,222,202 | 12月5日 | 18,338 | |
1996年(平成8年) | 2,307,180 | ←←←← | 1,720,043 | 4,027,223 | |||
1997年(平成9年) | 2,160,090 | ←←←← | 1,622,790 | 3,782,880 | |||
1998年(平成10年) | 2,098,890 | ←←←← | 1,539,016 | 3,637,906 | |||
1999年(平成11年) | 2,047,800 | ←←←← | 1,509,820 | 3,557,620 | |||
2000年(平成12年) | 1,973,610 | ←←←← | 1,478,969 | 3,452,579 | |||
2001年(平成13年) | 1,884,330 | ←←←← | 1,468,003 | 3,352,333 | |||
2002年(平成14年) | 1,798,590 | ←←←← | 1,428,130 | 3,226,720 | |||
2003年(平成15年) | 1,753,650 | ←←←← | 1,392,343 | 3,145,993 | |||
2004年(平成16年) | 1,754,400 | ←←←← | 1,332,027 | 3,086,427 | |||
2005年(平成17年) | 1,740,210 | ←←←← | 1,299,288 | 3,039,498 | 11月8日 | 13,690 | |
2006年(平成18年) | 1,737,510 | ←←←← | 1,256,505 | 2,994,015 | |||
2007年(平成19年) | 1,710,030 | ←←←← | 1,221,565 | 2,931,595 | |||
2008年(平成20年) | 1,695,720 | ←←←← | 1,178,850 | 2,874,570 | 11月18日 | 14,108 | |
2009年(平成21年) | 1,659,510 | ←←←← | 1,091,288 | 2,750,798 | |||
2010年(平成22年) | 1,640,190 | ←←←← | 1,071,449 | 2,711,639 | 11月9日 | 13,034 | |
2011年(平成23年) | 1,646,430 | ←←←← | 1,054,011 | 2,700,441 | |||
2012年(平成24年) | 1,667,070 | ←←←← | 1,081,466 | 2,748,536 | 11月13日 | 12,723 | |
2013年(平成25年) | 1,733,040 | ←←←← | 1,143,203 | 2,876,243 | |||
2014年(平成26年) | 1,676,340 | ←←←← | 1,111,127 | 2,787,467 | |||
2015年(平成27年) | ←←←← |
駅周辺
JR線側出入口
- 松阪公園(松坂城跡)・本居宣長記念館・歴史民俗資料館・御城番屋敷・本居宣長旧宅
- 松阪市役所
- 松阪市民病院
- 第三銀行 本店
- 三菱UFJ銀行 松阪支店
- 桑名三重信用金庫 日野町支店
- 中京銀行 松阪支店
- 三重銀行 松阪支店
- 継松寺(岡寺観音)
- 松阪商人の館
- 三重県立松阪工業高等学校
- 松阪市立第一小学校
- 住友理工松阪製作所
- ベルタウン(松阪市駅前通り商店街)
- ヤマダ電機テックランド松阪店
- 服部家具センター松阪店
- 松阪警察署
- 紀勢国道事務所
- 和田金
- 柳屋奉善
- 牛銀本店
- 東横イン伊勢松阪駅前
近鉄線側出入口
バス路線
南口
松阪駅前
- 松阪市市街地循環バス鈴の音バス
- 左回り(松阪駅→市役所前→市民文化会館→桜町中央→宝塚町→駅部田山の世古→久保中学校→松阪駅)
- 右回り(松阪駅→久保中学校→駅部田山の世古→宝塚町→桜町中央→市民文化会館→市役所前→松阪駅)
- 大口線
- 三雲松阪線
- 三雲地域振興局
- 三重交通
- 1番乗り場
- 2番乗り場
- 3番乗り場
- 02系統 パークタウン学園前(春日町・花岡山経由)
- 08系統 三重高校前 (春日町・新四ッ又経由)
- 4番乗り場
北口
近鉄松阪駅
- 松阪市市街地循環バス鈴の音バス
- 左回り ※土曜・休日・年末年始運休
- 右回り ※土曜・休日・年末年始運休
- 大口線
- 松阪港
- JR松阪駅
- 三雲松阪線
- 三雲地域振興局
- 黒部・東地区コミュニティバス
- 出間(JAくろべ経由) ※土曜・休日・年末年始運休
- 機殿・朝見地区コミュニティバス
- 東久保・JAくろべ(朝田経由) ※土曜・休日・年末年始運休
- 青木バス
隣の駅
- 近畿日本鉄道
- M 山田線
かつて存在した路線
- 三重電気鉄道
- 松阪線
- 松阪駅 - 平生町駅
脚注
注釈
出典
- ^ a b c d 『歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』25号 18頁
- ^ a b c d e 『歴史でめぐる鉄道全路線 大手私鉄』3号 18-23頁
- ^ 『停車場変遷大事典 国鉄・JR編』JTB 1998年
- ^ 『歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』25号 27頁
- ^ “けふは祝賀の大廣告行列 全市擧げて大賑ひ 松阪驛落成式盛會”. 伊勢新聞: p. 2. (1937年12月4日)
- ^ a b 天王寺鉄道管理局三十年写真史P276「駅の変せん」
- ^ 『歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』25号 20頁
- ^ 『歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』25号 21頁
- ^ 『近畿日本鉄道 100年のあゆみ』 156頁
- ^ “今日から店開き 近鉄松阪駅裏の改札口”. 伊勢新聞: p. 2. (1955年4月3日)
- ^ 『天王寺鉄道管理局三十年写真史』では同年7月1日に北口開設と記載。
- ^ "平成19年4月1日から、近鉄主要路線でICカードの利用が可能になります" (pdf) (Press release). 近畿日本鉄道. 30 January 2007. 2016年3月13日閲覧。
- ^ a b 今尾恵介(監修)『日本鉄道旅行地図帳』 8 関西1、新潮社、2008年、33頁。ISBN 978-4-10-790026-5。
- ^ a b c d e f 『近畿日本鉄道 100年のあゆみ』 354-361頁
- ^ 『HAND BOOK 2010』、近畿日本鉄道総合企画部編、2010年9月
- ^ 近鉄時刻表2018年3月17日ダイヤ変更号、p.70 - p.87
- ^ a b c d e f g h 近鉄時刻表2018年3月17日ダイヤ変更号、p.150 - p.157・p.162 - p.184・p.308 - p.315・p.320 - p.342
- ^ 『JR時刻表』2017年3月号、交通新聞社、2017年、218頁。
- ^ 駅別乗降人員 山田線 - 近畿日本鉄道
- ^ 横田勇人 (2014年3月31日). “聖地・松阪で肉三昧、高級和牛のみにあらず”. 日経電子版. 日本経済新聞社. 2019年1月3日閲覧。
参考文献
- 曽根悟(監修) 著、朝日新聞出版分冊百科編集部(編集) 編『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 国鉄・JR』 25号 紀勢本線・参宮線・名松線、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2010年1月10日。
- 曽根悟(監修) 著、朝日新聞出版分冊百科編集部(編集) 編『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 大手私鉄』 2号 近畿日本鉄道 1、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2010年8月22日。
- 近畿日本鉄道株式会社『近畿日本鉄道 100年のあゆみ』近畿日本鉄道、2010年12月。
関連項目
- 日本の鉄道駅一覧
- 新松阪駅(廃駅、伊勢電気鉄道→近鉄伊勢線)
- 三重県道20号松阪停車場線